June 19, 2008

ロシア 闇と魂の国家

ロシア闇と魂の国家 (文春新書 623)
ブックカバーの見返しに『「ドストエフスキー」から「スターリン」、「プーチン」にいたるまで、ロシアをロシアたらしめる「独裁」「大地」「魂」とは何か。かの国を知り尽くす二人が徹底的に議論する。』と書かれている通り、ドストエフスキーの新訳文庫が評判のロシア文学者・亀山郁夫と起訴休職外務事務官で作家の佐藤優と云う二人の知性がロシアの近代と現代そして未来を様々な切り口からロシアを構成しているレイヤを徹底的に分析し議論している。面白い本である、腰巻きを読んだだけでも、それが伝わってくる。ドストエフスキーに精通していれば更に面白いであろう。だが、幸か不幸かロシア文学は高校生の時にトルストイを、それに1968年に話題となったソルジェニーツィンを読んだくらいで、ドストエフスキーの悪霊は映画となったものを岩波ホールで見ただけである。かろうじて先日放送された『知るを楽しむ・悲劇のロシア〜ドストエフスキーからショスタコービッチまで〜』の再々放送を録画できたのでどうにか俄知識だけは...。(と言っても未だ全て見ていないのだが...)

大学で神学を学び自らキリスト者でもある佐藤優の『スターリニズムは「ヒューマニズム」』に対し『キリスト教は「アンチ・ヒューマニズム」』と定義づけしている下りに、妙に納得した。そうか北方ルネッサンスと云ってもオランダ・ドイツが北限、15世紀にイタリアで興ったルネッサンスは辺境のロシアまで達することがなかったのだ。近代的自我が芽生えたルネッサンスの「ヒューマニズム」は「アンチ・ヒューマニズム」のキリスト教にとって異端であり受入れ難いものであった。
佐藤優は「第三章 霊と魂の回復」の中で次のように語っている。

ロシアだけでなく、キリスト教の異端についてぼくは次のように考えます。キリスト教は、二つの焦点を常にもっていると思うのです。イエス・キリストにおける人間と神性、信仰と行為、聖書と伝統、教会と社会というテーマをキリスト教神学は二項対立の形で立てることが好きです。そのうちどちらか一つの焦点だけを認めて、軌跡として円を描こうとするのが異端なのだというのが私の認識です。正統的キリスト教は、二つの焦点を維持して、楕円を描くのだと思います。ベルジャーエフは、キリスト教は二元論の陣営に立つと言ってますが、それはこのような楕円を描く焦点が二つあり、いずれも真理であるということを指しているのだと思います。
ちなみにプロテスタンティズムとロシア正教の異端派には、一つの焦点しか認めず、円を描こうとする傾向が強いです。私自身も、神学生の時代には楕円を円に矯正するのが神学の責務であると勘違いをしていましたが...

こうして、キリスト者の御高説を読んだのは初めてである。彼自身、神学生の時代に異端と正統の間を揺れ動き、結果としてバロック的な思想に辿り着いたことが興味深い。すると、彼は原理主義者と一線を画す、と云うことの表明なのだろう。
様式としてのルネッサンスは、キリスト教にとって異端であったダ・ビンチの人間像に代表される人間中心の正円の世界観から、異端審問所を巻き込んだ論争と紆余曲折を経て、15世紀、16世紀、17世紀と世紀を越え、サン・ピエトロ広場のバロックの楕円へとソフトランディングしているのであるが、ルネッサンスを経ていないロシアはやはりヨーロッパではないのだろうか...。

もしも亀山郁夫と同世代の米原万里が存命だったら鼎談もあり得たかも知れないと思わせる。ヒューマニストとしての米原万理とアンチ・ヒューマニストとしての佐藤優の論争も聞きたかった。

ところで、「生物と無生物のあいだ」にも出てきた研究員を揶揄する言葉『スレイブ(slave)=奴隷』はスラブ人が語源とされている。神や独裁者に隷属することを欲するロシア...が気になる。

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aki's STOCKTAKING:ロシア 闇と魂の国家

Posted by S.Igarashi at June 19, 2008 01:59 PM
コメント

第一章の「甘い腐臭」など書斎に根を下ろしている商業的知識人からは生まれない。実際に彼の地で生活していた二人の話はリアリティがあり、ディテールが面白い。

「知もてロシアは解し得ず/ひたぶるに信じるのみ」
というのはロシアの詩人の言葉...だそう...ですが、
何を信じるのか...ロシア人以外は...解し得ず...なのか...

日本人のロシア・コンプレックスも根が深いものがありますね。
1915年生まれの母の世代は生まれる10年前の日露戦争の戦勝気分で作られロシアや中国を揶揄した尻取り歌を刷り込まれているから、なんだかんだいって差別意識は死ぬまで残っていた。「→ロシヤ→野蛮国→」の部分だけは聞き齧りを覚えていたので、その戯れ歌をネットで調べたら...

日本の→乃木さんが→凱旋す→すずめ→めじろ→ロシヤ→野蛮国→クロパトキン→金の玉→まーけて逃げるはチャンチャン坊→棒で叩くは犬殺し→シベリア鉄道長けれど→土瓶の口から吐き出せば→バルチク艦隊全滅す→

ノモンハン事変を生き延びた中学の国語教師は、授業中にロスケとかチャンコロとか平気で差別的な言葉を使って、戦争の自慢話をしていた。多くの死傷者を出して、実質的に負け戦のノモンハン事変を勝ち戦の如く語るその教師は、ガキの時分から差別意識を刷り込まれていたんだろうな。イスラエルや、イスラエルと国境を接している国も、似たような戯れ歌で敵国意識を子供に刷り込んでいるようで、古今東西、為政者による子供を巻き込むプロパガンダは何処も似たようなもの。なんていうかプロパガンダの連鎖ですな。

Posted by: iGa at June 20, 2008 11:29 AM

知識人は上位構造を云々するのがお好きだが、あの國はやはり経済基盤が農奴制から抜けきっていないのではないだろうか。最近出て来ている「一兵士のシベリア抑留記」なんてのを読むとそんな気がする。

「おじさんおこずかいちょーだい。」という娘どもがロシアの伝統をしっかり受け継いでいるのではなかろうか。フィリピン娘の方はスペイン・アメリカによる500年来の植民地教育のたまものだが。

農奴制経済から抜けきっていない後進国が一発大逆転で西欧に追いつき、追い越せ、という為に採用したカラクリが共産主義であった様な、
それにスッポリはまってしまった戦後左翼知識人というのも実は文明開化の続きだったりして。

Posted by: Fumanchu at June 19, 2008 08:45 PM