May 05, 2013

中央線がなかったら

中央線がなかったら 見えてくる東京の古層
陣内秀信・三浦展・編著(NTT出版)
本書カバー見返しの内容紹介によると『『東京の空間人類学』の陣内秀信と、郊外論の第一人者三浦展が組む、新たな東京論。近代の産物である「中央線」を視界から取り去ると、武蔵野・多摩地域の原構造がくっきりと浮かびあがる。古地図を手に、中野、高円寺、阿佐ヶ谷、国分寺・府中、日野を歩く。地形、水、古道、神社、商店街などがチェックポイント。中央線沿線の地形がわかるカラーマップも掲載。楽しくて深い、新・東京の空間人類学。』とあるが、俗に云えば建築史系・空間人類学とマーケティング系・環境社会学のコラボ企画だろうか。しかし、此処で語られる東京は江戸市中から離れた武蔵野台地の村々に残る近代以前の古層であるが...それが現代に...どう関係性を持つか...或いは無関係に開発されているか...人類学的なアプローチを試みている。

本書の元ネタは東京人に連載された『中央線がなかった時代』第1回目の陣内秀信・三浦展、両氏の対談から始まる。その後、東京人の連載は三浦氏による『中央線がなかったら2 新宿から中野』、『中央線がなかった時代3』と続いた。本書・第一部「中野・杉並編」第一章「新宿〜中野」、第二章「高円寺」は三浦氏の東京人連載記事をベースに、それに陣内氏による第三章「阿佐ケ谷」を加えられている。第二部「多摩編」は中央線沿線にキャンパス(市ケ谷、小金井、多摩)を置く法政大学・陣内研究室によるもので、第四章「国分寺〜府中」と最終章の第五章「日野」までで終わり、浅川を越えて八王子までは語られていない。尤も...陣内・三浦、両氏の対談で花街の話題が出た時...「...西側では八王子が独立した文化圏ですが...云々」との認識を示している通り...確かに八王子は独立した地方都市である。
マーケティング系な逆説的コピー(広告文案)の様なタイトルをつかみにしているが、武蔵野台地の集落の発生と市街地化の成立ちを考えれば当然のことで、中野から立川まで集落や市街地化の骨格となっている街道や河川等の地形的文脈に関係なく一直線に敷かれた中央線は歴史を溯って妄想を拡げるには障碍物以外の何ものでもない。
 逆に云えば中央線に乗っていて感じる空の高さと解放感は、略、甲州街道に沿って武蔵野台地の縁を走る京王線からは得られないものである。その空の高さは中央線が真直ぐ西へと、東南東から西北西に向かう青梅街道に代表される道路割と区画割を無視して斜めに横切っている事で周辺の土地が容積や高さ等、路線緩和の影響を受けない事で得られている。(つまり、駅前を除いて高い建物が建てられない。)西に向かう中央線が地形の影響を受けるのは武蔵小金井を過ぎて国分寺の手前から国立の手前までの切り通し区間からである。

追記
そういえばこの時この会場で第5章の「日野 用水路を軸とした農村、......」の研究発表を聴講。その時、偶々、私の隣に座られた陣内先生とこの言を話題にすると、阿佐ケ谷住宅の近くで少年時代を過ごした話を....。と云うことで、直接伺った話が...第3章の阿佐ケ谷...「私の原風景」に更に詳しくありました。

Posted by S.Igarashi at May 5, 2013 10:10 AM
コメント

shin さん、どうもです。
数年前、久しぶりに横須賀線に乗った時、横浜過ぎてから大船までの車窓風景が開発によって高層住宅が建ち並び、空が狭くなって、押しつぶされそうな印象に、改めて中央線の車窓から見る空の高さが気持ち良いです。

Posted by: iGa at May 13, 2013 06:51 PM

中央線で育ち、学校へも10年以上使ったパワーユーザーとしては是非とも読みたい本です。確かに青梅街道も五日市街道も全く無視してドカンと東西に延びます。夕焼けがどの駅でも綺麗なのが.....納得です。

Posted by: shin at May 13, 2013 04:01 PM