October 25, 2014

ルイジ・ギッリ『写真講義』

Ghirri-s.jpg

私は「写真」と云う熟語は明治以降に作られた言葉だと思っていたが、どうやらそれは違うらしい。ウィキペディアでは「増井金典『日本語源広辞典』ミネルヴァ書房」から『日本語の「写真」という言葉は、中国語の「真を写したもの」からである』と引用しているが、『語源』を調べると諸説入り乱れ、何が何だか分らなくなる様だ。兎も角、「真を写したもの」と云う精神的拘束をリセットして自由になることが、この講義を読む上で大事なことではなかろうか。英語の "photograph" の光(photo)で描く(graph)イメージとか、中文の『摄影』(註:摄/攝)は…真ではなく『影』としている処に…何故か納得するのである。
と云うことで、ルイジ・ギッリ『写真講義』であるが、東京新聞・書評欄の「三冊の本棚」を読むまでルイジ・ギッリ(Luigi Ghirri 1943~1992)と云う写真家の名を知らなかった。「三冊の本棚」の選者である幅允孝氏は自身のサイト「ページバイページ・江口宏志と幅允孝の1000冊」でも『写真講義』を取り上げている。
本書は1989年1月から1990年6月まで専門学校で行なわれた『写真講義』の記録音源から、約20年の時を経て書き起こしたものである。従って、本書に書かれていることは全て「銀塩写真」についての考察であり講義である。

Alinari Archives

内容(目次)
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
・好事家(ディレッタント)かもしれない私の情熱(1989.01.27)
・自分を忘れる(1989.01.27)
・探究(1989.02.03)
・カメラ(1989.02.03)
・実習(1989.02.09)
・露出(1989.02.17)
・「見えていたように撮れていない」(1989.02.17)
・歴史(1989.04.20)
・透明さ(1989.10.20)
・敷居(1990.01.19)
・自然のフレーミング(1990.01.19)
・光、フレーミング、外部世界の消去(1990.02.08)
・音楽のためのイメージ(1990.06.04)

・ルイジの思い出 写真と友情--ジャンニ・チェラーティ
「訳者あとがき」
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
archivio LUIGI GHIRRI(公式サイト)
YouTube:Documentario Luigi Ghirri italiano

思い起こしてみると、ガキの頃、駄菓子屋で買った日光写真や玩具のようなカメラ・オブスクラもどきの様なモノで遊んだ記憶が在るが、カメラには触れたことはない。その頃、紅梅キャラメルの景品のカメラが少年たちの垂涎だった。と云うことで、私の最初のカメラは露出計の付いてないNikon-Fのボディに50mmのレンズを日本信販の月賦で買ったものだった。露出計はセコニックの入射式/反射式兼用を買った。アナログカメラはフィルム感度と絞りにシャッタースピードの原理さえ憶えれば良く、失敗しても納得ができた。しかしデジタルカメラは全て機械任せ、他人の考えたプログラムに乗っかっている処が心許なく感じてしまうのである。

Posted by S.Igarashi at October 25, 2014 04:00 PM | トラックバック
コメント