今日の東京新聞朝刊に夭折の詩人、立原道造 文化拠点の夢と云う記事がありました。詩人で建築家の立原道造が残したスケッチを元に「ヒアシンスハウス」を建設する計画を紹介したものです。立原道造記念館のサイトに募金協力の趣意書や、立原が描いた「別所沼のほとりに建つ風信子ハウス設計図」のスケッチがあります。
Posted by S.Igarashi at February 6, 2004 11:40 AM | トラックバック月刊誌になる前の季刊CASA BRUTUS 11 AUTUMN 1998 Oct.に4頁にわたって「詩人・立原道造と未完の建築」として紹介されていました。卒業設計の芸術家コロニィの中心施設の水彩パースを見ると、アールトの影響を受けているように思えます。
Posted by: S.Igarashi at February 12, 2004 10:16 AM立原道造については、30年位前に雑誌名は(たぶん都市住宅?かな)忘れたけれど生田勉氏が書いていたので名前と石本事務所に勤めていた情報と、高原とサナトリウムというイメージがありました。
風信子ハウスのスケッチをみると、どこかレーモンドの影響があるような気もしますね。吉村順三とは交流があったのかな。
ちょっと、立原道造記念館に行ってみたくなりました。
五十嵐さんのこのエントリーで、立原道造について親しくなりました。
風信子ハウスのスケッチや、パステル画を見ると建築家としてなかなかの才能の持主だったのが分かりますね。24才夭折とは残念なことです。
年譜を見ると日本橋の荷造り用木箱屋の息子(私は知合いが....)、そして府立三中(今の両国高校)吉村順三の四年後輩になります。