August 17, 2005

昭和住宅メモリー

X-Knowledge HOME 特別編集No.5
昭和住宅メモリー・そして家は生きつづける
昭和の時代に造られた住宅、今も生きつづける家、そして記憶だけに残る家が各執筆者の言葉で語られている。同時代を生きた川合健二と丹下健三、夫々の自邸の極端なまでの差違は何を物語っているのか。「丹下自邸の謎」と題された探偵・F森教授のレポートが戦後モダニズム住宅にせまる。
表紙を飾っている清家清自邸「私の家」の原寸模型が展示されている建築家・清家清展も9月25日まで開催中だ。(日本建築学会建築博物館の「図面に見る清家清の世界」は8月24日まで。)昨年2月にエントリーした風信子ハウスも"さいたま市別所沼公園"内に昨年11月に竣工したようだ。立原道造記念館に竣工した写真や立原道造のスケッチがある。
昭和という時代を客観的に振り返るには今が良い時期なのかも知れない。

追記:幻の"丹下別邸"
F森教授のレポートを読むと丹下自身が自邸に愛着も拘りも抱いていなかったことが判る。丹下が成城の家を出て、新しいパートナーと新居を構えたのが三田の我が国初の超高層集合住宅であることから見ても、彼にとって合理性が最優先事項だったのだろう。成城の自邸は建築家として国内外にその存在と実力を顕示することが目的であるならば、確固たる地位を築いた後では、彼にその存在理由が薄れるのは当然かも知れない。丹下自邸の保存そのものが丹下や前夫人のプライバシーに関わることでもあり、既に建築界のドンであった丹下はアンタッチャブルな存在でも有り、保存運動すら起こることなく成城の自邸は闇に葬られることになってしまったのは建築界にとって不幸であった。
さて幻の"丹下別邸"であるが具体的な建築計画が進められていたかは不明であるが、別荘用地だけは確保されていた。隣接地にはあの東京オリンピックのポスターデザインをされた亀倉雄策の別邸があった。もしも丹下自身の手により別荘がデザインされていたとしたら、どのような建築になったのであろうか、興味深いことである。(この項、敬称省略)

Posted by S.Igarashi at August 17, 2005 09:38 AM | トラックバック
コメント

Kurita さん
川合健二のコルゲートハウスに対して随分と失礼な取材をしたようで、記事の半分以上は弁明ですね。

Posted by: iGa at August 19, 2005 09:54 AM

僕もiGaさんのエントリーを読んで注文したこの本が先ほど届きました。

Posted by: fuRu at August 18, 2005 07:23 PM

川合健二の息子さんからこの本への掲載を知らされ、本屋で確認をと思っていましたが、近場の本屋には並ばない本です。
iGAさんのエントリーで立ち読みしたつもりになり、amazonに注文しました。感謝!

Posted by: Kurita at August 18, 2005 04:22 PM