川下に向かって千住新橋を遠望する、まさに荒川しずかな風景である。右岸には北千住の高層ビル群が、千住新橋の向こう側に見えるのは小菅の拘置所である。伝え聞くところによると千住新橋のたもとに捨てられていた私を育ててくれたのが戸籍上の両親と云うことである。その育ての親は何かに付け、悪さをすると感化院や小菅の拘置所に連れて行かれるぞと理不尽にも幼い私をよく脅していた。足立九中に隣接する区立図書館で「小公子」「小公女」「家なき子」「母を訪ねて三千里」等の少年少女名作全集を読み漁っていた私はいつの時か実の親が執事を従え迎えにくることを夢想していた。事実が明された時にはは育ての親に御礼するよう実の親に頼んであげよう、いぢめられたと言いつけ恩を仇で返すようなことは止めよう。そう心に誓っていたのだが、一向に実の親が迎えに表れる気配もなく、今日に至ってしまった。人によれば私は育ての親に似ているらしい、犬や猫が飼い主に似ると云う話しは聞くけれど、、、まさか。
と云うことで先日の午後、略50年ぶりに西新井大師に詣で、あのサビオウの前を通り、一年間だけ通った亀田小学校に立ち寄り、嘗ての通学路を自分の生地まで辿り、その隣りの遍照院で祖父母と伯父伯母の墓前に参り、それからバス通りを荒川放水路までアースダイビングしたのであった。
(上図は先日のダイビング・ルートと子供の時の行動範囲である。)詳細は後日エントリー予定。
と、東ちゃん、じゃなかった。か、母ちゃ〜ん。
Posted by: iGa at January 13, 2007 03:48 PM進さん、..............今は行けません。............今は言えません。
Posted by: 生みの母 at January 13, 2007 02:59 PMfuRuさん、どうも。
ちっちゃな頃から妄想癖が、、、(^_^;)
masa さん、どうもです。
僕の記憶の中の原風景は1950年代の足立区ですが、そうした風景が残っているかと云えば殆ど残っていませんでした。この荒川の風景が原風景に近いようで全く異なっています。それは高層ビル群とか首都高が加わった事ではなく、空と川面が1950年代のそれとは異なっています。1950年代の空には林立する工場の煙突から吐き出す煙が常に棚引いていて、放水路の川面には行き交うポンポン船が描きだす波紋が途切れることはありませんでした。昔は川はもっと人々の生活に密着した存在であったような気がします。
「荒川しずか(静)な風景」だなんて、
執事が迎えにと同じく、面白すぎます。(^^;)
これは後日エントリーが楽しみです。ところで、拙サイトでは、川つながり…ということで、中川の風景をエントリーしました。
Posted by: masa at January 13, 2007 03:37 AMyukiりんさん、こんばんわ。
それは奇遇です。僕は9日でしたので互いに一日ずれて行動してますね。
と、ところで、大師前で、ブ、ブリーフマンにお会いしませんでしたか?
あっ、想像しないでください。(・・;)
こんにちは。偶然にもワタクシも10日に西新井大師に行っておりました。例のサビオウはあの辺りでしたかぁ〜残念、見落としました!浅草でオモチャを見落としたiGaさんと逆ですね(^^;
ちなみに「実の親が執事を従え迎えにくることを夢想していた」なんて可愛らしいですね。きっと小さき頃は相当なヤンチャ坊主でお母上も「拾った」っと言わずにはいれなかったのでしょうね。その気持ち、わかるなぁ(^^;