オランダのモダン・デザイン: リートフェルト/ブルーナ/ADO
東京オペラシティ アートギャラリーで開かれている"Dutch Modern Design Rietveld / Bruna / ADO"を見てきた。本ブログのCATEGORYにはG.T.Rietveld があり、これまで18のエントリーがあったがこれで一つ追加された訳である。と云うことで2004年のリートフェルト展以来、12年ぶりのリートフェルトである。今回の展覧会は1997年にセゾン美術館で開催された「デ・ステイル展」を企画した当時のセゾン美術館・学芸員で現在、大分県立美術館館長の新見隆氏による企画と云うことで、デ・ステイルをルーツとする「オランダのモダン・デザイン」からリートフェルト/ブルーナ/ADOが取り上げられている。リートフェルトの代表作である《シュローダー邸》が未亡人と残された三人の子供達の生活空間として造られたこと、そしてADOによる木製玩具、ブルーナの「ミッフィー」の絵本と、日常的な生活に深く結びついているオランダのデザイン文化にフォーカスを当てたものである。
そう言う意味で、リートフェルトの日曜大工で作ることのできる組み立てキットとして考案された椅子等はホームセンターで売られている材料で直ぐにでも出来そうである。ブルーナのミッフィーも最初の頃は「おブスちゃん」で、またそれも可愛いのだが…シュローダー邸前のブルーナのスナップ写真も同じ街に生まれ育ち生活している者の日常の一コマに過ぎないのだろう。
「リートフェルトの建築」
リートフェルトと云えば世界遺産・シュロイダー邸とレッドアンドブルー・チェアーが代表作であるが、それ以外の建築作品は日本では殆ど知られていない。2004年に開催されたリートフェルト展でも建築作品はシュロイダー邸だけにフォーカスした構成となっていた。その展覧会の図録にはユトレヒトの建築マップが添付されていたが、写真はまさに爪の先・サムネイルで建築の全体像をイメージすることまでは不可能であった。本書は今まで日本国内で紹介される機会の少なかった戦前・戦後の「リートフェルトの建築」の現存する姿を「撮り下ろし写真」によって記録している。それだけでも20世紀のいわゆるミッド・センチュリーのモダニズムを再考する貴重な資料となるであろう。
内容
1 家具作家から建築家へ 1917-24
2 戦前の住宅:新即物主義を超えて 1925-45
3 戦後の住宅:「生活」と「空間」の同一化 1945-64
4 「構成」と「構造」の統合を目指して 1949-64
著者の奥佳弥氏は2004年のリートフェルト展に合わせて府中市美術館で「リートフェルトと日本をつなぐもの」と題した講演を行なっている。そこでも蔵田周忠の古仁所邸や旧 金子邸にも比較言及していたが、セゾン美術館で開催された「デ・ステイル1917-1932」の図録に「デ・ステイルと日本/日本における新造形主義の行方」と云う論文を寄せている。蔵田周忠は1930〜32に掛けてベルリンに滞在、グロピウスに師事、デ・ステイルの建築に見られる「面の立体的構成」に共感し、シュロイダー邸を高く評価している。帰国後の作品は、それまでの多摩聖蹟記念館(1927)に見られる表現主義は影を潜め、古仁所邸等の「等々力住宅区計画」(等々力ジードルング)にみられる面による立体的構成をモチーフとした非対象形な建築へと変化していった。
嘗て等々力渓谷に面したこの付近の閑静な住宅街にリートフェルト建築の影響を受けた「等々力住宅区計画」が4棟建てられた。旧三輪邸を除いて既に現存していないようであるが、その旧三輪邸も竣工当時の面影は残していない。そうした情況はリートフェルト・設計による戦前の住宅が現在でも手入れされ使用されているのに対して大きな違いがある。住宅に限らず多くの近代建築が姿を消してゆくのは、耐用年数の問題以上に建築的価値が投資に見合う金銭的対価をもってのみ評価されているからであろう。巷では中央郵便局の再開発に対し、某大臣が異論を唱えている。文化的価値から保存を望まれた三信ビルディングは既に解体されてしまった。そうした保存運動に関心を持たなかった男が俄に中央郵便局の文化的価値を語るとは...今更ながらの政治的茶番に片腹痛い...。
蔵田周忠・参考文献:INAX REPORT / 蔵田周忠・生活芸術を追及したモダニズムの啓蒙家(HTMLは抄文であるが、全文がPDFとなっている。)
Schroder House QuickTime movie 192kb
TBS・世界遺産の来週(6/26)放送予定はG.T.Rietveldのシュロイダー邸ですね。TBS・世界遺産でモダン・ハウスを取り上げるのはミースのトゥーゲントハット邸以来のことかな。先日のテレビ東京"美の巨人たち"のコルビュジェの小さな家に引き続き見逃せない放送ですね。
10年近く前にもNHKで世界遺産に指定された住宅としてシュロイダー邸を放送したことがありました。確かビデオがある筈なのだが、、、、トゥーゲントハット邸のビデオも、、、どこかに(^_^;)
リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険-1
リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険-2の続編
4月5日、MADCONNECTIONに「リートフェルトの平行定規」の目測スケッチによる3Dモデルをエントリーする。実測をするのだから今更、目測のデータで3Dモデルを作成することもないと思う向きもあろうが、目測と実測の差がどのくらい生じるのか興味があり、それをデータとして把握しておきたかった。
4月11日、aki's STOKTAKINGの「リートフェルトの平行定規」に橋本さんよりコメントの追加。
橋本@宇都宮美術館です。継続調査により、シュロイダー邸の施主であるシュロイダー夫人の次女「ハネッケ・シュロイダー」は、リートフェルト事務所で修行した後、友人と一緒に建築家として独立します。その際に、この製図板を受け継ぎました。さらに、その友人が大切に保管し、1999年に、ユトレヒト市立中央美術館に製図板を寄贈されたとのこと。決して遺品が多くないリートフェルトですが、木槌など自作の工作道具は、徒弟のファン・デ・フルーネカン(赤と青の椅子などを手がける)が受け継ぎました。製図の技術自体については、よく言われているように必ずしも「図面が描けない大工」(エル・リシツキーによる)ではなく、シュロイダー邸の詳細図は、きちんとツボを押さえています。これらは、これまで余り展覧会で紹介されたことがありませんでした。面白いのは、製図する紙に拘らなかったことで、メモ用紙、便箋、封筒のウラなどにも描いています。しかも、描いたらそれに何でもかんでもメモする、そして簡単に捨てるのも厭わず。なので、逆に施主や工務店の人たちが心配してゴミ箱から図面(スケッチ)を拾い出して、後々まで取って置いたものが、ユトレヒトの美術館に収蔵されています。それらは、どれもしわくちゃで、判読不能だったり、手垢にまみれているのがご愛嬌です。
4月13日、午後、東北自動車道を宇都宮に向けて車を走らせる。乗員は「リートフェルトの平行定規・調査団」秋山東一氏、私の二名である。午後三時前後に宇都宮美術館に到着、一通り会場を見学してから、橋本さんに面会を申し込む。ロビーにて、リートフェルトから美術館建築、さらにBlogにまで話が弾んだところで、実測調査にうつる。府中市美術館では正面と右側からしか製図板を見られなかったが、宇都宮美術館では四方から製図板を見ることが可能となっていた。調査方法は秋山氏が採寸、私が書記と役割分担して行った。既に閉館時間は過ぎていたにも拘わらず、学芸員の橋本さんと濱崎さんに最後まで実測にお付き合いしていただき、貴重な情報を採集することができた。
実測データに基づく3Dモデルの作成は5月の連休期間を利用して行うことにした。既に目測版は作ってあるが、それを再利用しないで全て一から作り直した。製作を始めてから、数ヶ所の寸法を採取していないことに気付いた。それはステー(支持棒)の取付位置と脚が開いている状態の前後の脚の間隔であった。脚の間隔は他に採寸したデータから推測することにして、ステーの取付位置は再調査が必要だが、後からでも位置合わせは可能なので、作業はそのまま進行することにした。目測との大きな違いは製図台の構造であった。府中市美術館では分からなかった裏側や背面も見ることができ、製図台が折り畳めるようになっていることや、脚の構造材の仕口が「ホゾ差し」ではなく「合い欠き」になっていることが分かった。その辺りのディテールにレッドアンドブルーチェアーをデザインしたリートフェルトの拘りが隠されているように思えた。3Dモデルの作成は各パーツや部材を初めに作成して、それをエレメント毎に組み立て、最終的に全てのエレメントを統合するように、リアルな世界のシュミレーションでもある。それは80年以上前のリートフェルトによる「平行定規と製図板」の製作をバーチャルな空間で追体験することである。
5月11日、MADCONNECTIONに「リートフェルトの平行定規・実測版」をエントリーし、実測に基づいた3Dモデルを公開。
5月12日、MADCONNECTIONに「リートフェルトの平行定規の秘密・ループの法則」をエントリーし、そのメカニズムを解説。3Dモデルによるシュミレーションによって「ループの法則」と大きさの異なる二段に重ねられたプーリーの意味が解き明かされた。他にも細かいディテールにもリートフェルトの創意工夫が込められている。
5月22日、秋山氏、MECCANO(メカノ)で作成した「リートフェルトの平行定規」のモデルをエントリーする。実際に動くモノはそれだけで雄弁である。これを見ると自分も「リートフェルトの平行定規」の1/2モデルを作ってみたくなる。
5月23日、「リートフェルト展」最終日のユトレヒト市立中央美術館・館長のイダ・ファン・ゼイル氏の講演を聴講する。イダ・ファン・ゼイル氏は【Gerrit Th. Rietveld The Complete Works 1888 - 1964】の著者であり、リートフェルト研究家の第一人者である。【Gerrit Th. Rietveld The Complete Works 1888 - 1964】にはリートフェルトがデザインに関わったモノ全て、レターヘッドから家具、建築に至までに年代順に番号を振って記録している。中には番号と表題だけで図版や写真がないものも少なくない。その研究態度はモォツアルト研究家のケッヘルにも匹敵すると思える。大学の図書館から借りた1992年版とAmazon.comで調べた1996年版本と比較すると四ページ増えている。「リートフェルトの平行定規」も1999年にユトレヒト市立中央美術館に寄贈され、今回の「リートフェルト展」の会期中にリートフェルトのデザインによるものであることが判明したことから、何れ改訂版が出版されるときには、「製図板と平行定規」も【Gerrit Th. Rietveld The Complete Works 1888 - 1964】に追加収録されることであろう。
因みに講演会はCASA BRUTUS 2004 March Vol.48の166頁に掲載のイダ・ファン・ゼイル氏へのインタビュー記事に幾つかのエピソードを加え、更に発展させた内容であった。
講演終了後に、ユトレヒト中央美術館館長イダ・ファン・ゼイル氏に伺ったところ、リートフェルトの製図板+平行定規が他にも作られたかどうかの記録は残っていないのと、現存するのはこの一台だけと云うことである。また、メカニズムを構成するパーツはリートフェルトの思想からみて、他の工業製品の流用(自転車・ミシン等)と考えるのが正しいだろうが、材質や何の部品を流用したのか現在のところ詳しいことは解らないとのことです。
展覧会終了後の撤収作業の中、最後の実測調査を行い、見落とした箇所の採寸をする。後から手が加えられたと思われる部分については、採寸だけの記録に留め、二次元図面には反映させていない。二次元図面の作成に関して、初めは三次元データを流用する考えでいたが、陰線処理時間に手間取る割に、曲線部分の精度が期待できないので、全て改めて描くことにした。
6月2日、MADCONNECTIONの「リートフェルトの平行定規・3Dモデル」に木製製図台の資料をさがしている人からコメントが寄せられた。西洋美術館の展示会で製図台部分を再現したいと云う希望なので、製図台の図面を先に仕上げることにする。
6月6日、MADCONNECTIONに取り敢ず製図台だけの二次元図面をエントリーする。
6月9日、MADCONNECTIONに「 G.T.Rietveld's Drawingboard & Parallel-motion ruler」をエントリー、A3で5枚分の図面をPDFにしてアップロードして、ミッションを完了。
6月10日、PDF図面に経過説明として書いた「リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険」を加筆修正しエントリーすることにした。書き始めると、書き足らないことが多すぎて、一日では終わらず、分割して掲載することに。
これで僕らの「リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険」は一旦終了する訳であるが、しかし、完結することもないと思うので、また再び、Blogにエントリーすることもあるだろう。
リートフェルトの平行定規そしてBlogを巡る冒険-1の続編。
私の取材申し込みの応対をされた府中市美術館の学芸員N氏は『「リートフェルトの平行定規」はリートフェルトが作ったものではなく、ただリートフェルトが所有し使った道具として展示しているだけです。』と述べて、何故そのようなもの(道具)に興味を抱くのか怪訝そうであった。それについて、コンピュータによる設計製図つまりCADが全盛の今日だからこそ、先人達による、こうした設計製図の道具があったことを、いま記録する必要があるのではないでしょうかとその理由を説明をした。それに対して全ての展示物は借り受けているものであり、自分たちには取材を許可する権利がないので、ユトレヒト美術館と直接コンタクトのある宇都宮美術館の担当者に聞いてみないと回答できないとの返事。その時は府中市美術館の学芸員から宇都宮美術館に問い合わせしてその結果を、後日連絡して下さるとのことで、更に宇都宮美術館の担当者名を教えられ、できれば直接連絡交渉するようにしてくださいと言われた。一週間経っても、府中市美術館からは連絡はなく、やはり直接、宇都宮美術館に連絡するしかないだろうと考えた。
そうした矢先、自宅介護中の老母を朝食の準備をしてから起こしに行くと、前日まで歩けた母がベットから立ち上がることも出来なくなっていた。突然の出来事で、宇都宮美術館に取材申し込みするどころではなくなった。ケアマネージャー、そして主治医と連絡相談した結果、主治医の診療所に緊急入院、そしてリハビリテーション施設のある老人病院に転院と、介護老人を抱える者に共通の日常に翻弄されることになった。しかし一段落して、母の入院によって自宅介護よりは多少なりとも時間的余裕が生まれたことになった。
3月22日、MADCONNECTIONに「リートフェルトの平行定規」の目測スケッチをエントリーする。
3月31日、MADCONNECTIONの「リートフェルト展・2」に宇都宮美術館・学芸員の橋本さんより初めてコメントが書き込まれる。
4月2日、aki's STOKTAKINGの「リートフェルトの平行定規」に橋本さんからコメント。
五十嵐さんの素晴らしいスケッチには敬服の至りです。また、秋山さん、玉井さんの説明も、とても貴重で勉強になりました。ちなみにあの製図板は、リートフェルト自身が作ったものであることが、今日になってオランダの美術館の方の追跡調査で判明! しかも若い頃の製作で、シュロイダー邸の設計にまさしくこの製図板を使ったそうです。リートフェルトが家具工房を開いたのが1917年、「赤と青の椅子」の原型を作ったのが1918年、そして初めて設計事務所を設立したのは、シュロイダー邸が竣工した翌年(1925年)ですから、おそらくこの間の製作に違いありません。ちなみにこれを美術館に寄贈された方は、シュロイダー夫人の次女・ハネッケ(1950年代にはリートフェルト設計事務所の所員として活躍を始める)の友人ということですので、やはり設計に携わる人だったのでしょう。これ以外にも、リートフェルトは道具類を自分で作ることが多かったようです。修業時代は、金属工芸やジュエリーも手がけていましたので、実は木工以外のワザにも長けています。これで「リートフェルトの平行定規」がリートフェルト自身による製作であることが判明した。
4月3日、改めて、正式に宇都宮美術館・学芸員の橋本さんにメールで取材の申し込みをする。その返事で府中市美術館から「リートフェルトの平行定規」の取材を申込まれた方がいるとの連絡があったが、その後、府中市美術館からは何もなく、私のメールで私が府中市美術館に取材申込した本人だと了解していただいた。橋本さんは「リートフェルト展」の企画者としてウェッブサイトにも目を配り、情報収集していたところ、私のMADCONNECTIONと秋山氏のaki'sSTOCKTAKINGに出会い「リートフェルトの平行定規」を話題にしていたところにコメントを寄せて戴いたのであった。切れかけていた糸がBlogによって繋がったように思えた。そして打ち合せの結果、4月13日に取材に行くことになった。(その3に続く)
きっかけは2003年夏の三岸好太郎展だった。三岸好太郎のアトリエはバウハウスから帰国したばかりの山脇巌の設計によるものだが、それとリートフェルトはまったく関係ない。たまたま三岸好太郎の蝶の絵を府中市美術館に見に行った際、パンフレットの展覧会予定表にあったリートフェルト展の文字が記憶に残った。それ以降、ときおり府中市美術館のHPにアクセスしてはリートフェルト展の情報が掲載されていないかチェックした。それは私が担当しているCADの授業を履修している学生にリートフェルト展を見に行くように薦めるための情報が欲しかったからである。三次元モデリングの初歩的な仕組みを理解する上でリートフェルトのレッドアンドブルーチェアーはあつらえむきの教材である。授業では三次元座標の理解を目的に学生の練習課題に取りあげている。であるからリートフェルト展は学生たちがバーチャルな空間で体験したレッドアンドブルーチェアーをリアルな空間で体験できる良い機会であった。しかし、会期が1月17日からと云うことは、後期授業の最終日前後でもある。既に学生の頭には授業のことはリセットされ、長い休みに向けてスタンバイされている。リートフェルト展の情報を伝えても心ここにあらずである。
府中市美術館のHPにリートフェルト展の詳細情報が掲載されたのは、確か12月に入ってからではなかっただろうか。そして、リートフェルト展の情報を私のBlogである「MADCONNECTION」にエントリーしたのが2004年1月16日、展覧会の前日である。リートフェルト展に出掛ける予定のつかないまま過しているうちに、3月1日のaki'sSTOCKTAKINGに秋山東一氏がリートフェルト展の報告をエントリーする。そして3月5日についに「リートフェルトの平行定規」がエントリーされた。この日から僕らの「リートフェルトの平行定規」とBlogを巡る冒険が始まった。
そして、私は遅ればせながら3月11日、府中市美術館を訪れ「リートフェルトの平行定規」に対面した。コンベックスを見ながら、目測によるスケッチをしていたら係員がコンベックスに異常反応して注意を受ける。展示物に触れたり万年筆やボールペン等を使ってはいけないくらいの常識はわきまえているつもりでいるが、杓子定規の係員に何を言っても無駄なので、コンベックスだけは仕舞って、係員の冷たい視線を感じながらスケッチだけは続けた。帰ってからメカニズム等を理解したつもりでいたが、製図板の裏側のディテールをチェックしていないことに気付く。翌々日、府中市美術館での講演「リートフェルトと日本をつなぐもの」を聴講するついでに再度訪れ、チェックし忘れた部分のスケッチをするが、目測では限界があるので、正式に美術館側に「リートフェルトの平行定規」の取材を申し込むことにした。その時、初めてリートフェルト展は宇都宮美術館が主導して企画されたことを知った。(その2に続く)
「リートフェルトの平行定規」を図面にまとめました。レンダリングデータを含めて一冊のPDF書類にしたものは1.6MBになります。また、図面を1枚毎にPDFファイルにしたものも用意しました。図面は上図の左側のサムネイルに対応していますので、目安にしてください。
Adobe Acrobat Files, Drawing-size A3(420×297)
G.T.Rietveld's Drawingboard & Parallel-motion ruler Drawing Book PDF 1,669KB 製本
G.T.Rietveld's Drawingboard & Parallel-motion ruler Drawing 01 PDF 756KB 解説・総合
G.T.Rietveld's Drawingboard & Parallel-motion ruler Drawing 02 PDF 728KB 解説・機構
G.T.Rietveld's Drawingboard & Parallel-motion ruler Drawing 03 PDF 64KB 製図台
G.T.Rietveld's Drawingboard & Parallel-motion ruler Drawing 04 PDF 60KB 製図板
G.T.Rietveld's Drawingboard & Parallel-motion ruler Drawing 05 PDF 68KB 金具詳細
研究目的等で図面を使用される方はご自由にご利用下さい。但し断りなく商用目的への転用及び他のメディアへの転載等は固く禁じます。
Rietveld Drawingboard Stand Download file PDF 90kb
リートフェルトの平行定規・2D図面の第一段階として製図台の図面をアップしました。Macintosh とWindowsでの互換性確認済みです。図面のブラウズ及びに印刷にはAdobe Acrobat Readerが必要です。
研究目的等で復元されたり、図面を使用される方はご自由にご利用下さい。但し商用目的利用及び他のメディアへの転載は禁じます。尚、復元された場合は完成写真等を見せて戴けたら幸いです。
リートフェルト展の最終日、中央高速、環八、東京外環、東北自動車道を乗り継ぎ、往復360km掛けて宇都宮まで行ってきました。例の「製図板と平行定規」の幾つかの寸法を実測していない個所があったからです。3Dモデルだけを見せる分には然程問題はないのですが、2D図面にしたときに寸法押さえが曖昧になる部分があり、そのままでは「気持ち悪い」ので、閉館後の撤収作業の中で再実測させて戴きました。それと折角の機会なのでクーリエとして来日したユトレヒト中央美術館館長のイダ・ファン・ゼイルさんの講演も併せて聴いてきました。
そのような訳で、2D図面はPDF化して近々中ににアップする予定です。
(2004.05.13 一部改訂追加)
ここに公開する「リートフェルトの平行定規」のデータは2004年4月13日、宇都宮美術館に於いて学芸員・橋本優子氏並びに濱崎礼二氏の立会の元に、私・五十嵐と秋山東一氏の共同作業にて行われた実測に基づくものです。実測に際して使用した計測機器は展示品に対する配慮から、金属テープやノギス等の金属製は避け、布テープによるメジャーが用いられました。従って精度に関してはそれを保証する数値とはいえず、あくまでも非公式参考記録の範囲です。またメカニズム等の考察は私・五十嵐の独断と偏見に基づくものです。
1 平行定規のメカニズムについて:(全ての図はクリックすると拡大します。)
A:下部プーリー(固定式)
B:上部プーリー(二重、調整機能付)
C:平行定規固定金具
D:バランスウェイト
E:ワイヤー接続固定金具
以上の基本パーツとワイヤーが平行定規の駆動部を構成するパーツである。パーツはそれぞれ上図の記号に対応している。
また、金属部分の素材はオリーブグリーンの塗装が剥げ落ちた部分から考察すると、鉄錆もなく白っぽいテクスチャーから【白銅】が使われているのではないだろうかと推測される。(これは私の個人的見解です。因みに秋山説は亜鉛ダイキャストです。私の見た目優先に対し、秋山説は当時の工業化社会の環境からの結論です。成分分析するなり、比重を計れば分かることですが、目測による推測なので、他の説もあるでしょうね。)
尚、一部が近年になって修理されたと考えられる右側のC:平行定規固定金具はアルミが用いられていました。
※白銅:銅とニッケルの合金、日本国硬貨に使用されている白銅は銅75%、ニッケル25%だそうです。白銅は金属工芸品にも使用されている合金ですから、リートフェルトが修行時代に金属工芸やジュエリーも手掛けていたと云うこと考えると、白銅を扱う職人は身近にいたのではないでしょうか。
デザイナーであると共に職人でもあったリートフェルトによってデザイン、製作されたこの平行定規、製図板、製図台は細かいところまで配慮が行き届き、一つとして無駄なデザインが見当たりません。
2:ループの法則
リートフェルトの平行定規は単純明解なメカニズムによって成り立っています。それは「ループの法則」(勝手にそう名付けました。)の原理に基づいています。
下図のループ上の任意の点、A、Bはその間の距離を常に一定に保って移動します。Aを或る時間内に於いて移動すると、Bも同じ時間内に同じ距離だけ移動します。これが「ループの法則」です。この法則はループがどのように複雑になっても変わりません。
問題になるのはループの素材です。伸び縮みしないことが原則です。その上、捩れに強く、またプーリー(滑車)に対するフレキシビリティが求められます。
3:変則的ループ
下図のループは水平のプーリーにより運動方向を直角に変化させたものですが、A点とB点は逆方向に移動します。A点と同じ方向に移動するC点は高さが異なるので、平行定規をそのままA点とC点に取り付けることは困難です。
4:リートフェルトの平行定規のループ
B点がA点と同じ方向に移動するには水平方向のプーリーに対してタスキ掛けにクロスさせると可能になります。但しこのままでは垂直方向から見た場合、クロス部分のループが重なってしまいます。それに対してリートフェルトはもう一つ工夫を加えています。
5:左側上部詳細
左側上部のB:水平二重プーリーは上が大、下が小になっています。Dのバランスウェイトの中心にワイヤーを通し、下からビスでワイヤーとバランスウェイトを固定しています。B-3の支持棒はバランスウェイトの重さによってワイヤーがプーリーから外れるのを阻止します。またストッパーの役割を果たしバランスウェイトが支持棒に当たり止まることで平行定規が製図板から脱落するのを防いでいます。Eのワイヤー接続固定金具は円筒状の金物とビスによって構成され、水平方向に開けられた穴にワイヤーを通して、下からビスでワイヤーを固定します。
6:左側下部詳細
Aの下部のプーリーは固定されています。Cの平行定規固定金具と平行定規でワイヤーを挟み固定します。ワイヤーに固定するボルトは平行定規の上に設けられています。これはボルトを緩めて平行定規の水平を調整する為のものです。
6:垂直方向から見たワイヤーとBの右側上部のプーリー(下が大、上が小で左側のものと逆になっている)。プーリーの大きさを変えることによりクロス部分のワイヤーが重ならないように工夫してある。つまり、ワイヤーは同じサイズのプーリーに掛けられています。(つまり左側の上の大きなプーリーから右側の下の大きなプーリーといった具合です。)それは、上から見るとワイヤーの平行が保たれていることが良くわかります。またBの上部プーリーの固定金物はワイヤーに弛みが生じないように、スライドさせてワイヤーに張りを与えられる構造になっている。
7:右側上部のBのプーリーとスライドする軸受け金物、上から見た図と下から見た図
因みに下から見た図は支持棒等の位置関係を揃えるために鏡像としてます。(建築関係の設計者は、天井伏せ図や、構造図の梁伏せ図等の見上の図面を座標関係を優先させる為に鏡像で描きます。)
8:平行定規とバランスウェイトの関係
下図に示す通り、平行定規を製図板下端に移動した状態でバランスウェイトが金物Bの支持棒に当たるように設定しておけば、平行定規が製図板から外れ落ちる心配はない。
平行定規に取り付けられた把手状の横棒は刳り込みが付けられ、鉛筆などの筆記具が床に落ちないように配慮されている。
平行定規の左右の刳り型は平行定規を製図板下端に移動した場合にプーリーに当たらないようにするためと考えられる。(実際には平行定規とプーリーとのクリアランスは上下方向で約4ミリあるので、当たることはないと思われるが、プーリーの大きさによってはその心配もあり、予め平行定規側にその対策を施している。)
9:製図板
製図板は板厚20ミリの柾目のムク板が6枚用いられ、反り止めの吸い付け桟で製図台に固定されるようになっている。
4月5日のエントリー、「リートフェルトの平行定規・3Dモデル」は目測で描いたものでしたが、今回の【リートフェルトの平行定規・実測版】は4月13日に宇都宮美術館で実測したデータに基づいて描いたものです。
QuickTime Movie:リートフェルトの平行定規 732kb
取り敢ずレンダリングデータとムービーをアップしました。
メカニズムに関しては近々、図解付きで解説します。タイトルは「リートフェルトの平行定規の秘密・ループの法則」です。
製図板右上のプーリーと取付金物
製図板右下のプーリーと取付金物
と云うことで、昨日(4月13日)宇都宮美術館まで「リートフェルトの平行定規」を取材に行ってきました。宇都宮美術館は市の北部「うつのみや文化の森」に設計が岡田新一設計事務所で1966年に竣工、翌年1997年3月にオープンした未だ新しい美術館です。宇都宮の美術館というと1970年代初頭の川崎清・設計の栃木県立美術館と勘違いしてしまいそうですが、どちらも或る意味、その時代の精神を反映している建物のような気もします。
地域の美術館としての宇都宮美術館を特徴づけるテーマの一つに「生活と美術」があり、デザインや建築にフォーカスした企画の一環として今回の「リートフェルト展」を開催、より多くの人にデザインを身近に親しめるように「職人であり続けた、、、、」の名コピーが生まれたようです。
宇都宮美術館"Utsunomiya Museum of Art"を省略すると"U-MOA"ユーモアと読めます。これからも、人間性に溢れた楽しい企画が展開されることでしょう。
今回、「リートフェルト展」を企画された宇都宮美術館・学芸員橋本優子さんのコメントです。
「リートフェルト展」は大幅なバージョン・アップをして、宇都宮美術館で始まりました。府中では全く実現できなかったインスタレーション「シュロイダー邸インテリアの部分再現」、スライド・ショー「シュロイダー邸=ベルリン・チェア」のほか、研究目的で再制作した子供用家具なども特別出品します。展示面積は格段に広く、内容や展示デザインも充実。関連事業も盛り沢山ですので、ご期待ください。詳しくは、宇都宮美術館HPでどうぞ。会期は3月28日〜5月23日です
リートフェルトの平行定規のワイヤーの仕組みが解るように、製図板と平行定規を透明にして輪郭線だけの表示としました。あえて、実測する前の目測によるデータを公開して、実測と目測の誤差を検証する資料にも使うつもりです。本日、実測の予定、その結果は月末か来月初めに公開します。
製図板上部の製図板に水平に設置されたプーリーは大きい方が直径が65ミリくらい、小さいものが50ミリくらいにみえた。それが大小一組で左右にあります。それで左側が上に大きいプーリー、下に小さなプーリーが同軸で逆回転するように設置され、右側はその逆で、下が大、上が小になっている。このようにワイヤーをたすき掛けにして、交差する個所でワイヤー同士が接触するのを避けているようです。製図板の下側の製図板に垂直に設置されているプーリーも直径が65ミリくらいです。垂直のプーリーに掛けられたワイヤーは上のワイヤーは水平の上側のプーリーに掛けられてました。
定規は幅が約80ミリ、厚が5〜6ミリで長さはA0の製図板の幅約1200ミリから、左右に40ミリくらいはみ出してます。飛び出した部分の定規幅が40ミリで、定規幅80ミリとの差分は1/4円の円弧で納められてます。定規に設けられた横長の把手は鉛筆受けにもなっているようです。ワイヤーは平行定規の下端に金具で固定されています。
上部のプーリーの詳細、これは左側になります。右側は大小のプーリーが上下逆になります。
バランサーはビス(図では省略)で中に通したワイヤに固定されています。
「リートフェルトの平行定規」の3Dモデル(VectorWorks10.5による。)
4月5日付けのエントリーの未完成3Dモデルにワイヤとバランサー等を加え、テクスチャーマッピングを施してレンダリングしてあります。
尚、目測によるスケッチから起こしたものなので寸法等には、当然ながら誤差があります。
3Dをクリックすると拡大します。
今回の「リートフェルト展」を企画・コーディネイトした宇都宮美術館の学芸員・橋本優子さんから、とても貴重でレアな情報を戴きました。aki's STOKTAKING:リートフェルトの平行定規に寄せられたコメントの転載です。
五十嵐さんの素晴らしいスケッチには敬服の至りです。また、秋山さん、玉井さんの説明も、とても貴重で勉強になりました。ちなみにあの製図板は、リートフェルト自身が作ったものであることが、今日になってオランダの美術館の方の追跡調査で判明! しかも若い頃の製作で、シュロイダー邸の設計にまさしくこの製図板を使ったそうです。リートフェルトが家具工房を開いたのが1917年、「赤と青の椅子」の原型を作ったのが1918年、そして初めて設計事務所を設立したのは、シュロイダー邸が竣工した翌年(1925年)ですから、おそらくこの間の製作に違いありません。ちなみにこれを美術館に寄贈された方は、シュロイダー夫人の次女・ハネッケ(1950年代にはリートフェルト設計事務所の所員として活躍を始める)の友人ということですので、やはり設計に携わる人だったのでしょう。これ以外にも、リートフェルトは道具類を自分で作ることが多かったようです。修業時代は、金属工芸やジュエリーも手がけていましたので、実は木工以外のワザにも長けています。
※橋本さんがユトレヒトの学芸員から得た新たな情報を追加しました。
ハネッケ・シュロイダー(シュロイダー夫人の次女)が、リートフェルト設計事務所の所 員となったことは、先に書いた通りですが、この製図板をリートフェルトから譲り受けたハネッケは、その後、女流建築家として独立しました。その際に、この製図板を自身のアトリエで使ったそうです。また、一緒にアトリエを開いたハネッケの友人が、さらに製図板を大切に使い続け、1999年にユトレヒト市立中央美術館に寄贈しています。やはり、この製図板と平行定規は永い間大切に使われてきたからこそ道具自身から語りかけてくる何かがありますね。
因みに海外の平行定規にはどんなモノがあるのかGoogle検索してみました。
キーワードは「Parallel-motion ruler」です。
Parallel Ruler 光栄堂の平行定規に近いタイプ。
Parallel Motion Drawing/Design Board 一般的な平行定規
Peter Parallel Motion上部の駆動部分が同軸で回転するタイプ
Peter Wraight 3Dデザイナーのサイト、この平行定規が最も似ている。
Drawing Board 大型平行定規のショッピングサイト
大型の平行定規には「リートフェルトの平行定規」に似ているものがありましたが、上部の駆動部分は左右共同軸の回転ドラム式になっていて、「リートフェルトの平行定規」のようにワイヤーを上部でたすき掛けにする例は見つかりませんでした。
aki's Stocktakingのリートフェルトの平行定規を書かれた秋山氏からのミッションによりリートフェルト展で平行定規をスケッチしてきました。もちろん展示物なので触れることもできませんから、寸法は目測です。目測するための目安に巻尺を出しただけでも注意され、叱られました。そんな訳で寸法にはそれなりの誤差があります。細かいところもスケッチしたつもりでも見落としている個所が多々あります。やはり写真による記録で補足していないといけません。どうも設計屋の体質として構造的なことや仕組みが概ね解れば、後は自分の想像力で補えば良いという判断が意識下にあるのかも知れない。
上部のプーリー、ワイヤーの張り具合を調整できるような構造のファスナー(締付金具)になっている。
定規:ワイヤーに金具で固定、これもナットを緩めて定規の水平傾きを調整できるようになっている。
と云うことで、暇を見つけて3Dに起こす予定です。
後で思いついたことですが、目測でスケッチするときは実寸部材のチャートを用意しておくと良いでしょうね。カード状にして見比べながらスケッチすれば誤差は少なくなるでしょう。
リートフェルトへのオマージュとして私が97年に作成したレッドアンドブルー・チェアーのメタルバージョン。
3Dの作成はMiniCad6でモデリングを行い、レイトレーシングによるレンダリングはform・Z を用いてましたが、現在はVectorWorksで全て行えるようになりました。このレンダリングはVectorWorks10.5+RenderWorksで行ったものです。
昨日、府中市美術館まで行って見てきました。三部構成の第一部:職人としてのリートフェルトの比重が大きく、第三部の建築家としてのリートフェルトはシュロイダー邸だけというのは些か期待外れだったが、逆にシュロイダー邸だけにフォーカスしたのが印象が散漫にならずに済んでいるのかも知れない。
今回のリートフェルト展はユトレヒト中央美術館提供の所蔵品をメインにしているので、出展されている作品は彼の全作品ではない。1997年12月から翌年2月までセゾン美術館で開催された「デ・ステイル展」にはユトレヒト中央美術館の他、アムステルダム市立美術館、オランダ建築美術館のリートフェルト・コレクションも展示されていた。今回のリートフェルト展で残念なのはアムステルダム市立美術館所蔵の子供のための手押し車やカートがなかったことである。
もう一つ、気になったのがカタログのデザインです。デ・ステイルの三原色をテーマカラーにするのは良いのですが、それを地色にまでして、その上にテキストを細かい文字でプリントしてある。これではテキストと地との明暗・コントラストが低くて、とても読めたものではなく、ユニバーサルデザインを考えていないと言われても仕方ない。このカタログは誰に何を伝えるのか、基本的なことが欠落しているのが惜しまれる。府中市美術館のホームページには「来館者がくつろげ、またお年寄りや障害者にやさしい設計です。」と書いてある。そうした配慮は建物だけでなく印刷物にも気を配らなければいけない。比較するのも失礼かも知れないが「デ・ステイル展」のカタログはセゾン美術館と東京新聞との共同で作られ、資料的価値の高いものとなっていた。デザイナーの意識改革を望むものである。
実は私は未だ見ていないのですが、AkiさんやMiniくんのBlogでも紹介されているリートフェルト展が好評のようですね。リートフェルトの家具は1997年にセゾン美術館で行われた「デ・ステイル展」で主要なものは見ていますが、今回の展示内容はまたそれとは視点を変えたコンセプトとなっていると思いますので期待しています。
と云うことで、リートフェルト展を記念して、数年前にVectorWorksで作成した3Dの"Rietveld Collection"を公開します。
3D制作の底本は"HOW TO CONSTRUCT RIETVELD FURNITURE WORKBOOK"です。
Rietveld Collection v9 Win ZipArchive 20kb(Win)
Rietveld Collection v9 Mac Stuffit Archive 14kb(Mac)
※データのリソースからはビットマップテクスチャーを省き、バージョンはVectorWorks9です。
Schroder House QuickTime movie 192kb(VectorWorksで作成)
リートフェルト展 が東京の府中市美術館で明日(1/17)から3/21まで開催されます。会期期間中のワークショップでレッドアンドブルーチェアーの組立などが行われるようです。