戦争というもの:半藤一利・著 PHP研究所 (2021/5/13)
2021年8月31日付け東京新聞夕刊「クロスロード」
内容
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<目次>
まえがき
一に平和を守らんがためである(山本五十六)
バスに乗り遅れるな(大流行のスローガン)
理想のために国を滅ぼしてはならない(若槻礼次郎)
大日本は神国なり(北畠親房)
アジアは一つ(岡倉天心)
タコの遺骨はいつ還かえる(流行歌「湖畔の宿」の替え歌)
敗因は驕慢の一語に尽きる(草鹿龍之介)
欲しがりません勝つまでは(国民学校五年生の女子)
太平洋の防波堤となるのである(栗林忠道)
武士道というは死ぬ事と見付けたり(山本常朝)
特攻作戦中止、帰投せよ(伊藤整一)
沖縄県民斯かく戦へり(大田 実)
しかし――捕虜にはなるな(西平英夫)
予の判断は外れたり(河辺虎四郎)
あとがき
解説 半藤末利子
編集後記
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参照
January 15, 2021それからの海舟
September 12, 20191939・夏・2019
January 22, 2018150年...
April 03, 2017荷風さんの昭和
March 07, 2012東京人 2012.04
August 07, 2006占領下の東京
August 15, 2005「靖国」を語る
「地形と歴史で読み解く 鉄道と街道の深い関係 東京周辺」内田宗治 著
『東京人 2021年8月号 特集「保存リノベ建築」歴史と記憶をつなぐ』の頁を捲っていたら特集とは関係ない川本三郎の東京つれづれ日誌「台湾で懐かしむ、日本の鉄道風景」に目が止まった。ここでも話題は台湾を離れて「地形と歴史で読み解く 鉄道と街道の深い関係 東京周辺」に、中でも川本三郎はコロナ禍で遠出が出来なくなってから、時折「絹の道」を歩き鑓水と云う地名を知り、第2章-6の「絹の道」と横浜線・外貨獲得に貢献した街道と、沿線の軍事施設に魅かれたようだ。私は最近、南大沢の法務局に用事があって、横浜街道の御殿峠から、今では裏道となった絹の道の鑓水に抜ける道を通ったが、此処にも産廃業者の借り囲いが周囲の環境にそぐわない姿を晒している...川本三郎は「絹の道」から明治の毒婦・高橋お伝を連想しているが、鑓水と云えば昭和の時代に立教大学助教授による女子大生不倫殺人事件の現場として全国に名が知られてしまったことがあった。そんな事が産廃業者に目をつけられ買い叩かれたのかもと考えると...ベアトにも愛された谷戸の風景も心なしか哀しそうに見える。
内容
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鉄道には、旧来の街道に沿った時代と、沿わない時代があった。
その違いを生んだ社会的背景とは?
鉄道も街道も、ある地点とある地点を結ぶために作られる。副次的に沿線が発達する。
ならば、江戸時代の五街道も鉄道も似たようなルートとなって然るべきだ。
しかし、いまの地図を見ると、そうはなっていない。
京王線は甲州街道に、田園都市線は大山道に沿っている。
一方、同じ西に向かう青梅街道に沿った路線はない。
こうした点について鉄道路線はそれぞれのルーツから語られることはあるが、
一定の時代で区切って考えてみると、その時代時代で鉄道に課せられた社会の意識が見えてくる。
●主な内容
第1章 鉄道開業〜明治時代後半
鉄道忌避伝説が生じた街道との関係 私鉄による幹線(現JR)建設の時代
・馬車鉄道(新橋―浅草)の誕生
・幹線鉄道は東西南北に一路線ずつ
・鉄道が宿場町に立ち寄らない東海道・中山道・日光街道
・甲州街道と中央線の微妙な関係
・後の大手私鉄に先駆けて、なぜ川越鉄道と青梅鉄道が開業したのか
・幹線のターミナルは船着き場
第2章 明治時代後半〜関東大震災
街道にぴったり沿っての鉄道敷設 現・大手私鉄、第一世代の本格的登場
・東海道と甲州街道の集落へ、やっと鉄道がやってきた時代
・山岳信仰の大山街道に敷かれた多摩川の砂利目当ての路面電車
・新河岸川、川越街道と東武東上線
・京成電気軌道と佐倉街道 広大な軍隊の施設と戦後の大規模団地
・「絹の道」と横浜線・沿線の軍事施設
・震災からの帝都復興で放射線と環状線の道路網 環七・環八も計画
第3章 昭和初期前後〜現代
環状道路、首都高と私鉄新線 郊外電車の誕生から現代まで
・田園調布・洗足・大岡山の住宅地開発と大学誘致
・目白文化村・大泉・小平学園都市 東急とは対照的な堤康次郎による開発
・各私鉄沿線の住宅地開発
・尾根筋を通る甲州街道沿いの京王線、丘も谷も突っ切り郊外へ向かう小田急線
・西武多摩川線などの砂利鉄道
・未成線――東京山手急行電鉄/京浜電気鉄道は白金を経て青山へ/
新宿・渋谷から西に向かう郊外鉄道
・通称オリンピック道路
・多摩田園都市VS多摩ニュータウン 対照的な鉄道・高速道路構想
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内田宗治氏は第2章の「絹の道」と横浜線・沿線の軍事施設で境川を東京都と神奈川県の境界と記述しているが、其処まで書くなら、嘗ては武蔵と相模の境だったと書いて欲しい。元より八王子も横浜も同じ武蔵国、明治維新後は武蔵国多摩郡の一部は神奈川県に編入されていた訳だが、その後1893年(明治26年)に東京府に移管されている。明治維新後の鑓水商人が栄えていた時代は、この地は神奈川県であった。従って、絹の道や浜街道とよばれていた道は全て神奈川県内で、それ以前は同じ武蔵国だから、八王子の言葉と横浜の言葉には共通点も多く見られる。
当時の記憶を留めるつもりなのか、相武CCとか、武相荘とか、武蔵、相模の両国を名に記す施設等も少なくない。
半藤一利さんが亡くなった。 拙ブログで半藤一利を検索すると9のエントリーが見つかった。書棚に目をやると「それからの海舟」が...数年ぶりに手にし奥付を見ると2008年6月10日の第一刷だ。おそらく文庫本になって直ぐに買ったのだろう。半藤一利の数多い著書の中で「荷風さんの昭和」と並び、著者の立ち位置が明解である。それは本書の『プロローグ 「本所の勝麟」ぶらぶら記』を眺めるだけでもわかる、薩長嫌いの荷風と海舟の共通点は散歩、街中をぶらぶらすること、歴史探偵もぶらぶら歩き...私も父方は会津藩の没落士族の末裔...そんな荷風と海舟、そして半藤一利に...当然の如く共感を覚え、尊敬の眼差しで頁を捲る。
第一章 苦心惨憺の“その日"まで
第二章 「虎穴に入らずんば」の横浜行
第三章 空しくなった最後の大芝居
第四章 静岡‐東京行ったり来たり
第五章 ふたたび西郷どんとともに
第六章 政府高官はもう真ッ平
第七章 「薩摩軍が勝つよ」
第八章 逆賊の汚名返上のため
第九章 野に吼える「氷川の隠居」
第十章 「文学は大嫌いだよ」
第十一章「我が行蔵」と「痩我慢」
第十二章 誰が知る「あひるの水かき」
エピローグ 洗足池の墓詣で
あとがき
解説 頑固な下町つ子風 阿川弘之
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と云うことで1980年に赤坂に事務所を借りたとき、そういえば氷川神社下に勝海舟が住んでいた筈と、氷川神社界隈を彼方此方探したが...歴史探偵の能力もなく...その時は探しあてることは叶わなかったが...その後...ストリートビューに写っている標識が設けられ、なんと事務所のあったソフトタウン赤坂が勝海舟の居所だったと云うことが分かった。
その、二年後、南青山に事務所を移したが、其所は日向高鍋藩秋月家の江戸下屋敷跡...秋月家は、あの上杉鷹山の実家でもある。
ガキの頃「なせば成る、ナセルはアラブの大統領」等と芸人の口調を真似していたおいらでも...そんな偉人にあやかりたいと...思うのだが...「.. なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」と...きつい戒めが...
11月23日の文春オンラインに「日本で一番売れている辞書“新解さん” 9年ぶり改訂で「忖度」の用例が変化していた!」の記事が、筆者は赤瀬川原平氏のベストセラー『新解さんの謎』の担当編集者だった鈴木マキコ氏である。
因みに私の持っている新解くん書籍版は1997年発行の第五版、iPhoneAppは第七版です。書籍第七版の発行が2012年で、iPhoneAppそれから一年後の2013年2月にリリースされている。第五版を手に入れた時、ベテランの新解くんを譲ってしまったのが、今では些か悔やまれます。
辞書本体の価格は第五版は1557頁で税別2800円、第八版は1741頁で税別3100円ですから、184頁増えて差額が300円、ほぼ増頁の分だけ値上げされただけで、新解くんは顰蹙をかうような、あざとい商いは避けているようです。
と云うことで今回の改訂では「忖度」の用例の他、IT関係やビジネス関係のカタカナ用語や、LGBT等、性的少数者、それにコロナウィルス(covid-19)や、それに付随してエビデンスやらロックダウンやテレワークが急遽追加されているようですね。新解くんも、これらカタカナ用語を撒き散らす、文字化け野郎への対応を迫られたと云うことでしょうか。
参照:新解くん関連の過去のエントリー
December 21, 2016:ようへん
March 12, 2016:担保する
February 28, 2013:草食化する新解くん
November 24, 2008:国語i辞典は大辞泉か広辞苑か、それとも...
January 22, 2007:辞書にない言葉
February 16, 2004:地上げの時代・昭和も遠くなかりけり
参照・その他辞書・辞典
December 28, 2003:カタカナ類語辞典
December 06, 2008:大辞林 for iPhone
July 15, 2008:「ウィズダム英和・和英辞典」
May 31, 2005:神さまがくれた漢字たち
February 06, 2006:人名字解
The Dalkey Archive(左図は1964年の初版本表紙)
昨年、白水Uブックスからドーキー古文書が単行本で出版されていたことを知らなかった。1970年代後半に「ドーキー古文書」はNHK-Eテレ・若い広場のマイブック・コーナーで安部公房の紹介で知った。読みたいと思い書店を巡っても単行本では出版されてなく、当時住んでいた高島平の一つ手前の西台駅の傍にあった板橋区図書館の分館で「ドーキー古文書」が収録された文学全集を借りて読んだ。ネットで調べてみると 集英社から1977年に発行された「世界の文学〈16〉スパーク・オブライエン」のようだ。NHKのマイブックをまとめた単行本が1980年に出版されていることから、1978年か1979年に読んだのだろう。手元にある「ドーキー古文書」は集英社ギャラリー「世界の文学」の古本で、Amazonの注文履歴を調べると2017年に購入したもので、それから3年を経て、漸くの再読となった、初読から40年以上の歳月を振り返ってみても、世界中で余りにも多くのことが起こり一言では表すことは不可能であるが、読書環境に限って云えば、ネット社会が環境整備され、情報へのアクセスが飛躍的に容易になったことだろう。特に海外の文学に親しむには、その舞台となっている場所にリモートとは云え空間移動できること等で、想像力の拡大は計り知れない。
物語の内容は出版社のサイトから白水社:ドーキー古文書を確かめて戴くとしても、マッド・サイエンティストにして自称・神学者のド・セルビィなる人物が企てる狂気の世界壊滅の野望なんぞは、1995年のオウム事件を彷彿させる。夫々の登場人物が抱える物語の虚構性が幾重にも層をなし読む者を混乱に陥れるのだ。
ヴィーコ・ロードと海水浴場・ホワイトロック
ミックとハケットがド・セルビィに出会った場所はこの辺りの海岸に下る所だろうか。
ド・セルビィがミックとハケットを伴い水中洞窟でアウグスティヌスに会い...こんな話しを聴いたのはこの辺りの海底のようだ。
たとえば、フランシスコ・ザビエルとかいう男、ねずみにしらみ、ごますりにかさっかきがうようよしているパリの貧民窟を根城にしてカルヴィンやイグナティウス・ロヨラを相手に酒くみかわし、女遊びにうつつをぬかす。ザビエルは大変な旅行家で、エチオピアから日本あたりまでのこのこ出かけて行き、エテ公みたいな仏教徒と交わり、中国改宗を一手に引きうけようともくろんだりもしたものだ。
YouTube:Dalkey Island and Killiney Hill, Ireland
....と云うことで...全てを理解するにはカソリックの神学にも...長けていないと
自転車人間の存在を信じる分子相互交換論者のフォトレル巡査部長はニュートリノの事を知ったら狂喜するだろうか。
先日、BSで映画「ユリシーズ」があったので録画しておいたら、ジェイムズ・ジョイスのユリシーズ」ではなく、ホメロスのオデュッセウスをテキストに制作された映画だった。残念
そういえば、1970年代、ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』が話題にされていたことがあった。
直ぐに月遅れとなるが、東京人10月号は、定番となった凸凹系の地形シリーズの中の川筋系の東京暗渠散歩の特集ということで、図版も豊富で体系的に良く纏められている一冊ですが、それでも東京には暗渠が...数えきれない?程...あるのでしょう。以前、拙ブログで取り上げた小沢川と稲付川の川跡は割愛されてました。尤も川の地図辞典が出版されるほど、数多くの河川や掘割が元の流れを変えられたり、蓋をされ暗渠と化し、記憶は抹殺されてしまうので、少しでも記録に留めておくという配慮でしょう。
因みに、執筆者の一人本田さんはアースダイビング@江戸東京地下水脈にコメントを戴いたこともありました。
ボローニャ紀行 (文春文庫)
と云うことで奥付を見ると2010年3月10日の初刷であるから、10年ぶりの再読である。その切っ掛けは、井上ひさし(1934/11/6〜2010/4/9)没後十年に因み、その命日の4月9日にNHK-BS-premiumのプレミアムカフェ 井上ひさしのボローニャ日記(2004年)が再放送されたのを見たことにある。
本書のことは、すっかり忘れていたが...書棚を見ると黄色い背表紙の「ボローニャ紀行」が...おいでおいで、していた。
因みに本書購入の切っ掛けもakiさんのaki's STOCKTAKINGからだった。
久しぶりに頁をめくると、プロローグの「テストニーの鞄」に本書執筆の経緯がNHKの番組取材に渡りに船と応じたことから拡がり、番組内では伝えきれないことを「ボローニャ日記」から「ボローニャ紀行」へと深化させたものだ。
一つの番組から記憶が蘇り、2010年4月10日に『東京芸術大学・ボローニャ大学共同シンポジウム 日本とイタリアの歴史的都市--その保存と変容』を聴講した。その講演者の一人、ピエル・ルイジ・チェルヴェッラーティ氏について本書の「花畑という名の都市」でも取り上げている。シンポジウムで第2次世界大戦後、レジスタンスの街であったボローニャ市は地方自治にまで干渉するアメリカからの復興資金(マーシャル・プラン)を蹴って、自力で経済復興を成したこと等から、ロッソ・ボローニャと揶揄されると語っていたことを思いだした。
因みに紀行文学と云えばゲーテによるイタリア紀行があまりにも有名だが...1786年10月18日から20日までの三日間、ボローニャに滞在しているが...ナポレオンに略奪される前のラファエロの「聖チェチリア」には満足したようだが、大学にも、街にも...あまり関心を表していない...まぁ、心はローマに...飛んでいたようで、此処に長く居るつもりはない...と。
「ボローニャ方式」による施設
ウンベルト・エーコがプロデュースした古い家畜市場をリノベーションした老人から学生そして幼児までが一日過ごせる図書館
「チャップリン・プロジェクト」の章で語られたタバコ工場をリノベーションして造られた複合施設
因みに、2010年4月10日「東京芸術大学・ボローニャ大学共同シンポジウム 日本とイタリアの歴史的都市--その保存と変容」で、ボローニャ大学の教授に誰かが丹下健三のボローニャの副都心計画をどう思うか尋ねていたが。教授は多くを語らず「あれは...◇○●△▼×◇...」まぁ、忖度したのでしょうか、意味不明な答えでしたが、多くの聴衆は教授の反応から...市民がどう思っているか読み取ったようです。
2020年7月9日(木)放送プレミアムカフェ 井上ひさしのボローニャ日記(2004年)
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戦後復興 ボローニャ市民「四つの誓い」
一、復興のためには女性の力が必要である。そこで女性が安心して働くことができるような環境をつくるために、まず公共保育所を建てることにしよう。それが街づくりの第一歩である。
二、街の中心部の歴史的建造物と公害の緑は、市の宝物である。この二つはあくまで保存し、維持しよう。
三、「投機」を目的とした土地建物の売買は、おたがいに禁じ合おう。
四、市内の職人企業の工場については、業績がよくなっても増築しないようにしよう。どうしても増築したいときは、街の景観を守るために、熟練した職人による分社化を行なおう。
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参考
ワイルドサイドをほっつき歩け ――ハマータウンのおっさんたち
と云うことで、ブレイディみかこの本を読むのはぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルーに引き続き二冊目である。著者とピーター・バラガンとのラジオ対談で、「ワーキングクラスのおっさんたち」をテーマに書いた最新刊のことを知ったのだが、その時、タイトルはLou ReedのA Walk On The Wild Sideを引用したものと言っていた。本書の内容は筑摩書房の特設サイトで試し読みや書評を読むことができる。
筑摩書房のPR誌・月刊「ちくま」の2017年12月号から2019年11月号に寄稿されたエッセーに加えて巻末の二章は書下しの解説編「現代英国の世代、階級、そしてやっぱり酒事情」となっている。
と云うことで先ずはルー・リードのWALK ON THE WILD SIDEの歌詞の翻訳を...こんな歌詞を読むと、ブレイディみかこが英国に定住した年に制作された英国映画・トレインスポッティングに出てくるような不良達がおっさんになった姿を連想するかも知れないが、彼らからみれば、多少やんちゃな時期はあったかも知れないが至極真当な「ワーキングクラスのおっさんたち」である。ガーディアン紙のサイトをチェックしただけでは解らない、ブレグジット(EU離脱)のおっさん達の深層心理や、サッチャー政権によりズタズタに崩壊された福祉政策の実態等々をおっさんやおばさんの目線で語り尽す。
目次
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はじめに 「おっさんだって生きている」
第1章This Is England 2018~2019
1刺青と平和[試し読み]
2木枯らしに抱かれて
3ブライトンの夢――Fairytale of Brighton
4二〇一八年のワーキング・クラス・ヒーロー
5ワン・ステップ・ビヨンド
6現実に噛みつかれながら
7ノー・サレンダー
8ノー・マン、ノー・クライ
9ウーバーとブラックキャブとブレアの亡霊
10いつも人生のブライト・サイドを見よう
11漕げよカヌーを
12燃えよサイモン
13ゼア・ジェネレーション、ベイビー
14Killing Me Softly――俺たちのNHS
15君が僕を知ってる
16ときめきトゥナイト
17Hear Me Roar――この雄叫おたけびを聞け
18悲しくてやりきれない
19ベイビー・メイビー
20「グラン・トリノ」を聴きながら
21PRAISE YOU――長い、長い道をともに
第2章 解説編現代英国の世代、階級、そしてやっぱり酒事情。
鵯英国の世代にはどんなものがあるのか
鵺英国の階級はいまどういうことになっているのか
鶚最後はだいじなだいじな酒の話
あとがき風雲ながれUKを生き延びること
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「黒澤明・パッラーディオ・須賀敦子」と...全く脈絡もないタイトルを付けてみたが、時空を超え...ヴィッラ・マゼールによって繋がっていた。
2010年1月に放送されたNHK「世界遺産への招待状 Travel29 イタリア 知られざるベネチア」の番組に登場し、ヴィッラの案内役を買って出た男性はこの館の主・ヴィットリオ・ダッレ・オーレ氏である。彼は1980年代前半に来日し、黒澤明・監督の下で「乱」「夢」「8月の狂詩曲」、そして最後の作品「まぁだだよ」まで、助監督を務めている。
2015年の第28回東京国際映画祭に於ける東京国際映画祭 『黒澤明監督・乱[4Kデジタル復元版]』/ トークショーで彼が来日した経緯等についてイタリア在住の塩野七生の紹介があったと語っている。
恐らく1960年のことだあろう、ヴィッラ・マゼールのオーナーである初老の公爵夫人・マリーナ・Vは恐らく年から考えるとヴィットリオ・ダッレ・オーレの祖母ではないだろうか。すると、侯爵夫人の娘・ディアマンテは...叔母か? 何れにしても侯爵家の人々...日本の文化に興味があったようで、揚げ句の果てに「7人の侍」に感動して黒澤明の門下生になる者まで現れるとは。それも、キリスト教左派にエンパシーを抱く須賀敦子とは真逆のマキアヴェッリ研究家の塩野七生を通して...渡りを付けるとは...権謀術数に長けていなければ侯爵家を維持するのは難しいだろう。
確か、公爵夫人からヴィッラ・マゼールに招待されていたが、夫となるペッピーノとの結婚準備の為、招待を断念したという記述があった筈だが、それが何処か見つからない。或いは私の妄想か...
須賀敦子「ミラノ霧の風景」の「舞台のうえのヴェネツィア」を読むと福田晴虔・著「パッラーディオ」(鹿島出版会・1979・装丁・磯崎新)が第一章を「テアトロ・オリムピコ」から始めたことと共通するのが興味深い。パッラーディオを反古典主義(マニエリズム)の諧謔的な建築家と看破したのは磯崎新氏に背中を押されてパッラーディオを研究することになった福田晴虔氏であった。
ヴィッラのポーチを神殿風のオーダーとペディメントで装飾し、都市建築を舞台装置に変換し書き割りとするパッラーディオは建築を言語化し、更にメディアに変換した情報の建築家でもあった。
参照
PALLADIO MUSEUM:ヴィラバルバロ
MADCONNECTIONの過去のエントリー
March 27, 2008:GoogleMapでPalladio tour
February 06, 2007:完璧な家
August 29, 2005:マゼールの館
August 26, 2005:Rotonda
December 30, 2003:家庭画報2月号
November 04, 2003:音楽のゲニウスロキ・建築のゲニウスロキ
September 15, 2003:建築家-その1
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
ブレイディみかこ・著
この四月から東京新聞・夕刊に社会時評を寄稿しているブレイディみかこさんですが、話題となっている著書は読んでいなかった。先日、くまざわ書店に立ち寄った際、例の女帝と共にイエローの表紙が平積みされていた。と云うことで発行から一年を経て19刷となった本書をレジまで運んだ。家に戻ってプロローグの「はじめに」を読み始めると「ヤバイこれは嵌まりそう」の予感。
改めてバイオグラフィーを確認すると音楽好きで保育士でライターでコラムニストの彼女は1965年生まれとあるから、彼女がバリバリのティーンエージの頃は、1980年代と云うことなる。当時はMTVが時代を席巻し、ビデオデッキが家庭に普及し音楽が聴くだけのものから観るモノに変っていった時代、その頃、ピーター・バラガンがコアな英国の音楽シーンを伝えるエバンジェリストとして頭角をあらわし、深夜枠でポッパーズMTVのMCを務めていたりしていた。試しにバラガンと本書をキーワードに検索してみると、Tokyofmのバラガンの番組にブレイディみかこがゲストとして英国からリモート出演していた。彼女に少なからず影響を与えた日本在住の英国人と英国在住の日本人との、やや屈折したリモート対話とは...まさに今どき。
と云うことで本書はイエローでホワイトで、ちょっとブルーなボク(息子)が公立の元底辺中学校に進学してからの一年半をパンクな母ちゃん(日本人)が、日常に起こるエピソードを綴っただけのものだが、それだけで、社会の分断と経済格差が齎す英国の現状を的確に伝えている。
僕らが小中学の義務教育の段階で教わった英国は「ゆりかごから墓場まで」と福祉が充実した国として北欧諸国と並び福祉国家の目標とされていた。それがサッチャーの保守党政権によって社会資産は民間に売却され、富めるものは資産を増やし、貧しい者は家を追い出され...それに加え、大英帝国の負の遺産の旧植民地からの移民やら、東欧、東亜細亜からの移民・流民やら...なんたらかんたら、..米国とは異なる人種や性の多様性も...ネイティブの教育を受ける息子と共に母ちゃんも、理不尽な階級社会を生きるワーキングクラスの矜恃を学ぶのだ。
内容
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はじめに(試し読み)
1 元底辺中学校への道
2 「glee/グリー」みたいな新学期
3 バッドでラップなクリスマス
4 スクール・ポリティクス
5 誰かの靴を履いてみること
6 プールサイドのあちら側とこちら側
7 ユニフォーム・ブギ
8 クールなのかジャパン
9 地雷だらけの多様性ワールド
10 母ちゃんの国にて
11 未来は君らの手の中
12 フォスター・チルドレンズ・ストーリー
13 いじめと皆勤賞のはざま
14 アイデンティティ熱のゆくえ
15 存在の耐えられない格差
16 ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとグリーン
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試し読み
Tokyo Midtown presents The Lifestyle MUSEUM_vol.633
2020/06/12
ゲスト・ブレイディみかこ
MC・ピーター・バラガン
「社会が存在する」 英首相発言 背景は…
What I like most about you is your girlfriend
ブレイディみかこ「地べたで人とぶつかる中から本当の理解が生まれる」
東京人5月号は生誕100年を記念して特集「長谷川町子」だ。?ん.ん.そうか、2016年8月の週刊朝日・臨時増刊号は「サザエさん」生誕70年 記念特別号で、それぞれ「町子せんせい」と「サザエさん」の生誕を記念する雑誌でした。と云うことで昭和の日常に反応して速攻ゲット。
最近、Eテレのデザイントークスに出演したりしているブックデザイナーの祖父江 慎と大島依提亜との対談は「町子せんせい」のデザインセンスに言及。
泉麻人×中野 翠×神山 彰の三名による「座談会・サザエさんに見る時代風俗』はそれぞれの出自によるパーソナリティと刷り込まれた記憶により時代風俗に微妙な差異が見られる。1956年生まれの泉麻人は彼が育った中落合で紙芝居を体験したことがないという。神山 彰は国立劇場芸能部で歌舞伎、新派の制作を担当したことがあるそうだが、「サザエさん」との出会いは映画からと云うことで、新派による「サザエさん」の公演は御存知ないようだ。
このMADCONNECTIONで「サザエさん」をネタにしたのは2004年10月の明治座の「サザエさん」と2007年3月のオタンチンの二回程である。
東京人5月号・56頁の年譜の1955年を見ると、ニッポン放送でラジオドラマ「サザエさん」の放送開始とあるが明治座の「サザエさん」公演については書かれていない。当時、6歳のガキも70歳を超えている訳だし、舞台に関わった人達も若くて80代、90代、鬼籍に入られた方もいるだろうし、「町子せんせい」と同世代なら100を超えている。当時、明治座で新派の舞台を見た人は更に少ないだろうから、年譜から落ちていても仕方ないことかも知れない。主演・江利チエミによる映画「サザエさん」のシリーズ第一回が新派公演の翌年1956年である。明治座の公演記録が残っていなかったら忘れられたことになる。残念ながら東京人のライターには浜町に通っていた人はいないようだ、
参照:明治座・1955年5月の公演
当ブログの『明治座の「サザエさん」』を下記に引用
未だ学校に上がっていない子供の頃、母に連れられて新橋演舞場とか明治座の新派とかいった芝居に付き合わされた。母からすれば、兄達は学校に行っているので、私を家に一人にしておく訳にはゆかず、仕方なく連れていったのであるが、芝居が佳境にさしかかると、母を突いて「もう、帰ろうよ。」と言っては困らせた。新派の「婦系図」なんて子供に面白い訳がない。一度だけ、「もう、帰ろうよ。」と言い出さなかった芝居は「サザエさん」だった。これは子供にも理解できたようで、いまでも記憶に残っている。10年前に朝日新聞社から出版された文庫版の「サザエさん・第三巻」にその芝居のネタがあった「防犯ベル」の話である。記憶に残っているのは、隣同士で取り付けた防犯ベルが鳴り響き、それっ!一大事とばかりに手に手に箒やらバットやらを持って隣家に駆けつけるのだが、サザエさん一家が駆け出して上手か下手かに消えると、回転舞台が一転し隣家の茶の間に変わり、次に大騒ぎで花道からサザエさん一家が駆けつけると云う趣向である。覚えているのはそれだけである。いわゆる典型的なドタバタ芝居、よく考えてみると「ドリフの八時だよ全員集合」と共通点が有る、ドタバタと舞台装置の大仕掛け、そこに子供を飽きさせないものがあったのだろう。元ネタのサザエさんの漫画
パンデミックが懸念される中で「ペスト100万部突破」の記事に続き、Eテレでは2018年6月に放送した「100分de名著 カミュ“ペスト”」をアンコール放送もする。
と云うことで、カミュは10代から二十歳に掛けて、異邦人、ペスト、シジフォスの神話と読んでいるので、未だ有るか書棚を探したが出てこない。出てきたのはカミュの手帖の1と2である。それぞれ14刷と8刷で1969年の印刷である。ボロボロの嘔吐はあるが「ペスト」はない。手帖2は1951年までの日記が元になっているが邦訳が出版されたのは1965年だから、死後5年を経てである。まぁ、「カミュ=サルトル論争」よろしく「嘔吐」を重ねて置いてみた。サルトルを熱く語る大人も青年も...アンガージュマンも...80年代以降...フェイドアウトしたかと...思っていたが...2011年で..息絶えていないことを知った。
探し物をしていたら、シミだらけのサルトルの「嘔吐」(白井浩司・訳 人文書院)が出てきた。何気に頁を捲ると29頁目に傍線が引かれていた。傍線の箇所を書き出すと...『いま演奏されているのはジャズである。ここにはメロディーがなく、音そのものの連続であり、無数の小さい振動の反覆である。その振動は休むことを知らない。それを出現させ滅びさせる頑固な一つの秩序があって、勝手に再びあらわれたり停滞したりする暇を与えない。振動は、流れ押し合い、そして行き過ぎながら乾いたひびきで私を撃ち、消えて行く。私はそれを止めたいと思う。しかし私は知っている。よしんば私が一振動をとらえることができたにしても、それは私の指の間に、つまらない、すぐに衰えて行く一音としてしか、残らないだろうということを。だからそれらのものが滅びて行くのを、承認しなければならない。その死を<欲し>さえもしなければならない。私はこれほどきびしい力強い感銘をあまり体験したことがない。』
どうして傍線を引いたのか記憶に無いが、Eric DolphyのLP/LAST Date に刻まれたDolphyの言葉「When you hear music,after it's over,it's gone in the air. You can never capture it again.」と重なって見えてきた。「嘔吐」が書かれた1930年代とLAST DATE が吹き込まれた1964年とではジャズの様式も違っているが、その底に流れるモノは変っていないと...いうことだろうか。
ロカンタンもジャズを聴いているときは吐き気から逃れることができたようだ。50年前の自分もジャズを聴いて日常的な不条理が齎す吐き気を回避していた。
Eric Dolphy MISS ANN
地図帳の深読み 今尾 恵介 (著)
私も中学生のときに使っていた帝国書院の地図帳は未だに持っている。「中学校社会科地図-最新版-」とあり、奥付を見ると昭和36年12月20日発行・定価200円となっており、58年前は最新版だったのだ。このブログにも「中学校社会科地図-最新版-」から引用している記事が数点ある。
前書きを読むと帝国書院からの執筆依頼されて「地図帳の深読み」を上梓したようだ。と云うことで地図帳は地球上の人工物と、地形等の自然環境を記録したデータブックでもある訳だが、そこには人々の生活、争い、侵略、支配と隷属の関係等も刻まれている。そうした関係性を深読みする指南書でもある訳だが、それは著者や読者の関心事に温度差もあり、成程と感心する面と、些か物足りない面もあるのは、帝国書院の地図帳から添付されている地図の縮尺から情報量も限定され致し方ないのかも...。
「第2章 境界は語る」の「かつての田舎は大都会ー日本の5人に1人は武蔵の人」は横浜市出身の筆者らしい説だ。川崎市と横浜市のおよそ3/4は武蔵の国との記述を裏付ける資料となる筈の帝国書院「中学校社会科地図」の「昔の国名と国境」が1/15,000,000と云う尺度では筆者が鉄道の駅を目安に国境の位置を説明すると云う苦しい解説...そういえば9年前にJEDI:多摩の横山・分水嶺を相武する。で、武蔵と相模を分ける境川の源流にも行きましたが、境川の下流域は片瀬川と名を変え江ノ島近くの相模湾に注いでいる。本書でも三多摩地域が明治26年まで神奈川県に所属していたこと、玉川上水の水源問題で東京都に移管されたことが述べられているが、元々武蔵の国、江戸幕府のインフラ整備で造られた上水。その事に、26年も経ってから漸く気付いたということでしょうか。
そういえば、昭和の時代まで多摩御陵と言われていた天皇陵が、武蔵陵と言うようになったのは何故?だろう。天皇による東国支配の礎の意味か。
目次
第1章 地形に目をこらす
第2章 境界は語る
第3章 地名や国名の謎
第4章 新旧地図帳を比較する−地図は時代を映す鏡
第5章 経緯度・主題図・統計を楽しむ
と云うことで「中学校社会科地図」からの引用を...
March 15, 2013:600-1=599 僕らがガキの頃、高尾山は600mありました。
January 31, 2009:国境線 続く侵略...
April 10, 2017:浦安・幕張・稲毛 僕らがガキの頃、潮干狩りの脇で埋立てが...
March 29, 2006:REVOLUTION in The Valley Macのキーボードに地図記号
熊野木遣節 (民俗伝奇小説集)宇江敏勝 著
宇江敏勝を知ったのはEテレのこころの時代〜宗教・人生〜「山の人生 山の文学」だった、
番組は『熊野古道に近い和歌山県田辺市中辺路町に暮らす作家の宇江敏勝さん(81)。炭焼きの家に生まれた宇江さんは、自ら炭焼きや山林労働者として働き、山人たちの暮らしをつづった数々のルポルタージュを発表してきた。そして2011年から、果無山脈や十津川などを舞台に、山の民の信仰や伝説を描いた民俗伝奇小説を書き継いできた。熊野に生き、そして書いた、宇江さんのはるかなる山の人生と文学について語っていただく。』と云うものだ。
農民作家の山下惣一の日本の「村」再考は読んだ事があるが、林業作家の本は読んだ事がない。柳田国男や南方熊楠から影響を受けているということだが、宇江敏勝が宮本常一の「忘れられた日本人」そのものではないだろうか、民族学者ではなく、山で暮らす人が直に聴き取った伝奇に作家の構想力を重ねると...どうなるのか。土佐源氏とまた違う物語が読めそうだ。和歌山といえば中上健次のオリュウノオバ物語に通じるものもありそうだ。と云うことで、本書を手に入れてしまった。
毎年、新境地をひらく宇江敏勝の民俗伝奇小説集、第7弾。
木遣りの歌声と男たちの掛け声が響く、山ふかい里に住むひとりの女、シナ代の七〇年の月日を、七つの連作で描く。
表題作の「熊野木遣節」、子捨ての習俗「七はぎの産着」、「神隠し」、動物との不思議な関わり「あなぐま」「狼のはなし」、雨を待つだけの「天水田」、頭に荷物をのせて運び山の男たちと一緒に働く「いただきの女たち」の7作品。
月報(8頁)付き(野添憲治、宇多滋樹、大西咲子、宇江敏勝)。
自転車泥棒
呉明益 (著), 天野健太郎 (翻訳)
作者はヴィットリオ・デ・シーカによる第二次大戦後を描いたネオレアリズモのイタリア映画『自転車泥棒』をリスペクトしているが、内容に関連性はない。
本書を読む切っ掛けとなったのは東京人2019、2月号の川本三郎・東京つれづれ日誌に本書の翻訳者である「台湾を愛した天野健太郎さん逝く」の記事でこの「自転車泥棒」に興味が引かれ、読んでみようと思い立った。
内容は第一章のタイトル「我が家族と盗まれた自転車の物語」の通りなのだが...失跡した父と消えた自転車の行方を追うことは、台湾の近現代史を辿ることでもあり、日本を含めて東亜細亜の近現代史とも重なり、歴史のメインストリームから零れ落ちた人々の語られない物語の地層を発掘する文化人類学か考古学の様でもある。作者が後記で『この小説は「なつかしい」という感傷のためではなく、自分が経験していない時代とやり直しのできぬ人生への敬意によって書かれた。』とあるように...少年時代、徴用工だった父を一として、戦中、戦後を生き抜いた人の言葉「戦争には、なつかしいことなどなにひとつありません。でも、こんな年になってしまうと、私たちの世代で覚えているもの、残されているものは全部、戦争の中にある....」と...人間だけでなく...オランウータンの一郎、ゾウのリンワン、唯一、心を許し合える相手がゾウだったムー隊長の数奇な運命...等々、世界は語られない物語で出来ているのだと、再確認。
戻ってきた鐵馬「幸福号」をレスキュー(レストア)し、家族のアイデンティティーは恢復するのだが、それは幸福号がパーツも組み立ても全て台湾で行われた最初の自転車であったことから、二重の意味もあるのだろう。
1996年四月の台北蘋果紀行で、原地人、内省人、外省人、国民党亡命政権、等々の台湾の一枚岩ではない複雑な民族関係を一応、見聞き接したりしていたので、多少なり共、読書する上で理解の助けとなった。
----------------------------------------目次----------------------------------------
1 我が家族と盗まれた自転車の物語
My Family's History of Stolen Bicycles
2 アブーの洞窟 Ah-Bu's Cave
ノート 鵯
3 鏡子の家 Abbas's House
ノート 鵺
4 プシュケ Psyche
ノート 鶚
5 銀輪部隊が見た月 The Silver Moon
ノート 鶤
6 自転車泥棒たち Bicycle Thieves
ノート 鶩
7 ビルマの森 Forests of Northern Burma
ノート 鶲
8 勅使街道 State Boulevard
9 リンボ Limbo
ノート 鷄
10 樹 The Tree
後記「哀悼すら許されぬ時代を」
---------------------------------------- 以上 ----------------------------------------
後記「哀悼すら許されぬ時代を」で呉明益は台湾の少年が日本に行き、戦闘機を作る小説「睡眠的航線」を執筆した際、二度ほど神奈川の高座に訪れたことを記してる。
因みに建築家・津端修一氏は嘗て高座海軍工廠で台湾から来た少年の徴用工を指導する立場にあり、少年達と寝起きを共にしていたと云うことです。映画『人生フルーツ』では、そんな時代に交流のあった少年工の消息を尋ね、戦後、二・二八事件の犠牲となった少年の墓所を訪れるエピソードが描かれている。
参照
文藝春秋・自転車泥棒・立読み可
高座海軍工廠と台湾少年工(1)
高座海軍工廠と台湾少年工(2)
台湾高座会
政治犯として銃殺された元台湾少年工の墓前で...
二・二八事件
台北、中華商場 1991年
かわいそうなぞう
林旺( Lín Wàng)
民主主義 (角川ソフィア文庫)
近くのイトーヨーカドー八王子店の新星堂が撤退し、替わりのテナントは入らず、隣のくまざわ書店が売場を拡張し、CDやDVDも扱うようになった。と云うことで、雑誌、書籍、新書、文庫等々の売場が大移動...従って、何処に何があるのか...???店内をウロウロ...文庫のコーナーで目に留ったのが本書...腰巻きに書かれた内田樹の「読み終えて、天を仰いで嘆息した」が気になったのだろう。その日は買わなかったが、やはり気になるので後日、別のくまざわ書店で求めた。
と云うことで、内田樹の解説を読むと...1948年(昭23)から1953年(昭28)までの間、中学高校で用いられた文部省が編纂した上下二巻の「民主主義の教科書」を一冊の文庫本に纏めたのが本書である。戦後定められた憲法の理念を中高生に啓蒙する為の教科書だが、6年間しか使われていない。この間、一年でも中高生だった世代はギリギリで1930年生まれから1941年生まれが該当する。先日、退位した方は高校生でこの教科書を使っていたことになる。同い年の永六輔はこの教科書から...多くを学んでいたのかも。
民主主義が蔑ろにされている今日、日本国憲法と併せて読みたい。
-------------------------- 内容(項目は省略)--------------------------
はしがき
第一章 民主主義の本質
第二章 民主主義の発達
第三章 民主主義の諸制度
第四章 選挙権
第五章 多数決
第六章 目ざめた有権者
第七章 政治と国民
第八章 社会生活における民主主義
第九章 経済生活における民主主義
第十章 民主主義と労働組合
第十一章 民主主義と独裁主義
第十二章 日本における民主主義の歴史
第十三章 新憲法に現れた民主主義
第十四章 民主主義の学び方
第十五章 日本婦人の新しい権利と責任
第十六章 国際生活における民主主義
第十七章 民主主義のもたらすもの
解説 内田樹
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アジア辺境論 これが日本の生きる道 (集英社新書)
内田 樹 姜 尚中
一年前(2017.8.24)の発行である。ブックカバーの見返しにある内容紹介に『アメリカ、欧州で排外的な政治勢力が台頭する中、ロシア、中国の影響力が日増しに拡大している。米ソ対立の冷戦終結から四半世紀経ち、世界各地に複数の覇権の競合関係が生まれている。はたして、その狭間で日本が生き残るためには何が必要なのか?
その鍵は日・韓・台の連帯にあり。アメリカとの一方的な従属関係を見直し、中国、ロシアなど、スーパーパワー間にある中小民主主義国家同士の協力関係の構築いかにして可能か。世界史レベルの地殻変動と戦後の平和国家的な国の在り方を蹂躙する近年の日本の政策を目の前に、リベラルの重鎮ふたりがその理路を提示する。』とある。
二人とも僕と同世代であるから、小中の義務教育で、平和憲法、基本的人権、表現の自由、義務と権利、三権分立、等々を学び、多少進歩的な教師がいれば、英国の社会福祉政策や北欧の福祉国家、スイスの永世中立等々を理想として教えられたと推測する。もちろん、戦前の生き残りのトンデモない教師も居たが...表立ってヘイト的発言をすることは憚られていた。
それが...今ではどうだろう...民主政治は蔑ろにされ、政治、経済、教育、メディアは劣化する一方...そのような状況下で希望を失わず、生きるには......先ずは現状の認識から...他者の目も...。
◆目次◆
はじめに 日本・韓国・台湾連携の夢姜──これがボクらの生きる道 内田 樹
序 章 問題提起──自由主義は何故これほどもろかったのか
・トクヴィルの見たアメリカン・デモクラシーはどこへ行ったのか
・世界中に跋扈する反知性主義・ポピュリズムの行方
・デモクラシーの内なる敵とは
・重要になる「日韓台」新しいアジアの連携
・まだまだ未熟な民主主義
第一章 リベラルの限界──「モビリティー」に無力化された自由主義
・独裁と親和性の高い民主制
・必ず愚行に走る独裁者
・大人がいないと成熟しない民主主義
・九〇年代に急速に変った「自由」の規定概念
・モビリティーに改鋳された自由主義
・本当のフリーダムとは「心の自由」
・マーケットが政治を席巻──効率主義化する政治
・意図的に作られた国会議員の劣化
・排除の構造──弱い日本の司法権
・自閉化するアメリカ──時代は穏やかな中世回帰!?
・今後の成長は「戦時経済」頼り
・コンパクトシティ構想の愚
・前代未聞の人口減少社会がやって来る
・今こそ「ちょっとたんま」が必要
第二章 ニッチな辺境国家が結ぶ新しいアジア主義の可能性
・アジアのコスモロジーを受肉させる
・帝国のニッチにある韓国、日本、台湾、香港
・アメリカ抜きで「政策決定」が可能に
・人口二億の巨大経済圏の構想
・反共法の弊害──マルクスを知らない韓国の人々
・日韓の溝を埋める漢字の復活
・ギャップは文化の交流で埋める
・『大東合邦論』のファンタジー
・DNAの奥底でつながっている親近感
第三章 アジアの連携を妨げる「確執」をどう乗り越えるか
・無意味な日韓の対立軸
・日韓連携の話で拍手する韓国の人たち
・市民デモで政権を変えた初の快挙
・弾劾事件が日韓連携のきっかけに
・ありうるトランプ大統領の弾劾・失墜
・早く動きすぎた安倍の誤算
・アメリカの国力の源はカウンター・カルチャー
・世界の右翼はモスクワに支配されている!?
・リスクを分散させる日韓の「安保協力」
・「確執」はグラスルーツの人的交流で
・文化を背景にした国民国家のゆるやかな統合
第四章 不穏な日本の行く末──辿り着けるか「日本の生きる道」
・日本のナショナリストはただのエゴイスト
・政治の消滅──公的資源の私物化
・働き方の多様性という嘘
・十数年で定着した自己責任論
・ドメスティックな日本の教育現場
・大阪的本音主義の批評性
・韓国の復元力
・問題が顕在化しにくい日本の隠蔽体質
・猛き者、ついに滅ぶか
・喫緊の課題はナショナリズムの解毒
おわりに アジア辺境の「虚妄」に賭ける──これがみんなの生きる道 姜 尚中
誰が世界を支配しているのか?
出版社の本の紹介には『『アメリカンドリームの終わり』が話題となっている、知の巨人、ノーム・チョムスキーが2016年に執筆した本書は、これまで一貫して米国政府の横暴や、それに従う御用メディア、御用知識人を批判してきた彼の集大成、あるいは遺言とも言うべき一冊。米国、中東だけでなく、日本を含めた東アジア情勢(特に北朝鮮の核問題の本質)にも触れた、「これからの世界」を読むうえで、必読の一冊』とあるが...
今年の3月から4月までテレビ東京の平日昼に放送されていた米国ドラマ『NCIS:LA極秘潜入捜査班4』でチョムスキーの本を反体制思想の教授に薦められたと云う学生に捜査班の女性が身分を隠して近付く件があった。ドラマは70年代の過激派の一人が名前を変え身分を隠して教授となり、最後は内ゲバで終身刑になると云う、判で押したような愛国ドラマとなっていたが、出演者(極秘潜入捜査班)のどいつもこいつも仲間内で罵倒しあい、ルールも都合よく自分の利益に合わせ解釈したりとか...絶対、米国には住みたくないと思わせるドラマだった。まぁ、ガキの頃に見ていた西部劇も白人社会を正当化する御都合主義そのままのプロパガンダで、相も変わらずですが、同じ時間帯で放送されていたリドリー・スコット監修の「NUMBERS」は文明批評にもなっていたのに対し、公権力に対し忖度したような内容であった。まぁ、それだけチョムスキーは公権力には煙たい存在なのだろう。(3月に書いたまま塩漬けになっていたが...トップページの記事が無くなったので。)
双葉社・誰が世界を支配しているのか?
上記ページから「日本の読者の皆さまへ」の立読み可能。
アメリカンドリームの終わり あるいは、富と権力を集中させる10の原理
本書は2015年に米国で公開されたドキュメンタリー映画・「Requiem for the American Dream」を元に2017年3月に米国で出版されたペーパーバックス版「Requiem for the American Dream: The 10 Principles of Concentration of Wealth & Power」の翻訳版(2017.10.15)です。残念ながら映画は日本では公開されておらず輸入盤のDVDかBlu-rayを字幕無しで見るしかない様です。帯にも書かれている『今日のアメリカは明日の日本だ』とは、数十年前から良く言われている事ですが...僕は世界的に同時進行していると思うし、本書は明日の日本ではなく、現在の日本、いや世界中の市民に対する警告ではないだろうか。
...と下書きのまま半年程そのままでいたら、次の本も出てしまったので、慌ててのエントリーです。
前書きの「アメリカンドリームはどこに?」から、その一部を抜粋。
わたしは年をとっているからよく覚えていますが、あの一九三〇年代の大恐慌当時の人々の気分、感情は、現在よりもはるかにひどいものでした。
けれども、わたしたちの気持ちのなかには、いつかこの大恐慌から抜け出すだろうという希望がありました。状況は必ずもっとよくなると、みんな思っていたのです。
「今日は仕事がないかもしれないが、明日には仕事があるだろう、だから力を合わせていっしょに働いて、もっと明るい未来をつくり出すことができる」という期待です。
……中略……
ところが、現在、そのようなものは全く消えてしまって見当たりません。いま人びとのなかに広がっているのは、「もう何も戻ってこない、すべては終わった」という感情です。
……中略……
いまや、社会的地位が上昇する可能性はヨーロッパと比べてもぐっと低くなっています。
……中略……
富の不平等は、過去に前例がないほどひどくなっています。
……中略……
似たような時期は過去にもなかったわけではありません。たとえば、1890年代の「金ぴか時代」や1920年代の「怒(ど)濤(とう)の20年」などです。そのときの状況は現在と非常に近いものでした。けれども、いまのアメリカはそれをはるかに超えるものになっています。富の分配の不平等は、超富裕層(人口の0.01%)という大金持ちに起因しているのです。
……中略……
アメリカンドリームの重要な部分は、階級の流動性です。貧乏な家に生まれても刻苦勉励(こっくべんれい)すれば豊かになれる、というものです。 すべての人がきちんとした仕事を手に入れることができ、家を買うことができ、 車を手に入れることができ、子どもを学校に行かせることができるというものです。 けれどもいまや、そのすべてが崩壊してしまっているのです。
目次
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アメリカンドリームはどこに?
建国以来の下劣で恥ずべき行動原理
富と権力の悪循環
下劣で恥ずべき行動原理
原理1 民主主義を減らす
富裕層という少数者
貴族政体論者と民主政体論者
不平等を減らす二つの方法
アメリカ社会の罪
対抗する二つの流れ
原理2 若者を教化・洗脳する
民主主義の行き過ぎ?
教育と教化・洗脳
批判的言論人への避難・糾弾
国益とは何か
原理3 経済の仕組みを再設計する
金融機関の役割の変化
経済の金融化
製造業の海外移転
自由貿易協定の真の狙い
労働者を不安定な地位に追い込むこと
金融化と海外移転に対抗する闘い
原理4 負担は民衆に負わせる
プルトノミー(金持ち経済圏)とプリケアリアート(超貧困階級)
金持ち減税
税金の負担を富裕層にも担わせる闘い
原理5 連帯と団結への攻撃
公教育への攻撃
公的医療制度への民営化
政府というものを消し去る
連隊と団結への復帰
原理6 企業取締官を操る
グラス=スティーガル法
政界と財界を自由に往き来できる「回転ドア」
ロビー活動(議会工作)
規制緩和と金融崩壊
大きすぎて牢屋に入れられない
「企業社会主義」の国家
「外部性」と制度上の危機
市場原理主義--市場にすべてを任せろ、自由競争にすべてを任せろ
原理7 大統領選挙を操作する
法人という名の人間
企業のお金で買われた選挙
真に重要なのは投票後の地道な活動
原理8 民衆を家畜化して整列させる
ニューディール政策
家財界の反撃
経営者の「新しい時代精神」
階級意識
原理9 合意を捏造する
広報宣伝産業の勃興
消費者の捏造
非合理的・非理性的な選択
選挙の土台を掘り崩す
大統領候補者を売り出す
原理10 民衆を孤立させ、周辺化させる
怒りの間違った標的
人間は「種」として存続できるか
政府の存在は自動的に自己を正当化するものではない
変革
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書評
2017年10月28日:長周新聞・『アメリカンドリームの終わり ーあるいは、富と権力を集中させる10の原理』 著 ノーム・チョムスキー
関連
May 29, 2014:コーポラティズムの暴走...
July 29, 2013:知の逆転
November 01, 2005:the CORPORATION
June 26, 2005:チョムスキー9.11 Power and terror
大正末期、六代目三遊亭圓生(1900〜1979)が三遊亭圓窓から橘家圓蔵を襲名した時分だから25歳位だろう、その頃から始められた落語勉強会「橘会」を後援する会員の一人に、圓生より七歳年上の川瀬巴水(1883〜1957)がいて、何かと支援を受けられていたと云う話しが圓生の「浮世に言い忘れたこと (小学館文庫)」「寄席こしかた/あたくしの勉強会 」に書かれていた。そんなエピソードを知ると巴水の「東京二十景 芝増上寺」 1925年(大正14年)を描いていた頃、同じ芝の三光亭で行なわれていた落語勉強会「橘会」にも巴水は顔を出していたことだろう、芝露月町(現・新橋五丁目)生れの巴水にとって芝増上寺界隈は日常の風景そのものであったことだろう。そう考えると何となく巴水の版画を見る目にも奥行きがでてくる。
どうやら、三遊亭一門は若手育成のため自ら席亭を設ける傾向があるようだ、尤も金儲けを第一優先としない席亭の運営は順調とは云えず、芝の三光亭も青山に移転したり、流浪の日々の末、消滅したようである。圓生の弟子の円楽も自分の席亭「若竹」を潰したり、好楽も「池之端しのぶ亭」を設けたりするのも...一門に伝わる遺伝子かも...。
川瀬巴水は東海道に面した芝露月町の生れ、成人した後、芝愛宕下町で所帯を持つ、大正15年に大森新井宿美奈見に転居。大阪生まれの圓生は義父となった先代圓生の住む芝佐久間町で少年から青年時代を過ごした様である。芝の三光亭は先代圓生の住いを兼ねた席亭であった様だが、震災で火災にあい焼跡に住い兼席亭のバラックを建て、其処で落語勉強会を行っていたが、其処も震災後の区画整理で立ち退きざるを得なくなったと云うことだ。
川瀬巴水が圓生を伴い鮫洲の伊東深水の家に行ったというエピソードも書かれているが、巴水がが大森に転居する前か、後かは不明だが...文化人と云われる人達が大森界隈に住み始めたのは震災後なのだろう。巴水が日本各地や朝鮮に旅をして歩き回ったのも、日本橋を起点とした東海道に面した新橋で生まれ育ったことも、大きな要因かも...。
と云うことで、この本は探していた本がなくて、なんとなく買ってしまった二冊の文庫本の一冊である。
落語が日常生活の娯楽の一翼を担っていた時代の下町の端っこで生れ、物心が付いた頃には母親に連れられ新橋演舞場や明治座に御供している所為か、落語、講談、浪曲、新派の口調等が、身体感覚に刷り込まれている様だ。昔、後輩が「古典落語の本を読んでも面白くもなんともない。」と抜かしていたのを聞いて。可哀相に彼には紙に書かれた落語の行間から落語家の声が聴こえないのだろう、と気の毒に思い、言わせるままにして放っておいた。音楽家がスコアを見ただけで頭の中で音楽が鳴り響くよう、古典落語の文庫でも読み始めると贔屓の落語家による独演会が頭の中で聴こえてくる。それも、かろうじて名人を生で聴くことが出来た最後の世代の特権かも知れない。
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「浮世に言い忘れたこと」 目次
【人情浮世床】
乞食になっても / わが身に合った工夫を / お銭をいただくからには / 理屈ではわかっていても
箱に入るな / 芸に終わりなし / 気転をはたらかせること / 高座はこわい / 骨をおぼえろ
逆境のときこそチャンス / 他芸を習え / 落語と歌舞伎 / 遺 産 / お色気のはなし
【寄席こしかた】
寄席の今昔 / 落語の歴史 / 落語の将来 / 時代の波 / 江戸の春 / 噺家の正月 / 年中貧乏
初いびき / 噺家珍芸会 / あたくしの勉強会 / 夏の雑音 / 忘れられない正月
【風狂の芸人たち】
奇人・圓盛のこと / 名人・圓喬のこと / 一柳斎柳一のこと / 名人・神田伯山のこと
一龍斎貞山のこと / 立花家橘之助のこと / 玉乗り遊六のこと / しゃべり殺された潮花
金語楼のこと/志ん生のこと
【本物の味】
一年の計 / 今の世の中 / 社会屋 / 我 慢 / 夏負け /敬 語 / 手 紙 / ああ、名医なし
本を読むとき / 着物と着こなし / らしいなり / あたくしの朝食 / あたくしのぜいたく
知らない料理 / うまいもの / 郷土恋味 / そ ば / ふ ぐ / くさや / さんま
あたくしの酔いかた / 煙草のけむり
【解説】 自分をこしらえる本 童門 冬二
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関連:志ん生の右手
東京人表紙のコピー『明治政府も偉かったけど、....』は権力に忖度しているようで気持が悪いが、明治100年から50年が経ち、批判的に明治を語る作家、歴史家も増えている。それにしても、腹黒い悪党面から実直そうな顔立ちまで...様々な人物写真が揃っているのも面白い。
そういえば、最初に事務所登録したのが氷川神社下の赤坂六丁目のワンルームだった。その頃、勝海舟の居所が氷川神社下にあったらしいと探してみたが、謂われを示す標識も石碑とかも見つからず分からなかった。そして今、GoogleMapで調べると、なんとそのワンルームマンションが勝海舟邸跡とは...驚いた。昨今の歴史ブームで港区の教育委員会が標識を設置したのでしょうか、ネット検索の力に感謝。その後、南青山4丁目に移ったが、其処は日向国高鍋藩・秋月家下屋敷跡、あの上杉鷹山の実家であった。それも「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も ナセルはアラブの大統領」と...鷹山のお言葉のパロディを意味も解らず真似して口遊む様なバカなガキだった私に反省の機会を与えてくれたのであろう。江戸東京も至る所に歴史が眠っていると実感した次第。
参照:東洋経済オンライン・半藤一利「明治維新150周年、何がめでたい」
青山のPinpoint Gallery.で11月27日(月)から12月9日(土)までたむらしげる個展「Moonshiner」が開かれます。
たむら君がピンポイント・ギャラリーで個展を開催するようになったのが1990年・前後だろうか?...僕もまだ青山4丁目の事務所にいた頃で、ギャラリー向かいにその頃あった嶋田洋書や、青山通りの無印の路面店くらいまでは徘徊していたので、あの周辺の裏通りまで精通しているつもりだが、GoogleMapを見てみると、三井住友銀行青山支店が青山三丁目近くのピーコックストアの隣から、じわりじわりと移転を繰り返しピンポイント・ギャラリーの斜向かいの骨董通りまで、いつの間にワープしていたりで街の様相もすっかり変っているようだ。ということで火曜は市ケ谷の帰りに久しぶりに青山を徘徊してみよう。
そんな事で、彼の最新作も...
よるのおと:たむらしげる・作 偕成社・刊
5年前、『たむらしげるの世界展鵺 空想旅行』の展示最終チェックに来たたむら君と一緒に、彼が少年時代を過ごした丘の上にあった家の跡を車で訪れたことがある。昔は八王子駅にも転車台があったし、彼が耳にした音の原風景を理解できる気がした。彼は家の窓から谷あいを走る列車や遠い町並みの夜景を見て、夢の中ではよるのさんぽのイメージを膨らませていたのかも...。
東京人12月号の特集は「永井荷風」だ。今回は「断腸亭日乗から100年」と云うことで「愛すべき散歩者」に迫る特集。東京人は8年前にも「生誕130年、没後50年」で2009年の12月号は『永井荷風の愉しき孤独』を特集しているが、荷風と散歩は切っても切れず、見開きで「荷風の東京地図」まで掲載していたが、今回は割愛。年譜は内容の文章は略共通するが表現が異なり、2009年版はタイトルが「断腸亭年譜」見出しは西暦、年号、年齢の順であったが、今回の2017年版はタイトルは「永井荷風 略年譜」で見出しは年齢、年号、西暦の順で、全く逆となっている。ん...「断腸亭日乗から100年」なら2009年版のタイトルでも良かろうが...そこは編集者の意地なのか。
他にも「断腸亭日乗から100年」を記念するイベントはあるようで市川市文学ミュージアムでは「永井荷風展―荷風の見つめた女性たち」が11/3から来年の2/18まで開催。
私は荷風の生きた時代とは晩年の10年が重なるだけである。それでも7年と10ヶ月は荒川放水路の向こう側に住み、上野・浅草がお出掛けの定番スポット。昭和31年4月に浅草松屋で永井荷風展があったそうだが、私は浅草松屋で筆箱を買ってもらい、最上階の食堂でお子様ランチに狂喜していた小学一年生...同じ風景を見ていても、見えているものは違っていたであろう。両親も浅草六区界隈には子供達を連れて行く事はなく、ターミナルデパートの浅草松屋と川向こうの隅田公園が浅草散歩の全てであった。
関連
April 03, 2017:荷風さんの昭和
November 01, 2014:金阜山人…庵跡??
November 03, 2009:東京人12月号
『濹東綺譚』の地・玉ノ井界隈をJEDI seniorの面々と徘徊...
January 04, 2009:寺嶋村1909
December 28, 2008:放課後...みたいで...
December 27, 2008:吾妻橋夕景
吉原・京町二丁目の羅生門河岸の向かいで「断腸亭日乗」にも出てくるナポリがあった場所と御婦人に教えられ、荷風さんの話を聴く。なんたる偶然!
December 24, 2006:吉原御免状ミニダイブ
Mobitecture: Architecture on the Move
Facebookでフォローしているイタリアの雑誌「domus」でブックレビューされているのを見て、面白そうな本だと思いAmazonでポチってしまった。
"Mobitecture"は"mobile architecture"からの造語と思われるが、法的な建築物の定義は基礎で地面に固定されていることが条件となるので、建築基準法の縛りから開放された"mobile architecture"には土地に縛られることもなく、アナーキーな、或いはノマドな装置として我々の妄想力を掻き立てられるのかも知れない。
本書はコンパクトではあるがハードカバーの表紙で320頁に260余りの事例がカラー写真で紹介されており、30mm程の厚みがあるので、それだけで自立可能である。作者の意図からすると自立不能なペーパーバックでは駄目なのだろう。
因みに、嘗て1960年代にハンス・ホライン等が提案した「最小限環境ユニット」等のプロジェクトは記載されておらず、実現されているものに限られている。
上図は表紙となったMobitectureの紹介ページである。
「章立て」は下記の如く、humanは身に付ける衣服の延長としてのテントや天幕の様なもの、そして車輪無しから、車輪の数による仕分け、そして橇(そり)、水面に浮かぶもので分類されている。
そして、頁の左下、右下の隅には、"Mobitecture"の移動手段をアイコンによって示している。
と云うことで表紙の事例はThreeWheelの移動手段はbicycle、定員は一名。
クレオール・ニッポン──うたの記憶を旅する[CDブック]
先月末、両国のシアターXで催された添田唖蝉坊・知道演歌『明治大正の女性を唄う』のゲスト・松田美緒によるCDブックであるが会場ロビーに用意されていたCDブックは私の直前に売りきれてしまい、残念ながら数日後、Amazonから求めた。
土取利行のツイートで「添田唖蝉坊・知道演歌『明治大正の女性を唄う』」のコンサート情報を知るまでは松田美緒のことは知らなかったが、コンサートで松田美緒による添田唖蝉坊・知道演歌を聴いて、コンサート情報の『松田さんはポルトガルの演歌とも言える民衆歌謡ファドに魅せられ現地での学びに明け暮れた後、ポルトガル語圏諸国を巡り様々な音楽家との交流を重ね、民衆歌謡探求の旅を続けてきました。この巡りの中で、とりわけ“クレオール(混交)化”した歌に関心を寄せ、ここ数年は日本移民のクレオールソングや日本各地の忘れられた歌を蘇らせ唄い続けています。』と書かれていたので、その歌を聴きたくなったのである。
CDを全曲聴き通した感想は...これはもう一つの『忘れられた日本人』ではないだろうか、それにしても松田さんの行動力と実行力に敬意を表したい。
内容(リンクされている歌はYouTubeで聴けます。)
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はじめに...歌を追い求めて出合った「多様な日本」
●山のうた
1 山子歌(秋田県・鹿角)
2 木びき唄(徳島県・祖谷)
3 木負い節(ヨイヤラ節)(祖谷)
●伊王島の歌
4 花摘み歌(長崎県・伊王島)
5 アンゼラスの歌(伊王島)
6 こびとの歌(伊王島)
●海のうた
7 原釜大漁歌い込み(福島県・相馬)
8 トコハイ節(福岡県・行橋)
●南洋のうた
9 レモングラス(小笠原諸島〜ミクロネシア)
●移民のうた
10 移民節(ブラジル)
11 子牛の名前(ブラジル)
12 五木の子守唄(熊本県・五木村、ブラジル版)
13 ホレホレ節(ハワイ)
●エピローグ
14 祖谷の草刈り節(祖谷)
歌に出会い、人に出会う
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「移民のうた」と云うのも考え深い、或る意味、口減らしの為、棄民とされた処は満州へ渡った人と同根なのだろう。
プロモーション・ヴィデオ:クレオール・ニッポン──うたの記憶を旅する
広島市公文書館が開館した1977年に創刊された広島市公文書館紀要の第25号(2013年)から第29号(2016年)までがPDFで公開されていて興味深い内容が幾つかある。
広島市公文書館紀要を知る切っ掛けは『ETV特集「“原爆スラム”と呼ばれた街で」』(再放送6月14 日24:00)の中で広島大学の建築学科系研究室が“原爆スラム”を実測調査した図面等が残っていることを知り、ネット検索したら広島市公文書館に辿り着き、『広島市公文書館紀要』第29号に「〈研究報告〉基町/相生通り(通称「原爆スラム」)調査を回想する。〈前編〉」がPDFで公開されていた。紀要は年に一回発行の様だから、もしかすると〈後編〉は今年発行される第30号に掲載されるかも知れないので、期待したい。
と云うことで僕が興味を抱いたのは広島市公文書館紀要第27号(平成26年6月発行)の『〈翻刻〉「丹下健三書簡」』と、その『〈資料解説〉「丹下健三書簡綴」(藤本千万太資料)について―広島市公文書館所蔵資料との関係を中心として―』である。いずれもPDFをダウンロードできるので、広島平和公園建設の経緯の一端を伺うことができる。平和公園の北側、大田川左岸にあった“原爆スラム”と丹下健三の広島平和公園の構想を重ね合わせて読むのも良いだろう。
磯崎新と藤森照信のモダニズム建築談義で磯崎氏は「今回の対談では、岸田日出刀、丹下健三、浜口隆一、浅田孝は脇役です。」と語っていたが、或る意味「丹下健三・外伝」の体を成している印象もあり、この書簡の存在もモダニズム建築を語る上で貴重な資料と成りえるだろう。
2012年・夏の「フィンランドのくらしとデザイン」展から五年、フィンランド独立100周年記念の巡回展「フィンランド・デザイン展」の図録を補填をする書籍が「フィンランド・デザインの原点 ―くらしによりそう芸術」が宇都宮美術館・主任学芸員の橋本さんの手により刊行されたことをFBで知った。9月に開催される府中市美術館の展覧会に先立ちAmazonより入手した。因みに右は2012年の「フィンランドのくらしとデザイン展」の図録です。フィンランド独立100周年と云うことは1917年のロシア革命から100年ということでもあるが...。
僕にとって「フィンランド・デザイン」と聞いて先ず最初にイメージするのはやはり「アールト」の建築と家具だろう。そしてマリメッコのファブリックとかイーッタラにアラビアの食器...そして近年ではNokiaだろうか。2008年にiPhoneにするまでは3台のNokiaを乗り換えて使っていた。その程度の認識しか持ち合わせていなかった自分にとって2012年の宇都宮美術館で観た「フィンランドのくらしとデザイン展」は目に新鮮だった。
イタリア・ルネッサンスに始まり、マニエリズム、バロック、ロココ、新古典主義から近現代の絵画表現へと連なる流れの中で、北欧絵画に触れる機会は殆どないと言っても良い。極く最近では国立西洋美術館で「スケーエン:デンマークの芸術家村展」が開かれたりしているが、北欧と一括りにはできない風土の違いが空や海の色、人々の表情を捉える光に現れていて興味深い。そしてフィンランドの原風景にはユーラシア大陸から飛び出した半島の先にあるデンマーク・スケーエンの光は見られない。白夜の国の静かさが森と水面に表現されている。其処には表紙にも用いられているペッカ・ハロネンの雪の表現が川瀬巴水の版画表現に通じる処もみられ、フーゴ・シンペリの風景画も川瀬巴水の風景版画と共通する静寂さが感じられる。世界の中心になることを求めず、ゆったりと静かにコーヒーとシナモンロールを味わう、そんなひと時を支える自分好みのデザインがあれば尚更である。
フィンランド・デザイン展は現在愛知県美術館で5月28日まで開催中、その後、福井市美術館をへて、府中市美術館(9月9日〜10月22日)から宮城県美術館まで巡回。
本書目次
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フィンランドらしさ」とは何か── デザイン、建築、美術・工芸の根底を探る
第1章フィンランド・デザインの黄金期
くらしとデザイン── フィンランドの普遍性と独自性
□衣・住のためのテキスタイル
□食卓を彩る器とキッチン用品
□住まいの装飾と家具
Column
デザインを支えるフィンランドの企業──「デザインの原理」の正しい実践
国策としてのモダン・デザイン──「フィンランドらしさ」が世界に羽ばたく
第2章フィンランド・モダンの成立
□ナショナル・ロマンティシズムの現れ
□モダニズムの受容と展開
風土・文化に寄り添う独自のモダニズム
Column
サーリネンとアールトの建築ディテール
自然・人口の光をデザインする── 白夜と極夜の国で
第3章フィンランド・デザインの源流
北カレリアのイマジュリー―フィン人の原風景
□森と湖
□日常の風景
□物語『カレヴァラ』
Column
美術・産業工芸とカレリアニズムーフィンランドのものつくりの原点
パリ万国博覧会と芸術家たち── 芸術家コミュニティの形成へ
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そういえば、日本の建築家でアールトに影響を受けた建築家といえば吉武泰水に武藤章がその代表だろうか、アールトの国民年金局やヘルシンキ工科大学(現・アールト大学)等の煉瓦タイルの外壁と連窓による外部デザインのモチーフは吉武研究室による建築の随所に見られましたですね。
荷風さんの昭和 (ちくま文庫)
昭和34年4月30日未明、荷風が他界した。その年の4月に創刊された週刊文春の編集部に配属されたばかりの半藤一利がいた。荷風急死の一報を受け、市川の自宅に駆けつけ、警察による検死から納棺まで一部始終を見届け週刊文春の特集記事を書いたのが他ならぬ本書の著者・半藤一利であった。歴史探偵を自称する氏が、孤高の自由人・永井荷風の目を通して戦前、戦中、戦後の昭和を検証する。本書が上梓されたのが1994年、時は細川内閣の時代、1937年日中戦争に突入した時の内閣総理大臣近衛文麿の孫の登場に歴史探偵は一抹の不安を隠せなかったようだ。本書の発行から23年を経て、政治は益々劣化の速度を速め、時代の空気感は戦前へ回帰するような不穏な動向を露わにしている今日、荷風さんに倣い昭和史を斜に構えて見直してみよう。
本書に『断腸亭日乗』から引用されている一文だけ選ぶとすれば昭和11年2月14日の此れだろう。
《日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なき事の三事なり。政党の腐敗も軍人の暴行も、之を一般国民の自覚に乏しきに起因するなり。個人の覚醒せざるがために起こることなり。然り而して個人の覚醒は将来に於いてもこれは到底望むべからざる事なるべし。》今もって説得力のある荷風の言葉である。それも2.26事件の12日前に書かれていた。
----------------------目次----------------------
序章:一筋縄ではいかぬ人
第一章:この憐れむべき狂愚の世―昭和三年〜七年
第二章:女は慎むべし慎むべし
第三章:「非常時」の声のみ高く―昭和八年〜十年
第四章:ああ、なつかしの〓(ぼく)東の町
第五章:大日本帝国となった年―昭和十一年
第六章:浅草―群衆のなかの哀愁
第七章:軍歌と万歳と旗の波と―昭和十二年〜十四年
第八章:文学的な話題のなかから
第九章:「八紘一宇」の名のもとに―昭和十五年〜十六年
第十章:月すみだ川の秋暮れて
第十一章:“すべて狂気”のなかの正気―昭和十六年〜二十年
終章:どこまでもつづく「正午浅草」
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そういえば、第六章にもその固有名詞が出てくるが、10年ほど前のこと吉原御免状ミニダイブで廓の堀跡周辺を徘徊している時に京町二丁目の羅生門河岸の外で隣地が更地となった建物の遣れたトタンの外壁写真を撮っていた時である。更地となった建物の関係者の年輩の御婦人が現場の様子を見に現れた。その御婦人の話によると荷風さんが日記にも書いていた吉原のナポリがあった場所だと云う。何でも荷風さんは店の奥の和室で昼寝をしたりするほどの常連だったとか...荷風さんを知る人から話しが聞けたのは貴重な体験でした。
磯崎新と藤森照信のモダニズム建築談義
市ケ谷の文教堂書店で買うつもりもなく何気に手にした本書、そういえば昨年10月末に「東京新聞・新刊案内」で紹介されていたと思い出し、立ち読みを始めると、もう書棚に戻すことができず、そのままレジに。...博覧強記の二人が出合うと次から次と化学反応が起こるようだ、ライブで二人の話を聴けたらさぞかし面白かっただろう。逆に書籍名だけでは、Amazonから買うことはないだろう。本書・中表紙にあるサブタイトルの「戦後日本のモダニズムの核は、戦前・戦中にあった。」は、つい最近、出口治明・半藤一利の「世界史としての日本史」を読んだばかりなので世界史との関係性からみても興味深く、また「勝者によって記録された歴史」だけでない『B面昭和史 1926~1945』に通じるB面の現代建築史かも…敗戦の時、14歳の中学生だった磯崎新と敗戦の翌年に生れた藤森照信は15歳の年齢差による視座の差異を互いに補完しあい話が絶妙に広がりをみせる。その内容は...
目次
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序 語られなかった、
戦前・戦中を切り抜けてきた「モダニズム」
第1章 アントニン・レーモンドと吉村順三
アメリカと深く関係した二人
第4章 大江宏と吉阪隆正
戦後一九五〇年代初頭に渡航
「国際建築」としてのモダニズムを介して
自己形成した二人
対談を終えて
おわりに
『日本文化私観』を読み返す 磯崎新
コルビュジエ派はバウハウス派をいかにして抜いたか 藤森照信
年表 1880〜1980
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と云うことで第一章から第四章まで各章毎に二人の建築家を対比させ、八人の建築家が戦前・戦中、そして戦後までモダニズムを介して建築とどう関わってきたのか、様々なエピソードを通して語られているのであるが、あの丹下健三の名が無いと訝しく思われるかも知れないが「序文」である『語られなかった、戦前・戦中を切り抜けてきた「モダニズム」』に於いて磯崎新は「今回の対談では、岸田日出刀、丹下健三、浜口隆一、浅田孝は脇役です。…中略…15年間の戦争中のそれぞれの日の動きが見えてくると面白いなと思っているんです。」と述べているが、やはり丹下健三は常に比較対象とされる建築家として最も多く引用され、或る意味「丹下健三・外伝」の体を成している印象もある。akiさんが「吉村順三 /1941年12月8日」で藤森照信が歴史家として建築界の巨匠と云われる人達に「太平洋戦争開戦の時、何を思ったか」と尋ねたことを書いていたが、磯崎新は「丹下さんは最後までしゃべらなかったね。」と…語っている。
磯崎新云う処のテクノクラート養成学校の東京帝大を出て、戦中戦後と国の方針に抗う事なく、後を振り返らず…である。
第1章の「アントニン・レーモンドと吉村順三」で藤森照信は2005年11月19日の「吉村順三建築展・記念シンポジウム」で語られたレイモンドの「軽井沢 夏の家」と吉村山荘との関係性を更に…それを磯崎新が丹下健三の長女と共に吉村順三の長女を訪ね、伺った戦前米国のレーモンド事務所から帰国した時の話で肉付け…等々(因みに吉村順三即品集1941-1978に掲載されている山中湖の山荘Cが丹下健三の先妻と長女の別邸。)
正確な日付を憶えていないのでレーモンド設計事務所の沿革で調べると1970年レーモンド展を松坂屋銀座店にて開催とあった。その展覧会を見ている時、会場内がざわつきだしたので、その方向に目を向けると車椅子とそれに寄り添うアントニン&ノエミ・レーモンド夫妻の姿があった。確か日本での仕事を引退して米国に戻る前の回顧展だったと思う。
俎上にされた建築家のしんがりは吉阪隆正であるが、レヴイ=ストロースの「野生の思考」に呼応できたのは吉阪さんだけだと、その特異性を述べているのが興味深い。網野善彦の日本海側を下にした日本地図は…その前に吉阪隆正が早稲田大学〈21世紀の日本〉研究会で発表したものと共通のアイデアに基づいていたと…。
そういえば...磯崎新と藤森照信を結びつける共通の人物に赤瀬川原平がいた。藤森照信と赤瀬川原平は路上観察学会とニラハウスの建築家と施主の関係...磯崎新と赤瀬川原平は大分時代からのネオダダの繋がり…とか…そんな二人のモダニズム建築談義、面白くない筈はない。
今朝の東京新聞・書評欄で紹介されている新刊二冊…の左側「ドーダの人...」とされている小林某も森某も…俺は苦手だ。どうやら世の中には、自分以外でそう思っている人も多いらしい。(Amazonのブックレビューを読むと小林某に恨み辛みを抱く人も…。)ところで著者は赤瀬川原平と東海林さだおの対談集「ボケかた上手」を読んだのだろうか…「ドーダ!」と「ヘェー!」
村井修写真集:TIME AND LIFE 時空
9月16日から10月16日まで開催された村井修 半田写真展『めぐり逢ひ』を記念して出版された本書は村井氏の70年の足跡から1956年から2005年までの代表作と未発表作98点が選ばれ収載されている。
その村井修氏の訃報を知ったのは写真展も終了から10日を経た10月26日の村井修 半田写真展実行委員会のFacebookであった。そして、本日の告別式の時刻に合わせるように遺作となった本書がAmazonから届いた。
今回の写真展と同様に98点の写真には通し番号があるだけでタイトルもキャプションもない、これも先入観を持って写真に接しない為の配慮だろう、タイトルを見て判った気になるよりもあれこれ考えてから巻末の作品リストを見て納得したりする。お逢いすることは無かったけれど、これも故人を偲ぶ供養のカタチかも知れないと勝手に思っている。
老いの楽しみ (ちくま文庫)
左のハードカバーの1刷りが1993年9月8日、手元にあるのは32刷りで1996年12月25日、発行は岩波書店である。20年前の8月終戦の日の翌日に沢村貞子が87歳で亡くなってからの刷りである。恐らくメディアで紹介されたのであろう母が読みたいから買ってきてと言われて買ってきた本だ。なので、さっと目を通しただけで今までしっかりと読んでいなかった。読む切っ掛けは沢村貞子の甥であるT.M.がこのところネトウヨ的暴言が止まらないので、確か叔母さんはそうじゃなかった筈だと、書棚の奥に隠れていた本書を取り出してきたのである。
本書は(I)(II)に分かれ前編の(I)は女優業を引退し東京の家をたたみ、湘南に越してきてからの日々の暮らしを描いた書下ろし、後編の(II)は新聞・雑誌に寄稿したもので、76歳から84歳の間に書かれたものだ。なかでも、後編(II)の「私の昭和」と「海外派遣だけはやめて!」には政治運動に向いてないと自嘲する明治女の反戦に対する立ち位置が明解に書かれている。治安維持法によって表現活動が規制される中、二度も特高に逮捕された貞子さんの顛末が書かれた「私の昭和」を読むと、出所した自分に『お前のしたことは決して悪いことじゃないよ。』の母の一言にはげまされ...もういちど生きてみる気になったとあるが、其処に沢村貞子のお母さんの心意気を感じる。そんな戦争体験者の貞子さんが語る『海外派遣だけはやめて!』は今日の私たちに託された遺言でもある。...なんでもない日々の暮らし、それが一番大切なものであることを教えてくれる一冊だ。
目次
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I
執着・みれん
年寄りはブラブラ
普通の暮らし
老いを思い知る
白髪いとし
縁
話し相手について
耳も老いる
花のある暮らし
II
私の昭和
海外派遣だけはやめて!
わたしの乱読時代
父のうしろ姿
食べもの雑記
話し上手・きき上手
友だち夫婦
恥について
ご挨拶
幸せって?
男の化粧
女性のたのもしさ
年始めの会話
御楽のあまり風
高価な古物
無欲・どん欲
美しく老いるなんてとんでもない
※
<対談>河合隼雄/沢村貞子
老いる幸福
あとがき
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読み終えてみて、20年前にはピンとこなかった話も…なるほどと思う今日この頃である。
B面昭和史 1926-1945
東京新聞・書評を読み、これは読まねばと、くまざわ書店で買い求めた。生憎と未だ文庫本にはなってなく、単行本で598頁は携行するには些か大きすぎるが、Kindle版もiBook版も用意されており、アナログでもデジタルでも読書スタイルは自由に選択可能である。
『国民はいかにして戦争になびいていったのか?政府や軍部の動きを中心に戦前日本を語り下ろした『昭和史1926‐1945』(=A面)と対をなす、国民の目線から綴った“もうひとつの昭和史”』と云うのは出版社のコピーだろうが、プロローグの言葉を引用すると『…本書が主題とするのは歴史探偵が掘りだした、ごく一般の日々の生活にあった話だけで昭和史を語ってみよう、というのである。片々たる街の片隅の裏話で滔々たる歴史の流れがたどれるか、となると、かならずしも自身はないが、「細部にこそ神が宿る」という言葉もある。民草の日常の生活のすぐそこににある「こぼれ話」を拾い出し、それらをつなげてゆくことで、かえって時代というもののほんとうの姿がみえてくることになるかもしれない。….』そして、後書きでは『わたしたち民草がどのように時勢の動きに流され、何をそのときどきで考えていたか、つまり戦争への過程を昭和史から知ることが、平和でありつづけるための日常的努力ではないかと思われるのです。
過去の戦争は決して指導者だけでやったものでなく、わたくしたち民草がその気になったのです。総力戦の掛け声に率先して乗ったのです。それゆえに実際に何があったのか、誰が何をしたのか、それをくり返し考え知ることが大事だと思います。無念の死をとげた人びとのことを忘れないこと、それはふたたび同じことをくり返さないことに通じるからです』…と。
1926~1945年は僕が生れる24年前から4年前である。既に父が亡くなってから30年、母が亡くなってから8年が経つ。時代を遠近法で眺め、自分の立ち位置を相対化し想像力を巡らすと、戦前の出来事も身近なものと捉えることもできる。父母から伝え聞いた昔話も、B面昭和史の時系列に落し込めば、また違った様相が表れるてくるようだ。1926~1945年の真ん中、1936年(昭和11年)は時代の転換期だった様で「2.26事件」から今年で80年が経つ。本書によって10年前に当ブログに書いた「マサさんの2月26日」のぼやけた輪郭部分が見えてくると、つくづく叔母から当時の話を聞いてみたかったと思う。小学六年か中一の頃だったと思うけれど、父母が新聞の日曜版だかに連載されていた大宅壮一の昭和の回顧録の写真を見ていて、「この人も気の毒だったね。」「運が悪かったね。」と処刑されたA級戦犯を、さも知り合いであるかのように語っていたことがある。その人物が広田弘毅と認識したのは随分後になってからである。「2.26事件」の後、首相に就任した広田弘毅は軍部の圧力に屈して、軍部の政治介入を許したとされている、元外交官にとって外交努力によって戦争回避することが使命・信条であると云うことが分っていながら、それを止められなかった事に対する自責の念が彼を無抵抗で死刑台に向かわせたのだろうかと改めて考えさせられる。
1936年4月12日の早朝、未だ中学生だったモタさんこと齊藤茂太が赤坂憲兵連隊に連行されていた。理由は飛行機好きのモタさんが軍事秘密の新鋭機の写真を持っているのではないかという疑い。これだけでも国民を萎縮させるには充分である。恐らく憲兵達は青山脳病院の立地に興味があったのではないかと…地図好きの私は思うのだが。因みに青山南町の斎藤脳病院の前を麻布方面に向かい北坂を下り、麻布笄町を抜けると、霞町に出る。其処にあった仏蘭西料理店で青年将校達が事件を画策していたいう話を聞いた事があるが...その青年将校らが処刑されたのが1936年7月12日のこと、場所は代々木の刑場、現在のNHK放送センター辺りというのも何だかである。その年の5月には例の阿部定事件があり、マスコミに扇情的に書き立てられた。それは錦絵新聞の様ではなかったのかと私は推測するのだが...因みに私が阿部定のことを知ったのは中学生の頃…たぶん、新聞か何かで知ったのだと思う。親父に尋ねたら情交の場面を省いて他は包み隠さず話してくれた。「愛のコリーダ」を見たのはそれから…10数年後であった。
説教強盗は昭和四年、昭和八年は経済学者・河上肇の検挙に小林多喜二の拷問死と政府による社会主義弾圧政策…4年前に書いた「説教強盗と学者...」も当時のB面的時代背景を知ると、また違う感慨がある。…母は兄(私の伯父)の影響を受けていたのかもしれない。法政大学出身の伯父には特高によってその交友関係と行動が監視されていたそうである。伯父が脳溢血で信用金庫の理事長をリタイアしたあと書きためた和歌をを読むと、志し半ばで獄死したり戦死した友を偲んだ和歌が大半を占めていた。本人も70年代当時このままでは大蔵省(当時)に信用金庫は潰されると語っていたから、二重の悔しさがあったと思う。(伯父が懸念していた通り、信用金庫は合併統合された。)
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目次
プロローグ 一週間しかなかった年―昭和元年
元号は「光文」?/「イ」の一字/「昭和の子供」/昭和元年生れ
第1話 「大学は出たけれど」の時代―昭和二〜四年
第2話 赤い夕陽の曠野・満洲―昭和五〜七年
第3話 束の間の穏やかな日々―昭和八〜十年
第4話 大いなる転回のとき―昭和十一年
第5話 軍歌と万歳と旗の波―昭和十二〜十三年
第6話 「対米英蘭戦争を決意」したとき―昭和十四〜十六年
第7話 「撃ちてし止まむ」の雄叫び―昭和十七〜十八年
第8話 鬼畜米英と神がかり―昭和十九〜二十年
エピローグ 天皇放送のあとに
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そういえば中学の時、日本史の時間(中世辺り)に似たような質問をしたことがある。いわゆるA面の史実ではなく、当時の人々の日々の暮らし(衣食住等)つまりB面はどうだったのか質問したら、即、教師に「分らない」と質問を事実上却下されてしまったことがあった。たんなる無知なのか、都合の悪い事には答えたくないのか...それは不明だが、教師に対する不信感だけが残った。
福音館の月刊予約絵本「こどものとも0.1.2.」 2016年8月号はたむらしげる作『たべたのだーれだ?』だ。
同シリーズの『ごろんこ ゆきだるま』では布を使った手縫いによる絵本、『ふわふわぐーぐー』では毛糸玉を使った絵本、『ペロチュパチュー』では色紙を使った「ちぎり絵」を、そして『たべたのだーれだ?』では、とうとう絵本に穴を開けてしまった。さて...穴からだーれが見えるのかな?
虫類図譜〈全〉 (ちくま文庫) 辻まこと・著
「虫類図譜」は1954年から同人誌「歴程」誌上で発表され、1964年に単行本として発行された。その本に同人の草野心平が序文を寄せている。
『その斬新な意匠に私は感動した。それまでの日本にはこのような堅いテーマをこのような着想で表現したものはなかったし、こんな知的で残酷な、カリカチュアという言葉が本来の生気ある意味でヴィヴィッドに生かされたことも曾てなかった。』この言葉がこの本の価値を全てを語っている。辻潤の著作と伊藤野枝の伝記を読まなかったら、この本まで手を伸ばすこともなかったであろう。それにしても迂闊であった。星新一や筒井康隆をリードしていた先人がいたとは…知らなかった。
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目次
序 草野心平
世論/防衛/ドライ/民族/アモック・スナカワ/愛国心/幸福/組合/税/愛/戦力/教育/臆病/陶酔/体面/友情/嫉妬/焦慮/マスコミ/資本主義・共産主義/絶対/放射能/劣等感/栄誉/霊感/様式/知識/孤独/宗教/経験/匿名批評/良識/病気/芸術/亜流/不遇/エリート/虚無/科学/権威/ムード/演戯/ノイローゼ/装飾/エチケット/倣漫/ひがみ/ニュース/政策/建設/空想/前衛派/大物/習慣/カーマニズム/メソード/神/意志/P,R/衝動/契約
あとがき
虫類図譜・拾遺
防衛/ニュールック/リベート/金融/ヒロシマ/民族/時間/アモック・スナカワ/良識/国連/ドライ/民族/宗教/政治/時局/批評/幸福/愛国心/マスコミ/デモ/エリート/機構/情欲/苦悩
解説 辻まこと版虫類コレクション 池内紀
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その一部を紹介すると...
愛国心
悪質きわまる虫。文化水準の低い国ほどこの虫の罹患者が多いという節があるが、潜伏期の長いものなので、発作が見られないと、罹患の事実は解らない。心臓に寄生するというのも、解剖学的に証明されたわけではないからなんともいえない。過去にこの島では99%がこの発作による譫妄(せんもう)症状を呈したことがある。死ぬまで治らぬ後遺症状があるから、現在、この島の住民は、その健康を信じることができない。
参照:『辻まことの世界に魅せられて』と云うサイトに:辻まことの作品『虫類図譜』より抜粋した絵とその解説があります。
村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝:栗原康・著
このセンセーショナルで挑発的なタイトルは伊藤野枝が地元・今宿村で起きた出来事を素材にして書いた二つの小説・「白痴の母」と「火つけ彦七」から引用されたものであろう。(著者と鈴木邦男との刊行記念 トークセッションによれば、もう少し地味なタイトルを含めた幾つかの候補の中から、最終的に営業サイドが「これで行こう」と決定したそうである。ともすれば批判を恐れ自粛してしまうメディアの多い中、岩波の営業もやるじゃない!)
そうした傾向は文体にも表れている。著者によればPC入力した原稿を自ら音読して推敲するそうだ。仮名が多いのも自分自身で読みやすくするためとか…成程、それで合点できた。嘗て昭和軽薄体があったけれど、音読を前提に書かれたこの文体は「平成ナレーション体」と呼べば良いのだろうか。本書をドキュメンタリー番組に見立てると、ナレーターは加賀美アナや桜井アナではなく、ジョン・カビラに決まりだろう。アジテーションやエールもいいんです。
尤も著者の栗原康も初めからこの様な文体ではなく、研究論文のような文体で書いていたらしい。些か挑発的なアジテーションも含むこの文体を受入れられるか否かで読者の評価は大きく異なるようだ、好意的な書評が多い処からみても、自己責任と自主規制でがんじがらめの閉塞的な現代社会に伊藤野枝の様な人物が求められていることの表れかもしれない。
内容
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はじめに
あの淫乱女! 淫乱女!/野枝のたたりじゃあ!/もはやジェンダーはない,あるのはセックスそれだけだ
第一章 貧乏に徹し,わがままに生きろ
お父さんは,はたらきません/わたしは読書が好きだ/わたしはけっしてあたまをさげない/きょうから,わたし東京のひとになる
第二章 夜逃げの哲学
西洋乞食,あらわれる/わたし,海賊になる/ど根性でセックスだ/だれかたすけてください,たすけてください/恋愛は不純じゃない,結婚のほうが不純なんだ/究極の夜逃げ
第三章 ひとのセックスを笑うな
青鞜社の庭にウンコをばら撒く/レッド・エマ/野枝の料理はまずくて汚い?/もっと本気で,もっと死ぬ気で,ハチャメチャなことをかいて,かいてかきまくれ/(一)貞操論争/(二)堕胎論争/(三)廃娼論争/大杉栄,野枝にホレる/急転直下,自分で自分の心がわからぬ!/約束なんてまもれない,結婚も自由恋愛もしったことか/カネがなければもらえばいい,あきらめるな!/オバケのはなし――葉山日蔭茶屋事件/吹けよあれよ,風よあらしよ
第四章 ひとつになっても,ひとつになれないよ
マツタケをください/すごい,すごい,オレすごい/亀戸の新生活――ようこそ,わが家へ/イヤなものはイヤなのだ/あなたは一国の為政者でも私よりは弱い/主婦たちがマジで生を拡充している/魔子は,ママのことなんてわすれてしまいました/結婚制度とは,奴隷制のことである/ひとつになっても,ひとつになれないよ/友情とは中心のない機械である――そろそろ,人間をやめてミシンになるときがきたようだ/家庭を,人間をストライキしてやるんだ――この腐った社会に,怒りの火の玉をなげつけろ!
第五章 無政府は事実だ
野枝,大暴れ/どうせ希望がないならば,なんでも好き勝手にやってやる/絞首台にのぼらされても,かまうものか!/失業労働者よ,団結せよ/無政府は事実だ――非国民,上等! 失業,よし!/村に火をつけ,白痴になれ/わたしも日本を去り,大杉を追っていきます/国家の犬どもに殺される/友だちは非国民――国家の害毒は,もうバラまかれている
あとがき
いざとなったら,太陽を喰らえ/はじめに行為ありき,やっちまいな
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本書と併せて辻潤の「ふれもすく」を読みのも良いだろう。関東大震災の後、出版社から「野枝さんの思い出」を書いてくれないかと依頼され、惨殺された伊藤野枝の最初の夫である辻潤が書いたものである。
辻潤と伊藤野枝との間に生れた長男・辻一(まこと)が私の父と同い年なので、其処からも時代背景を読み取ると視界が広がるようだ。つまり伊藤野枝や辻潤、大杉栄は私の祖父母の世代にあたる。そう考えると、自分から見てそれほど大昔のことでもない
まことくん(辻潤は長男をそう呼んでいる)が関東大震災に遭遇したのは10歳の時、震災の起こる前に伊藤野枝は大杉栄と二人で辻潤の留守宅を訪れ、まことくんにと大杉栄が翻訳したばかりの「ファーブル昆虫記」を持ってきている。奇しくもそれが伊藤野枝の最後の形見になった。辻まことの『虫類図譜〈全〉 (ちくま文庫)』を読むと二人の遺伝子が…確実に伝えられているようである。
因みに「刊行記念 トークセッション」で「伊藤野枝伝」を映画化するとしたらヒロインは誰が良いですかの質問に、栗原康はこう答えていた。『伊藤野枝は広瀬すず、大杉栄はTOKIOの長瀬くんで、辻潤は僕がやります。』と….
岩波書店:村に火をつけ,白痴になれ 伊藤野枝伝(PDFの試し読み有り)
東洋経済オンライン:「あの淫乱女!」伊藤野枝の破天荒すぎる28年
東京新聞:村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝
YouTube:『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』(岩波書店)刊行記念 トークセッション【前半】
YouTube:『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』(岩波書店)刊行記念 トークセッション【後半】
大学図書館入口・階段ロビーの段ボール箱に「ご自由に御持ち下さい」と無造作に捨て置かれた除籍本の数々、その中にタイムリーな除籍本が一冊混ざっていた。
蜷川幸雄がテレビの俳優から遠ざかり舞台演出家として活動し始めたのを知ったのは1970年頃の美術手帖だった。その頃、美術手帖では磯崎新が「建築の解体」を連載し始め、また植草甚一がJazzのレコード評を受け持っていたりで、読みごたえのある雑誌だった。
そんな美術手帖の演劇特集か何かで期待される演出家の一人として取り上げたのが蜷川幸雄だった。記憶に残ったのはテレビドラマ等の脇役(悪役)で顔を知っていたからだろう。
頁に目を通すと「蜷川幸雄伝説」は演出家個人の伝説だけでなく、彼が生きた時代の記録でもある。新宿でん八物語と合わせて読むと、1970年代の新宿三丁目界隈にもタイムスリップもできるのだ。
今日の東京新聞朝刊の上に置いてあるこの『盲導犬アンドリューの一日』は11年前の2005年2月28日に開かれた出版のユニバーサルデザインフォーラムでゲストスピーカーとして盲導犬アンドリューを伴って講演した松井進氏の絵本を会場で購入したものです。と云うことで、この絵本の17頁を紹介したいと思います。松井進氏の体験をアンドリューの目を通して語ったものです。
ひるやすみになると、ぼくはトイレにいく。
ご主人は、ぼくのワン・ツーをきれいにそうじして、
おひるごはんをたべにゆく
ここで、ほんとうにこまってしまうことがある。
「犬をお店のなかにいれないでください」と、
ことわられることがあるからだ。
ご主人が「この犬は盲導犬で、保健所などからもお店にはいっていいといわれている」と
いくらせつめいしても、だめなときがあるんだ。
よわっちゃうよね。
お店にはいったら、ぼくはあいている席をさがす。
ご主人がたべているあいだ、テーブルの下にダウンして、じっとまつ。
おいしそうなにおいがしても、ガマンガマン。
食事のあと、銀行やゆうびんきょくにいくこともあるんだよ。
昨日は年度末恒例の研究室主催の懇親会が杉並キャンパスであったので、その前に見逃す処だったワタリウムで開催中のリナ・ボ・バルディ展を見に外苑前まで出掛けた。トウキョウ建築コレクション2008の「東京」をテーマとした槇文彦氏の講演でリナ・ボ・バルディのSESC Pompeia (1977-1986)を表紙に用いたNURTURING DREAMSのスライドを見た時から気になっていた建築家であった。ホセ・ルイ・セルトに師事した槇文彦氏がリナ・ボ・バルディをリスペクトする理由が垣間見えたような展覧会でした。
エレベーターで地階に下りブックショップで目に止まったのが「F」が鏡文字になっている「DRIFT」なる書籍…スタッフの人によると雑誌だと云う。そのVol.3がハバナの特集、毎号ある都市をクローズアップして、その都市のコーヒー文化に特化した雑誌らしい。巻頭はCoco-Taxiのドライバー8名と彼らのコーヒーブレイクの写真から...写真誌と見紛う程、魅力的な写真が豊富だ。どうやらハバナのコヒーはエスプレッソが主流のようで…屋台ではなく街路に面した窓越しにコヒーを提供する小店が下町のスタンダードらしい。う〜ん、Coco-Taxiに乗ってHavannaの街を眺めるとBUENA VISTA SOCIAL CLUBで見たHavannaの街とは違い、車も最新ではないがそれなりに新しくなっているようだ。
因みにVol.1がニューヨーク、Vol.2が東京で、清澄のブルーボトルコーヒーと下北沢のBear Pond Espressoが紹介されているらしい…が、サイトの情報によればバックナンバーは売りきれのようだ。
地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み: 関東(2)京王・西武・東武
腰巻きが京王線仕様になっていることから、Amazonではなく啓文堂書店で平積みにされていたのを買ったものだろう。京王・御陵線の経緯を拾い読みして積読状態にしてあったのだが、Facebookで知った今昔マップをiMacの広いスクリーンで見ると、iPhoneやiPadのスクリーンで見る東京時層地図とは違う発見もあって面白い。
因みに今月の21日にせいせき今昔セミナーと題したイベントが講師に今尾恵介氏を迎えて聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターであるらしい。今昔マップのこの辺でしょうか。
多摩川右岸の聖蹟桜ヶ丘(旧駅名:関戸)に駅が出来た理由は…工事費の掛かる鉄橋を一ヶ所に済ませる為なのですね。因みに京王帝都電鉄の名称は東京と八王子を結ぶ鉄道だから、東八が採用されなかった理由はなんでしょうかね。会議の全貌を妄想すると面白そうであります。似たような名称に甲州街道(国道20号)のバイパスとして計画された道路に東八道路がありますが、どうも先に完成した三鷹市内だけを東八道路と呼んでいる様です。これも終点は甲州街道と圏央道の高尾山ICですが、全線が繋がるのは未だ先で、八王子市内では度々ルートが変更されています。
内容:
京王電鉄
甲州街道に沿う電気軌道/路面電車から郊外電車に発展/観光開発の時代から戦争へ
「トレンチ鉄道」がルーツ----井の頭線/最新式の帝都電鉄
西武鉄道
始祖は国分寺起点の川越鉄道/変転する都心直結線計画/ライバル・武蔵野鉄道
ついに実現した村山線/多摩湖・狭山湖をめぐる鉄道/幻に終わった奥多摩の鉄道回遊ルート
東武鉄道
武蔵國東部を北上する鉄道/北関東機業地帯への延伸/鴨と桃花と菖蒲
東京から上州さらに新潟へ---東上鉄道/大和田から志木経由に変更
高速電鉄の時代---日光線開業
追記同じ著者の著書に...
aki's STOCKTAKING:多摩の鉄道沿線 古今御案内
7歳と11ヶ月弱くらいまで住んでいた足立の梅田界隈の明治・大正期の地図を見ると、東武線の位置が現在と異なっていることに気付いた。大正期の地図では梅島にあった大きな池が線路の北側にあったことからだ。千住新橋北詰の国道四号線(日光街道)から足立九中方向に分岐する道は廃線跡でだったことを知る。小学一年の餓鬼にはブラタモリ的興味等ある筈もなかった。本書284頁に由れば東武鉄道の荒川放水路の開墾に伴う路線の移設は鐘ヶ淵から西新井まで約6.9kmに及んだとされている。当然のことながら千住新橋北詰の田中釣具店も荒川放水路と国道が整備されてからの開業だろう。
ブラタモリを見ていてもそうだが、廃線跡と云う切口で都市をみると、見えないものが見えてくるようである。明治・大正・昭和に掛けて鉄道カンブリア紀とも云う時代だったのだろう。全国で幾つもの鉄道が計画され、青写真で終わったもの、建設されたもの、廃線となったものも数多く…はたまた民間資本で建設されたものの御上に召し上げられ国有化され…また民営化と…国家に翻弄される鉄…である。
関連
1956 西新井橋
荒川放水路
お化け煙突
梅田町の家・ビフォーアフター
千住新橋・遠望
川の地図辞典-2 消えた梅田堀
荒ぶる川の絵葉書
作家の猫
先日(1/24)の東京新聞のコラムに「ネコ文壇バー 月に吠える」が紹介されていた。店を始める切っ掛けはオーナーが金沢の室生犀星記念館で見た室生犀星の飼い猫の写真が心に残ったことによるらしい。その記事を読んで成程と思った。左図の「作家の猫」は高尾の古本屋で鉄道関係の古本を探している時、目に止まり400円で手に入れたものである。表紙カバーの表は中島らもの飼猫「とら」だが、裏は室生犀星と一緒に火鉢にあたる飼猫ジイノの写真だ。
と云うことでこれが裏面、モノクロ写真だから表紙には使えなかったのだろう。
夏目漱石、南方熊楠、寺田寅彦、熊谷守一、朝倉文夫、竹久夢二、谷崎潤一郎、藤田嗣治、内田百�、室生犀星、木村荘八、佐藤春夫、大佛次郎、ヘミングウェイ、稲垣足穂、猪熊弦一郎、幸田文、梅崎春生、武田泰淳、椋鳩十、池波正太郎、山城隆一、田村隆一、仁木悦子、三島由紀夫、開高健、等々、作家と猫に纏るエピソードと写真が満載(些とオーバーだが)...
どうやら、この本はパート2も出版されているようである。
作家の猫 2
たむらくんの最新作は、はりがねを使ったシンプルな表現の可能性ににチャレンジしたものだ。
福音館の月刊絵本・こどものとも・12月号「はりがね なんになる?」
絵本の構成は、見開きページの左に「はりがねのパーツ」、右に制作プロセスが、「なんになる?」と期待を込めて次ページを開くと、見開きページに、ジャーンと完成した姿が表れる仕組み。因みに裏表紙には表紙の「はりがねのパーツ」の完成した姿が...それが何かは御想像を…。
尚、11月30日まで、吉祥寺のトムズボックスで展覧会『たむら しげる 「Puzzle Moon」』が開催されています。
いまここに在ることの恥
今朝、目覚めてから何気に書棚から取り出したのがこの本だ。カバーの写真は森山大道…3.11を彷彿とさせるが、発行はその5年前の2006年である。
いま、国会正門前に集まる人々の気持を代弁するようなタイトルと内容である。
組閣が発表された翌日、手にしたと云うことは『おまえ、もう一度、読み直せ。』と言ってるのだろう。
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鵯
炎熱の広場にて -- 痛み、ないしただ見ることの汚辱
口中の闇あるいは罪と恥辱について
鵺
邂逅 -- 紅紫色の木槿のかげ
名残の桜、流れる花
書く場と時間と死 -- 『自分自身への審問』の場合
一犬虚に吠え、万犬それに倣う -- 小泉劇場と観客の五年間
鶚
いまここに在ることの恥 -- 諾うことのできぬもの
1・時間感覚が崩れてから
瞬間と悠久と/「潜思する人びと」/ファシズムの波動/反動の拡大と自由の縮小
2・憲法と恥辱について
人間であるがゆえの恥辱/戦後最大の恥辱/諾うことのできない時代
罪ならぬ罪の恥辱/平和憲法下の恥辱/ファシストを飼っていることの恥
3・公共空間と不敬涜神と憲法
天皇制利用主義/皇族の身体にかかわること
外在する視えない暴力装置と内面の抑止メカニズム/涜神せよ、聖域に踏みこめ
4・いわゆる「形骸」と「むきだしの生」
人の実存に形骸はない/見ることの専制と恥辱/恥とホモ・サルケへの視線
5・境界を越えること
ここに在ることの恥/憤怒に顔を歪めるとき
自身のなかのシニシズムを殺す/いまにまつらい生きる恥の深み
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二十数年ぶりに買ったビッグコミックの戦後70周年増刊号の巻頭カラー頁が藤田嗣治の『アッツ島玉砕』(画像参照)だった。アッツ島と云えば確か二年前のTBS報道特集でドナルド・キーンが一兵卒の通訳として惨状を目撃していたことを伝えていたのを思い出した。Google検索すると「ほぼ日刊イトイ新聞」のキーンさんの見た玉砕がトップにヒットした。更に岩波書店のサイトにある小田実の『玉砕/Gyokusai』について書かれた文章もヒットした。どちらも知っておくべき内容である。
ところで、この増刊号の目次を見ても知っているのは、水木しげる、滝田ゆう、松本零士、山上たつひこ、石坂啓、井上洋介、花輪和一の7人だけ、20年以上、コミック誌から遠ざかっているので後の11人は知らないが、それらも真摯に戦争と向き合った作品だ。山上たつひこの「光る風」は45年前の問題作…突然、連載中止となった様な憶えがあるが、どうやら編集部によって、削除された頁や改竄されたネームを元に戻した、完全版がこの春、復刻したらしい。
東京人7月号は「歌謡曲の東京」の特集である。自分の好みは別として幼児期に刷り込まれた流行り歌の類いに懐かしさを憶えるのは自然な成り行きだろう。例えば東京と限定されるとわたしらが小学校低学年の時に流行った島倉千代子の「東京だよおっ母さん」とかコロンビア・ローズの「東京のバスガール」やフランク・永井の「有楽町で逢いましょう」等々を思い浮かべてしまうのだ。しかし、特集『歌謡曲の東京』巻頭のイラストは矢吹申彦描くところの東京生まれのシンガーソングライターを配した東京地図であって歌謡曲の歌手ではない。なんとなく編集者の世代感が垣間見える気がするが…この特集では演歌も歌謡曲もフォークもJ-POPも引っ括めて大衆消費音楽を歌謡曲と定義づけているようである。
こうした流行り歌の類いは自分が生れるよりも前の歌も物心が付いた頃からラジオ等で耳にしているので、案外知っているものだが、成人してからは自分の好みで音楽を聴くようになると、AM放送やテレビの歌番組から遠ざかり、何が流行っているのか全く分らなくなる。
それに引き替え、昔の曲はタイトルも覚えてないくせに詞を読むとメロディーが浮かんでくるから不思議だ。この特集の「My Best Tokyo Song」で佐藤剛氏が取り上げている「水原弘 黄昏のビギン」もそうだった。タイトルも覚えてないし曲が想像できなかったが、詞を読むとメロディーが浮かんできた。これはあたしが小学四年生の年にリリースされた六輔・八大コンビの曲だ。
YouTube:「黄昏のビギン 水原弘」
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特集『歌謡曲の東京』 あの頃のトーキョー風景
●対談・皮膚で感じる東京という「地方」の違い(文・天辰保文)
鈴木慶一×宮沢章夫
ムーンライダーズ、はちみつぱい、はっぴいえんど、松任谷由実、シュガー・ベイブ、高橋幸宏、仲井戸麗市
●わたしの音楽、東京の原風景・大貫妙子(文・前田祥丈)
●没後十年 市井を愛したフォークシンガー、高田渡のまなざし 高田漣(文・染野芳輝)
●ふっと気の抜けたような都市の「隙間」曽我部恵一(文・廿楽玲子)
●対談 小宮山雄飛×尾関憲一 東京出身vs地方出身 渋谷・原宿、街をスケッチする視線(文・大谷隆之)
●東京ソング変遷史「東京」から「TOKYO」へ(文・太田省一 )
●明治のハイカラ、昭和のふるさと 膨張する「東京」フィクション 片岡義男
●My Best Tokyo Song
新川二郎 東京の灯よいつまでも(文・太田和彦)
RCサクセション 甲州街道はもう秋なのさ(文・寺岡呼人)
RCサクセション いい事ばかりはありゃしない(文・角田光代)
荒井由実 中央フリーウェイ(文・伊藤雅光)
近田春夫&ビブラトーンズ 金曜日の天使(文・サエキけんぞう)
水原弘 黄昏のビギン(文・佐藤剛)
黒沢明とロス・プリモス ラブユー東京(文・関川夏央)
太田裕美 木綿のハンカチーフ(文・斎藤環)
●上京・望郷ソングのなかの風景 文・藤井淑禎
●共同作業で時代を先取りする レコード会社専属から 職業作家の時代へ 文・北中正和
●「東京ソング」クロニクル構成・大谷隆之
山の手 すべては、はっぴいえんどから
下町 原東京っ子の見た風景
西郊 中央線ミクスチャー文化
目黒・世田谷 新たな音楽の発火点
●「東京」を感じさせる名盤20選
・J−POP以前の上京ソング
バブル期前までは、まだ輝いていた東京
・J−POP以降の上京ソング
「東京ソング」コンピレーションCDの解題/もはや妄想の世界としての対象
・衒いもなく東京の地元愛を歌う若者たち/世界観を演出する「見立て」の美学
・カラオケに見る「東京ソング」今昔/東京ソングと鉄道愛
●ムード歌謡と銀座 文・鈴木啓一
●故郷の台南を思い、台北で日常を歌う 盧廣仲
●新宿歌謡散歩 花園町の夢は、夜開く 文・泉麻人
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妻を帽子とまちがえた男
自動車税を払う為に歩いて駅前の銀行とついでに郵便局にも行き、そのついでに古本屋に立ち寄った処で本書に遭遇、パラパラと頁を捲り中身を確認してそのまま会計…定価[本体2840円+税]の古書が内税込み価格で500円…新本と言われても納得してしまう程、状態が良い。Amazonで検索してみると、文庫本もハヤカワ・ノンフィクション文庫から出ているようだ。
オリバー・サックスについては映画『レナードの朝』は見ていたが、その名前はインタビュー集『知の逆転』を底本にNHK-ETVで二年前に放送された「世界の叡智(えいち)6人が語る 未来への提言」で知ったのだが、昨今の自称・脳科学者と異なり、自ら脳神経科の臨床医として患者に寄り添い、その治療体験を通して、人間の適応力の可能性を語る姿に興味を持っていた。本書はサックスの24の臨床体験に基づいて書かれたものである。
病気について語ること、それは人間について語ることだ―。妻の頭を帽子とまちがえてかぶろうとする男。日々青春のただなかに生きる90歳のおばあさん。記憶が25年まえにぴたりと止まった船乗り。頭がオルゴールになった女性…。脳神経に障害をもち、不思議な症状があらわれる患者たち。正常な機能をこわされても、かれらは人間としてのアイデンティティをとりもどそうと生きている。心の質は少しも損なわれることがない。24人の患者たち一人一人の豊かな世界に深くふみこみ、世界の読書界に大きな衝撃をあたえた優れたメディカル・エッセイ。(「BOOK」データベースより)----------------------内容--------------------------------------------
第1部 喪失
1・妻を帽子とまちがえた男
2・ただよう船乗り
3・からだのないクリスチーナ
4・ベッドから落ちた男
5・マドレーヌの手
6・幻の足
7・水平に
8・右向け、右!
9・大統領の演説
第2部 過剰
10・機知あふれるチック症のレイ
11・キューピッド病
12・アイデンティティの問題
13・冗談病
14・とり憑かれた女
第3部 移行
15・追想
16・おさえがたき郷愁
17・インドへの道
18・皮をかぶった犬
19・殺人の悪夢
20・ヒルデガルドの幻視
第4部 純真
21・詩人レベッカ
22・生き字引き
23・双子の兄弟
24・自閉症の芸術家
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失った四肢の感覚が残っている状態を「ファントム(幻影肢)」と言うらしいが、事故等で失われた手足が疼いて痛いと云う話しは良く聴いた事がある。どちらかといえば「ファントム」は悪い作用をするものと考えられているが、「ファントム」を活かせば義足でも自分の足の如く動かすことが可能になるらしい、しかし「ファントム」が眠っていると歩くことはおろか立つことも叶わないそうで、義足を装着する前に先ずは「ファントム」を目覚ますことから始めなければ成らないそうである。しかし、「ファントム」が目覚めれば健常者と遜色ないと云う。人間の適応力の奥深さを感じる。
数ヶ月前のことだが『添田唖蝉坊の長歌を演歌する』を聴きに行った時、FreeJazz・percussionのplayerで演歌師の土取利行が静岡にある大杉栄と伊藤野枝の墓を詣でた話をしたとき、そういえば...川の地図辞典・出版記念ウォーク「谷田川跡をあるく」で辻潤の墓所を訪れていたことを思い出した。翌日、ブログで調べると墓に行ったのは2008年3月16日、もう7年も前のことだが、東日本大震災と原発事故の3年前、当時と比べると社会情勢も様変わりしている。改めて青空文庫で辻潤の「ふれもすく」(フランス語: Humoresques, チェコ語: Humoresky、ドイツ語: Humoreske/「奇想曲」)を読み直した。書かれたのは1923年11月四国Y港、関東大震災から2ヶ月後のことである。この時代は宮崎駿の『風立ちぬ』でも描かれているが、別な視点から書かれた「ふれもすく」を読むことで時代を構成する様々なレイヤーが表れ奥行きを増すのではないだろうか。
その日(1923年9月1日)風呂屋で大震災に遭遇した辻潤は、慌ててK町の自宅に戻り老母と息子の無事を確認する。家は庭木と平屋建ての小屋が支えとなり全壊は免れたもの住める状態ではなく10日ほどの野天生活の後、老母と息子を隣のB町の妹の所に預け、お腹がフクレタリアな同棲相手を里に送り届ける為に名古屋へと向かう、自分は金策の為に大阪へ…道頓堀で号外を見て…事件を知る。四国のY港に渡ると…九州の新聞社が待ち受け「大杉他二名」の取材を受けるも断り…事件の二ヶ月後...出版社から改めて「野枝さんの思い出」の執筆依頼を受けて書いたのがダダイストを自称する辻潤による「ふれもすく」である。
と云うことで青空文庫のテキストデータをiPadで「ふれもすく」のさわりを...
と、野枝さんとの染井での生活を語っている。
『野枝さんや大杉君の死について僕はなんにもいいたくない』と言っているが、甘粕のことは『マメカス』と揶揄し、僕も彼女を「よき人なりし」野枝さんといいたい。僕には野枝さんの悪口をいう資格はない。と語っている。
辻潤の母が伊藤野枝に三味線の手ほどきをしていたようで、大杉栄のもとに行ってからも、度々、三味線のおさらいに来ていたそうで…伊藤野枝の三味線で大杉栄が演歌…なんてことがあったら愉快だが…。
花柳界のあった柳橋から目と鼻の先にあった下町浅草橋生れの辻潤にとってアナーキストにシンパシーを感じても、上昇志向の強い人間や教条主義的振る舞いは粋に思えず、故に斜に構えダダイストを自称していたのかも…。因みに私はユーモレスクの旋律を聴くと何故か自分が生れた足立区梅田界隈の夕景が思い出されるのだが...
ガルシア・マルケス(Gabriel José García Márquez)の小説に出てくる架空の街・マコンド(Macondo)のモデルとなったとされているのが、彼が祖父母の許で少年時代を過ごしたAracatacaである。その土地にあったのは米国大資本によるプランテーションだが、奇しくもマルケスの生れた年に農場労働者によるストライキが勃発、軍による弾圧、そして多くの犠牲者を出し、米国大資本は撤退。その米国大資本による暴力的な進出を落葉とつむじ風に喩え、マルケスは1955年に出版された最初の小説『落葉』の前文に記している。
そのバナナ会社とはユナイテッド・フルーツ(United Fruit Company)だが、現在の社名・ブランドは誰でも知っているあれである。
これは20世紀前半の話しと片づけられない。21世紀でも多国籍ブランド企業により、農水産業は歪められ、さらにTPPにより追い討ちを掛けられる気もする。絞り取るだけ絞り取って逃げ去ってゆく、似たような例は国内にもありそうだし、日本そのものがMacondoになるやも知れぬ。
中南米の近現代史は嘗ての宗主国に代わり支配力を強めた米国大資本やマフィアそしてCIAに対する抵抗の歴史だが、それは単に図式的な資本主義vsレーニン主義と云ったものではなく、ラテンアメリカに生まれた人々の自立性を守る人間の権利そのものと思える。
...等と考えたのはひょんなことから『グアバの香り』について5分で語れと云うミッションがあったからなのだが…
辺境の地にもストリートビューが...小説の読み方も違ってくる気がする。
福音館の月刊予約絵本「こどものとも0.1.2.」の2015年5月号はたむらしげる作『ペロチュパチュー』だ。たむらくんは同シリーズの『ごろんこ ゆきだるま』では布を使った手縫いによる絵本、『ふわふわぐーぐー』では毛糸玉を使った絵本、そして最新刊の『ペロチュパチュー』では色紙を使った「ちぎり絵」による絵本と… 0歳児が初めて出合う絵本だからこそ、妥協も手抜きもせずに毎回、表現方法の可能性にチャレンジし続け、新鮮な出会いを子供達に送り届けている。それは昔、子供だった大人にもほっこりとした気持にさせるものだ。
東京人5月号は「東京35区の境界」(※23区ではない)の特集である。う〜ん、昔、勤め先やその後、仕事場のあった南青山4丁目は赤坂区、其処から数10m下った処が麻布区、古い表札に麻布笄町と書かれたままで、西麻布と直してない家もありました。
そういえば6年前に幻の区界なんてエントリーを書いていたことを思い出した。東京人5月号の70頁でも『神田川 / 流れの約半分は区境』と云う記事がある。この記事の筆者も「ブラタモリ」第一回放送について言及しているが、敗戦直後のGHQ指導による区界変更案があったことまでは言及してない。
本号の特集で大活躍しているのが「東京時層地図 for iPad」… iPadを片手に街歩きも当たり前の時代になったようだ。
因みに八王子の地元ネタでは「多摩森林科学園・サクラ保存林へようこそ」とか「Close Up TOKYO Interview」に市長が何か…。
それにしても5月号の東京人の特集だがいきなりの35区の境界線で、区部についての変遷について纏めて書かれている記事がないというのも何だかオソマツ。表紙に使われている凸凹地図にも旧・東京市の15区のボーダーが示されているが、そのくらい分って当たり前だろうの、上から目線なのか一切の説明がないので、ちょこっとメモを。
1878年(明治11年)東京府
1889年(明治22年)東京市-15区
----関東大震災----
1932年(昭和7年) 東京市-35区
1943年(昭和18年)東京都(都制)
----第二次世界大戦・敗戦----
1947年5月(昭和22年)22区
1947年8月(昭和22年)23区(板橋区から練馬区が分割)
と云うことで東京市の15区は江戸市中の範囲まで、今でも日本橋区や神田区生れの人は渋谷、新宿、池袋は東京郊外の田舎とおもっているようですよ。
妖怪萬画 (第1巻 妖怪たちの競演編)
目次-------------------------------------------------------------------------------
序 妖怪画はどこから来たのか?(妖怪画の系譜(辻惟雄)
描かれた妖怪―その祖型をめぐる(辻惟雄×板倉聖哲))
第1章 妖怪たちが行く(百鬼夜行絵巻―大徳寺真珠庵
百鬼夜行絵巻(百鬼ノ図)―国際日本文化研究センター ほか)
第2章 妖怪絵巻を読む(酒呑童子絵巻―國學院大学図書館
稲亭物怪録―広島県立歴史民俗資料館 ほか)
第3章 妖怪博物館(化物づくし絵巻B 湯本豪一コレクション
化物づくし絵巻A 湯本豪一コレクション ほか)
巻末付録 妖怪カタログ
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われわれの畏怖というものの、最も原始的な形はどんなものだったのだろうか。なにがいかなる経路を通って、複雑なる人間の誤りや戯れと、結合することになったのでしょうか。幸か不幸か隣の大国から、久しきにわたってさまざまの文化を借りておりましたけれどども、それだけではまだ日本の天狗や河童、又は幽霊などというものの本質を、解説することはできぬように思います。
柳田国男『妖怪談義』
妖怪萬画 (第2巻 絵師たちの競演編)
目次-------------------------------------------------------------------------------
第1章 妖怪なんて怖くない(鳥山石燕―『画図百鬼夜行』ほか
北尾政美―『夭怪着到牒』
勝川春英―『異摩話武可誌』
葛飾北斎―『北斎漫画』)
第2章 絵師たちの百鬼繚乱(喜多川歌麿―「化物の夢」
葛飾北斎―「百物語お岩さん」ほか
歌川広重―「平清盛怪異を見る」ほか
伊藤若冲―「付喪神」
高井鴻山―『雨中妖怪図』ほか
歌川国貞―『七変化壱本足(芝居絵)』ほか
歌川国芳―『頼光公舘土蜘作妖怪図』ほか)
第3章 妖怪画の文明開化(月岡芳年―「新形三十六怪撰源頼光土蜘蛛ヲ切ル図」ほか
河鍋暁斎―『暁斎百鬼画壇』ほか)
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表紙カバーの河鍋暁斎が描く「ぬらりひょん」のなんとも…いえない表情が…宜しいですね。
宅配本屋「SANTA POST」がJR高尾・北口近くのgoto. Room 18%で3月28日から〜4月5日まで9日間の期間限定で開店。併せて「妖怪の日本地図」に用いられた石井勉氏による原画(300点余り)も展示されるとのこと。
案内はがき.PDF
A4チラシ.PDF
ビブリオバトルを楽しもう.PDF
…と云うことでビブリオバトルのバトラーが足りないから...なんでも良いから本の紹介をと頼まれてしまったのであるが…さて、どうしたものかと…。
追記:…で、昨日(3/29)のビブリオバトルではガルシア=マルケスのグアバの香りを紹介…思いかけず、チャンプ本に。
大阪アースダイバー:中沢新一
二年前に刊行された本書の奥付を見ると四刷りとなっている。たぶん山里にある書店の店頭に並んでから買ったものだろう。それから二年余り…積読状態になっていたが、読もうと思う切っ掛けは釜ヶ崎の位置関係をGoogleMapで調べていて、そうだ「大阪アースダイバー」を買ってあったと気づいたのである。考えてみると僕たち東京の子供は公立中学ならば修学旅行は関西方面に行くのが定番であった。それでも行き先は奈良・京都であり、大阪はスルーされ目的地に入っていない。関西を代表する都会であるにも関わらずである。飛鳥の古には難波宮が置かれ、仁徳天皇陵も四天王寺があっても修学旅行の候補には選ばれない。関西からの修学旅行生は東京に来るのに、関東からの修学旅行生は大阪をスルーする、何故だろう。ざっと読み終えてから、そんな疑問への答えが本書に見え隠れしているように思える。
例によって飛躍文化人類学的妄想力も全開であるが、週刊現代に連載されていたこともあり、取材も丹念に行われているようだ。東京人には解らない大阪の謎や不思議の入口前に多少は近付いたかも知れない。ブラタモリも四月から再開するようなので上町台地に迫る企画があるかも…と期待しているのだが...。
古地図と地理院地図の色別標高図で「河内」の位置や地形とかが…解った次第であります。
内容
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プロローグ
大阪アースダイビングマップ
第一部 プロト大阪
・大阪を読み解く鍵を求めて
「くらげなす」土砂層の上に/大阪の見えない座標軸/二つの軸/南北に走るアポロン軸/
東西に走るディオニソス軸/河内カオスモス/西の王家の谷 -- 百舌鳥古墳群/
大阪文化の野生のルーツ/複素数都市
・太陽と墳墓
ディオニソス軸線の発見者は誰か/「スミヨシ」系の海民/渡来民たちの波/
日の御子の誕生/大阪の大地の歌/太陽の子の死と再生
・四天王寺物語
軍事と呪術の物部氏/玉造の怪/比類なく高い仏塔/キツツキと鷹の戦い/
大阪スピリットの古層/聖徳太子と俊徳丸
第二部 ナニワの生成
・砂州に育つ資本主義
商人と無縁の原理/水底から出現した島々/八十島のナニワ/ナルニワ国の物語
アジールとしての砂州/淀川河口はクグツのすみか/はじまりの商人/
商人は無縁から生れた/豊かな無縁社会/無縁社会を超える
・超縁社会
ナニワのミトコンドリア戦略/負けるが勝ちや/有縁、無縁、超縁/
トーテム紋章としての暖簾/座という秘密結社/お金と信用/
信用とプロテスタント/信仰としての信用
・船場人間学
船場の性と愛/野生のぼんち/番頭はんと丁稚どん/
暗黙知はからだに叩き込む/幸之助と船場道場/蘇れ、ナニワ資本主義
第三部 ミナミ浮上
・日、没するところ
西方の意味/広大なネクロポリス/封印された笑いの芸能/聖なる墓守
埋葬儀礼のまわり/聖から芸人へ
・千日前法善寺の神
処刑場から見せ物へ/聖なるミナミ/地上からちょっとだけ離れて/
自転車とパノラマ館/萬歳から漫才へ/民主的な南方からの神々/エビスの記憶/
不条理の萬歳/シャーマン吉本せいの選択/来るべき漫才
・すばらしい新世界
モダニズムの夢/新世界の精神分析/湿った通天閣/
タイシとビリケン/ミナミの胎蔵界曼荼羅/荒陵に咲く花/
・ディープな大阪
最後の庇護の場所/見えない空間/「あいりん地区」の形成史/鳶田から釜ヶ崎へ/
世界と運命の転換期/エリアクリアランス/人類型都市構造/ミナミの栄誉/
ジャンジャン横町のデュシャンたち/アンフラマンスなミナミ/
第四部 アースダイバー問題集
・土と墓場とラブホテル
崖地と粘土/あわいの人形/マテリアリストにしてアニミスト/恋のマテリアリズム/
ホテルはリバーサイド/自由恋愛のメッカ/ラブホテルとディズニーランドの深層/
ラブホと野生の思考/
・カマドと市場
敵が味方に変わるころ/転換の門/海に直結した魚市場/市場とスーパー/
・大阪の地主神
生玉神社と坐摩神社/イカスリの神/ツゲ一族の娘たち/渡辺一族の登場/
水軍武士団へ/南渡辺村と北渡辺村/区別と階層差/さまよえる北渡辺村/
くり返される強制移住/大阪の村/解放運動/「同和」の未来/
・女神の原像
「太陽の妻」/太陽と性/不思議な神話の記憶/コリア世界との距離/
・コリア世界の古層と中層
生野区と平野区を掘る/猪飼野の謎/伽那の人々の日本への移住/
ものづくり大阪の土台/帝国主義の時代/壁とその解体/
●Appendix【付録】 河内・堺・岸和田 - 大阪の外縁
・河内
先住民の夏至祭/死霊を渦の中に巻き込んで/古層の息づかい
・北河内
宇宙船イワフネ号/河内の野生の根源地
・堺と平野
環濠都市の精神は生きている/ガラパゴス型都市/堺と平野--偉大なる例外者
都市の戦い
・捕鯨とだんじり---岸和田
海民の夢の時間/だんじりの運動学/だんじり - 捕鯨論
・エピローグにかえて
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考えてみると、大阪に行ったのは片手で数える程である。最初は1970年の大阪万博…会場ゲート前まで行ったものの、見る気を失い踵を返して帰ってきた。二度目は…千里と泉北のニュータウンの見学…。三度目は高野山へ行く為に難波から南海高野線を利用した時、帰り難波駅周辺で夕食をとったが、宿は京都市内であった。ディープな大阪の地に降り立ったのはこの時だけである。何れも1970年代の事であった。
参照サイト
アースダイバーでわかった、大阪のこと・地図上でアースダイビング2012年03月26日
戦後史証言プロジェクト・第4回 猪飼野 在日コリアンの軌跡
昨年は雑誌「ガロ」創刊50年と云うこともあり、東京人7月号や、Eテレのニッポン戦後サブカルチャー史等々、多くのメディアでも雑誌「ガロ」の再評価が行なわれた。そんな時、その後の雑誌「ガロ」の情報を調べようと青林堂のサイトを訪れて愕然とした憶えがある。その印象を古山くんの出放題:あの頃への旅へのコメントに『ガロは発行人の長井氏が亡くなった後、分裂して、編集側は新たに青林工藝舎を立ち上げ、長井氏の意志を継続して若手作家に発表の場を提供しているが…一方の青林堂は…嫌韓・嫌中に指向している書籍を出しているのが…180度方向転換したようで…なんとも…』と書き記していた。
そして、今朝の東京新聞のコラムである。内容はここ最近、ツィッターでも取り上げられている情報だが、それを検証すべく当事者双方に取材を試みているが、都合の悪いメディアには取材に応じないと決めているようである。ネットでも嫌韓を煽るバナー広告が目立つのが…何だかである。
書店の店頭でも平積みにされた嫌韓嫌中本が目立つが、東京新聞のコラムの最後に「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」代表の意見が寄せられていたのでネット検索したなぜ僕らは『ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会』を立ち上げたのか?なる記事があったので参考までに。
と云うことで長井氏の意志を継承しているのはこちら「青林工藝舎」である。
21世紀の資本
私は読んでいませんが、こうした雑誌の表紙になるほどトマ・ピケティの『21世紀の資本』が話題です。昨年12月に待望の翻訳版がみすず書房から刊行されましたが定価5,940円(本体5,500円)と云う価格にも関わらず、初版は品切れで重版中だそうです。さてさて、不平等に見て見ぬふりをし、放ったらかしにする格差社会を是正する処方箋はどうなっておるのか...取り敢えず、明日(1/9)から、Eテレで6週に亘って『パリ白熱教室』が放送されるので、忘れないように、先ずは要チェック…。
TED:トマ・ピケティ: 21世紀の資本論についての新たな考察(日本語字幕付)
関連:資本主義末期の国民国家のかたち(1)内田樹
グアバの香り――ガルシア=マルケスとの対話
今年四月に亡くなったガブリエル・ホセ・ガルシア=マルケス(Gabriel José García Márquez)の対話集である。本書(原書)が刊行されたのが1982年、翻訳版の刊行は昨年(2013)と実に31年もの開きがある。中南米文学が国内で話題になったのは1970年代後半からだろうか…「百年の孤独」の新潮社版が刊行されたのが1972年の様だから、そんなものだろう。「一章 生い立ち」と「二章 家族」を読むと、両親から離れ母方の祖父母の許で育てられた環境が小説の原点となっている様だ。著者名ではG・ガルシア=マルケスと要約されている名前もフルネームは「ガブリエル・ホセ・ガルシア=マルケス」であり、「父:ガブリエル・エリヒオ・ガルシア」と「母:ルイサ・マルケス」の双方のファミリーネームから付けられていることが分った。更に母方の「祖父:ニコラス・リカルド=マルケス=メヒーア大佐」なんて名前を見ると、そのままマコンドにタイムトリップしそうである。漢字文化の日本では漢字を組み合せ名前を創作できるが、スペイン系でカソリックの彼の地では姓名の選択は限られている。「百年の孤独」を初めて読んだ時、同じ名を繰り返し使われる登場人物達に戸惑ったが、彼の地ではそれが当たり前で、更にガルシア=マルケスが育ったラテンアメリカの家ではこんなことも日常の事のようだ。…と云うことで、もう一度読み返してみようかなと思う今日この頃である...。
目次
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一章 生い立ち
二章 家族
三章 仕事
四章 自己形成
五章 読書と影響
六章 作品
七章 待機
八章 『百年の孤独』
九章 『族長の秋』
十章 現在
十一章 政治
十二章 女性
十三章 迷信、こだわり、嗜好
十四章 名声と著名人
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夢の旅
たむらしげるくんの新刊は大人向けの絵本だ。それと云うのもJALの機内誌に連載された「夢の旅」を一冊の本に再編集したものだからだ。旅に向かう機内でもう一つの空想の旅と云う訳だ。ブックデザインは岡本一宜氏、ブックカバーを外して表れるハードカバーの表紙の意外性が新鮮で素敵だ。(手に取って確かめて下さい。)作家とデザイナーのコラボレーションが生み出した一冊、机の上に置いてあるだけで心が和む。
明日から...千葉市美術館で「赤瀬川原平の芸術原論/1960年代から現在まで」が開かれることになっていたが、その前々日に御本人がお亡くなりになった。合掌…
あたしはガロ(1971年6月号)に連載された櫻画報のつげ義春の「李さん一家」のパロディ「実は三階もあるのです。」が好きだな。
因みに「町田市民文学館 ことばらんど 」では12月21日まで「尾辻克彦×赤瀬川原平−文学と美術の多面体−」を開催中。
と云うことで、ネタに使わせていただいたエントリーをピックアップしてみた。
July 03, 2013:岩波写真文庫の原版も...
February 28, 2013:草食化する新解くん
December 19, 2007:実業美術館
October 10, 2007:復刻版 岩波写真文庫
October 08, 2007:戦後腹ぺこ時代のシャッター音
April 01, 2005:花韮(ハナニラ)
November 02, 2003:「ドーダ!」と「ヘェー!」
私は「写真」と云う熟語は明治以降に作られた言葉だと思っていたが、どうやらそれは違うらしい。ウィキペディアでは「増井金典『日本語源広辞典』ミネルヴァ書房」から『日本語の「写真」という言葉は、中国語の「真を写したもの」からである』と引用しているが、『語源』を調べると諸説入り乱れ、何が何だか分らなくなる様だ。兎も角、「真を写したもの」と云う精神的拘束をリセットして自由になることが、この講義を読む上で大事なことではなかろうか。英語の "photograph" の光(photo)で描く(graph)イメージとか、中文の『摄影』(註:摄/攝)は…真ではなく『影』としている処に…何故か納得するのである。
と云うことで、ルイジ・ギッリ『写真講義』であるが、東京新聞・書評欄の「三冊の本棚」を読むまでルイジ・ギッリ(Luigi Ghirri 1943~1992)と云う写真家の名を知らなかった。「三冊の本棚」の選者である幅允孝氏は自身のサイト「ページバイページ・江口宏志と幅允孝の1000冊」でも『写真講義』を取り上げている。
本書は1989年1月から1990年6月まで専門学校で行なわれた『写真講義』の記録音源から、約20年の時を経て書き起こしたものである。従って、本書に書かれていることは全て「銀塩写真」についての考察であり講義である。
内容(目次)
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・好事家(ディレッタント)かもしれない私の情熱(1989.01.27)
・自分を忘れる(1989.01.27)
・探究(1989.02.03)
・カメラ(1989.02.03)
・実習(1989.02.09)
・露出(1989.02.17)
・「見えていたように撮れていない」(1989.02.17)
・歴史(1989.04.20)
・透明さ(1989.10.20)
・敷居(1990.01.19)
・自然のフレーミング(1990.01.19)
・光、フレーミング、外部世界の消去(1990.02.08)
・音楽のためのイメージ(1990.06.04)
・ルイジの思い出 写真と友情--ジャンニ・チェラーティ
・「訳者あとがき」
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archivio LUIGI GHIRRI(公式サイト)
YouTube:Documentario Luigi Ghirri italiano
思い起こしてみると、ガキの頃、駄菓子屋で買った日光写真や玩具のようなカメラ・オブスクラもどきの様なモノで遊んだ記憶が在るが、カメラには触れたことはない。その頃、紅梅キャラメルの景品のカメラが少年たちの垂涎だった。と云うことで、私の最初のカメラは露出計の付いてないNikon-Fのボディに50mmのレンズを日本信販の月賦で買ったものだった。露出計はセコニックの入射式/反射式兼用を買った。アナログカメラはフィルム感度と絞りにシャッタースピードの原理さえ憶えれば良く、失敗しても納得ができた。しかしデジタルカメラは全て機械任せ、他人の考えたプログラムに乗っかっている処が心許なく感じてしまうのである。
中村修二氏の名前を知ったのは確か2000年前後に『筑紫哲也 NEWS23』にゲスト出演したときだと思う。文庫本の「怒りのブレイクスルー」が出版されたのは10年前の2004年、文庫版の刊行によせて-「裁判のなかで考えたこと」を書籍版(2001年)に付け加えている。読んでから十年も過ぎ、詳しい内容は忘れてしまったが…頭脳流出と云う...最悪の結果を招いた理不尽な…なんたらかんたらが…更に増幅されている…と思える、今日この頃です。
BLOGOS.COM:中村修二氏からの忠告
建築家が建てた妻と娘のしあわせな家
昨日は久々の出講日、帰り新宿でブックファーストに立ち寄り本書を求めた。
タイトルの「...妻と娘のしあわせな…」は何だか…と思っていたが、元のリソースが雑誌「ミセス」の連載コラムと聞けば…成程である。読んでみたいと思った理由は建築家自邸のその後…であるが…。思い起こしてみると、こうした住宅を扱うメディアも時代と共に変化している。70年代の代表は既に廃刊となっている鹿島出版の『都市住宅』だろう、その後、建築思潮研究所・編集の『住宅建築』、新建築の『住宅特集』と云った具合だが、それらのメディアが現れる前の代表として清家さんと菊竹さんの自邸が選ばれているのも興味深いが、逆に今でも使われ続けている住宅が少ないということの証だろう。この二点は『戦後日本住宅伝説ー挑発する家・内省する家』の16点にも含まれているが、清家さんの娘さんの話からは、「私の家」は実験と云うより物試しの場でもあったようだが、挑発する家・内省する家と云ったイメージは感じられない。
因みに表紙は可喜庵の『住まいの「内と外」』シリーズの永田昌民 講演会でスライドを拝見した自邸のアプローチである。
内容
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01:大らかに受入れる家「私の家」清家清・自邸
02:端正な空間と身体がよろこぶ気持良さ「自邸」槇文彦・自邸
03:そこは帰りたくなる場所「スカイハウス」菊竹清訓・自邸
04:都会の真ん中に建つ家族の長屋「塔の家」東孝光・自邸
05:道具のように、住みこなす家「チキンハウス」吉田研介・自邸
06:時が育てた実生の家「新座の家」益子義弘・自邸
07:蓄積が活きる、新たな暮らし「下里の家」永田昌民・自邸
08:あなたと暮らす、やさしい住まい「相模原の住宅」野沢正光・自邸
09:少年の夢が描いた大人の家「タンポポハウス」藤森照信・自邸
10:生命の循環を受入れる場所「住居鷂1 共生住居」内藤廣・自邸
11:わかりやすさと暮らす家「のこぎり屋根の家」手塚貴晴・由比・自邸
12:実験的な二拠点生活「房総の馬場家」馬場正尊・自邸
13:天地の恵を映す家「LOVE HOUSE」保坂猛・自邸
14:さまざまなくつろぎをくれる家「駒場の家」竹山実・自邸
15:家族の変化に挑むために「北嶺町の住宅」室伏次郎・自邸
16:非日常に暮らす奇想の家「クレバスの家」六角鬼丈・自邸
17:きらきらの夢の在り処「宇宙を望む家」椎名英三・自邸
18:箱から家へ育てる暮らし「箱の家」難波和彦・自邸
19:トンネルに箱ひとつだけの豊饒感「トンネル住居」横河健・自邸
20:自立した大人のプラットホーム「南麻布のリノベーション」北山恒・自邸
21:木と木の間に引かれた交差点「ZIG HOUSE/ZAG HOUSE」古谷誠章・自邸
22:てくてくと探し求めた暮らしの地「小日向の家」堀越英嗣・自邸
23:不思議な箱に広がる景色「KATA House」マニュエル・タルディッツ、加茂紀和子・自邸
24:改築を重ねて「家」になった建築「永福の住宅」堀場弘、工藤和美・自邸
25:ひとりひとりの活動を受入れる家「アシタノイエ」小泉雅生・自邸
26:ふるまいというデザインが握る鍵「ハウス&アトリエ・ワン」塚本由晴・自邸
27:コンテナにある「本当の生活」「神宮前の住宅」フィリックス・クラウス・自邸
28:家族を越えて、みんなで生きる「foo」松野勉・自邸
29:大家族が暮らした包容力「新逗子の家」長島孝一・自邸
30:日常の小さな夢と生きる家「松原の家」内藤恒方・自邸
31:ゴロンと寝そべる浜辺のように「町庭の家」片山和俊・自邸
32:次の暮らしに寄りそう家「重箱住居」黒川哲郎・自邸
33:限られた環境にこそ開いた魅力「国立の家」田中敏溥・自邸
34:試しながら住まう家「1×1/2×2」川島茂・自邸
35:閉ざす街へと広がる家「MUSAKO House」山中新太郎・自邸
36:やわらかく包まれたリノベーションの家「KCH」河内一泰・自邸
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初めて知った人の名や、伝説となった大家の自邸まで、盛沢山である。知っている人の自邸も数軒かあるが、やはり自邸はその建築家の「人となり」を表わしていると思われる。
私の嫌いな10の人びと (新潮文庫)
昨日午後、何気にテレビを付けリモコンでチャンネルをザッピングしていたら、「今でしょう!」の林先生が画面に現れた。何を話しているのかと耳を傾けたら、哲学者・中島義道についてだった。この林先生も予備校やトヨタのコマーシャルで観た時は『嫌な野郎だな…』と感じていたが、時折見せる素の部分は案外正直な男だと印象が違っていた。
中島義道を取り上げたのは『常識に逆らう力』を話したかったようだ。そういえば、中島義道の文庫本を持っていた筈と本棚を調べると、この本と日本人を<半分>降りるが出てきた。二冊とも、さっと目を通しただけで熟読はしていない。テレビの方も熟視せず10分程で消したが、私の観ていた部分はこの『私の嫌いな10の人びと』の第二章「常に感謝の気持を忘れない人」から「卒業生へのはなむけの言葉」であった。まぁ…エリート街道を真直歩んでいた林先生も「私の嫌いな10の人びと」に似たような上司や同僚を前にして挫折したのかも知れない。
そういえば、赤坂で事務所を始めた1980年代のこと、林先生と同じ東大法学部卒の新人・銀行員のI君が営業に来た。貧乏事務所なので定期預金も借り入れも出来ないが、雑談だけには応じた。ある時、六本木の酒場のカウンターで同席した同じ銀行の本店勤務の人に聞いたら、彼は幹部候補生で我々とは違うと言っていた。その後、I君とは道で会った時に挨拶と世間話をする程度だったが、お見合いで結婚することになりました。と云う世間話が最後だったと思う。現在、I君がどうなっているのか知る由もないが、彼は自分の中の、或るセンサーと回路を遮断して生きているのだろうと、会った時から感じていた。「無駄なことは考えない。」でなければ生きていけない、ということだろうか。
内容
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1:笑顔の絶えない人
2:常に感謝の気持ちを忘れない人
3:みんなの喜ぶ顔が見たい人
4:いつも前向きに生きている人
5:自分の仕事に「誇り」をもっている人
6:「けじめ」を大切にする人
7:喧嘩が起こるとすぐ止めようとする人
8:物事をはっきりと言わない人
9:「おれ、バカだから」と言う人
10:「わが人生に悔いはない」と思っている人
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「卒業生へのはなむけの言葉」と云えば、自分の高校の入学式と卒業式で、校長は同じ内容のことを二度しゃべっていた。卒業式で、それを聞いて、呆れて馬鹿馬鹿しくなったことだけは憶えている。
雄山閣出版の生活史叢書は全34巻発行されているらしいが、出版社に残っているのは第34巻と第11巻だけの様だ。と云うことで両国の旧国技館跡に『パイノパイ 添田知道を演歌する』を聴いてから、もう少し演歌師について詳しく知りたいと思いAmazonで古書の『演歌師の生活 (生活史叢書14)』を買ったのであるが、巻末の出版案内に並んでいる『生活史叢書』シリーズの「歴史の表面に現れない庶民の生活を主体に人間生活の実態を浮彫りとし歴史研究の隙間を埋める。」と云う主旨と「武士、忍者、てきや、やくざ、御目付、遊女、大奥、幕末志士、与力・同心・目明し、下級武士、町人、御家人、浅草オペラ、演歌師、廓、刀鍛冶、足軽、砲術家、行商人、流人、非人、落語家、包丁人、部落民、旅芝居、無宿人、金銀細工師、浪曲家、兵法者、たいこもち(幇間)、禅僧、江戸っ子」等々にフォーカスしたタイトルが興味深く、取り敢えず上記の古書も手に入れたのである。
岩波書店の8月14日の今日の名言はブレヒト『ガリレイの生涯』から
『科学の目的は、無限の英知への扉を開くことではなく、無限の誤謬にひとつの終止符を打ってゆくことだ。』
成程、腑に落ちる言葉である。ブレヒトについては無知同然で劇作家くらいの知識しか持ち合わせおらず、ブレヒトの代表作「三文オペラ」にしても音楽家・クルト・ワイル作曲による Mack the Knifeが最初で、その後ソニー・ロリンズがMack the KnifeをモダンジャズにアレンジしたMoritatを聴いて知ったくらいであり、クルト・ワイルが凄いと思ったのはそれから10年以上の歳月を要している。私としてはこのアルバムを再版してもらいたいと願うのである。
いけない、ブレヒトから脱線したが、こんな時代だからこそ『ガリレイの生涯』を読んでみようと思う。
東京人 8月号は特集『東京人的台湾散歩』だ。台北には1996年4月に行なわれたMacWorldを取材する目的で一度だけ行ったことがある。その紀行文の様なモノは台北蘋果紀行(Taipei Apple Tour)として当Blogを始めた当初にエントリーしてあるが、改めて台湾の知らない処が満載の東京人今月号に注目。そういえば、数年前に台北からの留学生R君に東京の印象を聞くと、バイクの数が少なくて驚いたと言う。彼はホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキと世界の名だたるバイクメーカーを有する国の道路には最新のバイクが溢れていると思ったようだ。そんな彼もバイクが犇めく台北の道路事情は...慣れないと怖いらしい。1996年当時と比べると台北世界貿易中心には台北101が建ち、あのバラックの不法建築だった円環も建替えられ、子供だったR君は90年代の円環のことは知らないと言う。(知ってたら逆に恐ろしいが...)
ストリートビューで投宿した緑峰大飯店の表玄関と緑峰大飯店の裏玄関を眺めると、随分とディープな台北の下町とわかる。ビニール傘を買ったコンビニではないよろず屋も健在のようだ。
台北の裏窓
深海魚・勝又進 著
東京人7月号の「特集・ガロとCOMの時代」を読んでいて気になった作家がいた。掲載作家のリストにはあったが、作品は紹介されておらず、無視されていたから余計に気になった。そういえば数年前に死亡記事を見たような気がしたので取り敢えずGoogleで検索してみた。勝又進が「ガロ」に描き始めた頃は確か未だ理系の大学院生か研究生か助手か何かだったと記憶していたが、大学院で原子核物理学を専攻していたとは知らなかった。最初は4コマ漫画が長くても8コマ位の短編しか描いていなかったが、後に民話の世界に着想を得た短編を書き始めたこと位までは知っていたが、30年前の1984年に福島第一原発を取材し原発で働く被爆労働者を扱った漫画を書いていたことは知らなかった。
本書は勝又進 の死の四年後に起きた3.11を踏まえて新たに編纂された遺作集である。腰巻きの勝又進の言葉。
Amazonから届いた本書を最後の解説まで読んでみて、何故「東京人」が勝又進を無視と云うか排除したのか、「東京人7月号」奥付の編集後記の文脈に隠されている様な気がしたが、考え過ぎだろうか。
本書を読んで初めて勝又進 の出自を知った。彼は戦時中、宮城県桃生郡河北町(現・石巻市)で私生児として生れ、幼くして実母を亡くしている。4コマ漫画には見られなかった勝又進の短編作品に通奏低音の様に流れる孤独感や疎外感の源流は其処にあったのかも知れない。純文学的な私小説的漫画表現から、民話に主題を求めたファンタジー、科学知識に基づいた児童向けの理科系の図書、反原発や冤罪をテーマにした作品と、その作品の幅は広かった。彼が生きていたら故郷を襲った津波被害や原発事故で棄民とされた寄る辺なき人々に寄り添った問題作を描いていただろう。
内容(掲載作品)
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・深海魚 (COMICバク 1984年12月)
・デビルフィッシュ(蛸)(季刊リトルボーイ 1989年4月)
・かっぱ郎 (ガロ増刊・勝又進特集 1969年10月)
・半兵衛 (ガロ 1973年8月)
・わら草紙 (ガロ 1970年5月)
・木の葉経 (ガロ 1970年11月)
・冬の虫 (COM 1971年3月)
・冬の海 (ガロ 1971年4月)
・春の霊 (ガロ 1972年3月)
・収録作品解題 斧田小
・解説 阿部幸弘
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青林工藝舎の深海魚・無料試し読み
関連
金平茂紀:勝又進「深海魚」のこと
闇に消される原発労働者
東京人7月号は丁度半世紀前の1964年に創刊された「月刊漫画・ガロ」と、その3年後に創刊された「月刊コミックマガジンCOM」の特集である。僕が未だ中学生の頃だったと思う、忍者武芸帳の白土三平が新しい雑誌に漫画を連載し始めたと云う話を耳にした。「月刊漫画・ガロ」にカムイ伝が創刊された年の12月号から連載された訳だから、多分、1964年12月から1965年3月の間だと思う、高尾に一軒だけあった本屋の小沢書店に兄と共に行ったのは。小沢書店の小父さんは「月刊漫画・ガロ」なんて雑誌があることを知らなかったので、店頭に置いてある筈もなく、月極めで注文し、毎月配達してくれることになった。「月刊コミックマガジンCOM」は誰かが買っていたので手塚治虫の火の鳥だけを見ていたが、雑誌としての記憶は希薄である。それに較べると「ガロ」の最初の10年間の中身は濃かった。毎号、問題作に溢れていた。まぁ、なんと云っても本号で川本三郎がインタビューしている「つげ義春」は「ガロ」に寄稿したのが僅か5年だけだが、作品は単行本や文庫本となり未だに売れ続けているし、本の体裁が変わったりすると、つい買ってしまうのである。
因みに特集記事とは離れるが、本号124頁には槇文彦氏による『これからの東京。その中で「新国立競技場」を考える』が八頁に亘って掲載されている。
特攻隊振武寮──証言:帰還兵は地獄を見た──
大貫 健一郎・渡辺 考 共著
本書は二本のテレビドキュメンタリー『ETV特集「許されなかった帰還〜福岡・陸軍振武寮〜」』と『NHKスペシャル「学徒兵 許されざる帰還〜陸軍特攻隊の悲劇〜」』の取材をベースに元陸軍少尉・大貫健一郎氏の証言と、その時代背景等を検証・解説する渡辺 考氏(NHKデレクター)によって一冊の書籍にまとめられたものである。本書の帯にも書かれているように歌手・大貫妙子さんは大貫健一郎氏の長女であり、本書の後書きは大貫妙子さんと渡辺 考氏の対談に換えられている。私が本書について知ったのも大貫妙子著『私の暮らしかた』からである。
元より整備状態も悪く機関砲も外され250kgの爆弾を抱え戦闘機の体を成していない隼に乗り、連合軍艦隊の位置情報も気象状況も与えられぬまま無謀な特攻出撃任務に就き、徳之島上空でグラマン機に迎撃され、オイルタンクを損傷した隼は墜落を辛くも免れ徳之島に不時着、機体を離れた直後にグラマン機の機銃掃射を受け隼は炎上、奇跡的に生き延びる。
振武寮に帰還すると上官から『なんで貴様ら、帰ってきたんだ。貴様らは人間のクズだ。』と罵倒の言葉。
『人間のクズ』この言葉、最近、何処かで聴いたことがあるなと思ったら、特攻隊を礼賛する映画の原作者で現首相のお友達で日本放送狂会の経営委員になった輩で、矢鱈と意図的に問題発言を繰り返す男が発した言葉と同じ。まぁ『人でなし』に『人間のクズ』と言われても、まだ『人間だもの』….『人でなし』よりマシだ…。
軍需工場の現場責任者だった私の父は徴兵されることはなかったが、度々、深夜うめき声を上げ、脂汗をかき目が覚めることがあった。呑気そうに見えた近所の小父さんも、同じように悪夢で魘されていたようで、他の人に聞いてみても、我々の父の世代、戦地に行った者も、内地に居た者も、戦争体験者は悪夢で魘されることが多い。忘れたいけど、忘れられない。悲惨な体験をした人ほど戦争体験を封印してしまうことが多い中、自己の体験を語り継ぐことの勇気は尊い。
『喜び勇んで笑顔で出撃したなんて真っ赤な嘘。特攻隊の精神こそが戦後日本の隆盛の原動力だ、なんて言う馬鹿なやつがいますが、そういう発言を聞くとはらわたがちぎれる思いがします。陸海軍合わせておよそ4000人の特攻パイロットが死んでいますが、私に言わせれば無駄死にです。特攻は外道の作戦なのです。
言い尽くせない思いがあります。我々は普通の若者だったし、みないろんな夢を持ってました。あの時代にぶちあたって運が悪かったと思うことや、青春を謳歌しているいまの若者たちを見てうらやましく思うことがあります。でもいまの若者も不幸にして戦争に直面すればやむをえず特攻隊員になってしまうかもしれない。そんな時代が二度とやってこないようにするためにも、私は自分が見た悲惨をしっかりと後世に語り継ぎたいのです。
特攻に対しては、いろんな考え方があるでしょうけれど、帰するところは、あんな無茶な作戦二度とごめんだということ。これは生き残った者、死んだ者、みんな同じ思いだと思いますよ。戦後六〇年、特攻のことをひとときだって私は忘れていません。』
第一章「特殊任務を熱望する」
特別操縦見習士官
大刀洗から北支、そして明野へ
敵を殲滅する任務
フィリピンに散った仲間たち
〈解説〉
太平洋戦争と特攻作戦
陸軍は大陸、海軍は太平洋/絶対国防圏の危機/
マリアナの七面鳥撃ち/跳飛爆撃/台湾沖航空戦/
神風特別攻撃隊/「万朶隊」と「富嶽隊」/
学徒パイロットたちの「大戦果」/
フィリピン戦線からの敗退
第二章 第二二振武隊
黒マフラーの飛行隊
任務は本土防衛
初めて気づいた特攻の困難
知覧へ
〈解説〉
沖縄戦前夜
驚愕の「ウルトラ文書」/張り巡らされたレーダー網/
駆逐艦ラッフェイ号/六〇冊の「菅原軍司令官日記」/
「天号作戦」と「決号作戦」/沖縄戦準備の混乱/
焦燥の菅原中将
第三章 知覧
菅原中将との再会
エンジントラブル
仲間たちの出撃
夢か現実か
「困難を排し突入するのみ」
〈解説〉
陸海軍の不協和音
アメリカ軍の沖縄上陸/海軍主導の特攻作戦
第四章 友は死に、自らは生き残った
再出撃
グラマン機との遭遇
徳之島での再開
喜界島の困窮生活
内地への生還
〈解説〉
陸軍第六航空軍司令官の絶望
菅原中将の嘆き/義烈空挺隊
第五章 振武寮
「死んだ仲間に恥ずかしくないのか」
台中に届いた戦死公報
倉澤参謀への反発
本土決戦への特攻要員
〈解説〉
軍神たちの運命
靖部隊編成表/倉澤参謀最後の証言/沖縄決戦から本土防衛へ
第六章 敗戦、そして慰霊の旅
菰野陸軍飛行基地
八月十五日
新橋マーケットの「用心棒」
母の死から始まった私の戦後
「特操一期生会名簿」
仲間たちの墓参
なぜ俺だけが
〈解説〉
上官たちの戦後
「父は自決すべきでした」/いつも拳銃を携行していた倉澤参謀
終章 知覧再訪
あとがきにかえて
主要参考文献
謝辞
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『音楽で世界が平和になるとは思ってないし、そんなに甘いものではないとわかっています。でも、音楽は時代を映す鏡だと思うし、過去においてもすべての芸術がそうだったように、音楽家には表現することの自由が与えられています。マスという顔の見えないところに向かって歌うのではなく、身近な人へのメッセージこそが、まっすぐに届く言葉であり共感へと結びついていくはずです。そういう姿勢は、これからも貫いていきたいですね。』
新潮社の季刊誌『考える人』2006年冬号から2013年夏号まで、8年に亘って連載されたエッセー「私の暮らしかた」が一冊となり、デビュー40周年の区切りでもある昨年秋に出版された。
『私の暮らしかた』は新潮社の「考える人・編集長」だった松家仁之氏に背中を押されて始めた連載であったようだ。2006年冬号の「新連載の紹介」の最後に『…人生というものは、日々の暮らしの積み重ねでしかないということを、あらためて気づかせてくれる大貫さんならではのエッセイ…』とあるが…それは大貫妙子の音楽家としての40年の活動にも共通するものがあるようだ。
東京生まれの著者が葉山に家を建て、両親と共に暮らし、その両親を看取る、その日常の繰り返しと四季の移り変り...その暮らしの中で見たもの、感じたことがエッセーに綴られているのだが、中々どうして筆舌は鋭いものがある。2006年に書かれた「守宮といつまでも」ではプルサーマルに『なぜそこまでして、命の危険を脅かすものを造り続けるのだろう。』と言及し、人の社会を、何本もの紐が絡まりあいコブをつくっている状態に喩え、『頑なまでにかたまったコブを誰かが緩めるのは容易なことではない。自らが緩んで、爪の入る隙間をつくってくれたなら解けるきっかけになろうというものだけれど。』と結んでいる。ん〜…東京電力のTVCMでプルサーマルの旗振り役をしていた早稲田の某名誉教授に読ませたい。
内容
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田植えとおしくらまんじゅう
十八年目のただいま
守宮といつまでも
暗闇のなかの対話
ナマケモノを見に行く
歌う私、歌わない時間
地球は誰のものでもない
二十年ぶりの買い物
楽しいこと嬉しいこと
空蝉の夏
天の川
ぎんちゃん
御蔵島にて
親と歩く
猫の失踪
庭とのつながり
ともに食べる喜び
ツアーの日々
贈りもの
東北の森へ
向こう三軒両隣
お母さん、さようなら
ノラと私のひとりの家
迎えて、送る
高野山で歌う
春を待つ
荷物をおろして
あとがき
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関連
東京日和
パンとスープとネコ日和
今年3月5日と6日に上智大学で行なわれたノーム・チョムスキーの講演会を共催した岩波書店の月刊誌・世界6月号にノーム・チョムスキーのインタビュー記事『「ほんとうの自由」のために闘う』(聞き手= 堤 未果)が掲載されていた。講演会があることは知っていたが行けなかったので、3月6日の講演「資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか」に近い内容と思われる記事が掲載された本誌を購入した。
インタビューの見出しを見ると情報操作の最たる『合意の捏造』に始まり『新自由主義と強大化する企業の力』『あらゆる分野を覆う民営化という危機』『企業の規制は可能か』『企業によって運営される国』『TPP=投資家の権利条約』と続き、エピローグの『自由のための闘い』は諦めずに、暴走化する『コーポラティズム(政府と企業の癒着主義)』に警鐘を鳴らしている。完全なる米国の属国化を目指しているとしか思えない安倍内閣の政策によって『コーポラティズム』の主役は原子力村に代表される官僚主義と独占企業から米政府と多国籍企業に取って代わるのだろうか。
『合意の捏造』からトピックを一つ紹介すると...
思想を弾圧するに武力は必要ない。「優れた教育」で権力に隷属するように刷りこみ、精神と思考をコントロールすれば良い。知的エリートと呼ばれる高学歴層の人ほどその傾向は高く、高学歴層になれても「刷りこみテスト」に合格しなければ社会的影響力のある「知識層」からはじかれると…それが米国の現状らしい。何のことはない東大話法と立場主義に汚染された我国の学者や官僚と大差ないではないか。
最後から二番目の『TPP=投資家の権利条約』では...
『…..テレビの広告が作り出そうとしているのは、情報を与えられず不合理な選択をする大量の消費者です。広告産業の目的は市場の破壊なのです。』
米国と英国で広告産業が発達したのは民衆を力ずくで制御するのが困難なことに気付き、そうした中から巨大な広告産業が生れ、『その使命は人々の態度や意見を操作すること。当時はそれを素直にプロパガンダと呼んでいました。今では「マーケティング業界」と名を変えて、経済の1/6を占める業界に成長しています。そこには広告やパッケージなど、人々の判断を惑わせるためのありとあらゆる発明が含まれます。』と...
問題となっている新国立競技場も広告産業の主導による神宮外苑「1兆円再開発」がそのベースにある、まるでコーポラティズム暴走の見本の様な話ではないか。ザハを選んだ先生方が立場主義の弁明に終始する様は…笑うに笑えないカリカチュアそのものだ。
the CORPORATION
知の逆転
チョムスキー9.11 Power and terror
考証要集
秘伝! NHK時代考証資料 (文春文庫)
腰巻きには『あなたの歴史力、ぐ〜んとアップ! NHK制作現場から生れた、いまだかってない時代考証事典』と書いてあるが、事典だと思って、疑問に思う言葉を調べようとすると『なぁ〜んだ。出てない』とがっかりするかも知れない。本書はあくまでもドラマ制作現場の『時代考証資料』であって『事典』でも『大全』でもない。従って大河ドラマ等に関する時代考証の範囲はフォローされているかも知れないが、古典落語に出てくるような言葉はフォローされてなかったりする。
それでも、気になる言葉が、漢語なのか和語なのか、明治以降の翻訳語なのか、何時頃から使われるようになったのかとか…ちょっとした話のネタにはなるかもしれないが、過度の期待は禁物である。
因みに一例を挙げると…
浜松【はままつ】浜松は遠江にある。駿河ではない。
北斎漫画―初摺・小学館発行
五月の連休中に放送された日曜美術館・「世界を驚かせた北斎漫画」はスタジオからの放送はなく、従って男性MCのどうでもよい個人的感想もなく、ナレーションによる押しつけがましい作品解釈も少なく、久しぶりに愉しめる内容だった。
そういえば、ん十年も昔から「北斎漫画」の紹介記事やダイジェスト版は見たりしているが、全巻全てを見たことはなかった。Amazonで検索すると本書がリストアップされた。どうやら初摺版を十五巻まとめて一冊に編集したもののようだ。値段は少々張るが「残部僅か」という消費者心理を突く文言に動かされポチってしまった。と云うことで本日注文から12日程で届けられた。奥付まで932頁にケースを入れて1880gと百科事典並の重量級だ。と云うか、幕末期を俯瞰する絵で見る百科事典と言えなくもない。成程、Amazonのカスタマーレビューの押し並べて五つ星に納得である。
因みに株式会社ブックモールジャパンからiPadApp向けに五巻毎に纏められた北斎漫画 1-HDが1〜3までリリースされているが、何処かスキャニングの甘さが少々気になる。
ぼくは高尾山の森林保護員
宮入芳雄 (著)こぶし書房 (2014/2/25)
先日、市ケ谷見付から江戸湾・お台場周辺まで出掛けた帰り、高尾駅南口の啓文堂書店に立ち寄ると、本書が平積みにされていた。いつもなら一瞥するか、手に取りパラパラと頁を捲り、元に戻すのだが、珍しくそのままレジに持って行った。外連味も作為も感じられない体裁と、飾り気の無い正直で読みやすい文章に共感を憶えたからである。
都内から転校してきた小学二年から中学三年まで地元の公立校に通っていたので、秋の遠足と云えば高尾山周辺を学年に応じたコースで歩かされるのが定番であった。それに子供の頃は山の中も遊び場だったから道なき山を分け入ることや、沢に降りてサワガニを捕ったり、自生の栗や柿やアケビやキイチゴを採集したりもしたが、地元で生まれ育った農家の子が持っている動植物に対する知識にはとても敵わなかった。頁を捲ると、そうした昔を思い出し「そうそう」「そうだったのか」「へぇ〜」と知っていることよりも、知らないことが多いと、今さらながら思うのである。
内容
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はじめに
春 ----------------------------------------------------
春を告げる花々/芽吹きの山/高尾山のスミレ/高尾山のブナ/蛙合戦/タゴガエル/
異形のビーナス/ジャケツイバラ/立ち入り禁止の植物/境界線と林班図/
森の中の信号 不思議な建物/ヤマガラを野鳥に戻そう/ホウチャクチゴユリ/
イヌブナの実生/高尾山山頂の賑わい/エビネの群落/ヤマシャクヤク/高尾山野観察路/
江川杉/ミミガタテンナンショウ/霧の森
夏 ----------------------------------------------------
夏の花々/キヨスミウツボ/捨てられたウサギ/イノシシ/山ガール/オオムラサキ/
高尾山の動物事情/不思議なアジサイ/ランの季節/クガビル/薬王院/飯綱権現/地衣類/
森の中の結婚式/冬虫夏草/ゲリラ豪雨/他人になりすますアゲハモドキ/石清水/
よく見るとカワイイ?小型のヘビ/忘れられた場所
秋 ----------------------------------------------------
秋の花々/麦蒔きイチョウ/スズメバチ/タカオヒゴタイ/黄葉/キノコ/妖しい八王子城山/
幻の滝 青龍寺滝/キジョランの実の中から/ブナの結実調査/アサギマダラ/
高尾山ケーブルカー/奇妙な虫たち/サルの食事/秋の実/八十八大師巡り/
冬 ----------------------------------------------------
元旦/シモバシラ/ムササビの食痕/国有林の間伐/キジョランとテイカカズラの綿毛/
冬芽と葉痕/スギ花粉/林道歩き/リスの食べ方、ネズミの食べ方/高尾山から見える山と海/
雪景色/動物たちの足跡/他人の家で越冬するフクラスズメ/高尾山の救助態勢/
ダイヤモンド富士
昼寝の話---あとがきにかえて
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因みに著者の宮入芳雄氏の前歴はカメラマン(今もそうかも知れないが)、広告業界をフィールドにして「モノ撮り」をしていたらしい。そういう業界を知っているから、逆に外連味のない編集を心掛けたのかも知れない。
昨日(2013/09/14)の東京新聞・特報面に『無料の電子図書館・世話人の遺志守れ「青空文庫」基金創設へ』と題したコラムが掲載された。先月16日に亡くなった青空文庫世話人・富田倫生氏の遺志を引き継ぎ、共に青空文庫開設に尽力した八巻美恵さんらが基金創設に動き出したそうだ。数年前まで僕は八巻さんの事は知らなかったが音楽家・高橋悠治氏の水牛から八巻さんの個人的Blog「水牛だより」を読むようになり、そこで片岡 義男氏の著作を青空文庫で公開することを知り3年前に『i文庫で片岡 義男』をエントリーしていたが、八巻さんが青空文庫開設メンバーとは知らなかった。Facebookには8/17に氏の著作・青空文庫版「本の未来」等をシェアしていたが、Blogに書く機会を逸していた。こうした対価だけを求めない人々の個人的な意志に基づく行動に未来を託したい想いがする。華氏451の様な世界が訪れないためにも...
富田倫生追悼イベントと「本の未来基金」創設のお知らせ
関連サイト
富田倫生のページ
短く語る『本の未来』
マガジン航
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青空文庫・薮の中
i文庫
世界は「使われなかった人生」であふれてる
沢木耕太郎・著(暮しの手帖社・刊 2001.11)
世界は「使われなかった人生」であふれている (幻冬舎文庫)
本書をいつ買ったのか憶えてないほど、読む切っ掛けもないまま、本棚で眠っていた本である。本棚から探して読もうと思った動機付けはNHK スペシャルの「沢木耕太郎推理ドキュメント運命の一枚”戦場”写真最大の謎に挑む」と日曜美術館「ふたりのキャパ」を連続して見て、そういえば『世界は「使われなかった人生」であふれてる』を持っていたことを思い出したのだ。沢木耕太郎が架空の人物名であるロバート・キャパに隠された男と女の人生に興味を抱くのも至極当然な様に思える。
巻頭の書名に使われたエッセーは映画評論家・淀川長治との対談のこんなエピソードから始まる。『...無礼を承知でこんなことを訊ねた。「淀川さんから映画を引いたら何が残るのですか、」と。すると、淀川さんは、「あんたはやさしい顔をしてずいぶん残酷な質問をするね、」と笑いながらこう答えてくれた。「わたしから映画を引いたら、教師になりたかった、という夢が残るかな」...』...別な対談で吉永小百合さんは「もし、女優になっていなかったらどんな職業についていたと思いますか。」の問いに対し、すこし考え、こう答えた「学校の先生でしょうか。」
『どんな人生にも、分岐点となるような出来事がある。.....中略....いずれにしても、そのとき、あちらの道でなく、こちらの道を選んだのでいまの自分があるというような決定的な出来事が存在する。』.....この文章を読んで或るJazzのレコードジャケットを思い出した。それは1967年のKeith Jarrettの初めてのリーダーアルバムだ。この"Life Between the Exit Signs"と云うアルバムタイトルには「人生の二つの扉」という邦題が付けられていた。サイドメンにはCharlie Haden (b)、Paul Motian (ds)、二人ともオーネット・コールマンの影響を受けたフリージャズの人だ。それまでKeithが属したCharles Lloydのグループとは方向性の異なるメンバーである。Keithは自分にとっても人生の分岐点になるアルバムに"Life Between the Exit Signs"と名付けたのである。
『一見、「使われなかった人生」は「ありえたかもしれない人生」と良く似ているように思える。しかし、「使われなかった人生」と「ありえたかもしれない人生」との間には微妙な違いがある。「ありえたかもしれない人生」には手の届かない、だから夢を見るしかない遠さがあるが、「使われなかった人生」には、具体的な可能性があったと思われる。』
本書は俗に云う映画評論集と云うべきものではなく、一つの映画をモチーフにしたエッセーを30集めたエッセー集だ。従って、各エッセーのタイトルには映画タイトルは使用されてない。暮しの手帖に連載されていたと云うのも頷ける。
目次
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・世界は「使われなかった人生」であふれてる
・出発するための裏切り(マダム・スザーツカ)
・薄暮の虚無(偶然の旅行者)
・にもかかわらず、よし(マイライフ・アズ・ア・ドッグ)
・飛び立つ鳩を見送って(日の名残り)iTunesStore・日の名残り
・天使が砂漠に舞い降りた(バグダッド・カフェ)
・焼き払え!(シルビーの帰郷)
・最後まで降りられない(スピード)
・官能的にしてイノセント(髪結いの亭主)
・不可視の街で(タクシー・ブルース)
・敗残の可能性(黄昏に燃えて)
・海を待ちながら(フィッシャー・キング)iTunesStore・フィッシャー・キング
・郷愁としての生(恋恋風塵)
・もう終りなのかもしれない...(許されざる者)iTunesStore・許されざる者
・行くところまで行くのだ(人生は琴の弦のように)
・悲痛な出来事(オリヴィエ オリヴィエ)
・プレスリーがやって来た(グレイスランド)
・水と緑と光と(青いパパイヤの香り)
・滅びゆくものへの眼差し(ダンス・ウィズ・ウルブズ)
・貧しさと高貴さと(運動靴と赤い金魚)iTunesStore・運動靴と赤い金魚
・切れた絆(フォーリング・ダウン)iTunesStore・フォーリング・ダウン
・老いを生きる(春にして君を想う)
・新しい世界、新しい楽しみ(ムトゥ 踊るマハラジャ)
・わからないということに耐えて(17歳のカルテ)iTunesStore・17歳のカルテ
・男と女が出会うまで(ワンダーランド駅で)iTunesStore・ワンダーランド駅で
・ひとりひとりを繋ぐもの(ローサのぬくもり)
・煩悩に沈黙が応える(フェイク)iTunesStore・フェイク
・笑い方のレッスン(八日目)iTunesStore・八日目
・夢に殉じる(ペイ・フォワード 可能の王国)
・父に焦がれて(セントラル・ステーション)
・神と人間(トゥルーマン・ショー)iTunesStore・トゥルーマン・ショー
・そこには銀の街につづく細い道があった
あとがきー心地よい眠りのあとで
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(エッセーのタイトルには映画名は記されていないが、参考の為、映画タイトルと映画案内のリンクを追加)
この30作品の内、10作品はiTunesStoreからレンタル可能である。因みに30作品の内、私が観たのは3作品だけ。う〜む...
パンとスープとネコ日和
群 ようこ ・著 (ハルキ文庫 む 2-4)
群 ようこの文章を読んだのは群 ようこが本の雑誌社・社員第1号時代に未だ季刊誌だった「本の雑誌」に定期掲載されていたエッセーだと思う。「本の雑誌」は四谷にあった文鳥堂書店に置いてあったバックナンバーで創刊四号くらいから読み始めたと思うが、季刊誌から隔月刊、月刊となる頃には何処の本屋でも置くようになり、そのうち本屋でパラパラと立ち読みで済ますようになった。「かもめ食堂」はレンタルDVDで見ただけで小説は読んでない。群ようこの小説を読むのはこれが初めてだ。
本書を読む気になったのは、何気に訪れた歌手・大貫妙子のオフィシャルサイトに主題歌を担当したドラマの放送案内を見て「かもめ食堂」や「めがね」のキャストやスタッフと共通する面子が揃っていた。放送は終わっているし、第一WOWOWを見られる環境にはない。iTunesStoreで検索すると「パンとスープとネコ日和 オリジナル・サウンドトラック」がリストアップされた。次にAmazonで検索するとハルキ文庫にあるようなので、買い物ついでにくまざわ書店に寄ってみた。角川文庫に較べるとハルキ文庫は弱小なので文庫本書棚の分類案内にもなく、探すのに一苦労したが、隅っこに二冊並んで置いてあった。
最近読んだ小説は青空文庫で堀辰雄の「風立ちぬ」である。主な登場人物が主人公と許婚・節子とその父の三人だけと云う極端な人物設定は煩わしい人間関係を排除しているように思えた。許婚・節子の母親について何も語られていないのは...やはり男の書いた観念的な恋愛小説だからであろう。「パンとスープとネコ日和」には堀辰雄が排除した煩わしい人間関係がてんこ盛りであるが、群ようこの人間観察眼によって可笑しみに変換されている。作者の人間観察眼はタモリやイッセー尾形、いや女性芸人の清水ミチコや友近に共通するものがありそうだ。此のような細かい人物描写は女性にしか書けそうにもない。話の内容は省くが、主人公・アキコを手伝うことになるしまちゃんをプロゴルファーの不動裕理に似ていると喩え、『ちゃらちゃらしておらず無口なお地蔵さんといった雰囲気が似ている。』には、しまちゃんの登場場面に不動裕理のイメージが付いて離れなくなった。読み終わってからドラマのキャスティングをWOWOW・パンとスープとネコ日和で確認すると...イメージが大きくかけ離れていた。昔、務めていた事務所のボスである高木さんに「子供が犬を飼いたい。と言ってるんだけど、どうしようか迷っている。」と聞かれたことがあった。その時、生意気にも私は『動物は寿命が短いから、必ずペットの死を看取る時が訪れます。それは子供の心の成長にとって掛け替えのない出来事になる筈です。』と...若気の至り...満載の発言をした憶えがある。ネコ日和も飼猫「たろ」の突然の死によってペットロスになるが...その後は小説でお確かめを...まぁ猫好きの人にはハンカチよりもタオルを用意したほうが賢明かも。
水の都市 江戸・東京
陣内 秀信+法政大学陣内研究室 編
講談社・刊
「江戸・東京」学の真打登場である。前作の三浦展氏とのコラボレーション企画「中央線がなかったら 見えてくる東京の古層」が江戸・東京の西半分の武蔵野台地に重点を置いているとすれば、水の都市のタイトル通り本書は江戸・東京の東半分に重点が置かれていて西半分の「郊外・田園」は頁数全体の二割程度である。講談社の内容紹介によると『都心や下町の川・壕・運河がめぐる「水の都」、ローマと同じ7つの丘からなる「田園都市」山の手、漁師町・産業基地・リゾート空間が重層する東京湾、武蔵野・多摩の湧水・用水が織りなす「水の郷」と、世界に類を見ない多種多様な水辺空間をもつ東京。水都学を提唱する斯界の第一人者が、30数年におよぶフィールドワークを集大成。』とある。水との関わりを通し生活者の視点から江戸・東京の歴史と現在を展望している本である。
建築家・槇文彦氏が著書「漂うモダニズム」で『...現代は極めてエキサイティングな時代なのだ。ここでも新しい建築評論のあり方が問われているのだ。大海原には多様な価値軸、時間軸が浮遊している。比較文化人類学者のまなざしが求められているのかもしれない。』と結んでいる。
陣内氏の提唱している空間人類学は地道なフィールドワークを通した建築サイドからの試みの一つであろう。都市や建築の空間の豊かさはこうした地道な積み重ねの中からしか生れないだろう。
目次
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序章「水の都市」 東京の読み方、歩き方
第1章 都心部
・江戸城と内濠・外濠
〈東京の地形はどのようにしてできたか?〉
・隅田川
・日本橋川
・神田川
〈柳橋と川文化〉
〈川沿いに魅せられた市民ランナーたち〉
第2章 江東・墨田
・北十間川
・小名木川
・横十間川
・旧中川
・仙台堀川
・大横川
第3章 港南臨海部
・東京湾
・佃
・品川
・羽田
〈お台場は日本でも有数の観光地になった〉
第四章 郊外・田園
・玉川上水
・目黒川
・善福寺川
〈武蔵野三大湧水池のひとつ善福寺池〉
〈多摩川の漁業協同組合の活動〉
・野川
〈「お鷹の道」と「史跡の駅、おたカフェ」〉
〈野川の再生活動〜水辺の空間を市民の手に〜〉
・多摩川
・府中
・日野
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追記:第1章のコラム〈東京の地形はどのようにしてできたか?〉では縄文海進期の海水位を7〜8mと定説通り、飛躍文化人類学読本「アースダイバー」の様に縄文海進期と下末吉海進期をごちゃまぜにするような愚は犯してない。(参考:東京の凸凹地図)
余談:そういえば、20年以上前、JIA主催のエクスカーションで隅田川を川下りしたとき、船上で古山クンが近くに居た陣内氏に佃の住吉神社の神輿は今でも海に入るのかどうか質問していたと記憶している。因みにその答えは...本書159頁に記されている。
知の逆転 (NHK出版新書 395)
NHK-ETVで7月12日と19日の二回に亘って放送された「世界の叡智(えいち)6人が語る 未来への提言」の底本となったインタビュー集である。何故かNHKのサイトから番組情報にはアクセス出来ず、Googleからアクセスできるが、再放送の予定もなく、オンデマンドにもアップされてない。かろうじて残っている番組情報も放送終了後一月で消去されることから、現在の処、このNHK出版新書がインタビュー内容を知る唯一の情報源となる。
本書で紹介されている6人の中で著作物を読んだ事があるのはチョムスキーとミンスキーだけ、映画『レナードの朝』は見ていたが原作者のオリバー・サックスについては知らなかった。同様にアカマイの共同設立者の名前も初耳、DNA二重らせん構造の発見者にノーベル賞を与えられているのは知ってるが、その受賞者の名前までは記憶してない。周辺情報もなく初めて、その名前を知ったのがジャレド・ダイアモンド。彼の言う処の「文明が崩壊する5つの要素」は今日の日本国に全て当てはまるのだが、彼が核抑止力と原発を容認している処は解せない。彼にに較べるとチョムスキーはブレてない、私が疑念を抱いている世界情勢等を実に明晰に分析している。ETVの放送から一週間後の7月25日のGoogleのトップ画面を飾ったロザリンド・フランクリンを『彼女はノーベル賞に値しない。』と切り捨てるジェームス・ワトソンの「個人を尊重する」は名誉と利益を独占する勝者に対しての意味であり協力者の存在は無視すべきものであるらしく、米国が目論むヒトゲノムの知的所有権の支配独占と一致する考えだ。ワトソンは人種差別的な発言で問題を起こすこともあるようで....なんだか。
奥付のコピーライトにはインタビュアーと編者の他に5名の名前が記されているが、ノーム・チョムスキーだけは別に奥付の前頁にコピーライトが記されている。それだけ自分の発言が正しく伝えられているかチェックしているのだろう。
第1章:文明の崩壊 ジャレド・ダイアモンド
・『銃・病原菌・鉄』から『文明の崩壊』へ
・第三のチンパンジー
・セックスはなぜ楽しいか?
・宗教について、人生の意味について
・教育の将来
第2章:帝国主義の終り ノーム・チョムスキー
・資本主義の将来は?
・権力とプロパガンダ
・インターネットは新しい民主主義を生み出すか
・科学は宗教に代わりうるか
・理想的な教育とは?
・言語が先か音楽が先か
第3章:柔らかな脳 オリバー・サックス
・なぜ『個人物語』が重要なのか
・音楽の力
・人間に特有の能力について
・生れか育ちか?遺伝子か教育か?
・宗教と幻覚の関係
・インターネットが脳に与える影響
第4章:なぜ福島にロボットを送れなかったか マービン・ミンスキー
・人工知能分野の『失われた30年』
・社会は集合知能へと向かうのか
・『エモーション・マシン』としての人間
第5章:サイバー戦線異状あり トム・レイトン
・インターネット社会のインフラを支える会社
・サイバーワールドの光と影
・アカマイ設立秘話
・大学の研究と産業の新たな関係
・教育は将来、どう変わってゆくのか
第6章:人間はロジックより感情に支配される ジェームス・ワトソン
・科学研究の将来
・個人を尊重するということについて
・真実を求めて
・教育の基本は『事実に基づいて考える』ということ
・二重らせん物語
・尊厳死について
参考---------------------------------------------------------------------------------------
松岡正剛の千夜千冊・ジャレド・ダイアモンド:銃・病原菌・鉄
ほぼ日刊イトイ新聞対談:ジャレド・ダイアモンド×糸井重里
松岡正剛の千夜千冊・ノーム・チョムスキー:アメリカの「人道的」軍事主義
松岡正剛の千夜千冊・オリヴァー・サックス:タングステンおじさん
TED・オリバー・サックス: 幻覚が解き明かす人間のマインド(日本語字幕付)
松岡正剛の千夜千冊・マーヴィン・ミンスキー:心の社会
命を救った道具たち:高橋 大輔・著
この著者に対する知識は一切持ち合わせていなかったが東京人 8月号掲載のエッセイスト・平松洋子による書評を読み、ついAmazonでポチってしまった。恐らく藤原新也の「人間は犬に食われるほど自由だ」と云う言葉が何処かに引っ掛かっていて、本書「腰巻き」にも書かれているサハラ砂漠で野犬に囲まれた時のエピソードに反応したのだと思う。本書は45の道具とそれに纏るエピソードが綴られている。紹介されている45のアイテムは、ミニマグライト2AA、ジッポーライター、ジップロックフリーザーバック、イリジウム衛星携帯電話、又鬼山刀、フィルソンウールパッカードコート、モレスキン、ダナーライト、ロレックスエクスプローラ、釘、スキットル、ナイジェル・ケイボーン、ピュア、スントMC-2G、外国語の辞書、ガスマスクバックMkVII、1ファージング銅貨、エスビット ポケットストーブ ミリタリー、シャワーキャップ、『ナショナル ジオグラフィック』、ライカM9、銀座梅林の箸袋、温度計、ウィリス&ガイガー、地球儀1745、ソニー短波ラジオ、ボウタイ、ファイヤー・アイロン、ぺんてるマルチ8、タスコ#516、巻き尺、オスプレイ ソージョン28、パンダナ、シエラカップ、ケフィイエ、リライアンス、GPS受信機、アネロン、探検のガイドブック、モスキートネット、ブライトリング エマジェンシー、パックセーフ カバーセーフ100、スイススパイス、壊れた羅針盤、探検旗である。直ぐに言葉からイメージできる物から、何のことか分からない物まで多種多様である。
誌面構成は一つのアイテムで見開きの四頁を使用、最初の見開きは右頁にタイトルと本文、左頁には、そのアイテムのカラー写真をレイアウトしている。次の見開きの右頁に本文とそのアイテムを使用した場所を世界地図にプロット、左頁にはエピソードに関する写真と本文がレイアウトされている。何れのアイテムも著者自身の失敗を含む体験に基づいて選ばれている。この頁の写真はサブマリンパンツとフライトパンツだ。海深く潜る潜水艦の乗員の為に作られた作業着と、空を飛ぶ飛行機のコクピットに身体を固定した乗員の為の作業着、どちらも自由の利かない姿勢でも使いやすい位置にあるポケットがミソである。
何れのアイテムもブランドやネームバリューやカタログスペックを基準に選ばれたものではなく、自身が単独で冒険旅行する際に身に付け、その道具と共に生還できた物である。中には「銀座梅林の箸袋」や「1ファージング銅貨」とかジンクス担ぎのお守りも含まれているのも一つのリアリティかも...、そして必ずしもモノ本来の用途や機能にこだわらない事例も多くあり、逆境で生き残るには知識だけでは無理、知恵と機転が必要と云う事だろう。
3.11以後、矢鱈と「安全・安心」が叫ばれているが、そんなものは神話にしか過ぎないこと3.11で思い知った筈なのに、政界、経済界、報道を含め、懲りない輩が多すぎる。
現実と虚構の見分けが付かない所為か、近頃、携帯を見ながらチャリを漕いでる輩や、駅のプラットホーム際を歩いている輩など、サバイバル意識ゼロの人間が老若男女合わせて矢鱈と増殖している。兎も角、自分の命は自分で守らなければいけないと肝に銘じる次第である。
昨日発売の東京人の8月号・特集「東京の古道を歩く」は久々に充実した内容で買いである。最近、地図系特集記事の内容が矢鱈と凸凹地図ばかりで些か食傷気味であったが、今回の巻頭特集「キーワードで探す古道五選」は明治時代と現代の地形図を比較した図版が見やすく判りやすい。それもその筈で、嘗てMac系の雑誌でビギナー向けの記事を多く書いていた荻窪圭氏によるものだ。因みに荻窪氏は先々月も、タモリ倶楽部の「千年前のロードマップ奈良・平安時代の東京古道を行く!」に出演、タモリ相手に品川道について蘊蓄を語っていた。
之潮の芳賀さんは『江戸城内を貫く鎌倉道の記憶』と『道の権力論 「まっすぐ道」が「ミ・チ」の起源』を寄稿。そういえば「土地の文明 地形とデータで日本の都市の謎を解く」の著者は尾根道に繋がる半蔵門を江戸城の正門と読み解いていたが...。
八王子界隈では浜街道(絹の道)が紹介されているが、どうやら武蔵國と相模國を結ぶ七国峠の鎌倉道は忘れられた古道の様である。
「戦後腹ぺこ時代のシャッター音」と「復刻版 岩波写真文庫・赤瀬川原平セレクション」は6年前に手を入れたが、岩波写真文庫の全容を見る良い機会なので、昨日午後、岩波写真文庫の写真原版も展示されている「岩波書店創業百年記念展〈岩波写真文庫〉とその時代」を銀座AppleStoreと道路を挟んだ銀座通り並びにある教文館で見てきた。1950年代に刊行された岩波写真文庫の新風土記シリーズ等はNHKの新日本紀行シリーズに影響を与えているなぁ....と思えたりとか。復刻はされていないが海外ロケによる「アメリカ人」と「アメリカ」も...ベトナムや東西冷戦や公民権運動で疲弊する前の...米国の良き一面が見られるが...果たして敗戦国の取材人が自由に動き回れたかは...どうなのだろう。とか...色々と考えさせられる展示でもある。
漂うモダニズム
1992年に筑摩書房より出版された「記憶の形象―都市と建築との間で」から20年を経て出版されたエッセー集である。今回は新進の出版社・左右社からの刊行だが、装幀とカバー写真は前作と同じ矢萩喜從郎氏によるもので書棚に並べても座りが良いものとなっている。
帯に書かれた本文の抜粋
『「半世紀前に私がもっていたモダニズムと現在のそれは
何が異なっているのだろうか。
ひと言でいうならば五十年前のモダニズムは、
誰もが乗っている大きな船であったと言える。
そして現在のモダニズムは最早船ではない。
大海原なのだ。」』
を読むとモダニズムをデモクラシーと置き換えても意味が通じるほど、1992年から2012年に掛けてイラク戦争、グローバリゼーション、同時多発テロ等、政治的、国際的、経済的、にも多難な時代に我々は置かれている。私はこの10年程の間に二度ほど、「2005年・「谷口吉生のミュージアム」開催記念・槇文彦講演会」と「2008年・トウキョウ建築コレクション2008・槇文彦特別講演」の講演を聴く機会があり、本書はその講演内容をもう一度記憶から呼び覚ますには待望の一冊でも有った。
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〈内容〉
1 モダニズムの現在
・漂うモダニズム
・建築のモダニティそして現在という意識
・玉葱の皮、或いはクリスタル・ボウル
・グローバリゼーゼーションの光と影
・空間、領域、知覚
・ユニヴァーサリティについて
・建築はいかに社会に潜在するものを実現しうるか
2 回想の半世紀
・群造形との四十五年
・ワシントン大学時代
・アーバン・デザイン会議56
・回想としての「平和な時代の野武士達」
・自分と出会う
・言葉、風景、集い 日本の都市・建築の近代化の中であらわれた特性
・「アプローチ」の歩みと半世紀
3 時評
・ブラジリア再訪
・ル・コルビュジエ・シンドローム
・ルネサンスのまなざし
・日本で建築をつくるということ
・日本の新しい世代の建築家たち
・多焦点都市東京と文化拠点の展開
・銀座独り歩き
・都市に咲いた小さな異郷
・都市住居における社会資本形成は可能か
・夏の定住社会
4 追悼
・三人の作家が残したもの
・画家・岩田栄吉
・木村俊彦 建築のための構造家
・至高の空間 丹下建三
5 作家と作品
・建築家・村野藤吾の世界
・印度の建築家・ドーシ
・前川國男と現在
・静けさと豊かさ 谷口吉生の建築
・都市の内から 富永譲
・千葉学の建築
・矢萩喜従郎 旅人の世界
・最後のモダニスト、アンジェロ・マンジャロッティ
・ハインツ・テーザー展に寄せて
・永遠の青年作家・飯田善國
・I・M・ペイへのインタビューを終えて
・ロンシャンの礼拝堂と私
・今も近くにいるコルビュジエ
・東方への旅とラ・トゥーレット
6 書評
・限りなく広がる時空の中で
・時間の中の建築
・林昌二毒本
7 作品に寄せて
・独りの為のパブリック・スペース
・大きな家・小さな家
・風景の使者 フローニングの実験
・ヒルサイドテラスとソーシャル・サスティナビリティ
・日本の都市とターミナル文化
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第7章の「・独りの為のパブリック・スペース」から「都市の孤独」の一部(423〜424頁)を引用したい、これは2008年の3月の講演で語ったものと重複する内容で講演のスライドは本書(424頁)でも使用されている。
.....かつてある知人は美術館で優れた作品と対面している時、そのとき本当のプライバシー、つまり誰にも侵されない自分だけの世界が存在することを感じると語っていた。孤独感を愛するということはそうした経験を指すのである。
..........中略.........
こうした資本の論理はあらゆる施設に拡大しつつある。六本木の国立新美術館に行く。美術の鑑賞を終えれば、まずは巨大な吹抜け空間に向き合わなければならない。ホワイエのエッジに設けられた休憩用のベンチに止まり木の鳥のように人々が座っているが、多くは観賞後のひとときを寛いでいる姿でない。表参道の巨大なショッピングモールについても似たような風景が展開されている。ベルトコンベヤーのようなパブリックスペースはヴィジターに独り佇む余裕を与えない。....
本来、パブリックスペースとは人を集め、流す道具立てだけではないはずである。つくる側の、設計する側の、そしてそれを利用する人々のこうした現象に対する批判能力が停止した時、我々の都市から〈優しさ〉が次第に消失していくのではないだろうか。
追記:先日「歩兵第3連隊・跡地」で美術を鑑賞しエントリーを書いた後、そうだ、「漂うモダニズム」はまだ書きかけのままだった事を思い出し、急遽エントリー。
参考
工学院大学・建築学部開設記念レクチャーシリーズ
槇 文彦「建築設計のなかで人間とは何かを考える」
追記
JIA MAGAZINE AUGUST2013 新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える
中央線がなかったら 見えてくる東京の古層
陣内秀信・三浦展・編著(NTT出版)
本書カバー見返しの内容紹介によると『『東京の空間人類学』の陣内秀信と、郊外論の第一人者三浦展が組む、新たな東京論。近代の産物である「中央線」を視界から取り去ると、武蔵野・多摩地域の原構造がくっきりと浮かびあがる。古地図を手に、中野、高円寺、阿佐ヶ谷、国分寺・府中、日野を歩く。地形、水、古道、神社、商店街などがチェックポイント。中央線沿線の地形がわかるカラーマップも掲載。楽しくて深い、新・東京の空間人類学。』とあるが、俗に云えば建築史系・空間人類学とマーケティング系・環境社会学のコラボ企画だろうか。しかし、此処で語られる東京は江戸市中から離れた武蔵野台地の村々に残る近代以前の古層であるが...それが現代に...どう関係性を持つか...或いは無関係に開発されているか...人類学的なアプローチを試みている。
本書の元ネタは東京人に連載された『中央線がなかった時代』第1回目の陣内秀信・三浦展、両氏の対談から始まる。その後、東京人の連載は三浦氏による『中央線がなかったら2 新宿から中野』、『中央線がなかった時代3』と続いた。本書・第一部「中野・杉並編」第一章「新宿〜中野」、第二章「高円寺」は三浦氏の東京人連載記事をベースに、それに陣内氏による第三章「阿佐ケ谷」を加えられている。第二部「多摩編」は中央線沿線にキャンパス(市ケ谷、小金井、多摩)を置く法政大学・陣内研究室によるもので、第四章「国分寺〜府中」と最終章の第五章「日野」までで終わり、浅川を越えて八王子までは語られていない。尤も...陣内・三浦、両氏の対談で花街の話題が出た時...「...西側では八王子が独立した文化圏ですが...云々」との認識を示している通り...確かに八王子は独立した地方都市である。
マーケティング系な逆説的コピー(広告文案)の様なタイトルをつかみにしているが、武蔵野台地の集落の発生と市街地化の成立ちを考えれば当然のことで、中野から立川まで集落や市街地化の骨格となっている街道や河川等の地形的文脈に関係なく一直線に敷かれた中央線は歴史を溯って妄想を拡げるには障碍物以外の何ものでもない。
逆に云えば中央線に乗っていて感じる空の高さと解放感は、略、甲州街道に沿って武蔵野台地の縁を走る京王線からは得られないものである。その空の高さは中央線が真直ぐ西へと、東南東から西北西に向かう青梅街道に代表される道路割と区画割を無視して斜めに横切っている事で周辺の土地が容積や高さ等、路線緩和の影響を受けない事で得られている。(つまり、駅前を除いて高い建物が建てられない。)西に向かう中央線が地形の影響を受けるのは武蔵小金井を過ぎて国分寺の手前から国立の手前までの切り通し区間からである。
追記
そういえばこの時、この会場で第5章の「日野 用水路を軸とした農村、......」の研究発表を聴講。その時、偶々、私の隣に座られた陣内先生とこの言を話題にすると、阿佐ケ谷住宅の近くで少年時代を過ごした話を....。と云うことで、直接伺った話が...第3章の阿佐ケ谷...「私の原風景」に更に詳しくありました。
本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」
毎年、会計事務所に決算報告の打合せに行くと、なんたらかんたらと1時間くらい雑談してから本題に入るのだが、今年はケンちゃんが「東京の空は米軍に支配されているんですね。知りませんでした」と本書の事を話題にした。『そうですよ。僕んちの上は「アメリカの空ですよ。』と答え、『そうそう、その本は買ってあります。未だ読んでないけど...』と...3年前に拙ブログにエントリーした「Born In The Occupied Japan」の事に触れ、ベトナム戦争が終わったのをファントムが飛ばなくなった事で実感した話をした...。
本書の「はじめに」を読むと...『......この数年、日本には大きな出来事が次々と起こりました。民主党政権の誕生と消滅、普天間基地の「移設」問題、東日本大震災、福島原発事故と原発再稼働問題、検察の調書捏造事件、尖閣問題、オスプレイの強硬配備、TPP参加問題、憲法改正問題.....
そうしたなか、これまで、「ひょっとして、そうなんじゃないか」「でも信じたくない」
と思ってきた事が、ついに現実として目の前につきつけられてしまった。......』とある。
まぁ、敗戦後の長期に亘る自民党政権下で「隠蔽・改竄・捏造」で誤魔化していたことが、民主党政権で白日の下に晒された訳であるが、野田の自爆解散で自民党政権が復活したことにより、権力に擦り寄るマスメディアとの連携によってメディア・コントロールはより陰湿さを増している。『知らなかった。』では...済まされない事が...現実となりつつある。
内容
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PART1 日米地位協定Q&A(17問)
1: 日米地位協定って何ですか?
2: いつ、どのようにして結ばれたのですか?
3: 具体的に何が問題なのですか?
4: なぜ米軍ヘリの墜落現場を米兵が封鎖できるのですか? その法的根拠は何ですか?
5: 東京大学にオスプレイが墜落したら、どうなるのですか?
6: オスプレイはどこを飛ぶのですか? なぜ日本政府は危険な軍用機の飛行を拒否できないのですか?
また、どうして住宅地で危険な低空飛行訓練ができるのですか?
7: ひどい騒音であきらかな人権侵害が起きているのに、なぜ裁判所は飛行中止の判決を出さないのですか?
8: どうして米兵が犯罪をおかしても罰せられないのですか?
9: 米軍が希望すれば、日本全国どこでも基地にできるというのは本当ですか?
10: 現在の「日米地位協定」と旧安保条約時代の「日米行政協定」は、どこがちがうのですか?
11: 同じ敗戦国のドイツやイタリア、また準戦時国家である韓国などではどうなっているのですか?
12: 米軍はなぜイラクから戦後八年で撤退したのですか?
13: フィリピンが憲法改正で米軍を撤退させたというのは本当ですか?
ASEANはなぜ、米軍基地がなくても大丈夫なのですか?
14: 日米地位協定がなぜ、原発再稼働問題や検察の調書ねつ造問題と関係があるのですか?
15: 日米合同委員会って何ですか?
16: 米軍基地問題と原発問題にはどのような共通点があるのですか?
17: なぜ地位協定の問題は解決できないのですか?
PART2 「日米地位協定の考え方」とは何か
資料編 「日米地位協定」全文と解説
〇日米地位協定 〇日米安保条約(新)
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たむらくんの最新刊「ねじまきバス」は福音館の月刊誌「こどものとも年中向き」の2013年5月号だ。
ふむふむ...『虫くんがおもちゃのバスを見つけました。ギリギリってねじを巻いて、ドライブにいざ出発!』.....次々と乗員が増えるに従い...物語は予想しない展開が待ち受けている....その結末は...裏表紙に。そして絵本を読んだ子供の空想力に続くのだ。
乗物の玩具、弾み車(フライホイール)やゼンマイ仕掛けのブリキの玩具は僕らの子供のころの定番玩具だった。僕の場合は玩具屋や縁日の夜店で買ってもらったそうした玩具も原形を留めていられるのは精々一月くらいで、玩具は分解され、弾み車やゼンマイだけとなり、それでも妄想の世界を拡げ、飽きずに遊んでいたものだ。
小林清親 東京名所図 (謎解き浮世絵叢書)
先日、ETV特集の「東京という夢・YASUJIと杉浦日向子」を見ていて、井上安治の師匠である小林清親が気になり...Amazonに注文。ゆうメールで届いた段ボールの包を開け中身を改めると、予想していたよりも充実した内容。東京名所図の通り、明治9年から明治14年に掛けての6年間で描かれた30点の浮世絵版画が収録されている。見開き2頁に一点の版画が、次の見開き2頁に解説と版画の拡大部分と全体のサムネイル、そして当時の地図と現在の地図に現況写真がレイアウトされている。名所とされた当時の新建築である表紙の「24・海運橋」(第一銀行雪中)の軒蛇腹の省略描画は納得できるが、「26・虎乃門夕景」の工部大学校の切妻や軒の重量感も厚みも感じられないポンチ絵の如き省略描画を見ると建築の細部にあまり関心のないのか、細部に拘泥しないのか、洋風建築に嫌悪を憶えているのか不明だが、「5・今戸橋茶亭の月夜」に見られる料亭の屋根も軒先に鼻隠しを付けて無いのは理解できるが垂木まで省略すると薄っぺらな印象しかない。それでも商家の場合は切妻の破風板までは省略できず、遠景でもそれなりの厚みは確保している様だ。西洋建築や絵画技法が輸入されて10年足らず... 伝統的な浮世絵から飛躍しようとしているのか木版画の表現にも時代の変化が感じられて興味深い。
小沢昭一---芸能者的こころ (文藝別冊)
奥付を見ると2010年6月30日発行となっているから、たぶん2年前に買った河出書房新社の別冊文藝のムックである。そのうち、ゆっくり読もうとしている内に、本人がお亡くなりになってしまった。改めて前口上を読むと『人様が、私メのことをあれこれ書いて下さった文章ばかりを、集めて下さいました。恐縮しております。.........中略....
人間、八十路に入りますと、クソ爺ィ、であると同時に、子供にも帰ってゆく面もある様で、間もなく、地獄極楽、どちらかに行くのでしょうが、もし地獄に行くことがあれば、私、閻魔様にこの本を見せて、お仕置きを少しでも軽くしてもらおうと思っております。....』
と云うことで...小沢昭一曰く、人様の書いた文章と...小沢昭一本人との対談、鼎談を集めた本であるが、本人のみならず、執筆陣、対談相手には、既に鬼籍に入った人やら..実在の説教強盗から歴史学者までと多彩である。そういえば「洲崎パラダイス」に若かりし頃の小沢昭一が出ていたことを思い出した。
因みに小沢昭一氏が直接関与している訳ではないが、本書の執筆者も触れている見せ物小屋・大寅興業の10年間を追ったドキュメンタリー映画『ニッポンの、みせものやさん』が現在上映中である。
Le Corbusier Redrawn: The Houses
9月19日に注文して、配送は11月中旬になるのは承知していたが、二ヶ月も経つと何か注文していたけれど、それが何かも忘れていたが、12月2日に発送の知らせが届き、そうか忘れていたのはコルビジュエの本だと思い出した。
と云うことで本書はコルビジュエが設計した26の住宅の図面を新たに描直したものである。そのうち22の住宅に関しては表紙のサヴォア邸の様な断面透視図も描かれている。図面表現としてはアウトラインのみの表現と断面はベタ塗り、縮尺は概ね1/200、透視図はシェーディングとシャドウのみで質感は無しのニュートラルな表現となっている。何れも良く知られた住宅であるが、現実には見ることのできないアングルの外観透視図や断面透視図等も豊富で、ドローイングだけの一冊は新鮮である。より分析的にコルビジュエの住宅を研究したい向きにはうってつけの一冊だろう。
たむらくんの最新刊「ふわふわぐーぐー」は福音館の月刊誌「こどものとも0.1.2.」の2012年12月号だ。これは0歳児から2歳児を対象にした子供が初めて出会う絵本である。同シリーズのフェルトを使ったごろんご ゆきだるまが2004年1月号、それからほぼ9年ぶりの同シリーズ・新作は毛糸玉を素材にしている。猫のぬいぐるみに使った毛糸の編み物は奥さんのゆりさんが担当。ゆりさんは編み物が上手で好きだから、毛糸玉は日常的にたむら家にあるものだ。折込み付録の小冊子を読むと...赤ちゃん目線で床に転がってアイデアを考えていたときに目に止まったのが...鮮やかな色の毛糸玉だった...其処から仔猫への着想が広がり...「ふわふわぐーぐー」が誕生ということだが...編集者は「次はいったいどんな技法で楽しませてくれるのか、今から楽しみです。」と...もうプレッシャーを与えている。因みに使用している色は赤・青・黄の三原色と白・黒・グレーの無彩色だけと、シンプルだが...全ての色が其処から生れる...色使いはデ・ステイルと同じだ。
写らなかった戦後 「ヒロシマの嘘」
福島菊次郎・著
90歳になる報道写真家に迫ったドキュメンタリー映画・『ニッポンの嘘』のシナリオの底本となった本だが、これも著者が82歳の時の書き下ろしだ。この「写らなかった戦後」はシリーズ化され、2005年に『写らなかった戦後 2「菊次郎の海 」』が、そして2010年に『写らなかった戦後3「殺すな、殺されるな」 福島菊次郎遺言集』が出版された。そして、その半年後の3.11にメルトダウンが起こり、再び、彼を報道の現場へと向かわせた。
戦後、地方都市で時計屋を営み趣味で写真を撮っていた市井の一個人が42歳にて報道写真家へと変身し、62歳で此の国の有り様に絶望し瀬戸内海の無人島に移り棲む...自身も癌に侵され満身創痍の身ながら、再び...カメラをペンに持ち替えて...此の国の欺瞞と矛盾に満ちた有り様を告発する。このエネルギーは何処から出てくるのだろうか。『見て見ぬフリをすることは主権の放棄へと繋がり、為政者を暴走させる。』...と彼は言う。全く以てそのとおりだ。
孫崎享が自身のツイッターで自署である「戦後史の正体」について肯定的評価を堂々と述べる人に共通している事は「覚悟を決めて生きている人」だと言っているが、福島菊次郎も「覚悟を決めて生きている人」だろう。孫崎享の「戦後史の正体」が米国からの圧力を軸に読み解いたモノならば、福島菊次郎の「写らなかった戦後」は国家から見捨てられた人々に寄り添い、底辺から読み解いた菊次郎による「戦後史の正体」だろう。当然ながら其処に「米国からの圧力」も透けて見えることは言うまでもない。
目次
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240秒しか写さなかったヒロシマ---まえがきに代えて
鵯 ピカドン、ある被爆家庭の崩壊二〇年の記録
鵺 原爆に奪われた青春
ブラジルから来た被爆者、島原邦子さんの死
原爆乙女の怒り「私には強姦してくれる男もいないの」
広島妻の訴え--原爆孤児・野沢靖子さん(仮名)の青春
鶚 四人の小頭症と被曝二世・昭男ちゃんの死
マーちゃんとミーちゃんとチーちゃん
百合子ちゃん
原爆医療の谷間で殺された被曝二世・昭男ちゃん
鶤 被爆二世たちの闘い
親父を哀れな被爆者のまま死なせたくない--徳原兄弟の反逆
被爆二世医師と内蔵逆位の青年たちが支えた病院
鶩 広島取材四〇年
炎と瓦礫の街で
虚構の平和都市誕生
被爆者はそれでも生きていた、三〇人の証言
天皇、慰霊碑「お立ち寄り」
原爆スラム、その差別の構造
ヒロシマの黒い霧、ABCCは何をしたか
四〇万人の葬列
重藤原爆病院長の苦悩
鶲 広島西部第一〇部隊、僕の二等兵物語
鷄 僕と天皇裕仁
軍国主義教育….狂気の青年時代
敗戦と天皇の戦争責任
同級生の南京大虐殺
福島二等兵の反乱
満身創痍の玉砕
鷁 原爆と原発
鶻 カメラは歴史の証言者になれるか
あとがき
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たむら君の新しい絵本「ニットさん」がイースト・プレスから出版された。
これは彼のファブリック・シリーズとも言うべきもので、2003年の『ごろんこ ゆきだるま』の時は布地を染め付けるところから始めたらしいけれど、今回は「ニットさん」のタイトル通り、編み物を画材にしてしまったのだ。彼は一つの技法だけに拘ることなく、コンピュータでも何でも等しく道具であり、使えそうなものなら画材に変身させてしまう「まほうつかい」なのだ。
東京人の10月号は『山の手 100名山』だ。8月号の『特集・東京地形散歩 凸凹を遊ぶ』に続いて地形ネタである。「江戸の崖・東京の崖」もそうだが、こうした地形ネタが売れるようになったのもGoogle Earthやカシミール等のデジタル技術で地形を三次元化することが容易になったこともあり、二次元情報だけでは判らなかったクネクネと曲がった道が川跡だったり、尾根道と谷道を結ぶ切通しや、崖線に沿って付けられた坂道の意味が地形を俯瞰することで可視化されたことが大きいのだろう。ところで、この「崖線」と云う言葉、辞書にもなく漢字変換もされない学術用語ですが「江戸の崖・東京の崖」の17頁に『...「崖線」が市民権を得る日が来ないとはかぎらない。...』とする芳賀さんの予想は...早くも現れたようで...。
今月号巻頭第二特集は『権力者は崖線をめざす』となっている。勝てば官軍、征服者を気取っているのだろう。そうした明治の元勲の肖像写真付で旧邸宅のあった庭園や公園等が紹介されている。缶バッチじゃなく勲章を矢鱈と付けている肖像写真は男子の精神年齢は中二から成長していないと云う説を物語っているようで...或る意味哀しいものがある。排仏毀釈の風潮の中で地方の寺院の三重塔まで自邸に移築する元勲の信仰心は...現人神に仕える身との矛盾はどうなっているのか。しかし仏舎利が納められていなければ、三重塔も只のフォリーと云うことか...。
デジタル鳥瞰・江戸の崖 東京の崖
芳賀ひらく・著/講談社・刊(本体価格1800円)
JEDIの間では「川好き男」さんとして知られている之潮代表・芳賀さんの新刊が講談社から発行された。江戸東京の「地形」から「凸凹」「川」「橋」「坂」「道」「階段」「スリバチ」「地名」「謎」等々などをテーマにした本が数多く出版されているが「崖」を俎上にした本は初めてかも知れない。芳賀さんの会社・之潮の刊行物をみると「地盤災害」とか「江戸・東京地形学散歩 災害史と防災の視点から」等、興味本位の都市散策ガイドブックではなく都市災害の切り口から都市を俯瞰する書籍も多く、メジャーな講談社から上梓された本書は、ツカミはガイドブックの体を成しているが、火山灰の堆積した武蔵野台地の微地形を切り崩し、盛土し、低湿地を埋立て、その結果としてあらわにされた(人為的)な崖を切口に江戸東京の脆弱な面をあぶり出している。
内容
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崖を見に
第1章 江戸の崖・東京の崖
第2章 「最も偉大」な崖...日暮里周辺...
第3章 崖棲み人と動物たち...麻布...
第4章 崖沿いの道と鉄道の浅からぬ関係...大森...
第5章 崖から湧き水物語...御茶ノ水...
第6章 崖縁の城・盛土の城...江戸城...
第7章 切り崩された「山」の行方...神田山...
第8章 崖の使いみち...赤羽...
第9章 論争の崖...愛宕山...
第10章 「かなしい」崖と自然遺産...世田谷ほか...
第11章 隠された崖・造られた崖...渋谷ほか...
最終章 愚か者の崖...「3.11」以後の東京と日本列島...
あとがき
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崖の無い低湿地で生まれた私にとって荒川放水路の土手が高低差のある風景として唯一身近なものであった。物心ついて初めて見た崖は第2章...日暮里周辺...鴬谷駅のホームから見た上野台地は寛永寺の崖だろう。鴬谷から京浜東北線に乗り第4章...大森...の善慶寺参道にあった伯父の家から、山王の尾根道伝いに大森駅まで歩いたことが一度だけある。それは当時人気絶頂期に息子を誘拐された自称ボードビリアンの家の前を通り...「いいかい知らない人に付いていったら絶対ダメだよ」と伯母と母に説教された時だが、子供心に家は貧乏だから心配無用と思ったが、口答えすると大森駅前の不二家で菓子を買ってもらえないので黙って頷いた。
そういえば崖からイメージするものとして現在の代々木四丁目付近を描いた「岸田劉生の切通之写生」の赤土の関東ローム層があらわにされた景色が思い浮かぶ。それは八王子に越してから学校に通うのに毎日歩いた赤土の切り通しの峰開戸の風景に似ているからだろう。切通之写生と同じような構図の写真が「写真で見る江戸東京 (とんぼの本)」でも見られることから、こうした切り通しは江戸東京に遍在する風景であったと思われる。(訂正とお詫び:手持ちの本が見つからず、古本をネットから購入したら、切通しの写真が見つからず...どうやら別の写真集だったらしい。m(_ _)m)
この様な赤土が露出した切り通しも、道が舗装され、崖には擁壁が設けられたり、切通しに面した高低差のある敷地に建蔽率をフルに活用して建てられたビルが擁壁を兼ね、地上に面していても地階という倒錯した建物が現れるに至っては、もはや元の地形を記憶する手立てさえ失い、代々木四丁目は刀剣博物館近くの坂道から「切通之写生」を思い浮かべることすら困難となっている。
追記:本書でもカシミールと数値地図5mメッシュ(標高)からデジタル鳥瞰図が作成されている。カシミール(Windowsのみ)はパブリックドメインなので無料で入手できるが、数値地図5mメッシュ(標高)は日本地図センターから有償(地域毎・7500円)で入手する必要がある。そんな面倒くさいことは苦手な人にはGoogle Earthに...東京地形地図を表示させる方法もある。
東京人の8月号は『特集・東京地形散歩 凸凹を遊ぶ』である。巻頭の座談会で陣内秀信氏が最初に語っているように1980年発行の東大・槇文彦研究室による「見えがくれする都市」(SD選書)が江戸東京の歴史を空間的に見る先駆けとなったことは間違いないようだ。そんな訳で学術的な研究発表から30年を経て...ブームが訪れたと云うことである。本号「地形散歩」の特集で川本三郎が残堀川を取上げ「東京の西をタテに走る川沿いを行く。」なる一文を寄せているが、彼は最近まで残堀川の事を知らなかったようだ。玉川上水との立体交差の写真も掲載されており、東京人で特集される前に訪れておいて良かったと思う次第である。他に「都内に点在する射撃場の痕跡」なる記事もあるが、図版が中途半端でこれでは意図が伝わらない。
「主権者」は誰か...原発事故から考える
先頃、亡くなった弁護士でフリージャーナリストの日隅一雄氏の最後の著作物は56頁足らずの小冊子・岩波ブックレットである。この小冊子に書かれていることは民主主義ならば「当たり前の事」である。『なぜ国民はこれほどまでに ないがしろにされたのか 「主権在官」を打破し、私たちのの社会をつくるために』と遺言を国民に託し...彼は50年足らずの人生を終えた。我々が「主権者」として目覚めるには...
「はじめに...」では...終戦後の中学一年生用の教科書に使われた「あたらしい憲法のはなし」から主権とは何かを引用しているように...もう一度...無垢だった少年や少女の頃にリセットして...国民が「主権者として振る舞うために」...問題や障害となる項目を...明らかにしている。
内容
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1- 情報は誰のものか
政府の情報隠し/二種類の情報入手法/作成されなかった議事録/
情報公開の「対象外」という問題/情報をどう公表するか/記者会見の開放を/
東電の姿勢/「私企業」は正当な理由か?/内部告発という手段/内部告発者をどう守るか
2- 誰のための官僚か---「主権在官」の実態
官僚の仕事/経産省という組織/規制と推進の分離/「天下り」という問題/
困難な天下り防止/オンブズマン制度の導入を/国会による監視/
3- 司法の限界
なぜ司法は原発を止められなかったのか/裁判官へのプレッシャー/技術性・専門性/
判検交流/政治的自由の欠如/裁判官への制約/裁判官へも市民的自由を/
市民の役目/
4- 主権者として振る舞うために
主権者と民主主義/五つの条件/制約された選挙/党議拘束という問題/省令・通達/
審議会をどうするか/政治への直接関与を/国民投票制度を/デモという手段/
国家権力による過剰な管理/政治的リテラシーの重要性/メディアリテラシー教育/
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主権者として振る舞うために
最後に、主権者として振る舞うために、「あたらしい憲法のはなし」から示唆に富む文章を引用したい。この小冊子は戦後間もない時期の中学生に、こう呼び掛けていた。
「いまのうちに、よく勉強して、国を治めることや、憲法のことなどを、よく知っておいて下さい。もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、国のことを、じぶんできめてゆくことができるのです。みなさんの考えとはたらきで国が治まってゆくのです。みんながなかよく、じぶんで、じぶんの国のことをやってゆくくらい、たのしいことはありません。これが民主主義というものです。」
しかし、戦後、私たちは主権者として振る舞うことをわすれ、あまりに多くのことを国会議員、そして官僚に任せすぎた。そして、気付いた時には「国のことを、じぶんできめてゆくこと」も「じぶんで、じぶんの国のことをやってゆく」こともできなくなってしまっている。
「いまのうちに、よく勉強して」という意味を、もう一度考え直さなければならない。
私たちが主権者として振る舞うために、「思慮深さ」を身につけたうえ、積極的に政治に参加していかなければ、この国は変わらず、また取り返しのつかない「何か」が必ず起こるだろう。
何年か前、1970年頃の遙か昔々に新建築の巻頭エッセーで読んだと記憶していた吉阪隆正の「かんそうなめくじ」をキーワードにしてGoogleで検索したけれど、何一つ引っ掛からなかった。確か「かんそうなめくじ」だった筈だが...自分の記憶違いなのか....それ以上追求することもなく忘れていた...。
それが一月ほど前...facebookで『本の網 吉阪隆正蔵書公開』の情報を知り、再度、Googleで検索を掛けたら本書「乾燥なめくじ―生ひ立ちの記」がリストアップされた。書籍は既に絶版となっており、Amazon マーケットプレイスから古本を取り寄せることにした。
何故、読みたいかと思ったのは「かんそうなめくじ」の文明批評的内容が現在の状況を暗示していたと...記憶していたので...それを再確認したかったのである。
パラパラと頁を捲っていると、エネルギー消費と地球温暖化についてこんな一文があった。
....みんながみんなバラバラになって領分を守るだけになった時、一体誰が全体のタクトをふるのだ。どうやってバラバラの世界をそのまま崩壊に導かないようにできるのだろう。いやはや、おれもいつのまにか人間側で論を進めてしまった。おれの立場からすれば、早く人類が亡びてくれればいいんだ。あと五十年持てばいいという説もある。人類がいまのようにエネルギー使用量を倍々とやっていくと百年後には地面の温度が10度上昇するのだと計算した人がある。すると海の中にあるCO2を定着させていたものが、おだぶつになって放出するそうだ。地表はCO2で包まれると太陽熱は吸収蓄積されやすいから、暑い地球になってしまう。魚なら1〜2度の上昇で死んでしまうが、人間だって20度あがればどうなるか。
だいいち極地の氷がまず溶けだすだろうから、海面がどんどん高くなって、陸地はぐんと小さきなるだろう。平野に住んでいる野郎どもあわてるだろうな。ノアの箱船の用意はできているのかね。すべて宇宙の動きと関係するんだ。....
確か...建築が利益追求の目的だけに建設されるようになってしまったことを憂う...文章も読んだような記憶があるが...見つからないなぁ...
原発危機と「東大話法」
―傍観者の論理・欺瞞の言語―明石書店・刊
2月25日の東京新聞・こちら特報部の特集記事『原子力ムラでまん延「東大話法」安冨歩・東大教授に聞く』で知って、Amazonから購入したのが本書である。Wikipediaから東大話法の規則一覧を一読すると...何人かの顔が思い浮かび...そういえば...と思い当たる節があるでしょう...。
この話法は悪質なウィルスの如く、東大に限らず、教育者、官僚、政治家、財界人、中間管理職、メディア、広告代理店、等々に広く蔓延しているようで、最終的には『思考停止』に至るようです。
内容
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第1章 事実からの逃走
燃焼と核反応と/魔法のヤカン/名を正す/学者による欺瞞の蔓延--経済学の場合/名を正した学者の系譜/武谷三男の「がまん量」/高木仁三郎・市民科学者/小出裕章と「熊取六人組」/玄海原発プルサーマル計画をめぐる詭弁との戦い
第2章 香山リカ氏の「小出現象」論
香山氏の記事の出現/原発をネットで論じてる人々の像/ニートや引きこもりの「神」/仮面ライダー・小出裕章/小出裕章=「ネオ麦茶」説
「原発問題=新世紀エバンゲリオン」説/インターネットの意味/関所資本主義の終焉/お詫びのフリ/真理の探求へ/真理の探求からの逃避/香山氏はなぜこの文章を書いてしまったのか
第3章「東大文化」と「東大話法」
不誠実・バランス感覚・高速事務処理能力/東大関係者の「東大話法」/東大工学部の『震災後の工学は何を目指すのか』/東大原子力の「我が国は」思想/工学研究の「計画立案」/東大原子力文書の「東大話法規則」による解釈/傍観者/池田信夫氏の原発についての見解
池田信夫の「東大話法」その1〜6/鈴木篤之の「東大話法」/東大話法の一般性
第4章「役」と「立場」の日本社会
「東大話法」を見抜くことの意味/「立場」の歴史/夏目漱石の「立場」
/沖縄戦死者の「立場」/日本版プラトニズムとしての「立場」/職→役→立場/原子力御用学者の「役」と「立場」/天下りのための原子力/福島の人々が逃げない理由
第5章 不条理から解き放たれるために
原発に反対する人がオカルトに惹かれる理由/槌田敦のエントロピー論
/化石燃料と原子力/地球温暖化/出してはならないもの/人間活動の生態系人間の破壊/熱力学第二法則と人類の未来/原子力のオカルト性/「日本ブランド」の回復へ
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そういえば、下記の人は『第4章「役」と「立場」の日本社会』を地で行く人のようで、長崎と福島では言うことが違いすぎますね。
山下俊一・長崎大学教授が『ベラルーシで被ばく時年齢0から15歳未満の甲状腺がん手術数が激増している』と解説
東京人の4月号は特集・ニヤリと笑い、世相をうがつ『川柳』
と云うことで...表紙にニヤリとし...半藤一利の『昭和史のなかの川柳 諸共と思へばいとしこのしらみ 昭和元年〜20年』を立ち読み、阿部定事件の川柳にクスリ...特攻隊員、魂の告発の川柳にハラリ...と、そのままレジに...
ブラタモリ・吉原編に登場した、あのカルイ感じの校長先生も『十七文字で歩く吉原案内』を書いている。最初はやはり猪牙船をよんだ川柳からだ。疲れた脳ミソをリフレッシュするには最適な一冊の雑誌だろう。
他に陣内秀信×三浦展の対談・『中央線がなかった時代』も興味深い。
小さな鉄道 旅日和 (単行本)
杉崎 行恭 (文/写真)、小野寺 光子 (イラスト)
出版社: JTBパブリッシング
kadoorie-aveさん、こと小野寺光子さんのブログ「ONE DAY」でも「乗り物・駅」のタグで紹介されていた「J-B Style」の連載が一冊になった。
15のローカル私鉄が紹介されているが...どの「小さな鉄道」にも乗ったことがないなぁ...聞いた事のある「小さな鉄道」は「小湊鉄道」と「わたらせ渓谷鉄道」位なもの...これらの鉄道は余程の乗り鉄系の鉄ちゃんでない限り...知る機会も少ない。もしも...この本が写真だけだとしたら『非鉄系』の読者を惹きつけることはないでしょう。そう、この本を魅力的にしているのは、機関車や列車だけでなく、ローカルな「小さな鉄道」を維持し守っているオジサンやオバサンの日常の姿を親しみやすく描いているイラストの力ですね。それにしても「つけナポ」に好奇心と食い意地を発揮する画伯に...☆☆☆。
追記:出放題・阿字ケ浦駅(ひたちなか海浜鉄道)
各メディアでのJobsの追悼特集も一段落した頃合いを見計らってだろうか、Casa BRUTUSの3月号がAppleの特集を組んでいる。【「デザイン」で読み解く『スティーブ・ジョブズ』】ではJobsがリスペクトしていたモノやデザインを、目玉はジョナサン・アイブとフロッグ・デザインのH・エスリンガー、現在と過去の二人のデザイナーへのインタビューだろうか。と云うことで「BRUTUSお前もか」であるが、ビジネス本的なアプローチでない処が救われる。
「鉄学」概論
車窓から眺める日本近現代史:原武史著(新潮文庫)
東京人3月号にも寄稿している原武史氏の著作であるが、2009年にNHKで放送された「鉄道から見える日本...」のテキストを加筆修正しタイトルを改め文庫本に仕立て上げたもので、底本となったNHKのテキストより230円もお得である。
改めて録画しておいた第1回の放送を見て、本書第1章を読んでみると、つくづくテレビと云うモノは作者の筆力と受け手の想像力が希釈されるメディアだと感じた。もしかすると、放送に於いて原武史氏が終始仏頂面だったのは、鉄ちゃん系のヴァラエティ・タレントの如くスタジオ内の三等旅客車両のセットに座らされ、内心嬉しくて相好を崩したら、巷の鉄道オタクとは一線を画す学究の徒としての面目が潰れると頑なに冷静を装っていたのかも知れない。本書は放送では語り尽くせなかった著者の意図を読むことができる。
追記:どうやら、三等旅客車両のセットは「第7章 新宿駅一九六八・一九七四」に書かれた著者の少年時代の個人的体験を再現した物のらしい。著者は近現代史が専門のようですが...読み終えてみて、近代史の語り部としての説得力は感じるが、現代史の語り部としては...熟成されてない...何かが...あるように感じた。
内容
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はじめに
第1章 鉄道紀行文学の巨人たち
第2章 沿線が生んだ思想
第3章 鉄道に乗る天皇
第4章 西の阪急、東の東急
第5章 私鉄沿線に現れた住宅
第6章 都電が消えた日
第7章 新宿駅一九六八・一九七四
第8章 乗客たちの反乱
参考文献
解説 宮部みゆき
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1948.09.17の浅川驛
先日、この器具のテストをするためにこちらの土地に出来たビルの1階にある書店で待ち合わせた。何気に東京人3月号を手に取ると表紙に使われた写真が高尾駅の1・2番線ホームと直ぐに分かった。その理由はこの弾痕である。と云うことで東京人3月号の特集は『東京鉄道遺産100』なのであるが、その6/100がJR中央線終着駅の高尾周辺にあった。37番の「湯の花トンネルと慰霊碑」は裏高尾まで散歩したときに写真には撮ったけどブログには載せませんでした、その訳はこんな感じで何がなんだか?でした。そういえば36頁掲載の29番のアーチ橋を潜ったら婆さんに因縁を付けられたことを思いだしたが、掲載されている写真の構図をみると取材者も嫌みを言われたかも。因みに駅の跡に挙げられた92番の東浅川驛の竣工当時の姿が土木学会図書館のアーカイブにあります。
大きな地図で見る
ここが35頁掲載28番の小下沢橋梁ですが夏草に覆われ東京人の写真とは印象が異なります。
八王子市郷土資料館:特別展「八王子と鉄道」
6日発売の東京人の今月号に合わせてかは知りませんが明日2月7日からこんな企画があるようです。戦前は八王子市内から高尾山口まで路面電車があったそうです。
旅してみたい日本の鉄道遺産
こちらは全国の鉄道遺産が紹介されている本ですが、エントリーしようと準備だけして塩漬けされたままでした。この本に紹介されているタウシュベツ橋梁の朽ち果てて行く姿が圧巻。
雑誌pen:特集「ルネサンスとは何か」
大晦日に風邪を引いて、下書きのまま放っておいたのだが、昨日、お台場にある放送局が元NHKアナを起用した番組で...宗教がどうのこうの...と特集して...全部は見てないが最後をバチカンで締めくくっていたが...些か...中途半端に見えたので...参考までに。
雑誌の特集記事としては「完全保存版」と謳っているように、折込みによる見開きで年表と人脈図も付属しており、限られた誌面で押さえ所を外さず、ルネサンス全体を俯瞰するのに手頃な資料に仕上がっている。
惜しむべくは、ルネサンスに興味を抱いた読者のために「文献目録」等も欲しいところである。因みにルネサンスに関する書籍としては...ワイリー・ サイファーの「ルネサンス様式の四段階」がルネッサンスから、マニエリズム、バロック、後期バロックまでの数世紀を遠近法的に分析していて...読応えも充分。
コンピュータ・パースペクティブ
計算機創造の軌跡 (ちくま学芸文庫)
文庫本・腰巻に書かれている如く「イームズ夫妻による図説コンピュータ史」である。2001年に東京都美術館で行われた「イームズ・デザイン展」図録の「イームズとIBM」によれば1958年ブリュッセル万博IBM館で上映された短編映画の制作をイームズが手掛けたことからコラボレーションが始まり、1964年のニューヨーク万博のIBM館ではサーリネン設計のパビリオンの展示デザイン、映像からグラフィックまで手掛けている。本書は1971年のIBMの展示会「コンピュータの遠近法」の記録である。従って、未だパーソナル・コンピュータは影もカタチもない。バベッジの解析機関等の計算機械に始まり、コンピュータの必要性が萌芽したと伝えられている1890年の国勢調査から1940年代のUNIVACと最後はSEACまで、云わばコンピュータの歴史前期の記録である。書籍としては本来のドキュメントサイズから文庫本にスケールダウンされているので、あまり見易いとは云えないが、資料的価値は高い。
因みに沖電気がUNIVACと設立した「沖ユニバック」の八王子事業所を中学の時、校外授業で学校から歩いて見学に行ったことがあるが、その工場は昨年解体撤去され、すっかり更地となっていた。先日、その正門前を車で通りかかったら、労組の人が座り込みしていた。半世紀経ってもコンピュータでは解決できない問題は山ほどある...。
関連エントリー
EAMES FILMS
チャールズ&レイ・イームズ 創造の遺産
901番地
追記:早速、栗田さんが原書をエントリーされた。A COMPUTER PERSPECTIVE
ゆき ゆき ゆき たむらしげる作・福音館発行
(ちいさなかがくのとも 2011年12月号)
今月末まで吉祥寺のトムズボックスで個展を開いているたむらくんの新作。
そういえば...子供のころ、空を見上げて雪が降ってくるのを見つめていると、自分が空に舞い上がってゆくような不思議な感覚があったことを...思いだした。
内部被曝の真実 (幻冬舎新書)
この新書の腰巻に書かれているように本書は2011年7月27日 (水) 衆議院厚生労働委員会「放射線の健康への影響」参考人説明でのスピーチを完全採録したものである。YouTubeの動画削除もあり、インターネットから衆議院TVにアクセスする手立てを持たない多くの人々にも本書を通じてその内容を知る機会になるだろう。また付録として国会配布資料もあり、既にYouTubeの動画を見た人にも情報価値の高い新書である。
内容
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第一部 7.27 衆議院厚生労働委員会・全発言
1 私は国に満身の怒りを表明します
広島原発の20個以上の放射性物質が撒き散らされた
通達一枚で農家に情報が伝わるわけがない
もっと高性能の測定器があるのになぜ政府はお金を使わないのか
内部被爆からがんはどのように起こるのか
被爆からがん発症まで20〜30年 トロトラスト肝障害の場合
疫学的に証明されるのを待っていたら遅すぎる
母乳からのセシウム検出に愕然とした理由
子どもがわざわざ高線量の地域に通わされている
緊急避難的除染と恒久的除染をはっきり分けるべき
民間のノウハウを結集し、国策としての除染を
2 子どもと妊婦を被爆から守れ-質疑応答
「放射線は健康にいい」は本当か
国が線量について議論しても意味がない
行政が全力で測定し除染するのが、住民の一番の安心
全国の産地で緊急に食物の測定を
1回来て帰るだけの支援では問題をひどくするだけ
放射線取扱者として30年間厳守してきた基準が反故にされている
多量の農産物を簡単に検査する仕組みは今すぐ可能
今私たちが行っている除染活動はすべて違法行為
非難の問題と補償の問題を分けて考えるべき
第二部 疑問と批判に答える
データが足りないときこそ予測が大事
線量を議論しても意味がないのはなぜか
危険を危険だとはっきり言うのが専門家
低線量セシウム被爆の危険性は国際的に認められたものなのか
閾(しきい)値論もホルミシス論もおかしい
セシウムによる長期障害はヨウ素以上に複雑で難しい問題
第三部 チェルノブイリ原発事故から甲状腺がんの発症を学ぶ
エビデンス探索20年の歴史と教訓
第三部の要旨
チェルノブイリ原発事故による健康被害の実態
小児甲状腺がんの増加の原因をめぐる論争
因果関係のエビデンスが得られたのは20年後
エビデンスという名の迷路--増えたのは甲状腺がんだけなのか
極端な症例こそが最も重要な警報
第四部 "チェルノブイリ膀胱炎" 長期のセシウム137低線量被爆の危険性
長期のセシウム137低線量被爆の危険性
第四部の要旨
深刻化するセシウム137の汚染
1940年代以前には地球に存在しなかったセシウム137
前がん状態"チェルノブイリ膀胱炎"の発見
チェルノブイリ住民に匹敵する福島の母乳のセシウム汚染
子どもたちの接触・吸入を防ぐために今すぐ除染を
現行法では低線量・膨大な放射性物質を処理できない
被災者の立証は不可能である---東電・政府の責任
成層圏内の核実験禁止に貢献した猿橋博士の志を継いで
おわりに 私はなぜ国会に行ったか
委員会出席への依頼、そしてためらい
大津波は本当に「想定外」だったのか
専門家とは歴史と世界を知り知恵を授ける人
牛肉からセシウム検出の衝撃---7月9日南相馬にて
稲わら汚染のようなセシウム濃縮は至るところで起こりうる
事故の本質と対策を全知全能を傾けて語る決意
四つの提言---私が伝えたかったこと
人が汚したものを人がきれいにできないわけがない
付録 国会配布資料
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第二部の「危険を危険だとはっきり言うのが専門家」より一つだけ引用すると...
『今までの原子力学会や原子力政策のすべての失敗は、専門家が専門家の矜恃を捨てたことにあります。国民に本当のことを言う前に政治家になってしまった。経済人になってしまった。これらの反省なくしては、われわれの東京大学も再生はありえないし、日本の科学者の再生もありあないと思ってます。』
格差社会と差別の表象である原発を永年にわたって追い続けているフリー報道写真家 樋口健二氏へのインタビューである原子力資料情報室・映像アーカイブ:「 原発被ばく労働について」を見て、早速、Amazonに注文し、届いたのが本書である。本書は1981年の「三一書房」版と、2002年の「御茶ノ水書房」版があるが、それらが絶版となり「八月書房」より「増補新版」の発行が進められている段階で「3.11」の大惨事が起こった。
嘗てメタボリズムと云う建築思潮が1960年代から70年代に我国の建築家を中心に起きた。平たく云えば新陳代謝する建築を意匠的に表象する試みである。海外ではアーキグラムがそれに近く、そうした影響を受けて建築された代表がパリのポンピドーセンターであろう。それまで天井裏等に隠されていた建築設備の配管やダクトが外部に露出され表わにされた。それは建築を構成する各エレメントの耐用年数に対応した交換可能なデザインでもある。建築を生業にしていなくても、多くの負荷の掛かる設備機器や配管類の寿命が建築本体に較べて短いことは常識の範疇だろう。
樋口健二氏は発表されている事故の起きた原発建屋内の写真は稼働している原発建屋内と異なり、原子炉を取り巻く冷却装置等の配管類が全て爆発で吹き飛んでおり、通常と異なると云う。原子炉の寿命が35年とも40年とも云うが、原子炉冷却槽から発電用蒸気タービンに送る配管や、冷却等の配管の寿命は更に短く、定期的に交換しないと内圧に耐えられなくなるだろう。それらを点検、補修、交換するには、原発建屋内の被爆する可能性の強い放射線管理区域内に入らなければならない。原発事故を未然に防ぐには必要なルーティンである。それを誰が行うか...闇に消される原発労働者だけとしたら...。
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闇に消される原発労働者(増補新版)目次
・原発大惨事に思う--まえがきにかえて
第1章 原発被爆裁判
国を相手の孤独な戦い
科学を無視し、完全犯罪に手をかす判決
第2章 筑豊の原発被爆者
元炭坑に生きた人の被爆証言
第3章 被爆、そして死
倦怠感に悩まされる原発被爆者
開拓集落の被爆者
被爆死者と遺族の証言
第4章 労組委員長と敦賀原発内部
原子力時代が必ずくる
定期検査中の敦賀原発内部へ
第5章 被爆労働者とJCO東海事故
下請け親方も原発内で被爆す
高校生が原発内労働のアルバイト
慢性骨髄性白血病の青年の死
劣悪な原発労働でも労災認定を勝ち取った故・長尾光明さんと故・喜友名正さん
「悪性リンパ腫」で絶望的な死をとげた故・喜友名正さん
「臨界事故」翌日からの東海村
第6章 核燃料輸送と核燃料サイクル基地
核燃料輸送隊を追って
巨大原子力半島と化す下北半島
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水の透視画法
東京新聞をはじめとする地方紙に今年三月まで共同通信から配信されていた辺見庸のエッセーが単行本として上梓された。
私が2008年6月に「六月のテロル」と題したエントリーで紹介した『プレカリアートの憂愁』は秋葉原事件の四日前に東京新聞夕刊に掲載された「水の透視画法」のタイトルである。そして、「水の透視画法」の連載が終了し、3.11の前に編集・印刷され、3.11の後に発行された週刊朝日緊急増刊「朝日ジャーナル・知の逆襲 第2弾」に辺見庸が寄稿した『標なき終わりへの未来論』では「...テクノロジーはまだまだ発展し、言語と思想はどんどん幼稚になってゆくであろう。非常に大きな原発事故があるだろう。労働組合はけんめいに労働者をうらぎりつづけるだろう。おおくの新聞社、テレビ局が倒産するだろう。生き残ったテレビ局はそれでもバカ番組をつくりつづけるだろう...」と...綴っている。
それを説明するかの様に、本書の腰巻にも引用された前書きに代えて書かれた「予感と結末」では『...戦争や大震災など絶大無比の災厄の前には、なにかしらかすかに兆すものがあるにちがいない、というのがわたしの勘にもひとしい考えである。作家はそうした兆しをもとめて街をへめぐり、海山を渉猟し、非難におくせずものを表現するほかないさだめににある。からだの内側にあわだつ予感と外側をそっとかすめる兆しの両様に耳をそばだてなければならない。...』と...
私たちが漠然と抱いている言葉にならない予感を表現する今日では希有な文筆家である。
訂正:引用文が一行抜け落ちてました。m(_ _)m
JobsのApple/CEO退任が報道された8月25日はA&A主催の「Vectorworks教育シンポジウム2011」の会場に居た。私の後ろの席にはA&A会長の新庄氏と主席研究員の大河内氏と云う、これまた80年代から国内のApple/Macintosh黎明期を牽引してきた重鎮二名が...株価が下ったとか、なんたらと世間話を交わしたが...CEO退任は想定内のことで驚く程のことでもなかった。考えてみると、Jobsの居なかった1985年から1997年のAppleに於いても、JobsはAppleのiConであり続けた訳で、これからもそれは変わらないだろう。Newsweekからタブロイド版までJobsのCEO退任がニュースソースとなっているが、これもまた国内外を問わず企業のリーダーに理念のある人物が居ない...と云うことの反映だろう。
科学的とはどういう意味か (幻冬舎新書)
表紙カバー裏の紹介文に『科学―誰もが知る言葉だが、それが何かを明確に答えられる人は少ない。しばしば「自然の猛威の前で人間は無力だ」という。これは油断への訓誡としては正しい。しかし自然の猛威から生命を守ることは可能だし、それができるのは科学や技術しかない。また「発展しすぎた科学が環境を破壊し、人間は真の幸せを見失った」ともいう。だが環境破壊の原因は科学でなく経済である。俗説や占い、オカルトなど非科学が横行し、理数離れが進む中、もはや科学は好き嫌いでは語れない。個人レベルの「身を守る力」としての科学的な知識や考え方と何か―。』とある様に、前書きの最後は『...「これで科学を好きになってほしい」「少しでも興味を持ってもらえば嬉しい」ということではない。「科学から目を背けることはことは、貴方自身にとって不利益ですよ」そして「そういう人が多いことが、社会にとっても危険だ」ということである。』と結んでいる。
つまりはサバイバル、生き残るため為には科学的思考が不可欠だと云うこと。多くの客観的情報に基づき自分自身で考え判断することである。
先の厚生労働委員会での国会議員による参考人質疑を聴いていると、経済性を優先した確率的な「しきい値」を設定し、信仰としての安全安心を求め、自ら思考停止状態に陥ろうとしている...非科学的な感情としか思えないのである...。
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内容
第1章 何故科学から逃げようとするのか
いつから避けるようになったのか
向いてないと思い込む
文系と理系
理系科目は何が違うのか
覚えるものと理解するもの
名称を覚えることの弊害
思い込みによる思考停止
津波という名称はいかがなものか
言葉だけの認識の危険性
自分も言葉だけで評価してしまう
わからないのには理由がある
教育の責任
社会の集団の中でも
数字をイメージできるか
感想ばかりが溢れている
個人の感想ではなく客観的情報を
客観性が社会を落ち着かせる
科学の方法
本章のまとめ
第2章 科学というのはどういう方法か
科学と非科学
非科学的な習慣
幽霊を信じますか?
見れば信じられる?
科学とは
実験するのが科学?
実験が科学ではない
数値によるコミュニケーション
数字による認識
科学的予測が支えるもの
予測と予言
ある技術者の返答
科学は人間の幸せのためにある
定量的な把握
数字による把握とは
それでも耳を塞いでしまう
知識量に価値があるのではない
理系と文系の認識
お互いを認め合うこと
物語だけが読み物ではない
本章のまとめ
第3章 科学的であるにはどうすれば良いのか
「割り切り」という単純化
科学は常に安全を求める
厳密であるために疑う
割り切っているという自覚が必要
面倒なことに慣れる
問題を見つけることの重要性
科学的に答えてみよう
科学の歴史は浅い
案外誰も知らない科学的理由
問い続けると根源的な疑問に至る
言葉の信仰による支配
科学における理論とは
実験結果は必ずしも真実ではない
ある小さな研究の成果
秘伝は科学ではない
科学の慎重さ
科学の公平さ
本章のまとめ
第4章 科学とともにあるという認識の大切さ
ごく普通に接すれば良い
数字にもう少し目を留めてみよう
数字による評価
数字は当てにならないものか?
はっきりと示してほしい?
少し勉強すれば...
言葉を鵜呑みしない
大まかでも良いから把握する
技術者としての一言
科学者は非情なのではない
歩調を合わせて信じてしまう
科学的に否定されていない?
少し科学的に考えてみれば
若者の方が危ない
微笑ましいレベルの非科学
健康に関しては自分が基準
子供に対しての注意点
好奇心を潰さないように
自由さが科学を育む
人間の幸せのために
あとがき
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キャンペーン期間と云うことで今なら書籍情報社のサイトから本文の50%をPDFとしてダウンロードできるが、Amazonからの販売は未だ準備中のようだ。
私も占領下の日本に生まれたが、沖縄は1972年に返還されるまで米軍の統治下にあった訳で、未だに在日米軍の半数余りの専用施設が沖縄県にあり、未だに米軍の支配下にあることには変わりない。都道府県別に塗り分けられた日本地図を読むと在日米軍が重要視している戦略的拠点が良く解る。元々、帝都東京は軍都でもあった訳で多くの旧日本軍施設を戦後在日米軍が使い続けていたから、東京人には米軍基地のある風景はさほど珍しいものでもない。ベトナム戦争終了後、米軍立川基地の返還など、米軍基地の数は減少しているが時折、横田基地に向かう米軍輸送機の編隊が家の上空を爆音を残し飛んで行くのを見て、この空が米国に支配されていることを実感させられるのである。それに較べると近畿地方に米軍基地は皆無であるから、米軍基地がもたらす様々な弊害を実感するのは難しいだろう。
本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること/沖縄・米軍基地観光ガイド
本書は『沖縄・米軍基地観光ガイド』と本文の『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』で構成されている。伝えたいことはもちろん『本土の人間は知らない』ことであろう。『観光ガイド』と併せて、本土から差別され犠牲となっている沖縄の実情を理解する入門書でもある。PDFではなく紙の本を携え...OKINAWAを...巡り歩きたいと思う。
追記-1:今、何かと話題の西山英彦氏(経済産業省大臣官房審議官)もそうだが、キャリア組の多くは省庁に入省後、米国に留学し、「米国の都合良い官僚」として再教育されて戻ってくる。普天間基地の問題も...そうした「米国の都合良い官僚」の存在が...問題なのだが...
追記-2:Fumanchuセンセーのデホを追加...
出放題:拝啓国務長官様
結構金を掛けてきれいな階段
いのちと放射能 (ちくま文庫)
柳澤 桂子 (著)
著者は般若心経の現代詩訳『生きて死ぬ智慧』でも知られた生命科学者であり世界6月号『原子力からの脱出』にも寄稿されています。
本書はチェルノブイリ事故の2年後、1988年11月に地湧社から発行された『放射能はなぜこわい--生命科学の視点から』に「文庫版への長いあとがき」を追加し、タイトルを変えて「ちくま文庫」から2007年9月に発行されたもので、今年の4月に二刷され、手にした文庫版は既に四刷となっていました。3.11以降、人々のいのちに悪影響を与える放射能への関心の高さがうかがえます。
プロローグは、米国に於いて、サリドマイド薬害を未然に防いだケルシー女史の話から始まり、彼女のように正義感強く、勇敢になれるか、著者自ら自問自答し...
....原子力問題においても、この人間の弱さがいちばん問題なのではないでしょうか。大きな組織に組込まれると、個人の意志とは関係なく、不本意な動きをさせられてしまうことがあります。
....中略....
私は放射線がどのように人体に及ぼすをよく知っていました。
放射能廃棄物の捨て場が問題になっていることも知っていました。
けれども、原子力発電のおそろしさについては私はあまりにも無知でした。
....中略....
盛り上がる国民の反原発運動に対して、国や電力会社は感情論であるという見解を振りかざしています。たしかに、自分の目で確認できないことに関して、私たちは何を信じてよいかわからなくなることがあります。
ただひとつ、私は生命科学を研究してきたものとして、はっきりと言えることがあります。それは『放射能は生き物にとって非常におそろしいものである』ということです。そのことをひとりでも多くの方に理解していただくように努めることが「私のいま、なすべきことである」と思います。
内容
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・はじめに
・私たちは星のかけらでできています。
・DNAはいのちの総司令部
・DNAは親から子へ受けつがれます。
・放射能を浴びるとどうなるのでしょう。
・弱い放射能がガンを引き起こします。
・放射能はおとなより子どもにとっておそろしい。
・お腹の中赤ちゃんと放射線
・少量の放射能でも危険です。
・チェルノブイリの事故がもたらしたもの
・人間は原子力に手を出してはいけません
・これ以上エネルギーが必要ですか
・それはこころの問題です
・ひとりひとりの自覚から
・あとがき(1988/10)
・文庫版への長いあとがき(2007/8)
・解説 永田文夫(三陸の海を放射能から守る岩手の会 世話人)
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内容の一例として『お腹の中赤ちゃんと放射線』の一部を紹介すると...
胚や胎児に対する放射線の影響は、受精後どの段階で放射線を受けるかによって大きくちがってきます。
細胞が分裂して球状のかたまりをつくっている時期に放射線を浴びると、胚は死んで流産してしまいます。
からだのいろいろな部分をつくっている時期に放射能にさらされると、奇形児が生まれます。
かたちができてしまってから放射線を浴びると、生まれてからガンになります。
....中略....
放射線はDNAに傷をつけたり、切断したりして、突然変異を引き起こします。その結果、細胞がガン化したり、奇形児が生まれます。また表面にあらわれないDNAの傷が子孫に伝えられますので、長い間に、生物の中にDNAの損傷が蓄積してゆく可能性があります。
My Back Pagesと云えばBob Dylanが1964年に作詞・作曲した曲だが、私にとってはAtlantic Label系のVortexからリリースされたKeith Jarrett Trioの1968年のアルバム・Somewhere BeforeのA面一番の曲として聴いたのが初めてであった。
昨日の篠田博之氏による東京新聞のコラム「週刊誌を読む」に『「古傷」映画化 なぜ大宣伝/深謀遠慮、風化...朝日の思惑は...』と映画『マイ・バック・ページ』が取上げられていた。この映画も川本三郎の原作も(金を払ってまで)見るつもりも読むつもりもないが、原作の素材となった事件は...確かそんな事があったと...記憶に残っているが、その当事者の一人が川本氏であったことを知ったのは数カ月前に読んだ雑誌の記事ではなかったかと思う。それにしても週刊朝日3月25日号でも原作のタイトルに使われたBob Dylanの詩のリフレインについて言及されていないし...。まぁ、こんな手垢に塗れた紋切り型の括り方を読むと...やっぱりマスメディア側(マスコミ村)にいた人間だなぁ〜と白けてしまうのだが...。
Bob Dylan - My back Pages
Keith Jarrett Trio - My Back Pages
追記:数カ月前に読んだ雑誌とは3/15発売の週刊朝日・緊急増刊「朝日ジャーナル」の川本三郎と中森明夫の対談でした。とかげの尻尾にされた川本氏に対し弁解の機会を与えるのはマスコミ村・大字朝日新聞の損失補填でしょうか。
原発事故はなぜくりかえすのか
高木仁三郎著:(岩波新書)
3.11の後、確かどこかにある筈だと未整理の書棚に隠れていた本書を引っ張り出してきた。本書を読むきっかけはTBS News23に何度か氏が出演され、2000年10月8日に氏が亡くなられた翌日の多事争論で「市民科学者」としてその死を取上げられ、本書が出版される二週間前にTBS News23の特集「高木仁三郎という生き方」を見たからだと思う。略10年前に購入した本なので私の脳内の揮発性メモリから記憶は蒸発していたので読み直すことに...。改めて年譜を読むと氏が亡くなられた年齢は今の私の年齢と同じ...う〜む....。遺言となった「最後のメッセージ」に無念さを感じると同時に...この10年間...私は何をしていたのだろうか...。
友へ 高木仁三郎からの最後のメッセージ皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終っても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差し伸べて鍛え直してくれました。それによって、とにかくも、「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国・全世界に真摯に生きる人々と共にあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信からくる喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向かって進めてくれました。幸いにして私は「ライト・ライブリフッド賞」をはじめ、いくつかの賞にめぐまれることになりましたが、それらは繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うべきものとしての受賞でした。
残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならななりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは、目にしたかったです。
でも、それはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物がたれ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
いつまでも皆さんとともに 高木仁三郎
最後まで氏が抱いていた危惧は現実となってしまいました。
最終章の『技術の向かうべきところ』ではこう述べています。
...原発が本当に深刻な事故に至った場合は、人為的な判断で、外からダイナミックな装置を介入させてシステムを止めるとか、緊急冷却水を送り込んで原子炉を冷やすというようなことでなくて、本来的に備わった安全性--パッシブ・セーフィティと言われています--によって暴走を止めるようなあり方のほうが望ましいのではないかということです。...
『原発事故はなぜくりかえすのか』 内容
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はじめに....
臨界事故/青い閃光/峠三吉/饒舌な報告書
1 議論なし、批判なし、思想なし
安全神話の崩壊/安全文化/原子力文化/安全第一/自己検証のなさ/原子力産業の状況/さまざまな用途の研究/相互批判なし/議論なし、思想なし/原子力導入の歴史/原子力村の形成/奇妙なブーム/ある体験
2 押し付けられた運命共同体
国家まかせ/大事故の評価/トップダウン型の開発/サッカーにたとえると/「三ない主義」/「我が国」という発想/マイ・カントリー
3 放射能を知らない原子力屋さん
バケツにウランの衝撃/物理屋さんと化学屋さん/放射化学屋の感覚/物理屋さんの感覚/自分の手で扱う/放射能は計算したより漏れやすい/事故調査委員会も化学抜き
4 個人の中に見る「公」のなさ
パブリックな「私」/普遍性と没主体性/公益性と普遍性/仏師の公共性/技術の基本/原子力は特殊?/科学技術庁のいう公益性
5 自己検証のなさ
自己検証のない原子力産業/自己に対する甘さ/自己検証型と防衛型/委員会への誘われ方/結論を内包した委員会/アカンタビリティー/寄せ集め技術の危険性
6 隠蔽から改ざんへ
隠蔽の時代/質的転換/技術にあってはならない改ざん/技術者なし
7 技術者の変貌
物の確かな感触/ヴァーチャルな世界/論理的なバリアの欠如/新しい時代の技術者倫理綱領
8 技術の向かうべきところ
トーンを変えた政府/JOCの事故の意味/技術の極致/現代技術の非武装化
あとがきにかえて
友へ 高木仁三郎からの最後のメッセージ/高木さんを送る
高木仁三郎・年譜
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世界6月号は5月号の生きよう!に続いて「原子力からの脱出」だ。中でも3.11以降、脱原発派として評価の上がっている河野太郎の『エネルギー政策は転換するしかない』は判りやすく良く纏まった正論だが、原発推進派が蠢く自民党の中で次期衆院選で党公認が取れるかが心配だ。
神保太郎の『メディア批評』を読むと脱原発にシフトした毎日新聞のコラム『風知草』執筆者の編集委員に対して四月中旬に政府関係者から「浜岡原発は止めなくちゃ駄目だ。」と書いてくれないかと声を掛けられていたそうである。世界6月号の発行日が連休明けの5月7日だから、その前日である5月6日夜の首相の浜岡原発停止要請は...唐突に行なわれた訳ではない様である。
世界6月号・執筆者からのメッセージ:小出裕章
追記:河野太郎 × 岩上安身 インタビュー
世界6月号が珍しく売りきれたようで緊急増刷とか、原子力行政はこのままでは行けないと思っている人が増えているようだ。
毎日jp:浜岡原発:首相と、原発推進維持図る経産省の同床異夢
平成23年3月11日(金)定例閣議案件
経済産業省:電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法案について
『生きる』は黒澤明の映画ですが、4月8日発売の雑誌『世界』5月号・東日本大震災・原発災害 特別編集は読者へと題された編集部からのメッセージにあるように「がんばる」ではありません。このタイトルは考えるに、生きとし生けるものの命に向き合い、共に「生きよう!」それが犠牲者への供養になるとの想いではないでしょうか。一瞬私は字面を見て「生きよう!」を「さまよう!」と読み間違いしそうになりましたが、兎も角、自分の脳で考えながら「さまよい」ながらも能動的に「生きよう!」と云うことかも知れません。間違っても口先だけの為政者に全権を委ね、自由から逃避して思考停止に陥ってはいけないと思います。
この様な事態だからこそ地震・原発関連記事のPDF無料公開に踏み切った岩波書店に続き、丸善出版も関連PDFの一部無料公開を開始しました。何処かの公共図書館の様に節電に乗じて休館にするのとは大違い、出版人の有り様も問われているのかも知れません。
丸善出版:地震・津波、放射線、心理学分野の書籍・本文無償公開
講談社:『日本の原子力施設全データ』一部公開
科学雑誌ニュートン:【放射線】どんな種類がある?人体への影響は?
化学同人:放射線の性質と生体への影響
岩波書店:雑誌『世界』『科学』の一部を無料公開
ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸
1954年3月1日ビキニ環礁で行われた水爆実験によって被爆した第五福竜丸のルポルタージュの雑誌挿絵をベン・シャーンが描いたのは1957〜8年に掛けての事、その後ベン・シャーンは同一テーマでタブローの連作"Lucky Dragon Series"を制作していた。本書はそれから半世紀以上を経た2006年にアーサー・ビナードによって一冊の絵本にされたものである。ベン・シャーンにこのようなテーマの連作があった事も知らなかったし、それが絵本になっていたことも知らなかった。
巻末の「石に刻む線」と題されたアーサー・ビナードによるベン・シャーンの伝記を読むと「サッコとヴァンゼッティ事件」をテーマにした連作も描いていた。(この事件をテーマにした伊・仏合作の「死刑台のメロディ」は40年程前に私も見たが米国が国家の元にリンチを正当化した典型的な冤罪事件であった。)ベン・シャーンは"Lucky Dragon Series"の連作を、無線長・久保山愛吉を主人公に描いている。
『放射能病で死亡した無線長は、あなたや私と同じ、ひとりの人間だった。第五福竜丸のシリーズで、彼を描くというよりも、私たちみなを描こうとした。久保山さんが息を引き取り、彼の奥さんの悲しみを慰めている人は、夫を失った妻の悲しみそのものと向き合っている。亡くなる前、幼い娘を抱き上げた久保山さんは、わが子を抱き上げるすべての父親だ。』その想いが、孫以上に年齢差のあるアーサー・ビナードを動かし絵本へと結実したのだろう。それは人の死を統計上の数値としか見ない為政者とは対極にあるだろう。
Art as Activism: The Compelling Paintings of Ben Shahn
映像開始から7分位の処で"Lucky Dragon Series"が紹介される。
The Lucky Dragon Incident
第五福竜丸の事件当時、私は五歳、大人たちが「ビキニマグロ」や「死の灰」や「放射能の雨」と口にしていたのは憶えている。映画館で見たニュース映画による映像の記憶はもう少し後の記憶かもしれないが、それでも足立区に住んでいた七歳までの記憶だ。その当時、町の医院や歯医者の待合室にあった世界画報等のグラフ誌には子供に見せたくない様な残酷な写真で溢れていたが、私は親に咎められることなくそれらを見ることができた。戦争を知らずに生まれてきた子供であったが、戦争や核の悲惨さは、戦後次第に明らかにされてきた惨たらしいそうした写真によって知ることができた。しかし、現在はどうだろう。自主規制により子供の目はおろか成人の目にも触れないようにされている。
1994年に制作されたこのドキュメントを見ると、そうした情報操作を如何にメディアは成し遂げてきたかが良く解る。そしてCIAのエージェントであり、プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力の父とされた正力松太郎の役割も分かる。果たしてこの番組を再放送する気概が現在のNHKにあるだろうか。大手メディアが「永田町の犬」と化し「官僚保護団体:ナガタチョー・シェパード」となっている現況では難しいだろう。
GoogleVideo「原発導入のシナリオ 〜冷戦下の対日原子力戦略〜」(連続再生可能)
植草一秀の『知られざる真実』原発政策を誘導した米国核政策必見ドキュメント
東京都立第五福竜丸展示館
第五福竜丸元乗組員・大石又七さん (1/2)
第五福竜丸元乗組員・大石又七さん (2/2)
2008年9月23日(故・久保山愛吉・命日)大石さんから①
2008年9月23日(故・久保山愛吉・命日)大石さんから②
余談:....『じゃぁ、ビキニ環礁は?』『えっビキニ鑑賞って...』 昨日、研究室の歓送迎会で期待通りのリアクションをしてくれた教え子の助手...彼女が知らないのも無理もないでしょうね。風化される反核運動(3/24のツイート)
岩波書店の英断!世界1月号『特 集 原子力復興という危険な夢』をPDFで公開。
これまで経験したことのない巨大地震と巨大津波、被害はなお続いています。PDFダウンロードは下記のリンクから
かつてない規模の被災者にとって、いま緊急に必要なのは支援、救援体制の整備と静かな喪の時間の確保です。しかし、救援と喪の時間を妨げ、不吉な影を落としているのが、いうまでもなく、福島原発の深刻な事故です。
本誌は、原子力発電について、その安全性、経済性、エネルギー政策の面などから、疑問を呈し、批判的な論陣を長く張ってきました。
その直近の号が2011年1月号の特集「原子力復興という危険な夢」でした。
事故以後、この号を読みたいという要望が多く寄せられました。本屋さんを通じて注文をいただくことも可能ですが、被災地に近いところではそのようなことは不可能です。そこで、著者の方々の了解を得て、特集の一部をPDFとし、当面の間、無料でダウンロードすることができるようにしました。
2011年3月28日
「世界」編集長 岡本厚
『原子力開発に地元の声は届かず、国会議員すら触れない。事故は起こるべくして起きた。原子力関係者は地元の人たちを今どんな状況に置いていると思っているのか。』とインタビューは結んであります。「世界 2011年1月号」のPDF版『原発頼みは一炊の夢か』と併せて読むと、地方の現実が伝わってきます。
川跡からたどる江戸・東京案内
菅原 健二・編著 (洋泉社・発行)
あのJEDI必携の『川の地図辞典 江戸・東京/23区編』と『川の地図辞典 多摩東部編』の著者である菅原健二氏の最新刊である。出版社のサイトで書籍検索するとエンターテイメントに分類されているようだが、その内容は川跡からたどる江戸東京の近現代史である。明治維新、関東大震災、東京大空襲、東京オリンピック、そして昭和平成バブルと、幾多の災害や破壊に改造の生贄とされ、視覚から抹殺された川跡を探り都市の記憶をたどる一冊である。因みに表紙の地図は図説・明治の地図で見る鹿鳴館時代の東京でも用いられた参謀本部陸軍測量局『五千分一東京図測量原図』(明治9年〜明治17年)の「東京府武蔵國京橋区木挽町近傍」汐留付近である。そういえば日本地図センターから復刻版・参謀本部陸軍測量局『五千分一東京図測量原図』が出ると云うつぶやきを聞いたような...こんなものもあるし...期待したいのだ。
内容
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第一部 都心部を流れる神田川をたどる
第一章:江戸から昭和までの記憶が残る神田川
江戸・東京の「母なる川」神田川
隅田川への水路としてできた御茶ノ水
神田川に栄えていた河岸
日本最古の都市上水道・神田上水
松尾芭蕉と神田上水
江戸川公園と小石川後楽園に見る面影
江戸の六上水
第二章:消えた神田川の支流
三業地に谷端川の面影を見る
千川通りと『太陽のない街』
紙すきで知られた音羽川
池袋の地名と関係する弦巻川
歌舞伎町を流れていた蟹川
田安家下屋敷あたりから流れていた紅葉川
神田川との合流地点が移動した妙正寺川
桃園川と吉宗との関係
農業用水として利用された神田川笹塚支流
第二部 若者の街・渋谷に流れていた川
第三章:喧騒の街を流れる渋谷川
渋谷駅東口に見える渋谷川は潅漑用水だった
大岡昇平と渋谷川
生活排水路へと変わる
参道橋とキャットストリート
明治神宮内の清正井と南の池も水源
渋谷川に合流していた代々木川
新宿御苑内の泉池も水源
渋谷川に合流するイモリ川
忍者の組屋敷脇を流れていた川?
第四章:渋谷センター街も川だった?
水音が聞こえてくる宇田川遊歩道
水源は幡ヶ谷近辺の湧水
大岡昇平と宮益坂、道玄坂
宇田川橋と代々木練兵場
大名屋敷の池は水源になる?
水源の池があったとされる旧山内侯爵家
暗渠化された河骨川の光景
東京オリンピックが暗渠化を進めた?
第三部 水の都・江戸の面影を求めて
第五章:水路が張りめぐらされていた街をたどる
銀座界隈は「日本のベニス」だった
家康の江戸入府と道三堀
日比谷は海だった?
数寄屋橋の下を流れていた外濠川
外濠川の現在
江戸の外湊と内湊をつないだ日本橋川
日本橋川の河岸
高速道路に変わった楓川
楓川周辺には木材関連の町が集まる
八重洲通りは紅葉川の跡地
防衛施設だった八丁堀
外濠とともに開削された京橋川
河岸が果たした役割
三原橋が架かる三十間堀川
築地地域を囲む築地川
江戸のメインストリートにつながっていた西堀留川
東堀留川に架かっていた思案橋とは?
吉原遊廓を囲む浜町川
消えた歓楽地、中洲をつくる箱崎川
大名屋敷のあいだを流れた稲荷堀
江戸湊の中心にある亀島川
酒問屋街を流れる新川
新島原の廓堀だった入船川
埋め立てが繰り返された龍閑川
お玉が池と藍染川
溜池の排水路だった汐留川
付録 江戸・東京の川跡を歩くヒント
谷・田・窪・沢・瀬などの地名に注目
公園などの都市施設や公共施設に注目
道路になったケースがいちばん困難
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全貌ウィキリークス
早川書房刊
書籍版1890円、Voyager Store:電子版800円
ウィキリークスの情報開示報道に協力した独・シュピーゲル誌の二人の記者によるウィキリークス創始者で、或る意味に於いて時代の寵児と呼ぶに相応しいジュリアン・アサンジの伝記『全貌ウィキリークス』を発行日の2月10日にVoyager StoreからiPadにダウンロード購入した。
そして本書の国内発売に合わせたかのようにウィキリークスのNo.2でアサンジと袂を別ったドイツ人ハッカーのダニエル・ドムシャイト-ベルグ が書いた暴露本「ウィキリークスの内幕」の記者発表が翌日の国内メディアに一斉に掲載されていた。米軍の機密情報の公開方法を巡る二人の確執は本書にも書かれている事で周知の事実の様であるが、米国追従型談合メディアは相も変わらずハニートラップ疑惑付き下半身スキャンダルの容疑者としてのアサンジしか報道対象としていないのが...米国保守メディアと同じでなんだかである。豪州のアナーキーなハッカーと云う認識が一般的と思えるジュリアン・アサンジだが、その生い立ちを知ると...成程と、ダニエル・ドムシャイト-ベルグとの確執が起きても当然と思える。そしてパーソナル・コンピュータの黎明期と共に少年時代を過しハッカーと成長したアサンジがウィキリークスを創設したのも自然な流れだろう。もしも、アサンジがやらなくても他の誰かがウィキリークスを創ったのではないだろうか、その意味で彼は時代が生んだ寵児なのであろう。
追記:コラテラル・マダー へのリンク等追加
上図:第四章の『コラテラル・マダー (Collateral Murder)』イラク民間人爆撃ビデオ
『民は之に由らしむべし之を知らしむべからず』
日本に限らず程度の差こそあれ...為政者は...似たようなものであるが...それもネットの力で...新たな局面を迎えていることは間違いない。ウィキリークスがその魁であってもデジタルデバイドによって情報から排除される人々の存在も少なくない...それも現実だ。
我々は新たにネットを含めてメディア・リテラシーの能力が必要とされている時代に居ることを認識しなければいけない。
東京今昔歩く地図帖
彩色絵はがき、古写真、古地図でくらべる
学研ビジュアル新書
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副題の通り、彩色絵はがき、古写真、古地図で江戸東京の過去と現在の風景を見比べる本である。似たようなテーマによる書籍は今までもあったが、ポケットに入るハンディな新書は初めてかも知れない。それが長所でもあり、内容の薄さと云う欠点にもなる処が難しく、何処に行くにも持って出掛ける必携の書とは成りえないのが残念である。何れこうした類いの本は電子書籍に置換わる可能性が大きいと思える。
黒い都知事 石原慎太郎
記者クラブ制度に甘んじ、権力に阿るマスメディアしか存在しない国に住む我々はなんと不幸なのだろう。
本書で語られているのは特に目新しい事ではないが、関係者への取材を積み重ね事実を浮かび上がらせる、ジャーナリズムが本来持つべき地道な行動力によって得られたものであることは間違いないだろう。それは第1章で語られている大手ゼネコンとの癒着が故・新井将敬氏への人種差別的選挙妨害シール事件(参考文献・代議士の自決―新井将敬の真実)まで溯って追求されていることからも伺える。
石原都政の12年間とは何だったのか...都民はもう一度冷静に考え直す必要が求められている。それは彼の男根中心主義に根ざすキャラクターと失言・問題発言を批判するだけでなく、本書腰巻に書かれた事がより重要なのである。
追記:豊洲新市場予定地液状化見学をさせない東京都
内容--------------------------------------------------------------
第1章 羽田空港国際線オープンの黒い霧
国際線就航の背後で蠢いた黒い利権
石原人脈「鹿島建設」と住吉会を結ぶ点と線
D滑走路の工事でなぜ大量の「産廃」を投入した?
…他
第2章 錬金術にまみれた「築地市場移転計画」の陰謀
最大最悪の“土壌汚染地帯”に移転させたい“胸算用”
基準値のなんと1000倍を超える発がん性物質を検出
東京五輪招致との「抱き合わせ」計画
…他
第3章 “石原一家”と闇の勢力に喰われた「新銀行東京」
1000億円をドブに捨てた「石原銀行」
「口利き案件リスト」の真相
暴力団とタッグを組んで不正融資を仕組んだ元行員
…他
第4章 幻の「東京五輪」で儲けまくった面々
疑惑の明治神宮外苑再開発計画
JOC理事・森喜朗元首相の暗躍
大嘘だった「カネのかからないオリンピック」
…他
第5章 「東京再開発」に蠢く土建バブルの亡霊
森ビルと「マッカーサー道路」をめぐる利権話
秋葉原再開発――鹿島建設の開発計画に合わせて都市計画が変更される
鹿島と東京都政――ズブズブの関係の動かぬ証拠
…他
第6章 東京のカネはオレのカネ!?――税金私物化の唖然
画家としては無名の4男・延啓氏を重用しまくりの謎
「聖域」だから許されるTWSの乱脈運営
共産党都議団に暴露された「密室の宴会政治」
…他
第7章 福祉絶望都市に栄える「強欲福祉ビジネス」
都立病院たたき売りと石原都政の下心
不透明な入札が目立った都立病院のPFI事業
偽装請負がなければ成り立たなくなった病院
…他
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参考
楽しくわかる!住宅工事現場写真帖
古川 泰司著:エクスナレッジ・ムック
昨年末、坂田明氏から伺った話で、海外公演旅行の際に余興で日本の伝統的歌謡を独唱すると場が盛り上がり、大体の国では受けるそうだが、中にはシラーとして全く受けず、逆に怪訝な顔をされる場合もあるそうである。何故か?といえば、その国では歌は一人で唄うものでなく皆で唄うものなのだそうだ。その話を聞いて『じゃぁソバヤを唄えば受けたかも知れませんね。』と言うと、坂田氏は『そうだね。』とソバヤのサワリを唄ってくれた。坂田氏の分析によれば職能が未分化な地域で共通するリアクションと云うことである。
近代化によって職能の分化がもたらされ、現代はその職能も更に細分化され、自分が従事している職能でさえも、その産業の全体像を捉えることは、もやは困難な時代となっている。住宅建築もその例外ではなく嘗て農村地域では村を上げて農家の新築や改築、そして茅葺き屋根のの葺き替えをしていたが、そうした農家でさえも今日では商品化住宅によって建替えられているのが現状だ。
話は大幅に逸れてしまったので本書に戻ろう。古川氏が再三Twitterで呟いていたメインタイトルの「住宅工事現場写真帖」だけでは、その内容が何のことやら想像できず、伝わり難いが、本書を手に取って見るとタイトルの脇に添えられた"Half-Build Handbook"の文字に合点し、そこに著者の思いが込められているように思えた。恐らくはタイトル決定まで著者と編集者、それに営業企画の間で喧々諤々とした話し合いが行われ、それぞれの意見を取り入れた結果、背表紙に副題、表紙カバーにキャプションやコンテンツを入れたと想像するのだが...さて真相は...如何に。
そんな深読みをするまでもなく、本書で最も多くの頁を割いているのが"Half-Build Handbook"に相応しい、床、壁、家具による、いわゆる内装工事にも分類できる工事区分である。これは新築でなくても、中古マンションや、中古住宅を自分の手でリフォームしたいという潜在的なニーズに応えたものであろう。いきなり自分の手で建築工事の何から何まで...セルフビルドでは余りにも敷居が高すぎて、尻込みしてしまうが...床の張り替え...とか壁の塗り替えの...ハーフビルドなら自分でもやってみたいと思う方には...最適な本である。
住宅は世界の至る所に遍在しているものである。見本となるものは幾らでもある。我流だろうが独学であろうが、自分で作ろうと思い立ち...研究心と根気さえあれば...誰でも可能性はある。必要なのは子供の頃に...秘密基地を作った...あの時の冒険心だけである。
aki's STOCKTAKING:住宅工事現場写真帖
からだにおいしい魚の便利帳
藤原昌高・著/高橋書店・刊(1400円+税)
二年前にエントリーした「からだにおいしい野菜の便利帳」の続編である。前回同様に郵便局と銀行に行ったついでに、本屋に立ち寄ると平積みにされている「からだにおいしい 野菜の便利帳」と並んで置いてあった。今まで気付かなかったけれど、どうやら今年五月末に刊行されていたようだ。
そういえば、いつだったかスーパーに珍しく鰰(ハタハタ)が置いてあり、買ったは良いが調理法が分からず、生憎と魚醤も無く適当に鍋物にして誤魔化して食べたけど、本書でもやっぱり「しょっつる鍋」が鰰の王道のようだ。
それにしても日本は海産物に恵まれている。そんな国に住んでいるのだから、切り身ではなく、やっぱり魚は一尾丸ごと料理するのが本当だろうな...と頁をめくりながら思う今日この頃である。
さて『iPadでつくる「究極の電子書斎」 』の著者・皆神氏の様に蔵書一万冊を切り刻んで電子書籍化しまう猛者(尤もウィキペディアによれば此の吾人、本業は会社員と云っても新聞社勤務とか...)も居るようだが、其処まで割り切れない者や、自炊を始めたばかりの者は何から手に付けて良いか、正直迷う処がある。取り敢ずは雑誌の類いから仕分け、新書や文庫本の類いは買ったばかりの本や読もうと思って積読状態にある新しいものから自炊に掛けようと思う。そのうち単行本でも躊躇うことなく切り刻んで自炊するようになる自分の姿を想像する。そうすれば自炊する必要性が感じられない本を仕分けすることもでき、古本として処分するのに躊躇しなくなるのではないかと思うのであるが...さてさて...。
ところで、2010年9月5日放送のTBS系列『夢の扉・最先端のロボットを作り続けたい』が興味深かった。東京大学工学部・石川小室研究室の石川正俊教授による高速視覚情報処理を応用した「ブックフィリッピングフォルダ」は書籍をバラすことなく、パラパラと頁を捲る間に情報を読み取り画像補正処理までしてしまうそうだ。
石川教授のMy Goolは『2020年:世界が驚く高速の目を持ったロボットを20以上、実用化する』と云うことで実用化にはまだまだ...の様である。しかし10年なんてあっという間、さてその発明が一般消費者の手が届くものになるか否か...楽しみであるが...。
+
と云うことで著作権の問題も考えなければいけない。基本的に著作権法第三十条の法的に許された「私的使用のための複製」の範囲を逸脱してはいけないのである。つまり自分が読む書物は自分でスキャニングして電子書籍化しなければいけない。つまり、それが『自炊』である。であるから素材が自分の物であっても調理を他人に頼んだり、隣人から「おすそ分け」を譲り受けたのでは『自炊』とはならないのである。また、その場所は自宅とは限らず、木賃アパートや湯治場の共同炊事場で調理道具を借りても自分が食べる物を自分で作れば『自炊』と云う解釈になるであろう。
因みに「初めての自炊...」で取上げた絶版の「Macintosh Desktop Architecture Guide」は著作権者なので無問題。
スキャニングが終ったPDFはAdobeAcrobatPro. で「しおり(目次)」を付ける。此の時、テキスト認識をしてあると、PDFからテキストのコピー&ペーストが可能となるので、タイピングする手間が省ける。
GoodReaderに取込んだPDFを他のAppで読むにはManage FilesでPDFを選択してから「Open In...」をタップする。
選択したPDFにポップアップ表示されたリストから目的のAppをタップするとGoodReaderが終了して目的のAppでPDFが開かれる。
i文庫で表題や開き勝手(縦書き/右開き)を設定する。
i文庫ではAdobeAcrobatPro. で設定した「しおり(目次)」は「しおり」ではなく「索引」となる。i文庫はPDFの見開き表示ができるので、より自然な読書スタイルが可能である。
そんな訳で『"iPad Night"「iPadってどうよ」』の続きとして『iPad afternoon 自炊の作法』なる、緩いワークショップを企画しているので、日時等が決まれば改めてエントリーする予定なのだ。
と云うことで前エントリーで紹介した新書『iPadでつくる「究極の電子書斎」 』でも自炊のマストアイテムとされているPLUSの手動断裁機PK-513LとFUJITSU ScanSnap S1500M を用いて自炊するのだが、先ずは書籍なり雑誌を切り刻むことから始めなければいけない。しかし闇雲にギロチン台(断裁機)に掛ける前に、やはり本の構造を知っておかねばならない。と云うことでデザイン解体新書を引っ張り出し「第5章 本のつくりを知る」を読み、或いはネット検索から製本に関する本の各部名称と綴じ方の基本を押さえ、製本別に本の解体方法を考えなければいけない。「中綴じ」や「平綴じ」による製本の解体ではステープラーで綴じられた針金を外す専用のステープルリムーバー等も必要になる場面もあるようだが、週刊誌程度ならステープラー(ホチキス)の尻に附いている爪のようなリムーバーでも良いだろう。肝腎なのは裁断する前に針金を外しておくことである。PK-513Lは赤色LEDのカットライン表示機能により切断位置の目安を付けられるが、やはりスケールで本のサイズを測り、裁ち落とす「背表紙」と「ノド」部分を何ミリにするか計算して固定ガイドのルーラーに移動ガイドを合わせ、糊付け部分に刃が当ったり、糊付け部分を残さないように正確に「断ち位置」を決めた方が良いだろう。尚、PK-513Lが一度に裁断できる能力は厚さ15ミリ以下、コピー用紙で160〜180枚程度だから頁数で云うと320頁程度だろうか。
と云うことでScanSnapに一度にセットできる紙は50枚、両面スキャンで100頁分である。蓋を開けると自動的にスィッチが入り、紙をセットしてブルーに光るボタンを押せば直ぐに推奨モードのスキャニングが始まるのであるが、その前にScanSnapManagerで画質やら何やらの設定を行なうこと。
Mac OSの場合はDockに置かれたScanSnapManagerを選択してメニューバーから上図の設定ダイアログを画面表示する。50枚を超えて分割してスキャニングする書類は「継続読み取りを有効にします。」をチェック。
読み取りモードから解像度の選択。
カラーモードの選択。
読み取り面の選択。
読み取りモードのオプション設定。
ファイル形式からテキスト検索可能なPDFにするためにOCRを掛けるか否かの設定をする。
スキャニングが終ってからテキスト認識するのに多少の時間を要する。
ファイル名を付けて指定した場所に保存する。
ローカル、ネットワーク、MobileMeとクラウドサービスにも対応している。
と云うことで解像度とテキスト認識を設定した場合を比較するために幾つかテストしてみた。
192頁程度の新書で上から「スーパーファイン・グレイモード・テキスト認識付き」「スーパーファイン・グレイモード」「スーパーファイン・白黒・テキスト認識付き」「ファイン・グレイモード・テキスト認識付き」「ファイン・グレイモード」の順、「テキスト認識付き」で1.5MB程増えるだけである。
「スーパーファイン・グレイモード(300dpi)」
まぁ、使う本人が自炊する訳であるから、味付けは素材(写真の割合・カラーとモノクロ)と本人の「お好み」で決めれば良いことだろうが、多少の時間は掛かっても「テキスト認識付き」にしないと電子書籍化する意味が無いように思える。(自炊の作法...3に続く)
自炊の作法...と云っても単身赴任者の為にフライパン一つでクッキングとか... ではなく、大根の代わりに書籍を切り刻んでスキャナーに掛けて電子書籍化するあれである。
と云うことで蔵書一万冊を切り刻んで電子書籍化してしまった著者が書き下ろした新書・『iPadでつくる「究極の電子書斎」 』である。『蔵書はすべてデジタル化しなさい!』と檄を飛ばす著者の教えに従い、買ったばかりの本書を2/3程読んだところで断裁機に掛け、切り刻み電子書籍にしてみた。著者とすればこれが本望であろう。蔵書すべてデジタル化するつもりはないが、何事もやってみないと分からないし、また考えも変わるかも知れない。
『iPadでつくる「究極の電子書斎」』
著者は前書きで
『....そこでこの木は、世に現れてきてくれないのなら、いっそのこと自分たちの手で電子書籍を作ってみませんかという、自力でのデジタル書籍作製をすすめる「ドゥーイットーユアセルフ電子本」なのである。...中略と言ってるように『自炊の作法』について語られている様である。
....愛書家の端くれである我々は、増え続ける本の置き場に、ほとほと困りきっていた。木の置き場にどうしようもなくなってしまった皆神が、9年前に「蔵書全デジタル化計画」をぶちあげ、以後飛鳥田と競うようにして、せっせと蔵書のデジタル化を進めてきた。.... 』
第1章 蔵書はすべてデジタル化しなさい
知らぬうちにメジャーになっていたスキャン文庫元年 14
「自炊」経験は2割? 21
日本で一番多くの本を持って出勤する男・通勤用iPad読書のすすめ 25
引っ越しと本のシャッフル 36
同じ本を2度買わないための秘技 41
スキャン文庫進化の道のり 44
三日坊主のデジカメ法 58
究極の一冊「ラスト・ブック」60
第2章 蔵書デジタル化の実践スキャン文庫の作り方
これですぐ始められる--三種の神器とデジタル化手順 66
アクロバットで大丈夫か 70
本は切ってもいいのか? 71
情報は軽くなることを望んでいる 74
裁断機で効率的に作業する 76
スキャナのいち押しと使い分け 77
フラットベッドスキャナの活用シーン 87
日本語変換は、グーグルで決まり 89
データバックアップのすすめ 90
○コラム【気になるファイルサイズ】 92
スキャン文庫は安全なのか? 93
「地震で本の下敷き」は冗談ではない 95
スキャン文庫と法律的問題 98
スキャン文庫と費用 101
第3章 デジタル蔵書とiPadで変わる読書スタイル
電子書籍は読むに堪えるのか? 106
・iPadかキンドルか? 109
キンドルは日本語が苦手? 113
・iPadでどうやって本を読む? 117
見やすく上下空白を切る 129
○コラム【お風呂で・iPad】131
○コラム【iPadで電話】132
第4章「究極の電子書斎」の活用術
スキャン読書術、整理術 136
パソコン以前の整理術の歴史 138
情報の標準化と集約の狙い 142
パソコン時代の整理術 143
探しものは最後に見つかる146
諏訪方式の徹底148
類書がいっぱいどうしよう151
「紙との戦い」を制する スキャン峙代の整理術 152
ライフログヘの準備 155
全文検索のパワー 157
メモリーヘのダウンロード 160
OCRの精度と限界 162
○コラム「愛書家・作者・出版社への弁明」163
○コラム【文化人たちの蔵書の行方】164
第5章 同時に1000冊を読む!「ギガバイト読書術」
ギガバイト読書術のツボ 168
ポータブル書斎 171
蔵書を守る 173
スキマ時間は読書タイム 176
読む場所としての三上 179
読書と作業場所 180
ネット情報と書籍 182
おわりに 185
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まぁ、人によって考え方には差異があるだろうが...共通するのは書棚が不足していると云う物理的な問題が大きい。それにAmazon Japanができ、和書を扱うようになってからお気楽に本を買ってしまうことも書棚不足に拍車を欠けている。それはさておき、先ずは新書のカバーを外して断裁機に掛けるとしよう。(自炊の作法...2へ...)
6月に発売された7月号を以て"Swing Journal" 休刊となったが、その後、同じ編集スタッフで新たなジャズの雑誌が8月に創刊されると聞いていたがすっかり忘れていた。ふとしたことから思い出し自分のエントリーで確認しネット検索してから、昨日の夕方買い物ついでに本屋でJaZZ JAPANを買ってきた。雑誌のスタイルも執筆者も"Swing Journal" と殆ど同じ、発行がヤマハミュージックメディアに変わったことくらいでしょうか。相変わらず広告は少ないようで、往年の"Swing Journal"と新建築は本文よりも広告の方が多かった...なんて若い人には信じられない話でしょうね。そんなコンサバティブな紙媒体に大した変化はありませんが...変わったのは見ての通りiBookに対応した"JaZZ JAPAN"の電子書籍版(ePub-File)と紙媒体の併存です。無料の電子書籍版はインタビュー記事とCDレビューの一部、それにコンサート情報だけですが、広告が既存メディアからネットに移行している現在、これから無料の電子書籍版に如何にスポンサーを付けるか経営手腕が問われそうです。
音楽家・高橋悠治氏のサイトのリンクからRSSでチェックするようになった『Blog:水牛だより』に「片岡義男さんの『時差のないふたつの島』を青空文庫で公開した。」と書かれていた。著作権のある作品を著者みずからの意思で公開するのは希で、その経緯は水牛だよりの以前のエントリー書かれている。
iPadのi文庫に直接取込もうとi文庫の新着本を更新してもリストには表れないので、リンク先の青空文庫の作家別作品リスト:No.1506 片岡 義男からテキストファイルをダウンロードしてi文庫で読む事にした。iPadへのデータ転送はiTunesとの同期ではなくWi-Fiとi文庫でサポートしているDropboxを用いた。尚。著作権の切れていない作品については「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」を尊重しなければいけないが、比較的新しい作品をこうして、i文庫でも読める事を作家並びにボランティアの方々に感謝したい。
四年前にトムズボックスより発行された絵本作家・たむらしげるのFlip Book、つまりパラパラ漫画がiPhone Appになって戻ってきた。因みに印刷された三冊のFlip Bookは限定1000部で定価600円のコレクターアイテムとなっている。iPhone Appの方は引き続き英語、フランス語版がリリースされるとのこと...。
iPhone Appにはリバースもあって、いわゆる逆回転もできる。しかしサウンドは無いのでiPodで手使海ユトロ作曲のサントラ盤「銀河の魚 URSA minor BLUE」を聴きながらパラパラ捲ると良いかも。
と云うことでリアルな三冊のFlip BookとiPhoneに二冊の豆本とあたしも手伝った『PLAN』もまぜてトムズボックス・ブラザーズの記念写真。
本屋の店頭で平積み乃至は表紙を正面に立て掛けされている雑誌でiPhoneやiPadを表紙にしている雑誌とムックだけを数えたら18冊あった。書棚に収められた書籍雑誌ムックを数えれば更にその数は増えるだろう。
そうした中にWindows系の雑誌を発行している晋遊舎と云う出版社から、その名もズバリ"All About Apple "なるムックを見つけた。手に取ってページを捲ると内容もしっかりして、ブームに便乗した唯の急ぎ働きではないようだ。奥付を見ると今秋"MACLIFE"復刊とある。なるほど、それで元MACLIFE編集長の高木利弘氏の証言記事があったのかと合点!と云うことで...新装"MACLIFE"のパブリシティーを兼ねたパイロット版の様である。
東京人8月号は『特集:東京の川を楽しむ』と云うことで、表紙はいまや定番アングルとなった北十間川から見たスカイツリー。
それで14〜15頁の見開きに『東京の川マップ』なるものがあり、その左下に『東京の河川と水系』の全体図があるのだが、その中で『境川』の表記が紛らわしい。この図を見た限り『境川』の位置関係を知らない読者は多摩川水系の浅川の支流と勘違いしても仕方ないだろう。『境川』はその名の通り、東京都町田市と神奈川県相模原市の都県堺を流れ、大和市から南下し片瀬江ノ島の西海岸で相模湾に注ぐ川であり、河口付近では片瀬川と呼ばれているのだが...これは誤解を招く地図である。この地図で表記してある境川の位置は湯殿川、八王子市と町田市との市境が多摩川水系と境川水系との分水嶺となる。因みに湯殿川の西が高尾山の麓を流れる案内川、その北が北浅川で...。とは云うものの、川好きには押さえておきたい東京人8月号。
『20歳のときに知っておきたかったこと・スタンフォード大学 集中講義』の三章分がiPadのBooks用書籍データとして無料で読めると云うニュースは知っていたが、そのデータを何処からダウンロードすれば良いかは、そのニュースにはなかった。
今日、偶々、GoogleReaderをiPadにシンクロすべく再構築しようと阪急コミュニケーションズの"e-days"のサイトを訪れると、"e-days"は3月末で廃刊されたようだが電子書籍(ePubファイル)無料ダウンロードキャンペーンの頁があった。日本語で読める「iBooks」は未だ揃っていないので、試し読みすることに...
iBooks1.0(左)とiPhone用のiOS 4のリリースに伴いアップデートされたiBooks1.1(右)、新たにメモ機能で書込が可能になっている。どうやらPDFの対応はiPadがiOS 4に対応してからのようだ。訂正:PDFはiTunesLibraryのブックにドラッグ&ドロップした後、iPadの「ブックを同期」から同期すればiBooksで読めました。
川の地図辞典 多摩東部編
私は『川の地図辞典 多摩東部編』の333頁の圏外に住んでいる。と云うことで『川の地図辞典 多摩東部編』出版記念ウォークの前日に以前より気になっていた湯殿川の上流域を歩いてみた。子供のころ川遊びした淵は館ケ丘団地の建設に伴う町田街道の付け替えで、遠の昔に無くなってしまっている。また現在は圏央道八王子南I.Cに繋がる八王子南バイパスのトンネル工事やら、更に湯殿川上流域の河川整備も工事に着手する等、既に往時の山里の風景を偲ぶものは何一つ残されてない、と言っても言い過ぎではないだろう。尤もガキの頃は川の名も知らず、ましてや川の名の由来が出羽三山の湯殿山にあった等とは知る筈もない...。
さて、1947年の米軍による空撮写真とGoogleMapの空撮写真を比べるとこの半世紀の間にどれだけ地形を痛めつけてきたか一目瞭然である。GoogleMapの空撮写真も未だ八王子南バイパスのトンネル工事等が撮影されてなく最新の物ではない。1947年の湯殿川の上流域の谷戸に見られる建造物は恐らく旧日本陸軍浅川地下壕の工事関連施設の様だが、既に資材運搬用のトロッコ線路は撤去されていると思われる。私の家族が八王子の山里に越してきたのはこの空撮写真の10年後1957年のことであるが、未だ町田街道に沿ってトロッコ線路跡のような窪みがあったのは憶えている。湯殿川上流域の谷戸は拓殖大学八王子キャンパスによって地形の原形を留めることなく無残にも埋められ、現在では旧町田街道に湯殿川上流域を示す標識が立っているだけである。(1947空撮写真の左下丸印)子供の頃、この谷戸に探検と称して一二度分け入ったことがあるが、人家もなく、小学生だけでは些か心細いものがあった。当時の町田街道は舗装もされておらず、浅川駅(現高尾駅)から相原へ行くバスが一時間に一回程度通るだけで、田舎道を西部劇の駅馬車の如く砂塵を巻き上げて走ってくる姿は遠くからも目に付き、中村メイコ唄う『田舎のバス』そのままに、デコボコ道をガタゴト走ってきたものであった。1947年空撮写真の二つの丸印の間が私が子供の頃に遊びに行った湯殿川の流域である。遊び半分で鮠(ハヤ)釣に行っても、釣れるのはオババドジョウか、赤黒金魚と面白がって呼んでいたイモリくらい。夏休みにイチドンブチとか言っていた淵で川遊びをしたのは、せいぜい中学生位までだろう。
GoogleMapにGoogle Earthと同じ3D機能が附加されたので拓殖大学八王子キャンパスによって立ち入ることができない湯殿川上流域を想定してみた。旧町田街道から入った湯殿川の谷戸は造成工事で潰され谷口に調整池が設けられ、キャンパス内の湯殿川は暗渠化されていると思われる。谷頭となる沢の上流には入れないが、湯殿川の分水嶺は八王子と町田市相原地区との市境となる、町田市相原地区と神奈川との県境には境川が流れ下流は片瀬川と名前を変えて江ノ島付近で相模湾に注いでいる。分水嶺によって東京湾に注ぐ多摩川流域とに分かれ、その違いは大きい。
上の空撮写真より下流の北野街道に沿って蛇行して流れていた湯殿川は河川整備によって真直ぐに付け替えられた。多くの動植物が犠牲になったであろうが、羽を持つ生き物は生き長らえたようである。それにしても、元の川跡はどう利用されるのだろうか。
京王片倉駅ホームから湯殿川下流域の谷地を望む。この風景から人家を消すと、多摩の横山と詠んだ万葉の古人の心にふれられるような気がする。1967年に京王高尾線が開通した当時は人家も少なく谷地に水田も広がり、ここから眺める富士は私の好きな景観の一つだった。その頃から多摩丘陵にブルドーザーが入り込み、赤土の山肌にクレーンや杭打ち機が林立する異様な光景が見られるようになった。田中角栄が日本列島改造論を発表する五年前である。
VectorworksではじめるCAD 2010/2009/2008対応
と云うことで前書・VectorWorks12ではじめるCADから略三年半ぶりに改訂版を上梓致しました。2008年1月のVectorWorks2008の発表から一年毎のアップデートが決まりVectorworks2009の発表会も同じ年の12月に行われ、一年後の昨年12月にVectorworks2010の発表会があり、今年1月に製品がリリースされると云うように慌ただしい限りで、出版もそれに振り回された感があります。それで何が変わったかと申しますと、パッケージの見た目で云えば『VectorWorks』が『Vectorworks』に変わっていると云うことでしょうか。Version2008の頃からCEOであるショーンのスピーチによれば、これからはBIMを標榜するらしく、と云うことで全て変数によって情報を支配制御する方向に向かって製品開発がシフトしていることは確かで、異なるパッケージによる製品の差別化にもそれは反映しているようです。一方、未だにプレゼンのドローイングをAdobeのillustratorで描くと云う極端な人もいて、今更...化石のような図面を描いても...と思いますが...かと言ってデザインプロセスのアルゴリズムも確立しないで、いきなりBIMもないでしょうね。
それからVersion2010からはIntelMacだけの対応となりPowerMac G5は切り捨てられ...お蔭でハードウェアやらAdobeのCS4やらにも...でした。
世界権力者 人物図鑑
著者は植草一秀氏と共に「売国者たちの末路」を上梓した副島隆彦氏だ。何て云うか、揃えも揃えたりのグラビア顔写真と実名による『世界悪党人物図鑑』でもある。出版の動機付けは、民意で成立した民主党政権を転覆させようと企てている、官と癒着した談合メディアによる情報操作に対する憤りであろう。戦後日本に於ける、CIAによるメディア・コントロールは米国の公文書で明らかにされたように既に周知の事実となっているが...臭いものに蓋で...談合メディアが自らの過去の行為を公表し襟を正す事はなく、益々劣化するばかりである。本書を上梓した副島隆彦氏は後書きで次のように記している。
『この本をだしたあと、私に何が起こってもいい。その覚悟はしている。私の遺言書のような良い出来の本である。日本国民への私からの贈り物だ。
........中略......
世界を裏から支配する「闇の世界権力」など存在しない。彼らは堂々と表に出ていて、思う存分、各国に愚劣なる政・官・財・電波(メディア)を育て、かつ操っている。日本もその例外ではない。
人間の顔は真実を語る。世界の超大物たちのワルい顔にこそ味わいがある。これが、私たちが生きている今の世界である。』
まさにその通りだろう、ゼネコンの談合以上に悪質なのが大本営発表の記者クラブに胡坐をかいたメディアによる談合であろう。彼らにゼネコンの悪口を言う資格はない。報道番組でしたり顔で物言う帝国の手先に公共の電波を提供するメディアはどこまで卑屈になれば気が済むのだろうか。...最近、Akiさんが、ある新聞の購読を止めたそうだが...その新聞を堕落させた男と影で操る男の写真も、もちろん...でている。それよりも、なによりも副島隆彦氏の御無事と御健勝を祈るばかりである。
目次
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はじめに
第一章 世界権力の頂点 世界帝国アメリカを支配している者たち
1:ロックフェラー家に選ばれたオバマ大統領 バラク・オバマ
2:ヒラリーが次の大統領になる ヒラリー・クリントン
3:この男が死ぬまで"世界皇帝" デイヴィッド・ロックフェラー
4:ジェイが小沢一郎を守ろうとするが... ジェイ・ロックフェラー
5:石油の発見とロックフェラー財団 ロックフェラー家
6:ロックフェラー家が握った世界覇権 ロックフェラー家
7:共和党まで乗っ取ったロックフェラー ネルソン・ロックフェラー
8:"隠し子"だったクリントン元大統領 ウィンスロップ・ロックフェラー
9:オバマを"世界皇帝"に推薦した男 ズビクニュー・ブレジンスキー
10:次の大統領はヒラリー・クリントンと男 ビル・クリントン、ジョゼフ・リーバーマン
11:ミシェル・オバマは立派な奥様 ミシェル・オバマ
12:ブッシュの愛人兼、教育係だったライス コンドリーザ・ライス
13:米財界人2世ボンクラの星だった ジョージ・W・ブッシュ
14:日本金融占領の実行部隊長だった若造 ティモシー・ガイトナー
15:老骨に鞭打って出てきた皇帝の直臣 ポール・ボルカー
16:"ネオコン"よりも恐ろしいユダヤ人 ラーム・エマニュエル
17:"エコロジー"を牛耳る主要閣僚 キャロル・ブラウナー、スティーブン・チュー
第二章・ドル覇権の崩壊 ドル崩壊に直面する金融・財界人
18:高橋是清を研究したFRB議長 ベンジャミン・バーナンキ
19:石で追われたわけではない巨匠 アラン・グリーンスパン
20:ついに金融恐慌の責任を認めたルービン ロバート・ルービン
21:"マッカーサー元帥の再来"の末路 ラリー・サマーズ
22:本音をもらしたノーベル賞経済学者 ポール・クルーグマン
23;"冷や飯食いのはぐれ者"経済学者 ジョゼフ・E・スティグリッツ
24:"反デイヴィッド連合"を組む2大富豪 ウォーレン・バフェット、ビル・ゲイツ
25:巨大な金融八百長市場を今も操る男 レオ・メラメッド
26:アメリカ金融バクチ経済学の創始者 ミルトン・フリードマン
27:金融危機で大損した大投機家たち ジョージ・ソロス、ジム・ロジャース
28:"世界皇帝"の金融実働部隊長は失脚 サンフォード・ワイル
第三章・欧州とBRICs アメリカに処方案を突きつける指導者たち
29:これからの世界を動かすBRICs(ブリックス) BRICs
30:巻き返しを図る欧州ロスチャイルド ジェイコブ・ロスチャイルド、ナット・ロスチャイルド
31:ロスチャイルド家の"内紛" イブリン・ロスチャイルド、ダヴィド・ロスチャイルド
32:アル・ゴア自身が『不都合な真実』 アル・ゴア
33:"チャイニーズ"ポールソンは去った ヘンリー・ポールソン
34:早くから中国に賭けたメディア王 ルパート・マードック
35:中国を豊にした鄧小平が偉い 鄧小平、毛沢東
36:あと3年はこの善人指導者たち 胡錦濤、温家宝
37:アメリカとつながるワルの指導者たち 江沢民、曽慶紅
38:次の"世界覇権国"は中国である 習近平、李克強
39:ロシアが目指す"新ユーラシア帝国" ウラジミール・プーチン、ドミトリー・メドヴェージェフ
40:大きく隆盛するブラジルとインド ルーラ・ダ・シルバ、マンモハン・シン
41:世界はアメリカを見捨てつつある G20
42:欧州の中心である3カ国の指導者たち ニコラ・サルコジ、ゴードン・ブラウン、アンゲラ・メルケル
43:EU(欧州連合)は帝国になれるか ジョゼ・マヌエル・バローゾ、ジャン=クロード・トリシェ、ドミニク・ストロスカーン
第四章・米国保守とネオコン 激しく闘ってきたポピュリストとグローバリスト
44:"ドル覇権の終焉"を予言した下院議員 ロン・ポール
45:"地球支配主義者"と闘った立派な人たち ヒューイ・ロング、チャールズ・リンドバーグ
46:"ポピュリズム"を正しく理解せよ ウィリアム・ジェニングス・ブライアン
47:イラク戦争を主導した戦争の犬 ディック・チェイニー、ドナルド・ラムズフェルド
48:今や落ちぶれたネオコン思想家たち フランシス・フクヤマ、ポール・ウォルフォヴィッツ、リチャード・パール、ジョン・ボルトン、エリオット・エイブラムス
第五章・日本操り対策班 属国日本を狙い撃ちする帝国の手先ら
49:中川昭一朦朧会見を仕組んだ男 ロバート・ゼーリック
50:小沢一郎逮捕攻撃に失敗した謀略家 ジョゼフ・ナイ
51:安保問題で脅しをかける連中 リチャード・アーミテージ、マイケル・グリーン
52:竹中平蔵の育ての親はこの男である フレッド・バーグステイン、グレン・ハバート
53:金融・経済面での日本操り対策班 ジェラルド・カーティス、ケント・カルダー、エドワード・リンカーン、ロバート・フェルドマン
おわりに
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第四章に「"ポピュリズム"を正しく理解せよ」とあるが、昨年、民主党政権が誕生したとき、多くの談合メディアの幇間の如き保守系政治評論家たちが"ポピュリズム"が日本を駄目にすると言い放った。要は彼らも己の利権を保守したいだけ...その彼らによって...情報操作とも云えるネガティブキャンペーンが一斉に始まっている。なにがなんだかである...
と云うことで...テレビの傍に世界地図帳と一緒に揃えて置いておくと良い本かも知れない。
追記:ロックフェラーとの関係で、オバマ米大統領が就任演説で先住民族に対する謝罪の一言もなく、彼らを棄民として扱い無視したのか判ったような気がする。
それに第82回アカデミー賞でイラク戦争のアメリカ軍の危険物処理班を扱った『ハート・ロッカー』が主要な賞を独占し、前評判の高かったジェームズ・キャメロンの『アバター』が敗れたのも頷ける。
東京人3月号は特集『江戸吉原・part2』だ。三年前に刊行された「東京人2007年3月号・江戸吉原」の続編と云うことでサブタイトルは「聖と俗、光と影の人模様」と付けられ、対談は「遊廓と芝居『二大悪所』は江戸の夢」とくれば「吉原手引草」の作者・松井今朝子を置いて他はない。そういえば、もう一つの悪所であった猿若町は先日の第11回 浅草をブラタモリで、街の様子が放送されていたが往時を偲ぶモノは何一つ残されてなかった。悪所で見るのは徒夢...と云うことか。
因みに建築家・石上申八郎氏が『小唄と吉原情緒』を寄稿されている。そういえば、昨年「船橋ボックス」の見学会でお会いしたとき、小唄をiPodで聴いてると言っていたのを思い出した。
ところで、1月29日のポッドキャストで「きたろう(タレント/俳優)」が志の輔の落語の噺をしていた。何度聴いても私の耳が悪いのか、きたろうの滑舌が悪いのか、その演目が聴き取れないのだが、きたろうが言うには同じ演目を志ん生のCDで聴いたが、それよりも志の輔の方が面白かったと言う。きたろうが言うには志ん生の芸は引き算、志の輔は足し算、解説付きの噺だと言う。きたろうは私と同世代、高校時代から落研に居たという...らしいが...
それで、似たような話しが横浜・真金町で生まれた桂歌丸による「東京人 3月号」・「なんたって、廓の生まれですから。」にもあった。歌丸は廓噺一つ語るにも、演目の「お見立て」その言葉すらが通じないから、枕で、一言付け加えなければならず、昔は20分で済んだ噺が30分掛かるという。同世代の東京生まれでも、下町、山の手、郊外と生まれた地域で江戸東京の文化の残り香の差は大きい。世代が違えば更に広がるのだろう。特集『江戸吉原』の寄稿者も多くは60年代、70年代、80年代生まれの人達が文学的、文化的な研究対象として語っているのである。1970年代頃に吉原を語るのは往時を偲ぶ好き者のエロ爺と相場は決まっていたものだが、これも時代の変化だろう。
Newsweekの「大予測・2010年の世界はこうなる」だが、かなり編集者の希望的観測も含まれているようである。
その中でテクノロジー編のヘッドラインだけを列記すると...
1:アップルのタブレットが大人気に
2:マードックがグーグルと絶縁する
3:マルウェアがSNSを麻痺させる
4:スタバがあなたにつきまとう
5:アメリカでも携帯が財布になる
6:映画配信がブルーレイを阻む
7:ツイッター・ブームの勢いに陰り
8:フェースブックが株式公開
9:マイクロソフト、バルマー更迭
10:グーグル、独禁法裁判に
こうして見るとテクノロジーといってもIT関連だけ、情報を支配することだけは他国に譲れない米国を象徴しているようだ。因みにキーパーソンの4番目にもスティーブ・ジョブズが選ばれている。さて...アップルのタブレット発表はメディアによって既成事実とされているようだが...果たして1月26日に何が...あるのか...
昨年末からダラダラと...雑誌やら何やらを処分すべく...仕分け中...なのに古本を買ってきてしまった。おどろおどろしい表紙タイトルの雑誌は「日本六十余州・傳説と奇談」(日本文化出版社発行・昭和35年)とある。丁度半世紀前の1960年に出版された雑誌であるが、よく見ると...どこかの図書館に収蔵されていたものが処分されたらしく合本されていた跡があり、紙は劣化しているが保存状態は悪くない。目次内容はこのように昔の講談本等に書かれていた伝説に奇談それに纏る史実やらを追跡したもの...何しろ巻頭の折り込みが「江戸・本所の七不思議」である。「小塚ッ原奇談」では磔(はりつけ)や打首獄門の写真も...今ではメディアが差別用語として言い換え表記している言葉も多く使われていたりとか...今も昔もこの様な本を買うのは物好き...でしょうね。
東京の道事典
東京新聞12月27日の日曜書評欄の年末特集「2009年 私の3冊」に之潮の芳賀さんが地図の本を挙げていた。その内の一冊、川好きotokoさん御推奨「東京の道事典」を早速Amazonに注文、翌日(月曜日)の午前中に届いた。
ブックカバーの腰巻に記されているように、生活道・通称道路の成り立ちや特色を明らかにするもので、実際に現在使われている道が対象となっている。従って名は付いているが通称道路として一般的に認知されていると言い難いものは対象ではない、また○○街道のように古の名称でも現在でも広く使われている道は対象とされているが、新たに付けられた○○通りの通称が一般的な場合は○○街道ではなく、○○通りとされている。「東京の道事典」はアイウエオ順の「青山通り」から始まり、その「概要」「由来」「現状」「周辺の道」(ここでは青山通りに結ばれる道等)が記載されている。因みに青山通り「周辺の道」に長者丸通りや骨董通りは周辺の道に記載されてるが、表参道交差点から根津美術館前までの通りについては記載されていない、この道は明治以降に造られたもので青南小学校裏の平行する裏道が古道(尾根道)である。おそらく明治神宮が造られたとき、表参道に繋がる道として「みゆき(御幸)通り」とされたようだが、その名を知るものは既に町の古老だけだろう。最近はマーケティング指向なファッション系の通称を画策する者もいるようだが一般化には至らないようだ。
今朝の新聞で日高敏隆氏の訃報を知った。僕が初めて氏の文章に触れたのは40年前位に読んだエドワード・ホール の『かくれた次元』の翻訳者としてだった。氏はエドワード・ホールの他、ソロモンの指環のコンラート・ローレンツ や利己的な遺伝子のリチャード・ドーキンス 等の紹介者(翻訳家)でもあり、我国の動物行動学(エソロジー)の第一人者と位置づけられているが、前エントリーのアニエス・ヴァルダに劣らず"RANGES"が広く、ジャズピアニストの山下洋輔や作家の筒井康隆とも交流があったことだ。僕が『かくれた次元』を読んだだけで終らず、氏の著作物を読むようになったのも、ジャズから派生して山下洋輔のエッセーや筒井康隆の作品やエッセーを読むようになったからだと思う。其処に度々、対談や鼎談の相手として氏の名を確認して、その考えに興味を持つようになったのだろう。科学的に未解決な問題を仮説で誤魔化すことなく、それは未だ『解らない』と飄々と述べる学者の姿に信頼感を覚えたものである。合掌。
追記:そういえば氏の翻訳したE.T.ホールの「文化を超えて Beyond Culture」に影響されて『伝達不能』なる駄文を書いていた。
今年の東京人 4月号で『花街 色街』を特集し半年を過ぎたところで東京人12月号は生誕130年、没後50年と云うことで特集『永井荷風の愉しき孤独』である。東京人を読んで思い出したが新藤兼人の『濹東奇譚』は確か90年代半ばにテレビ東京で放送したことがあった。今までテレビドラマだと思っていたが1992年制作の映画とは知らなかった。主演の男優と女優も間違いないから同じものだろう。話しは『濹東奇譚』と『断腸亭日乗』を合わせたもので荷風が亡くなるまで描かれていたと思う。
そういえば昨年の暮れに玉ノ井界隈を散策してから早一年になろうとしている。
と云うことで招待状が届いたので11月1日は第19回 神保町ブックフェスティバルの関連イベントとして開かれる『芳賀啓講演会『神保町地図物語』』を聴きに行くのだが、残念なことに『中央線で行く東京横断・ホッピーマラソン』の著者「『酒とつまみ』編集長、大竹聡の話のおつまみ」のトークショーと時間が重なっているのだ。奇しくも、神保町ブックフェスティバルの同時間帯にタモリ倶楽部出演者二人が目と鼻の先で講演するとは、深夜のサブカルチャー番組だけのことはある。
カムイ伝講義・田中優子著・小学館
akiさんがカムイ伝講義をエントリーしたので、私も昨年暮れから塩漬けのまま放ってあったエントリーを些か中途半端であるが他のエントリーとの関係性を含め、遅ればせながら公開を...。1964年12月から1971年7月まで『ガロ』に連載されたカムイ伝をたぶん1965年の春頃から読み始めたと思う。情報源は何か憶えていないが、とてつもない漫画が、聞いた事もない『ガロ』と云う雑誌で連載されていると云う話だった。その頃、高尾で一件しかなかった小沢書店に行き『ガロ』を取り寄せてもらい定期購読するようになった。と云うことで10代で私は『カムイ伝講義』を受けていたことに...だが...夏休みのレポートを未だ提出してない...ような体たらくで...。
カムイ伝
冷たい国・日本へ
中世の非人と遊女
中央線で行く東京横断ホッピーマラソン
今やJEDI左派の定番ドリンクとなったホッピーであるが、その生い立ちと受難の歴史を語る本ではない。著者はタモリ倶楽部の居酒屋系ネタに井筒和幸監督、なぎら健壱に次いで欠かせない存在となった『酒とつまみ』の編集人・大竹聡氏である。その大竹氏が武蔵野台地と多摩丘陵の縁をホッピーと居酒屋を求めて、武蔵野台地の背骨を貫く中央線を西に向かって終点の高尾まで各駅停車で徘徊するドキュメンタリーである。しかし、行ったきりではない、高尾は折り返し点だったのである。復路は京王電鉄に乗り換えて1964年東京オリンピックのマラソン折り返し点もある飛田給やホッピーの聖地でもある調布を通り新宿のゴールへと向かうのである。其処には上から目線で物言う羞恥心の壊れた人間には見えない、人々の暮らしが見えてくる。嘗て中央線の終点から終点まで痛勤電車に揺られ京橋まで通ったり、京王線と井の頭線を乗り継いで渋谷まで通っていた私には必読...なのである。
多読術 (ちくまプリマー新書):松岡正剛・著
千夜千冊で知られている読書家の編集工学研究所・松岡正剛氏による新書である。本書は新書編集者が著者を相手にテーマに沿って質問を展開してゆく「聴き下ろし新書」なので読みやすい。しかし、ノウハウ本ではないので、読んだからと云って「術」が使えるように成る訳ではない。まぁ、セイゴオ先生がどんな風に書物に向きあっているか...興味を持って読めば...それなりに共感したり、幾つかのヒントを得られる...かも知れない。彼が影響を受けたのは江戸の私塾の読書法だそうで、池田草庵の「掩巻:えんかん」と「慎独:しんどく」の二つは今でも真似てると云う。「掩巻」は書物を在る程度読み進んだら、いったん本を閉じ、内容を追想すると云うもの。「慎独」は文字通り(知の)独占を慎むと云うもの、それが千夜千冊をネット上で無料公開することに繋がっているそうだ。
目次
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第一章 多読・小読・広読・狭読
セイゴオの本棚/本は二度読む/たまには違ったものを食べてみる/生い立ちを振り返る
第二章 多様性を育てていく
母からのプレゼント/親友に薦められた『カラマーゾフの兄弟』/文系も理系もこだわらない
第三章 読書の方法をさぐる
雑誌が読めれば本は読める/三割五分の打率で上々/活字中毒になってみる/目次をしっかり読む/本と混ざってみる/本にどんどん書き込む/著者のモデルを見極める
第四章 読書することは編集すること
著者と読者の距離/編集工学をやさしく説明する/ワイワイ・ガヤガヤの情報編集/言葉と文字とカラダの連動/マッピングで本を整理する/本棚から見える本の連関
第五章 自分に合った読書スタイル
お風呂で読む・寝転んで読む/自分の「好み」を大切にする
第六章 キーブックを選ぶ
読書に危険はつきもの/人に本を薦めてもらう/本を買うこと/キーブックとは何か/読書しづけるコツ/本に攫われたい
第七章 読書の未来
鳥の目と足の目/情報検索の長所と短所/デジタルvs読書/読書を仲間と分かち合う/読書は傷つきやすいもの
あとがき「珈琲を手にとる前に」
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第一章の「生い立ちを振り返る」で、いつごろから本に興味を抱いたのか、小一まで住んでいた足立区梅田の図書館や、カバヤとかフルヤとかキャラメルの景品で貰えた少年少女向け名作文庫とか....色々と....思い出しますね。それに小四のとき、三鷹の山本有三文庫に行った事も...
取りあえず『目次をしっかり読む』ってことから...それに『まえがき』と『あとがき』を読んでから「積読」にしても....時期がくれば読み始めることもありますね。...未だにその時期が訪れない本も...多々ありますが...それもいつか...
「売国者たちの末路」
暫く前に読んだ本であるが衆院選の前にエントリーしようと思い「下書き」のままにしていたが、akiさんが『売国者たちの末路』をエントリー、それを見て出番となった。
私はテレビの政治報道が大嫌いである。政治家の顔が画面に映ると気分が悪くなるのでリモコンを手にとりザッピングする。上っ面だけのテレビの政治報道を見なくても新聞やネットに目を通せば充分なので別に困ることもない。しかし、世の中には新聞も読まないし、ましてやネットなんて...見た事もない人も多い。彼らは為政者にとっては都合の良い人達である。そんな観客を取込んで小泉劇場は大盛況となったのだが...カイカク・ミンエイカを絶叫!浪費国家米国に日本を売り渡し、目的を達した座長は引退、座付き作家も参考人招致を避け平蔵ならぬ「知らぬ顔の半兵衛」を決め込んでいる。
ここで政権交代しないと、我々は憲法で保障された主権在民も、生存権も、三権分立も、それら全てを失うことになるでしょう。
目次内容
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まえがき 副島隆彦
1章 世界史の転換が起きている;
■「エコノミストの予測」と「副島の予測」は、ここが違う
■世界の流れは変わった。売国者は末路を迎える
■まだ「小泉・竹中」の残党がいる
■なぜ世界も日本も「財政出動」に急転換したのか
■サブプライム危機は「目に見えない危機」だ
2章 破裂した金融爆弾;
■「デリバティブのブラックホール」をつくったアメリカは土下座せよ
■アメリカの景気回復は「コーヒータイム」に過ぎない
■バブルを生み出す「二つの条件」とは
■歴史の流れから経済変動を見抜
■アメリカは日本の「守旧派」と手を結び直した
■ケチな財務省が「財政出動の大盤振る舞い」を許した理由
3章 売国の構図;
■郵政民営化は、アメリカの「経済安全保障」に欠かせなかった
■りそな銀行救済の背後に立ちこめる、国家犯罪のにおい
■会計士の不審な死
■初めから「抜け穴」が用意されていた
■「竹中降ろし」と「植草入閣」が水面下で進んでいた
■2001年、小泉・竹中との全面戦争が始まった
■「植草はガリレオだ!」
■ゲシュタポ・金融庁に襲われた銀行
■郵政民営化の本当の狙いは、巨大な「不動産」だ
■「かんぽの宿」突然の減損会計の謎
■日本郵政の社長人事をめぐる対立構図
4章 国家の暴力;
■その日、すでに尾行がついていた
■冤罪のきっかけとなった「もうひとつの事件」
■「竹中大臣辞任」と「植草事件」、そのタイミングは奇妙に符合する
■"被害者"の女性は婦人警官だ
■権力は捜査情報をリークする
■国税や警察は"公設の暴力団"である
5章 売国者はこうしてつくられる;
■「経済学者・竹中平蔵」の基盤はどこにあるのか
■言うことが180度変わるのは、なぜなのか
■大物大蔵官僚のおかげで築かれた海外人脈
■大蔵省が作成する「3000人リスト」とは
■官僚は自らの利権のためだけに動く
■アメリカで「洗脳」された財務官僚・高橋洋一氏
■「植草事件」と「高橋事件」の落差
6章 国策捜査、暗黒国家;
■小沢一郎攻撃という謀略、その背景に何があったのか
■日本では三権が「分立」していない
■「アメリカ軍は日本から帰ってくれ」発言がきっかけだった
■政権交代があって、デモクラシーがある
■「本当の法」と「書かれた法」
■メディアは世論を「誘導」する
■出演禁止を言い渡された愛国者
■副島陰彦も「監視」されている
7章 地獄へひた走る世界経済
■アメリカの対日金融支配戦略は、1983年から始まった
■日本を悪くした「ジャパン・ハンドラーズ」たち
■「大蔵権力」は、どれほど日本を歪めてきたか
■中川昭一氏への政治謀略をすべて暴く
■アメリカヘの日本資金の流出を止めさせろ
■ドル暴落を支えつづけた日本の売国政策
■外資撤退の陰で、企業倒産と官僚の「焼け太り」が起きている
■世界経済は、さらにもっとひどくなる
あとがき 植草一秀
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植草被告の上告を棄却=小泉・竹中政権の犯罪暴露を恐れてか
植草一秀の『知られざる真実』
元外交官・天木直人のブログ
この不可解な事件に関して最高裁で懲役4ヶ月が確定した訳ですが、未決勾留期間の2ヶ月は差し引かれて収監されることになるそうですが、彼の場合は留置期間を含めると4ヶ月以上身柄を拘束されていました。どうも、懲役4ヶ月と云う判決もなんだか...辻褄合わせのような気もします。ましてや、選挙期間中に収監されるとしたら、益々怪しいですね。未だ刑が実行されないのは検察や裁判所側にも不審に思っている人がいるのでしょうか...良く分からない事件です。それにしても一度も裁判所に出廷しなかった「なんちゃって高校生」役の婦警の素顔を見て見たいものです。検察はプライバシー保護を盾に出廷させないそうですが、裁判員制度では婦女暴行事件も対象となり、被害者は裁判員の前で審問に答えなければいけません。いわゆるセカンドレイプの可能性が大きいものです。婦女暴行事件が被害者による被害申告によるものなので、裁判員制度により被害申告が減り、数値上は婦女暴行事件が激減する可能性が指摘されています。
それ以上に怪しいのが、小泉・竹中政権下でイラク攻撃支持の外交政策を推進した外務官僚・竹内行夫。彼は昨年秋、麻生首相によって最高裁判事に任命され、名古屋高裁「イラク自衛隊差し止め訴訟」違憲判決を最高裁で却下した人物です。ほんと、こんなことあっていいの!!という、日本は三権分立もしていない暗黒国家ですね。北の将軍様を嗤えませんです。因みにイラク戦争に反対した元外交官・天木直人氏は竹内行夫の手によって外務省を首になったと云うことです。
リブインピースドットジェイピー:「最高裁判官をあなたがチェック!!国民審査で竹内行夫にバッテンを!!」
追記:2009年8月 3日 (月)「植草一秀氏の刑事事件弁護団声明」
東京人8月号
特集『踏切、鉄橋、ガード下 なつかしい鉄道風景』
執筆陣も鉄道系、地図系、街歩き系、建築系、廃墟系、等々でお馴染の顔ぶれ、内容も充実している。
今尾恵介氏による『大踏切が街にあった頃』は大正・昭和の1/10000地形図を元に渋谷/新宿 /池袋 /王子を語る。現在建替え中の東急文化会館が渋谷小学校の跡地だったとは知らなかった。駅前再開発とはいえ、民間企業がどうやって公有地を手に入れたのか....その経緯も知りたいものである。
ガードなる言葉が気になり辞書を調べてみると"Girder"から派生した和製英語であるとは知らなかった。大梁を意味する"Girder"であるが、アーチ構造の高架下でもなんでもガード下と言い切ってしまう、その語源に拘らない、いい加減さが...実に日本的だ。
奥付には非売品とあるが「岩波文庫フェア」のいわゆる販促品、平積みにされ『御自由にお持ちください』とあった。それだけ手にして、そのまま何も買わないで帰るのは、小心者なので気が引け「線路を楽しむ鉄道学」も買ったのである。
と云うことで「岩波文庫・読書のすすめ」第13集は八人による読書にまつわるエッセーが書かれている。面白いのは、オバマ、Internet、iPod、Amazon、ブックオフ等々、やはり2009年という時代を表象する言葉がそれぞれのエッセーに表れていることだろう。そういえば最近読んだ岩波文庫は永井荷風の濹東奇譚であった。
目次
リンカーンを究極の師として --私の演説修行------秋葉忠利
お天道様と米の飯と岩波文庫---------------------------伊藤比呂美
感性の人、感情の人 --『論語』の中の孔子---------川合康三
ぐうぜん、うたがう、読書のすすめ-------------------川上未映子
読んだことのない本について考える-------------------塩川徹也
『山猫』の舞台としてのシチリアの館----------------陣内秀信
空に雲、手に文庫本--------------------------------------林 望
想像する洋書の中の洋風景------------------------------楊 逸
Newsweek Japanのオフィシャルサイトが充実している。e-daysと同じ阪急コミュニケーションが発行しているのだが、冷泉彰彦氏や町山智浩氏のコラムやブログもあり、読みごたえのあるWEBマガジンに仕上がっている。そういえば、雑誌『ニューズウィーク日本版』は「グーグルへの挑戦状」の特集に質問回答型・検索エンジンの「アルファ」の記事があったが、ここまでくると....ん〜....
追記:町山智浩・やじうまUSAウォッチ(6/3)『不況下で増える悲しい「ファミリサイド」』...これは言葉もない...
クルディスタンを訪ねて―トルコに暮らす国なき民
写真・文 松浦範子/新泉社/2,415円
イラク戦争に関連して耳にするようになった感のあるクルド人やクルディスタンであるが、彼らについても、彼らの多くが住んでいるトルコについてさえも、僕たちはそう多くの事を知っている訳でもない。
『通りにいる人たちを信用しないことよ。そして装甲車にも乗らないようにね。』取材の後で別れ際、著者にそうジョークを言ったのは1989年に凶弾に倒れたクルド人活動家の妻・ヘレンである...。(2007年12月パリにて、続編『クルド人のまち --イランに暮らす国なき民』より)
1996年夏、友人と二人でトルコを訪れた著者はアルメニアとイランの国境に近いドウバヤズットのまちに立っていた。旅の目的は『絨毯織りの女を取材して本にしよう。』その一歩となる筈であった旅はドウバヤズットで起きた『エピソード-1』によって著者のそれからを大きく変えることになったのだ。
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プロローグ
はじめてのクルド人のまち―ドウバヤズット(Dogubayazit)
鵯行き先は「クルド」
行き着いたまち―メルシン(Mersin)
ネプロスの炎―ディヤルバクル(Diyarbakır)
摘まれ続けてきた芽―アンカラ(Ankara)
引き寄せられた場所―非常事態令下のまち
「最悪」と呼ばれるまちを離れて―メルシン
鵺時をかけて
クルド人であること、トルコ国民であること―イスタンブール(İstanbul)
素顔のクルディスタン―ドウバヤズット
はた迷惑な訪問者―軍の検問
鶚彼らの居場所
国境線の向こうへ―ハッサケ(Al-Hasakah)
水に沈む遺跡と生き残った村―パトマン周辺(Batman)、(Hasankeyf)
アレヴィー教徒のまち―トゥンジェリ(Tunceli)、ピュトゥルゲ(Puturge )
何が正しくて何が間違いなのか―ハッカリ(Hakkâri)
鶤私のなかのクルディスタン
みちのり―バスの車中
皆既日食―ジズレ(Cizre)37°19'32.24"N 42°11'18.23"E
愛しい人々―シュルナック(Sirnak)
罪悪感と試練―イスタンブール
あとがき
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目次で紹介されている場所をGoogleMapに配置してみた。さてトルコの首都は何処でしょう?
今年、1月26日、神楽坂のキイトス茶房で『松浦さんを囲み、岩城さんを取り巻く会』が開かれた。其処へ向かう京王線車内でAmazonで買ったばかりの本書を読んでいたのであるが、丁度、中ほどの「はた迷惑な訪問者―軍の検問」に差しかかり、その理不尽さに私のアドレナリンもいつしか全開となっていた。近代国民国家という共同幻想はその内在する排他性によって一民族一国家の虚構をも産み落とす。トルコに生きるクルド人も民族の文化、伝統、誇りを捨て、出自を隠蔽し国家に溶解すれば二級市民となれる道が開かれる。しかし出自が分かれば暗黙のうちに差別の対象とされる。なにやらどこか極東の島国と似てなくもない。
松浦さんが10年以上に亘ってクルドを取材し続ける情熱はなんだろう、トルコに生きるクルドの『絨毯織りの女』は既に一番ではないだろう。その文化の背景にある『何か』に心の琴線が突き動かされたのであろう。それはクルドの人々が旅人にみせる「無条件の優しさ」だったり、その裏に隠された哀しみや痛みもその一つであろう。しかし、何よりも「他者の痛みを...」知らぬふりできない...のであろう。
関連ブログ
MyPlace:「彼らの居場所」と「クルディスタンを訪ねて」
MyPlace:「クルド人のまち」
う・らくん家 ( わたしの今 ):松浦範子写真展
う・らくん家 ( わたしの今 ):『クルド人のまち』を10倍楽しむ方法
音楽系のサイトから辿り着いた、ニューズウィーク日本版やフィガロ・ジャポン等を発行している阪急コミュニケーションが発行しているWEBマガジン・e-daysであるが...その「東京大人の遊び場」を見てみると、なにやら御近所ブログで評判の店が...神楽坂の「キイトス茶房」に...下落合の「カフェ杏奴」と....それに未だ行ったことのない谷中ボッサも....うーむ。
「リートフェルトの建築」
リートフェルトと云えば世界遺産・シュロイダー邸とレッドアンドブルー・チェアーが代表作であるが、それ以外の建築作品は日本では殆ど知られていない。2004年に開催されたリートフェルト展でも建築作品はシュロイダー邸だけにフォーカスした構成となっていた。その展覧会の図録にはユトレヒトの建築マップが添付されていたが、写真はまさに爪の先・サムネイルで建築の全体像をイメージすることまでは不可能であった。本書は今まで日本国内で紹介される機会の少なかった戦前・戦後の「リートフェルトの建築」の現存する姿を「撮り下ろし写真」によって記録している。それだけでも20世紀のいわゆるミッド・センチュリーのモダニズムを再考する貴重な資料となるであろう。
内容
1 家具作家から建築家へ 1917-24
2 戦前の住宅:新即物主義を超えて 1925-45
3 戦後の住宅:「生活」と「空間」の同一化 1945-64
4 「構成」と「構造」の統合を目指して 1949-64
著者の奥佳弥氏は2004年のリートフェルト展に合わせて府中市美術館で「リートフェルトと日本をつなぐもの」と題した講演を行なっている。そこでも蔵田周忠の古仁所邸や旧 金子邸にも比較言及していたが、セゾン美術館で開催された「デ・ステイル1917-1932」の図録に「デ・ステイルと日本/日本における新造形主義の行方」と云う論文を寄せている。蔵田周忠は1930〜32に掛けてベルリンに滞在、グロピウスに師事、デ・ステイルの建築に見られる「面の立体的構成」に共感し、シュロイダー邸を高く評価している。帰国後の作品は、それまでの多摩聖蹟記念館(1927)に見られる表現主義は影を潜め、古仁所邸等の「等々力住宅区計画」(等々力ジードルング)にみられる面による立体的構成をモチーフとした非対象形な建築へと変化していった。
嘗て等々力渓谷に面したこの付近の閑静な住宅街にリートフェルト建築の影響を受けた「等々力住宅区計画」が4棟建てられた。旧三輪邸を除いて既に現存していないようであるが、その旧三輪邸も竣工当時の面影は残していない。そうした情況はリートフェルト・設計による戦前の住宅が現在でも手入れされ使用されているのに対して大きな違いがある。住宅に限らず多くの近代建築が姿を消してゆくのは、耐用年数の問題以上に建築的価値が投資に見合う金銭的対価をもってのみ評価されているからであろう。巷では中央郵便局の再開発に対し、某大臣が異論を唱えている。文化的価値から保存を望まれた三信ビルディングは既に解体されてしまった。そうした保存運動に関心を持たなかった男が俄に中央郵便局の文化的価値を語るとは...今更ながらの政治的茶番に片腹痛い...。
蔵田周忠・参考文献:INAX REPORT / 蔵田周忠・生活芸術を追及したモダニズムの啓蒙家(HTMLは抄文であるが、全文がPDFとなっている。)
東京人 4月号の特集は『花街 色街』だ。
『色街』とくればその代表は荷風ゆかりの吉原、玉の井、鳩の街だが今月号の東京人は八王子にあった遊廓も取上げられているのだ。
まぁ色街の遊廓は昭和33年3月31日を境に寂れて見る影もないが、花街の方は八王子市が東京都の『江戸東京・まちなみ情緒の回生事業』の支援により八王子市中町の料亭街周辺の花街の雰囲気を回生し、落ち着きを醸しだす路地の石畳舗装、外壁の黒塀風塗装、行灯風街路灯の整備等を行なうそうである。平成21年2月13日の八王子市長定例記者会見によれば総事業費1200万円(内:都補助480万円)で9月に着工、12月に竣工ということであるが、まちなみ情緒の回生の最初が花街の雰囲気というのが...なんとも.........お好き...らしい...
MSN産経ニュースの「八王子で黒塀の小路復活へ」にある写真の路地、見覚えがあると思ったら、小学校の同級生Kが20年前位までカレーの店を開いていた路地であった。
と云うことでストリートビューで八王子市中町界隈の黒塀がある路地。手前右の建物は既に「外壁が黒塀風」に...
3年前に撮った中町界隈の写真....「外壁が黒塀風」は未だ工事中(左端)
洋書版:The Che Handbook
翻訳版:チェ・ゲバラ―フォト・バイオグラフィ
発行:原書房:ISBN4-562-03679-6(現在品切)
実はゲバラの『ボリビア日記』を読みたいと思い、書店に立ち寄ったのだが文庫本もなく、目に付いたのがこの本である。頁を捲ると幼少から晩年までの写真(未公開写真が250以上)、ゲバラ語録、かつての同志へのインタビュー、アイコンとなったアルベルト・コルダが撮影した写真からインスパイアーされた数々のアートな作品、そして年表や地図等々、「子どもたちへの最後の手紙(1965)」を読んでから一旦書棚に戻し、他の買物を済ませてから、やはり買おうと決めた。ネットで調べたら現在品切れとのことだ。
目次
謝辞/まえがき
序文
第1章 少年時代、学生、旅行
第2章 ゲリラ戦士
第3章 政治家、外交官、家庭人
第4章 革命はつづく
第5章 ゲバラ伝説
図版出典/引用文献/参考文献
訳者あとがき
索引
(「あとがき」より) いったいチェ・ゲバラの何が、私たちをこれほどひきつけるのだろう。半世紀前、南米の土地で反米反帝国主義の戦いに命を捧げたこの革命家は、政治経済・社会文化環境が大きく変わった今日も、世界各地で敬愛され、シンボルとして親しまれている。遠く離れた今日の日本でも、世代をとわず、その人気は根強い。 本書The Che Handbook(MQ Publications,2003)は、公私にわたる未公開写真を中心に、親交のあった人々とのインタビューをはさみこみながら、膨大 な資料によって「エルネスト・ゲバラ」の人生をあとづけていく野心的試みである。もとからのゲバラ通であれ、名前程度しか知らない人であれ、男性であれ女性であれ、本書を手にとったあなたは、知られざる「人間ゲバラ」にふれ、その魅力を再認識するだろう。社会の因習に縛られず、人を愛し、自由を愛し、人生を愛した信念の人、ゲバラの放つオーラとは、いまの私たちにとって「正直な生き方」への憧れに通じるものともいえそうだ。 訳者自身、以前からゲバラに詳しいわけではなかったが、ページを繰るごとに、彼のまなざしと声の強さに圧倒され、自由への思いをかきたてられた。同じように幸せな経験をする読者がひとりでも多いことを願ってやまない。……
バレンボイム/サイード 音楽と社会
原題は"Parallels and Paradoxes"(相似と相反)
本書はユダヤ人・音楽家のダニエル・バレンボイムとパレスチナ人・人文学者のエドワード・サイード、この二人の越境者によって1995年10月7日から2000年12月15日までの五年間に六回行われた対話(セッション)を記録したものである。尚、対話の進行役には本書編纂者のアラ・グゼリミアン(カーネギーホールのシニア・ディレクター、芸術顧問)が務めている。本書を読むきっかけはkawaさんがガザでも触れているようにウイーン・フィルのNew Year's Concert 2009でのバレンボイムの発言である。どこかで記憶の片隅に引っ掛かっていたのだろう「書籍:エドワード・サイード OUT OF PLACE」を読み返し、バレンボイムとサイードをキーワードにして検索し本書の存在を知った。読み進んでゆくにつれ、帯に書かれた「白熱のセッション」の意味を知る、まさにその通り...。
「映画:エドワード・サイード OUT OF PLACE」に併せて刊行された「書籍:エドワード・サイード OUT OF PLACE」に採録されたシナリオによるとサントリーホール公演前のリハーサルの合間を利用したステージ上でのインタビューでバレンボイムはサイードについて次のように語っている。
『...じつのところ音楽家として理解すべき人物です---ピアノを弾いて、音楽評論を書いていたからではありませんよ。映画ではこの部分だけが使われており、彼がパレスチナやイスラエルについて語っている部分はカットされている。その映画に収録できなかったインタビューは書籍(エドワード・サイード OUT OF PLACE 第六章 音楽家)に採録されている。(因みにサイードはジュリアード音楽院に通い、ピアニストになることを真剣に考えていた時期があった。)
そうではなくて、彼が音楽の本質を理解していたからです。音楽は、ひとつの曲に登場するさまざまな要素を統合しようとします。オーケストラには、あらゆる要素が入っています。バイオリンがどんなに上手でも、オーボエやコントラバスやクラリネットが主旋律を奏でるのを聴こうとしないようでは、バランスがとれません。主旋律はどこにあるのか、どんな応答があるのかがわかっていないとだめなのです。
エドワードが音楽家だったというのは、こういう深い意味でのことです。この世のものすべて、他のものに何かしらの影響を及ぼしており、他から完全に断絶したものなどひとつもないということを彼は知っていました。』
----------------------------------- バレンボイム/サイード 音楽と社会 目次(内容)-----------------------------------
○はじめに アラ・グゼリミアン
○序 エドワード・W・サイード
1(2000年3月8日ニューヨーク)
自分にとって本拠地とは/ワイマール・ワークショップで西と東が出会う/解釈者は「他者」の自我を追求する/アイデンティティの衝突はグローバリズムと分断への対抗である/フルトベングラーとの出会い/リハーサルの目的
2(1998年10月8日ニューヨーク)
パフォーマンスの一回性/サウンドの一過性/楽譜やテキストは作品そのものではない/サウンドの現象学/誰の為に演奏するのか/音楽は社会の発展を反映する/芸術と検閲、現状への挑戦という役割/調性の心理学/過去の作品を解釈すること/現代の作品を取上げること/ディテールへのこだわり、作品への密着/一定の内容には一定の時間が必要である/中東和平プロセスが破綻した理由
3(1998年10月10日ニューヨーク)
大学やオーケストラはどのように社会とかかわれるのか/教師の役割とは/指揮者の権力性、創造行為の弾力性/他者の仕事に刺激や発展がある/模倣はどこまで有益か
4(1995年10月7日ニューヨーク、コロンビア大学・ミラー劇場)
ワーグナーがその後の音楽に与えた決定的な影響/アコースティクスについての理解、テンポの柔軟性、サウンドの色と重量/オープン・ピットとバイロイト/イデオロギーとしてのバイロイト/バイロイトの保守性は芸術家ワーグナーへの裏切り/ワーグナーの反ユダヤ主義/国民社会主義によるワーグナーの利用/『マイスタージンガー』とドイツ芸術の問題/ワーグナーの音楽はその政治利用と切り離せるか/Q&A
5(2000年12月15日ニューヨーク)
いまオーセンティシティ(authenticity:真実性)が意味するもの/テクストの解釈、音楽の解釈/歴史的なオーセンティシティは過去との関係で現在を正当化する/二十世紀における音楽と社会の断絶/モダニズムと近づきにくさ
6(2000年12月14日ニューヨーク)
有機的な一つのまとまりとしてのベートーヴェン/社会領域から純粋に美的な領域へ---後期ベートーヴェン/音楽家の倫理とプロフェッショナリズム、ベルリン国立歌劇場管弦楽団/冷戦後の世界には「他者」との健全なやりとりがない/音楽のメタ-ラショナルな性格/ソナタ形式の完成と一つの時代の終わり
○ドイツ人、ユダヤ人、音楽 ダニエル・バレンボイム
○バレンボイムとワーグナーのタブー エドワード・W・サイード
○あとがき アラ・グゼリミアン
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編纂者・アラ・グゼリミアンの考えによるのであろうが、各章(セッション)の構成は年代順となっていない。最初のセッションで夫々の出自と本拠地について語られ、アラブとイスラエル等の若い音楽家を集めて行われたワイマール・ワークショップ、少年時代のフルトベングラーとの出会い、リハーサルを通して音楽の骨格が築き上げられてゆく様に、読んでいて惹きつけられてしまう...。音楽家と文学者の対話はこれまで何度も読んだことがあるが、ここまでの領域に達しているものは...少ない...と云うよりも...読んだことがなかった。
反貧困
―「すべり台社会」からの脱出
湯浅誠・著 岩波新書・刊
『うっかり足をすべらせたら、すぐさまどん底の生活にまで転げ落ちてしまう。今の日本は、「すべり台社会」になっているのではないか。そんな社会にはノーを言おう。合言葉は「反貧困」だ。貧困問題の現場で活動する著者が、貧困を自己責任とする風潮を批判し、誰もが人間らしく生きることのできる「強い社会」へ向けて、課題と希望を語る。 』(ブックカバー見返しより)
平成10年(1998)から年間三万人を超えた自殺者数の半分は無職だと云い、その半分(全体の24%)は経済問題が動機と考えられている。一方、嘗て年間一万人を超えていた交通事故による死亡者数は年々減少する傾向にある。若者の車離れを考えても飲酒運転対策やシートベルト等の安全対策も功を奏していると考えられる。やればできるのである。社会のセーフティネットが機能すれば不幸な人々が年間三万人を超えることもないであろう。半世紀以上、生きていると「すべり台社会」の生贄にされ音信不通となってしまった人が幾人かいる。理由は介護の問題、会社の倒産等々、決して他人事で済まされる事ではない。私だったかも知れない彼等と『あの時は大変だったね。』と笑い話で語れる明るい未来を私は望んでいる。
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第一部 貧困問題の現場から
・第一章 ある夫婦の暮らし
・第二章 すべり台社会・日本
1 三層のセーフティネット
2 皺寄せを受ける人々
・第三章 貧困は自己責任なのか
1 五重の排除
2 自己責任批判
3 見えない"溜め"をつくる
4 貧困問題をスタートラインに
第二部「反貧困」の現場から
・第四章「すべり台社会」に歯止めを
1「市民活動」「社会領域」の復権を目指す
2 起点としての〈もやい〉
・第五章 つながり始めた「反貧困」
1「貧困ビジネス」に抗して エム・クールユニオン
2 互助のしくみを作る 反貧困たすけあいネットワーク
3 動き出した法律家たち
4 ナショナル・ミニマムはどこに? 最低生活費と最低賃金
・終章 強い社会を目指してー反貧困のネットワークを
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YouTube:視点・論点 派遣切り(湯浅誠)
神田川再発見
歩けば江戸・東京の歴史と文化が見えてくる
神田川ネットワーク [編]
東京新聞出版局・発行(本体1429円+税)
帯に書かれた内容紹介には『神田川水系の歴史と文化を、5年の歳月をかけて徹底踏査したデータ約1000項目、写真150点、江戸名所図会29点。神社仏閣はもちろん、橋の名のひとつひとつにも興味深い由緒来歴がある。ウオーキングのガイドブックとしてだけでなく、神田川を知る資料としても手元に置きたい一冊。』とある。判型サイズを考えると持ち歩くには不向きであるが、神田川水系の現況を知ろうとするならば「川の地図辞典」と併せて必携の書であろう。
気になるのは関係性が見えてこないフラグメンテーション(断片化)を起こしたような書籍構成とイラストマップの完成度の低さ、自費出版の内部資料ならまだしも...残念である。
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内容(目次)
第一章 神田川上流部
井の頭公園〜高田馬場 /玉川上水緑地と寺町/神田川上流部の水環境/神田川36景 その1
第二章 神田川都心部
高田馬場〜柳橋/甘泉園から早稲田大学へ/神田川の分水路/飯田橋周辺/小石川後楽園周辺/御茶ノ水まで南岸を行く
第三章 善福寺川
善福寺公園〜神田川合流点
第四章 妙正寺川
妙正寺公園〜神田川合流点/上高田の寺町/神田川36景 その2
第五章 日本橋川・亀島川
三崎橋〜豊海橋/霊岸橋〜南高橋
第六章 思い出の川筋
桃園川/川歩きの楽しみ/笹塚川/谷端川・小石川/弦巻川/水窪川/蟹川
井草川/江古田川/神田上水・助水堀跡/神田上水・素堀部跡
付 隅田川右岸
両国橋〜勝鬨橋/隅田川左岸の名所/隅田川の橋一覧
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第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅
上図右の赤線部分の繰り返す文字を示す記号の様な字を「踊り字」と云うことを、これまで知らずにいた。それというのも金阜山人戯作なるものをテキストデータとして『i文庫』に読込んだ処、上図中の赤線部分の様に『矇矍』と文字化けが起きてしまい、文脈から繰り返して読むものと解るものゝ、何故なのか真相究明のミッションを得て、調べた結果知ったことである。因みに上図右の『く』を「くの字点」、上図左の『々』を「同の字点」と云う。ならば原文通りに「くの字点」に直そうと試み、成功したかに思えたが...アレアレ..
と云うことで『ウィキペディア(Wikipedia)』で『くの字点』の文字コードを参照にegwordの検索機能を用いて文字化け部分を一括変換することにした。
egwordを縦書きにすると『くの字点』もすらすらと読めるようになった。これをテキストデータに出力すれば良い筈である。此処で悪い予感が....shift-JISでは変換できず、Unicodeで変換する事に、どうにかテキストデータをサイトに貼り付け、『i文庫』へのテキスト読込も順調、データ登録も済み、読もうとするとメッセージが...と云うことで、「くの字点」は諦め「同の字点」で妥協したのである。フォントデータがないのか、Unicodeへの対応が完璧でないのか、何れにせよ...残念でした。
「WV的/私的2008年映画ベスト10」の記事によると、一昨年、拙ブログでエントリーした『Never Let Me Go』(邦題:わたしを離さないで)が2010年の公開予定で映画化されることがきまったそうだ。二年後の映画公開は評判を呼ぶに違いない、主題歌は誰が歌うのか等を含めて、今から期待が膨らむ。因みに書籍は既に文庫本になって求めやすくなった。
ところで『生物と無生物のあいだ』を書いた福岡伸一氏の『もう牛を食べても安心か』を読み終わった時に抱いたモヤモヤとした感覚は、物語の舞台をイギリスに、触れてはいけない生命の領域に敢えて踏み込んだ『わたしを離さないで』に共通するものが有るように思えてならない...。
思えばiPod touchの頃から手軽に青空文庫を読めるリーダーを欲していた。Aozora Bunko for iPod touchはネットに接続されていることが条件でオフラインでは読めなかった。iPhoneを入手してからPDFを読む"FileMagnet"を使って青空文庫を読もうと試みたこともあったが、一々、テキストファイルをiPhoneのスクリーンサイズにPDF化するのも面倒なことだ。そのうちオフラインでも青空文庫を読めるリーダーが幾つかAppStoreに出品されるようになった。その中でフォントサイズとルビに対応した『青空読書』を買ってみたが、本文がゴシック体であることと、本文中の注釈等も全て本文と同じように表示されるのが、気持ち良いものではなかった。そうしたユーザーの不満を解消する青空文庫リーダーが漸く登場した。『i文庫 』がそれである。青空文庫からテキストファイルをダウンロードして本棚にコレクションできることは当然であるが、既に『i文庫 』に最適化された152作品が内蔵されており、主だった文豪の作品は直ぐに読めるようになっている。なによりも本文が明朝体で表示できるのが良い。これならiPhoneで読書する気になれるというものである。
iBunko :(¥350はキャンペーンプライスのようだ。)
追記:任意のテキスト(例:上図・日本国憲法)を『i文庫 』に取込んでみました。
予め用意されている『i文庫 』の本棚(ライブラリ)に書体とフォントサイズに背景色の設定。
青空文庫の追加は作者別に書籍データベースを内蔵しており、簡単に検索とダウンロードができる。「i文庫」サポートページ
と云うことでiPhone(携帯電話)であることを忘れさせ、文庫本を読んでいる気にさせる『i文庫 』の画面。古本屋で152冊買ったとしても350円では手に入らないでしょうね。
こちらが『青空読書』の画面、....これでは、あまり読む気になれない。
やはり、インターフェースとデザインは重要です。
追記:「任意zipダウンロード」の機能を用いて日本国憲法を書棚に収めました。
i文庫版・日本国憲法のダウンロード方法
メニューからDownloadsを選んでから、Downloadsタイトルバーの右にある『+』をタップして、題名と著者と下記のURLを入力してテキストファイルをダウンロードする。ダウンロードされたらデータを登録する。
http://madconnection.uohp.com/mt/archives/kenpou.txt.zip
編集出版組織体アセテートからの注文控メール「・・・12月中旬にはお手元に届くと思います。」の通り、本日『藤森照信 グラウンド・ツアー』の泥モノ、石モノ、積みモノ、地底モノ、UFO、の全五巻が届いた。各巻の構成は中谷礼仁氏による藤森照信氏へのインタビューと建築ガイド(座標:緯度経度付き)からなる。判型は205×115mmで、一冊あたり88頁から104頁、フィールドワークに用いられる野帳より一回り大きく、ミシュランガイドよりも縦が13ミリ長いが、厚さは20ミリも薄く、軽くて、面白くて変。
『グランド・ツアー(Grand Tours)』から『グラウンド・ツアー(Ground Tours)』へと建築物を追って地を這う旅が...語られる...。
編集出版組織体・アセテートから『藤森照信 グラウンド・ツアー』刊行決定の案内が届いた。発行日、価格等の詳細は未定であるが、サイトにはグラウンド・ツアー【泥もの】【石もの】【積みもの】【地底もの】【UFO】それぞれの収録予定地座標がありGoogleMapやGoogle Earthとリンクできるようになっている。そういえばGoogleMapもアップデートされマップ上に写真やWikipediaの情報を表示できるようになった。それにしてもポタラ宮を【UFO】に分類するとは、いかにもF森教授....。(初稿:June 03, 2008)
更新(2008.11.26):編集出版組織体・アセテートの中谷礼仁氏から書き込みがあり、2008年12月24日に発売予定で、既に予約を開始したとのことです。
ポタラと云えばFumanchu 先生が出放題に「補陀洛」というのは"Potala"のことだそうで...と書いていた。
今年の3月のことであるが、トウキョウ建築コレクション2008の「東京」をテーマとした槇文彦特別講演を聴いた。講演内容は「奥の思想」と東大・槇研究室を引き継いだ大野秀敏氏によるFIBER CITYから引用したデータを元に「東京」を鉄道網や地勢等の文脈から語り。代官山ヒルサイドテラスと最近作から都市に於けるパブリックスペースについて氏の持論を語った。その内容はクリエイティブ・コモンズにも通じるものがあるように思えた。特に印象に残ったのは『都市は、群から離れて一人で居ても楽しい場所、孤独でいることを保証するもの、』でなければいけないと云う考えであった。
その講演で今秋に『NURTURING DREAMS』のタイトルで本を上梓すると述べていた事を思い出し、Amazonで著者名で検索したが表れず、このエントリーの下書き(2008-03-16)から書名の『Nurturing Dreams』で検索したら既に10月31日に出版されていた。但し、それは洋書であった。つまり英文によるものである。う〜ん、現在、Amazonで「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」が売れているというし...デジタル・デバイドのみならず...ランゲージ・デバイドも...
と云うことで、塩漬けにしたまま埋もれていた下書きを...8ヶ月経ってから、ちょっとだけ手を加えてエントリーのお粗末でした。
参考:
法科大学院統一適性試験・長文読解力を測る問題3奥の思想・「中心」の思想との比較
大野秀敏研究室・FIBER CITY
アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない
明日10日発売と云うことで未だ読んでいないが、本書は著者・町山智浩のベイエリア在住・アメリカ日記を下敷きに書き下ろしされたペーパーバックのようだ。皮肉たっぷりの裏表紙を読んで笑って済まされない処が21世紀の悲喜劇でもあるのだが、否応なしに全世界を道連れに暴走する米国の政治的背景について10/7(火)のコラムの花道で実に端的に語っているので、興味ある人はポッドキャストを聴かれると良い。
そういえば、数カ月前、CBSドキュメントで福音派・原理主義によるティーンエージャーの為のブートキャンプなるものを見たが、キャンプ終了後には完全に洗脳され子供達は「学校で教えている進化論は間違っている。」と口にするようになる。全ては『神の見えざる手』により導かれ、ミッションとあれば彼らは異教徒に銃口を向けることも厭わない大人に成長するのであろう。
aki's STOCKTAKING:アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない
物心が付いた頃には家にあった兄達の『少年』を見ていた。小学校に上がる前に時々買ってもらった雑誌に同じ光文社で弟分の『幼年』があったが、その『幼年』の内容については全く記憶に残っていない。(どういう訳か光文社の沿革、つまり記録にも残っていない、同じジャンルには集英社の『幼年クラブ』があった。)何故か?その理由はこの表紙の鉄腕アトムにあるのだろう。1989年に光文社文庫から出版された『「少年」傑作集 第1巻』は『少年』復刻版で文庫本サイズのダイジェストである。今読んでも面白いのは手塚治虫と杉浦茂の二人だ。そう、手塚治虫と杉浦茂の漫画の出てない『幼年』は記憶にも記録にも残らなくても当たり前なのだ。
国内に於いてメディアの枠組みを超えてサイエンス・フィクションと云うジャンルを確立したのは、やはり手塚治虫の功績が大きかったと思わざるを得ない。そういう意味で少年雑誌であっても手塚治虫は一つも手を抜いてなく、サイエンス・フィクションのプロットを押さえている。鉄腕アトムは昭和43年に連載が終了しているが、鉄腕アトムを読んで育った子供達は何の違和感も先入観もなくSF小説を受入れる青年に成長していたのだ。
先日、たむらくんの仕事場に寄った時、古本屋で買ったと云う昭和34年1月号『少年』の附録で杉浦茂の『ミスターロボット』を見せてくれた。やっぱり杉浦茂は今でも面白い。この『「少年」傑作集 第1巻』には『ミスターロボット・赤い家の秘密』が掲載されている。物語の事件が解決した後にこんな顛末が、杉浦茂の人柄がよく表れている内容である。
ところで、『「少年」傑作集 第1巻』に夏目房之介のエッセー『鉄腕アトムの時代』が掲載されている。夏目房之介は私と一つ違いの同世代である。彼が同世代の長谷川明の言葉を引用している。
『わずか数年の差であるが、雑誌で手塚マンガを見ていた世代と、最初からアニメで見ていた世代とでは大きな断絶があるのである。偏屈を非難されるのを承知で言えば、鉄腕アトムと聞いてアニメを思い出す人には手塚マンガはわからない。』
おつまみ横丁・すぐにおいしい酒の肴185
基本的に一品、一人前、新書一頁をコンセプトにして必要な材料とレシピを三つの工程だけで簡潔に書かれている。もちろん居酒屋の定番・モツ煮込みも簡潔に要点を押さえて書かれている。下町の味・レバカツは見開きで紹介、写真には御丁寧に酎ハイが添えられている。ジャーマンポテトも旨そうだ、ゴーヤチャンプルーだって、ゴーヤは種とワタを取って小口切りにするだけ、苦味も味の内なのだ。どれも材料さえ用意すれば、料理の途中で一々レシピに目を通す必要もない。かと言って手を抜いている訳でもなく、下拵えのポイントや、アク取りやら、なんやらとツボは押さえていて無駄がない。著者はタモリ倶楽部のコアでマニアックな料理篇にも出演している料理研究家・瀬尾幸子さんである。一癖も二癖もある出演者を前に動ぜず、ニコニコと臨機応変に対処している姿が本書にも反映しているようだ。
「酒のつまみ」なんてのは気取らず、有り合わせのものでテキトーに作れば良いのであって、一つのレシピに拘る必要はない。であるから『おつまみ横丁185品』は材料と調理方針のヒントが示されていると思えば良い。食いしん坊や呑んべえなら、俺だったらこうするとか、あたしだったらあれを加えるとか、思うだろう。基本さえ押さえれば後は勝手に「俺流」「あたし流」「僕流」「自分流」で作れば良い、失敗したって、それでいいのだ。
-----------------------------内容----------------------------
ぐいっと一杯やりたくなる。
第一章・横丁酒場の定番おつまみ 118品
とりあえず・・・・14品(※みそ漬け3種が3品にカウントされている)
サラダ・・・・・・10品
煮物・蒸し物・・・11品
焼き物・・・・・・12品
炒め物・・・・・・13品
揚げ物・・・・・・12品
和え物・・・・・・12品
豆腐・・・・・・・10品
〆の一品・・・・・8品
小鍋立て・・・・・16品
まだまだある。
第二章・気軽につくれるおつまみレシピ集
●クイックおつまみレシピ47
<野菜類>・・・・・・14品
<魚介類>・・・・・・7品
<肉類>・・・・・・・8品
<その他>・・・・・・9品
<缶詰め・瓶詰め>・・9品
●文字だけおつまみレシピ20
他に
●お役立ちコラム
●横丁酒場の料理教室(いかをさばく。あじを三枚におろす。さざえをさばく。アボガドの下拵え)
-----------------------------ここまで----------------------------
追記:瀬尾幸子・タモリ倶楽部出演記録
と云うことで、奥付の顔写真を見て、もしかしてタモリ倶楽部に出ていた人じゃないかと調べてみたら、やはりそうでした。
2005.12.9
早い!安い!美味い!酒がすすむ!「スターが作る“おつまみ”選手権!!」
乾貴美子、なぎら健壱、田山涼成、大竹 聡(酒とつまみ編集長)、渡邊和彦(酒とつまみ編集員)、瀬尾幸子(料理研究家)
2006.3.10
オヤジ豪快企画:下仁田ねぎを食べながら下ネタを語って一杯飲む
ガダルカナル・タカ、 堀部圭亮、江川達也、大槻ケンヂ、瀬尾幸子(料理研究家)
2006.12.1
さかな対抗旨い皮No.1決定戦!冬の大漁祭(骨スープ付き)〜なぎら健壱の反省点付き〜
堀部圭亮、なぎら健壱、六角精児、瀬尾幸子(料理研究家)
2007.2.23
なぎら健壱の漬け物祭:ぬかの中身は何じゃろな?
なぎら健壱、羽場裕一、石田 靖、乾貴美子、瀬尾幸子(料理研究家)
2008.06.06
一番ウマいのはどの“ブシ”だ!?節キング決定戦!
浅草キッド、光浦靖子、瀬尾幸子(料理研究家)
1975年に「話の特集」から発行された「赤塚不二夫1000ページ」を遺影に見立て合掌のココロ。「赤塚不二夫1000ページ」は、そのご1998年に扶桑社から復刻されたが、現在は絶版になっている。と云うことで今夜は赤塚不二夫@おコトバを噛みしめ、故人を偲び、「赤塚不二夫1000ページ」を読んで大いにバカ笑いするのだ。お言葉-1 お言葉-2
下落合タイムズ
8月7日の告別式に於けるタモリ(森田一義)による弔辞が故・赤塚不二夫の人となりを良く表しているのでここに引用。(弔辞を読んでいるように見えたが、実は白紙であったと云う説があるようで....)
『8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかですが、回復に向かっていましたのに残念です。
10代の終わりから我々の青春は赤塚不二夫一色でした。
何年かのちに私がお笑いの世界をめざして、九州から上京して、新宿・歌舞伎町の裏のバーでライブみたいなことをやっていたとき、あなたは突然目の前に表れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。
赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然のできごとで、私は、あがることさえできませんでした。終わってやってきたあなたは、君はおもしろい。お笑いの世界に入れ。8月末にある僕の番組に出ろ。それまでは住むところがないから私のマンションにいろ。
自分の人生や他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断をこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。
それから長いつきあいが始まりました。しばらくは新宿の寿司(すし)屋で夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなねたをつくりながら教えを受けました。
いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。あなたが言ってくれたことは金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしています。
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀(マージャン)をする時も、相手の機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀に勝ったところを見たことがありません。
しかし、その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのために、だまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたことがあります。しかし、後悔の言葉や相手を恨む言葉をきいたことがありません。
あなたは父のようであり、兄のようであり、時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は年の離れた弟のようでもありました。
あなたは生活すべてがギャグでした。ギャグによってものごとを無化していったのです。あなたの考えは、すべてのできごとを前向きに肯定し受け入れることです。それによって、人間は重苦しい陰(いん)の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後の関係を断ち放たれて、そのとき、その場が異様に明るく感じられます。それをあなたは見事にひとことで言い表しました。すなわち「これでいいのだ」と。
いまふたりで過ごしたいろいろなできごとを思い浮かべています。一緒に過ごした正月。そして海外へのあの珍道中。どれもがこんな楽しいことがあっていいのかとおもうばかりのすばらしい時間でした。
最後に会ったのは京都・五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔はお互いに労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたは会場のどこか片隅で、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘(ひじ)をつき、にこにこと眺めていることでしょう。そして、おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わせてみせろと言っているにちがいありません。あなたにとって死もひとつのギャグなのかもしれません。
人生で初めて読む弔辞が、あなたのものになるとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながらひとこともお礼をいったことがありません。肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼をいうときにただよう、他人行儀のような雰囲気がたまらなかったからです。他の人から、あなたも同じ気持ちだったと聞きました。しかし、いまお礼を言わせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。』
iPhoneスタートガイド (SOFTBANK MOOK)
と云うことで『週刊文春によれば悪評フンプンのiPhone』であるが、本書はそのガイドブックである。それもSoftBankからの出版である。だったら、iPhone購入者に只で配れと云うブーイングも聴こえてきそうでもある。まぁSoftBankの『孫の商法』はシナジー効果でなんとやらでしょうから、出版部門からガイドブックをだして売り上げを狙うのは当然であろう。しかしながら、前のエントリー・買ってはいけない...でも触れたように、iPhoneはパーソナルなPC環境があって成立するモバイル・ギアである。それについての解説が最終章「パソコンを使って徹底カスタマイズ」にさらりと書かれているだけなのは感心しない。「購入前後の注意点まで解説」とするなら、それはトップに持ってくるべきで、最低限、iPhone契約時に渡される注意事項に書いてあるようなiPhoneと同期可能なPCとOSのバージョン、必要なソフトウェア、インターネット接続環境についてまで解説するのが筋であろう。
「からだにおいしい 野菜の便利帳」
板木利隆・監修/高橋書店・刊(1300円+税)
銀行で月末の支払いを済ませて、本屋をのぞいたら店頭に平積みにされていた本書があった。手に取って値段と中身を確認、これは「買い」と即決。
スーパーや八百屋の店先に初めて見るような物珍しい野菜や食べたことのない野菜は、調理法も解らないと、どう食べてよいのやら、敬遠しがちである。もう旬は過ぎたが、今年になって初めて買って食べてみたのは「スナップエンドウ」、これは予想以上に甘くて美味かった。
と云うことで知っているようで、知らない野菜の食べ方から栄養知識、選び方まで載っている、全頁カラーで、まさにこれは台所に一冊の便利帳。
ロシア闇と魂の国家 (文春新書 623)
ブックカバーの見返しに『「ドストエフスキー」から「スターリン」、「プーチン」にいたるまで、ロシアをロシアたらしめる「独裁」「大地」「魂」とは何か。かの国を知り尽くす二人が徹底的に議論する。』と書かれている通り、ドストエフスキーの新訳文庫が評判のロシア文学者・亀山郁夫と起訴休職外務事務官で作家の佐藤優と云う二人の知性がロシアの近代と現代そして未来を様々な切り口からロシアを構成しているレイヤを徹底的に分析し議論している。面白い本である、腰巻きを読んだだけでも、それが伝わってくる。ドストエフスキーに精通していれば更に面白いであろう。だが、幸か不幸かロシア文学は高校生の時にトルストイを、それに1968年に話題となったソルジェニーツィンを読んだくらいで、ドストエフスキーの悪霊は映画となったものを岩波ホールで見ただけである。かろうじて先日放送された『知るを楽しむ・悲劇のロシア〜ドストエフスキーからショスタコービッチまで〜』の再々放送を録画できたのでどうにか俄知識だけは...。(と言っても未だ全て見ていないのだが...)
大学で神学を学び自らキリスト者でもある佐藤優の『スターリニズムは「ヒューマニズム」』に対し『キリスト教は「アンチ・ヒューマニズム」』と定義づけしている下りに、妙に納得した。そうか北方ルネッサンスと云ってもオランダ・ドイツが北限、15世紀にイタリアで興ったルネッサンスは辺境のロシアまで達することがなかったのだ。近代的自我が芽生えたルネッサンスの「ヒューマニズム」は「アンチ・ヒューマニズム」のキリスト教にとって異端であり受入れ難いものであった。
佐藤優は「第三章 霊と魂の回復」の中で次のように語っている。
ロシアだけでなく、キリスト教の異端についてぼくは次のように考えます。キリスト教は、二つの焦点を常にもっていると思うのです。イエス・キリストにおける人間と神性、信仰と行為、聖書と伝統、教会と社会というテーマをキリスト教神学は二項対立の形で立てることが好きです。そのうちどちらか一つの焦点だけを認めて、軌跡として円を描こうとするのが異端なのだというのが私の認識です。正統的キリスト教は、二つの焦点を維持して、楕円を描くのだと思います。ベルジャーエフは、キリスト教は二元論の陣営に立つと言ってますが、それはこのような楕円を描く焦点が二つあり、いずれも真理であるということを指しているのだと思います。
ちなみにプロテスタンティズムとロシア正教の異端派には、一つの焦点しか認めず、円を描こうとする傾向が強いです。私自身も、神学生の時代には楕円を円に矯正するのが神学の責務であると勘違いをしていましたが...
もしも亀山郁夫と同世代の米原万里が存命だったら鼎談もあり得たかも知れないと思わせる。ヒューマニストとしての米原万理とアンチ・ヒューマニストとしての佐藤優の論争も聞きたかった。
ところで、「生物と無生物のあいだ」にも出てきた研究員を揶揄する言葉『スレイブ(slave)=奴隷』はスラブ人が語源とされている。神や独裁者に隷属することを欲するロシア...が気になる。
ロシア 闇と魂の国家:目次
aki's STOCKTAKING:ロシア 闇と魂の国家
センネン画報
2006年2月のエントリーで紹介したブログ・「今日マチ子のセンネン画報」の選りすぐり作品に新たな書き下ろし作品を加え単行本となった。最初は「ちょっとシュールな脱力系」という印象であったが、最近は高校生の女子とそのボーイフレンドとの日常と夢想が織りなす風景と叙情に少々の毒とエロスを添加した「オチのないマンガ」として作風が確立し、不思議な魅力をもった作品となっている。
と云うことで週に一度だけ都内に行く出講日を利用して、山里から川向こうは京島まで足を延ばした。東武浅草から電車に乗るのは何年ぶりだろう。記憶に残っている最後はターミナルビルの浅草松屋の食堂で「お子様ランチ」を食べた時、未だ小学校には上がってないからたぶん昭和30年くらい、遥か昔の話だ。下りる駅は東武浅草から二つ目の曳舟、隅田川を渡るとき微かに潮の匂いがした。曳舟で下りたのは初めて、足立に住んでいた頃、東武電車に乗ることがあっても東武浅草から梅島まで途中下車したことは一度もなかった。LOVEGARDENまでの道順はGoogleMapで調べておいた、途中でクリーニング店と主人の姿を横目で見て、暫く行くとカーブの向こうに店の前で働いているcenさんの姿が見えた。
ブログで公開された『時差ボケ東京』の表紙を見て、海馬を刺激されたのか、何故かエリオットによる「荒地」の次の一節(福田陸太郎・訳)が脳内にイメージとして浮かび上がった。
まぼろしの都市、背中を丸めうつむきかげんに重そうな足取りで歩く人々、彼らにだけフォーカスが合わされ、人間だけが鮮明に写り、他の背景や前景はブレてボケている。脇道の奥から狙撃兵のようにカメラを構え流し撮りしているmasaさんの姿が目に浮かぶ。
冬の夜明け、茶色の霧をくぐって
大ぜいの群衆がロンドン橋の上を流れていった。
死はあんなに大ぜいの人々を滅ぼしたのか。
思い出したように短いため息をもらしながら、
みんな自分の足もとを見つめていた。
そうした個が埋没してる群衆の写真と対照的なのが、街中を疾走する自転車、流れる背景に個が際立って美しい。う〜ん、これは広告代理店のアートデレクターの目に留まるとパクられて何かに使われそうだ。masaさんが自費出版を選択したことが理解できる。暗闇に溶ける時差ボケサビオウの写真もある。そして銀座鳩居堂の前をアビー・ロードに変えたカメラ目線の女の子に僕は秒殺されてしまったのである。
参ったなぁ...。
昨年は没後40周年でNHKの「知るを楽しむ 私のこだわり人物伝」で取上げられ、今年は生誕80年周年と云うことでPLAYBOY今月号の特集も作家戸井十月・取材協力による「チェ・ゲバラ」である。彼が如何にして革命や自由のアイコンとなりえたのか...写真家アルベルト・コルダへのインタビューが興味深い。僕はアルベルト・コルダの名前を知らなかったが、彼の写真を見て映画「Buena Vista Social Club」のプロローグに出てくる写真家だと気付いた。映画の本編とは直接関係ないカットをプロローグにしたのはヴィム・ヴェンダースによる「チェ・ゲバラ」へのオマージュが含まれているのだろう。もちろんPLAYBOYの表紙にも使われているこの写真を撮影し著作権を主張しなかったアルベルト・コルダへの敬意もあったのだろう。これで何となく気になっていたものが腑に落ちて、ヴェンダースの意図が掴めた気がした。
PLAYBOY今月号は他にカート・ヴォネガットの未発表作品「阿鼻叫喚の街」や、今年のグラミー賞を独占した「エイミー・ワインハウスって何者だ?」等、興味深い記事が山盛りである。PLAYBOYと云うと金髪美女のヌードグラビアのイメージが強いが、内容的には硬派の雑誌なのである。
あのとき、撮影手法に....と...色々と話に聴いていたが、うーむ、こーゆーことだったのか。Kai-Wai 散策のmasaさんこと、村田賢比古氏が写真集を上梓される。タイトルはズバリ『時差ボケ東京』である。
ハードカバー大型上製本(全62頁-写真42葉)ISBN4-9904156-0-0 価格3600円+税なのだ。これはもう、masa-fanならずとも買わねばならぬのだ。
追記
LOVEGARDENでの発売も決まったのだ。『そうだ 京島、行こう。』
神保町・ブック・ダイバー(探求者)でも発売!近くの「新世界菜館」でカツカレーと...
発売中の週刊文春5月12日号・「阿川佐和子のこの人に会いたい」のゲストは新書で50万部を売り上げたベストセラー「生物と無生物のあいだ」の著者・福岡伸一氏である。これには伏線があって、阿川佐和子がアシスタントをつとめる『大竹まこと ゴールデンラジオ!』の3月31日放送分に福岡伸一氏がゲスト出演したことから始まる。ポッドキャストでこの放送を聴いていて理系が苦手なアシスタントの反応に... 些か...であったが、まぁ「科学と似非科学のあいだ」で視聴率稼ぎをするメディアにどっぷり身を置いている者の反応として、これがフツーなのかとも妙に納得した。伏線というのは週刊文春・誌上で次週から福岡伸一氏が連載するエッセイのパブリシティを兼ねているということ、何れそのエッセイも文藝春秋から単行本化され、時を経て新書ではなく文庫におさまるのであろう。
栗田さんのCHRONOFILEのエントリー「生物と無生物のあいだ」に「この新書の副題を「科学とゴシップのあいだ」にしても良かったかも...」と茶々をいれてしまった私であるが、それも強ち的外れでもなさそうだ。福岡氏は科学的主題を読者に如何に興味をもって読まれるかを考え、様々な研究者によって科学的発見に辿り着くプロセスを彼自身の体験を織り交ぜながらドラマ仕立てに書き表している。それはまさに「科学と文学のあいだ」を取り持つ筆さばきともいえる。しかし、彼はそうした文学的表現だけでなく科学的事象を短い言葉で的確に表現するのにも長けているのである。『エントロピーとは乱雑さを表す尺度である。』の言葉に出会った時は、何か胸のつかえが下りた気がした。昔々、ブルーバックスで読んだ、あの判り難さは何であったのだろう。これからはデスクトップがとっ散らかっている状態はエントロピーが増大していると言おう。
DNAの発見によって「生命とは自己複製するシステムである。」との認識を人類は得たが...福岡氏は更に『生命とは動的平衡にある流れである。』と再定義するのである。この言説は栄養学やら何やらの定説を再定義しざるを得ない程のマグニチュードを持っている。と云うことで詳しくは...「生物と無生物のあいだ」を読まれることを...その前に週刊文春をサラッと目を通すのも...よいかも...。
追記:御近所ブログの関連エントリー
aki's STOCKTAKING:生物と無生物のあいだ
MyPlace:「生物と無生物のあいだ」
昨日の東京新聞・こちら特報部に『季刊誌「谷中・根津・千駄木」来春に幕』の記事が、発行部数が採算ラインを割ってしまったという現実もあるが、今までモチベーションを支えてきた都市のフォークロアが壊滅してしまったということではないだろうか。編集発行人の森まゆみさんは『だんだん自分たちの町ではなくなってきた。オートロックの建物が増えたり、個人情報保護といった風潮から以前のように話をじっくり聞けなくなってしまった。』と語る。「谷根千」や「神楽坂」といった町がブームに乗り観光地化すればするほど、そこで生活する人々の心にはある種の疎外感というか虚脱感のようなニヒリズムが芽生えるような気もするのだが...。
源泉の思考・谷川健一対談集
東京新聞日曜日の読書欄・新刊案内に『列島の旅と短歌、経世済民、民衆の暮らしの伝承...。民俗学の祖・柳田国男の方法と精神をもっともよく受け継ぐ在野の民俗学者の対談集。....』と紹介されていた。その谷川健一の相手を務める対談者の顔ぶれに興味を覚えAmazonに注文してしまった。連休最後の日の朝に届いた本を開き頁を捲り、最初の鼎談『いま、民俗学は可能か』に目を通すと、そのプロローグは柳田礼賛ではなく柳田国男批判である。私のような研究者でない門外漢の一般人にとって、こうした対談集は、戦後の民俗学を俯瞰的に捉えるのに最適かも知れない。
鼎談「いま、民俗学は可能か」の序文として「民俗学はなぜ衰退したか」が寄せられているが、その一部を引用すると...
...「いまの民俗学は落日のなかにある。...今日の民俗学は、厚い雲に包まれたまま姿もみせずに沈んでいこうとしているのではないか」と。...
...それはたしかに当っている面があるわけです。なぜかというと、一つは柳田が民俗学の枠組みをつくって、それからはみ出したり逸脱したりすることを許さなかったからだと思うのです。それが批判精神をなくしていった原因ではないかと思う。....
....経済成長によって農村は崩壊していくし、一方で減反政策をとらされるわけですから、やはり農民のあいだにニヒリズムみたいなものが産まれてくる。そういう農村の崩壊、農民のニヒリズムは、稲を中心とした日本民俗学の魂の衰弱と、パラレルなかたちをとっているのではないかと私は思うのです。...
過疎という現実に苦しんでいる村を前にしたときに、その現実を見ないふりをして、依然として柳田国男時代のマニュアルどおりの聞き書きなり、調査項目なりを村に押しつけて、そこで掬いとれたものを牧歌的に再構成して、村の民俗誌のようなものを再生産してきたのが戦後の民俗学ではないか、そういう民俗学に携わる人々の心性もほんとうはニヒリズムなのかもしれないと思うのです。それは、明らかに、農民のニヒリズムという現在の事実にきちんと向かいあっていないわけです。...
内容と対談者
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いま、民俗学は可能か 山折 哲雄、赤坂 憲雄(1997.7.31)
柳田の経世済民の志はどこにいったのか 小熊 英二(2002.11.20)
南の精神誌 岡谷 公二
民俗学の可能性 網野 善彦、宮田 登(1996.1.17)
網野史学をめぐって 山折 哲雄、赤坂 憲雄
精神史の古層へ 赤坂 憲雄
日本人の他界観 赤坂 憲雄
大嘗祭の成立 山折 哲雄
市町村合併の新地名に異議あり 今尾 恵介
現代民俗学の課題 宮本 常一
旅する民俗学者・宮本 常一 佐野 眞一(2005.2.8)
今なぜ「サンカ」なのか 礫川 全次(2005.4.18)
瞬間の王 詩人谷川雁 齋藤 愼爾(2002.2.28)
古代人の心と象 白川 静、山中 智恵子、水原 紫苑
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世代も経歴も考え方も異なる者同士の対談は時に見解の相違で不協和音を奏でる処もあり、興味深い一冊である。
死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う
僕が二十歳の誕生日を迎える略一月前、連続ピストル射殺事件犯人の永山則夫が19歳と10ヶ月で逮捕された。永山は「二十歳までは生きていたい。」と逃亡生活を続けていた。彼は僕と同い年だった。1979年・東京地方裁判所で死刑判決。1990年・最高裁判所で死刑判決確定。1997年・東京拘置所にて死刑執行(享年48)。その日の夕刊で永山の死刑執行の記事を読み、彼は「五十歳までは生きていたい。」と思っていたのだろうか、と僕は考えていた。
森達也の名を意識的に捉えるようになったのは、玉井さんに誘われて見た韓国映画「送還日記」の試写会での映画監督・金東元とのトークショーが切っ掛けであった。グレート東郷をテーマにした「悪役レスラーは笑う」は著者名を意識せずに読んでいたが、彼の名を世間に知らしめたオウム事件を素材にした「A」や「放送禁止歌」は未だ読んでいない。本書腰巻きには「死刑をめぐる三年間のロードムービー」と書いてある。「悪役レスラーは笑う」もそうだったが、紙媒体に於いても彼の手法はルポルタージュやドキュメンタリー映画のようである。そして、読了して思ったことは、民族学や文化人類学のフィールドワークにも似ていることだ。予断を持たずに相手の話を聴くこと、そのスタンスは同じかも知れない。
TBSの深夜番組「CBSドキュメント」で放送される"CBS 60 Minutes"を見ていると、時々、刑務所内部までカメラが入り込み、死刑囚等の凶悪犯罪の犯罪者へのインタビューが行われることがある。また死刑執行の現場となる刑場施設へカメラが入り込むこともある。米国では情報開示されている死刑制度であるが、日本では国民からは不可視の状況となっている。刑罰としての「死刑」を正しく理解している人は多くはない。懲役刑が懲役(強制労働)を持って刑を務める為、作業所が併設された刑務所に収監されるのに対し、死を持って刑を務める死刑囚は刑が執行されるまでは、他の未決囚と同じ拘置所に収容されたままとなる。そして刑が執行される朝を迎えるまで、死と隣り合わせに毎日を過ごすことになる。
森達也は本書執筆の動機付けを次のように語る。
少なくとも死刑を合法の制度として残すこの日本に暮らす多くの人は、視界の端にこの死刑を認めながら、(存続か廃止かはともかくとして)目を逸らし続けている。ならば僕は直視を試みる。できることなら触れて見る。さらに揺り動かす。余計なお世話と思われるかもしれないけれど。...
プロローグ
第一章:迷宮への入口
クリスマスの死刑執行(2006年12月「フォーラム90」の忘年会)
死刑事件弁護人(弁護士・安田好弘)
シュレーディンガーの猫(元オウム幹部・死刑囚・岡崎一明)
暗くて深い迷宮(『モリのアサガオ』作者・漫画家・郷田マモラ)
第一章:隠される理由
拷問博物館(明治大学博物館)
不可視の領域(名古屋拘置所)
視察の考現学(衆院議員・保坂展人)
第一章:軋むシステム
死刑になりたいから人を殺す(大阪池田小事件・死刑囚・宅間守/担当弁護人・戸谷茂樹)
民意のメカニズム(死刑廃止議員連盟・亀井静香)
死刑の起源
三十分間吊るすことの意味(元大阪高検公安部長・三井環)
第一章:元死刑囚が訴えること
生還(免田栄)
冤罪執行(石井健治郎・西武雄)
第一章:最期に触れる
野蛮な刑罰(元刑務官・坂本敏夫)
処刑場のキリスト(教誨師・カトリック神父)
論理から情緒へ(刑事被告人・佐藤優)
殺しているという意識(元刑務官・現弁護士・野口善國)
第一章:償えない罪
死刑の本質(山口県光市母子殺人事件)
応報感情(「少年に奪われた人生」作家・藤井誠二)
殺された側の情緒(音羽事件・被害者祖父・松村恒夫)
終着駅(山口県光市母子殺人事件・被害者家族・木村洋)
エピローグ
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森達也が対話した人たちの多くは存続か廃止かは別として、現状制度に対し...疑問を抱いている。何故なのか...
以下、2年前の2006年5月の東京新聞の記事から引用
異端の肖像2006 「怒り」なき時代に 弁護士 安田好弘(58)
「弁護士としての資質、人間としてのモラルに失望した」。読者から一枚のファクスが届いた。この読者一人にとどまらない。テレビのワイドショーで、ネット上で非難があふれ返った。
安田好弘。いま、日本で最も物議を醸している弁護士だ。かつてオウム真理教元代表・麻原彰晃被告=本名・松本智津夫=の主任弁護人を務め、先月、山口県母子殺害事件の上告審でも弁護人を務めた。
「悪人は早く吊(つる)せ」という世間感情、タレント弁護士が登場するお茶の間のにぎわいに彼は背を向ける。
非難のきっかけはこの上告審だった。三月十四日、最高裁の口頭弁論を安田は相方の弁護士とともに欠席した。
最高裁、検察、遺族は憤った。最高裁は昨年導入された改正刑事訴訟法に基づき、四月十八日の弁論への出頭在廷命令を初適用。欠席すれば、解任は避けられない。彼は法廷で「被告に殺意はなく、下級審の事実認定は疑問」と弁論の続行を訴えたが打ち切られた。
異例ずくめだった。昨年十二月上旬、二審の弁護人が最高裁へ「弁論は自分ではなく、安田さんに頼もうかと思っている」と伝えたという。開廷日は裁判所と検察、弁護人の三者で協議されるのが慣例だが、裁判所は同月下旬、一方的に開廷日を通告してきた。
安田は二月下旬、初めて被告人と接見した。被告の話が事件記録と違い、驚いて弁護人を引き受けた。さらに自白調書と死体所見の食い違いを見つけ、被告の殺意に疑問を抱いた。
弁論準備には数千ページに及ぶ記録の精査が必要だ。当日は日弁連の催しも重なっていた。彼は裁判所に三カ月の延期を要望。「従来は認められたケース」(安田)だったが、今回は拒まれた。弁論は通常一回で、準備なしに出廷すれば事実上、死刑を後押ししかねない。欠席の方針を固めた。
「被害者の人権を無視した」と苛烈(かれつ)なバッシングが待っていた。オウム真理教の裁判のときよりも酷(ひど)かった。当人はどう受けとめたのか。
「こういう仕事をしている以上、避けられない。凶悪とみられる人々の弁護をするのだから。世論は常に多数派だ。逆に被告は孤立している。弁護が少数者のためである以上、多数派から叩(たた)かれるのは定めだ」
その使命感は、と聞こうとすると、安田は遮って「使命感じゃない。これが弁護士という職業の仕事なんです」と言い切った。
報酬に乏しい公安事件、重大な刑事事件を背負ってきた。死刑の求刑、あるいは下級審で死刑判決が出た後に、彼が請け負った事件は十七に上る。大半が依頼だった。ある法曹関係者は「こうした事件を受ける弁護士が少なくなり、彼に集中している」と漏らす。
「自分も(こうした事件から)できれば逃げたいと思う」と安田は話す。
「死刑が絡む事件は不安だ。何もできないだろうと落ち込む。裁判で負けても終わらない。被告が処刑される日まで守らねばならない。毎日、冷や冷やして自分も生きていかねばならない。だから、だれもやりたがらない。でも、被告から依頼の手紙が舞い込む。接見で顔を見てしまう。そうすると断れなくなる」?? 非難の主流は「遺族感情に配慮しろ」だった。今回の事件では、被告が一審判決後に獄中から友人に宛(あ)てた「終始笑うは悪なのが、今の世だ」という手紙の一節が非難に油を注いだ。
「復讐(ふくしゅう)したいという遺族の気持ちは分かる。だが、復讐が社会の安全を維持しないという視点から近代刑事裁判は出発した。もし、復讐という考えを認めれば殺し合いしか残らない」
裁判を死刑廃止運動に利用しているという批判もあった。「死刑廃止を法廷で考えているとしたら弁護士失格だ。法廷は事実を争う場であって、政策や思想の場ではない。だいたい判決は死刑だろう、と考えて弁護なんてできやしない」
安田の弁護は徹底して事実にこだわる。愚直なまでに現場に行き、再現を繰り返す。「よく被告のうそをうのみにして、とか言われるが、うそで起訴事実が覆せるほど、法廷は甘くない。肝心なのは遺体や現場の状況という客観的な証拠だ。被告がどう言ってるかは参考情報にすぎない」
そんな弁護スタイルが、これまでいくつかの死刑判決を覆した。ただ、その手法も壁に突き当たりつつある。昨今の迅速化を掲げた「司法改革」の流れだ。
例えば、被告側の防御権を損ないかねない公判前整理手続きが、昨年十一月に導入された。経験した弁護士は「時間がない。十分な検証は不可能だ」と悲鳴を上げた。安田は「迅速化の中身は結局、手抜きだ。検察、裁判所からみれば手軽に一件落着で済む。しかし、被告人には生死や自由が絡んでいる」と憤る。
「刑事裁判は死んだ」と安田は話す。「有効な反論を通じ、初めて真相は明らかにされる。検察、弁護人の客観的な主張を裁判所が冷静に判断する。そんなシステムが機能不全に陥っている。検察主導の大政翼賛化が進んでいる」
■事実に徹底的にこだわる闘い方
その理由を安田は「弁護士がしっかり反論せず、検察は地道な事実の積み重ねよりトリックにおぼれ、裁判所も監視の役割を怠っている」と指摘する。
麻原裁判の長期化に批判が集まり始めたころ、安田は顧問を務める不動産会社の事件で逮捕された。一審は無罪。裁判長は検察側の強引な公訴内容に苦言を呈した。とはいえ、十カ月もの拘置で麻原裁判の舞台からは“消された”。
この拘置中、殺人的な仕事からは解放された。でも保釈後、再び以前の日々を送る。「朝七時から会議をやって、夜九時すぎからも会議。その間に裁判資料を調べ、自宅に帰れるのは二週間に一回だけかなあ」
安田について、友人でジャーナリストの魚住昭は「徹底的に事実にこだわり、かつ人権を守ろうとする弁護士の基本に忠実な人物。逆に最高裁や検察当局からみれば、最も厄介な人物だろう。それがバッシングの根底にある」と語る。
孤立しがちな印象の一方で、彼自身の控訴審には前例のない二千百人の弁護士が弁護人に名を連ねた。
「彼は左翼系で私とは立場が大きく違う」と話しつつ、元検察官の小林英明弁護士は彼をこう評す。「私は死刑問題でも彼とは考え方が根本的に違う。だが、弁護士としての優秀さ、人間性については高く評価している。法の許す範囲内か否かを自覚し、信念を持ち一生懸命やっている」
団塊の世代のご多分に漏れず、学生活動家だった。そこで容易に人が変節するのを目の当たりにした。
「自信なんてない。しかし、できるだけ変わらない方を選ぼうと生きてきた。でも、世の中はどんどん単純化していく。一体、この先に何が待っているのか」
と云うことで先週、「2001年宇宙の旅」の原作者・アーサー・C・クラークが亡くなったのだが、やっぱり面白かったのは初期の「幼年期の終り」でしょうか。昨日の「大竹紳士交遊録」でも書評家の大森望が「幼年期の終り」を推していたが、アシスタントの東京外語大出身のお笑い芸人・光浦靖子がSFは分からないし、翻訳物も苦手と言ってたのが哀しい。そう云えば2001年のモノリスの意味が解らないと云う同級生がいたが、こういう人には幾ら言葉で説明しても時間の無駄である。解らない事があることを肯定しそれを面白いと思えなければSFを読まない方が良い。世界は、未知なもので溢れている....のだから。
さて中沢新一のアースダイバーに触発され2005年10月22日から隊長の発案で始めたアースダイビングであるが、最初は東京タワーの足下、芝丸山古墳や代々木八幡の半島や岬状の地形等に縄文人の足跡を辿る等、どちらかと云えばドライなモッコリ地形にフォーカスしていた。埋田或いは海田が地名の起源と云われている低地に生まれ、今は山里の谷間に住んでいる私はウェットな場所に魅かれるのだろうか、二回目のアースダイビング@下北沢の出発地・代々木八幡に集合前に渋谷川の支流・宇田川の更に支流の河骨川跡の春の小川の碑に立ち寄り小田急線に平行する川筋を歩いて、切り通しから八幡宮の杜に入っていった。そのアースダイビング@下北沢に於けるサブテーマであった「都市計画道路補助54号線」の全体を確認した後、特に誰が言うまでもなく北沢川の支流を確認したり、暗渠化された川筋に沿って代沢の森厳寺方面に歩いていることに気付いた。地球の引力に抗うことなく自然と低地に向かっている。その体験が第三回アースダイビング@江戸東京地下水脈の企画へ繋がったことは言うまでもない。謂わば時代の共時性であろうか、図らずもそれは川の地図辞典の出版意図ともシンクロしている。川の地図辞典・腰巻に書かれた『アース・ダイビング〈消えた川・消えた地形歩き〉必携』のキャッチコピーがそれを物語っている。と云うことで次の日曜日は川の地図辞典・出版記念ウォークと懇親会なのだ。どうやら天気が崩れる心配も無いようだ。気の早い染井吉野が見られるか楽しみである。
謎解き広重「江戸百」 (集英社新書 ビジュアル版 )
と云うことで前のエントリー『「名所江戸百景」と江戸地震』で紹介したサイトの解説を担当した原信田実氏による著作である。本書は電脳「くろにか」に2005年末まで連載していた江戸百を元に詳細な論証と図版を加え新書として上梓したもので著者の遺作となっている。表紙は安政二年の十月二日に起きた安政江戸地震で九輪が折れ曲がった浅草寺五重塔が翌年安政三年五月に修復され、それを記念しその年の七月(辰七)に出版された版画である。しかし修復されたのが五月にも関わらず季節が冬に見立てられているのである。著者は『名所江戸百景・浅草金龍寺』を雪景色の中に置いて一新の雪に戦災復興を祝う広重や江戸市民の想いが込められているのでは...と考える。
真乳山山谷堀夜景の構図も興味深いですね。教科書的には、いけない構図ですが、其処に謎が有りそうで...考え始めると...う〜む。
ネットの情報だけでは腑に落ちない、と云う向きには打って付けの新書。
『名所江戸百景』を研究しているサイトは他にもあります。
森川和夫:廣重の風景版画の研究(1)古写真で読み解く広重の江戸名所
森川和夫:廣重の風景版画の研究(2)広重と「江戸名所図会」
工作少年の日々 (集英社文庫 ) 森博嗣・著
昨年の秋に森達也と森巣博による『ご臨終メディア』を読んだ所為か似たような著者の名が目に留まった。普段ならそのまま見過ごすのであるがタイトルの『工作少年の日々』に釣られて文庫本を手に取りページを捲った。最初の散らかしの法則を読んで、そのままレジに向かった。嘘か真か、氏が小説を書き始めた動機付けは工作室の或る家を手に入れるためだそうである。何故ならとりあえず資金(道具)が少なくて済むからである。そんな氏も現在は14台のMacを所有し、それらを駆使して小説を書いていると云う。Macの台数はエッセーを書いた時点で尚且つ上位機種が未だG4であるから、想像するに今では20台を超えているのではないだろうか。昨年秋には夫人がiMacを自身はiPodtouchを手に入れたらしいし、「MacBook Air」もとりあえず1台は買うらしい。と云うことで定期的に読むブログにMORI LOG ACADEMYがまた一つ増えてしまった。やれやれ。
もしやと思い栗田さんのブログを検索すると単行本で紹介していました。
2006-08-08CHRONOFILE: 工作少年の日々
追記:aki's STOCKTAKING・工作少年の日々
なげださない 鎌田實・著
あまり、この手の類いの本は僕の購入予定リストには入っていないのだが、2月1日の【大竹まこと ゴールデンラジオ】でゲストの鎌田實さんが紹介していた著書「なげださない」を読んでみた。まぁ、ガキの頃、学校から家に帰ってくるなりランドセルをなげだして遊び呆けたり、夏休みの宿題を最後までやらずになげだした自分としては、耳の痛いタイトルでもある。そんな、しょうもないガキだった自分も、考えてみたらもう12年も非常勤として学生に接している。そしてこの季節は後期の採点表を提出する一番苦手な時期でもある。採点が恣意的にならぬよう項目別に分類して学生が提出したデータを分析して採点し集計するのであるが、レンダリングのリドロウやら何やらでそれなりに時間を要する作業でもある。いつだったか、高名な解剖学者のセンセーが小論文を一瞥するなり65点と略流れ作業的に採点していたのをテレビで見ていて、実に羨ましくもあった。全ての学生が問題なく合格点に達していれば良いのだが、そう首尾よく運ばないのは世の常、出席不足等でボーダーラインから落っこちそうな場合も、切り捨てたりせずに、何らかの救済措置が求められるのだが、昨今は微妙な問題を抱えた学生もおり、無闇矢鱈と「がんばりなさい」と言えないのが現状でもある。
前文
ちょっとしんどいと、親が子どもをなげだし
子どもは老いた親をなげだし
メーカーも商社も信用をなげだしてしまう。
ちょっとつらいと、勤め人は会社をなげだし、
国のリーダーまでもが、この国をなげだした。困難の中、なげださずに、ていねいに
生き抜く人たちを書きたいと思った。
いのちの底力を、伝えたい。
第2章:転移しても再発しても、なげださない。がんが治った
支えあい、笑いあって、病を乗り越えたふたり
第3章:自分の夢をなげだすときもある。人のために
放射能汚染で地図から消された村にいきる、飛行機おじさん
第4章:かつての敵を許す。憎しみの連鎖を断ち切れ
アメリカで生き、平和のために被爆体験を語り続ける笹森さん
第5章:心の目で見てみよう。大切なものが見えてくる
盲導犬とともに福祉活動にいそしむキミエさん
第6章:明日を信じているからできる。遥かな夢への小さな一歩
故郷アフガンへ森を贈る「ドイツ国際平和村」のマスードさん
第7章:いのちは輝かせられる。ラストの一ページまで
死を背負い歌い続けたシンガーmicoさん
第8章:人の悲しみを癒すとき、自分も癒される
震災を越えてつないだ「いのちのバトン」
第9章:自分の悲しみは横に置いて、人の悲しみを支える
病気の子どもたちに希望と薬を届ける、イラクのイブラヒム先生
第10章:みんな違って、みんないい。不揃いのカボチャたち
北の大地で、ともに生きる「共働学舎」の25人
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と云うことで、アルコール依存症、若年がん患者、チェルノブイリの被爆者、広島被爆者、視覚障害者、アフガニスタン難民、スキルス性胃癌のシンガー、神戸淡路震災被害者、イラク難民、自立農業施設主宰者、等々の10のエピソードの内、幾つかのエピソードは他のメディアによって既に紹介されているものもあるが、本書ではどのエピソードの主も鎌田先生と人間的な信頼関係によって文章化されている。そしてエピソードは個人の心の内側に迫ったミクロの視点と、社会情勢・世界情勢との関係性を保ち俯瞰なマクロの視点によって構成されている。そして悪戯に感情に流されることなく客観性も保ち、ユーモアを交え解りやすく読みやすく書かれている。ここ最近の様々な世相の動きを見ていると、この国の方向性が民主主義からどんどん懸け離れてゆくように思えてならないが、それでもそんな逆境の中、日常をひた向きに生きている人たちの存在に勇気づけられる。あきらめずに、がんばりすぎず、そしてなげださないで...。
東京慕情―昭和30年代の風景 東京新聞出版局・定価1200円(税込)
昨年一年間、東京新聞・日曜朝刊に連載されていた特集記事を一冊に纏めたものである。単に昭和30年代の懐かしい写真を集めて昔話に終始したものではなく、被写体となった風景や人物を探し求め、関係者へ当時の状況等の追跡取材を加え、エピソードを交えて東京新聞編集委員・田中哲男氏が執筆したものである。そこには半世紀に亘る都市で生活する庶民の様々な想いや物語が隠されている。
幾つかのエピソードの中で工事中の東京タワー最上部近くの鉄骨に立つ三人の塗装工とその写真を撮った写真館店主の話はとても興味深いものの一つだ。しかし僕にとって自分の記憶を確認できた写真として昭和34年の渋谷駅界隈を現在のセルリアンタワー東急ホテル方向から撮影したものがある。写真に写っているビルは東横デパートと東急文化会館くらいで、現在の三井住友銀行が入っている東急プラザは未だ建っていない。僕が校外授業として東急文化会館最上階の五島プラネタリウムに見学に来たのは、その写真と同じ昭和34年である。山里の小学校から観光バスに小一時間ゆられて渋谷に着き、プラネタリウムを見学して屋上でお昼の弁当を食べて、再びバスで山里に帰った訳だが、その間、僕たちを乗せてきたバスは路駐して待っていたのである。今では信じられないような話しであるが、70頁の写真を見れば納得するであろう。
と云うことで「川の地図辞典」を手にして最初に調べたことは、私の生まれたバラックの前を流れていた堀割の正式な名称である。だが残念ながら「川の地図辞典」(P380〜P382)には掲載されていなかった。尤も足立区北部、草加市との都県境を流れる毛長川と荒川放水路とに挟まれた低湿地帯に嘗ては数多くの堀割が縦横に設けられ、それらの多くは農業用水路として機能していた事を考えると、無名の堀割もあるだろうし「川の地図辞典」にそれら全てを網羅することは到底無理と考えられる。頭の隅に微かに記憶されていた「梅田堀」をキーワードにGoogleで検索すると位置を特定できる情報が三つ程見つかった。
一つは西新井駅近くの梅田堀親水水路、そして生家に隣接した梅田稲荷神社について書かれた下記の文言。
5丁目9番にある。社殿の左側に禊教の教祖井上正鉄と妻の安西男也の墓が二人の高弟の墓とともに並んでいる。ほかに神社の玉垣に沿ったところに庚申塔と外荒神の2基を祀った庚申堂がある。もと梅田堀の端にあったものを地元の人々がここに安置したもので野仏の保存が図られている。文久元年(1861)九月銘の漱盥石がある。
上の写真の撮影場所をiPodtouchの空撮写真で見るとGoogleのロゴ付近から北の方向(西新井方面)を写している。右手の緑は梅田稲荷の社務所、鉄骨3階ALCのマンションが母の実家の池があった場所。生家の前の道は梅田堀を暗渠化して歩道を設け、更に車道を広げ、片側一車線の対面交通としたようである。梅田堀上の歩道のポールは嘗ての湿地帯を表徴するものだろうか。写真左手のマンション付近も50年前は溜め池があり、夏はシオカラトンボが池の上を飛んでいた。
追記:上記写真は昨年一月、西新井大師から荒川放水路までアースダイビングした時のモノです。因みにmasaさんが発見したサビオウの前は本木堀が流れていました。
次回「川の地図辞典-3 Jediへの道」へ続く。
『川の地図辞典 江戸・東京/23区編』
菅原健二・著 之潮・刊(定価3800+税)
ISBN978-4-902695-04-5
カーレースに例えるなら既に周回遅れでピットスタートとなった感があるが、Kai-Wai散策を震源地とする『川の地図辞典』の紹介である。私も何方かと同様、「新宿のジュンク堂+タイトルうろ憶え」であったが、出版社のコレジオ(Collegio)がイタリアの画家コレッジョ(Correggio)に似ていたのが幸いし、それを頼りに優秀な店員さんに探していただき、正月休み明けの1月7日に手に入れることができた。
江戸・東京の川に関する辞典と名の付く書物を読むのは、この『川の地図辞典』が初めてではない。第4回アースダイビング『Take The "A" Tram』の下調べをしている時に大学の図書館から借りた図説 江戸・東京の川と水辺の事典に次いで二度目である。その「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」を出版した柏書房は何と「川好きotoko」さんが「之潮」を始める前に社長を務めていた出版社なのだ。わきたさんが調べたこちらとこちらの記事を読むと、どうやら「川好きotoko」さんは自分の納得できる仕事をすべく「之潮」を設立したらしい、そしてその成果の一つが図書館に貸出禁止図書として鎮座されるデスクトップタイプの辞典ではなく、誰でもが手にできるモバイルタイプの『川の地図辞典』なのである。と勝手に解釈して合点した。
追記:著者の菅原健二氏は前述の鈴木理生・編著による「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」と「東京の地理がわかる事典」の共同執筆者の一員であり、鈴木理生氏とは東京都の図書館繋がりであったのだ。合点、合点、合点。
実業美術館:赤瀬川原平×山下裕二
文藝春秋の『オール讀物』に三ヶ月に一度くらい略定期的に掲載されていた『企画モノ』の単行本化である。世話役に山下裕二、ご隠居が赤瀬川原平と云った趣向なのだろうか、編集部の段取りで各地の実業美術館・物件を見学した後、何処ぞで対談、録音テープから原稿を起し、なんちゃらかんちゃらで一丁上がり。雑誌原稿が溜った処で書籍化となる。良くも悪くも出版社主導のシステムによって作られた本である。その辺りが些か気になるのは、物件によって食い付き方に温度差が見られることである。興味深いのは第一章の「大和ミュージアム」で戦艦大和をカメラに見立てる赤瀬川原平。
大和の艦橋にある測距儀はカメラのレンジファインダーと同じ原理、製作は日本光学によるものだ。カメラ上部を軍艦部と呼ぶのも同じ理由、逆にカメラを軍艦に見立てているからである。撮影も射撃も英語では同じ"shot "であるからニコンが嘗て日本光学狙撃眼鏡を製作していても何ら不思議ではないのである。
内容
巻頭鼎談「実業美術館とはなんぞや?」赤瀬川原平×南伸坊×山下裕二
はじめに 赤瀬川原平
1 戦艦大和を観に行く(大和ミュージアム・海上自衛隊呉基地)
2 網走番外地の真実とは!?(博物館網走監獄・網走刑務所)
3 ごみ処理工場が芸術してます(大阪市環境局舞洲工場&スラッジセンター・広島環境局施設部中工場)
4 交通博物館で職人技を応援(交通博物館)
5 警察と芸術のビミョーな関係(明治大学博物館刑事部門・警察博物館)
6 偉大なる中小企業の「作品」たち(コシナ・オリエント時計)
7 野球の国ニッポンの聖地を訪ねて(東京ドーム・野球体育博物館)
8 「お金」に「芸術」の深淵を見た(国立印刷局滝野川工場。お札と切手の博物館・貨幣博物館・日本銀行本店)
9 トヨタは応挙、マツダは光悦である(トヨタ博物館・マツダ本社工場)
あとがき 美術に実業を、実業に美術を 山下裕二
いわゆるムック、発行元はMCプレス。オジサンはiPod touchをハッキングする気もなく、記事にあったHandBrakeを試したかっただけ、以前も似たようなフリーウェアを試したが、それは上手くコンバートできなかったので再挑戦、と云うことで今回は成功..。使い方はこちらにもあった。最初から知っていればムックを買わずに済んだのだが、無知故の出費でした。
トーハン調べによる2007年間ベストセラーの第一位が『女性の品格 』なんだそうである。昨年の第一位が『国家の品格 』だから柳下に泥鰌が二匹いた訳である。と云うことで、ちかごろ新書がブームなのか、どこの出版社でも新書を出すようになった。Wikipedia調べによれば30社から42の新書シリーズが出版されているが、書店店頭で見たところWikipediaのリストにない新書もあって、まだ増え続けているようである。現在、東京新聞夕刊・文芸欄に植田康夫氏による『本は世につれ・戦後ベストセラー考』と云うコラムが連載されているのだが、その11月22日付けの47回目に光文社の「カッパブックス」誕生の経緯が紹介されていた。
その一部を引用すると...
伊藤整の要請で、新書判の双書創刊を決意した神吉晴夫だが、伊藤の『文学入門』をトップバッターにすることは決まっても、双書名は考えあぐねた。
人真似をしないことを信条とする神吉は、岩波新書と異なる新しい双書をと思い、タイトルにもこだわった。・・・中略・・・
・・・《これで、私は新しくスタートする軽装判シリーズに、カッパという名前をつけることに踏みきった。けれども、「カッパ新書」では、新書という新語をつくった岩波茂雄さんに面目ないし、さりとて、「カッパ文庫」 「カッパ双書」では、古めかしい。もっと今日的な感覚が欲しかった。これは、ひとつ、外国のものにならって、・ブックスをつけ、「カッパ・ブックス」にしようと考えつく。ブックスという言葉なら、小学生だって知っているだろう》・・・
2000年以降、一人で各社から多くの新書を出しているのが解剖学の養老孟司と脳科学の茂木健一郎である。
ベストセラーとなった養老孟司の『バカの壁』は口述した内容をライターと編集者が原稿にまとめ、著者がチェックして一冊の本に仕上げると云うシステムを確立している。原稿用紙に向かい推敲を重ねる、なんてのは過去のこと。最近増えている対談スタイルの新書も似たようなものだろう。
養老 孟司
まともな人 (中公新書) 養老 孟司 (新書 - 2003/10)
バカの壁 (新潮新書) 養老 孟司 (新書 - 2003/4/10)
いちばん大事なこと―養老教授の環境論 (集英社新書) 養老 孟司 (新書 - 2003/11)
死の壁 (新潮新書) 養老 孟司 (新書 - 2004/4/16)
こまった人 (中公新書) 養老 孟司 (新書 - 2005/10)
無思想の発見 (ちくま新書) 養老 孟司 (新書 - 2005/12)
超バカの壁 養老 孟司 (新書 - 2006/1/14)
希望のしくみ (宝島社新書) アルボムッレ・スマナサーラ 養老 孟司 (新書 - 2006/6/13)
ぼちぼち結論 (中公新書 1919) 養老 孟司 (新書 - 2007/10)
バカにならない読書術 (朝日新書 72) 養老 孟司/池田 清彦/吉岡 忍 (新書 - 2007/10/12)
茂木健一郎
脳とコンピュータはどう違うか―究極のコンピュータは意識をもつか (ブルーバックス) 茂木 健一郎 田谷 文彦 (新書 - 2003/5)
意識とはなにか―「私」を生成する脳 (ちくま新書) 茂木 健一郎 (新書 - 2003/10)
知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦 けいはんな社会的知能発生学研究会(共著) (新書 - 2004/12/17)
「脳」整理法 (ちくま新書) 茂木 健一郎 (新書 - 2005/9/5)
脳の中の人生 (中公新書ラクレ) 茂木 健一郎 (新書 - 2005/12)
ひらめき脳 (新潮新書) 茂木 健一郎 (新書 - 2006/4/15)
すべては脳からはじまる (中公新書ラクレ) 茂木 健一郎 (新書 - 2006/12)
フューチャリスト宣言 (ちくま新書 656) 梅田 望夫 茂木 健一郎 (新書 - 2007/5/8)
音楽を「考える」 (ちくまプリマー新書 58) 茂木 健一郎 江村 哲二 (新書 - 2007/5)
日本人の精神と資本主義の倫理 (幻冬舎新書 は 3-1) 波頭 亮 茂木 健一郎 (新書 - 2007/9)
欲望する脳 (集英社新書 418G)茂木 健一郎(新書 - 2007/11/16)
それでも脳はたくらむ (中公新書ラクレ 264) 茂木 健一郎 (新書 - 2007/12)
すべては音楽から生まれる (PHP新書) 茂木 健一郎 (新書 - 2007/12/14)
流石に時代の寵児と云うか売れっ子の茂木先生は新書だけでも今年6冊も上梓しているのである。(訂正:今月分・新書二冊を追加)
こうして眺めてみると活字文化も視聴率第一主義のテレビと云ったメディアと似たり寄ったり同じように見えてくる。どのチャンネルを回しても似たような顔ぶれのタレントやコメンテーターが並び、何かが流行れば、どのチャンネルも似たような内容となるように、出版界も然したる差は無いようだ。『バカ』『ウソ』『脳』『品格』と云ったキーワードを用いたタイトルだけ見ると週刊誌の中吊り広告を見ているようである。玉石混淆の新書の世界、品格を語るも天に向かって唾を吐くようなものに思えてならない。
ところで辛口書評家として知られる大森望が大竹まこと・ゴールデンラジオ!「大竹紳士交遊録」の12月6日放送分のポッドキャスト版のエンディングで大竹の「(年間ベストセラーの)ベスト10にも全部点数付けて欲しいよな...」のフリに対し、大森望曰く「『女性の品格 』に7点が付いたりして...」の軽口を叩いたところでエンド...本音がチラリ。
カーサ・ブルータスの向うを張ったかどうかは知らないが、Mac系専門誌からライフスタイル・クオリティマガジンとしての脱皮を図ったMacPowerであったが、それも頓挫し、新たに季刊誌として再出発している。新装なったMacPowerは季刊で160頁の情報量に対し月刊のMacFanとMacPeopleは250頁前後の情報量である。必要な情報はネットにアクセスすれば事足りる時代、三ヶ月に一度の季刊誌となればじっくりと読ませる内容が必要となる。柴田文彦氏の「UI進化論」と「MacOS 1.0の研究」そして三原昌平氏による「Appleのプロダクトデザイン史(前編)」と、既にどこかで読んだような見たような企画が並ぶ。前途多難であろうが、季刊誌の特性を活かし腰を据えてオールド・マックユーザーにも読みたくなる内容を願いたい。呉々も気付かないうちにフェードアウトすることの無いように...。
日曜朝刊に『週刊 ハーレーダビッドソン』の広告が出ていた。こうした付録がメインの雑誌もシリーズ化され、商売として成立しているのだから根強いフアン層があるのだろう。しかし、いつも思うのだが果たして最後まで諦めずに完成させる購読者はどの位の数いるのだろうか、と。それよりも、全冊揃えるのに、どのくらいの期間で値段が幾らくらい掛かるのか気になった。広告を隈無く調べると小文字で毎週火曜日発売の89号で完成とある。う〜む、全てのパーツの入手まで1年と8ヶ月以上、購入価格を計算すると(890+1790×88)で〆て金158,410円也の出費で1/4のメタル製のハーレーが手に入る訳であるが、それには一冊の厚みが5センチと計算して全89冊が収納できるラック(900×280×1800)のスペースと、完成品(597×255×270)を飾るスペースも必要となる。創刊号の価格だけで、お手軽な「パーツ付きマガジン」だと侮ってはいけない。時間と予算、そしてスペース、その上、根気も充分必要とされるのである。
ご臨終メディア:森 達也 ・森巣 博 (著) 集英社新書
副題が「質問しないマスコミと一人で考えない日本人」つまり、思考停止状態なのはメディアも一般大衆も大差ないと云う事であろう。僕は常々、メディアに対して脳死状態にあると見ていたが、二人の著者は既にメディアを「ご臨終」したと見做している。
放送メディアだけでなく活字メディアにしても書店の店頭に平積みにされた「売りたい本」の山を見ると、権力に阿るメディアによって国民をどの方向に向かわせるのか情報操作されているような暗澹たる気持ちにされるのであるが...やはり、活字メディアもご臨終ということか。
と云うことで『復刻版 岩波写真文庫 赤瀬川原平セレクション』の全10冊(科学編5冊・社会編5冊)である。駅前の啓文堂書店でdanchu11月号を買うつもりで立ち寄り、平積みされている暴走老人!を手に取り、買おうか買うまいか迷っていると、前方斜め右の目線の高さの書棚に赤瀬川原平セレクションの文字が目に入った。『戦後腹ぺこ時代のシャッター音』はAmazonに注文してあるが、写真文庫は原物を見てから買うか決めようと思っていた。箱から出して頁をめくり始めると、これはタイムマシンである。生まれてから意識が目覚め初めて見た原風景やグラフ雑誌やニュース映画等のメディアで知った出来事が記録されている。これは自分の記憶とすり合わせ、その時代を再確認する為にも必要なアイテムと成り得るし、第一どれを見ても面白いのである。
科学編の蛔虫 (岩波写真文庫 赤瀬川原平セレクション 復刻版)には野糞についても見開き二頁で写真と「うんちく」が語られている。
野糞はふつう農村に多いとされている。農村の状態から見て当然であろう。その上にハイキングに行く人なども残してくる。ところが、少いと思われがちの都会にも、案外野糞は多い。公園の草むらなどにもよくあるし、屋外の行事のあとには、必ずといってもよいほど多い。野糞と弁当の殻が相接している風景もよく見られる。また、ないようで多いのが公衆便所の近所である。便所が汚れていることが多いからであろう。このような都会の野糞は戦後特に多い。野糞ではないが、似たものに列車便所から線路に落ちたものがある。列車が長く止っている駅の線路には物すごいほど多い。丁寧にも調査した公園の見取り図に野糞の位置を示した図も添えられている。
戦後腹ぺこ時代のシャッター音・岩波写真文庫再発見
赤瀬川原平・著 (1600円+税)
と云うことで本書と同時に『復刻版 岩波写真文庫 赤瀬川原平セレクション』全10冊(科学編5冊・社会編5冊)が岩波書店から9月27日に発売されている。12月には東京をテーマに『川本三郎セレクション』全5冊が刊行される予定である。最近話題の岩波写真文庫であるが、『A瀬川原平セレクション』と来たら『F森教授セレクション』が有って良さそうである。こちらも期待しよう。
内容
アメリカ人の生活を見る・・・・・岩波写真文庫5『アメリカ人』1950
捕鯨船団ヤマトの時代・・・・・・岩波写真文庫3『南氷洋の捕鯨』1950・赤瀬川セレクション
肖像からはじまった写真・・・・・岩波写真文庫8『写真』1950
電気がまだハダカだった・・・・岩波写真文庫190『家庭の電気』1956
日本人はなぜ野球がすきなのか・・・・・岩波写真文庫35『野球の科学』1951
車がまだ自動車だったころ・・・・・岩波写真文庫94『自動車の話』1953・赤瀬川セレクション
むかし見た明るい夢・・・・・岩波写真文庫65『ソヴェト連邦』1952・赤瀬川セレクション
黒々として神々しい巨大獣・・・・・岩波写真文庫21『汽車』1951・赤瀬川セレクション
靴ぴったり至上主義のころ・・・・・岩波写真文庫118『はきもの』1954
芸術も前進の時代だった・・・・・岩波写真文庫78『近代芸術』1953
不潔でも逞しかった蛔虫時代・・・・・岩波写真文庫44『蛔虫』1951・赤瀬川セレクション
日本列島初の同時多発フォト・・・・・岩波写真文庫183『日本 一九五五年十月八日』1956・赤瀬川セレクション
交通巡査の立っていた東京・・・・・岩波写真文庫68『東京案内』1952
電話番号の下に(呼)があった・・・・・岩波写真文庫34『電話』1951
どこを写真に撮っても様になる・・・・・岩波写真文庫194『パリの素顔』1956
産業革命を率いた王様・・・・・岩波写真文庫49『石炭』1951・赤瀬川セレクション
鉄と海が相手の職人魂・・・・・岩波写真文庫67『造船』1952
真実の漏れ出る部分・・・・・岩波写真文庫13『心と顔』1951
子供特派員の目の輝き・・・・・岩波写真文庫199『子供は見る』1956
玉音放送を聞いて家路に・・・・・岩波写真文庫101『戦争と日本人』1953・赤瀬川セレクション
排気ガスの代わりに馬糞があった・・・・・岩波写真文庫48『馬』1951・赤瀬川セレクション
団塊世代が一年生だった頃・・・・・岩波写真文庫143『一年生』1955・赤瀬川セレクション
塩分欠乏でへたり込んでいた・・・・・岩波写真文庫193『塩の話』1956
深山幽谷から色香まで・・・・・岩波写真文庫213『自然と心』1957
図説・明治の地図で見る鹿鳴館時代の東京
学習研究社・発行(1900+税)
参謀本部陸軍部測量局によって明治17年に完了した測量に基づいて作成されたフランス図式『五千分一東京図』35面の内、34面の地形図が収録され、併せて国土地理院による地形図と古写真や錦絵が参照されている。地図の範囲は北東が浅草周辺、北西が早稲田周辺、南東は海で欠番となっているが現在の晴海、南西が広尾周辺までの区域である。芝公園周辺地図を見ると芝増上寺の将軍家霊廟の殆どが西武鉄道グループに買い占められたことが解る。戦災で消失したとは云え、なんだか、、である。写真などの図版も多くマッパーならずとも持って置きたい一冊である。
たむらくんより偕成社から10月上旬発売の『ゆきだるまくん、どこいくの?』が届いた。
表紙は大胆な赤だ。大胆なのは表紙だけでなく中身もかなりなモノだ。絵本としては異例の黄色を用いた二色刷りでページ数は96ページもある。
"やなせたかし"が"大竹まこと"とのラジオの対談で『キャラクターをしっかり考えれば、自然に動き出して面白くなる。』と言っていた。この『ゆきだるまくん』も、最初の数コマを描いたら、後は自然に動き出したに違いない。それが大騒動を起すとは、、、いやはや。
ビゴーが見た日本人-諷刺画に描かれた明治
こちらは明治でも写真ではなくフランス人画家・ビゴーが描いた風刺画である。明治時代の写真を見ると日本人の体躯は五頭身から六頭身半くらいだが、ビゴーが描く日本人は三頭身から四頭身に誇張されている者が多い。このごろつきと題された男、どこかで見たような容貌だが高下駄を履いても三頭身半、この頃はロンドンブーツはなかったようである。
内容は編著者の清水勲が選んだ100枚の風刺画を下記の六章に分類し批評を加えたものだ。
第一章:明治を活写した異邦人・・・(日本を知りつくしたフランス人)
第二章:ポーカーフェースの世界・・・(日本人の容貌)
第三章:はっとさせられる風習の数々・・・(日本人の生活)
第四章:愛らしき「お菊さん」たち・・・(日本の女性)
第五章:西洋文明にほれこんだ人々・・・(日本人の性格)
第六章:近代化に呑みこまれる古きよき日本・・・(日本人の猛烈性)
第三章の「はっとさせられる風習の数々」には第32図から第36図まで「ふんどし」と題された絵が五枚も並ぶ。印半纏に褌のいでたちならまだしも、第32図「ふんどし・・股間への送風」の男は帽子にシャツ、そして下半身は褌一丁、足袋に高下駄で往来を歩きながら、緩めたふんどしの中へ団扇で風を送っている。
下半身裸といえば、麻薬漬けの生活を送っていたチャーリー・パーカーが上半身はスーツで決め自分では正装しているつもりなのに、下半身は何も穿かずホテルのロビーに現れ、そのまま病院送りになったと云う伝説を読んだ事はあるが、明治31年の日本では下半身を裸同然で往来を歩いても、病院に送られることも官憲に捕まることもなく、大らかと云えば大らかだったのだろう。まぁ、今でもパンツ一丁でテレビに出てる芸人もいるから、大して変わってないかも、、、。
官邸崩壊 安倍政権迷走の一年・上杉隆・著、新潮社刊
昨日の事態を予知していたかの様である。
ベンジャミン・フルフォードのブログで首相に引導を渡したと推測されている記事であるが、恐らくは本日発売の週刊文春の上杉隆による記事ではなかろうか。掲載誌が新潮でなく文春と云うのは、色んな事情があるのだろう。
ひとまず、虚ろに空を彷徨い、時折懇願するようなカメラ目線を見なくて済むのは有り難いが、それにしてもKYどころか、これほど適性に欠いた人間を首相に仕向けた連中の罪は重い。ところで、官邸のメディア対策について読んでいると、相撲協会理事長の言動に重なる部分も多いのだが、、。
「大竹紳士交遊録」: 【9月12日 大森望(辛口書評家)】で急遽紹介
と云うことで、一日で読了しましたが、「美しい国へ」の出版企画段階でのタイトルが「ぼくらの国家」だったとは、まさにホイチョイ・アベ内閣による気まぐれコンセプトそのものでした。
ところで表紙・腰巻きに書かれた戦犯とはこの人物と自民党のゲッベルスと云われたこの人物です。彼ら「チーム安倍」を称して「少年官邸団」と揶揄したのは週刊新潮だそうでが、リーダーとなる小林少年もチームワークも欠如していたのでは乱歩も偉い迷惑です。
「官邸崩壊」を読んでいると、安倍内閣が第二次世界大戦末期の東条内閣のように思えてきます。
この、危機管理能力の欠如した「チーム安倍」が憲法9条を破棄して再軍備しようと願っていた訳ですから、そら恐ろしいことです。その泥舟から逸早く遁走を決めたのが、泥舟の船長な訳で、これではリーダーシップを疑われても仕方ありませんね。「自民党を壊す」と言った小泉の言葉が現実味を帯びてきましたが、、、。
立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」
第116回 政界を大混乱に巻き込んだ安倍首相電撃辞任の真相 (2007/09/13)
第117回 週刊現代が暴いた“安倍スキャンダル”の全容 (2007/09/14)
滅多に買うことのない文藝春秋・オール讀物の九月号である。松井今朝子の直木賞・『吉原手引草』(抄)も気になったが、『金田一家三兄弟』が祖父・京助と父・春彦を語る座談会も読みたくて買い求めた。A5判・厚さ25ミリ、548頁で特別定価・税込960円也は週刊誌の三倍の値段、高いか安いかの判断は読者次第であるが、全頁読破すれば安いものであることは間違いない。昔は大人の読む雑誌と云えば全てこの判型であった。純文学に対して用いられる中間小説と云う言葉は今ではすっかり死語となってしまったが、「オール讀物」はそうした中間小説を満載した月刊誌であり、亡父の愛読誌でもあった。
と云うことで肝心の「吉原手引草(抄)」であるが、読み始めると、やめられない止まらないエビセン症候群に陥り。結末の想像は付いても、実際の落ちがどうなっているのか気になり単行本を買ってしまった。
引手茶屋 桔梗屋内儀 お延の弁
舞鶴屋見世番 虎吉の弁
舞鶴屋番頭 源六の弁
舞鶴屋抱え番頭新造 袖菊の弁
伊丹屋繁斎(酒問屋)の弁
信濃屋茂兵衛(大店・婿養子)の弁
舞鶴屋遣手 お辰の弁
仙禽楼 舞鶴屋庄右衛門の弁
舞鶴屋床廻し 定八の弁
幇間 桜川阿善の弁
女芸者・大黒屋鶴次の弁
柳橋船宿鶴清抱え船頭 富五郎の弁
指切り屋 お種(元女郎)の弁
女衒 地蔵の伝蔵の弁
小千谷縮問屋 西之屋甚四郎の弁
蔵前札差 田野倉屋平十郎の弁
詭弁・弄弁・嘘も方便(証人再登場)
物語は戯作者見習いと称する者が、悪所・吉原で起きた事の顛末を当事者・花魁葛城に関わった上記16名の人々から聴きだした17篇の語りで構成されている。「オール讀物」に掲載されているのは17篇の中から、10篇(黒字部分)を選び出した『吉原手引草(抄)』である。内容は事の真相を探るミステリー仕立てでもあり、多くを語るのは控えるのが賢明であろう。
作者の松井今朝子は京都祗園の料理屋に生まれ、幼い頃、他家に預けられ育ち、小学校に上がる年齢になって実家に戻され、作家や役者が出入りする環境で育ち、早稲田の演劇科を卒業、松竹に入社、歌舞伎の台本に出会い、台本作家となる。
『吉原手引草』に登場する16人の生き生きとした台詞は、台本作家としてのキャリアが生きている。各章はモノローグとなっているが、その人物によって、歌舞伎、新派、講談、落語を聴いているような錯覚に陥り、噺に引き込まれるのである。目で活字を追っているのだが、脳の中で桂文楽や三遊亭圓生が語っているのである。
女芸者・大黒屋鶴次の弁は吉原御免状ミニダイブで出会った浅草東町の誇り高い住民の話が思いだされた。「オール讀物」の自伝エッセイと林真理子との対談も興味深い。
筋違いの蛇足であるが「オール讀物」目次・見返しにある広告は父方の祖父の代まで神職を務めていた神社である。
東京新聞夕刊二面に著作権の切れた名作が仮名遣い差別語等も当時のまま原文通りの表記で連載されている。そして、今週月曜からは菊池寛・『恩讐の彼方に』の連載だ。奇しくも TOKYO FM Podcasting・ききみみ名作文庫 でも『恩讐の彼方に』が取り上げられたばかりである。何故、この時勢に『恩讐の彼方に』なのだろうか。いま、社会を支配しようとする『報復へ向かう空気感』への危機感がそうさせるのだろうか。
青空文庫・恩讐の彼方に 尚、青空文庫を読みながらポッドキャストを聴くのがベスト。
実は「恩讐の彼方に」は小学生の餓鬼の頃、漫画で読んだ事があるだけでした。漫画家の名前も記憶に残っておらず、漫画のタイトルも「恩讐の彼方に」ではなく「青ノ洞門」とかなんとか別のタイトルでした。もしかすると菊池寛の原作ではなく耶馬渓に伝わる伝説を元に書かれた別のストーリーの漫画かも知れません。その漫画を見た親父かお袋が、これは菊池寛の「恩讐の彼方に」だと教えてくれましたが、アホ餓鬼だった私は作家の名も小説の題も直ぐに忘れてしまいました。ただ、九州大分の「青ノ洞門」を主題にした大作家がいた。それだけは脳に記憶として定着していました。ですから、大人になってから、大作家と菊池寛がリンクして、「恩讐の彼方に」を思いだすことができた次第です。もしかすると、この漫画を憶えていたのはストーリーよりも洞門に興味があったのか、餓鬼の頃から洞門フェチだったのかも知れません。いまでも正月の箱根駅伝中継で箱根湯本の函嶺洞門(かんれいどうもん)に選手が差しかかると、つい見入ってしまいます。
素数ゼミの謎 /吉村仁・著
先日「空蝉」をエントリーした数日後、深夜放送の理科系ヴァライティ番組で「17年ゼミ(Magicicada)」をテーマに取り上げ、その解説は著者の静岡大学教授・吉村仁氏でした。氏は「17年ゼミ」の17と云う数字に着目。その17と云う素数が種の保存に対し有利に働き、自然淘汰を乗り越え生き残ったかを解説。と言っても、深夜につき居眠り状態で見ていたので、話半分も理解していなかった。そんな訳で昨日、書店で本書を見つけ即購入、内容は素数を切り口にした進化論の話であるが、図版も豊富で、腰巻きにも書いてある様に小学校上級生位から大人まで楽しめる内容となっている。
1章 アメリカの奇妙なセミ
1節 不思議な生き物、セミ
2節 50億匹のセミ!?
2章 小さなセミの秘密
1節 アメリカ中がセミだらけ!?
2節 謎を解くカギは「気温」?
3節 とてつもない時代「氷河時代」
3章 セミの歴史を追って
1節 祖先ゼミの受難
2節 不幸中の幸い「レフュージア」
3節 奇妙な性質のはじまり
4章 素数ゼミの登場
1節 13と17の秘密
2節 「素数ゼミ」の登場
3節 魔法の数字の不思議
5章 そして、現代へ
1節 長い旅の末に
2節 終わりに――「進化」ってなんだろう
もしやと思って調べてみたら、komachiさんが出版されて直ぐに『素数ゼミの謎』が面白いをエントリーしてました。
神は妄想である・宗教との決別早川書房
リチャード・ドーキンス (著), 垂水 雄二 (翻訳)
利己的な遺伝子の著者として知られている動物行動学者・ドーキンスによる最新作である。週刊文春の立花隆による「私の読書日記」で本書の存在を知ったのであるが、その読書日記を改めて読むと、宇宙からの帰還の著者らしく、第一章「すこぶる宗教的な不信心者」からアインシュタインやカール・セーガンらの言葉を引用し、ドーキンスは彼らと同様に理神論者ないしは汎神論者と見做しているのだが、肝心の第二章以降の内容についての言及はなく、『神と自然と人間について、いろいろなことを考えさせてくれる書。』の一言で締め括られると、物足りないと思うのは私だけではないだろう。まぁ書評ではなく読書日記だから仕方ないか。
本書で語られている神と宗教は、そのルーツを一つにする一神教の三大宗教(ユダヤ教、キリスト教、回教)の超自然的な人格神であり、仏教や儒教についてではない。むしろ、東亜細亜の宗教については、宗教というよりも倫理体系ないし人生哲学として扱うべきだと彼は考えているようである。
原理主義者による「進化論をめぐり、コロラド大学教授らに脅迫状」の様な事件が顕在化し「信仰しない自由」を否定する空気感が支配する社会に於いて、ドーキンスは何よりも『学問する自由』を訴えているのではないだろうか。
巷間伝えるところによればアインシュタインは神の存在を信じていたとされ、多くの宗教家や似非宗教家は我田引水の如く信心深いアイコンとしてアインシュタインを利用しようとしている。だが、1940年代にアインシュタインは自らを「すこぶる宗教的な不信心者」と告白し、人格神という観念を否定している。この事により、アインシュタインは当時の有神論者達から多くの非難を浴びることになる。それでもアインシュタインは言う。
『私が信じるのは、存在するものの整然たる調和のなかに自らを現している神であり、人間の運命や所業に関心をもつ神ではない』。と。
1)強力な有神論者。神は100%の蓋然性(がいぜんせい--確率)で存在する。C.G.ユングの言葉によれば『私は信じているのではなく、知っているのだ。』
2)非常に高い蓋然性だが、100%ではない。事実上の有神論者。『正確に知ることはできないが、私は神を強く信じており、神がそこにいるという想定のもとで日々を暮らしている。』
3)50%より高いが、非常に高くはない。厳密には不可知論者だが、有神論に傾いている。『非常に確率は乏しいのだが、私は神を信じたいと思う。』
4)ちょうど50%。完全な不可知論者。『神の存在と非存在はどちらもまったく同等にありうる。』
5)50%以下だが、それほど低くはない。厳密には不可知論者だが、無神論に傾いている。『神が存在するかどうかはわからないが、私はどちらかといえば懐疑的である。』
6)非常に低い蓋然性だが、ゼロではない。事実上の無神論者。『正確に知ることはできないが、神は非常にありえないことだと考えており、神が存在しないという想定のもとで日々を暮らしている。』
7)強力な無神論者。『私は、ユングが神の存在を"知っている"のと同じほどの確信をもって、神がいないことを知っている。』
1970年代後半にヒットした映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の中でジョン・トラボルタ扮する主人公の兄は神父になることを目指し神学校で学ぶ母親の自慢の息子であるが、あるとき悩みを抱えて里帰りした。そんな兄を慰めるべく、弟はディスコに兄を誘う。兄の悩みは『神の存在が見えない』と云うことであった。映画の中では些細なエピソードであるがイタリア系移民の主人公家族にリアリティを与えていた。このエピソードが記憶に残ったのはマニエリズム美術のレクチャーに通っていたとき、講師がイタリアの大学生は陽気で明るく、端から見ると何も悩みを抱えていないように見えるけれど『私には神が見えない』と信仰上の悩みを抱えた若者も大勢いる。と言っていたのを憶えていたからだろう。
宗教的拘束力の緩い日本で生活する、私のような世俗的人間にとって人格神の有無は文学的寓意の範疇であるが、ダーウィン主義の進化論を否定しようとする進化論裁判や創造論を教育の現場に持ち込もうとするブッシュ政権等の向い風に晒されている生物学者にとって避けて通ることの出来ない命題であろう。
第二章以降は有神論者による創造論や「インテリジェント・デザイン」等からの反論を想定しながらダーウィン主義として持論を構築してゆく、それは正にディベートの様である。
更に第8章 『宗教のどこが悪いのか? なぜそんなに敵愾心(てきがいしん)を燃やすのか?』の「絶対主義の負の側面」に於いて2006年に起きたアフガンでの事例を示している。(少なくともアフガンで拘束された韓国のプロテスタントが本書を読んでいたら、殺されることもなかったであろう。)
そして、『信仰と人間の命の尊厳』では原理主義者による医師への迫害を追求する。こうした事が19世紀に行われているのではなく、21世紀の米国で行われているのである。
さて、ブッシュ政権下でキリスト教原理主義に傾きつつある合衆国政府であるが、合衆国建国の時点でキリスト教国家として建設された訳ではなく明確に政教分離を打ち出しているのである。独立宣言の起草に携わり、初代大統領ジョージ・ワシントンの元で国務長官、第2代大統領ジョンア・ダムスの元では副大統領、そして第3代大統領として二期務め20年に亘って米国政府の中枢にいたトーマス・ジェファーソン、その人は限りなく無神論者に近い人であったと考えられるようだ。ジェファーソンは甥に宛てた手紙の中で『たとえ結局、神が存在しないという信念をもつことになろうとも、それを実践することで君はくつろぎや喜びを得られるという利点もあるし、そして、君は他者への愛というものに目を向けるようにもなるはずだ』。と述べているのである。
どうやら、地球の存亡に関わる問題はCO2だけではなさそうである。
東京人 8月号は特集・「東京の橋100選」特別ふろく付きである。その巻頭を飾る伊東孝氏と陣内秀信氏の対談による「東京は橋の博覧会」をはじめに「神田川クルージング」と興味の尽きぬ内容。「東京の橋100選」には漏れてはいいても、人夫々、人生の節目で記憶に残る橋が一つや二つはあるのではないだろうか。
aki's STOCKTAKING:万世橋駅
その「東京の橋100選」の中に懐かしい橋の名を見つけた。等々力渓谷に架かるゴルフ橋だ。等々力の駅を降りて上野毛方向に向かって進み、踏切のある道に出たら左に折れ、次の角を右に折れるとゴルフ橋( 35°36'28.55"N 139°38'47.67"E)に出る。その角に八百屋があったように記憶しているが、今はどうなっているのだろう。そしてゴルフ橋を渡ると世田谷区中町の閑静な住宅街である。其処には等々力渓谷に沿って蔵田周忠の設計によるモダニズムの住宅(等々力ジードルンク計画)があった。その近く、環八から100m位入った所に、私が高木事務所で初めて担当した住宅の敷地もあった。そしてGoogle Earthで空から見ると、その住宅は既に存在していない。200坪の敷地に老夫婦の為の40坪弱の平屋建て住宅であるから、恐らく相続問題で処分されたのであろう。
2002年発行のシリーズ前作「まじょのケーキ」の原画は一昨年の「たむらしげるの世界展」で目にした人もいるでしょう。「ポルカちゃんとまほうのほうき」はその続編、今回は見開き頁で森の中をポルカちゃんがまほうのほうきに跨がり疾走するシーンが描かれている。絵本でこうした空間の奥行きと広がり、そして映像的な浮遊感を描かせたら彼の独壇場である。
「ゲドを読む。」は文庫本サイズのフリーペーパー、つまり無料の広告媒体である。このフリーペーパーの存在は文化放送のポッドキャスト「大竹紳士交遊録」の水曜コメンテーターで辛口書評家とされているらしい大森望がどれほど辛口なのか聴いてみようと思い立ち、聴かずに溜っていた6月6日のポッドキャストで「ゲドを読む。」を取り上げていたのが切っ掛けである。そして昨日、本屋のレジカウンターにこの「ゲドを読む。」の広告を見つけ店員にお願いして頂戴したのである。尤も映画の「ゲド戦記」の評判も散々だったし、今更、ファンタジー小説「ゲド戦記」を読もうとも思ってなかったので、広告の存在に気がつかなくても当然だろう。と云うことで、先ずは第1章の中沢新一による『「ゲド戦記」の愉しみ方』から読んでみよう。
茨木のり子の詩集「倚りかからず」は1999年に出版された時にメディア等で紹介されて話題になった。僕も何のメディアか忘れたが、如何にも永六輔や秋山ちえ子が話題に取り上げそうな詩の内容と云う印象を持った。そしてその時、初めて茨木のり子の名を知った。昨年、茨木のり子が他界したときにも、書店にこの詩集が並べられた。そして今春、文庫として出版された「倚りかからず」を初めて買った。話題となってから八年目である。動機は山根基世(NHKアナウンサー)の解説文が気になったからである。
2004年にラジオ出演した際、山根基世の詩の朗読を聞いていた茨木のり子は『我ながら威張った詩ですね。、、、』と感想を述べたそうだ。この「倚りかからず」は詩として世に出すまで40年の歳月を費やしているとか、想像するに発表するに幾度となく躊躇い、推敲を重ねたであろう詩を、改めて聞いてみて、威張った詩と感じた詩人に、少し共感を覚えた。
立花隆ゼミ『調べて書く、発信する』インタビュー集「二十歳のころ」
二十歳のころ・茨木のり子
iPhone 衝撃のビジネスモデル
岡嶋 裕史 (著) 光文社新書
今年の1月9日MacWorldの基調講演で発表された"iPhone"は来月、米国市場に投入される予定であるが、日本国内での市場投入時期は全くの未知数である。未知のApple製品に先駆けて新書が出版されるとは前代未聞な出来事であり、便乗出版と云う気もするが、それだけ期待の大きさの現れでもあろう。
内容は
第1章:iPhone の衝撃
第2章:Web2.0の幻
第3章:ユビキタスの挫折
第4章:クール!iPhoneのインターフェース
第5章:iPhoneが拓く新しいビジネスモデル
と云った具合に現状の通信・ネットワーク環境を俯瞰しつつ、iPhoneの位置づけを探るものであるが、「、、、携帯電話の居場所を電話機からオーグメントにシフトさせることによってである。」、、等々、至る所、カタカナによる文字化けが支配しているのが難点と云えば難点。
iPhoneが黒船になるのか、DoCoMo2.0がガセネタに終わるか、暫くは目を離せない。
字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ
久しぶりに面白い新書を読んだ。字幕なしの原語で外国映画を楽しめたらどんなに良いだろう。しかし生憎と英語をはじめとして外国語は全て苦手で字幕に頼らざるを得ないのが現実である。それでも字幕の存在を忘れて銀幕の世界に入り込んでしまう映画と、逆に妙に字幕が気になって銀幕の世界に集中できない映画もある。何故だろう?そうした疑問を一度でも抱いたことがあるなら、本書を読めば、成程と合点が行くだろう。「一秒間に四字」が、人が字幕を読める速度だそうだ。字幕屋はフィルムを通しで見てから、俳優が台詞を喋っている秒数に合わせて、観客が読める文字数を計算し、台本と照らし合わせながら翻訳をする。だが、それだけではなく、口にしてはいけない言葉(スラングが字幕に直訳されることはない)、差別語、日本語読解能力の低下、無理難題を押し付ける配給会社のアホな営業担当者、等々、様々な難関を潜り抜け、それも短期間に一本の映画の字幕が作られていたのだ。そして、我々も字幕から行間を読む能力が試されているのである。
何故か泉麻人の青春の東京地図である。南伸坊の解説「懐かしいの達人」に書かれている『泉麻人さんは「小学生の頃から、自分が幼稚園児だった時代のことを回想し」ていた、、』を読んで、昭和を回顧するテレビ探偵団のレギュラーだった泉麻人の風貌を想い出し、なんとなく合点がいった。特に彼の書いたコラムのフアンでもないが第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅の途中でじんた堂さんに教えられたゲルンジー駐車場が牧場だった頃の住宅地図が239頁に載っていたので、つい衝動的に買ってしまったのである。しかし、ゲルンジー牧場について書かれた「住宅地図の旅」は氏が浜田山近くに越してきてからの出来事であるからブックタイトルからの「青春、、、」からは逸脱と云うか付け足しである。本題はブックタイトルの如く、幼年期を過ごした下落合界隈、電車通学をするようになってから徘徊したターミナル駅界隈、繁華街の記憶された風景である。まぁ、同時代にその空間を体験しても人によって見ているモノ、見えているモノが違う、当たり前だがそこが興味深いところで、アースダイビングが終わってから二度も三度も美味しい処にも共通する。
日曜日の午前中、投票に行ったついでに駅前の書店で文庫と新書を買い求め、その足で古本屋に立ち寄った。そこで見つけたのが「アトリエ1951年6月号」である。買い求めた動機は表紙にある「アトリエ社復活記念号」でも「パウル・クレエ特集」でもない。武満徹によるエッセー「パウル・クレエと音楽」が掲載されていたからである。恐らくは武満徹が出版メディアに初めて書いたエッセーであろう。家に戻って調べてみると一周忌にあたる1997年に集英社より刊行された追悼版「武満徹の世界」に掲載の秋山邦晴による年譜にも、昨年刊行された「作曲家・武満徹との日々を語る」に掲載されている年譜にも、このエッセーについての記述は見つからなかった。そこで昨年の「武満徹 ─ Visions in Time 展」を記念して出版されたカタログ「武満徹 ─ Visions in Time」に掲載されている小野光子による武満徹年譜を調べると滝口修造の口添えにより執筆したと記されている。いや、年譜だけでなく「武満徹 ─ Visions in Time」の本文にも「パウル・クレエと音楽」が収録され、この文章で『「文筆家」としてデビューした。』とされている。時に武満徹は21歳、「ですます体」で書かれた文章は良く云えば瑞々しくもあり、悪く云えば青臭さも感じる。武満の良き理解者であった秋山邦晴がこのエッセーを年譜に敢えて加えなかったのかは、武満の死から半年後に秋山邦晴も病で亡くなった事から永遠の謎である。
今月の東京人は特集「昭和30年代、都電のゆく町」、いわゆる「ちんちん電車」の特集だ。泉麻人による「黄金時代の運転手が見た、東京風景」は元都電運転手へのインタビュー記事だが、都庁で取材した前半よりも荒川車庫で取材した後半の荒川線の運転手を60年務めたS氏の話の方が100倍面白い。荒川線はTake The "A" Tramで全線を乗車したばかりなので尚更だ。ここでも神田川の氾濫で早稲田付近の線路が冠水した話が出てくる。
古本屋で買ったままにしてあった復刻版のすみだ川が積読状態の本の間から出てきた。折角、顔を見せたのだから読まないと本に申し訳ない。奥付を見ると大正四年発行の改訂版を復刻したもので昭和52年(16刷り)に発行されている。因みにネット古書店では1500円もするが、高尾の古本屋では美本で400円だった。そして表紙絵はOld-MacUserなら知っている「髪梳ける女」で有名な橋口五葉だ。
旧仮名遣いは読み始めるまでは取っ付き難いが、読み出すと漢字にルビも振ってあるので、当時の言葉遣いがリアルに伝わってくる。何しろ第4回アースダイビングや吉原御免状ミニダイブで徘徊した界隈が舞台なので余計にそう思うのだろう。小説を読んだのは初めてだが「すみだ川」は何となく子供の時分から、新派の芝居や歌謡曲で「タイトル」等は知っていた。もしかすると、新橋演舞場か明治座辺りで芝居を観ていたのかも知れない。
一昨日、夕刻になってから仏壇に供える牡丹餅を買ってないことに気付いて買い物に出掛けた。車の運転席に座ると、フロントグラス越しに山の上に出ている月に気付いた。まるで不思議の国のアリスのチェシャ猫の様に笑う月だ。もしかするとチェシャ猫が空に浮かんでいるのかも知れないと、もう一度よーく笑う月を見つめたが、月の輪郭線が丸くぼんやりと見えるだけで耳もしっぽも付いてなかった。
車を運転しながら、そういえば安部公房のエッセー集に「笑う月」のタイトルがあったこと思いだした。左の写真は初版のB5判変型サイズの箱入りハードカバーだけど今は文庫本になっているようだ。初版本裏側の腰巻きの続きには「思考の飛躍は、夢の周辺で行われる。夢は意識されない補助エンジン、意識下でつづっている創作ノートである。」と夢のスナップショット17篇が収められている
タイトルの「笑う月」のさわりを引用すると、、、
ぼくが経験した限りでは、どんなたのしい夢でも、たのしい現実には遠く及ばない反面、悪夢のほうは、むしろ現実の不安や恐怖を上まわる場合が多いような気がする。
たとえば、何度も繰返して見た、いちばんなじみ深い夢は、ぼくの場合、笑う月に追いかけられる夢だ。最初はたしか、小学生の頃だったと思う。恐怖のあまり、しばらくは、夜になって睡らなければならないのが苦痛だったほどだ。正確な記憶はないが、半年か一年の間をおいて、周期的に笑う月の訪問をうけた。最後はたしか十年ほど前だったように思う。かれこれ三十年にわたって、笑う月におびやかされつづけた計算になる。、、、続く
と云うことで今月の東京人は待望の特集「東京は坂の町」である。そういえば作家・冨田均の東京坂道散歩や自称日本坂道学会会長・山野 勝の江戸の坂はエントリーしてあるが、自称日本坂道学会副会長による「タモリのTOKYO坂道美学入門」はエントリーしないままであったが、タモリ推奨の東京坂道ベスト12のなべころ坂(中目黒)のY字路をちょっと見てみたくなった。
月に響く笛・耐震偽装 藤田 東吾 (著)
耐震偽装を公表したイーホームズ藤田東吾による所謂告発本である。Amazonから購入したが正規販売でなくマーケットプレイスによる代行販売である。前書きによれば文藝春秋社から刊行することで合意していたそうだが、アパグループによる耐震偽装の記述を削除しなければ文藝春秋社から発行できない、云々の経緯が記されている。そうした耐震偽装に関わることだけでなく、何故に建築の専門教育を受けていない上昇志向の強い青年が検査機関を起業し経営するに至った動機付け知りたかったが、キャッチコピーのようなイーホームズの理念「21世紀の住環境の向上」から伺い知る筈もなく、只そこには文系による理系支配と云う、今日的な社会構図さえ隠れみえてくる。新幹線で野中広務を見掛けた事象を出会いのエピソードに増幅する例からも、彼にとって検査機関の経営は己の社会的発言権を確実にするための布石だったのだろう。今回の別件逮捕に等しい社会的制裁は、逆に彼にとっては政界進出の好機と捉えているのではなかろうか。感傷的すぎる文体も、そうした思惑があってのことかと意地悪オヤジは勘ぐってしまうのだが、、、
サボテンぼうやの冒険
たむら しげる (著) 偕成社・刊
ISBN4-03-965250-9
もう一冊は絵本だけど漫画、いや漫画だけど絵本、いや違う、えーと絵本の中に漫画が綴じられている本なのだ。たむら くんは漫画も描くし、絵本も描く、だからストーリーの展開に合わせて絵本から漫画にになったりと、一粒で2度美味しい「アーモンドグリコ」のような本なのである。
しまであおうね・たむらしげる作
福音館(ちいさなかがくのとも 2007年3月号)
先週、大学の先生から著書を二冊戴いたばかりのところに、今度はたむらくんから本が二冊届いた。
その内の一冊が福音館の月間絵本で「しまであおうね」だ。物語はフープ博士から届いた手紙から始まる、仲間たちは色んな移動手段で島に向かう、島で仲間たちを待ち受けているものは、そしてお終いは始まりなのだ。
図説・西洋建築史グルッポ7・共著
彰国社・刊 ISBN4-395-00648-5 定価(¥2,800+税)
7人の建築史家のコラボレーションによる西洋建築史の入門本である。内容は古代から19世紀までを五つの時代に分類、各時代毎に15のテーマを設定し、一つのテーマを見開き二頁で一人の執筆者が担当している。ある意味、カタログ的な編集でもある。読者は興味や関心のあるテーマから読めるようになっている。読者には建築史を履修する学生を対象としているが、勿論一般の読者にも受けいられる内容でもある。もしも、欧州への旅行を計画しているのならば、旅行に沿ったテーマを選び一読しておくことを勧めたい。旅行が100倍楽しくなることは間違いない。
手前味噌になるがこれは「Macintosh Desktop Architecture Guide」の編集方針と共通するものがある。グループで一冊の本を上梓する場合の最善の選択肢の一つであるようだ。
完璧な家 パラーディオのヴィラをめぐる旅
ヴィトルト・リプチンスキ (著), 渡辺 真弓 (翻訳)
白水社・刊 ISBN4-560-02702-1
サブタイトルの通り、 本書はパラーディオ設計の公共建築や宗教建築、はたまたパラッツオと呼ばれる都市住宅ではなく、郊外や田園地帯に建つヴィラ(別荘と云うよりも荘園住宅)に焦点が当てられている。
完璧な家とは所謂『用・美・強』を兼ね備えた家である。『、、、なぜなら、有用であっても長持ちしない建物、永続性はあっても便利でない建物、あるいは耐久性と有用性の両方を供えていてはいても美しさに欠ける建物を、完璧と呼ぶことはできないからである。』とパラーディオは語る。
因みに2005年12月の地中海学会月報285の「自著を語る」に於いて翻訳者の渡辺真弓さんが著者や本の内容についてのエピソード等を語られている。尚、リプチンスキ氏はねじとねじ回しの著者でもある。
そういえば来年はパラーディオ生誕500年を記念する年である。没後400年を迎えた1980年も世界各地でパラーディオを記念する展覧会が開かれ、日本では九段のイタリア文化会館で開催されている。そのとき配布された建築見学案内の小冊子・表紙のロトンダの空撮写真が珍しかった。
パラーディオに興味を抱いたのはロバート・ヴェンチュリーの「建築の複合と対立」に於けるサン・ジョルジョ・マッジョーレのファサードの分析からであろう。その後、ヴィチェンツアのバシリカの写真のセルリアン・モチーフの端正な力強さに魅せられ、これはいつか見に行きたいと思っていた。
そんなことで建築家協会が「パラーディオ紀行」を企画していたのを知り、渡りに舟と申込んだ。時はバブル絶世期の1989年、世の中の建築関係者の誰もが多忙を極めていた。最小催行人員15人のところ、集まったのはたったの9人だけであったが、ツアーは予定通り実行された。ツアーに先立ち勉強会が行なわれたが、その講師を担当されたのが「完璧な家」の翻訳者・渡辺真弓さんであった。
1989年8月27日21時30発・搭乗予定の英国航空006便が台風の影響で韓国の金浦空港より遅れて成田に到着、時間は遅れたが搭乗手続きも荷物も積み終え、滑走路に出て、いざ離陸と云うところでタイムオーバー、成田空港の離着陸時間を過ぎ空港が使用できなくなってしまった。これは言い訳、本当は機体整備の不良であることは間違いない。きっと、離陸寸前まで機長、機関士、整備員、管制官の間で揉めていたのだろう。深夜につき、そのまま機中に泊まり、翌日午後の英国航空008便で再出発。てことで命拾いしたのだが、当初の予定が狂い、パドヴァ行きはキャンセルと相成り、パドヴァ近郊の五つのヴィラを見学することは叶わなかった。結局、一日遅れでヴェネチアに到着、その翌日の8月30日午前10時にロトンダに辿り着いた次第である。
Villa Malcontentaは運河からの眺めが優美である。
Villa Cornaro の前の通りでは朝市が開かれていたが、村人は我々日本人の一団を珍しそうに眺めていた。
Villa Emoの前に訪れたVilla Barbaroについては拙ブログのマゼールの館で触れている。
現地で「パラーディオ紀行」に同行し、我々に解説と助言を与えてくれた福田晴虔氏はGA JAPAN47の「歴史は現代建築に必要か」に於いて『建築史という学問の目標は、建築創作の過程を追体験することだと考えている。、、、、、その追体験を学生諸君に語ることによって、幾分かはもの作りの倫理が伝えられるのではないかと考えている。』と述べている。
「完璧な家」の著者・ヴィトルト・リプチンスキも建築家としてパラーディオのヴィラをめぐる旅を続けながら、パラーディオの建築創作の過程を追体験しているのであろう。そうした視点で本書を読むと、訪問したヴィラの佇まいが脳裏に浮かび、未だ見ていないヴィラへの想像力がかきたてられてゆく。なかでも最終章のヴィラ・サラチェーノは見学予定を断念したヴィラであるが、現在は貸別荘として利用できるようになっているようだ。
翻訳者である渡辺真弓先生は私が週に一度、非常勤講師を務める東京造形大学の教授である。昨年、海外研修で半年間ヴェネツィアに滞在しパラーディオの研究を続けてこられた。そのエピソードは地中海学会月報は2006年10月の月報293「ヴェネツィア雑感」としてエッセーに記されている。
と云うことで今月の東京人は発刊以来初めての特集・江戸吉原である。鳶福の頭が作成した「吉原今昔図」は一葉記念館で買うかどうするか迷ったが、B5版の見開きに縮小され掲載されている。最後の吉原芸者・みな子姐さんの話は「吉原御免状ミニダイブ」でお遇いした、あの御婦人のお話を思いだす。小沢昭一と竹内誠の対談「悪所が生んだ粋と意気」を読んでも、吉原の大門の向きは気になっても私のように都市を俯瞰的に見たり、治水や鬼門からの発想はしないようである。兎も角、図版も豊富で江戸吉原を知るにはお誂え向きの雑誌である。(但し浮世絵は修正が施されているので過度な期待はせぬように。)
追記:昨年12月22日のLOVEGARDEN・酒と女は二合まで !?に写っているのが上記の吉原芸者・みな子姐さんと、yukiりんさんが教えてくれました。
良く解らないが落語ブームの再来のようである。そんな訳でサライ2月15日号は「落語再入門」、表紙は古今亭志ん生だ。演芸評論家の矢野誠一による古今東西・噺家列伝は、氏の著書・志ん生の右手の文庫本だけでは、その時代をイメージできない若い読者にとって貴重な内容だろう。付録には古典落語のCDもある。
江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド 山野 勝 (著)
二人だけの学会「日本坂道学会」会長による江戸の坂の案内書である。冨田均の東京坂道散歩が坂道から昭和の記憶を再生しようとしているのとは対照的に、坂に残された江戸の記憶を求めている。後書きには日本坂道学会副会長による「坂道には江戸が隠されている」の文章が添えられている。その書き手は既に「タモリのTOKYO坂道美学入門」を上梓した坂道愛好家の芸能人である。その後書きを「地形には歴史が隠されている」と読み替えても良いだろう。それは逆に云えば、明治以降、現在に至るまで常に歴史的な建造物を排除し、記憶を殺し成長を続けてきた東京に於いて、建造物から歴史を読み解くことが不可能となっていることの証でもある。
内容的に気になったのは私が彷徨える北坂で触れた北坂の正しい位置である。
北坂については港区・元麻布〜西麻布の項にある「牛坂」で触れられているが、
(長谷寺の)山門を出て左折、道なりに進んで一本目を左折してゆく。突き当たりの通りを左折すると北坂の上りになる。坂上には根津美術館がある。別名を根津坂、姫下坂という。と、根津美術館の脇道の方を優位とする書きかたである。まえがきで『「江戸の坂」とはまさに江戸時代に命名された坂道のことを意味するとお考え下さい。』と述べられている割には江戸時代の古地図等の文献を吟味されていないようである。
北坂については別の説がある。坂に至る手前の変則十字路を右折、二本目を左折して立山墓地に沿って上る坂道を北坂とする説だ。
志ん生の右手-落語は物語を捨てられるか 矢野 誠一 (著)
この文庫本は1973年から1987年に新聞雑誌に書かれた文章を纏め1991年に出版された「落語は物語を捨てられるか」を底本にしている。それは『ストーリーの面白さだけでなく、話者の語り口、ひいてはその個性こそに落語の面白さがあるのではないか』という視点に立って綴られた文章を、第1章が志ん生を中心とした落語に関して、第2章は演芸について、そして第3章は新聞芸能欄の連載コラムを纏めたものとなっている。1973年は五代目・古今亭志ん生が亡くなった年でもある。志ん生、最後の高座は1968年10月9日、イイノホールの精選落語会での「王子の狐」となった。このホール落語会の草分けとも云える精選落語会を1962年に立ち上げプロデュースしたのが著者の矢野 誠一である。それは1961年に志ん生が脳溢血で倒れてから、奇跡的に復帰した年でもある。脳溢血により「しぐさ」を封じ込められた「志ん生の右手」に、志ん生自身が『、、、まったく動ずることなく落語家として生きられたのは、「手の藝」をうわまわる、豊かな語り口と、すぐれた諧謔精神の持主だったからである。』と著者は述べている。
母の話によると、或るとき夕方、家に帰ってきたら明かりの付いてない部屋から子供の笑い声がしていたそうである。薄気味悪く、躊躇いがちにそっと襖を開けると、暗い部屋の中で一人で座って、ラジオを聴いてヘラヘラ笑っている私がいたそうである。ラジオからは落語が聴こえていたそうだが、年端も行かない子供に落語が解るのかと疑問に思い、何が可笑しいのか聞くと、「らくごだよ」と答えたそうである。私にはその出来事の記憶はないが、物心付いた頃には落語は身近に自然にある存在であり、さして特別なものではなかった。家の地所の隣にあった梅田稲荷の社務所の座敷で寄席が開かれたこともあったし、ラジオからは落語だけでなく、浪曲、講談もよく放送されていた。夏となれば講談は怪談噺オンリーであった。縄文人・F森教授によれば「昔の下町では、銭湯と床屋と寄席の三つが下町三羽ガラスとでもいうべき建物だった。」そうである。嘗て寄席は日常的な庶民の娯楽の中心だったのだろうが、ラジオというメディアによって定席は衰退していったのだろう、それは江戸落語が外連味を拝し、聴かせる話芸として発展したことにも起因するのではないだろうか。
志ん生より二年早く亡くなった八代目・桂文楽は寄席や名人会で聴くことが出来たが、1968年で高座を去った志ん生を生で聴くことは叶わなかったが、メディアを通してでもリアルタイムで名人芸に接することができた事は今思えば幸いである。
最後の名人六代目・三遊亭圓生が世を去ってから、寄席や名人会に行くこともなくなり、そうかと云って五代目・柳家小さんの飄々とした好々爺の噺では物足りなく、寄席に足を向ける気にはなれなかった。
育った環境にもよるだろうが、私より少し年齢が下の友達では文庫本になった落語全集を読んでも面白くも何ともないと云う。しかしながら、僕にとってそうした落語全集は記憶の再生装置でもある。読み始めると、記憶が再生され名人達の語り口が頭の中に聴こえてくるのである。
東京人の特集は「たてもの保存再生物語part2」である。
印象に残った記事は「国際文化会館のケーススタディ」、「保存!解体?揺れた建物リスト」、それに「同潤会アパートの消滅を巡って」は現存するが風前の灯状態の三ノ輪と上野下の同潤会アパートの行方が気になる。どうやら青山同潤会アパートのレプリカ保存も賛否両論の様である。
と云うことであるが1月13日付けの東京新聞夕刊に掲載された上野池ノ端のはんぺんビルこと、この建築については東京人では未だ記事にされてない。
因みに来月発売の東京人3月号の特集は江戸吉原である。暮れの吉原御免状ミニダイブに行った人も、行けなかった人も興味津々か。
不都合な真実 アル・ゴア著
今月の20日から上映される映画・不都合な真実の書籍版である。
Amazonから【以前に山本 良一の『気候変動 +2℃』をチェックされたお客様に、アル・ゴアの『不都合な真実』のご案内をお送りしています。】のメールが届いた。丁度、月末まで有効のクーポンも有ったので、速攻で注文した。
地球温暖化については誰でもが知っている事だが、具体的にどこまで深刻な状況にあるのか理解してない人が多数を占めているだろう。アル・ゴアからのメッセージである『不都合な真実』は(一般人が)知りたくない、そして(為政者が)知らせたくない事実をビジュアルを用いて、具体的事例を挙げて示している。先ずは現実を知ること、そして生活を見直し、具体的な行動をするしかないだろう、、、。
TBS/NEWS23「地球環境スペシャル(仮題)」
カムイ伝一部が見つかった。兄が建替えの際に梱包して保管してあったもので、昭和56年(1981)の新聞紙に包まれていたから25年ぶりに日の目をみた事になる。第1巻「夙谷の巻」から第21巻「滄海の巻」まで全21巻である。全て初版で最初の「夙谷の巻」が昭和42年(1967)5月10日発行、最後の「滄海の巻」が昭和46年(1971)10月10日発行である。第1巻「夙谷の巻」は青林堂の雑誌ガロに発表されてから約3年のタイムラグで小学館から刊行されたものだが、第21巻はガロでの連載が修了した年に刊行されている。と云う事で第1巻から40年ぶりにカムイ伝を読み直すことにした。
第1巻を読んで思いだした事がある。それは「テリトリー」と云う言葉を憶えたのはローレンツ等の動物行動学系の本ではなく「カムイ伝」からであった。そのくらい、第1巻は人間社会と自然・動物社会を並列して描いている。
上は第1巻「夙谷の巻」第1章「誕生」の白土三平による後記である。この物語も時代的には「吉原御免状」にも重なっている。雇用体制の矛盾が新たな階級制度を形成しつつある現在こそ「カムイ伝」はもっと読まれても良いのではないだろうか。
中世の非人と遊女 網野 善彦 (著) 講談社学術文庫
周辺ブロガーの間で俄にプチ・ブームとなった吉原御免状であるが、そのプチ・ブームを起こした玉井さんはMyPlace: 吉原御免状の記事で網野史観との共通性を指摘している。「吉原御免状」を読み終わってから、そういえば網野善彦の「中世の非人と遊女」が積ん読のままだったことを思いだし、「吉原御免状」の続編「かくれさと苦界行」を読みつつ、「中世の非人と遊女」にも目を通しはじめた。どうも「吉原御免状」を読み始めた頃から僕の中で勝手に「網野善彦+白土三平=隆慶一郎」と云う妄想がふつふつと沸き始めている。さてその白土三平であるが、代表作の忍者武芸帖も友達に貸したまま、カムイ伝もカムイ外伝も今は手元にない。確か雑誌・ガロに連載された白土三平のカムイ伝を読み始めたのは高校生の頃だった。
その当時、高尾に1軒だけあった本屋・小沢書店には雑誌・ガロは置いてなく、月極めで取り寄せることになった。主人公が非人で、傀儡子が登場する漫画なんて、それまで読んだ事もなく、少年誌の漫画に飽きていた僕にとってそのプロットやテーマが事の他新鮮に思えた。歴史の表面からかき消された人々の存在は、中学一年の日本史の授業で教師の余談として士農工商の身分制度から外れた人々の存在を示唆されたが、それ以上の事は奥歯にモノの挟まったような教師の口から語られることはなく、どこか腑に落ちないままでいた。そうしたテーマに正面から向き合ったのが、分野は異なるが、白土三平であり、網野善彦であり、隆慶一郎なのであろう。とにかく、カムイ伝はもう一度読み直してみたい。
江戸・東京の地名と地理・鈴木理生著
一昨日、丸の内の丸善に行ったとき、エスカレーター脇に平積みで大量に置かれていた。東京の地理がわかる事典に代わる鈴木 理生氏による日本実業出版社からの江戸東京・地理地名シリーズである。この手の本が売れるようになったのか、判型も大きくなり、巻頭カラー頁、本文二色刷りと見やすく解りやすくなって、価格は1500円(税別)から1300円(税別)と安くなっている。
江戸の川・東京の川
図説 江戸・東京の川と水辺の事典
Page-A-Day Calendarsの日捲り七曜表はOrigami 2007 Calendarである。AssistOnで見つけて買ったのだが、届いたパッケージを見るとISBNの出版コードが書かれていた、ならばAmazonにもあるだろうとチェックすると見つかった。値段はAmazonの方が4割も安い、他にもPAPER AIRPLANES等のクラフト系カレンダー等その種類は豊富である。と云う事でAmazonからPAPER AIRPLANESとKirigamiも買ったのだ。
12月からの中央線新型車両E233系登場により東京人12月号は「中央線の魂 オレンジ電車よ、さようなら」で中央線沿線からなくなったものと生まれたものの特集だ。高田渡と「いせや」や阿佐ヶ谷住宅等も取り上げられている。そう云えば、私が東京駅から浅川駅(現・高尾駅)までの中央線の旅を初めて体験してから今年の暮れで半世紀になる。その高尾にはドトールはあってもスタバはないが、最近、まともな古本屋ができたことが嬉しい。
図説 江戸・東京の川と水辺の事典 鈴木 理生 (著)
事典とあるように江戸の川・東京の川の著者・鈴木 理生氏による研究の集大成である。書名の事典故に貸出禁止図書の指定がされていたが「そこをなんとか、m(__)m」と図書館司書にお願いして1週間だけ借りてきた。わきたさんが「東京の元・湿地帯をダイブする(その3)」の中で「江戸の川・東京の川」を取り上げていたので『出版されてから30年近く経っているので、、、云々』とコメントしたところ本書の存在を知らせて戴いた。Amazonで「江戸の川・東京の川」を買っているので、その後Amazonから本書の案内が来たと思うが値段が張る故に無視していたような気もする。
と云うことで「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」を借りてきたのは出版されてから30年近く経った『江戸の川 東京の川』に於ける仮説的論考の、その後の研究成果を知りたかったのである。それは本来の石神井川が飛鳥山手前で右手に折れ谷田川(藍染川)と名称を変え不忍池に流れていたのであるが、或る時代から武蔵野台地東端の上野台地を切り裂き隅田川に注ぎ込むようになったのであるが。鈴木理生氏は『江戸の川 東京の川』に於いてはこの様に仮説を断言していた。
さきに渓谷状の石神井川が王子に抜ける形が異例だといったのは、河流がつくる谷の形は徐々に谷幅をひろげる形で発達するのが普通である。滝野川の王子側のわずか一キロたらずの渓谷地形を、自然現象の結果だとしたならば、この部分の地盤だけが局地的に隆起したという理由だけしか考えられない。と述べている。
、、、中略、、、
正史の『吾妻鏡』には滝野川という地名はでてこない。滝野川が地名として扱われるのは、前述のように頼朝上陸の時点より約一世紀後に成立した『源平盛衰記』以後のことである。
以上のことから、私は石神井川が現在のように石神井川と谷田川に分断されたのは、人為的なものだと断定したい。
それが「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」では人為的な土木工事説を捨ててないが、自然現象説の可能性についても述べられている。
最近の東京における自然地理(地形学)の調査・研究の結果では、幾度かあった海進期の海の波の浸蝕力は非常に強く、この辺りの武蔵野台地の海に面した場所は「1000年間に250メートルも削られた」という見解も発表されている。
(『駿台史学』第98号・1996年9月刊の中の(研究ノート)「武蔵野台地東部(本郷台) における石神井川の流路変遷」、筆者は中野守久・増渕和夫・杉原重夫の三氏)
この研究の結論は、谷田川〜不忍池方向に流れていた石神井川が、「縄文海進最盛期に本郷台の崖端浸蝕に起因した河川争奪を起こし、流路を変更して台地から東京低地へと急勾配で流下した。流路を奪われた谷田川の上流部では沼沢地となり滝野川泥炭層を河床に堆積させ一方、王子方向へと流出した新たな河流は河床を深く掘りこんで峡谷状となり、現在の流路を取るに至った。」とする。つまり、海側からの浸蝕と石神井川側からの双方の浸蝕力で、壁状になった台地の緑(ふち)が崩壊して石神井川が海側に流れ出したというのである。
歴史上のことでいえば、鎌倉幕府の正史といわれた『吾妻鏡』の治承四(1180)年十月四日の条(くだり)の解釈に、源頼朝が「隅田宿」から「長井渡」を経て武蔵に最初に上陸した場所として、この石神井川流域の滝野川付近が推定されている。それから約百年後の十三世紀後半に成立したといわれる『源平盛衰記』には、源頼朝の上陸地点を「武蔵国豊島の上、滝野河、松橋」とあるのが文字で見られる限りの最古の例である。
2)鎌倉古道の位置づけ
また鎌倉時代の軍用道路(鎌倉古道のうちの「中の道」が後北条時代に受けつがれ、それが江戸時代になると岩槻道(いわつきみち)、別名日光御成道=本郷通りから岩淵(北区)〜川口 (川口市) とつづく道も現在の石神井川を跨ぐ形でつけられている。
しかし本来の岩槻道は石神井川を跨がずに、台地の縁沿いに通っていたと考えた方が、軍用道路の路線設定の条件を考えた場合、より自然である。
この点から、あるいは岩槻道が成立した後に、自然的または人為的に石神井川の流路が変わったとも推察できる。
現地に立てば分かるように岩槻道と今の石神井川との交差の有様は、各時代の状況に応じた社会と川の関係を偲ばせるものが多い。
これらの理由だけで実証もなく人為的な土木工事説と断定するのは難しいと思われるが、江戸時代の土木工事で本郷台地に切り開かれた仙台堀(御茶ノ水・神田川)に架かる聖橋と、滝野川に架かる音無橋がよく似た意匠のアーチ橋と云うのも興味深い。
追記:江戸時代と明治時代の飛鳥山周辺の地図と古墳時代の遺跡分布地図
岩槻道が飛鳥山に添って一旦下り谷底で石神井川を渡り、再び武蔵野台地に登っている。
石神井川は谷底で流れが二つに分かれ隅田川に向かう流れと、武蔵野台地の旧海岸線に沿った流れとなる。(この下流は日本堤に流れ、山谷堀から隅田川に注いでいる。)
江戸・東京の地図と景観(正井泰夫・著)より引用。
明治13年。
王子権現のある場所(半島、岬)は19の十条台遺跡群とされ、縄文、弥生の住居跡はあるが古墳はない。赤丸22は王子稲荷裏古墳、赤丸24は四本木(よもとぎ)稲荷古墳、これも地霊信仰の一つである稲荷が古墳跡にある典型だろう。飛鳥山には赤丸46の飛鳥山古墳群が見られる。中里と西ヶ原に貝塚が見られるのは縄文海進期の海岸線が京浜東北線に沿っていたのであろう。
東京都遺跡地図情報インターネット提供サービスによる北区-遺跡一覧より引用。
新版・母は枯葉剤を浴びた/ダイオキシンの傷あと
中村悟郎・著、岩波現代文庫
著者である報道写真家・中村悟郎氏の名は先日9月26日の「視点・論点」を見るまで知らなかった。その前日のTBS/News23ではラオスのベトナム国境近くのいわゆるホーチミンルート周辺で不発弾処理に携っているJMAS(日本地雷処理を支援する会)の活動を特集していた。ベトナム戦争当時のラオスの人口一人当たり1トンの爆弾が落とされていると云う。改めてベトナム戦争の負の遺産について気になり、ネットで調べてから書店で購入した。枯葉剤の被害としては双子のベトちゃんドクちゃんの事が知られているが、中村氏は彼らの分離手術に報道写真家として立ち会った唯一の人である。本書は1983年に新潮文庫として刊行されたものだが、ベトナム戦争・終戦後30年を経た昨年、再びベトナムを訪れ取材した二つの章を新たに追加、83年版の各章に加筆修正を行ない、昨年末出版された。
東京坂道散歩:冨田均・著、東京新聞出版局・刊
タモリのTOKYO坂道美学入門に次ぐ坂道の本、つまり坂本である。東京新聞朝刊に週1で連載されていた「坂道を歩こう」が単行本「東京坂道散歩」となって刊行された。筆者の冨田均は東京散歩の達人である。興味深いのは四谷荒木町の津の守坂の項である。聞書き・寄席末広亭の語り部である席亭・北村銀太郎から往時の荒木町を偲ぶ話を聞き出していることである。嘗て荒木町が四谷の箱根と呼ばれていたとは知らなかった。
VectorWorks12で始めるCAD:ソーテック社・刊
と云うことで、夏の間、江戸十里所払いの地に引篭り、執筆・編集していた拙著が上梓されました。
内容はVectorWorks11ではじめるCADの改訂版ですが、全てMacとWindowsで再検証して新たにスクリーンショットを撮り直し、追加項目を加え再構築したもので、或る意味で新刊よりも手間が掛かかる仕事です。尚、表紙デザインについては著者の与り知らぬ間に斯様な結果となりに候。
akiさんとfuruさんがそれぞれのBlogで拙著を紹介して下さいました。ありがとうございます。
aki's STOCKTAKING:VectorWorks12ではじめるCAD
af_blog:VectorWorks12ではじめるCAD
ラジオドラマ・博士の愛した数式を聴いた。
ラジオドラマを聴いたのは久し振りだ、いや、前に聴いたのが、いつの事か思いだせないのだから、久し振りと云うよりも、遥か昔のことである。そうは云っても「君の名は」なんてのは記憶にない。かろうじて「笛吹童子」や「紅孔雀」はうっすらと記憶に残っている程度、昭和30年代初めの「赤胴鈴之助」の主題歌は覚えているが、話の内容は忘却の彼方である。と云うことで、久し振りのラジオドラマは中々良いものだ。小説は玉井さんのMyPlaceのエントリーに刺激され直ぐに読んだが、映画は未だ観ていない。リアルタイムで放送されるラジオドラマは時間に拘束されるが、こうしてCD化されたものなら、iPodに入れておけば時と場所を選ばず聴くことができる。iTunes MusicStoreでもこうしたラジオドラマやオーディオブックが増えると良いだろう。
以下、ラジオドラマ「博士の愛した数式」に寄せた、作者・小川洋子の言葉である。
老数学者と十歳の少年を結びつけるために、この小説には野球が必要だ、と思いついた時すぐさま、彼ら二人が肩を寄せ合い、ラジオにじっと耳を澄ませている情景が浮かんできた。
静かな食堂に流れる、野球の実況放送。タイガースが得点を入れ、わき上がる歓声。顔を見合わせ、微笑を交わす博士とルート少年。そんなささやかな瞬間に、かけがえのない喜びを見出す家政婦さん……。
彼らの心が触れ合う場面で、きっとラジオが大事な役割を果たしてくれるに違いないと確信した。ラジオドラマ化のお話をいただき、迷わず了承の返事をしたのは、この小説とラジオが密接な関係にあると、分かっていたからなのだ。
博士と、家政婦さんと、ルート君の声が聞こえてきた時、懐かしい気持になった。小説を書いている間、ひとときも離れず私の胸にあった登場人物たちの体温が、よみがえってきたからだ。
自分の書いた一冊の本が、新しい出会いを経て、こうしてまた別の姿に生まれ変わった。「博士の愛した数式」は、本当に幸運な小説である。
最後に、うれしかったことをもう一つ。私の大好きな八木裕さん、亀山つとむさんと、このような形でご一緒でき、作家としてだけでなく、タイガースファンとして、大きな充実感に包まれている。
ザ・藤森照信総勢100名による徹底探究-歴史・設計・人間
長ったらしい副題が付いてる通り、100人で寄って集ってF森教授を徹底的に解剖してしまおうと云う企画のようだが、そんな100人の論客よりも異彩を放っている表紙の写真の方がF森教授の建築を看破してしまっているように見える。建築写真のセオリーの全てを無視した写真はsmall planetの本城直季である。正に現代建築のセオリーを無視した藤森建築に相応しい写真家である。
巻頭の「Q&A 藤森照信に問う」建築家、歴史家等による15通の質問状の回答が建築批評、建築家批評、文明批評になっていて面白く、結構笑えるから不思議。(21世紀は笑うしかない状況かもね。実際に大家の作品が自分の作品のパロディになってる状況もあるし、)
難波和彦によるサスティナブル・デザインの動向に関する質問で、環境原理主義者に対しての「マジメさだけが場の空気を支配し、笑いの乏しい世界は私の性に合わないのである。」とはF森教授らしい。
カズオ・イシグロのわたしを離さないでの原題" Never Let Me Go"は彼が村上春樹から貰ったJazzのCDアルバムにあったスタンダードナンバーから付けられたそうである。"Never Let Me Go"は多くのジャズ・シンガーが唄っており、ダイナ・ワシントン(Dinah Washington)やナットキングコール(Nat King Cole)も唄っている。カズオ・イシグロが聴いたCDのジャズ・シンガーは不明だが、小説に登場する"Judy Bridgewater"はどうやら架空の歌手のようである。"Bridgewater"という姓から70年代にデビューして話題になったジャズシンガー"Dee Dee Bridgewater"の名からヒントを得ているのではと思わせるが如何なものだろう。ところで、この小説に相応しい"Never Let Me Go"を唄っている歌手はダイナ・ワシントンでもなく、 この"Adele Nicols"の様な気がする。バイオグラフィーによれば日本にも数年滞在したことがあり、新宿のピットインでも唄った事があるようだが、日本語によるAdele Nicolsの情報は見つからない。
と云うことで話題がカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」から離れてしまった。
そんな訳で表紙カバーのカセットテープはは記憶を手繰り寄せる表象として、また読み方によっては主題の隠喩と考えられないこともないだろう。31歳の介護人であるキャシー・Hのモノローグで始まる物語は、淡々と記憶を辿り、彼女の生い立ちの地「ヘールシャム」の決して尋常ではない寄宿舎生活へと溯る、物語の1/3で「ヘールシャム」の概要と存在理由が明らかにされ、物語の1/2で「ポシブル」という言葉により初めて出生の秘密が明らかにされ、やはりそうだったのかと納得する。或る意味で1960年代に書かれた近未来小説のようであり、女、男、女の純愛小説のようでもある。ミステリー小説ではないが、結末は勿論の事、予備知識は持たないほうが、想像力を刺激されるであろう。その中で"Never Let Me Go"のカセットテープはディテールにリアリティを与える小道具として小説に命を吹き込んでいる。
予備知識なしで『わたしを離さないで』を読みたいと願うならば下記のインタビュー記事には目を通さない方が賢明である。
『わたしを離さないで』刊行 カズオ・イシグロ氏
『わたしを離さないで』 そして村上春樹のこと カズオ・イシグロ インタビュー(文学界 2006年8月号)
fuRu さんも読了したということでエントリーをアップした。
af_blog:「わたしを離さないで 」---カズオ イシグロ
図説・占領下の東京:河出書房新社・刊
昭和30年代、放課後の掃除当番をサボって箒を抱え、意味も知らずにプレスリーのG.I. Bluesを真似て"hup, two, three, four occupation G.I. Blues"なんて、がなりたてていた小学生がいたそうだが、そんなガキ共もリフレインの"occupation G.I. Blues"に占領の意味があることを知ったのは大人になってからだろう。表紙の写真を見ると第二次大戦後の敗戦国を占領した進駐軍G.I.のお気楽ぶりが伺える。8月3日の東京新聞朝刊の特集記事では「占領が変えた東京読み解く・都市政策専門家が米軍資料もとに」と紹介されているが、戦後のビッグ・プロジェクトでもあった東京オリンピックも米軍から占領地の返還が行われなかったら叶わぬことであったのだ。
東京人の9月号も何故か「占領下の東京」の特集である。こちらは半藤一利、井上ひさし、五百旗部真(いおきべ まこと)の鼎談「戦後日本の骨格作った7年間」が興味深い。1972年の日中国交回復の際、毛沢東も政敵である蒋介石の戦後処理の考え「以徳報怨(徳を以て、怨みに報いる)」を尊重しそれを引き継ぎ、「悪いのはA級戦犯である戦争指導者であって、徴兵された日本兵も中国人民と同様に被害者」のレトリックを以て中国人民の感情(心の問題)を静め外向的決着を図った訳である。小泉が「心の問題」と言うならば、彼ら中国人民の「心の問題」はどうなのかと云う事だろう。何れにせよ外交上の約束事を守れない国は他国から信頼されることはあり得ない。
「そば特集」と云えば、この手の雑誌の定番企画である。書店の雑誌コーナーで見つけ、つい手に取って頁を捲ると山口さんちの「赤坂 NAGARA ながら」が出ているではないか。そういえば1月28日のアースダイビング@江戸東京地下水脈の宴会以来、彼の地を訪れていない。旨い蕎麦に冷酒があれば、、、八海山の地ビールも旨そうだ。
むか〜し、授業中に教師の目を盗んで教科書の余白にパラパラ漫画を描いていた、たむらくんからこんな豆本が送られてきた。パラパラ漫画の冊子を"Flip Book"と言うそうだが、トムズボックスより発行されたたむらしげるの"Flip Book"3冊である。映画作家の原点が8ミリ・フイルムにあるとすれば、アニメーション作家の原点はパラパラ漫画にあるのだろう。7月22日から開催される新潟市の新津美術館-たむらしげるの世界展のミュージアムショップでも販売されるようだ。
と云う事で地元ネタの掲載されている雑誌(ムック)二冊。東京(消費?)生活はマーケティング志向のこじゃれた雑誌、普段なら買わないが八王子特集なので買ってみた。まぁ、通り一遍の八王子紹介、目新しいものは特にないが、映画監督・斎藤耕一が八王子城を舞台に映画を作るらしいと云う話が気になる。浅川地下壕についてはこちらの雑誌が詳しい。
散歩の達人・エリア版ムック「京王線完全案内」こちらは多摩丘陵尾根ハイウェイと称して戦車道路の写真まで紹介している。どちらかと云えば「ぶらり途中下車の旅」か「出没!アド街ック天国」のノリで作られた庶民派と云ったところ。八王子は都心に出るのに京王線と中央線の二つの選択肢がある。京王帝都電鉄はバブル期に見栄を張らず、浮かれる事なく堅実経営を続け施設改善の借入金の償還も早くに済ませ、運賃値下げを実行した優良企業だが、失敗は姉歯物件のビジネスホテルを掴まされたこと。
エドワード・サイード Out of Place
シグロ 編・佐藤 真/中野 真紀子
・声の共振を求めて―制作ノート/佐藤 真
・エドワード・サイードを語る/中野 真紀子
1)I Belong to You―絆を求めて
2)コロンビア大学
3)パレスチナの外から
4)パレスチナの内から
5)イスラエル人との対話
6)音楽家
・エドワード・サイードOUT OF PLACE―採録シナリオ
・映画ガイド・佐藤 真/中野 真紀子
映画作家・佐藤 真の制作ノートによれば、取材テープは総計290本、時間にして210時間を超える量だと云う。それを本編2時間17分のフィルムに編集する作業は想像を絶する。映画の本編からカットされた膨大なインタビューが本書に復元収録されている。
ドキュメンタリーの編集は、目的地を決めずに泥の海に漕ぎ出す漂流のようなものだと思う。撮り溜めた素材を虚心に眺め、思いつくかぎりの構成案を建てては壊し固めては崩しを繰り返しているうちに、少しずつではあるがそれなりの塊ができてくる。そうした塊を崩れないように注意しながら、塊ごとの順番や配列を何度も入れ替えているうちに、なんとなくではあるが大きなブロックのようなものが見えてくる。すると今度は、そのブロックどうしの配列を変えたり、そのブロックの中味をいじり直したりしているうちに、ようやく映画の方向性がおぼろげにではあるが見えてくる。そうしたやりとりをつづけているうちに、自分では大切にしていたつもりの大きな塊がそのブロックごとそっくり抜け落ちて、映画が自分のあずかりしれない方向に漂流し始めるときがある。そんなとき、私はなるべく作り手である私の主張は抑えて、映画が漂流するに任せようと心がける。なぜならその瞬間こそ、映画が作者の手を離れて、ひとつの独立した生き物としてみずからの歩みを踏み出そうとしたときだと思うからだ。
難民とは人権も主権も奪われた人達である。南レバノンのアイネルヘルウェ難民キャンプの通りがかりの男の言葉が印象に残る。
わたしたちに民族差別はない。パレスチナ人は本当に差別のない唯一の民だ。ただ、わたしたちのパレスチナが占領され、支配されていることに、反対しているんだ。いま占領している連中は、利用されているんだ。西洋の植民地主義者たちが、国際シオニズムを通して東方へ進出しようとしているんだろう。ユダヤ人だけではない。アメリカはユダヤ人よりもシオニスト的だ。ブッシュ政権を見ろ。中枢メンバーはユダヤ人よりもシオニストだ
わたしは1954年にハイファで生まれた。その6年前、ハイファの町は根こそぎ変貌した。1948年のイスラエル建国の以前は14万人が住み、アラブ人とユダヤ人が半々だった。でも戦争が終わった1949年には、アラブ人は3000人しか残らなかった。わたしが生まれた1954年ごろでも、ユダヤ人は12、3万人に増えていたが、アラブ人は3、4000人程度だった。わたしが育った環境は、ハイファのアシェケナジ系シオニストの中流家庭のものだった。面白いことに、周囲の環境からパレスチナ人の痕跡はいっさい消えていた。わたしたちはいわば沈黙のなかで育った。
記憶は抹消され、ハイフアの半分がアラブ人だったことを、思い出させるような人影もない。いったい彼らの身に何が起こつたのか、尋ねる人も、答える人もいない。かつては、そこら中にいた人たちなのに。隣人や同僚、店主や客として、毎日見かけた人たちだったのに。バスの運転手も、客も、この人たちだったのに。そしてこのような沈黙のなかで育ったため、いまとは違ったハイファの存在は知りながらも、かなりぼんやりとしか意識されなかった。この沈黙のなかで育ったことは、ハイファ出身のユダヤ人に大きな影響を残したと思う。
作曲家・武満徹との日々を語る
聞き手・武満徹全集編集長(大原哲夫)、語り手・武満浅香(故・武満徹夫人)による対話集である。1951年の出会いから、1996年に死別するまでの共に過ごした45年間の日々が語られている。今年は武満徹没後10年を向かえ展覧会やコンサート等の様々な催しや出版等の企画が目白押しであるが、本書も武満徹全集の月報から生まれた企画である。その浅香夫人が語る武満徹の人生はそのまま戦後日本の芸術運動を展望する生きた記録となっている。一つ一つのエピソードが時代を共有した多くの人々の想いと重なりあいその情景が喚起される。何かそうした事が分かる年齢に自分も達したことを再確認させてくれる。
1秒の世界
責任編集:山本 良一、編集:Think the Earth Project
1秒と云う時間は瞬く間なのだが、
その瞬く間に実に様々な事が起きているのだ。
1秒間に人は93mlの空気を呼吸し、
心臓が1回脈を打ち、60mlの血液を送り出し...
そして
1秒間に人の鼻腔の繊毛(せんもう)が4回振動し...
なんて考えたこともなかったので。
なんだか、鼻がむず痒くなってきた。
気候変動 +2℃
責任編集:山本 良一、編集・文:Think the Earth Project
どう考えても、自分を含めて人(ヒト)という生物は地球に寄生する種でこれ以上最悪なものはない。そう断言してしまえるのがやりきれないのだが、兎に角、現実を直視しなければいけないだろう。
JICAのサイトにある世界の砂漠化にアラル海が砂漠化している経過が年代順に図示されている。Google Earthでアラル海を見ると予想を超えるものがある。これも人の浅知恵がもたらした結果だろう。
東京の地理がわかる事典 鈴木 理生 (編著)日本実業出版社
江戸の川・東京の川の著者・鈴木 理生氏による本書は江戸から東京の地理とそれらに纏る都市の歴史について手軽に読めるように見開き2頁に一つのエピソードがまとめられている。内容的には軽めの蘊蓄系雑学大全にシフトしているが、これ一冊で東京の地理がわかる事典と云える。東京の地理に興味を抱いているが10+1 No.42 特集/グラウンディングの内容では敷居が高いと思われる人はこの一冊を手始めに読むと良いかも知れない。
内容
第1章 江戸以前の東京はどんなだったのか
第2章 東京の地形の基礎知識
第3章 現代につながる江戸のインフラ
第4章 江戸の「町」から東京の「街」へ
第5章 急変していく東京の区画と範囲
第6章 近代東京はこうしてできた
第7章 東京の発展を支えた交通網
第8章 雑学でみる江戸・東京の地理
akiさんが3月12日にエントリーしたREVOLUTION in The Valleyを読み始めた。昨年の4月8日に"REVOLUTION in The Valley"を上梓したばかりのA・ハーツフェルドへのインタビュー記事を忘れないようエントリーしておいたが、迂闊にも既に翻訳本が出版されたことに気付かなかった。
とても、面白い本だが固有名詞が全てアルファベット表記だったり、それなりに専門的な記述も多く、万人向けとは言い難い内容ではあるが、Mac誕生にまつわる裏話としてiCon Steve Jobsと重ね合わせ読むと面白さは倍増するだろう。
日本国内でMacが2万台(たった!)を超えたのは87年の春先くらいだったと思う。やはり前年にMacPlusがリリースされAppleによって正式に日本語化されたことが大きい。そしてMacユーザー向けの定期刊行物が発行されるようになったのもこの年だと思う。その頃、Macに出会ってコンピュータの方向性を確信した人達にとって、この"REVOLUTION in The Valley"は秘蔵のトピックがギッシリ詰まったオモチャ箱のようだ。あのコマンドを表わすマークはSusan KareによってSwedish Campgroundのシンボルを16ドットのアイコンにしたものだったとは知らなかった。MacOSX Tiger のプルダウンメニューにスウェーデンのキャンプ場が沢山あるなんて、とても愉快だ。そして、なによりもMacがウォズの文化的遺伝子を受け継いだバレル・スミス(表紙のMacを抱えたビル・アトキンソンの隣でキーボードに手を掛けている。)によってロジックボードがデザインされていることだ。さらに"REVOLUTION in The Valley"はA・ハーツフェルドとバレル・スミスの友情の物語でもある。
このWikipediaのサイトUpplysningsmarkenにコマンドの元ネタを発見したが、何と書いてあるのか読めない。
こんな標識もあった。こんなサイトやこんなサイトもある。そして、やっとこのサイトで"Sights of interest"の意味だと分かった。ドイツ語を英訳すると"Objects of interest"となる。やれやれ。
どうやら、ルーツはこんなAncientCelticCrossやceltiquesのケルト文様ではないだろうか。
因みに私は一昨年のMac誕生20周年に寄せてMy First Macintoshをエントリーしていた。
11年前に出版された毎日ムックの「新版 戦後50年」である。腰巻きにも書いてあるように1945年の広島から1995年の神戸大震災までの戦後50年間の記録である。発行日が1995年3月25日となっているので、たぶん神戸大震災は全ての編集が終わった後で急遽追加されたのだろうが、地下鉄サリン事件までは間に合わなかったようだ。11年前に買った時は何かの資料として役立つだろうくらいにしか考えていなかった。久しぶりに内容に目を通してみると、自分が生きてきた時間に平行して起きた出来事がこの一冊に込められていた。1956年の頁には、つい先日ミニダイブで歩いた佃島の風景や築地川岸のバラックの写真があったり、1957年の頁にはお化け煙突の写真まであった。昭和の記憶が風化されてゆく中で、これは僕らの記憶の百科事典なのだ。
東京人の今月号は神楽坂と池袋モンパルナスの特集だ。
神楽坂がプチ・フランスになった理由なんかどうでもよいけれど、新宿区の東側の旧・牛込区の範囲は昔の町名がそのままではないが残されている貴重な区域になっている。小石川林町で生まれた母の昔話に出てくる地名で、住居表示変換しなくても済むのが唯一、神楽坂界隈だけと云うのも、なんだか情けない話である。神楽坂といえば袋町に住む恩師の義母さんが唄ってくれた都々逸はもう聴けない。
たむらしげるの色鉛筆・夢の結晶系が届いた。彼が絵本やアニメーション等の創作のプロセスで描いたイメージの結晶が綴られた画集である。カバーを外した表紙はこうなっている。随分と前にたむらくんから、殆ど未使用の"Berol EAGLECOLOR"の"120 Color Art Pencil Set"を使わないからと貰ったことが或る。自分なんかは120色でも持て余してしまうのだけれど、彼はこれでは色数が少なくて彼のイメージを結晶化するには使えそうもなかったのだ。
常用字解の続編にあたる人名字解である。何気に頁をめくっていたら「匡」の文字が目に入った。匸(けい)は儀礼を行なう聖所として匿(かく)されている場所。つまりサンクチャリの様なものかな。王は王位の象徴である鉞(まさかり)の頭部の形。鉞の霊力・威力でものを正すこと、ただし明らかにすること、の意味なのだ。う〜む凄い、これは納得できる。
本屋あるいは書店
神さまがくれた漢字たち
東京人・今月号の特集は「さよなら交通博物館」だ。akiさんやmasaさんは既に出掛けたようであるが、私は小学4年生の時に一度行ったきりで未だに裏を返していない。子供の頃は中央線の先頭車両から飽くことなく鉄路を眺めたり、HOゲージで遊んだり、鉄道模型を作ったりしたこともあったが、マニアやコレクターに成長進歩することなく今日に至っているのだが、近いうちに是非尋ねたいと思っている。
東京人・今月号で興味を引いたのは佐藤喜一による「万世橋駅物語」の震災復旧後の二代目・万世橋駅の写真だ。辰野金吾による初代・万世橋駅のような威厳がないぶん、駅前の明治軍人彫刻が目立っている。これが占領時代の満州の建物だと言われても、そう思ってしまう何かを感じさせる写真だ。
MY ARCHITECT A Son's Journeyのチラシにルイス・カーンを取り巻く人物相関図(サイトでも見られる)があった。その「元所員・弟子」の括りの中にリチャード・ワーマンの名を見つけた。そう「情報選択の時代」(初版・1990年)の著者・リチャード・ワーマンはカーンの教え子なのだ。装丁はお堅いビジネス書風に仕上がっているが、内容はハイパーテキスト的に編集され興味に応じてどこから読もうが自由である。そして、テーマの一つである「情報へのアクセス方法」は今でも有効である。
野口悠紀雄著の「超」整理法を読むと時間軸が最優先されているが、これはあくまでも個人的なレベルでの整理法である。
リチャード・ワーマンの云う「情報へのアクセス」の5つの方法とは
カテゴリー
時間
位置
アルファベット
連続量
である。
考えてみると、これは犯罪捜査のイロハ、推理小説の事件解決のキーワードでもあるのだ。
アナグリフが続いたついでに「立体写真集 NIPPON・明治の日本を旅する」である。この本にはアクリルか何かでできた「新プリズム式立体視メガネ」が付属している。平行法でステレオグラムを立体視する為の補助器具なのだが、訓練の賜物なのか、この程度の写真ならば裸眼でも直ぐに立体視できるようになってしまった。そういえばC.G.ステレオグラムなんて本もあった。C.G.によるステレオグラムは一時期、雑誌でも特集があったりして、ちょっと流行っていた。
裸眼で立体視するには。
1)写真を凝視してピントを合わせない。(老眼力をもっていれば、この段階はクリア)
2)平行法の場合は遠くを見る。交差法の場合は寄り目にする。
3)すると、左右の目にピンボケの像がずれて投影される。
4)左右の目で並列された二つの写真が、四つにダブって見える。
5)ダブって見える四つの写真の内、中央の二つの写真はずれて重なっている。
6)その重なっている二つの写真を一体にする。(ここは修業が必要となる。)
7)すると、両脇の薄い写真と中央に二枚が重なった濃い写真の三枚の写真になります
8)そして中央の濃くはっきりした写真が立体的に浮かび上がります。
さぁ、立体視できましたか。これは二つの写真の中心との間隔がミソですね。
この間隔が左右の眼の間隔と同じなら平行法で立体視するのが楽です。
写真のサイズは平均的な大人の目の間隔で決まりますね。
小さい写真で出来るようになったら、大きな写真でも立体視できます。
これが"aki's STOCKTAKING"のエントリー3Dに紹介されていた1968年4月発行の「都市住宅」創刊号表紙の杉浦康平によるアナグリフ(anaglyph)である。38年前の雑誌故にすっかり退色してしまい立体視するのは到底無理である。しかし1976年の創刊100号記念・総特集カタログ「都市住宅」に於いて創刊号の表紙が復刻されているのだ。杉浦康平による「都市住宅」表紙のアナグリフは創刊6805号から6904号まで一年間続けられていた。
都市住宅・創刊号目次
因みに創刊一年間の表紙アナグリフは下記の通りである。
6805:耕地管理人の家/クロード・ニコラ・ルドゥ
6806:サヴォイ邸/ル・コルビュジェ
6807:ダイマクシオン・ハウス/バックミンスター・フーラー
6808:シュレーダー邸/G.T.リートフェルト
6809:カサ・バトロ/アントニオ・ガウディ
6810:フラグ・ハウス/ロバート・ヴェンチュリー
6811:ガラスの家/フィリップ・ジョンソン
6812:トリッシーノ邸/アンドレア・パッラーディオ
6901:エンドレス・ハウス/フレデリック・キースラー
6902:トリスタン・ツァラの家/アドルフ・ロース
6903:ショーダン邸/ル・コルビュジェ
6904:落水荘/フランク・ロイド・ライト
「知識じゃなくって感覚」というエクスキューズを残し、チャリンコに乗って渋谷丸山町からエスケープしたシンちゃんは、いったい何処に行ってしまったのだろう。そうは言っても腑に落ちないモノを、そのままにしておくのは身体にも精神衛生上も宜しくない。「東京の凸凹地図」は飛躍文化人類学読本「アースダイバー」を読んで、「それは、、ちょっと、、」とか「ん、な訳ないだろう。」とツッコミを入れた読者や、「タモリのTokyo坂道美学入門」を読んで東京の地形に興味を抱いた読者に向けて東京の地形を自然科学的アプローチから解説した本だ。であるから諸説ある「縄文海進期」の海面の高さも「アースダイバー」とは異なる4〜5mという見解である。
何れにせよ海面の高さが15mとか20mも高かったのは13万年くらい前の下末吉海進期と云うことのようだ。「縄文海進期」の海面の高さ8〜9mと云う説もあり、これは川越辺りまで海岸線があったという「江戸の川・東京の川」36頁の「海進期の関東地方」の図版と一致する。(「江戸の川・東京の川」には縄文海進期の海面高さの記述がない。)仮に海面の高さ8〜9mとすると、古川水系では天現寺辺りまで海進していたことにはなるが、とても渋谷や代々木までは至らない。どうやら代々木八幡の半島が岬であった時代と縄文期とは一致しないようである。
その辺りの疑問に応えるためにも「東京の凸凹地図」は関東地方全体、少なくとも東京の全てを一枚で把握できる「凸凹地図」や海進期、海退期の「凸凹地図」を収録すべきであったろう。どうも「縄文海進期」の海面高さが定説ではどうなっているのか疑問は解けないままである。
参考までに海進期の「凸凹地図」を作ってみた。
海進海面高5m「凸凹地図」説
浅草の微高地や江戸前島、それに日比谷の入り江がそれとなく分かる。
海進海面高10m
神田川水系で高田馬場辺りまで、古川水系が天現寺辺りまで、目黒川水系が中目黒辺りまで海進。
海進海面高15m
これでも東横線渋谷駅くらいが河口というところでしょうか。
「アースダイバー」を契機に「縄文海進期」の謎を門外漢の私らにも明解にして欲しいものだが、それには文科系考古学と自然科学系地質学との枠組み超えた論議も必要なのだろう。
海進海面高20m(鈴木理生説)
縄文海進のピークは6,000年前
広くて暖かだった縄文の海
wikipedia 海面上昇
縄文の人々と日本人の起源
こうしてみると縄文海進・海面高さ5m説が定説化しているのでしょうか。縄文海進・海面高さ20m説の根拠は貝塚や貝殻等の堆積物にあるようです。それと、縄文海進以降に地震等による土地の隆起がどの程度あったかと云うのも問題になるでしょう。
海進海面高20m(鈴木理生説)熊谷付近を含む関東平野。
しかし、私の中学一年生の地図帳を見ると凄いですね。約1万年前は海退期になっていて日本列島は大陸とつながっています。今となっては眉唾モノの教科書でしょうか。そんな教科書にこんな悪戯書きを見つけました。やっぱり、中学一年生の時も私はアホでしたが、それにしても手抜きの悪戯書きです。
ユン・チアンの前作「ワイルド・スワン」は上巻・下巻を一気に読んでしまったが、12年ぶりの新作「マオ」はそれよりも、ずっと分厚く上巻・下巻共、500頁を超える。果たして挫折することなく読了できるか否や。
モーターサイクルダイアリーズは封切り公開を見逃してしまった映画だ。山里にいるとこうした映画を見る機会に恵まれないのである。
江戸の川・東京の川鈴木理生・著、井上書院・刊
本書について知ったのは槇文彦・他著による「見えがくれする都市」(1980年発行・SD選書)の三章「微地形と場所性」(文責・若月幸敏)に引用された図版からであった。しかし、実際に読んでみようと思い立ったのは中沢新一のアースダイバーを読んだことがきっかけだ。アースダイバーによって東京の都市空間を解読するツールとして縄文人の視座を与えられたが、週刊現代的な飛躍文化人類学の限界なのか、腑に落ちない思いもあり、江戸東京の骨格である微地形を形作った水の力について知りたくなった。アースダイバーでは縄文海進期の洪積台地にフォーカスしているが、沖積層の下には海退期の川が幾つも流れていた。それだけでなく洪積台地の下にも川は流れているのだ。僕はクセナキスの言葉を思い出した。「幾つもの川(思潮)はやがて大海に注ぎ一つになるだろう。しかし、一つに見える大海にもその下には幾つもの川(思潮)が流れているのだ。」正確ではないかも知れないがこんな意味だったと記憶している。
因みに前述の「見えがくれする都市」三章「微地形と場所性」では江戸・東京の都市の成り立ちを微地形という観点から捉えている。少し引用すると、
「、、、大都市の中でも東京は開析谷と台地が複雑に入り組み、いわば地形のしわに左右されながら町が形つくられてきた形跡がある。このような地形的特徴と相俟って、微地形にひそむ場所の力、すなわち土地霊などの存在を感じとり、場所性を豊かに醸成してきた例が数多く見られる。、、、中略、、、場所が持っている潜在力を生かしてものを作ってゆくという考え方は、場所の制約から開放され自由にものを置くという近代の計画手法とは対照的です。、、、」とある。
微地形とは「肉眼では確認できるが地形図上では判別しにくい非常に小規模な地形」を意味する。
iCon Steve Jobs/スティーブ・ジョブズ-偶像復活を読了した。左の装丁はカバーを外したものだが腰巻には如何にもセンセーショナルなコピーが書かれている。今週のAERAの記事「ジョブズ成功の5原則」のタイトルは「スティーブ・ジョブズになりたい」である。電車内の中吊り広告でこのコピーを見たとき、困ったものだと思った。カタチだけスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツを真似しても、それは100%嫌な奴や最悪な守銭奴にしかならないだろう。
僕がMacに興味を持ち情報を集め始めたのは1985年だった。その1985年にジョブズはAppleを去った。ASCII1985年12月号に「緊急レポート!スティーブ・ジョブズが語る我が栄光と転落」の記事が掲載された。"NewsWeek Sept.30.1985"のインタビュー記事を翻訳したものだ。インタビューでは会社名等は明らかにしていないがNeXTを立ち上げる準備をしていることを語っていた。これが僕が初めて読んだジョブズの記事であった。そしてその翌年にMacPlusを購入してMacUserの仲間入りをしたのだ。その当時、MacUserになると云うことはMacのバックグランドにある文化を受け入れることでもある。当然の事としてコンピュータ 黎明期の神話やAppleの伝説にも関心を抱くようになり、本書の著者でもあるジェフリー・S・ヤングの「スティーブ・ジョブズ――パーソナル・コンピュータを創った男」をはじめてとしてR.X.クリンジーの「コンピュータ帝国の興亡」、F.ローズの「エデンの西/アップルコンピュータの野望と相剋」、それにジョブズをAppleから追い払ったジョン・スカリーの「スカリー」等を読み漁った。何れの本を読んでも、そこに登場するスティーブ・ジョブズは妥協を知らない完璧主義者で且つ独善的な、とても嫌な奴である。嫌な奴と云う点では、建築設計事務所のボスにもいそうであるが、ジョブズのように世界を変えるような影響力をもっている建築家はどこにも見当たらない。ジョブズが鼻持ちならない嫌な奴でも、例えMacがジェフ・ラスキンのプロジェクトを横取りしたものだとしても、ジョブズがMacを世界に向けて送り出したのは紛れもない事実である。そして、ジョブズがAppleを去ってからも、ジョブズの遺伝子はAppleという企業の骨格を形成していたのであった。僕が"iCon Steve Jobs"を読みたい理由はAppleを離れてから二つの会社を起業し、再びAppleに戻ったジョブズがどれだけ成長したのかを確認したいからだ。
日本国内に於けるMacWorld Expo Tokyoは1991年に初めて開かれ、2002年を以てその幕は閉じられた。1999年にスティーブ・ジョブズがMacWorld Expo Tokyoの基調講演の壇上に立つまで実に様々な人物が基調講演を行なった。1991年のアラン・ケイから1998年のスティーブ・ウォズニアックまでの間に、ジョン・スカリー、デル・ヨーカム、マイケル・スピンドラー、デビット・ネーゲル、ギル・アメリオらが壇上に立ったが、スティーブ・ジョブズの基調講演に誰一人敵う者はいなかった。スティーブ・ジョブズが不在の間もAppleはジョブズの会社であったのだ。MacWorld Expo Tokyo'99の基調講演を聴いた者はそう感じたに違いない。満身創痍のAppleを建て直し、創業者のスティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズを呼び戻したギル・アメリオは誰よりも先にそのことに気付いたのだろうが、皮肉な事に任期半ばでジョブズによってAppleを追われてしまったのだ。ギル・アメリオはもっと評価されても良い人物だがビジョナリーとしての資質もプレゼンテーターとしての資質もネゴシエーターとしての資質もスティーブ・ジョブズに比べると劣っていたのは明らかであり、誰の目からもアメリオは脇役、主役はジョブズに見えるだろう。そう、スティーブ・ジョブズはビジョナリー、プレゼンテーター、ネゴシエーターと三拍子揃ったCEOとしてAppleに復帰したのだ。彼はアメリカンドリームのコンピュータ黎明期に於ける創世神話のイコンでもある。そうした神話や伝説の人物はメディアにとって貴重なリソースであるのだ。
「iCon Steve Jobs/スティーブ・ジョブズ-偶像復活」の後半はジョブズのタフで抜け目ないネゴシエーターとしての資質にフォーカスが当てられている。ピクサーに於けるジョブズの存在理由はネゴシエーターそのものである。ピクサーでのジョブズは制作に立ち入ったりして「現実歪曲フィールド」に制作者を巻き込む事は避け、制作責任者に全てを任せている。ジョブズの役割はディズニーとの交渉にある、如何にピクサーにとって良い条件を引き出すかが彼の使命だが、ディズニー経営内部の創業者子孫を巻き込んだドロドロの生憎劇のさなか、抜け目ないジョブズの素質が遺憾なく発揮される。因みにピクサーがまだルーカス・フィルムのCG部門であった時代、Appleを辞めたばかりのジョブズに「ルーカス・フィルムで働いているクレージーな連中がカルフォルニア州サンラファエルにいる。会ってみるべきだ。」 と助言したのは、当時アップルフェローであったアラン・ケイであった。アラン・ケイが今日のピクサーの成功を予想していたのか定かではないが、やはり、ビジョナリーであるアラン・ケイはジョブズに期待するものがあったのだろう。
昨日のITmediaの記事では「なによりアーティストが曲を出したがっている」――米Apple幹部が語るiTMSとiPodとあるが、ソニー・ミュージックエンタテイメント(SME)との交渉も直接ジョブズがネゴシエーターとして「現実歪曲フィールド」オーラを発揮してあたれば、翌日にはiTMS-JapanにSMEの楽曲が勢ぞろいするのではなかろうか。
腰巻の「発禁騒動、、、」 の文字から、私生活に踏み込んだスキャンダラスな事も書かれているのかと思ったが、過去に伝えられている以上のことはなく、批判も含めて極めて客観的にジョブズ像が描かれている。エピローグの「ヒーローにも欠点があるものだ。欠点のないヒーローが成功することはまずない。しかし、最後に我々が記憶しておくべきことは、ヒーローの欠点ではなく、ヒーローが何をなしとげたかである。」の言葉は著者のスティーブ・ジョブズへの最大の賛辞であろう。
書籍の内容については秋山さんが詳しく書いているので参考にしてください。
aki's STOCKTAKING:スティーブ・ジョブズー偶像復活
ジェフリー・S・ヤングの"iCon Steve Jobs"が翻訳されスティーブ・ジョブズ-偶像復活として出版される。著者の一人、ジェフリー・S・ヤングは雑誌"MacWorld"の創刊に関わった編集者でもあり、1989年に刊行された「スティーブ・ジョブズ――パーソナル・コンピュータを創った男」の著者でもある。 前作では20章の「Next ・世界を変えるマシン再び」が最終章となっており、この「スティーブ・ジョブズ-偶像復活」はその続編でもある。コンテンツを見ると第一部は前作と重複した部分もありそうだが、 iPod、iTunesを核にしたAppleの復活とジョブズの挫折からの成長がメインテーマであるようだ。今週末の発売予定であるがAmazonに予約注文しておいた。
以下、16年の歳月を隔てた前作との表紙と内容を比較。
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スティーブ・ジョブズ―パーソナル・コンピュータを創った男 (1989年・日本版発行)
〈上巻〉1〜12章〈下巻〉13〜20章
<プロローグ>
第1章 新たなる出発
<第1部 ルーツ>
第2章 エレクトロニクスの魔法の大釜
第3章 天才ウォズと"ブルーボックス"の成功
第4章 LSD、禅、そしてアタリとの出会い
第5章 インドへ 挫折と悟り
<第2部 ハッカー>
第6章 Apple1誕生 ガレージからの出発
第7章 新世代の大衆向けマシン Apple2の登場
第8章 新しい仲間たち アップル社の創業
<第3部 牧歌的時代>
第9章Apple2の大成功と"成長の苦しみ"
第10章リサ・プロジェクトの着手と解任
第11章株式公開の光と影 億万長者の誕生とブラック・ウェンズディ
<第4部 海賊になろう>
第12章:プロジェクト乗っ取り Macのスタート(ここまで上巻)
第13章:"子供たちは待てない"(ここから下巻)
第14章:パソコン界の伝道師
第15章:ジョン・スカリーの参加
<第5部 傲慢>
第16章:1984年は『1984年』のようにはならない
第17章:"ビックブルー"との戦い
第18章:荒海の中の海賊たち
第19章:崩壊か革新か 追われる創業者
<第6部: そして、旅は続く…>
第20章:NeXT 世界を変えるマシン再び
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iCon Steve Jobs「スティーブ・ジョブズ-偶像復活」(2005年・日本版発行)
<第1部 沙羅双樹の花の色>
第1章 ルーツ
第2章 ある企業の誕生
第3章 海賊になろう!
第4章 敗北を学ぶ
<第2部 一から出直す>
第5章 NeXT ステップ
第6章 ショービジネス
第7章 セレモニーの達人
第8章 偶像
<第3部 未来を編む>
第9章 大立て者
第10章 新境地を開拓する
第11章 iPod、iTunes、故に我あり
第12章 巨人の衝突
第13章 ショータイム
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この「F.ベアト幕末日本写真集」は予てより横浜に行った時に買おうと思っていたものである。発行元は大桟橋入口のシルクセンターの向かいに有る横浜開港資料館(旧英国総領事館)である。この手の博物館資料としては良く売れ、1987年の初版から2004年には第6刷を数えている隠れたベストセラーだ。それだけ、失われてしまっった日本の風景に対する人々の関心も高いと云うことであろう。実は明石書店からも幕末日本の風景と人びと―フェリックス・ベアト写真集が出版されているが、やはり横浜開港資料館の編集によるもので頁数から考えると内容は同等と思われる。明石書店発行が4200円、横浜開港資料館発行が2100円の価格差は印刷や装丁の違いだけなのだろうか。
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内容
写真編
1:横浜とその周辺
2:金沢と鎌倉
3:東海道
4:箱根と富士
5:江戸とその周辺
6:琵琶湖と瀬戸内海
7:長崎
8:風物・風俗
解説編
横浜写真小史--F.ベアトと下岡蓮杖を中心に
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F.ベアトの写真は何度も見ているが、この写真集の存在を知ったのは東京都教育委員会発行の歴史の道調査報告書第四集「浜街道」に引用されていた「F.ベアト幕末日本写真集」の鑓水の写真からであった。「F.ベアト幕末日本写真集」で興味深いのは横浜の居留地から外国人が外出できる範囲を示した1867年の「横浜周辺外国人遊歩区域図」である。その範囲は、東が多摩川まで、北が日野から八王子、駒木野(小仏関所)まで、西が大山から丹沢、そして小田原の手前の酒匂川までとなっていた。地図によると、横浜から厚木、宮ケ瀬、津久井、八王子、橋本、原町田から横浜に戻るルートが遠出する際の推奨コースだったようである。因みに橋本を"Ashimoto"と表記してあるのはHを聴き取れなかったのか、英国海軍大尉が編集・作図したとあるが、フランス語のようにHを発音しない習慣があったのだろうか。
ランスロットのはちみつケーキ
たむらしげる・作
偕成社 : ISBN4-03331310-9 定価1000円+税
先月、たむらしげるの世界展 が終了したばかりのたむらくんから新作絵本が届いた。2003年の「ランスロットとパブロくん」、そして2004年の「ランスロットのきのこがり」に続く「ロボットのランスロット」シリーズ第3作目である。今回はロボットのランスロットが作ったアニマル・ロボット「ジゴジゴピー」が新登場。「ジゴジゴピー」制作の秘密が"たむらしげるスタジオ通信"の2005/10/16のDiaryに記されている。
これは赤塚不二夫のおコトバである。それを聞いていた高信太郎は、さっそく「いばるヤツにロクなヤツはいない!」と大いに威張りくさって言った、とか。
赤塚不二夫のマンガ人生50周年記念出版である。と云うよりも、病気療養中の不二夫ちゃんへの知人友人からの励ましの言葉でもある。
まだ、少年週刊誌が一般週刊誌と同じ「中綴じ」の時代に少年サンデーに連載された「おそまつくん」はそれまでのギャグマンガの概念を打ち破る疾走感に溢れていた。とにかく、六つ子もチビ太もイヤミも誌面を所狭しとドタバタと走り回っていた。赤塚不二夫はマンガの世界にスラップスティックを持ち込んだ張本人なのだ。と云うことで、50年には満たないが40年以上に亘り、赤塚不二夫のマンガに接してきた僕らにとって、一言一言、含蓄に溢れた有り難いおコトバなのだ。
今朝の東京新聞にブッククロッシングの運動を支援する東京・中目黒の古書店COW BOOKSの松浦氏が紹介されていた。ブッククロッシングについては初めて知った。人から人へ 本の旅なんて、想像力をくすぐられる。
さすらいの女王 中村うさぎ
文藝春秋 定価1350円(税込)
中村うさぎのことは重度の買物依存症で、ホストに入込み、そのうえ整形マニアの自称女王様だという程度の認識だった。しかし、NHK深夜トーク番組のゲストから話を聞き出すツッコミのタイミングの巧さに隣に座っている局アナの存在感を薄れさせる司会ぶりを見て、今まであまり読んでいなかった週刊文春のエッセーにも目を通すようになった。そして「鬱も吹き飛ぶ話」を読んで抱腹絶倒、笑いをこらえて七転八倒、あまりの馬鹿馬鹿しさに涙も涸れてしまった。勘違い系のエッセイストは掃いて捨てるほどいるが、これだけ自分を相対化できるエッセイストは他にあまり見当たらない。
探し物をしていたら珍しいものが出て来た。雑誌・都市住宅の1968年11月号の付録だ。A1のポスターは吉村順三・設計の旧軽井沢の別邸のアクソメを中心に添田浩氏のイラストと吉村事務所の図面がレイアウトされている。ポスター裏面は添田浩氏による「人間をつくるもの・吉村順三から何を学んだか」となっている。
東京藝大美術館のサイトに告知はないがブログ一酔千日戯言覚書2によれば吉村順三建築展が11月から開催される。建築家・清家清展に続いての建築展だ。
都市のデザイン、エドマンド・ベイコン著、渡辺定夫訳
鹿島出版会 1968年発行・現在絶版
原書・Design of Cities
Amazonを見るかぎり米国ではエドマンド・ベイコンの本書とケビン・リンチの「都市のイメージ」は建築学生の必須図書となっているようだ。
丹下健三による序文には「彼(ベイコン)は、古代ギリシャの都市から現代の都市に至る人類の歴史の中で、都市がいかに大衆の芸術であり、文明の最高の表現であったかを明らかにしている。しかし、それにもまして、彼はこうした文明の形態と人間の意思が、時間と空間の中で、芸術までに転化し、定着しゆく過程に目を注いでいる。そうして、そのなかに都市デザインの意思を見出し、また方法論を学びとっている。」と書かれている。
本書では人間の意思によって造られた都市が時代と共にどのように造られ変化していったかを、豊富な図版などにより分析解説しているのであるが、なかでもローマについて多くの頁が割かれている。GoogleMapでカンピドリオ広場やポポロ広場そしてスペイン広場等を空から眺めると、先人達の都市デザインに対する意思が伝わってくるようである。
その内容の一部を紹介すると、
ミケランジェロの意思行為と題された章、カンピドリオ広場が計画される以前の様子。(カンピドリオ広場の後ろ側にフォロ・ロマーノが広がっている。)
ミケランジェロによって再開発整備されたカンピドリオ広場。広場を囲む両側のパラッツォのファサードデザインは完璧なまでの美しさを持つ。
建築家ヴィニョーラによる教皇ユリウス三世のヴィッラ・ジュリア、地下二階のレベルに設けられたニンファエウムが特異な空間構成。現在は博物館となっている。
X-Knowledge HOME 特別編集No.5
昭和住宅メモリー・そして家は生きつづける
昭和の時代に造られた住宅、今も生きつづける家、そして記憶だけに残る家が各執筆者の言葉で語られている。同時代を生きた川合健二と丹下健三、夫々の自邸の極端なまでの差違は何を物語っているのか。「丹下自邸の謎」と題された探偵・F森教授のレポートが戦後モダニズム住宅にせまる。
表紙を飾っている清家清自邸「私の家」の原寸模型が展示されている建築家・清家清展も9月25日まで開催中だ。(日本建築学会建築博物館の「図面に見る清家清の世界」は8月24日まで。)昨年2月にエントリーした風信子ハウスも"さいたま市別所沼公園"内に昨年11月に竣工したようだ。立原道造記念館に竣工した写真や立原道造のスケッチがある。
昭和という時代を客観的に振り返るには今が良い時期なのかも知れない。
追記:幻の"丹下別邸"
F森教授のレポートを読むと丹下自身が自邸に愛着も拘りも抱いていなかったことが判る。丹下が成城の家を出て、新しいパートナーと新居を構えたのが三田の我が国初の超高層集合住宅であることから見ても、彼にとって合理性が最優先事項だったのだろう。成城の自邸は建築家として国内外にその存在と実力を顕示することが目的であるならば、確固たる地位を築いた後では、彼にその存在理由が薄れるのは当然かも知れない。丹下自邸の保存そのものが丹下や前夫人のプライバシーに関わることでもあり、既に建築界のドンであった丹下はアンタッチャブルな存在でも有り、保存運動すら起こることなく成城の自邸は闇に葬られることになってしまったのは建築界にとって不幸であった。
さて幻の"丹下別邸"であるが具体的な建築計画が進められていたかは不明であるが、別荘用地だけは確保されていた。隣接地にはあの東京オリンピックのポスターデザインをされた亀倉雄策の別邸があった。もしも丹下自身の手により別荘がデザインされていたとしたら、どのような建築になったのであろうか、興味深いことである。(この項、敬称省略)
子どもたちの8月15日岩波新書編集部編
岩波新書 ISBN4-00-430956-5 定価(700円+税)
国民学校世代の33名、それぞれの戦争体験と1945年8月15日が語られている。
中村敦夫は語る『昔の記憶というものは、あまりあてにならない。他人から聞いた話と混線したり、話を面白くするために粉飾した部分が、いつの間にか既成事実になったりする。』彼のそうしたスタンスは五歳で終戦を迎えた氏にとって当然と思える。何れにせよ公に向けて書かれたものよりも当事者から直に聞いた話の方が多くの真実が含まれているような気がする。
私が直に聞いた国民学校世代の8月15日は次のようなものである。彼は昭和八年生まれ、12歳で竹町(現在の台東区台東)で終戦を迎えた。生家は空襲による焼失を免れ、ただ爆風で窓ガラスが破れ飛んだだけという。12歳の悪ガキにとって8月15日から数日間の政治的空白状態は忘れることの出来ない体験だったそうだ。虚脱状態に陥ってる大人達を尻目に焼け野原となった無政府状態の帝都東京を浅草から上野一帯を冒険して回ったという、どんな悪さをしても叱る大人もなく、生まれて初めての自由と解放感を謳歌したというが、その自由は一週間とは続かなかったそうである。
山下洋輔を初めて聴いたのは69年か70年頃のサンケイホールだった。日野皓正のグループに突如乱入してきた山下洋輔一味に会場は騒然、山下を迎え撃つ日野はフリューゲルホーンをポケットトランペットに持ち替え応酬、山下のグガン、グカンとピアノを叩く音を合図に、森山がダバドトーン!とドラムを爆裂、中村はハナモゲラ奏法で山下を援護射撃、日野が目当ての女性達は何事と(・・;)となり、クロネコはタンゴを踊り出すし、赤ん坊は泣くは、坊主は笑うはで、会場はハチャメチャ。
山下は語る「演奏者の悪意の視線を感じることなしにジャズについて何かを語る人間がいるとは思えない。」と、本書は表紙に"my first jazz note"とあるようにジャズピアニスト山下洋輔による最初の著書である。この初版本は1975年に音楽之友社より発行された。その後、徳間書店より文庫化されたが、これも現在は絶版となっている。現在は相倉 久人の編集による新編 風雲ジャズ帖として生まれ変り、平凡社ライブラリーより2004年6月に発行されている。尚、初版本の内容は下記の通りである。
第一部:風雲ジャズ帖 I〜X(1970/1〜1971/12)
第二部:風雲ジャズ雑文篇(1969〜1973)
第三部:風雲ジャズ雑談篇(1970〜1972)
第四部:風雲ジャズ研究篇:ブルーノート研究(1969)
山下は言う「ジャズは音をもって行うボクシングやサッカーのようなものだ。」と、そう即興演奏とスウィングこそジャズの命、そしてジャズプレーヤーこそファンタジスタでなければいけないのだ。退屈な横パスばかり繰り返す予定調和されたジャズなんて聴きたくないのだ。
初めて人を殺す・老日本兵の戦争論
井上俊夫著・岩波現代文庫
ISBN4-00-603105-X (定価1100円+税)
私が子供の頃、大人たちはよく戦争の話をしていた。苦労話や悲惨な体験は内地にいた女性や子供だった人の口から発せられたが、軍人や徴兵された戦争体験者は自慢話をするか、戦争の話を避けるかどちらかだったような気がする。「初めて人を殺す」は1942年に徴兵された著者が初年兵の軍事教練で中国人捕虜を使って行われた銃剣術の刺突訓練の体験を書いたものである。そこには国家権力によって国際法に抵触する非合法な捕虜へのリンチ殺害で、一般人を殺人者に仕立て上げ、共犯者にする様が書かれている。こうした話や軍刀による試し斬り等は耳からは聴いていたが、実際に当事者の書いた文章を読むのは初めてである。
著者の井上俊夫氏は自身のサイトに私が戦争の詩を書いているのはと逆説的に語っているように、自身のレーゾン・デートルについての問いかけのようにも思える。
銃声が聞こえる
戦友よ、黄金の骨壷の中で泣け
本書の中で触れられていた「陸軍刑法」を読むと上官の命令は絶対であることが判る。法律は昭和22年に廃止されたが、こうした軍国主義の残滓は大企業や官僚組織に潜り込み亡霊のようにして新人研修等に姿を現し生き続けているように思えてならない。
陸軍刑法(明治41年法律第46号)昭和22年政令第52号により廃止
第四章 抗命ノ罪
第五十七条 上官ノ命令ニ反抗シ又ハ之ニ服従セサル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス
一 敵前ナルトキハ死刑又ハ無期若ハ十年以上ノ禁錮ニ処ス
二 軍中又ハ戒厳地境ナルトキハ一年以上十年以下ノ禁錮ニ処ス
三 其ノ他ノ場合ナルトキハ五年以下ノ禁錮ニ処ス
第五章 暴行脅迫及殺傷ノ罪
第六十条 上官ヲ傷害シ又ハ之ニ対シ暴行若ハ脅迫ヲ為シタル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス
一 敵前ナルトキハ一年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
二 其ノ他ノ場合ナルトキハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
第六章 侮辱ノ罪
第七十三条 上官ヲ其ノ面前ニ於テ侮辱シタル者ハ三年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
2 文書、図画若ハ偶像ヲ公示シ又ハ演説ヲ為シ其ノ他公然ノ方法ヲ以テ上官ヲ侮辱シタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
第七章 逃亡ノ罪
第七十五条 故ナク職役ヲ離レ又ハ職役ニ就カサル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス
一 敵前ナルトキハ死刑、無期若ハ五年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
二 戦時、軍中又ハ戒厳地境ニ在リテ三日ヲ過キタルトキハ六月以上七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
三 其ノ他ノ場合ニ於テ六日ヲ過キタルトキハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
先日、VectorWorks11.5がリリースされたばかりですが、二年前に出版した拙著"VectorWorks10ではじめるCAD"が増刷されました。今年の初めに"VectorWorks11ではじめるCAD"が出版されていますが、未だ旧バージョンでの需要もあります。
木洩れ日の庭で中谷 耿一郎 (著)TOTO出版 1900円+税
八ケ岳在住のランドスケープ・デザイナー中谷 耿一郎 氏より素敵な本をいただいた。これは専門家向けの本ではなく八ケ岳山麓の森での生活と仕事を通しての体験から自然との接しかたを綴ったエッセー集である。自然との折り合いを見つけ、自然とのより良い関係性を保つ、そんな生き方が庭にも、八ケ岳の小さな家にも表現されているようだ。
東京新聞・書評欄
ダーリンの頭ン中ISBN4-8401-1226-6(950円+税)
小栗 左多里(著)、トニ−・ラズロ(著)
先日"英語でしゃべらナイト"のゲストとして出演した漫画家・小栗 左多里のダーリンことトニ−・ラズロ氏の話が面白かったので書店で見かけた"ダーリンの頭ン中"を即購入、期待以上に面白い。副題に「英語と語学」とあるが、これは目からウロコの文化人類学の本と言っても間違いではない。
vol.2の『"The"の真実』では定冠詞"The"が母音の前にくると"ジ"と読むことなどネイティブは学校で教わらないし意識したこともないという、それに"ジ"と読むことが絶対正しいともいえないという。
中でも興味を引いたのはvol.7の『んんん、んんん...。』ここでは日本語の音節(シラブル)について取り上げている。日本語の仮名のような音節文字は、どんな文字でも一様に発音すると日本人は思い込んでいるが、『ん』は"n"の場合もあるし"m"の場合もあるし、それに「○○です。」の「です。」は"des"と子音で終わっていると"ダーリン"は指摘する。そういえば私の名前をローマ字表記すると"Susumu"だが、自分でもこのローマ字通りというか音節文字通りに発音していないことに気付いた。自分で発音していながら子音を聴き取る能力が劣るので正しいか定かでないが、どうも"Susmu"と言っているか"SUsuMU"と言っているような気がする。外国人が喋る日本語の発音がおかしいのも耳で憶えたものでなくローマ字表記通りに発音するからだろう。
昔、金田一春彦氏がテレビコラムで日本語の音節の話をしていたことがある。音節は日本語で約114、ハワイ語で88、北京語で約400、仏語で約700あるそうだ。そのとき、日本語よりも音節の少ないハワイ語ではホノルルとかカメハメハとか繰り返しのある言葉が多くなるとか。また日本語の"みゅ"と云う音節は「大豆生田(まみゅうだ)」と云う姓を発音するだけにあると言っていたのを思い出した。そういえば、今ではあまり使われていない仮名の"ゑ"は"e"じゃなくて"ye"なのだ。ということで、またしても本題から脱線してしまった。
象の思い出アノニマ・スタジオ発行(1600円+税)
記憶の中に潜むパラレルワールドへの扉、それは月だったり、機関車だったり、象だったり。失われた時を求めて扉を開けると、、、。モノトーンの水彩画による絵本。
水晶山脈アノニマ・スタジオ発行(1600円+税)
これも数年前、トムズボックスで開かれた個展で展示された絵に物語を付けて絵本に仕立てたもの。水晶を透して見る不思議な宇宙的風景の世界。
ちなみに今までの絵本原画等を集めて7月29日より9月19日まで八王子夢美術館で「たむらしげるの世界展」が開かれます。
モービー・ディック航海記
たむらしげる・著
ソニー・マガジンズ発行 ISBN4-7897-2544-8
たむらしげるの新刊・SFファンタジーである。
彼は以前より"誰のために絵本を書くのか"の問いに対して"少年時代の自分のために書いている"と答えている。当然この"モービー・ディック航海記"も少年だった頃のたむら君に向けて書かれたものであることは間違いない。彼の分身でもある主人公Qや、96歳の叔父は空想世界の中で時間や空間を超えてパラレルワールドへと冒険する。その時間と空間が入れ子になった小宇宙は彼が少年の頃に見た世界なのだろう。
そんな、たむらしげるの世界が絵本の作家たち (2) 別冊太陽に22頁に亘って紹介されている。そして"モービー・ディック航海記"のクジラ型潜水艇のモチーフは既に30年前くらいにはそのイメージが出来上がっていた。(写真右上はシルクスクリーンによるモービー・ディック、1970年代の後半くらいの作品。)
彼は その別冊太陽に自らその半生を語っている、彼の才能の兆しが垣間見えた高校生の頃、僕らは三年間を同じクラスで過ごした。なんとなくいつも斜め後ろくらいに彼の席があり、授業中は教師に見つからないよう教科書の端にパラパラ漫画を描いて彼は過ごしていた。彼の漫画に対する非凡なところはその眼差しが海外に向いていたことである。八王子は丘陵地の峠に住んでいた少年が今は無き銀座イエナ書店に通い原書を求め、雑誌ニューヨーカーを月極購読していたのである。彼は確実に同世代の少年よりもワンラップオーバーしていた。
靖国問題 高橋哲哉・著
ちくま新書・ISBN4-480-06232-7 定価(720+税)
著者の高橋哲哉氏はリベラリズムの人だろう。その著者がプラグマティズムな観点から冷静に靖国問題を、感情の問題、歴史認識の問題、宗教の問題、文化の問題、そして国立追悼施設の問題と分析し、最後に極めて現実的な解決の方向を提示している。それは「政教分離」の徹底により国家と神社の癒着を断つこと、次に神社の信教の自由を保証すると共に遺族側の信教の自由も保証することである。それは合祀を望まない遺族に対して神社側が応じることであるとしている。要するに、そこに祀られたいと遺族が望む戦死者だけを祀る一つの宗教法人として自立することが現実的選択としている。しかし、この新書の最も重要な個所は最終章の石橋湛山について触れた部分にあるのではないだろうか。
戦争直後のまだ憲法が公布される前に石橋湛山(自民党総裁・元首相)が靖国神社の廃止を提言している。その内容は現実的解決策を提示している高橋哲哉氏より遥かに先鋭的である。石橋湛山は保守リベラリズムの立場から戦前より植民地政策批判、軍国主義批判を通してきた人である。「靖国神社の存続はいつまでも屈辱と怨念の記念として永く陰惨の跡を留むるのではないか。」と述べている。怨念がいつの日か正義の仮面を装い復活することを石橋湛山は危惧していたのだろう。そして更に石橋湛山は憲法九条を暗示する「真に無武装の平和日本を実現する。」との言葉を残している。
日本敗戦のシナリオは既に明治維新に書かれていたと言って良いだろう。行き過ぎたナショナリズムはいつかファシズムへと変容する。尊王攘夷思想を近代国民国家に投影しドイツ帝国憲法を礎に立憲君主国家となった明治政府体制はファシズム体制の基本理念と矛盾なく合致している。
それは、国の成り立ちを神話に求める建国の虚構性、全体主義的な国家権力の元に個を国家に溶解し、社会的階級的矛盾を解消し偽るものである。戦前の国家神道の名の元に天皇に命を捧げたもののみを合祀する靖国神社は国家に個を溶解する装置であり、全体主義のアイコンと成り得たのである。
先日も日本軍兵士として戦死した台湾の遺族が合祀の取り下げを要求したが、神社側は門前払いをしている。信教の自由を盾に首相が行動するなら、一個人として行動すべきであろうし、異なる宗教を持つ彼ら台湾の遺族の要求も聞き入れねばならない。
るるぶ情報誌・八王子市 JTB出版(定価880円)
どこか、とらえどころのない八王子を特集した"るるぶ情報誌"である。
八王子に越してきたのは小学二年生の時だった。中央線の終点・高尾駅が未だ浅川駅と言っていた頃である。家の住所は八王子市だが通った小学校は南多摩郡浅川町にあった。当時の浅川町は林業と観光が主な産業であった。現在の高尾駅北口はどこか寂れている印象があるが、越してきた当時の浅川駅は観光地の駅前そのものであった。
まぁ"るるぶ情報誌"を見ても八王子ラーメンを食べたいとも思わないが、、、八王子のとらえどころのなさは、一層増幅された。
一冊でわかる ポストコロニアリズム
ロバート・J・C・ヤング著、本橋哲也・訳、岩波書店
東西冷戦時代の幕引きの後にあらわにされた南北問題、つまり植民地以降の世界を見つめ直すテキストである。著者は中近東、カリブ、インド、アルジェリア、ブラジル、アフリカ等、様々な情景をモンタージュ的に提示し読者に世界の現実を問いただし、植民地の独立後も植民問題が終わっていないことを明らかにしている。その一つでもある旧宗主国間によって分割された国境問題は未だに紛争の火種として燻っている。西欧社会の国民国家という虚構を旧植民地に押し付け独立させた後も利権を保持し搾取し続けるという構図は植民地時代と差違はない。
ポストコロニアリズムはリアルタイムで動いている世界史つまり現実世界を連続した時間軸と空間の中で捉えようとする考え方ではないだろうか。ポストコロニアリズム的な見かたはサッカーワールドカップや英国を中心としたロック・ミュージックやレゲエ、大英帝国博物館、ベルリン博物館、ルーブル美術館、等々を批評する道具にもなりえるだろう。もちろん、イラク戦争やパレスチナ問題のルーツが大英帝国によるアラブ社会の支配にあったことは言うまでもない。
ポストコロニアリズム 岩波新書
本橋哲也・著、岩波書店
翻訳者による著書もある。
アメリカ独立戦争もポストコロニアリズムという視点で見ると歪んで見えます。植民者が宗主国に上納金を支払うの嫌で戦争を仕掛けたというのは、どこかヤクザの内部抗争に通じるものがあるような気もします。先住民や奴隷から見れば搾取する者の親分が入れ替わっただけです。
J.F.Kのニューフロンティア精神もポストコロニアリズムという視点で見ると、身勝手な論理です。中学生の時にJ.F.Kを偉いと思っていた僕はほんとにバカでした。
神さまがくれた漢字たち
白川 静・監修、山本 史也・著、理論社YA新書
"腰巻き"の白川 静氏の推奨文の通りである。出だしから説教魔の蘊蓄オヤジと化した金八先生が言いそうな「え、人という字は、人と人が支え合って形作られたものです。」と云った定説を真っ向から否定している。漢字の起源は紀元前1300年、今から3300年前の殷の時代につくられたものとされている。したがって、古代中国の支配の仕組みから、神と民衆の間に立つ媒介者としての王が、神との交信に用いる方法の一つが漢字であるとすれば、その時代背景抜きに漢字を理解することは覚束ない。それがタイトルの由来のようだ。
それで問題の「人」であるが、山本 史也氏は「哀れな人」と題し、支え合う人という定説を否定した上でこう述べている。
「人」の字形は、もとはすこし首をすくめた人を横から見る形で示されました。もっとも後漢の許慎の著した字書「説文解字」は、「人」を「天地の性、最も貴き者なり」と解説するのですが、どうしても「万物の霊長」を思わせるような尊い人の風貌を写す形とは見えてこないのです。かえって何かに服従してでもいるような、あるいは重いものをひしひしと背に感じてでもいるような、心なしか、うつむきかげんの姿勢を写しとった形にも見えてきます。
この「バーボン・ストリート・ブルース」は先頃、亡くなった高田渡の遺言のように思える。この本は一昨日、吉祥寺のトムズボックスで偶然手にしたものだ。たまにメディアに登場する高田渡はどうみても自分より一回り上だと思っていたが、奥付を見ると意外や意外、自分と同い年である。それで同時代を生きた者の時代の証言を読む気になった。ボヘミアン的人生を全うした高田渡はその生い立ちから漂泊の人生を約束されていたようである。最終章には「、、、そして酒がまったく飲めなくなったときにパタンと死ねたら最高だと思う。」の言葉が、これも人生。合掌。
フォークソングは僕らが高校生の時、流行った音楽だが、僕はあの私小説的な世界が好きになれず、距離を置いて傍観者として見ていただけだった。高校の同級生に"S"というフォークソングの上手い奴がいた。唄うのはもっぱらピート・シガーやディランやPPMのコピーなのだが、ギターにマウスハープ、それにウッドベースの伴奏者という、いちおう本格的にスタイルを決めていた。美術室に置いてあるトルソーのアグリッパ像に似た風貌の"S"はボヘミアンとして生き、野垂れ死にする人生を標榜していた。そんな"S"は僕に向かって「おまえはニヒルな奴だな」とよく言っていた。誰が何と思おうがどうでもよいが、"S"から見ればフォークの世界に白けていたように見えたのだろう。その後の"S"はフォークシンガーになることも、ボヘミアンになることも、ましてや野垂れ死にすることもなかったようである。
万博幻想-戦後政治の呪縛
吉見 俊哉 著
ちくま新書 ISBN4-480-06226-2
誰の目から見ても愛・地球博と言うよりも"トヨタ博"或いは"電通博"と言う方が相応しい2005年愛知万博である。何故か入場前売券の販売数に満たない入場者数のミステリーは参加企業や工事を請け負ったゼネコン等が義理で購入した企業割当分の前売や、さらにそれを半ば強制的に分担しなければならない下請け企業の関連先に死蔵されているのが原因と想像するが真相や如何に。
「万博幻想-戦後政治の呪縛」は著者が1992年に出版した博覧会の政治学?まなざしの近代(中公新書)の続編でもあると後書きで語っている。著者は90年代に海上の森保存運動と関わり、後に博覧会協会の企画調整会議にも参加し市民参加への糸口を模索し、反対派、賛成派、双方と関わってきた。対立と歩み寄り、そしてねじれ、その中で著者が見たもの感じたものは何であろう。
本書の内容は序章の「戦後政治と万博幻想」を1970年の山田洋次監督の映画「家族」を軸に高度成長経済の歪んだ日本列島を切り口にして、大阪万博、沖縄海洋博、筑波科学万博、そして愛知万博と続き、終章の「万博幻想と市民政治」ではグローバル資本主義と万博幻想と題して、2010年の上海万博への言及で幕を閉じている。これは20世紀の歴史でもあり、一つの昭和史でもある。その意味で愛知万博は昭和の影を引きずり、20世紀的なモノの残滓にも思えてならない。
吉見氏によれば開発主義に裏打ちされた国家プロジェクトであった東京オリンピックや大阪万博は、第二次世界大戦によって中断していた西暦1940年即ち皇紀2600年の大日本帝国の国家プロジェクト「日本万国博覧会」を復活再現したものと見なされる。その旗振り役が「皇紀2600年記念万博」で商工省の担当課長であった自民党の参議院議員である。開催地が大阪千里丘に決定するまで候補地は紆余曲折し、時の建設大臣・河野一郎は琵琶湖を埋め立て開催地にする案に固執していたと云うから呆れるばかりである。
東京オリンピックに大阪万博、そして名古屋オリンピックと続く筈であった開発主義者の推し進める国家プロジェクトが韓国のソウル・オリンピックに敗れ中断したことで、何が何でも中京圏で国家プロジェクトをしなければならなかったのであろう。その意味では東京都民が臨海部の都市博に対して「ノー」を突きつけたのは画期的なことであろう。
手元にある「デザインの現場」1998年6月号に2005年愛知万博誘致のプレゼンテーション資料を作成したデザイナー・原研哉の制作過程が紹介されている。「海上の森」の現地を訪れた原研哉が出会ったものは反対派の看板であった。そこで反対派の自然保護団体が発行した海上の森の詩を手に入れる。原研哉は反対派の主張に寄りそう形で「海上の森の詩」のギフチョウからインスパイアーを受けデザインを推し進め、対抗するカナダ・カルガリーに勝利する。反対派の資料が誘致の後押しをしたとは皮肉であるが、自然保護団体の意見を取込まねば国際博覧会事務局の認可が降りなかったことも事実であろう。
「万博幻想-戦後政治の呪縛」の第四章「Beyond Development」では「トヨタの大いなる影の下で」と題して「トヨタ博」と揶揄されている実態を分析し
別の言い方をするならば、いまや愛知万博はこうした広域展開するトヨタの文化施設のアネックスにすぎなくなりつつあるかのようにすら見える。、、、、愛知万博は、このようにして結局のところトヨタ博となり、市民博となり、そしてまだなお環境博でもあるという三層の屈折を帯びて開かれつつある。この三つ巴の絡まりあいに、われわれはどう対していけばいいのだろうか。と結んでいる。何れにせよ「泣く子と地頭には勝てぬ」ならぬ「泣く子とトヨタには勝てぬ」である。巨額の広告費でメディアコントロールするトヨタに対してマスコミは何も言えないのが現状だろう。
ヒエログリフであそぼう
ニューヨーク メトロポリタン美術館 編
小山葉子訳
福音館書店 ISBN 4-8340-6206-6
古代エジブトの美術品を多くコレクションしていることで知られているニューヨーク メトロポリタン美術館の手になるヒエログリフのスタンプセットです。解説の小冊子がメインでスタンプは付録と云うことで書籍になっています。ヒエログリフは象形文字だと思っていましたが、実は表音文字でアルファベットと対応させて言葉を紡ぐことができます。
まるごと702NK
山根 康宏他著、技術評論社刊、定価(1580円+税)
ISBN4-7741-2318-8
出るとは思っていたが、やっぱり702NK(NOKIA6630)の解説書が出版された。2月の下旬に702NKを入手してもう一ヶ月半近く経つ、既に試行錯誤してカスタマイズと基本的操作等は手中にした後なので、もう少し早く出ていれば良かったのにと思うが、アプリケーションやアクセサリーの紹介やTips等々、ビギナーにも、ビギナーのちょっと上を行くユーザーにも役に立ちそうな情報も多く掲載されている。
戦争には勝者も敗者もいない、殺された者と生き延びた者がいるだけだ。
映画『ロング・エンゲージメント』を見た。フランス映画だと思っていたが、制作配給がワーナーブラザーズによるアメリカ映画である。原作はセバスチアン・ジャプリゾの"Un long dimanche de Fiancaille"(婚約者の長い日曜日)邦題「長い日曜日」である。恐らくはワーナーブラザーズ制作ということで、英語のタイトルになっているのだろう。映画は「アメリ」のジャン=ピエール・ジュネ監督とオドレイ・トトゥの主演ということから解るように、アメリカ映画であるが監督も出演者もフランス語圏の人々で固めている。例外は脇役として出演しているジョディ・フォスターだけである。
エンゲージメント(婚約)はフランス語的に発音すると「アンガージュマン」と言うらしい。広辞苑第五版によれば【アンガージュマン:(約束・契約・関与の意) 第二次大戦後、サルトルにより政治的態度表明に基づく社会的参加の意として使われ、現在一般に意志的実践的参加を指す。】とある。このタイトルが世界共通だとすると婚約者を"Fiancaille"から"ENGAGEMENT"に変更した理由に監督の思惑が隠されているのかも知れない。
長い日曜日とは第1次世界大戦の真っ只中、1917年1月の或る日曜日、フランス北部でドイツ軍と交戦しているフランス軍の最前線の塹壕「ビンゴ・クレピュスキュル」で起きた5人の戦争犯罪者の処刑(みせしめのリンチもどき)に隠された事実をオドレイ・トトゥ演ずるマチルドが明かしてゆくミステリーである。
映画は婚約者の生存を信じるマチルドのミステリー・ラブロマンスを前面に宣伝しているが、監督が描きたかったのは20世紀初頭の徴兵制度によって一般市民を飲み込んでゆく近代戦争であろう。それは封建国家に取って代わった国民国家という近代が生み出した国民的同一性という幻想や近代的神話が内包する矛盾でもある。
共同通信の従軍記者として戦地で取材した事の或る作家・辺見庸が戦場のイメージを「赤い薔薇」に例えていたが、マチルドの婚約者・マネクが隣りにいた兵士を直撃した砲弾によって「赤い薔薇」を全身に浴びるシーンを見て辺見庸の例えがその通りなのだと思った。とにかく、アメリカ資本で作られた映画なので火薬の量が半端ではない。目を覆いたくなるシーンも多いが、戦前の軍国主義へと回帰しようとする風潮を思うと是非見て欲しい映画である。
新潮文庫の日高敏隆・著「春の数えかた」が地元の書店になかったので、昨日、東高円寺で用事があったので、そのついでに新宿まで出向き南口の紀伊国屋書店まで行ったけれど、ここにも在庫がなかった。新潮文庫の2月28日付け週間ランキングでベスト5位になっていることから、やはり在庫切れなのだろう。入手できなかったけれど、こうした本が売れていることが、ちょっと嬉しく思えた。
福音館書店の絵本雑誌
「こどものとも年中向き」三月号
「イガイガ」さとうゆみか作
書店で「イガイガ」の文字が目にとびこみ、自分がモデルかと勘違いして即購入。
沢山の工夫による丁寧な絵が素敵です。願わくば「イガイガ」の顔を正面からみたらどんな風に見えるのか、そのイガイな「イガイガ」を見たい。
東京都公文書館の刊行物に都史紀要がある。いわゆる江戸東京の歴史に関する調査研究報告で、都庁内の都民情報ルームの資料頒布所や江戸東京博物館でも販売している。この「佃島と白魚漁業」は挿んであったレシートから93年4月に江戸東京博物館で購入したものだ。
佃島の漁民は家康の江戸入城に伴い、摂州佃村(大阪)から住吉神社の神職共々移住した子孫であることは良く知られているが、この「佃島と白魚漁業」は旧来から江戸前を漁場にしていた漁民と新参者である佃島の漁民との漁業権を巡り江戸から明治に至る諍いの記録である。初代将軍家康様のお墨付き、つまり権力を傘に我が物顔で振る舞う佃の漁民を快く思う者はなく、奉行所も佃の漁民には手を焼いていたと思われる。そういえば江戸を舞台にした時代劇(大岡越前、或いは暴れん坊将軍)でも白魚漁業を巡る紛争をドラマ仕立てにしたことがありました。実際に八代将軍吉宗の時代、大岡越前守は佃島の漁民に様々な便宜をはかったことが記録されている。
『噂の真相』25年戦記
岡留 安則(著)集英社新書 0275
ISBN: 4087202755
1979年に刊行され昨年四月の休刊号をもってピリオドを打った「噂の真相」編集発行人・岡留 安則氏によって言論のタブーに挑戦しスキャンダリズムを貫いた雑誌の四半世紀の戦いの歴史であり、NHKと朝日新聞のバトルを見るまでもなく、21世紀の今日に於いて言論の自由が如何に侵されつつあるかの警鐘の書でもある。
創刊二年目の「皇室ポルノ事件」をめぐり右翼団体との事態の収拾をはかるための折衝の過程で彼らの目的が文脈において判明されていく件や、田原ウォッチャーを自称する岡留氏による的確な田原総一朗・分析等や、司法の出鱈目さ、メディア自身による自主規制への批判等、どれも至極当然のことを述べているに過ぎないのだが、、、。
「噂の真相」休刊後はウェッブの「ポスト噂の真相」に於いてブログ「東京-沖縄-アジア」幻視行日記から情報発信している。
ガ島通信・魚住昭講演要旨・1こちらでNHK問題も取り上げている。
VectorWorks11ではじめるCAD
ISBN4-88166-436-0
発行:株式会社ソーテック社
定価(本体価格3,800円+税)
拙著が本日発売となりました。
表紙と前書きでリートフェルトの平行定規に触れてます。と云うことで装丁はデスティル・カラーです。
今回はDTPにMacOSX環境でInDesign CSを用いています。昨年、アカデミックプライスで購入したAdobe Creative Suiteが早速役に立ちました。本格的にInDesign を使うのは初めてですが、いつものように使いながら操作を憶えるということで、ツールを探してパレットをあちこちひっくり返しながらの作業でしたが。使ってみて、Illustrator や Photoshop との親和性が高く、PageMakerやQuarkXPress v3等より使いやすいことが実感できました。
出版社の方でもInDesign CSを本格的に使うのは初めてで、印刷所(図書印刷)への入稿もPDF/X-1a形式で行ったと云うことです。そんな訳でソーテック社が発行する「Acrobat7スーパーリファレンス」にPDF入稿の事例として掲載されるようです。
昨年暮れからのNHK人間講座「だます心 だまされる心」は初回しか見ていないが、講師を務めている安斎育郎氏の人はなぜ騙されるのかは以前読んだ事がある。既に文庫本も出ているようだ。「人はなぜ騙されるのか」は雑誌や新聞(主に関西版)に発表されたコラムを纏めたもので、内容は「不思議現象を考える」、「科学する目・科学するこころ」、「人はなぜ騙されるか」、「社会と、どう付き合うか」、「宗教と科学」の五章で構成され、見開ページに一つの話題と読みやすく編集されている。初版が発行された1996年の前書きの冒頭で、米国南部地域の「進化の学説は聖書の天地創造説を冒涜する理論だ」という前時代的認識を元に「進化論を科学的に裏付けられた事実として教えることを禁止する法律案」が集中審議されたことを上げ、事実を宗教的教義を基準に切り捨てるこうした反理性的な傾向が、政治的な反進歩・保守の思想と結合していることに、一種の不気味さを感じているのは私だけでしょうか。と筆者は述べている。筆者の憂いは、ネオコンやキリスト教原理主義者に支えられたブッシュ政権二期目にして現実化の様相を示しそうである。
青空文庫は著作権の消滅した作品と、「自由に読んでもらってかまわない」作品を揃え、利用に対価を求めないインターネット電子図書館だ。明治・大正・昭和(初期)の文豪の作品がテキストデータで読める。もちろん、芥川龍之介の作品もある。
「薮の中」は黒沢明監督の映画「羅生門」の原作の一つである。映画は表題の芥川龍之介の小説・「羅生門」と、この「薮の中」を一つにしたものである。「薮の中」は殺害された夫、妻、盗賊、目撃者、の夫々の証言の違いをそのまま語り、結論は与えられていない。或る意味、メディアリテラシーのテキストのようでもある。傍観者の感情移入の差違によって結論は変化し、ぶれを伴う。
So What「マイルス・デイヴィスの生涯」
ジョン スウェッド (著),丸山京子(翻訳)定価(3600円+税)
シンコーミュージックエンタテイメント ; ISBN: 4401618890
奥付を見ると2004年11月14日とあるから、書店に並んだのは先月末だろう。書店でタモリが書いた坂道美学入門の本がないか、タレント関連の書棚を物色していたとき、この本を見つけた。坂道美学入門はなかったが、躊躇することなく本を手にしてレジに向かった。タモリはマイルス・デイヴィスに直接インタビューしたことのある数少ない日本人の一人であり、お笑い芸人としては唯一だろう。そしてジャズ愛好家としては故・植草甚一氏のコレクションを引き継いでいるコレクターでもある。だからマイルスとの邂逅を演出してくれたのも何かの因果だろう。
コルトレーンの命日は記憶していても、マイルスの命日は僕の記憶から消えていた。マイルスが亡くなっても哀しくはなかった。唯、一つの時代が終わったという思いだけだった。マイルス・デイヴィスは僕にとって紛れもなく唯一無二のアイドルだった。だから、彼がどんなに自分の演奏スタイルを変えても受け入れることができた。60年代のマイルスを愛した保守的なジャズ愛好家にとって80年代のマイルスは屈辱以外の何ものでもなかっただろう。僕が最後にマイルスの演奏をライブで聴いたのは1987年のライブ・アンダー・ザ・スカイだった。当時、好んで演奏したシンディ・ローパーのタイム・アフター・タイムやスケッチ・オブ・スペインからのフレーズには演奏スタイルは変わっても、変わらないマイルスの何かがあった。
マイルス・デイヴィスが亡くなって13年、ようやく、波乱に満ちた彼の生涯を検証する本が世に出た。生い立ちから、60年代までを語っている本はこれまでに何度か読んだ事があるが、70年代や80年代、そして最後となった90年代のマイルスを検証した本は皆無に等しい。作者のジョン スウェッド はイェール大学・人類学の教授、アフリカ系アメリカ人研究が専門。全447頁+ディスコグラフィー24頁に亙る本書は丹念に調べられた資料と関係者からのインタビューと云う実証的なスタンスによっている。マイルスのアルバムとそのレコーディング時の数々の証言等、僕たちが知らなかった事実が浮かび上がってくる。マイルスを知っている人にも読みごたえのある内容である。
その死後、10年以上経ってなお、マイルス・ディヴィスの人気は衰えるどころか、高まる一方だ。今も彼の音楽はあらゆる所で流れ、「カインド・オブ・ブルー」は既に古典の一枚と見なされている。(※「カインド・オブ・ブルー」は今でも全米だけで週に5000枚売れているという。)彼が共演したのは、チャーリー・パーカーからセロニアス・モンクまで、ジャズ界が輩出した屈指のプレイヤーばかり。その従者達---ジョン・コルトレーン、ウェイン・ショーター、チック・コリア、キース・ジャレット、ジョン・マクラフリン---はそれぞれがジャズ界のスターとなった。そのクールで、ヒップでフレッシュなイメージは当時のまま。それでいてマイルス氏自身は謎のヴェールをまとい、その生涯は数々の神話に彩られている。なぜ頻繁に彼はスタイルを変えたのか?なぜ、あれほど人につらくあたり、時には敵意まで抱くような態度をとったのか?なぜ、そのキャリアが全盛期を迎えた時、人前で演奏することを止め、何年間も人目を避けるように自宅の暗闇の中に引きこもってしまったのか?あの大統領選挙のブッシュ支持の赤く塗られた地域ではマイルスの音楽は理解されないだろうな。ということで、「カインド・オブ・ブルー」と、死の二ヶ月前にレコーディングされたクィンシーン・ジョーンズとのコラボレーション、「ライブ・アット・モントルー」を聴きながら書いている。
ブログの力 GEODESIC編著
株式会社 九天社・発行 定価1680円(税込)
ISBN4-86167-021-7
「ブログの力」が届いた。俎板の鯉よろしく栗田さんの電光石火の包丁さばきでMADCONNECTIONも料理されてしまいました。友達に見せたら「ガハハ、、」と笑っていた。
先週の土曜日深夜にテレビ朝日で「イサム・ノグチ」のドキュメンタリー番組が放送された。ナビゲータは「イサム・ノグチ-宿命の越境者」の著者であるドウス昌代。イサム・ノグチの誕生にまつわる逸話から、生い立ち、成長、人間関係、芸術家としての自立と成功、苦悩等を追っている。生誕100周年を記念する番組として内容的には優れているのだが、問題はその放送の時間帯と間に流されるTVCFにあった。放送に魅入り高揚した精神は、途中に入るテレビ朝日のお笑い系番組宣伝で、ズタズタにされ、水を浴びせられすべてが打ち消される。TVCFの枠が売れないから自局の番組宣伝をしているのだろうが、明らかにこの時間まで起きて「イサム・ノグチ」を見ようとする人間とは相容れない内容である。テレビ朝日もテレビ東京も、始まりは教育放送を主体にする放送局として郵政省の認可を得て免許を取得したテレビ局であった筈である。初心は何処に、教育番組うんぬんは差し置いても、せめて優れたドキュメンタリー番組の枠だけは残して欲しいものである。アリバイ作りの御為ごかしの放送なら、いっそのこと無いほうが良い。
「イサム・ノグチ - 宿命の越境者」
ドウス昌代著 講談社文庫(上・下)
定価790円(税込)
「石は地球の骨だ」その言葉は常に自らの帰属する場を求め、漂泊する魂が辿り着いた答えなのか。原作を読みたい気持ちにさせられた。
イサム・ノグチ庭園美術館
ランスロットのきのこがり
たむらしげる・作
偕成社・刊
ISBN4-03-331300-1
定価(本体価格1000円+税)
たむらくんの新作絵本「ロボットのランスロット」、前作「ランスロットとパブロくん」に引き続きシリーズ二作目だ。今回はトラネコのモンジャといっしょに「おいてけもり」にきのこがりに行く話。
住み家殺人事件・建築論ノート
松山巌・著 みすず書房・刊
ISBN4-622-07089-8 定価2100円(税込)
「建築を新たにつくることは、近代に入ってテロリズムの色彩を強めている。なぜなら、それ以前の時代とくらべれば驚くほどの短時間に周辺環境を変え、人間関係を変えてしまうからだ」
「もはやかつてあったような共同体や『公的』な世界は消えつつある。しかし建築を通じ、建築を考え、建築がつくりだす環境を考えることによって、共同体と呼ぶこともない新たな多彩な声のつながりを生み出せるのではないだろうか」
「マザー・グース」の唄、「小さな緑のお家の中に、小さな金茶のお家がひとつ、」から始まる本書はミステリー作品ではなく、建築論ノートである。これは現代建築の、都市の、社会の、そして現代人である我々が抱える社会的病理に対する問いかけである。
東京人2003年4月号の槙文彦氏と松葉一清氏との対談「建築家の責任」の冒頭部分でも、公共空間が消費されてゆく現実が語られている。現代に於いては、公も私も消費社会に支配され隷属する存在でしかないのだろうか。建築も消費生活を包み込むパッケージとして消費社会に隷属し、消費され、やがてスクラップされる運命に晒されている。
「共生・共棲」と云う言葉には「寄生」の意味も含まれている。「環境共生」と云う「うたい文句」は「寄生」の事実を隠蔽し、私には偽善にしか思えない。左の東京新聞の書評で千田智子氏が述べているように、松山氏は人も建築も自己完結する存在ではなく、何かが欠如していて、社会や地域に寄生することで成り立つと云う。
1967年にSD選書として刊行されたS. シャマイエフとC.アレクサンダーとの共著「コミュニティとプライバシー」ではプライバシーは頑なにバリアーを配し守るべき存在とされていたが、その後、C.アレクサンダー自身の論文、自動車社会に於いての「ヒューマンコンタクトを育てる都市」で、その考えを一部否定して、リビングアクセスの考えを導入していたが、あまり建築界では評判にならなかったようである。自閉症的デザイナー住宅を見るにつけ、「コミュニティとプライバシー」に縛られている気がしてならない。住宅に自己完結を求めるのは建築家の傲慢であろう。
昔、JR高尾駅を浅川駅と呼んでいた頃の都下南多摩郡浅川町に1軒だけあった小沢書店が今年になって姿を消した。以前は北口の甲州街道に面した書店も、南口の開発に伴い南口のショッピングセンターに移動。高尾地区唯一の書店として存続していたが、90年代後半に南口の京王ストア2階に京王電鉄系列の啓文堂がオープン、その上ショッピングセンターの核テナントであるダイエーの経営不振も向かい風となり客足は遠のくばかり、とうとう数カ月前に閉店撤退してしまった。僕自身、ダイエーには買物には行かないし小沢書店もたまに利用する程度の不義理な客だったが、小学生の頃、月決め購読で雑誌「少年」を配達してもらっていたし、その後は小沢書店から雑誌「新建築」を月決め購読していた時期があった。昔はよく本を配達してもらっていたが、そうした商習慣はインターネットに取って代わり、頼みの雑誌販売もコンビニに奪われ駅前書店が生き延びるのは益々困難になっている。
学校の夏休みが明けた今週月曜日、ルミネ新宿1にあったA.B.C.(青山ブックセンター)跡に行った。目的は新たにテナント入居したブックファーストの見定めと、松山巌氏の住み家殺人事件−建築論ノートが置いてあれば買おうと思っていた。新宿駅南口を出てルミネ新宿1までのコンコースの雑踏は相変わらず、殺気立った人達で溢れている。その中を泳ぐように歩いてルミネまで辿り着き、エスカレータで5階へ。昇りエスカレータ脇のスターバックスはそのまま、正面に見えるA.B.C.のロゴとテーマカラーは消えていた。エスカレータを降り、店内に入り書棚と品揃えを見ると、陳列書棚もそのまま、書籍分野別レイアウトもそのままA.B.C.を踏襲している。つまり業界用語でいう「居抜き」である。スターバックス隣の建築図書コーナーも同様であるが微妙に何かが違う。探していた「住み家殺人事件−建築論ノート」は暫く書棚を物色して見つかった。レジカウンターもA.B.C.を踏襲してフォーク・スタイル、客は一列に並び空いたレジで精算する方式である。違っていたのは店員、客が列をしているのに、それを知ってから知らずか客に背を向け自分の仕事をしている。暫くして、離れたところからやって来た男性店員がやっとの応対、アドレナリンがオーバーフローする直前であった。
何か釈然としないものだけが残った。A.B.C.(青山ブックセンター)の書店としての業績は黒字であったと云う、取次店による破産の申し立てと、それに間髪を入れずに新宿のA.B.C.跡の二店舗に関西資本書店の新宿進出、どう考えても話が出来すぎている。たぶん、これからルミネ新宿から足が遠のきそうである。
911セプテンバーイレブンス 冷泉彰彦
小学館文庫 定価650円
ISBN4-09-405651-3
作家・村上龍の主宰するJapan Mail Mediaの論客・冷泉彰彦氏の『9・11(セプテンバー・イレブンス)?あの日からアメリカ人の心はどう変わったか』に加筆して文庫本化したもの。
Japan Mail Mediaと冷泉氏の『from 911/USAレポート』(毎週末・土曜日発行)は昨年、秋山さんから教えてもらった。冷泉氏に興味のある人は週末にJapan Mail Mediaをチェックすると良い。但しサイトに掲載されているのは最新号だけ、メールマガジンの配信申込(無料)すれば読み逃すことはない。
ニューヨークの隣、ニュージャージー州に居を構えアメリカの現実を見据えた定点観測、そこから日米関係の歪んだ現実と日本側メディアの温度差が浮かび上がる。
冷泉氏の本を読むのはこの文庫本が初めてである。第1章は事件の翌日、9月12日から始まっている。以外だったのは事件から三週間位までは、混乱はしていたものの冷静さを失わないよう自重的な空気が支配的だったこと、事件後エンヤのCDが売れ、街ではイマジンが唄われ、"unite"をキーワードに、団結しよう、励まし合おう、助け合おうと人々は考えはじめていた。『今の「優しさ」と「連帯感」を忍耐のパワーに変えるとき、本当に新しい歴史が始まる。そんな予感すらします。』と、新しい草の根に期待を寄せていた。
大きく変わったのは事件から三週間経った10月2日のトニー・ブレア英国首相の演説「証拠はある。」「事を起こすときだ。」「他人事ではない。英国に流入するコカインの90%はアフガン製だ。」等々の発言。そこから平和を望むベクトルは歪みねじ曲げられてしまったようである。10月15日の「傷ついた草の根」では、空爆が始まる前にテレビ出演したボブ・ウッドワード記者(PLAN of ATTACK 邦題:攻撃計画 ブッシュのイラク戦争の著者)の「事態に落胆しているんじゃないんだ。とにかく、何をやっても事態が悪くなるとしか思えない、一切何もしない、というのが最善のように思えるんだ。」の発言を引用している。
2004年9月4日発行のJMM [Japan Mail Media]『from 911/USAレポート』 第161回のタイトルは「分裂という病理」でニューヨークの共和党大会をレポートしている。
、、、ですが、そのNYの活気が「カンザスの保守」をバカにするようでは、この国の復興はできないのでしょう。今回の共和党大会である極端なパワーを見せつけた「草の根保守」や「若者中心のアンチ・リベラルの新保守主義」の背景には、自分たちのコミュニティの自尊心が失われていることをベースに、テロの恐怖に対して勝手に自分の感情を移入し、国家に自己を投影しながら他者を排斥する、そんな心理が潜んでいます。他でもないテロの被災地であるNYが、かえってそうした「草の根保守」と対決していってしまう、病理としか言いようのないこの現象に出口はないのでしょうか。来週の911三周年、そしてこの秋の選挙戦を通じて、そうした病理が何らかの形で乗り越えられてゆく、そんな筋道はないのでしょうか。心からそう思います。
思うに米国の大統領選挙は彼ら米国国民のアイデンティティを問うものであろう、それがタコ壺的草の根保守であるならば、世界は21世紀も戦争の世紀に晒されることになる。
追記:金平茂紀のホワイトハウスから徒歩5分にも共和党大会を取材しての私見が書かれている。
朝から蝉の鳴き声で賑やか。
蝉の鳴き声が谷岡ヤスジのマンガのようだ。
木陰で涼むタロ
地平線の彼方で畑を耕すタゴ
入道雲
そして蝉
ガシ、ガシ、ガシ
ミーン、ミン、ミン
ツク、ツク、オーシ
谷岡ヤスジの描く、村(ソン)の夏
谷岡ヤスジはオノマトペ(擬音)の天才でもある。
谷岡ヤスジ傑作選・天才の証明
1999年12月5日 初版第1刷発行
実業之日本社
定価 本体1500円+税
ISBN4-408-61206-6
1999年6月14日に亡くなった谷岡ヤスジの追悼出版
装丁は南伸坊
今朝の東京新聞はみやこ新聞欄に【また会いましょう ABC(青山ブックセンター)】の記事がありました。(日が経つと記事に直接アクセスできませんが、バックナンバーからアクセスできます。)
青山ブックセンターの店員はアルバイトも含めて店舗再建に備えて自宅待機中だそうです。ガンバレ!ABC!
LANDshipの秋山東一氏とGEODESICの栗田伸一氏のコラボレーションによる「Be-h@usの本」が届いた。発行人は九天社の沖山克弘氏、カバーデザインは高橋貴子さんである。皆さん、ソフトバンクから出したCD-WORKSHOPシリーズの拙著MiniCad篇でお世話になった方々である。僕にとって行間から作り手の顔の見える本でもある。
「Be-h@usの本」
秋山東一 著
ジオデシック 監修
株式会社 九天社 発行
ISBN4-86167-008-X
定価(本体3000円+税)
「Be-h@usの本」には僕と秋山さんとのMacintoshを通じての出会いについても触れられている。初めて下北沢の事務所を訪れお会いしたのは1990年の3月頃であるが、それ以前に秋山さんとは何度かニアミスをしている。1975年、まだ僕が高木滋生建築設計事務所に務めていた頃、山中湖は賛美が丘の別荘を担当していた。その時、丸格建築の羽田社長から、唐突に「秋山さんを知っている?高木さんの後輩だって、」と言われ、差し出された秋山さんの図面を見て、「お会いしたことはないけれど、東孝光さんの事務所にいた人ですね。」と、脳内リンクが繋がった。当時の高木事務所の所員が行く居酒屋の定番は新宿の傳八であった。その傳八で、高木さんの芸大時代の同級生の曽根幸一氏の事務所に務めていた平瀬氏に偶然お会いしたとき名刺を頂いていた。曽根幸一氏は山中湖のアトリエ(施工丸格建築)を雑誌に発表したばかり、平瀬氏はその担当であった。平瀬氏も高木事務所に一時在籍していたことがあり、僕が頂いた名刺で高木さんが平瀬氏に電話をして丸格建築を紹介するように要請して業者が決まったのであった。平瀬氏はaki's STOCKTAKINGのエントリーにある「東アジア世紀末研究会」のメンバーでもあった。その後、新宿の傳八は青山、銀座へと進出、店の内装設計は秋山さんによるもの、工事は高木事務所にも出入りしていた簗田氏と、どこかで人間関係の間接的な繋がりがあった。従って、秋山さんと初めてあったときも、既に共通のコンテクストがあったので昔から知っているような感じであった。
昨日、asahi.comを読んでいたら「青山ブックセンターが営業中止」の記事が目に止まった。
要するに倒産と云うことなのだろうが、「青山ブックセンター」は建築関係書籍(但し、デザイン系)の品揃えも豊富な書店だっただけに残念である。「本屋は散歩の途中で」で書いた通り、昔は仕事を終えて南青山から西麻布にでて、六本木WAVEでCDを物色した後、麻布警察の並びにある「青山ブックセンター」に立ち寄るのが、夜の散歩の定番コースだった。最近は江戸方面に出掛けた時は新宿ルミネの「青山ブックセンター」を利用していたが、これで新宿で立ち寄る本屋を変更しなければいけなくなった。そういえば紀伊国屋書店本店のある新宿東口にはこの数年の間、立ち寄った記憶がない。(秋山さんの「本屋あるいは書店」の説の通り、ワンフロアーに全てが納まっていない書店はあまり好きになれない。)
2004.07.30追記
7/29日付け東京新聞夕刊のコラム。
9坪ハウス狂騒曲 萩原百合著 光文社・知恵の森文庫 ISBN4-334-78292-2 定価900円
スミレアオイハウスと名付けられた9坪ハウスの住まい手による、計画から着工、引っ越し、生活、改装と、今日までの9坪ハウスの日常を綴った物語である。そこには、不安、とまどい、決意、喜び等が主婦の目線で正直に語られている。増沢洵による「最小限住宅」の原寸大の骨組み模型を引き取った、リビングデザイ ンセンターOZONEに務める夫と書籍編修に携っていたらしい妻と二人の娘が施主一家となる、この9坪ハウスの新築は計画当初から増築するかどうか悩んでいたという、その理由は、、、、。
このスミレアオイハウスがNHKの午前中の番組で紹介されていたときに、偶然見た事がある。確か、収納がテーマの放送だったような、、気もするが、はっきりと憶えていない。その番組の中で、二人の娘が個室を主張し始めたということが、9坪ハウスの新しい問題となってきたと語られていたが、本書では既に問題解決されていた。
スミレアオイハウスの現在はここから、9坪スタジオ
デザイン住宅 9坪ハウス
スミレアオイハウスの原形となった。最小限住居--自邸(1952)
最小限住居は移築されていた。住宅再訪ー淀川邸(旧増沢自邸)
同じ、建築家・増沢洵による住宅建築の名作、あの「最小限住宅」を、その精神、その合理性を現代に蘇らせたいというコンセプトで、Be-h@us(ビー・ハウス)のBe/606/BOXは縦横3間角の9坪の平面を、現代的な「集成材・金物・パネル」による工法で、メーターモジュールの Be-h@us 6m × 6m として、正方形のプラン、箱状の躯体の2階建の住宅を、システマチックな考え方で、セルフビルドが 可能なキット化された、新しい時代の「最小限住宅」を作りだしている。
増沢幸尋氏と秋山東一氏。Masuzawa Architect & Associates
最小限住宅をリメイク。Be/606/BOX
aki's Stocktaking/Be-h@us
氷河鼠の毛皮 たむらしげる著 ふゅーじょんぷろだくと ISBN4-89393-405-8(970円+税)
【たむらしげる自選作品集】とあるように1980年代に「ガロ」「コミックトム」「マンガ少年」「デュオ」に発表された作品が収録されている。その中で「コミックトム」に発表された「氷河鼠の毛皮」が宮沢賢治原作によるもので、他はすべてオリジナル作品。「氷河鼠の毛皮」はそれまでの画風より更にアーティスティックになっている。後書きには40ページの原稿に3ヶ月も掛かり、(商業的な)漫画家に向かないことを痛感したと書いてある。本書にも収録されている「銀河の魚」のアニメーション化の時も初めは原画全ての彩色まで自分の手で行うつもりでいた。しかしそれは制作側のソニーから時間的制約もありアニメーターを使うよう諭された。クライアントや編集者を納得させるよりも、自分を納得させるのが一番難しい、彼はそういう人である。
「氷河鼠の毛皮」は潮出版社より1985年に出版されたオムニバス版の「宮沢賢治・漫画館」に収録されている。
建築はほほえむ 松山巌・著 西田書店 ISBN4-88866-385-8 (定価1300+税)
松山巌氏の【建築はほほえむ】はこれから建築を学ぼうとしている若い人たちに向けて書かれた本だ。だからと言って教条的な押しつけがましさはない、あたり前のことをあたり前の言葉で書いている。建築に興味があったり、関心を寄せている人は何故、自分がそうなのか、著者の言葉の中に答えを発見するだろう。著者は繰り返す「気持ちの良い場所、好きだなと感じる場所」のことを、そしてそれが小さな場所であることを。
小さな場と細部について熟考したときに、
新鮮な建築がつくられるだろう。新鮮さとは、楽しく使われ、続けること。
多くの人々の手が、触れる建築の細部にこそ、
その建築を日常使う人たちの、経験の核へと、蓄えられる。
戦争に勝ってはいけない本当の理由(ワケ)--白旗原理主義あるいは「負けるが勝ち」の構造--
原題:The WHTE FLAG PRINCIPLE
シモン・ツァバル・作 藤井留美・訳 バジリコ株式会社・刊
もしも、ブッシュ大統領に読み書き能力が備わっていると仮定した上で、彼がこの本を読んでいたとしたら決してイラクに手を出さなかったであろう。
戦争に勝っても戦勝国に何の利益ももたらさないこと、逆に占領支配するための経済的損失、敗戦国への同情、戦勝国への批判等、戦勝国の国民が得る利益よりも損失が遥かに上回ることを筆者は述べている。正に現在、イラクに於ける米国の立場がそうである。
歴史的にも奢れる勝者の行く末を待ち受けるものは惨めな敗北である。戦争、経済、スポーツ、どれをとっても勝利の美酒に酔いしれ、真当な判断力を失っているときこそ、既に敗北へのプロローグが始まっていると考えなければいけない。真に優れた経営者は撤退の時期を見失わない。その時期を見失った経営者は多大な負債を抱え、全てを失うことになる。
首相、人質家族の面会拒否
人質家族、アルジャジーラに出演へ イラク世論に訴え
パンドラの時代 池澤夏樹
Japan Mail Media編集長・村上龍によるメールマガジン、Web上では最新号しか閲覧できないので無料配信を申し込む。週末に配信される冷泉彰彦氏(作家・米国ニュージャージー州在住)の『from 911/USAレポート』が秀逸、最新レポート「自衛隊は即時撤退しても日米同盟は壊れません」これは既にWebでは読めません。
(冷泉彰彦氏のメールマガジンによるレポートは秋山東一氏から教えてもらいました。)
イラク邦人人質 崩れる政府の論理 東京新聞
日本も標的 エンドレス 膨らむコスト 東京新聞
イラク自衛隊 シーア派デモの恐怖 東京新聞
アルジャジーラ・アラビア語版MacOSXはアラビア語を奇麗に表示しますが、まったく読めません。
アルジャジーラ・アラビア語版のニュースサイトで紹介された高遠さんのイラクでの活動を伝える写真
アルジャジーラ・英語版の拉致関係ニュース
イラク派遣 揺らぐ『有志連合』 東京新聞4月11日
たむらしげるくんから新しい本が届いた。
「結晶星 」ISBN4-88379-153X 発行:青林工藝舎 定価(本体1600円+税)
収録作品の多くは80年代に雑誌「ガロ」に発表されたものである。書籍タイトルの「結晶星」と巻頭の「夢のかけら」を除いて、絶版や在庫切れとなっている「スモール・プラネット」(青林堂1985年)と「水晶狩り」(河出書房新社1986)に収録されているものであるが、今回の「結晶星 」への収録に際して、よりオリジナルに近い二色刷りによる「たむら・ワールド」を再現している。
カバーを外してみると、洒落た装丁なので誰がブックデザインをしたのか奥付をみたら、本人が自身でデザインしたものだった。成程このくらい、パッケージ・デザイナーの経歴をもつ彼には朝飯前なのだ。
「スモール・プラネット」(青林堂1985年)
「水晶狩り」(河出書房新社1986)
九龍城探訪 魔窟で暮らす人々 グレッグ・ジラード/イアン・ランボット
イースト・プレス刊 ISBN4-87257-423-0 定価3500円(本体)
1993年に取り壊された九龍城砦、その最後の姿をそこで生活する40人の人々を通して九龍城砦の正しく日常を伝えた記録である。
九龍城が魅力的なのは、その恐ろしいほどの欠点ゆえに、現代の建築家たちがどれほどお金や技術を投入しても作り得なかったものを、住民たちが独自に作り上げたという点にある。九龍城は「命ある巨大建造物」なのだ。、、、「不確定な風景-香港一九八七」
前文:ピーター・ポパム「インディペンデント・マガジン1990/5」
東京人3月号(200号記念)の特集「東京からなくなったもの」を見て、頭に浮かんだ言葉が「地上げ」である。「地上げ」と云う言葉が一般化したのは80年代からであろう。辞書で「地上げ」を検索してみたら電子辞典の「大辞林」にもアナログの新明解国語辞典第五版にも出ていない、「地上げ」なんてヤクザが使う下品な言葉は格調高い新解くんには相応しくないのだろう。それなのに新英和・和英中辞典には「地上げ」が出ている。不思議だが何故か納得できた。日本が不動産バブルで浮かれる、その前にはアメリカも同じように不動産バブルが起こりトランプ・タワーのトランプ氏が時代の寵児として持て囃される時代があった。同時代のニューヨークを舞台にしたテレビドラマ「刑事コジャック」では度々、マフィアと「地上げ」が絡んだテーマでドラマが作られていた。だから、日本ででヤクザが「地上げ屋」に進出した話を聞いて、真っ先に思い出したのが「刑事コジャック」のことだった。日本のバブルがアメリカのそれよりも質が悪いのは「地上げ屋」に資金援助したのが大手銀行だったということだ。そのツケが廻り廻って公的資金援助となって国民が支払わされている。しかし「地上げ屋」とグルになって悪事を働いた輩が誰一人ブタバコに入っていないことの方が大問題である。
特集「東京からなくなったもの」の、95人の執筆者のコラムの一つ一つの内容は共感をおぼえ、納得できるものが多い、しかしそれが特集全体となると「ノスタルジー」として括られている。結局、同じ雑誌の小特集で「2004年、都心大変貌地図」と称して再開発プロジェクトの特集を組んでいるが、そこに批判的な精神は微塵もない。つまりは大特集「東京からなくなったもの」は前座で、真打ちが「2004年、都心大変貌地図」なのである。「東京からなくなったもの」を「ノスタルジー」として葬り去る為の仕掛けのような気がする。云わばガス抜き効果。
今日(2004年2月14日)の東京新聞朝刊に「フランス寓話が問いかけるもの」というタイトルで「Matin Brun(茶色の朝)」が紹介されていた。茶色はファシズムの象徴、「ファシズムの危険は市民の事なかれ主義に潜む」とある。
ベンヤミンによれば、ファシズムの美学は「偽りの古典主義的調和、有機的全体主義、社会的矛盾の虚位の妥協と統合」であるとする。これは明治政府が確立した国体思想にそのまま当て嵌めることができる。大東亜戦争の敗北を軍部と軍国主義者の暴走と責任転嫁する考えもあるようだが、尊王攘夷思想を核とした明治維新以降の日本の近代化はファシズムへの道を歩むことを始めから余儀なくさせられていたのである。
Blogを世界中に認知させることになったサラーム・パックス(Salam Pax)のBlog「Where is Raed ? 」が翻訳されて本になっていた。面白そうなので早速Amazon.comに注文してしまった。(流石 Amazon.com だ。翌日の2月13日、午前10時には配達された。)
このBlogは昨年のNHKのETVスペシャルで池澤夏樹が紹介していたものだ。その池澤夏樹もサラーム・パックスに刺激されてか去年の9月からBlogパンドラの時代を始めている。尤も、この池澤夏樹のBlogはツッコミを受け付けない一方通行なのは人気作家故に致し方ないところであろう。
他にも興味深いBlogがあった。Baghdad Burningはイラクの女性による戦争・政治・占領を話題にしたBlogを翻訳した日本語バージョン。
どうやら、Salam Pax(ペンネーム)は設計事務所(給料が遅配、、)に勤める建築デザイナーらしい、AutoCADのレンダリングツール「3D Studio VIZ」で仕事をするのが好きだと書いてある。(理由はのろまなコンピュータがレンダリングしているときデビッド・ボウイなどを聴いて飛び跳ねていられるから、)因みに「Where is Raed ? 」のラエド(Raed)はヨルダンからバグダッドの大学の建築学部に留学していた友達のこと、大学卒業後、アンマンに戻った。
今朝(2月5日)の東京新聞朝刊・こちら特報部は「ベトナム帰還兵が語る 本当の戦争」だ。元海兵隊員アレン・ネルソン氏の証言が語られている。1月15日付けの東京新聞では「イラク駐留米兵の自殺増」と云う記事があった。
陸上自衛隊がイラクに派遣された以上、この記事は他国の事ではなくなる。外務省職員がイラクで殺害された件に関しても、政府は事件の真実を明かさないでうやむやのまま葬ろうとしている。そしていま、陸上自衛隊は情報管制下におかれている。
数年前にベストセラーになった「平気でうそをつく人たち」の作者・M.スコット・ペックは1963年から1972年まで米軍所属の精神科医であった。多くのベトナム帰還兵の治療体験から「平気でうそをつく人たち」の第五章「集団の悪について」ではソンミ村虐殺事件を取り上げている。
米国民主党の大統領選候補者指名争いで一歩リードしているケリー氏はベトナム帰還兵から一転してベトナム反戦運動に身を投じている。
地獄を見た人たちが平和を訴えるほど確かなものはない。もう小泉純一郎の絶叫は見たくも聞きたくもない。
「国際政治は複雑だという点を、先生がもっと教えるべきだ」と小泉純一郎が教育関係者や子供たちを恫喝していますが、2月7日付けの東京新聞はこの問題を追及イラク派遣 首相発言に学校は…、、これで益々、メディアリテラシー教育の必要性を感じます。
国会中継を見ると、戦争オタクのバカボン・石破のソフト答弁戦略に野党は翻弄されたりして、まったくだらしないですね。
バカボンのパパははっきり「参戦の反対なのだ!」と言ってます。
高木滋生建築設計事務所「四十周年と出版を祝う会」のパーティが2月2日に静岡駅南口前のホテルセンチュリーで開かれた。その日が高木さんの68歳の誕生日ということで、二重のお祝いとなった。静岡県知事や静岡高校の同級生で前金融担当大臣の衆議院議員柳沢伯夫氏、大阪芸大名誉教授で建築家の高橋てい一氏(ていは青に光)、陶芸家の會田雄亮氏の御挨拶で始まった宴は9時前に予定通りにお開き、高木事務所で70年代を過した諸先輩・同僚と静岡駅近くのバーで二次会、新幹線の最終で無事帰宅。
建築家のわがまま住居学 発行:企業組合建築ジャーナル
内容は75年に建築した自邸の増改築・リフォームを通して、一般の人に語りかける住居論です。そう云えば僕もこの高木さんの自邸の図面をお手伝いしたことを思い出しました。
「明治・大正を食べ歩く」 森まゆみ PHP新書
これは地域雑誌「谷根千」の編集人であり、最近はNHK教育放送・人間講座「こんにちは一葉さん 〜明治・東京に生きた女性作家」の講師を務め、樋口一葉の研究家でもあり、家庭の主婦であり、母でもある作家・森まゆみが書いた食べ物にまつわる本である。
この本で取り上げている店は大正以前に創業された飲食店、それも彼女の守備範囲である谷中・根津・千駄木を中心に、ちょっと足を伸ばせる所まで、そして紹介されている約半数の店は子供時代に両親と一緒に訪れたことのある店だそうである。江戸の風俗なら杉浦日向子、明治・大正なら森まゆみと言ってもよいくらい豊富な知識に裏付けされた文章は、飽くなき取材によって得られたものであろう。それも図書館のかび臭い文献だけではなく、今を生きている人びとから聞き出したものであることがこの本にリアリティを与えている。これは彼女の資質・人格によるところが大きいのではないかと思える。取材するにしても店だけでなく、その周辺、町内会長まで訪ねて世間話を交えながら昔話を聞き出す、これは一つの才能である。物腰の柔らかな語り口と穏やかな風ぼうは、取材される側の心のバリアーを取り払うに違いない。
第一章の浅草・上野・根岸編では
子どものころ、母に「根岸の里の侘び住い」とつければ何でも俳句になる、と教わったことがある。という下りがある。子どもにそんなことを教える母親とはどんな人だろうと思っていたら、後書きに「芝生まれの父と浅草育ちの母に、、」と書いてあり、なるほど合点がいった。その後書きにはこう続けられている。
ということで、居心地のよい店というと、明治・大正からやっているような、それでいて老舗を鼻にかけない、時代に対応しての努力も怠らない、小粋で気分のよい店ということになる。食べ物の本は少なからず作者の趣味趣向が左右するものであるが、それにも関わらず読者を満足させるのは、確かな取材によって得られた情報でしかないことを実感させる本である。
中略
創業当時の主人の想い、開店の経緯、持続の経緯などは案外わからないものなので、できるだけ店の人の話を聞いた。これは、いうところの食べ歩きの本ではなく、飲食の商売人の立場から見た、日本近代史といえるかもしれない。
Nemoと云えば今はディズニーとピクサースタジオの映画「Finding Nemo」を連想するのが普通なのだろうが、今から凡そ100年前のウィンザー・マッケイによる新聞連載漫画「Little Nemo in slumberland」は現在にも通じる映像表現を漫画の世界で実験していた。
「Little Nemo in slumberland」は第一期が1905年から1911年まで、そして第二期が1924年から1927年まで、ニューヨーク・ヘラルドの日曜娯楽版に連載された少年ニモが主人公のコミックである。夢の中で奇想天外・荒唐無稽な出来事や様々な冒険に遭遇するニモであるが、新聞一ページを占めるコミックの最後のコマはニモがベットから落ちて目が覚め、パパやママに叱られたり諭されたりするオチで毎回終わる。
僕が持っている「Little Nemo in slumberland」(夢の国のリトル・ニモ)は1976年に小野耕世の翻訳でパルコ出版から発行されたダイジェスト版だ。A4ハードカバーの本は当時でも値段が4500円と高く、一度も再版されたこともないようで、絶版されたままとなっている。これからも当分、再版されることもなさそうなので日本語で読める「夢の国のリトル・ニモ」はたぶんこれだけだろう。洋書でもダイジェスト版ならamazon.comから求めることができるが、amazon.comでも何故か古本の方が値段が高い。
本屋は散歩の途中で立ち寄るのが良い、本屋の中をブラブラするのも散歩の延長なのだ。10年以上経つが南青山の事務所にいたときは、仕事を終えて夜の九時十時から、散歩がてら西麻布に下り、そのまま六本木にでて、今は六本木ヒルズの再開発で取り壊されてしまったWAVEでCDを物色し、深夜営業書店の青山ブックセンターに立ち寄り、酔っ払いの間をすり抜けて、地下鉄乃木坂から帰るのが夜の散歩コースだった。六本木の青山ブックセンターも取り柄は深夜営業だけの、どこといって特徴のない書店だったと思うが、次第に映画、写真、建築の芸術系、思想系の書籍の品揃えが充実するようになり、次いでコンピュータ系の書籍の取り扱い量も増え、週に一度は立ち寄るようになった。
高尾の山里の住人となった今では、江戸東京に出向いたとき、新宿ルミネの青山ブックセンターに立ち寄るくらいであるが、店内にはスターバックスもあり、人と待ち合わせするときも書店を利用するようにしている。待たされても待たしても、暇つぶしには事欠かないのが宜しい。
新宿には紀伊国屋書店有り、だったが本店も高島屋隣の紀伊国屋南口店にも今は行く気がしない。やっぱり何層にも別れ、ワンフロアーに納まっていないのが、疲れるのである。
青山ブックセンターと云えば、昨日から明日まで洋書バーゲンを青山の本店(国連大学本部とオーバルビルの裏)で開催している。昨日、高円寺まで行ったついでに足をのばし、ジェームス・スターリングの75年から92年までの作品集12800円を2200円で買ってきた。作品集には東京フォーラムと京都駅のコンペ応募案も含まれている。スターリングがいわゆるポストモダンに嵌まっていた時期である。
東京人2月号の特集は「中央線人による文化人類学 中央線の魔力」だ。
よく言われるのが「中央線文化圏」と言うやつだ。この特集では、それを国立までと定義しているようだ。終点の高尾までにしろと異論を唱えるつもりはない。立川を含めない事にも異議を挟む事もしない、概ね納得できる範囲だろう。もう少し、範囲を狭くして、コアな「中央線文化圏」は土日祭日の中央線快速が停車しない駅の範囲ではないかと思う。つまり、高円寺、阿佐谷、西荻窪である。快速が通過する事によって、目的もなく「各駅停車の旅」をする酔狂な輩は訪れない。山の手でもなく、下町とも言えない、どこか屈折したエリート意識にも支えられた、都会に隷属することで成り立つ、かっての郊外の成れの果てが「中央線文化圏」なのだろう。
特集の中でも、興味を引かれたのが「旧日本軍関係施設・中島飛行機の都市伝説を追う。」中央線沿線の旧日本軍軍事施設に焦点を当てている。米軍の偵察機が1944年11月に撮影した中島飛行機武蔵製作所の航空写真と翌年1945年4月7日の空爆の写真が並列されている。つまり既に終戦の前年に帝都の制空権が脅かされていたのである。それから60年を経た今日に至るまで横田基地を抱える多摩地区の制空権は米国が掌握していると云う事である。中島飛行機武蔵製作所は現在の武蔵野市緑町、都営と公団の団地にNTTの電気通信研究所、それに武蔵野市役所のある地域である。昔から疑問に思っていた武蔵境と三鷹間にあった北に延びる軌道跡は中島飛行機武蔵製作所に続いていたのだった。中央線を挟んで南側には中島飛行機三鷹研究所があり、そこは空爆を免れていたようである。三鷹研究所の跡地は現在では国際基督教大学(ICU)と富士重工三鷹工場となっている。さて、本題の都市伝説であるが中島飛行機が終戦間際に米国本土への爆撃を企てるために開発した大型長距離爆撃機の「富嶽」が国際基督教大学にある地下壕に隠されている、と云うものであるが、その結末は東京人2月号を読んで下さい。
中島飛行機武蔵製作所が米軍の空爆によって殲滅された後「、、浅川地下壕に移転して、細々とエンジン生産を続け、、」と云う記述がある。浅川地下壕についてはそれだけで詳しい記述は省かれているので、地元民として補足しておく。浅川地下壕は中央線終点高尾駅(旧浅川駅)の南西、現在の三和団地から高乗寺にかけての地下一帯に張り巡らされている地下壕である。浅川地下壕の当初の目的は大本営の避難先として建設されている。建設に従事した労働者の多くは朝鮮半島から徴用で強制的に連れてこられた人びとである。小学校のクラスメートの約一割が彼らの息子や娘であったことが其の事を証明していた。大本営の避難先はその後、長野の松代に計画された為、浅川地下壕は地下の軍需工場として終戦を迎える事になる。浅川地下壕への入り口は現在では一ヵ所だけ京王高尾線の高尾と高尾山口間の線路脇に残されている。浅川中学の体育館の裏にも地下壕への縦穴の跡があったが、それは子供の頃には既に埋め戻されていた。浅川地下壕には公開されたときに一度だけ入った事がある、X座標とY座標の碁盤目状に規則正しく隧道が掘られている。迷宮のようなヴァーチャルな空間はそのままコンピュータゲームのサイバースペースに紛れ込んだようでもある。第二次世界大戦が歪んだファンタジーの暗黒面によってもたらされたとするならば、浅川地下壕のヴァーチャルな空間は悪夢による遺構であろう。
たぶん、浅川地下壕の一般公開は今でも年に一度くらいは行われているのではないだろうか。
家庭画報2月号の「麗しのヴェネト 北イタリア世界遺産の館を巡る」は現地取材による美しい写真満載の特集であるが、困ったことにテキストに間違いや曖昧な表現が目に付く。中でもヴィチェンツァの紹介には「新古典主義の巨匠パッラーディオが築いた世界遺産の街、ヴィチェンツァ」とサブタイトルがあり、その本文を一部引用すると、、
このバシリカの設計中にローマを旅した建築家が永遠の都で見た古典主義の威風堂々たる建築に大いに影響を受け、独自の新古典主義に発展させたであろうことは想像に難くありません。引用個所には曖昧な表現と間違いがある。先ずは古典主義をどのように定義しているのか定かでない。建築四書にあるように彼が影響を受け、実測したのは古代ローマの遺構や建築である、それは古典と呼ぶべきでものあって、決して古典主義の建物ではない。仮に先達による古典主義のルネッサンス建築を見たとしても、圧倒的な古代ローマの遺構や建築に比べたら影響はいかほどのものであろうか。また、新古典主義はロココの後の時代を示すものであって18世紀半ばから19世紀の半ばに現われた古典主義芸術を云うものである。従って16世紀の建築家であるパッラーディオを「新古典主義の巨匠」としたら間違いなく美術・建築史の成績は落第点となる。100歩譲って18世紀や19世紀のトーマス・ジェファーソンをはじめとする建築家達によってパッラーディオの建築が見直され、多くのパッラーディアンニズム建築を生んだと云う事実があったとしてもパッラーディオを「新古典主義の巨匠」とは言いはしないのである。
今使っている1993年発行イミダス付録の「最新版 外来語・略語辞典」が10年も経て、決して「最新版」とは言えなくなったので、三省堂のカタカナ類語辞典を買った。コンパクトで値段が1800円と手頃な事と、普通にカタカナ語辞典でなく類語辞典になっていて、面白そうに思えた。やっぱり、その言葉の意味だけでなく関連表現も解ったほうが、成程と腑に落ちるだろうと考えた。
しかし、1800円で538ページ、カタカナ語5000語はイミダス付録「最新版 外来語・略語辞典」の7000語より2000語も少ない。従って当然あってよさそうな言葉がでてない。例えば「シミュレーション」のように新明解国語辞典にさえ出ているようなカタカナ語がなかったりする。ん〜「オフサイド」もないぞ、三省堂編修所のオヤジ達はスポーツやIT分野に弱そうだ。
ところで類語辞典と云えば大修館書店から日本語大シソーラス・類語検索大辞典が今年の9月に出た、値段は15,000円也。新聞書評か何かで著者は未だもう一冊分くらいの類語辞典を作れるくらいのデータがあるとかないとか書いてあったので、どんなものかと八王子の三省堂書店に行ったとき立ち読みをした。成程、一つのキーワードに対しての関連表現の内容が濃い。しかし、いかんせん15,000円の値段と辞書のサイズがハードルだ、後は分類法が好みに合うか、それに横書きも好みが分かれそうな気がする。
実は類語辞典にちょっと興味を持ったのは今年の1月に秋山さんからこんなメールを頂いたことがきっかけだ。
最近、下北の本屋に講談社の「類語大辞典」が平積みになっていた。ぱらぱら見ているうちに、急に欲しくなってきた。
今まで持っていた類語辞典は、創拓社とかいうところの「類語表現活用辞典」というやつで、何か活用したということもないし、どうして買ったのかも記憶がない。とにかく、衝動買いをやめて「類語辞典」なるものはどんなものがあるのかを調べてみることにした。
こんな時、下北にも三省堂があるのは助かる。早速、辞書売り場で各種比較してみることにした。
この手の辞典は欧米では「シソーラス」 [thesaurus]というらしい。そして、角川「類語新辞典」なる黄色い辞典に決定、買い求めた。買い求めた理由は、なんといっても、その語彙分類体系の潔さに感動したからだ。A自然、B人事、C文化の3分類から始まり、10×10のマトリックスに拡げ、その1項目を再び10×10に拡げ、細分化する。その体系表の中に、あらゆる言葉を収める。すごい。
この辞典って大変有名なものであったらしい。やっと私も手に入れました。
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秋山東一 LANDship architects,inc.
「NO LOGO」ブランドなんか、いらない ナオミ・クライン著、松島聖子訳(はまの出版 2001年5月)
この本を知ったのは2002年3月のメディア・リテラシー研究報告会「メルプロジェクト・シンポジウム」に於ける報告者であるカナダ・メディア・リテラシー協会のバリー・ダンカン氏の推奨によるものだった。
カナダに留学経験のある友達に聞いた話ではカナダ人ほどアメリカ人を嫌う国民はないと云う、特に欧州を旅行する際には「アホで間抜けなアメリカ白人」と間違えられないように国旗の赤いカエデのタグを身に付ける人もいるという。情報の流入に関してアメリカとカナダには国境はない、止めどなく押し寄せる情報に対して、自らのアイデンティティを保つには情報の行間に隠された文脈を読み解く技術を身に付けることが彼らには求められている。そういえばメディア研究の先駆者マクルーハンもカナダ人であった。
「NO LOGO」はコンテンツを読んで判る通りに、反グローバリズムの立場から多国籍企業の非民主的な企業活動を批判したものである。執筆には4年の歳月を掛け、その内二年間はリサーチに費やしたことからも、単なる思いつきからでも、反対のための反対という動機づけでもない。理想は搾取や支配や隷属のない民主的な企業経営によって成り立つ世界である。
本来、社会や行政は企業が暴走しないように歯止めを掛けなければいかないのだが、米国に習ってか此の国の政府も企業の暴走に力を貸しているようにも思える。先日の文芸春秋の新聞広告で「◎少子高齢化ニッポンの未来 死に物狂いで成長を実現せよ 我々は新しい繁栄の時代の出発点に立っている 奥田碩」とトヨタの会長が吠えていたのを見て、「死に物狂い」の言葉が軍国主義の残像のように思えて仕方ない。
「NO LOGO」ブランドなんか、いらない ・・・・目次
第1部 ノー・スペース【奪われた公共空間】
1) 新しいブランド世界(ブランドの誕生、死、復活)
2) ブランドの拡大戦略(ロゴはいかにして中央舞台に立ったか)
3) クール・マーケティング(狙われた若者市場)
4) ブランドの学校進出(キャンパスに入り込んだ企業広告)
5) 愛国心はファンキーだ(取り込まれたアイデンティティ政治)
第2部 ノー・チョイス【奪われた選択肢】
6) 増殖するスーパーブランド(新・フランチャイズ爆弾)
7) 合併とシナジー(エリートたちのユートピア)
8) 企業による検閲(ブランド村のバリケード)
第3部 ノー・ジョブ【奪われた仕事】
9) 見捨てられた工場(製造なんて、くだらない)
10) 先進国の労働者いじめ(タダ働きから「フリーエージェント」まで)
11) 忠誠心がなくなるとき(怒れる若い労働者)
第4部 ノー・ロゴ【そして反撃は始まった】
12) カルチャー・ジャム(攻撃された広告看板)
13) リクレイム・ザ・ストリート(自由空間を取り戻そう)
14)悪いムードの高まり(企業の悪が暴れるとき)
15) 反撃の嵐(反ブランド運動の戦略)
16) 三つのロゴの物語(ナイキ、シェル、マクドナルド)
17) 地域のボイコット(学生と地方政府の反ブランド戦略)
18) ブランドを超えて(反企業運動の落とし穴)
終章) 市民がつくる新世界(「グローバル・コモン」を目指して)
13カ国いうたらあかんディクショナリィ
言ってはいけないことばの本 開高健・企画 講談社+α文庫
声に出して読めない日本語は二つに分類できる、読めるけれど声に出せないタブーに関するものと、全く知識がなくて読めないものだ。タブーに関してはいわゆる四文字言葉の代表「お○○こ」と云った性的な俗語・卑語、つまりスラングの類いがある。他にはかつての不敬罪にあたる天皇制や皇室に関してのタブーや政治的タブー、それに被差別部落、在日朝鮮人、障害者に対する差別意識からくるタブーもある。
「お○○こ」に関しては奈良女子大から東大教授に栄転?した上野千鶴子が「スカートの下の劇場」でそのタブーを破ったことで知られているが、教授が日常的に声に出してまで言ってるかは知らない。
70年代に「四畳半襖の下張り」を雑誌・面白半分に掲載したことで、発行人・佐藤嘉尚と編集人・野坂昭如が猥褻図書販売の咎で起訴されたことがあった。「四畳半襖の下張り」を声に出してスラスラと淀みなく読める日本人がどれ程いるのか、ましてやそれによって情欲をもよおすとしたら、相当な知識人であることは疑いない。雑誌・面白半分は一年毎に作家を編集人に置いて、その作家の好みで雑誌編集するのが売りであった。開高健が編集人のとき付録で「いうたらあかん・ディクショナリィ」を付けた。雑誌から付録を切り抜いて自分で豆本を製本するというものであった。この「いうたらあかん・ディクショナリィ」のメインはやはり四文字言葉である。初代文化庁長官の今日出海がフランスはパリを訪れ自己紹介した際に淑女達の顰蹙をかったという都市伝説もこの「いうたらあかん・ディクショナリィ」でその意味を知った。数年前に文庫本になった面白半分の付録「いうたらあかん・ディクショナリィ」を見つけたのは偶然であるが、もちろん躊躇することなく買い求めた。
たむら君から絵本と豆本が送られてきた。福音館書店の月刊予約絵本「こどものとも 0,1,2,」の1月号【ごろんこ ゆきだるま】と豆本はマッチ箱大の「PHANTASMAGORIA museum tour」だ。
「こどものとも 0,1,2,」はゼロ歳児から二歳児までを対象とした子供が初めて出会う絵本だ。製本は見開きが一枚の絵になるように観音開きになっている。観音開きのページは一枚一枚貼り合わせになっているので、子供がちょっと乱暴に扱っても良いように本の造りはとてもしっかりしている。
たむら君はMacintoshを使って絵本からアニメーション映画までつくってしまう人だが、こんどの絵本【ごろんこ ゆきだるま】の下絵はコンピュータを使っていない。下絵はぜんぶ布地を使った手縫いの作品となっている。それも縫うだけでなく、生地の染め付けから自分でやっているのだ。
【日本の「村」再考】--くたばれ近代化農政-- 山下惣一著 現代教養文庫
山下惣一氏の名前を知ったのは10年以上前、東京新聞の「本音のコラム」に執筆している頃のことだった。そのコラムには稲作を中心とした水利権と村社会の仕組み等、都市で生まれた人間にとって興味深い、目からウロコが落ちる話が毎回綴られていた。それまで、僕は農業について何も知らず、まったくの無知で、コラムを読むたびに自分を恥じる思いがした。この本は1936年生まれの氏が20代後半の1975年に刊行した同名の書籍を1992年に文庫本におさめたものである。文庫本の後書きにはこう記されている。
・・・・・この本のサブタイトルは「くたばれ近代化農政」であったが、どうやらくたばったのは、あるいはくたばりかけているのは、村と農民の方だった。この本を書いた直後から農業は国際化の波に飲み込まれ、ほんろうされつづけてきた。多くの百姓が農業を投げ出してしまった。別の言い方をすると農業から追い出されたのである。・・・・・多くの農家が200万未満の農業収入しかないなかで、近代化に伴う農耕機械導入によって農協への借金返済に追われ、農業以外に現金収入を求めなければならない現実を考えると、この一年あまりに立て続けに起きている農作物の盗難被害は、まったくやりきれない思いにさせられる。
先日、八王子のヨドバシカメラに行ったついでに駅前のスクエアビルにある三省堂書店に立ち寄った。建築系、PC系の売り場を覗いてから、社会科学系の売り場を通り過ぎる時、一冊の本が目に付いた。手にすると小説である。何故この売り場なのかと出版社名を見ると青土社だ。なんとなく納得して、元に戻した。歩き出し二三歩過ぎてから立ち止まり、買うことに決めた。本が読んで欲しいと叫んでいるように思えた。
【僕はどうやってバカになったか】マルタン・パージュ作、大野朗子訳
青土社刊 ISBN4-7917-6073-5
いわゆる最近流行の「自分以外みんなバカ系」の本ではない。フランスの新進作家マルタン・パージュが描いた21世紀の寓話である。プロローグの一文から小説に引き込まれていく。
アントワーヌには、あまり友だちがいなかった。ひじょうに寛容で物分かりがよすぎたことから社会に適応できず、辛い思いをしていたのである。彼の趣味は何物をも排除せず、雑多だったので、嫌いなものを共有することで成り立つ派閥から閉め出されていた。
主人公のアントワーヌが社会参加を阻む障害を取り除くために選んだ解決法。
1、アル中になろうとしたが体質が合わずに断念。
2、自殺の決意、非営利団体の自殺講座を受講、講義の後に断念。
3、精神安定剤と抗鬱剤の服用
そして、アントワーヌが「ウーロザック」を飲んで知性を捨て去り、バカになるためにしたこと。
1、大学の非常勤講師を辞職する。
2、マクドナルドに行く。
3、理髪店に行く。
4、ナイキ、リーヴァイス、アディダスを買う。デパートにも行き上着も買う。
5、ゲームセンターに行く。
6、ジムに行く。
7、浪費癖がたたり銀行残高がなくなる。
8、職業安定所に行く。学位と学歴が役に立たないことを知る。
9、高校の同級生を頼り就職する。
10、金融トレーダーになりヤングエグゼクティブになる。
11、・・・・・・・・・
これは以外なエピローグの為の序章でもある。
翻訳の妙もあるのだろう、テンポよく爽快に読むことができた。
読み終えて、映像化したら、とても面白い作品になるだろうと考えた。その各シーンを想像するだけでも二重に楽しめる小説だ。
主人公・アントワーヌは意を決してバカになったが、僕は何の努力もせずにバカになっていた。
思い起こせば、小学生になり義務教育とやらを受け始めてから、バカの坂を転がり落ちるようにバカになっていった。小学生になる前の方が僕は幾らか分別が有ったように思える。両親が僕を幼稚園に入園させようとしたとき、僕は幼稚園がどんなところかリサーチした。先ずは、その幼稚園に出かけ金網越しに園児の様子を見学した。大人は嘘をつくことが分かってるから、次にその幼稚園に通っている近所の同い年の子を尋ね、幼稚園で何をするのか教えてもらった。それで僕の出した結論は幼稚園に行かないことだった。両親の「幼稚園に行けば何でも買ってあげる。」という誘惑に挫けそうになったけれど、僕は自分の意志を通した。僕の人生の中でこの時期が一番聡明だった。
好きな漫画家は、杉浦茂、谷岡ヤスジ、山上たつひこ、この三人だけ、何れもギャグ漫画に分類されている作家だ。二人は既に他界し、山上たつひこも漫画家を廃業しているから、もう新作を見ることは不可能なので、自ずと漫画の世界には疎くなっている。
復刻版の猿飛佐助(ペップ出版)カバー(左)と表紙(右)
物心ついた頃に既に「冒険王」「少年」「少年画報」「おもしろブック」等の少年向け月間漫画雑誌が家にある環境で育ち、小学生になる前に文字を覚えたのは漫画を読むためだった。なかでも「おもしろブック」に連載された荒唐無稽かつシュールな「杉浦茂の猿飛佐助」は何度も繰り返して読んだ漫画だった。子供の頃は遊びと現実とが未分化のまま、目眩く世界を僕らは生きていた。杉浦茂の漫画は正にその世界そのもの、あり得ない事こそが想像力を育てる栄養源だった。
赤塚不二雄の「レレレのおじさん」や「つながり目玉のおまわりさん」は杉浦茂のキャラクターの影響だし、楳図かずおのグワッシュの手形サインもそのオリジナルは杉浦茂なのだ。