June 19, 2008

ロシア 闇と魂の国家

ロシア闇と魂の国家 (文春新書 623)
ブックカバーの見返しに『「ドストエフスキー」から「スターリン」、「プーチン」にいたるまで、ロシアをロシアたらしめる「独裁」「大地」「魂」とは何か。かの国を知り尽くす二人が徹底的に議論する。』と書かれている通り、ドストエフスキーの新訳文庫が評判のロシア文学者・亀山郁夫と起訴休職外務事務官で作家の佐藤優と云う二人の知性がロシアの近代と現代そして未来を様々な切り口からロシアを構成しているレイヤを徹底的に分析し議論している。面白い本である、腰巻きを読んだだけでも、それが伝わってくる。ドストエフスキーに精通していれば更に面白いであろう。だが、幸か不幸かロシア文学は高校生の時にトルストイを、それに1968年に話題となったソルジェニーツィンを読んだくらいで、ドストエフスキーの悪霊は映画となったものを岩波ホールで見ただけである。かろうじて先日放送された『知るを楽しむ・悲劇のロシア〜ドストエフスキーからショスタコービッチまで〜』の再々放送を録画できたのでどうにか俄知識だけは...。(と言っても未だ全て見ていないのだが...)

大学で神学を学び自らキリスト者でもある佐藤優の『スターリニズムは「ヒューマニズム」』に対し『キリスト教は「アンチ・ヒューマニズム」』と定義づけしている下りに、妙に納得した。そうか北方ルネッサンスと云ってもオランダ・ドイツが北限、15世紀にイタリアで興ったルネッサンスは辺境のロシアまで達することがなかったのだ。近代的自我が芽生えたルネッサンスの「ヒューマニズム」は「アンチ・ヒューマニズム」のキリスト教にとって異端であり受入れ難いものであった。
佐藤優は「第三章 霊と魂の回復」の中で次のように語っている。

ロシアだけでなく、キリスト教の異端についてぼくは次のように考えます。キリスト教は、二つの焦点を常にもっていると思うのです。イエス・キリストにおける人間と神性、信仰と行為、聖書と伝統、教会と社会というテーマをキリスト教神学は二項対立の形で立てることが好きです。そのうちどちらか一つの焦点だけを認めて、軌跡として円を描こうとするのが異端なのだというのが私の認識です。正統的キリスト教は、二つの焦点を維持して、楕円を描くのだと思います。ベルジャーエフは、キリスト教は二元論の陣営に立つと言ってますが、それはこのような楕円を描く焦点が二つあり、いずれも真理であるということを指しているのだと思います。
ちなみにプロテスタンティズムとロシア正教の異端派には、一つの焦点しか認めず、円を描こうとする傾向が強いです。私自身も、神学生の時代には楕円を円に矯正するのが神学の責務であると勘違いをしていましたが...

こうして、キリスト者の御高説を読んだのは初めてである。彼自身、神学生の時代に異端と正統の間を揺れ動き、結果としてバロック的な思想に辿り着いたことが興味深い。すると、彼は原理主義者と一線を画す、と云うことの表明なのだろう。
様式としてのルネッサンスは、キリスト教にとって異端であったダ・ビンチの人間像に代表される人間中心の正円の世界観から、異端審問所を巻き込んだ論争と紆余曲折を経て、15世紀、16世紀、17世紀と世紀を越え、サン・ピエトロ広場のバロックの楕円へとソフトランディングしているのであるが、ルネッサンスを経ていないロシアはやはりヨーロッパではないのだろうか...。

もしも亀山郁夫と同世代の米原万理が存命だったら鼎談もあり得たかも知れないと思わせる。ヒューマニストとしての米原万理とアンチ・ヒューマニストとしての佐藤優の論争も聞きたかった。

ところで、「生物と無生物のあいだ」にも出てきた研究員を揶揄する言葉『スレイブ(slave)=奴隷』はスラブ人が語源とされている。神や独裁者に隷属することを欲するロシア...が気になる。

ロシア 闇と魂の国家:目次

aki's STOCKTAKING:ロシア 闇と魂の国家

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June 07, 2008

センネン画報

センネン画報
2006年2月のエントリーで紹介したブログ・「今日マチ子のセンネン画報」の選りすぐり作品に新たな書き下ろし作品を加え単行本となった。最初は「ちょっとシュールな脱力系」という印象であったが、最近は高校生の女子とそのボーイフレンドとの日常と夢想が織りなす風景と叙情に少々の毒とエロスを添加した「オチのないマンガ」として作風が確立し、不思議な魅力をもった作品となっている。

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June 03, 2008

藤森照信 グラウンド・ツアー

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編集出版組織体・アセテートから『藤森照信 グラウンド・ツアー』刊行決定の案内が届いた。発行日、価格等の詳細は未定であるが、サイトにはグラウンド・ツアー【泥もの】【石もの】【積みもの】【地底もの】【UFO】それぞれの収録予定地座標がありGoogleMapやGoogle Earthとリンクできるようになっている。そういえばGoogleMapもアップデートされマップ上に写真やWikipediaの情報を表示できるようになった。それにしてもポタラ宮を【UFO】に分類するとは、いかにもF森教授....。

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May 30, 2008

そうだ 京島、行こう!『時差ボケ東京』

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と云うことで週に一度だけ都内に行く出講日を利用して、山里から川向こうは京島まで足を延ばした。東武浅草から電車に乗るのは何年ぶりだろう。記憶に残っている最後はターミナルビルの浅草松屋の食堂で「お子様ランチ」を食べた時、未だ小学校には上がってないからたぶん昭和30年くらい、遥か昔の話だ。下りる駅は東武浅草から二つ目の曳舟、隅田川を渡るとき微かに潮の匂いがした。曳舟で下りたのは初めて、足立に住んでいた頃、東武電車に乗ることがあっても東武浅草から梅島まで途中下車したことは一度もなかった。LOVEGARDENまでの道順はGoogleMapで調べておいた、途中でクリーニング店と主人の姿を横目で見て、暫く行くとカーブの向こうに店の前で働いているcenさんの姿が見えた。

ブログで公開された『時差ボケ東京』表紙を見て、海馬を刺激されたのか、何故かエリオットによる「荒地」の次の一節(福田陸太郎・訳)が脳内にイメージとして浮かび上がった。

まぼろしの都市、
冬の夜明け、茶色の霧をくぐって
大ぜいの群衆がロンドン橋の上を流れていった。
死はあんなに大ぜいの人々を滅ぼしたのか。
思い出したように短いため息をもらしながら、
みんな自分の足もとを見つめていた。
背中を丸めうつむきかげんに重そうな足取りで歩く人々、彼らにだけフォーカスが合わされ、人間だけが鮮明に写り、他の背景や前景はブレてボケている。脇道の奥から狙撃兵のようにカメラを構え流し撮りしているmasaさんの姿が目に浮かぶ。

そうした個が埋没してる群衆の写真と対照的なのが、街中を疾走する自転車、流れる背景に個が際立って美しい。う〜ん、これは広告代理店のアートデレクターの目に留まるとパクられて何かに使われそうだ。masaさんが自費出版を選択したことが理解できる。暗闇に溶ける時差ボケサビオウの写真もある。そして銀座鳩居堂の前をアビー・ロードに変えたカメラ目線の女の子に僕は秒殺されてしまったのである。
参ったなぁ...。

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May 27, 2008

PLAYBOY July 2008

昨年は没後40周年でNHKの「知るを楽しむ 私のこだわり人物伝」で取上げられ、今年は生誕80年周年と云うことでPLAYBOY今月号の特集も作家戸井十月・取材協力による「チェ・ゲバラ」である。彼が如何にして革命や自由のアイコンとなりえたのか...写真家アルベルト・コルダへのインタビューが興味深い。僕はアルベルト・コルダの名前を知らなかったが、彼の写真を見て映画「Buena Vista Social Club」のプロローグに出てくる写真家だと気付いた。映画の本編とは直接関係ないカットをプロローグにしたのはヴィム・ヴェンダースによる「チェ・ゲバラ」へのオマージュが含まれているのだろう。もちろんPLAYBOYの表紙にも使われているこの写真を撮影し著作権を主張しなかったアルベルト・コルダへの敬意もあったのだろう。これで何となく気になっていたものが腑に落ちて、ヴェンダースの意図が掴めた気がした。
PLAYBOY今月号は他にカート・ヴォネガットの未発表作品「阿鼻叫喚の街」や、今年のグラミー賞を独占した「エイミー・ワインハウスって何者だ?」等、興味深い記事が山盛りである。PLAYBOYと云うと金髪美女のヌードグラビアのイメージが強いが、内容的には硬派の雑誌なのである。

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May 23, 2008

時差ボケ東京

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あのとき、撮影手法に....と...色々と話に聴いていたが、うーむ、こーゆーことだったのか。Kai-Wai 散策のmasaさんこと、村田賢比古氏が写真集を上梓される。タイトルはズバリ『時差ボケ東京』である。
ハードカバー大型上製本(全62頁-写真42葉)ISBN4-9904156-0-0 価格3600円+税なのだ。これはもう、masa-fanならずとも買わねばならぬのだ。
追記
LOVEGARDENでの発売も決まったのだ。『そうだ 京島、行こう。』
神保町・ブック・ダイバー(探求者)でも発売!近くの「新世界菜館」でカツカレーと...

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May 12, 2008

生物と無生物のあいだ

発売中の週刊文春5月12日号・「阿川佐和子のこの人に会いたい」のゲストは新書で50万部を売り上げたベストセラー「生物と無生物のあいだ」の著者・福岡伸一氏である。これには伏線があって、阿川佐和子がアシスタントをつとめる『大竹まこと ゴールデンラジオ!』の3月31日放送分に福岡伸一氏がゲスト出演したことから始まる。ポッドキャストでこの放送を聴いていて理系が苦手なアシスタントの反応に... 些か...であったが、まぁ「科学と似非科学のあいだ」で視聴率稼ぎをするメディアにどっぷり身を置いている者の反応として、これがフツーなのかとも妙に納得した。伏線というのは週刊文春・誌上で次週から福岡伸一氏が連載するエッセイのパブリシティを兼ねているということ、何れそのエッセイも文藝春秋から単行本化され、時を経て新書ではなく文庫におさまるのであろう。

栗田さんのCHRONOFILEのエントリー「生物と無生物のあいだ」に「この新書の副題を「科学とゴシップのあいだ」にしても良かったかも...」と茶々をいれてしまった私であるが、それも強ち的外れでもなさそうだ。福岡氏は科学的主題を読者に如何に興味をもって読まれるかを考え、様々な研究者によって科学的発見に辿り着くプロセスを彼自身の体験を織り交ぜながらドラマ仕立てに書き表している。それはまさに「科学と文学のあいだ」を取り持つ筆さばきともいえる。しかし、彼はそうした文学的表現だけでなく科学的事象を短い言葉で的確に表現するのにも長けているのである。『エントロピーとは乱雑さを表す尺度である。』の言葉に出会った時は、何か胸のつかえが下りた気がした。昔々、ブルーバックスで読んだ、あの判り難さは何であったのだろう。これからはデスクトップがとっ散らかっている状態はエントロピーが増大していると言おう。

DNAの発見によって「生命とは自己複製するシステムである。」との認識を人類は得たが...福岡氏は更に『生命とは動的平衡にある流れである。』と再定義するのである。この言説は栄養学やら何やらの定説を再定義しざるを得ない程のマグニチュードを持っている。と云うことで詳しくは...「生物と無生物のあいだ」を読まれることを...その前に週刊文春をサラッと目を通すのも...よいかも...。

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May 11, 2008

地域雑誌「谷中・根津・千駄木」


昨日の東京新聞・こちら特報部に『季刊誌「谷中・根津・千駄木」来春に幕』の記事が、発行部数が採算ラインを割ってしまったという現実もあるが、今までモチベーションを支えてきた都市のフォークロアが壊滅してしまったということではないだろうか。編集発行人の森まゆみさんは『だんだん自分たちの町ではなくなってきた。オートロックの建物が増えたり、個人情報保護といった風潮から以前のように話をじっくり聞けなくなってしまった。』と語る。「谷根千」や「神楽坂」といった町がブームに乗り観光地化すればするほど、そこで生活する人々の心にはある種の疎外感というか虚脱感のようなニヒリズムが芽生えるような気もするのだが...。

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May 08, 2008

源泉の思考・谷川健一対談集

源泉の思考・谷川健一対談集
東京新聞日曜日の読書欄・新刊案内に『列島の旅と短歌、経世済民、民衆の暮らしの伝承...。民俗学の祖・柳田国男の方法と精神をもっともよく受け継ぐ在野の民俗学者の対談集。....』と紹介されていた。その谷川健一の相手を務める対談者の顔ぶれに興味を覚えAmazonに注文してしまった。連休最後の日の朝に届いた本を開き頁を捲り、最初の鼎談『いま、民俗学は可能か』に目を通すと、そのプロローグは柳田礼賛ではなく柳田国男批判である。私のような研究者でない門外漢の一般人にとって、こうした対談集は、戦後の民俗学を俯瞰的に捉えるのに最適かも知れない。

鼎談「いま、民俗学は可能か」の序文として「民俗学はなぜ衰退したか」が寄せられているが、その一部を引用すると...

...「いまの民俗学は落日のなかにある。...今日の民俗学は、厚い雲に包まれたまま姿もみせずに沈んでいこうとしているのではないか」と。...
...それはたしかに当っている面があるわけです。なぜかというと、一つは柳田が民俗学の枠組みをつくって、それからはみ出したり逸脱したりすることを許さなかったからだと思うのです。それが批判精神をなくしていった原因ではないかと思う。....
....経済成長によって農村は崩壊していくし、一方で減反政策をとらされるわけですから、やはり農民のあいだにニヒリズムみたいなものが産まれてくる。そういう農村の崩壊、農民のニヒリズムは、稲を中心とした日本民俗学の魂の衰弱と、パラレルなかたちをとっているのではないかと私は思うのです。...

戦後の農地改革による小作人の開放と1950年代の豊作による農民のつかの間の幸せは10年と続かなかった。穿った見方かも知れないが、減反政策は農家の力をこそぎ落とし、農民が団結し一揆に向かうエネルギーを奪う為の国家的政略とも...。
過疎という現実に苦しんでいる村を前にしたときに、その現実を見ないふりをして、依然として柳田国男時代のマニュアルどおりの聞き書きなり、調査項目なりを村に押しつけて、そこで掬いとれたものを牧歌的に再構成して、村の民俗誌のようなものを再生産してきたのが戦後の民俗学ではないか、そういう民俗学に携わる人々の心性もほんとうはニヒリズムなのかもしれないと思うのです。それは、明らかに、農民のニヒリズムという現在の事実にきちんと向かいあっていないわけです。...

内容と対談者
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いま、民俗学は可能か  山折 哲雄赤坂 憲雄(1997.7.31) 
柳田の経世済民の志はどこにいったのか  小熊 英二(2002.11.20)  
南の精神誌  岡谷 公二  
民俗学の可能性  網野 善彦宮田 登(1996.1.17)
網野史学をめぐって  山折 哲雄、赤坂 憲雄
精神史の古層へ  赤坂 憲雄
日本人の他界観  赤坂 憲雄
大嘗祭の成立  山折 哲雄
市町村合併の新地名に異議あり  今尾 恵介  
現代民俗学の課題  宮本 常一  
旅する民俗学者・宮本 常一  佐野 眞一(2005.2.8)  
今なぜ「サンカ」なのか  礫川 全次(2005.4.18)
瞬間の王 詩人谷川雁  齋藤 愼爾(2002.2.28)  
古代人の心と象  白川 静山中 智恵子水原 紫苑
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世代も経歴も考え方も異なる者同士の対談は時に見解の相違で不協和音を奏でる処もあり、興味深い一冊である。

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May 01, 2008

死刑

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う
僕が二十歳の誕生日を迎える略一月前、連続ピストル射殺事件犯人の永山則夫が19歳と10ヶ月で逮捕された。永山は「二十歳までは生きていたい。」と逃亡生活を続けていた。彼は僕と同い年だった。1979年・東京地方裁判所で死刑判決。1990年・最高裁判所で死刑判決確定。1997年・東京拘置所にて死刑執行(享年48)。その日の夕刊で永山の死刑執行の記事を読み、彼は「五十歳までは生きていたい。」と思っていたのだろうか、と僕は考えていた。
森達也の名を意識的に捉えるようになったのは、玉井さんに誘われて見た韓国映画「送還日記」の試写会での映画監督・金東元とのトークショーが切っ掛けであった。グレート東郷をテーマにした「悪役レスラーは笑う」は著者名を意識せずに読んでいたが、彼の名を世間に知らしめたオウム事件を素材にした「A」や「放送禁止歌」は未だ読んでいない。本書腰巻きには「死刑をめぐる三年間のロードムービー」と書いてある。「悪役レスラーは笑う」もそうだったが、紙媒体に於いても彼の手法はルポルタージュやドキュメンタリー映画のようである。そして、読了して思ったことは、民族学や文化人類学のフィールドワークにも似ていることだ。予断を持たずに相手の話を聴くこと、そのスタンスは同じかも知れない。

TBSの深夜番組「CBSドキュメント」で放送される"CBS 60 Minutes"を見ていると、時々、刑務所内部までカメラが入り込み、死刑囚等の凶悪犯罪の犯罪者へのインタビューが行われることがある。また死刑執行の現場となる刑場施設へカメラが入り込むこともある。米国では情報開示されている死刑制度であるが、日本では国民からは不可視の状況となっている。刑罰としての「死刑」を正しく理解している人は多くはない。懲役刑が懲役(強制労働)を持って刑を務める為、作業所が併設された刑務所に収監されるのに対し、死を持って刑を務める死刑囚は刑が執行されるまでは、他の未決囚と同じ拘置所に収容されたままとなる。そして刑が執行される朝を迎えるまで、死と隣り合わせに毎日を過ごすことになる。

森達也は本書執筆の動機付けを次のように語る。

少なくとも死刑を合法の制度として残すこの日本に暮らす多くの人は、視界の端にこの死刑を認めながら、(存続か廃止かはともかくとして)目を逸らし続けている。ならば僕は直視を試みる。できることなら触れて見る。さらに揺り動かす。余計なお世話と思われるかもしれないけれど。...

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目次 (内容が判るように各章・項目の後に取材先や引用元を記した。)

プロローグ
第一章:迷宮への入口
クリスマスの死刑執行(2006年12月「フォーラム90」の忘年会)
死刑事件弁護人(弁護士・安田好弘
シュレーディンガーの猫(元オウム幹部・死刑囚・岡崎一明)
暗くて深い迷宮(『モリのアサガオ』作者・漫画家・郷田マモラ)

第一章:隠される理由
拷問博物館(明治大学博物館)
不可視の領域(名古屋拘置所)
視察の考現学(衆院議員・保坂展人)

第一章:軋むシステム
死刑になりたいから人を殺す(大阪池田小事件・死刑囚・宅間守/担当弁護人・戸谷茂樹)
民意のメカニズム(死刑廃止議員連盟・亀井静香)
死刑の起源
三十分間吊るすことの意味(元大阪高検公安部長・三井環)

第一章:元死刑囚が訴えること
生還(免田栄)
冤罪執行(石井健治郎・西武雄)

第一章:最期に触れる
野蛮な刑罰(元刑務官・坂本敏夫)
処刑場のキリスト(教誨師・カトリック神父)
論理から情緒へ(刑事被告人・佐藤優)
殺しているという意識(元刑務官・現弁護士・野口善國)

第一章:償えない罪
死刑の本質(山口県光市母子殺人事件)
応報感情(「少年に奪われた人生」作家・藤井誠二)
殺された側の情緒(音羽事件・被害者祖父・松村恒夫)
終着駅(山口県光市母子殺人事件・被害者家族・木村洋)

エピローグ
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森達也が対話した人たちの多くは存続か廃止かは別として、現状制度に対し...疑問を抱いている。何故なのか...

森達也・公式サイト
冤罪を生むもの

以下、2年前の2006年5月の東京新聞の記事から引用

異端の肖像2006 「怒り」なき時代に 弁護士 安田好弘(58) 
 「弁護士としての資質、人間としてのモラルに失望した」。読者から一枚のファクスが届いた。この読者一人にとどまらない。テレビのワイドショーで、ネット上で非難があふれ返った。
 安田好弘。いま、日本で最も物議を醸している弁護士だ。かつてオウム真理教元代表・麻原彰晃被告=本名・松本智津夫=の主任弁護人を務め、先月、山口県母子殺害事件の上告審でも弁護人を務めた。
 「悪人は早く吊(つる)せ」という世間感情、タレント弁護士が登場するお茶の間のにぎわいに彼は背を向ける。
 非難のきっかけはこの上告審だった。三月十四日、最高裁の口頭弁論を安田は相方の弁護士とともに欠席した。
 最高裁、検察、遺族は憤った。最高裁は昨年導入された改正刑事訴訟法に基づき、四月十八日の弁論への出頭在廷命令を初適用。欠席すれば、解任は避けられない。彼は法廷で「被告に殺意はなく、下級審の事実認定は疑問」と弁論の続行を訴えたが打ち切られた。
 異例ずくめだった。昨年十二月上旬、二審の弁護人が最高裁へ「弁論は自分ではなく、安田さんに頼もうかと思っている」と伝えたという。開廷日は裁判所と検察、弁護人の三者で協議されるのが慣例だが、裁判所は同月下旬、一方的に開廷日を通告してきた。
 安田は二月下旬、初めて被告人と接見した。被告の話が事件記録と違い、驚いて弁護人を引き受けた。さらに自白調書と死体所見の食い違いを見つけ、被告の殺意に疑問を抱いた。
 弁論準備には数千ページに及ぶ記録の精査が必要だ。当日は日弁連の催しも重なっていた。彼は裁判所に三カ月の延期を要望。「従来は認められたケース」(安田)だったが、今回は拒まれた。弁論は通常一回で、準備なしに出廷すれば事実上、死刑を後押ししかねない。欠席の方針を固めた。
 「被害者の人権を無視した」と苛烈(かれつ)なバッシングが待っていた。オウム真理教の裁判のときよりも酷(ひど)かった。当人はどう受けとめたのか。
 「こういう仕事をしている以上、避けられない。凶悪とみられる人々の弁護をするのだから。世論は常に多数派だ。逆に被告は孤立している。弁護が少数者のためである以上、多数派から叩(たた)かれるのは定めだ」
 その使命感は、と聞こうとすると、安田は遮って「使命感じゃない。これが弁護士という職業の仕事なんです」と言い切った。
 報酬に乏しい公安事件、重大な刑事事件を背負ってきた。死刑の求刑、あるいは下級審で死刑判決が出た後に、彼が請け負った事件は十七に上る。大半が依頼だった。ある法曹関係者は「こうした事件を受ける弁護士が少なくなり、彼に集中している」と漏らす。
 「自分も(こうした事件から)できれば逃げたいと思う」と安田は話す。
 「死刑が絡む事件は不安だ。何もできないだろうと落ち込む。裁判で負けても終わらない。被告が処刑される日まで守らねばならない。毎日、冷や冷やして自分も生きていかねばならない。だから、だれもやりたがらない。でも、被告から依頼の手紙が舞い込む。接見で顔を見てしまう。そうすると断れなくなる」?? 非難の主流は「遺族感情に配慮しろ」だった。今回の事件では、被告が一審判決後に獄中から友人に宛(あ)てた「終始笑うは悪なのが、今の世だ」という手紙の一節が非難に油を注いだ。
「復讐(ふくしゅう)したいという遺族の気持ちは分かる。だが、復讐が社会の安全を維持しないという視点から近代刑事裁判は出発した。もし、復讐という考えを認めれば殺し合いしか残らない」
 裁判を死刑廃止運動に利用しているという批判もあった。「死刑廃止を法廷で考えているとしたら弁護士失格だ。法廷は事実を争う場であって、政策や思想の場ではない。だいたい判決は死刑だろう、と考えて弁護なんてできやしない」
 安田の弁護は徹底して事実にこだわる。愚直なまでに現場に行き、再現を繰り返す。「よく被告のうそをうのみにして、とか言われるが、うそで起訴事実が覆せるほど、法廷は甘くない。肝心なのは遺体や現場の状況という客観的な証拠だ。被告がどう言ってるかは参考情報にすぎない」
そんな弁護スタイルが、これまでいくつかの死刑判決を覆した。ただ、その手法も壁に突き当たりつつある。昨今の迅速化を掲げた「司法改革」の流れだ。
 例えば、被告側の防御権を損ないかねない公判前整理手続きが、昨年十一月に導入された。経験した弁護士は「時間がない。十分な検証は不可能だ」と悲鳴を上げた。安田は「迅速化の中身は結局、手抜きだ。検察、裁判所からみれば手軽に一件落着で済む。しかし、被告人には生死や自由が絡んでいる」と憤る。
「刑事裁判は死んだ」と安田は話す。「有効な反論を通じ、初めて真相は明らかにされる。検察、弁護人の客観的な主張を裁判所が冷静に判断する。そんなシステムが機能不全に陥っている。検察主導の大政翼賛化が進んでいる」
■事実に徹底的にこだわる闘い方
その理由を安田は「弁護士がしっかり反論せず、検察は地道な事実の積み重ねよりトリックにおぼれ、裁判所も監視の役割を怠っている」と指摘する。
麻原裁判の長期化に批判が集まり始めたころ、安田は顧問を務める不動産会社の事件で逮捕された。一審は無罪。裁判長は検察側の強引な公訴内容に苦言を呈した。とはいえ、十カ月もの拘置で麻原裁判の舞台からは“消された”。
この拘置中、殺人的な仕事からは解放された。でも保釈後、再び以前の日々を送る。「朝七時から会議をやって、夜九時すぎからも会議。その間に裁判資料を調べ、自宅に帰れるのは二週間に一回だけかなあ」
安田について、友人でジャーナリストの魚住昭は「徹底的に事実にこだわり、かつ人権を守ろうとする弁護士の基本に忠実な人物。逆に最高裁や検察当局からみれば、最も厄介な人物だろう。それがバッシングの根底にある」と語る。
孤立しがちな印象の一方で、彼自身の控訴審には前例のない二千百人の弁護士が弁護人に名を連ねた。
「彼は左翼系で私とは立場が大きく違う」と話しつつ、元検察官の小林英明弁護士は彼をこう評す。「私は死刑問題でも彼とは考え方が根本的に違う。だが、弁護士としての優秀さ、人間性については高く評価している。法の許す範囲内か否かを自覚し、信念を持ち一生懸命やっている」
団塊の世代のご多分に漏れず、学生活動家だった。そこで容易に人が変節するのを目の当たりにした。
「自信なんてない。しかし、できるだけ変わらない方を選ぼうと生きてきた。でも、世の中はどんどん単純化していく。一体、この先に何が待っているのか」

岡留安則の「東京-沖縄-アジア」幻視行日記:2008.05.22

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March 28, 2008

幼年期の終り...とか

2001-space-odyssey.jpg

と云うことで先週、「2001年宇宙の旅」の原作者・アーサー・C・クラークが亡くなったのだが、やっぱり面白かったのは初期の「幼年期の終り」でしょうか。昨日の「大竹紳士交遊録」でも書評家の大森望が「幼年期の終り」を推していたが、アシスタントの東京外語大出身のお笑い芸人・光浦靖子がSFは分からないし、翻訳物も苦手と言ってたのが哀しい。そう云えば2001年のモノリスの意味が解らないと云う同級生がいたが、こういう人には幾ら言葉で説明しても時間の無駄である。解らない事があることを肯定しそれを面白いと思えなければSFを読まない方が良い。世界は、未知なもので溢れている....のだから。

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March 13, 2008

川の地図辞典-3 Jediへの道

JediMapYatagawa.jpg
さて中沢新一のアースダイバーに触発され2005年10月22日から隊長の発案で始めたアースダイビングであるが、最初は東京タワーの足下、芝丸山古墳や代々木八幡の半島や岬状の地形等に縄文人の足跡を辿る等、どちらかと云えばドライなモッコリ地形にフォーカスしていた。埋田或いは海田が地名の起源と云われている低地に生まれ、今は山里の谷間に住んでいる私はウェットな場所に魅かれるのだろうか、二回目のアースダイビング@下北沢の出発地・代々木八幡に集合前に渋谷川の支流・宇田川の更に支流の河骨川跡の春の小川の碑に立ち寄り小田急線に平行する川筋を歩いて、切り通しから八幡宮の杜に入っていった。そのアースダイビング@下北沢に於けるサブテーマであった「都市計画道路補助54号線」の全体を確認した後、特に誰が言うまでもなく北沢川の支流を確認したり、暗渠化された川筋に沿って代沢の森厳寺方面に歩いていることに気付いた。地球の引力に抗うことなく自然と低地に向かっている。その体験が第三回アースダイビング@江戸東京地下水脈の企画へ繋がったことは言うまでもない。謂わば時代の共時性であろうか、図らずもそれは川の地図辞典の出版意図ともシンクロしている。川の地図辞典・腰巻に書かれた『アース・ダイビング〈消えた川・消えた地形歩き〉必携』のキャッチコピーがそれを物語っている。と云うことで次の日曜日は川の地図辞典・出版記念ウォークと懇親会なのだ。どうやら天気が崩れる心配も無いようだ。気の早い染井吉野が見られるか楽しみである。

MADCONNECTION: Earthdiving Archive

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February 16, 2008

謎解き広重「江戸百」

謎解き広重「江戸百」 (集英社新書 ビジュアル版 )
と云うことで前のエントリー『「名所江戸百景」と江戸地震』で紹介したサイトの解説を担当した原信田実氏による著作である。本書は電脳「くろにか」に2005年末まで連載していた江戸百を元に詳細な論証と図版を加え新書として上梓したもので著者の遺作となっている。表紙は安政二年の十月二日に起きた安政江戸地震九輪が折れ曲がった浅草寺五重塔が翌年安政三年五月に修復され、それを記念しその年の七月(辰七)に出版された版画である。しかし修復されたのが五月にも関わらず季節が冬に見立てられているのである。著者は『名所江戸百景・浅草金龍寺』を雪景色の中に置いて一新の雪に戦災復興を祝う広重や江戸市民の想いが込められているのでは...と考える。

真乳山山谷堀夜景の構図も興味深いですね。教科書的には、いけない構図ですが、其処に謎が有りそうで...考え始めると...う〜む。
ネットの情報だけでは腑に落ちない、と云う向きには打って付けの新書。

『名所江戸百景』を研究しているサイトは他にもあります。
森川和夫:廣重の風景版画の研究(1)古写真で読み解く広重の江戸名所
森川和夫:廣重の風景版画の研究(2)広重と「江戸名所図会」

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February 12, 2008

工作少年の日々

工作少年の日々 (集英社文庫 )  森博嗣・著
昨年の秋に森達也と森巣博による『ご臨終メディア』を読んだ所為か似たような著者の名が目に留まった。普段ならそのまま見過ごすのであるがタイトルの『工作少年の日々』に釣られて文庫本を手に取りページを捲った。最初の散らかしの法則を読んで、そのままレジに向かった。嘘か真か、氏が小説を書き始めた動機付けは工作室の或る家を手に入れるためだそうである。何故ならとりあえず資金(道具)が少なくて済むからである。そんな氏も現在は14台のMacを所有し、それらを駆使して小説を書いていると云う。Macの台数はエッセーを書いた時点で尚且つ上位機種が未だG4であるから、想像するに今では20台を超えているのではないだろうか。昨年秋には夫人がiMacを自身はiPodtouchを手に入れたらしいし、「MacBook Air」もとりあえず1台は買うらしい。と云うことで定期的に読むブログにMORI LOG ACADEMYがまた一つ増えてしまった。やれやれ。
もしやと思い栗田さんのブログを検索すると単行本で紹介していました。
2006-08-08CHRONOFILE: 工作少年の日々
追記:aki's STOCKTAKING・工作少年の日々

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February 05, 2008

なげださない

なげださない 鎌田實・著
あまり、この手の類いの本は僕の購入予定リストには入っていないのだが、2月1日の【大竹まこと ゴールデンラジオ】でゲストの鎌田實さんが紹介していた著書「なげださない」を読んでみた。まぁ、ガキの頃、学校から家に帰ってくるなりランドセルをなげだして遊び呆けたり、夏休みの宿題を最後までやらずになげだした自分としては、耳の痛いタイトルでもある。そんな、しょうもないガキだった自分も、考えてみたらもう12年も非常勤として学生に接している。そしてこの季節は後期の採点表を提出する一番苦手な時期でもある。採点が恣意的にならぬよう項目別に分類して学生が提出したデータを分析して採点し集計するのであるが、レンダリングのリドロウやら何やらでそれなりに時間を要する作業でもある。いつだったか、高名な解剖学者のセンセーが小論文を一瞥するなり65点と略流れ作業的に採点していたのをテレビで見ていて、実に羨ましくもあった。全ての学生が問題なく合格点に達していれば良いのだが、そう首尾よく運ばないのは世の常、出席不足等でボーダーラインから落っこちそうな場合も、切り捨てたりせずに、何らかの救済措置が求められるのだが、昨今は微妙な問題を抱えた学生もおり、無闇矢鱈と「がんばりなさい」と言えないのが現状でもある。

前文

ちょっとしんどいと、親が子どもをなげだし
子どもは老いた親をなげだし
メーカーも商社も信用をなげだしてしまう。
ちょっとつらいと、勤め人は会社をなげだし、
国のリーダーまでもが、この国をなげだした。

困難の中、なげださずに、ていねいに
生き抜く人たちを書きたいと思った。
いのちの底力を、伝えたい。


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内容
第1章:どうせダメなら、どん底まで行っていい。必ず飛べる
依存症から立ち直ったヒロさん

第2章:転移しても再発しても、なげださない。がんが治った
支えあい、笑いあって、病を乗り越えたふたり

第3章:自分の夢をなげだすときもある。人のために
放射能汚染で地図から消された村にいきる、飛行機おじさん

第4章:かつての敵を許す。憎しみの連鎖を断ち切れ
アメリカで生き、平和のために被爆体験を語り続ける笹森さん

第5章:心の目で見てみよう。大切なものが見えてくる
盲導犬とともに福祉活動にいそしむキミエさん

第6章:明日を信じているからできる。遥かな夢への小さな一歩
故郷アフガンへ森を贈る「ドイツ国際平和村」のマスードさん

第7章:いのちは輝かせられる。ラストの一ページまで
死を背負い歌い続けたシンガーmicoさん

第8章:人の悲しみを癒すとき、自分も癒される
震災を越えてつないだ「いのちのバトン」

第9章:自分の悲しみは横に置いて、人の悲しみを支える
病気の子どもたちに希望と薬を届ける、イラクのイブラヒム先生

第10章:みんな違って、みんないい。不揃いのカボチャたち
北の大地で、ともに生きる「共働学舎」の25人
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と云うことで、アルコール依存症、若年がん患者、チェルノブイリの被爆者、広島被爆者、視覚障害者、アフガニスタン難民、スキルス性胃癌のシンガー、神戸淡路震災被害者、イラク難民、自立農業施設主宰者、等々の10のエピソードの内、幾つかのエピソードは他のメディアによって既に紹介されているものもあるが、本書ではどのエピソードの主も鎌田先生と人間的な信頼関係によって文章化されている。そしてエピソードは個人の心の内側に迫ったミクロの視点と、社会情勢・世界情勢との関係性を保ち俯瞰なマクロの視点によって構成されている。そして悪戯に感情に流されることなく客観性も保ち、ユーモアを交え解りやすく読みやすく書かれている。ここ最近の様々な世相の動きを見ていると、この国の方向性が民主主義からどんどん懸け離れてゆくように思えてならないが、それでもそんな逆境の中、日常をひた向きに生きている人たちの存在に勇気づけられる。あきらめずに、がんばりすぎず、そしてなげださないで...。

日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)

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February 01, 2008

東京慕情

東京慕情―昭和30年代の風景 東京新聞出版局・定価1200円(税込)
昨年一年間、東京新聞・日曜朝刊に連載されていた特集記事を一冊に纏めたものである。単に昭和30年代の懐かしい写真を集めて昔話に終始したものではなく、被写体となった風景や人物を探し求め、関係者へ当時の状況等の追跡取材を加え、エピソードを交えて東京新聞編集委員・田中哲男氏が執筆したものである。そこには半世紀に亘る都市で生活する庶民の様々な想いや物語が隠されている。

幾つかのエピソードの中で工事中の東京タワー最上部近くの鉄骨に立つ三人の塗装工とその写真を撮った写真館店主の話はとても興味深いものの一つだ。しかし僕にとって自分の記憶を確認できた写真として昭和34年の渋谷駅界隈を現在のセルリアンタワー東急ホテル方向から撮影したものがある。写真に写っているビルは東横デパートと東急文化会館くらいで、現在の三井住友銀行が入っている東急プラザは未だ建っていない。僕が校外授業として東急文化会館最上階の五島プラネタリウムに見学に来たのは、その写真と同じ昭和34年である。山里の小学校から観光バスに小一時間ゆられて渋谷に着き、プラネタリウムを見学して屋上でお昼の弁当を食べて、再びバスで山里に帰った訳だが、その間、僕たちを乗せてきたバスは路駐して待っていたのである。今では信じられないような話しであるが、70頁の写真を見れば納得するであろう。

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January 17, 2008

川の地図辞典-2 消えた梅田堀

Umedabori3.jpg

と云うことで「川の地図辞典」を手にして最初に調べたことは、私の生まれたバラックの前を流れていた堀割の正式な名称である。だが残念ながら「川の地図辞典」(P380〜P382)には掲載されていなかった。尤も足立区北部、草加市との都県境を流れる毛長川と荒川放水路とに挟まれた低湿地帯に嘗ては数多くの堀割が縦横に設けられ、それらの多くは農業用水路として機能していた事を考えると、無名の堀割もあるだろうし「川の地図辞典」にそれら全てを網羅することは到底無理と考えられる。頭の隅に微かに記憶されていた「梅田堀」をキーワードにGoogleで検索すると位置を特定できる情報が三つ程見つかった。

一つは西新井駅近くの梅田堀親水水路、そして生家に隣接した梅田稲荷神社について書かれた下記の文言。

5丁目9番にある。社殿の左側に禊教の教祖井上正鉄と妻の安西男也の墓が二人の高弟の墓とともに並んでいる。ほかに神社の玉垣に沿ったところに庚申塔と外荒神の2基を祀った庚申堂がある。もと梅田堀の端にあったものを地元の人々がここに安置したもので野仏の保存が図られている。文久元年(1861)九月銘の漱盥石がある。

他に足立区関原に設けられた小公園の記事には当時梅田堀といわれたこの地域に江戸中期に建立された道標や災害設備が設置された。とある。これらの情報から判断して生家の前を流れていた堀は「梅田堀」と呼ばれていた堀割と考えて良いだろう。
先日、梅島に住む母方の従兄弟が母の葬儀に訪れた際、お定まりの昔話に花が咲いたのであるが、祖父の事が話題となり、金融業にも手を広げていた祖父は『西堀の大尽』と言われていたそうである。地元の住民は生家の前の堀を『西堀』とも言っていたらしい。これは「梅田堀」が梅田の西の端、関原との境を流れていたからであろう。因みに梅田の地名の由来は『海田』と『埋田』の二つの説がある。何れにせよ低湿地の地形から名付けられたことに違いない。

上の写真の撮影場所をiPodtouchの空撮写真で見るとGoogleのロゴ付近から北の方向(西新井方面)を写している。右手の緑は梅田稲荷の社務所、鉄骨3階ALCのマンションが母の実家の池があった場所。生家の前の道は梅田堀を暗渠化して歩道を設け、更に車道を広げ、片側一車線の対面交通としたようである。梅田堀上の歩道のポールは嘗ての湿地帯を表徴するものだろうか。写真左手のマンション付近も50年前は溜め池があり、夏はシオカラトンボが池の上を飛んでいた。
追記:上記写真は昨年一月、西新井大師から荒川放水路までアースダイビングした時のモノです。因みにmasaさんが発見したサビオウの前は本木堀が流れていました。

次回「川の地図辞典-3 Jediへの道」へ続く。

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January 15, 2008

川の地図辞典-1

川の地図辞典 江戸・東京/23区編
菅原健二・著 之潮・刊(定価3800+税)
ISBN978-4-902695-04-5
カーレースに例えるなら既に周回遅れでピットスタートとなった感があるが、Kai-Wai散策を震源地とする『川の地図辞典』の紹介である。私も何方かと同様、「新宿のジュンク堂+タイトルうろ憶え」であったが、出版社のコレジオ(Collegio)がイタリアの画家コレッジョ(Correggio)に似ていたのが幸いし、それを頼りに優秀な店員さんに探していただき、正月休み明けの1月7日に手に入れることができた。
江戸・東京の川に関する辞典と名の付く書物を読むのは、この『川の地図辞典』が初めてではない。第4回アースダイビング『Take The "A" Tram』の下調べをしている時に大学の図書館から借りた図説 江戸・東京の川と水辺の事典に次いで二度目である。その「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」を出版した柏書房は何と「川好きotoko」さんが「之潮」を始める前に社長を務めていた出版社なのだ。わきたさんが調べたこちらこちらの記事を読むと、どうやら「川好きotoko」さんは自分の納得できる仕事をすべく「之潮」を設立したらしい、そしてその成果の一つが図書館に貸出禁止図書として鎮座されるデスクトップタイプの辞典ではなく、誰でもが手にできるモバイルタイプの『川の地図辞典』なのである。と勝手に解釈して合点した。
追記:著者の菅原健二氏は前述の鈴木理生・編著による「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」と「東京の地理がわかる事典」の共同執筆者の一員であり、鈴木理生氏とは東京都の図書館繋がりであったのだ。合点、合点、合点。

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December 19, 2007

実業美術館

実業美術館:赤瀬川原平×山下裕二
文藝春秋の『オール讀物』に三ヶ月に一度くらい略定期的に掲載されていた『企画モノ』の単行本化である。世話役に山下裕二、ご隠居が赤瀬川原平と云った趣向なのだろうか、編集部の段取りで各地の実業美術館・物件を見学した後、何処ぞで対談、録音テープから原稿を起し、なんちゃらかんちゃらで一丁上がり。雑誌原稿が溜った処で書籍化となる。良くも悪くも出版社主導のシステムによって作られた本である。その辺りが些か気になるのは、物件によって食い付き方に温度差が見られることである。興味深いのは第一章の「大和ミュージアム」で戦艦大和をカメラに見立てる赤瀬川原平。
大和の艦橋にある測距儀はカメラのレンジファインダーと同じ原理、製作は日本光学によるものだ。カメラ上部を軍艦部と呼ぶのも同じ理由、逆にカメラを軍艦に見立てているからである。撮影も射撃も英語では同じ"shot "であるからニコンが嘗て日本光学狙撃眼鏡を製作していても何ら不思議ではないのである。

内容
巻頭鼎談「実業美術館とはなんぞや?」赤瀬川原平×南伸坊×山下裕二
はじめに 赤瀬川原平
1 戦艦大和を観に行く(大和ミュージアム・海上自衛隊呉基地)
2 網走番外地の真実とは!?(博物館網走監獄・網走刑務所)
3 ごみ処理工場が芸術してます(大阪市環境局舞洲工場&スラッジセンター・広島環境局施設部中工場)
4 交通博物館で職人技を応援(交通博物館)
5 警察と芸術のビミョーな関係(明治大学博物館刑事部門・警察博物館)
6 偉大なる中小企業の「作品」たち(コシナ・オリエント時計)
7 野球の国ニッポンの聖地を訪ねて(東京ドーム・野球体育博物館)
8 「お金」に「芸術」の深淵を見た(国立印刷局滝野川工場。お札と切手の博物館・貨幣博物館・日本銀行本店)
9 トヨタは応挙、マツダは光悦である(トヨタ博物館・マツダ本社工場)
あとがき 美術に実業を、実業に美術を 山下裕二

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December 15, 2007

iPod touch 100%

いわゆるムック、発行元はMCプレス。オジサンはiPod touchをハッキングする気もなく、記事にあったHandBrakeを試したかっただけ、以前も似たようなフリーウェアを試したが、それは上手くコンバートできなかったので再挑戦、と云うことで今回は成功..。使い方はこちらにもあった。最初から知っていればムックを買わずに済んだのだが、無知故の出費でした。

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December 12, 2007

ちかごろ新書が...

トーハン調べによる2007年間ベストセラーの第一位が『女性の品格 』なんだそうである。昨年の第一位が『国家の品格 』だから柳下に泥鰌が二匹いた訳である。と云うことで、ちかごろ新書がブームなのか、どこの出版社でも新書を出すようになった。Wikipedia調べによれば30社から42の新書シリーズが出版されているが、書店店頭で見たところWikipediaのリストにない新書もあって、まだ増え続けているようである。現在、東京新聞夕刊・文芸欄に植田康夫氏による『本は世につれ・戦後ベストセラー考』と云うコラムが連載されているのだが、その11月22日付けの47回目に光文社の「カッパブックス」誕生の経緯が紹介されていた。

その一部を引用すると...

 伊藤整の要請で、新書判の双書創刊を決意した神吉晴夫だが、伊藤の『文学入門』をトップバッターにすることは決まっても、双書名は考えあぐねた。
 人真似をしないことを信条とする神吉は、岩波新書と異なる新しい双書をと思い、タイトルにもこだわった。・・・中略・・・
 ・・・《これで、私は新しくスタートする軽装判シリーズに、カッパという名前をつけることに踏みきった。けれども、「カッパ新書」では、新書という新語をつくった岩波茂雄さんに面目ないし、さりとて、「カッパ文庫」 「カッパ双書」では、古めかしい。もっと今日的な感覚が欲しかった。これは、ひとつ、外国のものにならって、・ブックスをつけ、「カッパ・ブックス」にしようと考えつく。ブックスという言葉なら、小学生だって知っているだろう》・・・

人真似を嫌い、且つ岩波新書を創刊した岩波茂雄に敬意と仁義を通した神吉晴夫は草葉の陰から現在のような新書ブームをどのように見つめているのだろう。
それにしても昨年に引き続き『品格』をタイトルに掲げる新書が二年連続してベストセラー1位になった訳であるが、Amazonで調べるとタイトルに『品格』を付けた新書がこれだけある。
国家の品格 (新潮新書) 藤原 正彦 (新書 - 2005/11)
女性の品格 (PHP新書) 坂東 眞理子 (新書 - 2006/9/16)
日本人の品格 (ベスト新書 149) 渡部 昇一 (新書 - 2007/7/19)
会社の品格 (幻冬舎新書 お 3-1) 小笹 芳央 (新書 - 2007/9)
話し方」の品格―「品のいい人」になれる10か条 (リュウ・ブックスアステ新書 38) 福田 健 (新書 - 2007/9)
子どもの品格 高橋 義雄 (新書 - 2007/11)
親の品格 坂東 眞理子 (新書 - 2007/12/15)
『品格』ブームの火付け役の藤原正彦は続編を書くことをしないが、尻馬に乗った坂東眞理子は続編を出すようである。

2000年以降、一人で各社から多くの新書を出しているのが解剖学の養老孟司と脳科学の茂木健一郎である。
ベストセラーとなった養老孟司の『バカの壁』は口述した内容をライターと編集者が原稿にまとめ、著者がチェックして一冊の本に仕上げると云うシステムを確立している。原稿用紙に向かい推敲を重ねる、なんてのは過去のこと。最近増えている対談スタイルの新書も似たようなものだろう。

養老 孟司
まともな人 (中公新書) 養老 孟司 (新書 - 2003/10)
バカの壁 (新潮新書) 養老 孟司 (新書 - 2003/4/10)
いちばん大事なこと―養老教授の環境論 (集英社新書) 養老 孟司 (新書 - 2003/11)
死の壁 (新潮新書) 養老 孟司 (新書 - 2004/4/16)
こまった人 (中公新書) 養老 孟司 (新書 - 2005/10)
無思想の発見 (ちくま新書) 養老 孟司 (新書 - 2005/12)
超バカの壁 養老 孟司 (新書 - 2006/1/14)
希望のしくみ (宝島社新書) アルボムッレ・スマナサーラ 養老 孟司 (新書 - 2006/6/13)
ぼちぼち結論 (中公新書 1919) 養老 孟司 (新書 - 2007/10)
バカにならない読書術 (朝日新書 72) 養老 孟司/池田 清彦/吉岡 忍 (新書 - 2007/10/12)

茂木健一郎
脳とコンピュータはどう違うか―究極のコンピュータは意識をもつか (ブルーバックス) 茂木 健一郎 田谷 文彦 (新書 - 2003/5)
意識とはなにか―「私」を生成する脳 (ちくま新書) 茂木 健一郎 (新書 - 2003/10)
知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦 けいはんな社会的知能発生学研究会(共著) (新書 - 2004/12/17)
「脳」整理法 (ちくま新書) 茂木 健一郎 (新書 - 2005/9/5)
脳の中の人生 (中公新書ラクレ) 茂木 健一郎 (新書 - 2005/12)
ひらめき脳 (新潮新書) 茂木 健一郎 (新書 - 2006/4/15)
すべては脳からはじまる (中公新書ラクレ) 茂木 健一郎 (新書 - 2006/12)
フューチャリスト宣言 (ちくま新書 656) 梅田 望夫 茂木 健一郎 (新書 - 2007/5/8)
音楽を「考える」 (ちくまプリマー新書 58) 茂木 健一郎 江村 哲二 (新書 - 2007/5)
日本人の精神と資本主義の倫理 (幻冬舎新書 は 3-1) 波頭 亮 茂木 健一郎 (新書 - 2007/9)
欲望する脳 (集英社新書 418G)茂木 健一郎(新書 - 2007/11/16)
それでも脳はたくらむ (中公新書ラクレ 264) 茂木 健一郎 (新書 - 2007/12)
すべては音楽から生まれる (PHP新書) 茂木 健一郎 (新書 - 2007/12/14)

流石に時代の寵児と云うか売れっ子の茂木先生は新書だけでも今年6冊も上梓しているのである。(訂正:今月分・新書二冊を追加)

こうして眺めてみると活字文化も視聴率第一主義のテレビと云ったメディアと似たり寄ったり同じように見えてくる。どのチャンネルを回しても似たような顔ぶれのタレントやコメンテーターが並び、何かが流行れば、どのチャンネルも似たような内容となるように、出版界も然したる差は無いようだ。『バカ』『ウソ』『脳』『品格』と云ったキーワードを用いたタイトルだけ見ると週刊誌の中吊り広告を見ているようである。玉石混淆の新書の世界、品格を語るも天に向かって唾を吐くようなものに思えてならない。

ところで辛口書評家として知られる大森望が大竹まこと・ゴールデンラジオ!「大竹紳士交遊録」の12月6日放送分のポッドキャスト版のエンディングで大竹の「(年間ベストセラーの)ベスト10にも全部点数付けて欲しいよな...」のフリに対し、大森望曰く「『女性の品格 』に7点が付いたりして...」の軽口を叩いたところでエンド...本音がチラリ。


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December 11, 2007

季刊・MacPower

カーサ・ブルータスの向うを張ったかどうかは知らないが、Mac系専門誌からライフスタイル・クオリティマガジンとしての脱皮を図ったMacPowerであったが、それも頓挫し、新たに季刊誌として再出発している。新装なったMacPowerは季刊で160頁の情報量に対し月刊のMacFanとMacPeopleは250頁前後の情報量である。必要な情報はネットにアクセスすれば事足りる時代、三ヶ月に一度の季刊誌となればじっくりと読ませる内容が必要となる。柴田文彦氏の「UI進化論」と「MacOS 1.0の研究」そして三原昌平氏による「Appleのプロダクトデザイン史(前編)」と、既にどこかで読んだような見たような企画が並ぶ。前途多難であろうが、季刊誌の特性を活かし腰を据えてオールド・マックユーザーにも読みたくなる内容を願いたい。呉々も気付かないうちにフェードアウトすることの無いように...。

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November 06, 2007

パーツ付きマガジン

日曜朝刊に『週刊 ハーレーダビッドソン』の広告が出ていた。こうした付録がメインの雑誌もシリーズ化され、商売として成立しているのだから根強いフアン層があるのだろう。しかし、いつも思うのだが果たして最後まで諦めずに完成させる購読者はどの位の数いるのだろうか、と。それよりも、全冊揃えるのに、どのくらいの期間で値段が幾らくらい掛かるのか気になった。広告を隈無く調べると小文字で毎週火曜日発売の89号で完成とある。う〜む、全てのパーツの入手まで1年と8ヶ月以上、購入価格を計算すると(890+1790×88)で〆て金158,410円也の出費で1/4のメタル製のハーレーが手に入る訳であるが、それには一冊の厚みが5センチと計算して全89冊が収納できるラック(900×280×1800)のスペースと、完成品(597×255×270)を飾るスペースも必要となる。創刊号の価格だけで、お手軽な「パーツ付きマガジン」だと侮ってはいけない。時間と予算、そしてスペース、その上、根気も充分必要とされるのである。

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October 20, 2007

ご臨終メディア

ご臨終メディア:森 達也 ・森巣 博 (著) 集英社新書
副題が「質問しないマスコミと一人で考えない日本人」つまり、思考停止状態なのはメディアも一般大衆も大差ないと云う事であろう。僕は常々、メディアに対して脳死状態にあると見ていたが、二人の著者は既にメディアを「ご臨終」したと見做している。
放送メディアだけでなく活字メディアにしても書店の店頭に平積みにされた「売りたい本」の山を見ると、権力に阿るメディアによって国民をどの方向に向かわせるのか情報操作されているような暗澹たる気持ちにされるのであるが...やはり、活字メディアもご臨終ということか。

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October 10, 2007

復刻版 岩波写真文庫

iwanamiAG-select01.jpg

と云うことで『復刻版  岩波写真文庫  赤瀬川原平セレクション』の全10冊(科学編5冊・社会編5冊)である。駅前の啓文堂書店でdanchu11月号を買うつもりで立ち寄り、平積みされている暴走老人!を手に取り、買おうか買うまいか迷っていると、前方斜め右の目線の高さの書棚に赤瀬川原平セレクションの文字が目に入った。『戦後腹ぺこ時代のシャッター音』はAmazonに注文してあるが、写真文庫は原物を見てから買うか決めようと思っていた。箱から出して頁をめくり始めると、これはタイムマシンである。生まれてから意識が目覚め初めて見た原風景やグラフ雑誌やニュース映画等のメディアで知った出来事が記録されている。これは自分の記憶とすり合わせ、その時代を再確認する為にも必要なアイテムと成り得るし、第一どれを見ても面白いのである。

科学編の蛔虫 (岩波写真文庫 赤瀬川原平セレクション 復刻版)には野糞についても見開き二頁で写真と「うんちく」が語られている。

野糞はふつう農村に多いとされている。農村の状態から見て当然であろう。その上にハイキングに行く人なども残してくる。ところが、少いと思われがちの都会にも、案外野糞は多い。公園の草むらなどにもよくあるし、屋外の行事のあとには、必ずといってもよいほど多い。野糞と弁当の殻が相接している風景もよく見られる。また、ないようで多いのが公衆便所の近所である。便所が汚れていることが多いからであろう。このような都会の野糞は戦後特に多い。野糞ではないが、似たものに列車便所から線路に落ちたものがある。列車が長く止っている駅の線路には物すごいほど多い。
丁寧にも調査した公園の見取り図に野糞の位置を示した図も添えられている。
戦後、衛生観念を啓蒙する意味で出版された写真文庫だと思うが、ある意味、大らかな時代でもあった。
今や、犬の糞もお持ち帰りする時代である。野糞なんてとんでもない、ブルーシートで生活する人々も公園の水洗便所で用を足すのが常識となった。

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October 08, 2007

戦後腹ぺこ時代のシャッター音

harapeko.jpg戦後腹ぺこ時代のシャッター音・岩波写真文庫再発見
赤瀬川原平・著 (1600円+税)
と云うことで本書と同時に『復刻版  岩波写真文庫  赤瀬川原平セレクション』全10冊(科学編5冊・社会編5冊)が岩波書店から9月27日に発売されている。12月には東京をテーマに『川本三郎セレクション』全5冊が刊行される予定である。最近話題の岩波写真文庫であるが、『A瀬川原平セレクション』と来たら『F森教授セレクション』が有って良さそうである。こちらも期待しよう。

内容
アメリカ人の生活を見る・・・・・岩波写真文庫5『アメリカ人』1950
捕鯨船団ヤマトの時代・・・・・・岩波写真文庫3『南氷洋の捕鯨』1950・赤瀬川セレクション
肖像からはじまった写真・・・・・岩波写真文庫8『写真』1950
電気がまだハダカだった・・・・岩波写真文庫190『家庭の電気』1956
日本人はなぜ野球がすきなのか・・・・・岩波写真文庫35『野球の科学』1951
車がまだ自動車だったころ・・・・・岩波写真文庫94『自動車の話』1953・赤瀬川セレクション
むかし見た明るい夢・・・・・岩波写真文庫65『ソヴェト連邦』1952・赤瀬川セレクション
黒々として神々しい巨大獣・・・・・岩波写真文庫21『汽車』1951・赤瀬川セレクション
靴ぴったり至上主義のころ・・・・・岩波写真文庫118『はきもの』1954
芸術も前進の時代だった・・・・・岩波写真文庫78『近代芸術』1953
不潔でも逞しかった蛔虫時代・・・・・岩波写真文庫44『蛔虫』1951・赤瀬川セレクション
日本列島初の同時多発フォト・・・・・岩波写真文庫183『日本 一九五五年十月八日』1956・赤瀬川セレクション
交通巡査の立っていた東京・・・・・岩波写真文庫68『東京案内』1952
電話番号の下に(呼)があった・・・・・岩波写真文庫34『電話』1951
どこを写真に撮っても様になる・・・・・岩波写真文庫194『パリの素顔』1956
産業革命を率いた王様・・・・・岩波写真文庫49『石炭』1951・赤瀬川セレクション
鉄と海が相手の職人魂・・・・・岩波写真文庫67『造船』1952
真実の漏れ出る部分・・・・・岩波写真文庫13『心と顔』1951
子供特派員の目の輝き・・・・・岩波写真文庫199『子供は見る』1956
玉音放送を聞いて家路に・・・・・岩波写真文庫101『戦争と日本人』1953・赤瀬川セレクション
排気ガスの代わりに馬糞があった・・・・・岩波写真文庫48『馬』1951・赤瀬川セレクション
団塊世代が一年生だった頃・・・・・岩波写真文庫143『一年生』1955・赤瀬川セレクション
塩分欠乏でへたり込んでいた・・・・・岩波写真文庫193『塩の話』1956
深山幽谷から色香まで・・・・・岩波写真文庫213『自然と心』1957

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October 07, 2007

図説・明治の地図で見る鹿鳴館時代の東京

図説・明治の地図で見る鹿鳴館時代の東京
学習研究社・発行(1900+税)
参謀本部陸軍部測量局によって明治17年に完了した測量に基づいて作成されたフランス図式『五千分一東京図』35面の内、34面の地形図が収録され、併せて国土地理院による地形図と古写真や錦絵が参照されている。地図の範囲は北東が浅草周辺、北西が早稲田周辺、南東は海で欠番となっているが現在の晴海、南西が広尾周辺までの区域である。芝公園周辺地図を見ると芝増上寺の将軍家霊廟の殆どが西武鉄道グループに買い占められたことが解る。戦災で消失したとは云え、なんだか、、である。写真などの図版も多くマッパーならずとも持って置きたい一冊である。

Posted by S.Igarashi at 10:00 AM | コメント (0) |