April 16, 2020

東京人5月号

東京人5月号は生誕100年を記念して特集「長谷川町子」だ。?ん.ん.そうか、2016年8月の週刊朝日・臨時増刊号は「サザエさん」生誕70年 記念特別号で、それぞれ「町子せんせい」と「サザエさん」の生誕を記念する雑誌でした。と云うことで昭和の日常に反応して速攻ゲット。
最近、Eテレのデザイントークスに出演したりしているブックデザイナーの祖父江 慎と大島依提亜との対談は「町子せんせい」のデザインセンスに言及。
泉麻人×中野 翠×神山 彰の三名による「座談会・サザエさんに見る時代風俗』はそれぞれの出自によるパーソナリティと刷り込まれた記憶により時代風俗に微妙な差異が見られる。1956年生まれの泉麻人は彼が育った中落合で紙芝居を体験したことがないという。神山 彰は国立劇場芸能部で歌舞伎、新派の制作を担当したことがあるそうだが、「サザエさん」との出会いは映画からと云うことで、新派による「サザエさん」の公演は御存知ないようだ。
このMADCONNECTIONで「サザエさん」をネタにしたのは2004年10月の明治座の「サザエさん」と2007年3月のオタンチンの二回程である。
東京人5月号・56頁の年譜の1955年を見ると、ニッポン放送でラジオドラマ「サザエさん」の放送開始とあるが明治座の「サザエさん」公演については書かれていない。当時、6歳のガキも70歳を超えている訳だし、舞台に関わった人達も若くて80代、90代、鬼籍に入られた方もいるだろうし、「町子せんせい」と同世代なら100を超えている。当時、明治座で新派の舞台を見た人は更に少ないだろうから、年譜から落ちていても仕方ないことかも知れない。主演・江利チエミによる映画「サザエさん」のシリーズ第一回が新派公演の翌年1956年である。明治座の公演記録が残っていなかったら忘れられたことになる。残念ながら東京人のライターには浜町に通っていた人はいないようだ、
参照:明治座・1955年5月の公演

当ブログの『明治座の「サザエさん」』を下記に引用

未だ学校に上がっていない子供の頃、母に連れられて新橋演舞場とか明治座の新派とかいった芝居に付き合わされた。母からすれば、兄達は学校に行っているので、私を家に一人にしておく訳にはゆかず、仕方なく連れていったのであるが、芝居が佳境にさしかかると、母を突いて「もう、帰ろうよ。」と言っては困らせた。新派の「婦系図」なんて子供に面白い訳がない。一度だけ、「もう、帰ろうよ。」と言い出さなかった芝居は「サザエさん」だった。これは子供にも理解できたようで、いまでも記憶に残っている。10年前に朝日新聞社から出版された文庫版の「サザエさん・第三巻」にその芝居のネタがあった「防犯ベル」の話である。記憶に残っているのは、隣同士で取り付けた防犯ベルが鳴り響き、それっ!一大事とばかりに手に手に箒やらバットやらを持って隣家に駆けつけるのだが、サザエさん一家が駆け出して上手か下手かに消えると、回転舞台が一転し隣家の茶の間に変わり、次に大騒ぎで花道からサザエさん一家が駆けつけると云う趣向である。覚えているのはそれだけである。いわゆる典型的なドタバタ芝居、よく考えてみると「ドリフの八時だよ全員集合」と共通点が有る、ドタバタと舞台装置の大仕掛け、そこに子供を飽きさせないものがあったのだろう。
元ネタのサザエさんの漫画

明治座・1955年5月の公演記録

Posted by S.Igarashi at April 16, 2020 02:52 PM
コメント