October 09, 2006

図説 江戸・東京の川と水辺の事典

図説 江戸・東京の川と水辺の事典 鈴木 理生 (著)
事典とあるように江戸の川・東京の川の著者・鈴木 理生氏による研究の集大成である。書名の事典故に貸出禁止図書の指定がされていたが「そこをなんとか、m(__)m」と図書館司書にお願いして1週間だけ借りてきた。わきたさんが「東京の元・湿地帯をダイブする(その3)」の中で「江戸の川・東京の川」を取り上げていたので『出版されてから30年近く経っているので、、、云々』とコメントしたところ本書の存在を知らせて戴いた。Amazonで「江戸の川・東京の川」を買っているので、その後Amazonから本書の案内が来たと思うが値段が張る故に無視していたような気もする。

と云うことで「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」を借りてきたのは出版されてから30年近く経った『江戸の川 東京の川』に於ける仮説的論考の、その後の研究成果を知りたかったのである。それは本来の石神井川が飛鳥山手前で右手に折れ谷田川(藍染川)と名称を変え不忍池に流れていたのであるが、或る時代から武蔵野台地東端の上野台地を切り裂き隅田川に注ぎ込むようになったのであるが。鈴木理生氏は『江戸の川 東京の川』に於いてはこの様に仮説を断言していた。

さきに渓谷状の石神井川が王子に抜ける形が異例だといったのは、河流がつくる谷の形は徐々に谷幅をひろげる形で発達するのが普通である。滝野川の王子側のわずか一キロたらずの渓谷地形を、自然現象の結果だとしたならば、この部分の地盤だけが局地的に隆起したという理由だけしか考えられない。
、、、中略、、、
正史の『吾妻鏡』には滝野川という地名はでてこない。滝野川が地名として扱われるのは、前述のように頼朝上陸の時点より約一世紀後に成立した『源平盛衰記』以後のことである。
以上のことから、私は石神井川が現在のように石神井川と谷田川に分断されたのは、人為的なものだと断定したい。
と述べている。

それが「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」では人為的な土木工事説を捨ててないが、自然現象説の可能性についても述べられている。

最近の東京における自然地理(地形学)の調査・研究の結果では、幾度かあった海進期の海の波の浸蝕力は非常に強く、この辺りの武蔵野台地の海に面した場所は「1000年間に250メートルも削られた」という見解も発表されている。
(『駿台史学』第98号・1996年9月刊の中の(研究ノート)「武蔵野台地東部(本郷台) における石神井川の流路変遷」、筆者は中野守久・増渕和夫・杉原重夫の三氏)
 この研究の結論は、谷田川〜不忍池方向に流れていた石神井川が、「縄文海進最盛期に本郷台の崖端浸蝕に起因した河川争奪を起こし、流路を変更して台地から東京低地へと急勾配で流下した。流路を奪われた谷田川の上流部では沼沢地となり滝野川泥炭層を河床に堆積させ一方、王子方向へと流出した新たな河流は河床を深く掘りこんで峡谷状となり、現在の流路を取るに至った。」とする。つまり、海側からの浸蝕と石神井川側からの双方の浸蝕力で、壁状になった台地の緑(ふち)が崩壊して石神井川が海側に流れ出したというのである。

鈴木理生氏による人為による河流の変更説の根拠となっているのは以下の項目による。
1)滝野川の地名発生の時期
歴史上のことでいえば、鎌倉幕府の正史といわれた『吾妻鏡』の治承四(1180)年十月四日の条(くだり)の解釈に、源頼朝が「隅田宿」から「長井渡」を経て武蔵に最初に上陸した場所として、この石神井川流域の滝野川付近が推定されている。それから約百年後の十三世紀後半に成立したといわれる『源平盛衰記』には、源頼朝の上陸地点を「武蔵国豊島の上、滝野河、松橋」とあるのが文字で見られる限りの最古の例である。

近くの王子神社(王子権現)の起源によると「創立は、この地の領主・豊島氏の紀州熊野権現よりの勧請と伝えらる(元亨二年、1322)。王子村は古くは岸村といったが、紀州熊野三所若一王子が勧請され、若一王子宮(わかいちおうじしゃ)と称した事から、王子村と改められた。」とされている。

2)鎌倉古道の位置づけ

また鎌倉時代の軍用道路(鎌倉古道のうちの「中の道」が後北条時代に受けつがれ、それが江戸時代になると岩槻道(いわつきみち)、別名日光御成道=本郷通りから岩淵(北区)〜川口 (川口市) とつづく道も現在の石神井川を跨ぐ形でつけられている。
 しかし本来の岩槻道は石神井川を跨がずに、台地の縁沿いに通っていたと考えた方が、軍用道路の路線設定の条件を考えた場合、より自然である。
 この点から、あるいは岩槻道が成立した後に、自然的または人為的に石神井川の流路が変わったとも推察できる。
 現地に立てば分かるように岩槻道と今の石神井川との交差の有様は、各時代の状況に応じた社会と川の関係を偲ばせるものが多い。

これらの理由だけで実証もなく人為的な土木工事説と断定するのは難しいと思われるが、江戸時代の土木工事で本郷台地に切り開かれた仙台堀(御茶ノ水・神田川)に架かる聖橋と、滝野川に架かる音無橋がよく似た意匠のアーチ橋と云うのも興味深い。

追記:江戸時代と明治時代の飛鳥山周辺の地図と古墳時代の遺跡分布地図
edoasukayama.jpg
岩槻道が飛鳥山に添って一旦下り谷底で石神井川を渡り、再び武蔵野台地に登っている。
石神井川は谷底で流れが二つに分かれ隅田川に向かう流れと、武蔵野台地の旧海岸線に沿った流れとなる。(この下流は日本堤に流れ、山谷堀から隅田川に注いでいる。)
江戸・東京の地図と景観(正井泰夫・著)より引用。

meiji13asukayama.jpg
明治13年。

kitakuiseki.jpg

王子権現のある場所(半島、岬)は19の十条台遺跡群とされ、縄文、弥生の住居跡はあるが古墳はない。赤丸22は王子稲荷裏古墳、赤丸24は四本木(よもとぎ)稲荷古墳、これも地霊信仰の一つである稲荷が古墳跡にある典型だろう。飛鳥山には赤丸46の飛鳥山古墳群が見られる。中里と西ヶ原に貝塚が見られるのは縄文海進期の海岸線が京浜東北線に沿っていたのであろう。
東京都遺跡地図情報インターネット提供サービスによる北区-遺跡一覧より引用。

Posted by S.Igarashi at October 9, 2006 10:30 PM
コメント

わきたさん、と云うことで新しく「Earthdriving・番外編-川の地図辞典」なるエントリーを設け、数値地図による地形図と高速道路網を表示したマップを作りました。
これから、そちらへのコメントも宜しく。m(__)m

Posted by: iGa at January 21, 2008 09:35 AM

iGaさん、【隊長】AKiさん、こんにちは。「Earth Diving by Car と称して首都高」ですか!!高速を走ることで、川筋をたどるということですね〜。最後の「馬」(「羊」もあるそうですが…)も、ものすごく強い魅力になりますね〜(^o^)ゞ。しかし、皆様、次々に面白い企画をなさいますね〜すばらしい(パチパチパチ)。

Posted by: わきた・けんいち at January 21, 2008 08:32 AM

iGa さん、わきたさん、どうもです。

Earth Diving by Car と称して首都高を走ってってという企画があってよさそうですね。関西のわきたさんには短時間で江戸・東京の概要を掴んでいただくのには面白いかも知れませんですね。まぁ、早朝でなくて混んでいる時間でもいろいろ地図を見ながら、iGa さんの解説付きで.......でいきましょう。

八王子はミシュラン三ッ星の高尾山、多摩御陵なんていう変な名所もありますし、町田の馬、八王子の羊.....と楽しみもありますよ。

Posted by: 運転手・AKi at January 21, 2008 01:06 AM

iGaさん、“隊長”AKiさん、こんばんは…。いろいろ勉強になるのならば…、ご迷惑でないのならば…、なんだかちょっとビビっているわけではありますが、なにかチャンスがありましたら…、どうぞよろしくお願いいたします。どのコースがいいんでしょうね〜??やっと東京の地理が少しわかってきた程度で、車や首都高の話しになりますと、とてもとても…なんですね(^^;;。時間的には、休日の早朝ですね。前日から八王子に泊り込まなくてはいけません、これは。あっ!!、でも八王子は馬肉でしたね〜(^0^)ゞ。

Posted by: わきた・けんいち at January 20, 2008 09:18 PM

はいはい、運転手でございますです。
おっしゃっていただけば、ぐるっと、いたしますですよ。
どんなコースがよいのか.......、それに、お休みの日の早朝なんてのがいいのかなぁ。でも、時間がかかってもいいんですよね。

Posted by: 運転手・AKi at January 20, 2008 04:51 PM

わきたさん、是非共、隊長にお願いして助手席に乗せてもらうと良うござんすよ。大丈夫ですよ、やんちゃはしませんから。(^_^)

Posted by: iGa at January 20, 2008 01:31 PM

iGaさん、こんばんは。ええと、首都高ですか…。土地勘がはっきりしないところで、車で走るとなると、なかなか大変ですね〜。首都高の下を、排気ガスを吸いながら歩くほうがまだ良いかな…(^^;;。でも、また何かチャンスがあれば走ってみたいと思います。しかし、首都高を走りながら、ナビゲートしてくれる人が『川の地図辞典』を開きながら、「いまね、ここは○○川だった所を走っているんだよ!!左が△△台で、右が□□台ね。わかってる?」なんて言うことになるんでしょうね〜。かなり緊張しますね、その運転。

Posted by: わきた・けんいち at January 19, 2008 08:27 PM

わきたさん、こんばんわ。
「身体」も使って「妄想全開」ですね。

あと、わきたさんに是非体験していただきたいのは首都高を車で走ること。何故?と思うかも知れませんが、これが江戸東京の微地形と川筋を走っているので、地形を体感するのにとても良いです。

Posted by: iGa at January 19, 2008 07:24 PM

iGaさん、こんばんは。昨年の秋、1人で「Take The "A" Tram」をして、お正月明けから『川の地図辞典』でもりあがり、それなりの“修行”をして、あらためてこのエントリーを拝読いたしました。いや〜、勉強になりました。やはり、「頭」だけではなくて「身体」も使って考えないとダメですね〜。

Posted by: わきた・けんいち at January 19, 2008 06:51 PM

借り物なので、早々と済ませました。

Posted by: iGa at October 10, 2006 01:40 AM

iGaさん、こんばんは。ああ、もうご自身の見解を発表されてちゃったんですね〜。

Posted by: わきた・けんいち at October 9, 2006 10:56 PM