April 10, 2017

浦安・幕張・稲毛

お断り:1月10日に記事を書いたまま公開するのを忘れていた。もしかしたら何か付け加えようと考えていたのかも...。
上記の地図は昭和36年12月20日発行の帝国書院・中学校社会科地図(最新版)である。表紙には最新版とあるが1961年発行であるから55年前の東京湾を示している。1月7日のブラタモリは#58 浦安であった。浦安は江戸川河口の浅蜊の漁場を控える漁師町であったが一般向けの潮干狩り場とはならなかった理由も、番組を通して浅蜊漁が衰退した理由も理解できた。
僕らが子供頃、潮干狩りと云えば稲毛海岸が最もポピュラーだった。小学校、中学校と春の遠足で稲毛海岸に潮干狩りに行っている。高校の遠足では幕張海岸で潮干狩りだったが、既に埋立ての土砂を圧送するためのパイプラインが遠浅の海の沖まで延びていた。

駅から海岸まで歩いてゆける稲毛海岸や幕張海岸が潮干狩りを観光としていたのも、船溜まりにできる河口もなく、遠浅故に港も出来ず漁村としての立地には恵まれていなかったからだろう。逆に船溜まりとして利用していた江戸川が工場廃液によって汚染され浦安の漁業が衰退したのも皮肉である。そして陸の孤島と呼ばれていた浦安に地下鉄東西線が通ったのが1969年(昭和44年)のこと、京葉線・舞浜駅が開業したのは1988年、東京ディズニーランドが開園して5年後である。

未だ足立に住んでいた頃だから私が7歳以下のこと、近所の人達と家族で稲毛海岸に潮干狩りに行った事がある。恐らく東武線と京成線を乗り継いで行ったのだろう。駅から海岸まで松林の丘の中を歩いていった記憶がある。
記憶を確かめる術が風景ではなく近現代の古地図にしかないのも皮肉なこと。

Posted by S.Igarashi at April 10, 2017 05:01 PM
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