January 08, 2006

東京の凸凹地図

「知識じゃなくって感覚」というエクスキューズを残し、チャリンコに乗って渋谷丸山町からエスケープしたシンちゃんは、いったい何処に行ってしまったのだろう。そうは言っても腑に落ちないモノを、そのままにしておくのは身体にも精神衛生上も宜しくない。「東京の凸凹地図」は飛躍文化人類学読本「アースダイバー」を読んで、「それは、、ちょっと、、」とか「ん、な訳ないだろう。」とツッコミを入れた読者や、「タモリのTokyo坂道美学入門」を読んで東京の地形に興味を抱いた読者に向けて東京の地形を自然科学的アプローチから解説した本だ。であるから諸説ある「縄文海進期」の海面の高さも「アースダイバー」とは異なる4〜5mという見解である。

何れにせよ海面の高さが15mとか20mも高かったのは13万年くらい前の下末吉海進期と云うことのようだ。「縄文海進期」の海面の高さ8〜9mと云う説もあり、これは川越辺りまで海岸線があったという「江戸の川・東京の川」36頁の「海進期の関東地方」の図版と一致する。(「江戸の川・東京の川」には縄文海進期の海面高さの記述がない。)仮に海面の高さ8〜9mとすると、古川水系では天現寺辺りまで海進していたことにはなるが、とても渋谷や代々木までは至らない。どうやら代々木八幡の半島が岬であった時代と縄文期とは一致しないようである。
その辺りの疑問に応えるためにも「東京の凸凹地図」は関東地方全体、少なくとも東京の全てを一枚で把握できる「凸凹地図」や海進期、海退期の「凸凹地図」を収録すべきであったろう。どうも「縄文海進期」の海面高さが定説ではどうなっているのか疑問は解けないままである。

参考までに海進期の「凸凹地図」を作ってみた。
海進海面高5m「凸凹地図」説
浅草の微高地や江戸前島、それに日比谷の入り江がそれとなく分かる。


海進海面高10m
神田川水系で高田馬場辺りまで、古川水系が天現寺辺りまで、目黒川水系が中目黒辺りまで海進。


海進海面高15m
これでも東横線渋谷駅くらいが河口というところでしょうか。
「アースダイバー」を契機に「縄文海進期」の謎を門外漢の私らにも明解にして欲しいものだが、それには文科系考古学と自然科学系地質学との枠組み超えた論議も必要なのだろう。


海進海面高20m(鈴木理生説)
縄文海進のピークは6,000年前
広くて暖かだった縄文の海
wikipedia 海面上昇
縄文の人々と日本人の起源
こうしてみると縄文海進・海面高さ5m説が定説化しているのでしょうか。縄文海進・海面高さ20m説の根拠は貝塚や貝殻等の堆積物にあるようです。それと、縄文海進以降に地震等による土地の隆起がどの程度あったかと云うのも問題になるでしょう。


海進海面高20m(鈴木理生説)熊谷付近を含む関東平野。
しかし、私の中学一年生の地図帳を見ると凄いですね。約1万年前は海退期になっていて日本列島は大陸とつながっています。今となっては眉唾モノの教科書でしょうか。そんな教科書にこんな悪戯書きを見つけました。やっぱり、中学一年生の時も私はアホでしたが、それにしても手抜きの悪戯書きです。

Posted by S.Igarashi at January 8, 2006 03:47 PM
コメント

iGaさん、masaさん、こんばんは〜(^0^)。
びっくりしました、地図が増えていますよ。スゴイ!みなさんすごいですね〜。地図にポーっとしてしまいます。しかし、「縄文海進問題」なかなか難しいですね〜。iGaさんには、いろんな情報まで探索していただきまして、ありがとうございます。どこまで理解できているのかよくわかりませんが、「六甲の森と大阪湾の誕生」、興味深く拝見いたしました(ちなみに、私は神戸出身なんです)。知り合いに、自然地理学者がいるので、近年の学会の見解を少し聞いてみたいと思っています。でも、ますます『ア』を楽しめるようになってきたように思います。毎日、楽しいです、本当に(^0^)。

Posted by: わきた・けんいち at January 10, 2006 10:01 PM

まったく、「凸凹海進説」とは違いますね。
面白いものがありました。
僕が中学一年生の地図帳(帝国書院)の年表です。
50万年前:原始人類が出現
3万年前:現生人類出現
1万年前:日本列島が出来る。
紀元前4000:エジブト・バビロニアに青銅文化
紀元前3000:中国に新石器文化
紀元前3000:インドに青銅文化
紀元前3000〜2000:縄文式文化おこる。(年代特定されず)
紀元前200〜西暦200:弥生式文化。
西暦200〜西暦500:古墳文化。
すごいですね。
縄文期は現代の学説とは年代も違い、ある意味大発見です。(^_^;)
この地図帳では1万年前の日本の地形は海退期で大陸とつながり、日本海は琵琶湖状態です。(・・;)


Posted by: iGa at January 10, 2006 09:47 AM

アースダイバー地図は、地層の境目を調べてつなげたもののようですから(13頁に記載あり)、現在の地形図で海面の高さを設定したものとは違いが出てくるんでしょうね。
また、興味がありましたので、つい先日入手したばかありの「江戸・東京の川と水辺の辞典」(鈴木理生著)をチェックしましたら、以下の記述がありました。
『最大の川である利根川河口の位置で見ると、約1万年前にはその河口、つまり海岸が今の埼玉県熊谷〜行田〜群馬県館林を結ぶ、現在の海抜高度約20メートルあたりにあった時期が、「最近」の海進期のピークであった』

Posted by: masa at January 10, 2006 04:10 AM

わきたさん、こんばんは。
いちおう5m毎に色分けして凡例を付けました。
縄文海進は調べるたびに門外漢には時代も海面高さも分からなくなります。(よーするに、何かの根拠に基づいた説明がなくて、いきなり数字が出てきたりで、、、まぁ貝塚の分布からすれば、8〜9mが適当なのか?これもよく分かりませんね。地震による隆起なんて考えると手に負えませんね。)これだけ『ア』が評判になったのだから、誰かが最新の学説に基づいて新書版「海進くんと隆起くんの謎」を出版してくれれば助かりますね。

Posted by: iGa at January 9, 2006 09:54 PM

iGaさん、こんばんは。おもしろいですね〜!!僕は、縄文海進は、言葉とその簡単な内容しかわからないので、諸説があるとは知りませんでした。ずいぶん『ア』の最後に付録としてついた地図とは違いもすね〜(^^;;。リアス式海岸のような、脳味噌のような、あのイメージはどこにもありませんね〜。少々、“戸惑い”をおぼえてしまいますが、でも、仕方ありませんよね〜。ところで、水色のところが「海」で、黄緑色から「陸」という感じでしょうか。でも、黄緑色も、ずいぶんジュクジュクの湿った土地だったでしょうね。谷からの雨水が流れ込んでくるわけですからね。特に、海から陸へと移行するエコトーン(移行帯)は、葦や蒲が生い茂るような場所だったのではないかと想像しています。琵琶湖の周囲には、そのような場所(陸になったり水没したりする土地)がかつてはたくさんありましたので、そのイメージで想像してみました。

Posted by: わきた・けんいち at January 9, 2006 08:32 PM