April 29, 2011

追記・東京共同射的會社・射的場跡

追記:元記事は四年前のエントリーですが、この連休の2011年4月29日(金)から6月26日(日)まで東京大学総合研究博物館(東京大学本郷キャンパス内)開催される「弥生誌・向岡記碑をめぐって」に於いて射的場跡に関連する埋蔵物等(弾丸)の展示もされるようです。その様な訳で会期に合わせ2011-04-29の日付けでトップに移動しました。
以下、2007-02-25のエントリー
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先日、銀座の後で根津まで出掛けたついでに、昨年エントリーした「地形に刻まれた旧陸軍の跡」で取り上げた東京共同射的會社の射的場跡周辺を徘徊してみた。射的場は水戸徳川家の中屋敷跡に設けられ、現在の東大キャンパスの本郷地区と浅野地区に挟まれた区画にあった。明治17年発行の古地図によれば射的場は谷戸の地形を利用して人工的に土塁を設け、池ノ端側の射撃場から言問通りの弥生坂に向かって着弾地となっている。左の写真は射的場の略中央から池ノ端方向を写したものである。もしもタイムマシンに乗って明治10年代のこの場所にタイムスリップしたならば池ノ端側から銃撃を受け蜂の巣状態になってしまうだろう。着弾地側の弥生坂は明治27〜28年に造られた新坂で別名・鉄砲坂とも云うらしいが、その名は幕府の鉄砲組の射撃場が坂下にあったことに由来すると書籍・「江戸の坂」には記されている。明治17年発行の古地図には未だ弥生坂(言問通り)らしき道の姿形はなく、鉄砲組の射撃場と東京共同射的會社射的場との関係性も不明である。明治20年には射的場北側の台地(水戸徳川家の中屋敷跡の一部)に浅野公爵が屋敷を設け転居しており、翌年の明治21年には東京共同射的會社射的場は大森に移転している。時代の趨勢からか、此の地に射的場は相応しくないとの判断であろう。明治9年に建設が開始され翌年から演習が始まり僅か10年程度でその役割を終えた訳であるから人々の記憶に残らないのも無理はない。故に明治42年の地図を元にした古地図で東京めぐりには射的場は影も形もない。

明治17年発行の地形図:
東京共同射的會社・射的場の北側の土地には未だ浅野公爵家の屋敷は建っていない。


GoogleEarthによる東京共同射的會社・射的場跡
東大本郷キャンパス裏手の暗闇坂・坂下のこの三差路の家の右手を入ると射的場となる。
ジャバラルックの家


凸凹地図で見る地形に刻まれた射的場跡


凸凹地図で見る地形に刻まれた大森射的場跡
大森に移転した東京共同射的會社は現在の大森駅西側の大田区山王の谷戸に戦前まで小銃射的場として営業していたようである。

GoogleEarthによる大森駅と大森射的場跡周辺
現在、その射的場跡はテニスコートとして利用されている。


参照サイト:東京大学・浅野地区の歴史

Posted by S.Igarashi at April 29, 2011 10:50 AM
コメント

>「これからは馬場ではなくて射的場の時代だっ。」

平民を威圧するには充分でしょうね。同様に近くに射的場跡のあるCIAの東京本部でもある西麻布の星条旗新聞社のヘリポートに離着陸する三軍のヘリも威圧的であります。
因みに写真にある上野池ノ端に建っていた「チビ太のおでんホテル」は姿を消し、土地を追われた超高層難民の棲家と変わっています。
そういえば、八王子にもクレー射撃場がありましたが...16号のバイパス工事で姿を消したとか...

Posted by: iGa at May 2, 2011 02:31 PM

神楽坂を江戸川へ降りた西五軒町の馬場なぞ、不思議な道路割りは残っていますが、桜も無ければ印刷屋ばかりであります。「これからは馬場ではなくて射的場の時代だっ。」と言われたのでせうか。

Posted by: Fumanchu at May 2, 2011 01:14 PM

原祐一 様

「弥生誌・向岡記碑をめぐって」のお知らせ有り難うございます。
早速、当エントリーをブログのトップページに移動して東京大学総合研究博物館へのリンクを設けました。

Posted by: iGa at May 2, 2011 09:07 AM

弥生町の展示ですが4月29日より開始しました。
内容、ワークショップについてはホームページでご確認ください。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2011YAYOI.html

弾丸1点ですが展示します。図録には射的場の図面掲載しています。赤門横の売店で1000円で販売します。申し訳ないのですが、連休中は休みのため、平日に購入してください。

5月22日13:00から史跡見学会を行います。

Posted by: 原祐一 at May 1, 2011 08:37 PM

日本銃砲史学会から連絡があり3月13日の日本銃砲史学会例会(見学会)は諸般(震災)の事情を鑑み中止となりました。改めて来月行なうとのことです。 

Posted by: iGa at March 12, 2011 09:36 AM

原祐一 様

御連絡有り難うございます。
時間の調整し、参加したいとおもいます。

Posted by: iGa at March 10, 2011 08:47 AM

日本銃砲史学会例会(見学会) 3月13日
http://www.fhaj.jp/archives/950

見学会の案内です。連絡が遅れてすいません。4月16日からは東京大学総合研究博物館で弥生町をテーマにした「弥生誌」の展示が始まります。出土弾丸も展示予定です。

Posted by: 原祐一 at March 9, 2011 04:04 PM

原祐一 様

御好意感謝します。
早速、メールさせていただきました。

Posted by: iGa at December 20, 2010 10:00 AM

先日、銃砲史史学会で弥生町の射的場について発表しました。発表要旨を送りたいのでメールアドレスをメールで伝えていただいたら送ります。
3月に銃砲史学会から射的場の見学会を頼まれています。

Posted by: 原祐一 at December 19, 2010 11:03 PM

原祐一 様

コメント有り難うございます。早速、PDF冊子をダウンロードして拝見しました。貴重な古地図等、大変興味深い内容です。
東大の本郷地区と浅野地区に挟まれた閑静な住宅街に、弥生から近代までの歴史が眠っているとは気づきませんが、その記憶が地形にはっきりと残っていることに感慨深いものがあります。

Posted by: iGa at May 22, 2008 05:21 PM

ホームページ担当様
 東京大学大学埋蔵文化財調査室

学内広報の記事を引用していただきありがとうございました。

東京大学工学部職員組合ホームページに射的場に関する原稿を掲載しました。一部お見苦しい部分ありますが、ご一読ください。現在、射的場に関する論文を作成中です。

工学部職員組合ホームページ
「最新の更新内容2008/04/24 冊子版「新春特集」の掲載(原祐一氏執筆)。第1〜4回を掲載」でご確認ください。

http://www.geocities.jp/kou_shoku/#news

Posted by: 原祐一 at May 22, 2008 12:00 PM