と云うことで昨日は之潮主催の「川の地図辞典・出版記念ウォークと懇親会」に参加した。ウォーキングルートは上図のJR駒込駅南口から巣鴨まで谷田川跡と本郷台地の縁に点在する神社仏閣や墓地等の史跡を著者の菅原健二さんの案内で訪ね歩くと云うもので、山手線に沿って谷を下り、谷田川に架かっていた鉄橋の下を潜ると、アースダイビング開始である。
追記:ブラウザによってクラッシュする場合があり、GoogleMapの直接貼込みを止め別ウインドウで開くようにしました。
GoogleMapでは地形を読むことは不可能なので数値地図から凸凹地図を作成した。下が本郷台地で上が上野台地、その台地に挟まれた谷に谷田川が流れ、水田が広がっていた。(こちらも参照にTake The "A" Tramのmasaさん作成:広域凸凹地図)
画像をクリックで拡大
凸凹地図に辻潤の「ふもれすく」を追加
こうして見ると多くの神社仏閣が台地の縁やいわゆる半島や岬部分に位置していることが解る。中でも妙義神社の場所は半島そのモノの形状を示している。
染井坂を上り右に折れると新義真言宗の西福寺、ここに染井吉野の里の石碑と将軍吉宗の御用植木師・伊東政武やダダイスト・辻潤の墓所がある。その西福寺の隣は染井稲荷があり、嘗ては真言宗と稲荷信仰の結びつきが強かったことを示している。再び谷に下り染井銀座から染井霊園の脇を通り、慈眼寺、本妙寺を散策し、豊島市場脇の谷田川の源流付近を確認し、中山道を渡り高岩寺(とげ抜き地蔵)へ、巣鴨地蔵通り商店街入り口の真性寺境内で記念撮影し一旦解散、懇親会参加者は4時から酒宴、河岸を変えて宴会は二次会へと続くのである。乾杯!
追記:谷田川の下流である藍染川についても多少話題になりましたが、ミツカン水の文化センターの機関誌「水の文化」第15号「里川の構想」に『森まゆみ・陣内秀信 現代都市の「里という居住地」とは』と云う対談で、森まゆみさんが土地の人々から聞き取り調査した藍染川の昔の様子が詳しく紹介されています。因みにPDF版も用意されているのでプリントして読みたい人はこちらのリンクから。
PDF版「里川の構想」
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例によってJedi-memberによる同時多発エントリーが始まったのである。
af_blog:川の地図辞典 記念ウォーク
Kai-Wai 散策:とげぬきフォント
Kai-Wai 散策:『川の地図辞典』出版記念ウォーク
aki's STOCKTAKING:川の地図辞典・出版記念ウォーク
東京クリップ:二連ポンプ:谷田川を行く
simple pleasure 2:東京は起伏に満ちている
Across the Street Sounds:春うらら、「川の地図辞典」出版記念ウォーク
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」:「『川の地図辞典』出版記念ウォークとJEDI」
iGaさん。大変遅くなりましたが、やっと拙ブログでも記念ウォークについてエントリーできました。地図や写真、リンクさせていただきました。
Posted by: わきた・けんいち at March 30, 2008 01:30 AM凸凹地図に辻潤の「ふもれすく」の抜粋を貼込みました。テキストと凸凹地図を読み往時を想像しては如何でしょう。(時代は明治から大正)
Posted by: iGa at March 20, 2008 03:55 PMFumanchu せんせー、どうも。
滝野川7丁目は明治42年の地図では「西三軒家」となってますね。旧中山道の北側が「東三軒家」、それらをひっくるめて滝野川町から滝野川区に昇格、そして北区に統合され降格、それでも滝野川に拘り続けているのでしょうね。しかし地図で見ると東京人でさえも滝野川7丁目が滝野川?と思いますね。滝野川と云う地名のイメージは本郷台地の北の端、中山道と首都高の北側だけでしょうね。
それに滝野川7丁目IMAビルの辺りの南側の谷を谷端川(やばたがわ)が流れていて区境、それに中山道が分水嶺になっているし利水権から考えても同じコミュニティではなく、「西三軒家」と「東三軒家」はライバル関係に有ったりして。
土曜日に滝野川7丁目IMAビルに行きました。
巣鴨新田で降りれば近いのですが,
地名にだまされて毎回滝野川1丁目まで行ってしまう。
fuRuさん、昨日はお子さんの引率ご苦労様でした。
一次会、二次会とそれはもうタレント揃いで大盛り上がりでございました。
昨日は懇親会に参加出来ず少し残念でした。
たいそう盛り上がったのではないかと想像しております。