August 29, 2005

マゼールの館

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「うそーぉ」「やだぁ!わぁーかわいーぃ」とこのヴィッラを見た女の子の嬌声が聞こえてきそうである、そのくらい、イオニア式のオーダーにペディメント(三角破風)をもつ神殿風の中央部と両翼のペディメント付きコロンバーラ(鳩小屋)の日時計の装飾とそれを支える四分の一円のバットレスに特徴付けられた、この薄黄色味掛かったストッコ仕上のヴィッラはメルヘン・チックな乙女心を擽るのに充分に優美な外観を備えている。しかしヴェネツィアの北北西50km程離れた交通不便なこのマゼールの地までうら若き乙女が自分探しの旅に遥々とくることもなく、この静かなベネトの田園の地にやってくる日本人は建築か美術を学ぶ者くらいである。(初稿 MADPress 1993/10/31)

 ヴィッラ・バルバロ或いはヴィッラ・マゼールと呼ばれるこのヴィッラは建築家アンドレア・パッラーディオの手により、ヴェネツィア貴族である兄ダニエーレ、弟マルカントーニオのバルバロ兄弟の為に1562年に建てられたものである。また、このヴィッラを有名なものにしているもう一つの理由がヴェネツィア派の画家パオロ・ベロネーゼのフレスコ画によるトロンプ・ルイユ(騙し絵)である。アルプス越えをしてドイツからやってくる観光客の目当てはどうやらこのフレスコ画のようでもある。
 ディズニーランドのシンデレラ城のモデルになったノイシュヴァンシュタイン城がルードウィッヒ二世の奇想によるものであったように、このヴィッラ・バルバロもメルヘンの国のお姫様が登場するに相応しい外観とは裏腹の人々を幻惑する建物である。それはアンドレア・パッラーディオによるものというよりも、バルバロ兄弟による奇想ではないだろうか。
 ガレー船の交易で富を得たヴェネェツィア貴族はラグーナに浮かぶ人工海上都市の生活から、その拠点を大陸へと領地を求めた、それは虚構と幻想に充ちた都市生活から、大地と共に生きる「健全なる生活」(ヴィタ・ソプリア)を実践することでもあった。なかでも時代の知識人であったバルバロ兄弟はその模範となる人物であった筈である。
 ヴィッラ・ルスティカ(田園のヴィッラ)であるヴィッラ・バルバロはユソ・ディ・ヴィッラ(農作業の場)でもある、所謂、ヴィッラが別荘ではなく、領地での拠点でありルネッサンスのユマニズムに基づくイディアの表現としての建築、そしてその思想を実践する生活の場でもあったのだ。

 緩いスロープになっているアプローチ正面の神殿風のオーダーの中にはこのヴィッラのエントランスを見つけることができない。何故ならばそこは台所となっている。玄関にあたる部分が実は勝手口とは皮肉だ。エントランスへは左右に分かれたバルケッサ(納屋)のロッジアから階段で昇らなければならない。書き割りとしての正面性と機能としての正面性がずらされ、訪問者の印象を惑わす。エントランスのあるピアノ・ノビーレ(上層)の十字形広間には、騙し絵の執事や下女が訪問者を迎え入れる。壁面をフレスコ画で装飾されたこの広間の天井には交差ヴォールトが用いられ、壁のフレスコ画とは対照的にその漆喰の唯一残された白さが印象的である。領地を広く望む十字形広間の脇部屋のグロッタ絵画の表現する、草花であれ、動物であれ、生とし生ける凡ゆる物を等距離で見つめる眼差しの根底はギリシアの宇宙論にあり、四元素が万物を生成している考えに基づくものである。しかし、ダニエーレも参加した反宗教改革において、否定される異教的な思想でもあった。

ピアノ・ノビーレ(上層)は主人の為のフロアである。初層は台所や使用人の為の正にサーバント・スペースである。そして屋内階段は使用人が主人にサービスする為に昇り降りするものであった。主人の用足しも私室に置かれたオマルで事を済せ使用人がそれを処分するといった具合である。当然、主人や奥方が屋内階段を使うこともなく、あるとすれば浮気の現場が見つかりそうなとき愛人をアティック(屋根裏部屋:当時のアティックは穀物倉庫として用いられ、収穫・脱穀されたトウモロコシ等が保存された。)に匿うときくらいなものであった。注 1 
 主人や訪問者の為のピアノ・ノビーレへ昇る主階段は建物正面やロッジアに設けられるのが普通で、屋内に主階段が設けられたのはミケランジェロのロレンツィオ図書館が最初とされる。吹き抜けの階段室が設けられるようになったのはバロック以降とされている。
 ピアノ・ノビーレはエントランスから、公的な広間と私的な部分とに分かれている。領地を望むように位置づけられた公的な広間とは対照的に、私的な部屋はニンフィニアムのある裏庭に面している。この裏庭は傾斜地を利用してピアノ・ノビーレと同じレベルに設けられている。そしてこの私室の壁面には等身大の家族の肖像がヴェロネーゼによってフレスコ画になっている。書き割りであった筈のフレスコ画が主人達を見つめ、見られるものが見る側になり主客が転倒する。
 裏庭のニンフィニアム(泉)のアーチ両側の収穫物を背中に担ぐ人物像は顔の異様な大きさから仮面を付けたようでもあり、理想的な肉体美とは程遠い存在と思える。また左右両端の人物像のポーズはまさに男娼のそれである。バルケッサのロッジアのアーチのキーストーンに装飾された男子の顔面はどれも虚ろな表情である。
 兄:ダニエーレは英国大使、大司教補佐役、二十年続いたトレント宗教会議のヴェネツィア代表を歴任、そしてヴィトルヴィウスの註釈者でもあった。
 弟:マルカントーニオはフランス大使、トルコ大使を歴任し、美術・彫刻を愛し、数学、機械技術にも明るく、薬草等の知識も豊富で薬草園も所有していたと言われる。
 
 「健全なる生活」(ヴィタ・ソプリア)を求めて人工海上都市からやってきた知識人の田園での生活は刺激に充ちた都市生活に較べてどれ程退屈なものであっただろうか。人知れない裏庭のニンフィニアムで何が行われたか知るよしもないが、理想的な「健全なる生活」だけでは充たされることはなかったであろう自我を見つめ、何を思い、バルバロ兄弟はヴィッラでの生活を過ごしたのだろうか。このヴィッラが現代に問いかけるものは何かと考えるとき、私はその直前に見たスカルパのヴリオン・ヴェガの事が脳裏を占める。小雨降るヴリオン・ヴェガで、タルコフスキーの問いかける1+1=1の持つ意味を思いだしていた。そのヴリオン・ヴェガとグロッタとの共通性が妙に気になる。(五十嵐)

建築四書(中央公論社版)の注釈より

以下に示す建物は、トレヴィーゾ郡の城郭、アーゾロの近い領地マゼールにあり、バールバロ家の二兄弟、尊師アクイレーイア選出主教猊下およびマルカントーニオ閣下の所有するところである。建物の幾分か外に突出している部分は、脇部屋が二層にわったており、上層の部屋の床面が、背後の中庭の地盤面と同一平面にある。その中庭には、家と向かい合った丘に泉が堀ぬかれ、ストゥッコ細工と絵画による大量の装飾が施されている。この泉は小さい池となり、これは養魚池として役立っている。そこから溢れ出る水は、台所に流れ込み、それから建物に向かって緩やかに上昇してゆく道路の左右にある庭園を潤し、二つの養魚池を形作り、公道に面して、家畜の水飲み場も設けらている。そこから溢れ出た水は果樹園を潤しているが。この果樹園はひじょうに広大で、極めて良質の果樹や、さまざまの雑木が豊富に植えられている。主人公の館の正面は、四本のイオニア式オーダーの円柱を持ち、隅の円柱の柱頭は、二つの側に渦巻型の前面を形作っている。これらの柱頭をどのようにしてつくるかを、私は「神殿の書」で示すつもりである。左右両方の側にロッジアがあり、それらの端部に鳩小屋がある。そして、その下にはワインを作る部屋、厩舎、その他のヴィッラの用のための部屋がある。
 

建築四書の木版画による平面図では外構も初層も上層も同一平面上に描かれている。濃いめの網目部分が上層(ピアノ・ノビーレ)の居室部分である。外構に使われている半円のモチーフが公道に面した水飲み場にも使われていた。

注1:ヴィスコンティ監督の「夏の嵐」にパッラディーオによるヴィッラ・ゴーディが舞台として使われている。アリダ・ヴァリ(第三の男のヒロイン役)紛する貴族の夫人がオーストリア軍将校の愛人をアティックに匿うシーンがある。またヴェローナのオーストリア軍司令部の部屋はグロッタ絵画で装飾されている。
The Centro Internazionale di Studi di Architettura Andrea Palladio
Villa Barbaro - Maser - (1554)

Posted by S.Igarashi at August 29, 2005 01:36 AM | トラックバック
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