小林清親 東京名所図 (謎解き浮世絵叢書)
先日、ETV特集の「東京という夢・YASUJIと杉浦日向子」を見ていて、井上安治の師匠である小林清親が気になり...Amazonに注文。ゆうメールで届いた段ボールの包を開け中身を改めると、予想していたよりも充実した内容。東京名所図の通り、明治9年から明治14年に掛けての6年間で描かれた30点の浮世絵版画が収録されている。見開き2頁に一点の版画が、次の見開き2頁に解説と版画の拡大部分と全体のサムネイル、そして当時の地図と現在の地図に現況写真がレイアウトされている。名所とされた当時の新建築である表紙の「24・海運橋」(第一銀行雪中)の軒蛇腹の省略描画は納得できるが、「26・虎乃門夕景」の工部大学校の切妻や軒の重量感も厚みも感じられないポンチ絵の如き省略描画を見ると建築の細部にあまり関心のないのか、細部に拘泥しないのか、洋風建築に嫌悪を憶えているのか不明だが、「5・今戸橋茶亭の月夜」に見られる料亭の屋根も軒先に鼻隠しを付けて無いのは理解できるが垂木まで省略すると薄っぺらな印象しかない。それでも商家の場合は切妻の破風板までは省略できず、遠景でもそれなりの厚みは確保している様だ。西洋建築や絵画技法が輸入されて10年足らず... 伝統的な浮世絵から飛躍しようとしているのか木版画の表現にも時代の変化が感じられて興味深い。
物心付いた頃から、当たり前に『麗子像』を見て育った人も居るのね。
切通之写生は代々木の刀剣博物館の傍の坂道だけどね。
先年癌で亡くなった妻の親友が「麗子像は食堂に掛けてあったよ。」と言ってました。幕末明治にヘボン先生なぞが東海道往来の際に常宿にしていたと言う医家の娘であります。麗子像は何枚もある様で、岸田劉生君もオヤジの得意先へ配っていたのでしょう。
Posted by: Fumanchu at December 26, 2012 12:06 PM流石、番傘に気付くとは...お目が高い...因みに岸田吟香センセイは岸田劉生の父君だそうです。目薬を販売していたと云うから、その方面は...でしょうね。
Fumanchu先生のお好きな川瀬巴水の完成度に較べると拙さが残る処が....なんです。
雪中の第一銀行を見て「?」している女の傘に「A(poteca)」「岸田」「銀座」とあるのは、清親のパトロンでもあった岸田吟香センセイのうちのものでしょう。センセイが上海に作った「宏濟善堂」は後に、関東軍が戦費を捻出する為の、阿片取引の拠点になっています(「阿片王」佐野眞一)。
Posted by: Fumanchu at December 23, 2012 05:28 PM