November 14, 2020

ドーキー古文書・再読

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The Dalkey Archive(左図は1964年の初版本表紙)
昨年、白水Uブックスからドーキー古文書が単行本で出版されていたことを知らなかった。1970年代後半に「ドーキー古文書」はNHK-Eテレ・若い広場のマイブック・コーナーで安部公房の紹介で知った。読みたいと思い書店を巡っても単行本では出版されてなく、当時住んでいた高島平の一つ手前の西台駅の傍にあった板橋区図書館の分館で「ドーキー古文書」が収録された文学全集を借りて読んだ。ネットで調べてみると 集英社から1977年に発行された「世界の文学〈16〉スパーク・オブライエン」のようだ。NHKのマイブックをまとめた単行本が1980年に出版されていることから、1978年か1979年に読んだのだろう。手元にある「ドーキー古文書」は集英社ギャラリー「世界の文学」の古本で、Amazonの注文履歴を調べると2017年に購入したもので、それから3年を経て、漸くの再読となった、初読から40年以上の歳月を振り返ってみても、世界中で余りにも多くのことが起こり一言では表すことは不可能であるが、読書環境に限って云えば、ネット社会が環境整備され、情報へのアクセスが飛躍的に容易になったことだろう。特に海外の文学に親しむには、その舞台となっている場所にリモートとは云え空間移動できること等で、想像力の拡大は計り知れない。
物語の内容は出版社のサイトから白水社:ドーキー古文書を確かめて戴くとしても、マッド・サイエンティストにして自称・神学者のド・セルビィなる人物が企てる狂気の世界壊滅の野望なんぞは、1995年のオウム事件を彷彿させる。夫々の登場人物が抱える物語の虚構性が幾重にも層をなし読む者を混乱に陥れるのだ。

ヴィーコ・ロードと海水浴場・ホワイトロック

ミックとハケットがド・セルビィに出会った場所はこの辺りの海岸に下る所だろうか。

ド・セルビィがミックとハケットを伴い水中洞窟でアウグスティヌスに会い...こんな話しを聴いたのはこの辺りの海底のようだ。

たとえば、フランシスコ・ザビエルとかいう男、ねずみにしらみ、ごますりにかさっかきがうようよしているパリの貧民窟を根城にしてカルヴィンやイグナティウス・ロヨラを相手に酒くみかわし、女遊びにうつつをぬかす。ザビエルは大変な旅行家で、エチオピアから日本あたりまでのこのこ出かけて行き、エテ公みたいな仏教徒と交わり、中国改宗を一手に引きうけようともくろんだりもしたものだ。

YouTube:Dalkey Island and Killiney Hill, Ireland

....と云うことで...全てを理解するにはカソリックの神学にも...長けていないと

自転車人間の存在を信じる分子相互交換論者のフォトレル巡査部長はニュートリノの事を知ったら狂喜するだろうか。

先日、BSで映画「ユリシーズ」があったので録画しておいたら、ジェイムズ・ジョイスのユリシーズ」ではなく、ホメロスのオデュッセウスをテキストに制作された映画だった。残念
そういえば、1970年代、ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』が話題にされていたことがあった。

参照:Dalkey
アウグスティヌス

Posted by S.Igarashi at November 14, 2020 12:01 AM
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