February 06, 2007

完璧な家

完璧な家 パラーディオのヴィラをめぐる旅
ヴィトルト・リプチンスキ (著), 渡辺 真弓 (翻訳)
白水社・刊 ISBN4-560-02702-1
サブタイトルの通り、 本書はパラーディオ設計の公共建築や宗教建築、はたまたパラッツオと呼ばれる都市住宅ではなく、郊外や田園地帯に建つヴィラ(別荘と云うよりも荘園住宅)に焦点が当てられている。
完璧な家とは所謂『用・美・強』を兼ね備えた家である。『、、、なぜなら、有用であっても長持ちしない建物、永続性はあっても便利でない建物、あるいは耐久性と有用性の両方を供えていてはいても美しさに欠ける建物を、完璧と呼ぶことはできないからである。』とパラーディオは語る。
因みに2005年12月の地中海学会月報285の「自著を語る」に於いて翻訳者の渡辺真弓さんが著者や本の内容についてのエピソード等を語られている。尚、リプチンスキ氏はねじとねじ回しの著者でもある。

そういえば来年はパラーディオ生誕500年を記念する年である。没後400年を迎えた1980年も世界各地でパラーディオを記念する展覧会が開かれ、日本では九段のイタリア文化会館で開催されている。そのとき配布された建築見学案内の小冊子・表紙のロトンダの空撮写真が珍しかった。
パラーディオに興味を抱いたのはロバート・ヴェンチュリーの「建築の複合と対立」に於けるサン・ジョルジョ・マッジョーレのファサードの分析からであろう。その後、ヴィチェンツアのバシリカの写真のセルリアン・モチーフの端正な力強さに魅せられ、これはいつか見に行きたいと思っていた。

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そんなことで建築家協会が「パラーディオ紀行」を企画していたのを知り、渡りに舟と申込んだ。時はバブル絶世期の1989年、世の中の建築関係者の誰もが多忙を極めていた。最小催行人員15人のところ、集まったのはたったの9人だけであったが、ツアーは予定通り実行された。ツアーに先立ち勉強会が行なわれたが、その講師を担当されたのが「完璧な家」の翻訳者・渡辺真弓さんであった。

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1989年8月27日21時30発・搭乗予定の英国航空006便が台風の影響で韓国の金浦空港より遅れて成田に到着、時間は遅れたが搭乗手続きも荷物も積み終え、滑走路に出て、いざ離陸と云うところでタイムオーバー、成田空港の離着陸時間を過ぎ空港が使用できなくなってしまった。これは言い訳、本当は機体整備の不良であることは間違いない。きっと、離陸寸前まで機長、機関士、整備員、管制官の間で揉めていたのだろう。深夜につき、そのまま機中に泊まり、翌日午後の英国航空008便で再出発。てことで命拾いしたのだが、当初の予定が狂い、パドヴァ行きはキャンセルと相成り、パドヴァ近郊の五つのヴィラを見学することは叶わなかった。結局、一日遅れでヴェネチアに到着、その翌日の8月30日午前10時にロトンダに辿り着いた次第である。

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Villa Malcontentaは運河からの眺めが優美である。

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Villa Cornaro の前の通りでは朝市が開かれていたが、村人は我々日本人の一団を珍しそうに眺めていた。

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Villa Emoの前に訪れたVilla Barbaroについては拙ブログのマゼールの館で触れている。
現地で「パラーディオ紀行」に同行し、我々に解説と助言を与えてくれた福田晴虔氏はGA JAPAN47の「歴史は現代建築に必要か」に於いて『建築史という学問の目標は、建築創作の過程を追体験することだと考えている。、、、、、その追体験を学生諸君に語ることによって、幾分かはもの作りの倫理が伝えられるのではないかと考えている。』と述べている。
「完璧な家」の著者・ヴィトルト・リプチンスキも建築家としてパラーディオのヴィラをめぐる旅を続けながら、パラーディオの建築創作の過程を追体験しているのであろう。そうした視点で本書を読むと、訪問したヴィラの佇まいが脳裏に浮かび、未だ見ていないヴィラへの想像力がかきたてられてゆく。なかでも最終章のヴィラ・サラチェーノは見学予定を断念したヴィラであるが、現在は貸別荘として利用できるようになっているようだ。

翻訳者である渡辺真弓先生は私が週に一度、非常勤講師を務める東京造形大学の教授である。昨年、海外研修で半年間ヴェネツィアに滞在しパラーディオの研究を続けてこられた。そのエピソードは地中海学会月報は2006年10月の月報293「ヴェネツィア雑感」としてエッセーに記されている。

Posted by S.Igarashi at February 6, 2007 06:37 PM