September 10, 2004

1956 西新井橋

荒川放水路に架かる木造の西新井橋、昭和31年当時の風景。この左手にお化け煙突が見えていた。荒川放水路の西新井橋から千住新橋間までの左岸が子供の頃の遊びのテリトリー、千住新橋を渡り、下流の右岸に行くのは冒険だった。
今は荒川放水路と言わず荒川と言うのが一般的だが、この頃地元では放水路とだけ言っていた。因みに係留されたままのボート上で日傘を差しているのが母、オールを持っているのが母の友達の太田さん。

Posted by S.Igarashi at September 10, 2004 10:14 AM | トラックバック
コメント

放水路と土手が、いわゆる僕の原風景の一つでしょうね。水辺の空間は限られた国土しかない日本では貴重なオープンスペースで、開放的な気持ちになれる場所の一つだと思います。
北野武の少年時代にも放水路と土手が良く出てきますが、彼の生家は足立区の島根町で、東部伊勢崎線よりも北、環七の近くだから放水路からは遠く離れている筈だけど、タケシ君もやっぱり、放水路と土手が原風景の一つになっているのでしょうね。
因みに金八先生のオープニングタイトルの土手はもっと下流の荒川放水路右岸ですね。

Posted by: S.Igarashi at September 11, 2004 12:12 PM

面白いね、子供の頃の話は。その人を再発見するようで。

Posted by: komachi at September 10, 2004 04:02 PM