最近、矢鱈と耳にするこの言葉…一体いつ頃から使われるようになったのだろうか。左図の2011年発行の「新明解国語辞典 第七版」には掲載されているが1997年発行の「新明解国語辞典 第五版」には(三)のような用例は記載されていない。どうも、国会答弁を代筆する官僚による作文から派生しているのではないだろうか、「保証する」と言い切れず「担保する」と言い換えて誤魔化しているように思えてならない。そういえば「滑舌」も「新明解国語辞典 第七版」に有って、「新明解国語辞典 第五版」には無い言葉だ。ジジイになると、妙な事に気付くのである。
初めは前後の文脈から考えても何を言わんとしているのか、辞書にも出ていないし。さっぱり意味の解らない言葉でした。
「辞書を編む」人達の間でもこの用例を辞書で定義すべきか喧々諤々の論争があったのかもしれませんですね。逆に辞書で定義すれば勝手な使い方も出来なくなると…日本語を解り難く村だけに通じる言葉に変容するのは、若者だけでなく、官僚とか政治家とかも…ですね。
だいぶ前から、役人や政治家が「担保する」ということばを使うのを、なんだか意味が分からないと思いながらきいていました。
あの連中は「可及的速やかに」とか「スピード感をもってとか」なんていうのは、「できるだけ早く」とか「すばやくやっているように見せる」といえばいいものを分かりにくくして曖昧にするために使っているんでしょうね。
もっとも、ひとの使わない言葉をつかって、大した内容のないことをさも大したことのように見せる建築家というやつもよくいましたが、近頃はどうなんでしょう。