Che
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キューバ革命前夜、『君が死んだら誰に連絡すればいい?』このフィデル(カストロ)の言葉がボリビアでのゲリラ活動を記録した『ゲバラ日記』(1966.11.7〜1967.10.6)を死(1967.10.9)の三日前まで続ける大いなる動機付けになったのではないだろうか。「Che: Part Two チェ/39歳 別れの手紙」のプロローグはそんな事を考えさせられる。連絡するのは家族だけではないのだ...。
最初は82名で始め、一時たった12名まで数を減らしたキューバ革命は次々と民衆を味方に付け成功した。しかし、ボリビアでは...未だ機が熟していなかった。先住民の血を受け継ぐ多くの貧しい農民にとって、支配者たる政府も、ゲリラも心を開くことを許さない他所者でしかなかった。彼ら先住民の末裔と信頼関係を築くには時間が不足していた...。
フィデルへの「別れの手紙」でなく...「子どもたちへの最後の手紙・1965」(The Che Handbookより引用)...
『イルディタ、アレイディタ、カミーロ、セリア、エルネストへ、僕は知らなかった。高橋悠治が2005年12月のICC公開トークで提示したテーマ「他者の痛みを感じられるか」 はゲバラの「子どもたちへの最後の手紙」からの引用だっただろうことを...。ともすれば失われそうな他者の苦しみをおもう痛覚を取り戻す為にも観ておきたい映画である。
この手紙を読まねばならないとき、
お父さんはそばにいられないでしょう。
とりわけ、世界のどこかで誰かが不正な目にあっているとき、
いたみを感じることができるようになりなさい。
これが革命家において、最も美しい資質です。
子どもたちよ、いつまでもお前たちに会いたいと思っている。
だが今は、大きなキスを送り、抱きしめよう。
お父さんより』
映画「Che: Part Two チェ/39歳 別れの手紙」の唯一の救いは政府軍との戦闘に敗れイゲラ村の小学校に捕らえられ、その監視役の若い兵士とのやり取りであろう。『私が信じるのは人間だ。』ゲバラの知的で人間的な魅力に圧倒された兵士の心は揺らぎ、教室を出て他の兵士に交代してもらう。このシーンはボリビアの現在を予言する意味で挿入されたとも考えられる。
戸井十月の「チェ・ゲバラ/革命への旅」にゲバラと民間人として最後に会って、食事の世話をした小学校の女性教師フリア・コルテス(当時19歳)とのエピソードが綴られている。その会話の要約は...。
「あなたには奥さんや家族はいないの?」
『妻子はいるが、それよりも大事なものがある。それは思想であり、それが私の生き方なのだ。』
『君はなぜこんな山の中で教師などをしているのか、もっと向上心を持って、広い世界を見なさい。』
「ここで教師をすることは私の天職であり、それが私の生き方なのです。」
互いに同じようなことを言ってるのに気付き二人は笑いあった。それから家に戻った彼女は、小学校から銃声が立て続けに鳴るのを聴いたと云う。
チェ・ゲバラの旅の終着地となったボリビア(Bolivia)山岳部の一寒村、La Higuera(ラ・イゲラ 18°47'42.41"S 64°12'4.63"W)である。ゲバラが処刑された小学校はこの地図では隠れているが広場の南側に位置し南半球らしく北東に向いている建物がそれらしい。(大きな地図で見ると、Panoramio にリンクされた La Higuera のサムネイル写真を表示できる。)
2006年に就任したボリビアの現在の大統領であるフアン・エボ・モラレス・アイマはキューバ革命の年、1959年に生まれている。社会主義運動党を率いるモラレスは先住民の出身で反米主義、ベネズエラのチャベス政権、キューバのカストロ政権と連携し、新自由主義経済やグローバリズムに異を唱えている。ボリビアでの映画撮影が可能となったのはモラレス政権となったからであろう。映画「Che: Part Two チェ/39歳 別れの手紙」はとても哀しい結末を迎えているが、ゲバラの遺志は"Hasta siempre Comandante(mp3)"の唄と共に彼の子供達の世代に受け継がれていたのである。そして、ボリビアでは2009年1月25日、先住民の権利拡大と大統領の再選を可能とする新憲法案が国民投票により承認された。
Seguiremos adelante
Como junto a ti seguimos
Y con Fidel te decimos
Hasta siempre Comandante
私たちは前に進み続ける
これまであなたと一緒に進んできたように
そしてフィデルとともに私たちは言う
ごきげんよう、司令官
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チェ・ゲバラが埋葬されていたVallegrande バジェグランデの軍用飛行場。( 18°29'0.18"S 64° 5'52.88"W)
aki's STOCKTAKING:CHE
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MADCONNECTION:PLAYBOY July 2008
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そうですね。ショーグン様にも新自由主義経済主義者にも矢鱈と自己責任と云う輩にも...テキサスにヘリで帰ったあの男にも...解らないでしょうね。
Posted by: iGa at February 16, 2009 02:08 AM憲法学者が昨年、公費で革命50周年見物に行って来た。
「どうだった?」
「いやはや、なんとも。」
「北朝鮮か?」
「父子相伝じゃあねえ。」
将軍様には他人の痛みは解らないのであろう。
Posted by: Fumanchu at February 15, 2009 08:35 PM