凸凹地図の丸で示した場所が青山南町から麻布竜土町にあった陸軍第一師団の射的場のあった場所である。谷戸の地形を利用して人工的な土塁を設け射撃訓練を行なった場所であろう。今では当時を思わせるものは何も残っていないが、地形にはっきりとその痕跡が残っている。
ここは東大病院の裏手にあった東京共同射的会社の射的場の痕跡である。射撃訓練場が民営化されていると云うのも変だが、東大の学内広報の記述から推測すると、射的場は警察隊と陸軍が共有していたように思えるが、なんとなく利権の臭いもしてくる。しかし射的場という名称は温泉場等の娯楽施設を連想させるが明治期は射撃訓練場をそう呼んでいたようである。