坂のお話ありがとうございました。青山方面の坂は未開拓ですので、よい予習になりました。やはり江戸時代のもう1つの資料となると、東京名所図会でしょうか。私もいつか手に入れたいなと思い始めているところです。
Posted by raizo at January 30, 2007 09:20 PMraizo さん、初めまして。
この北坂に面したマンションに10年近く事務所を借りていたいたこともあって、嘗てこの坂に、港区による坂の謂われが書かれた標識が立っていた憶えがあります。幅9尺にも満たないこの道路が江戸の昔からある道だと知る人はいないでしょうね。
明治32年に造られた根津美術館の裏道に関する文献には矛盾する怪しい箇所があり、そのまま鵜呑みにする訳には行きません。
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青山南町五丁目と同六丁目の間より麻布笄町に通ずる新開の坂路を北坂と称す。従前、樹梢より滴たる露と、崖陰より湧き出づる水とに汚れたる小徑一条、蛇の如く通ずるのみなりしを、明治三十二年、土工を起し、開鑿する所とす。
( 『新撰東京名所図会』 第三十八編 赤坂区之部 巻之二 十四頁)
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青山南町五丁目と青山南町六丁目の町境は嘗ての青山脳病院の前から庚申塚までの道になります。庚申塚より下は麻布区となり、区が異なります。
『赤坂区史』でも(立山墓地の西辺、南青山6丁目境を笄町へ下りる坂が「北坂」)となっているようです。
以上から考察すると、江戸から続く北坂に代わって、新開の坂路を新たに北坂としようとする明治時代の支配者の考えもくみ取れます。
北坂の標識が撤去されてから、その後、根津美術館の裏道にその標識が移設されていない処をみると、私のような考えの人間もいて、港区でも結論が出ていないのかも知れません。
と、云ったように江戸、明治、現代の三層歴史重ね地図は想像が広がって楽しめますね。
はじめまして。秋山さんのサイトのリンクから辿ってきました。
昨秋から、この本を手に坂道巡りをしているところです。時々文中に新しい坂だと断り書きがある坂もりますし、現場の坂道紹介看板を読むと、明治以降の新しい坂だったりもします。
この地図が登場し、江戸と明治を比べることができ、辿ったルートを振り返る時に重宝します。さらに江戸地図を眺めながらその昔を想像できるというのは本当に楽しいですね。
Posted by raizo at January 28, 2007 07:09 AMはい、待ってました。
Posted by iGa at January 28, 2007 02:13 AMあっ、さっそく活用されていますね〜!!
Posted by わきた・けんいち at January 27, 2007 09:20 PM