February 25, 2007

東京共同射的會社・射的場跡

先日、銀座の後で根津まで出掛けたついでに、昨年エントリーした「地形に刻まれた旧陸軍の跡」で取り上げた東京共同射的會社の射的場跡周辺を徘徊してみた。射的場は水戸徳川家の中屋敷跡に設けられ、現在の東大キャンパスの本郷地区と浅野地区に挟まれた区画にあった。明治17年発行の古地図によれば射的場は谷戸の地形を利用して人工的に土塁を設け、池ノ端側の射撃場から言問通りの弥生坂に向かって着弾地となっている。左の写真は射的場の略中央から池ノ端方向を写したものである。もしもタイムマシンに乗って明治10年代のこの場所にタイムスリップしたならば池ノ端側から銃撃を受け蜂の巣状態になってしまうだろう。着弾地側の弥生坂は明治27〜28年に造られた新坂で別名・鉄砲坂とも云うらしいが、その名は幕府の鉄砲組の射撃場が坂下にあったことに由来すると書籍・「江戸の坂」には記されている。明治17年発行の古地図には未だ弥生坂(言問通り)らしき道の姿形はなく、鉄砲組の射撃場と東京共同射的會社射的場との関係性も不明である。明治20年には射的場北側の台地(水戸徳川家の中屋敷跡の一部)に浅野公爵が屋敷を設け転居しており、翌年の明治21年には東京共同射的會社射的場は大森に移転している。時代の趨勢からか、此の地に射的場は相応しくないとの判断であろう。明治9年に建設が開始され翌年から演習が始まり僅か10年程度でその役割を終えた訳であるから人々の記憶に残らないのも無理はない。故に明治42年の地図を元にした古地図で東京めぐりには射的場は影も形もない。

明治17年発行の地形図:
東京共同射的會社・射的場の北側の土地には未だ浅野公爵家の屋敷は建っていない。


GoogleEarthによる東京共同射的會社・射的場跡
東大本郷キャンパス裏手の暗闇坂・坂下のこの三差路の家の右手を入ると射的場となる。
ジャバラルックの家


凸凹地図で見る地形に刻まれた射的場跡


凸凹地図で見る地形に刻まれた大森射的場跡
大森に移転した東京共同射的會社は現在の大森駅西側の大田区山王の谷戸に戦前まで小銃射的場として営業していたようである。

GoogleEarthによる大森駅と大森射的場跡周辺
現在、その射的場跡はテニスコートとして利用されている。


参照サイト:東京大学・浅野地区の歴史

Posted by S.Igarashi at February 25, 2007 10:50 AM | トラックバック
コメント

原祐一 様

コメント有り難うございます。早速、PDF冊子をダウンロードして拝見しました。貴重な古地図等、大変興味深い内容です。
東大の本郷地区と浅野地区に挟まれた閑静な住宅街に、弥生から近代までの歴史が眠っているとは気づきませんが、その記憶が地形にはっきりと残っていることに感慨深いものがあります。

Posted by: iGa at May 22, 2008 05:21 PM

ホームページ担当様
 東京大学大学埋蔵文化財調査室

学内広報の記事を引用していただきありがとうございました。

東京大学工学部職員組合ホームページに射的場に関する原稿を掲載しました。一部お見苦しい部分ありますが、ご一読ください。現在、射的場に関する論文を作成中です。

工学部職員組合ホームページ
「最新の更新内容2008/04/24 冊子版「新春特集」の掲載(原祐一氏執筆)。第1〜4回を掲載」でご確認ください。

http://www.geocities.jp/kou_shoku/#news

Posted by: 原祐一 at May 22, 2008 12:00 PM
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?