February 16, 2004

地上げの時代・昭和も遠くなかりけり


東京人3月号(200号記念)の特集「東京からなくなったもの」を見て、頭に浮かんだ言葉が「地上げ」である。「地上げ」と云う言葉が一般化したのは80年代からであろう。辞書で「地上げ」を検索してみたら電子辞典の「大辞林」にもアナログの新明解国語辞典第五版にも出ていない、「地上げ」なんてヤクザが使う下品な言葉は格調高い新解くんには相応しくないのだろう。それなのに新英和・和英中辞典には「地上げ」が出ている。不思議だが何故か納得できた。日本が不動産バブルで浮かれる、その前にはアメリカも同じように不動産バブルが起こりトランプ・タワーのトランプ氏が時代の寵児として持て囃される時代があった。同時代のニューヨークを舞台にしたテレビドラマ「刑事コジャック」では度々、マフィアと「地上げ」が絡んだテーマでドラマが作られていた。だから、日本ででヤクザが「地上げ屋」に進出した話を聞いて、真っ先に思い出したのが「刑事コジャック」のことだった。日本のバブルがアメリカのそれよりも質が悪いのは「地上げ屋」に資金援助したのが大手銀行だったということだ。そのツケが廻り廻って公的資金援助となって国民が支払わされている。しかし「地上げ屋」とグルになって悪事を働いた輩が誰一人ブタバコに入っていないことの方が大問題である。
特集「東京からなくなったもの」の、95人の執筆者のコラムの一つ一つの内容は共感をおぼえ、納得できるものが多い、しかしそれが特集全体となると「ノスタルジー」として括られている。結局、同じ雑誌の小特集で「2004年、都心大変貌地図」と称して再開発プロジェクトの特集を組んでいるが、そこに批判的な精神は微塵もない。つまりは大特集「東京からなくなったもの」は前座で、真打ちが「2004年、都心大変貌地図」なのである。「東京からなくなったもの」を「ノスタルジー」として葬り去る為の仕掛けのような気がする。云わばガス抜き効果。

Posted by S.Igarashi at February 16, 2004 11:05 AM | トラックバック
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