3月20日付けの東京新聞コラム『筆洗』は服役後改心し、自分の犯した過ちに責任を感じ防犯活動へ転身した説教強盗の話しを例に挙げ、自身の過ちを負うことのない責任を忘れた原子力ムラの官僚や学者を批判している。
件の説教強盗であるが小菅刑務所に服役しているとき同じ房に社会学者の河上肇が思想犯として服役、日常生活では出逢うこともない強盗と学者の二人が同じ獄舎で寝食を共にしていた。兄によるとこの話しは母が直に河上肇から聞いていたそうである。河上肇が刑期を終えてから京都に戻るまでの数年間、中野の落合界隈に居を構えていた時期に、朝日新聞に掲載された女中募集の求人広告を見て娘時代の母が訪ねていった。河上博士(母はそう呼んでいた。)は母を見て、とても女中(お手伝いさんと言い換えられたのは昭和30年代)には向いていないと、梅田町の家までわざわざ断りに来たそうだが...どうしても働きたいと言う母の我儘を聞き入れ、お茶汲みに置いてくれたそうである。母が語る博士は穏やかで優しく、書斎に入りきれない文藝書の類いは玄関廻りに置いて有り、「ここに置いてある本は好きに読んで良いからね。」と言われていたという。そうした中、仕事の合間の息抜きに母を相手に牢獄での説教強盗との交流を話してくれたのだろう。説教強盗の話しは面白かったらしく、何度も母は博士にその話しの続きを聞きたいとねだったらしい。
いい話ですね。
河上肇を、読みたくなりました
ぼくはまだ、読んだことがないのです
青空文庫にあるだろうな。
そんな風景の中に「ぽんっ。」と嵌っていた御母堂も孝行息子のおかげで無事、、、昭和は遠くなりけり。
Posted by: Fumanchu at March 27, 2012 02:18 PM附馬であるね。
Posted by: Fumanchu at March 27, 2012 02:15 PM梅田町の家は東武伊勢崎線で小菅から二駅目の梅島が最寄り駅だから、博士は訪ねてくるにも土地勘があったかも...因みに博士の家は特高に監視されていたそうで....
Posted by: iGa at March 27, 2012 01:27 PM「貧乏物語」の博士の向こうに足立の空が拡がっていて、2階の座敷からは川が見えるという、、、
明治村の幸田露伴の屋敷も、二階からは大川が見えそうな風情でありますね。
Posted by: Fumanchu at March 27, 2012 01:07 PM