April 24, 2007

アトリエ 1951年6月号

日曜日の午前中、投票に行ったついでに駅前の書店で文庫と新書を買い求め、その足で古本屋に立ち寄った。そこで見つけたのが「アトリエ1951年6月号」である。買い求めた動機は表紙にある「アトリエ社復活記念号」でも「パウル・クレエ特集」でもない。武満徹によるエッセー「パウル・クレエと音楽」が掲載されていたからである。恐らくは武満徹が出版メディアに初めて書いたエッセーであろう。家に戻って調べてみると一周忌にあたる1997年に集英社より刊行された追悼版「武満徹の世界」に掲載の秋山邦晴による年譜にも、昨年刊行された「作曲家・武満徹との日々を語る」に掲載されている年譜にも、このエッセーについての記述は見つからなかった。そこで昨年の「武満徹 ─ Visions in Time 展」を記念して出版されたカタログ「武満徹 ─ Visions in Time」に掲載されている小野光子による武満徹年譜を調べると滝口修造の口添えにより執筆したと記されている。いや、年譜だけでなく「武満徹 ─ Visions in Time」の本文にも「パウル・クレエと音楽」が収録され、この文章で『「文筆家」としてデビューした。』とされている。時に武満徹は21歳、「ですます体」で書かれた文章は良く云えば瑞々しくもあり、悪く云えば青臭さも感じる。武満の良き理解者であった秋山邦晴がこのエッセーを年譜に敢えて加えなかったのかは、武満の死から半年後に秋山邦晴も病で亡くなった事から永遠の謎である。

Posted by S.Igarashi at April 24, 2007 01:17 AM