昭和31年頃のお化け煙突です。荒川放水路の西新井橋と千住新橋の間の左岸から父が撮影したものです。かろうじてお化け煙突の全景が入っているところをみると、ファインダーでポンポン船を追っていたのでしょう。写真左側が下流、ポンポン船は上流に向かってます。そう云えば昔々、NHKで子供向けの「ポンポン大将」というテレビドラマがありましたね。主演が桂小金治でポンポン船の船長と云う設定で確か住まいが佃島だったと思うのだが、記憶は定かではありません。ポンポン船をネット検索しても玩具の事が殆どで焼玉機関が出てこないのは時代の趨勢でしょうね。こんな写真も見つかった。
kdoorie-aveさんこんにちわ。
荒川放水路も左岸の土手沿いに首都高が建設され風景が一変してますね。そういえば千住新橋のたもとにあった元キャンデースのスーちゃんの実家の釣り道具屋も首都高の影で日が当たらなくなってしまっただろうな。
そんな東京の状況に対し、ソウルは清渓川復元事業を実現させましたね。
http://www.seoulnavi.com/area/area_r_list.html?bid=sp002
ポンポン船のこと、今やっとどんなものだか少しわかりました。
横浜の運河(だったか?)を眺めながら、両親が「ほらポンポン船」とよく指差してくれましたっけ。
それからは大型客船と共に、ポンポン船が意味もなく好きになりました。
横浜港界隈の必要な風景だと思っていたのです。
運河の上に道路を通したときから、なんとなく横浜港が死んでしまったように思えてつまりません。
ポンポン船と運河、好きだったのにな。
「こんな写真も...」←なんともいえずいいですねぇ。
可愛らしい
Posted by: AKi at March 13, 2006 10:18 AMはい、小1(私)から中1までのブラザーズ・フォ〜。
Posted by: iGa at March 13, 2006 08:42 AM「こんな写真」いいですね。
いかにも、その頃の少年達らしいですね。iGa さんも写っているのかな。
neonさん、コメント有り難うございます。
水のある景色は良いですよね。玉井さんもアースダイニングのコメントに書いて下さったように、江戸の水路や路地がそのまま残されていたら、それこそ世界遺産クラスの魅力的な街になっていたでしょうね。
こんにちは、neonと申します。
この写真素晴らしく好いですね。昭和39年は私の生年です。お化け煙突は、かつて本のカットを描いたとき初めて知りましたが、かなり巨大なものですね。対岸の景色も郷愁を誘うものがありますね。やはり水のある景色は何とも言えないものがあります。
39年ですか。もう生まれていたました。幼稚園です。あれっ、東京オリンピックですかね、この年は。
Posted by: わきた・けんいち at March 11, 2006 09:58 AM昭和39年(1964)ということですね。
Posted by: iGa at March 11, 2006 08:54 AM最近は、文化遺産に関連して、近年は「産業遺産」という考え方がありすま。いまだと、保存運動がおこっていたかもしれませんね。このお化け煙突が撤去されたのは、いつ頃なのでしょうか?
Posted by: わきた・けんいち at March 10, 2006 08:24 PMわきたさん、どうも。
「ポンポン大将」は殆どスタジオ収録(茶の間の窓の外がカミソリ堤防)だと思いますが、タイトルバックの映像に「おばけ煙突」がチラッと写っているという伝説もありますが、僕は確かな記憶はありません。「のりたまのCM」そういえば、そんなのありましたね。
同じように使われなくなった火力発電所でも用途転用し保存する国もある一方で、日本では記憶殺し、歴史殺しが平然と行われているのが情けないですね。
http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/000960.html
「おばけ煙突」ですか…西日本育ちのためか、この煙突のこと、まったく知りませんでした。ツゲ義春の漫画にも登場していたのですね。「ポンポン大将」は、1960/09/04から1964/04/05まで放映されていたらしいですが、かすかに記憶しています。だけど、有名らしいのりたまのCM、「面舵いっぱーい、のりたまで三杯」については知りません。このあたりに、限界線があるようですね。
Posted by: わきた・けんいち at March 9, 2006 08:23 PM>写真構図は、父上様譲りなんだと…
あ〜、、、う〜、、、父シロー、か、、(・・;)
昔は高い建物がなかったから、ほんとに「お化け煙突」はランドマークでしたね。梅田神明前から浅草行きのバスに乗って、西新井橋を渡り、隅田川上流の尾竹橋に差しかかると発電所が見え「お化け煙突」の大きさに圧倒されました。
Posted by: iGa at March 9, 2006 07:42 PMツゲ義春は葛飾辺りの町工場で働いていたんじゃないのかな、ガロに「ねじ式」が発表されたときはセンセーショナルでした。そして直ぐに赤瀬川原平の櫻画報で「ねじ式」や「李さん一家」等がパロディにされていましたね。それにしても60年代から70年代に掛けてのガロは面白かった。
Posted by: iGa at March 9, 2006 07:28 PMツゲ義春と言えば、ねじ式を思い出します。
Posted by: 林檎家 at March 9, 2006 05:55 PMこの写真を拝見していますと、iGaさんの3/3/2006(アダイ)の写真構図は、父上様譲りなんだと…。
Posted by: masa at March 9, 2006 02:13 PM子供の頃、上野から水戸に向かう常磐線の車窓から「お化け煙突」の変化を飽くことなく眺めていたことを想い出しました。
Posted by: AKi at March 9, 2006 01:01 PM「お化け煙突」といえば、ツゲ義春。
これが、そのモデルですね。
お化け煙突のホームページがあるのにもびっくりです。