April 15, 2005

万博幻想-戦後政治の呪縛

万博幻想-戦後政治の呪縛
吉見 俊哉 著
ちくま新書 ISBN4-480-06226-2

誰の目から見ても愛・地球博と言うよりも"トヨタ博"或いは"電通博"と言う方が相応しい2005年愛知万博である。何故か入場前売券の販売数に満たない入場者数のミステリーは参加企業や工事を請け負ったゼネコン等が義理で購入した企業割当分の前売や、さらにそれを半ば強制的に分担しなければならない下請け企業の関連先に死蔵されているのが原因と想像するが真相や如何に。

「万博幻想-戦後政治の呪縛」は著者が1992年に出版した博覧会の政治学?まなざしの近代(中公新書)の続編でもあると後書きで語っている。著者は90年代に海上の森保存運動と関わり、後に博覧会協会の企画調整会議にも参加し市民参加への糸口を模索し、反対派、賛成派、双方と関わってきた。対立と歩み寄り、そしてねじれ、その中で著者が見たもの感じたものは何であろう。

本書の内容は序章の「戦後政治と万博幻想」を1970年の山田洋次監督の映画「家族」を軸に高度成長経済の歪んだ日本列島を切り口にして、大阪万博、沖縄海洋博、筑波科学万博、そして愛知万博と続き、終章の「万博幻想と市民政治」ではグローバル資本主義と万博幻想と題して、2010年の上海万博への言及で幕を閉じている。これは20世紀の歴史でもあり、一つの昭和史でもある。その意味で愛知万博は昭和の影を引きずり、20世紀的なモノの残滓にも思えてならない。
吉見氏によれば開発主義に裏打ちされた国家プロジェクトであった東京オリンピックや大阪万博は、第二次世界大戦によって中断していた西暦1940年即ち皇紀2600年の大日本帝国の国家プロジェクト「日本万国博覧会」を復活再現したものと見なされる。その旗振り役が「皇紀2600年記念万博」で商工省の担当課長であった自民党の参議院議員である。開催地が大阪千里丘に決定するまで候補地は紆余曲折し、時の建設大臣・河野一郎は琵琶湖を埋め立て開催地にする案に固執していたと云うから呆れるばかりである。
東京オリンピックに大阪万博、そして名古屋オリンピックと続く筈であった開発主義者の推し進める国家プロジェクトが韓国のソウル・オリンピックに敗れ中断したことで、何が何でも中京圏で国家プロジェクトをしなければならなかったのであろう。その意味では東京都民が臨海部の都市博に対して「ノー」を突きつけたのは画期的なことであろう。
手元にある「デザインの現場」1998年6月号に2005年愛知万博誘致のプレゼンテーション資料を作成したデザイナー・原研哉の制作過程が紹介されている。「海上の森」の現地を訪れた原研哉が出会ったものは反対派の看板であった。そこで反対派の自然保護団体が発行した海上の森の詩を手に入れる。原研哉は反対派の主張に寄りそう形で「海上の森の詩」のギフチョウからインスパイアーを受けデザインを推し進め、対抗するカナダ・カルガリーに勝利する。反対派の資料が誘致の後押しをしたとは皮肉であるが、自然保護団体の意見を取込まねば国際博覧会事務局の認可が降りなかったことも事実であろう。
「万博幻想-戦後政治の呪縛」の第四章「Beyond Development」では「トヨタの大いなる影の下で」と題して「トヨタ博」と揶揄されている実態を分析し

別の言い方をするならば、いまや愛知万博はこうした広域展開するトヨタの文化施設のアネックスにすぎなくなりつつあるかのようにすら見える。、、、、愛知万博は、このようにして結局のところトヨタ博となり、市民博となり、そしてまだなお環境博でもあるという三層の屈折を帯びて開かれつつある。この三つ巴の絡まりあいに、われわれはどう対していけばいいのだろうか。
と結んでいる。何れにせよ「泣く子と地頭には勝てぬ」ならぬ「泣く子とトヨタには勝てぬ」である。巨額の広告費でメディアコントロールするトヨタに対してマスコミは何も言えないのが現状だろう。
それにしても大阪万博の亡霊とも云える堺屋太一や建築家・菊竹清訓らが神輿に担がれ愛知万博の要職に就いているそうだが、なんですかね。

Posted by S.Igarashi at April 15, 2005 10:36 AM