January 17, 2008

川の地図辞典-2 消えた梅田堀

Umedabori3.jpg

と云うことで「川の地図辞典」を手にして最初に調べたことは、私の生まれたバラックの前を流れていた堀割の正式な名称である。だが残念ながら「川の地図辞典」(P380〜P382)には掲載されていなかった。尤も足立区北部、草加市との都県境を流れる毛長川と荒川放水路とに挟まれた低湿地帯に嘗ては数多くの堀割が縦横に設けられ、それらの多くは農業用水路として機能していた事を考えると、無名の堀割もあるだろうし「川の地図辞典」にそれら全てを網羅することは到底無理と考えられる。頭の隅に微かに記憶されていた「梅田堀」をキーワードにGoogleで検索すると位置を特定できる情報が三つ程見つかった。

一つは西新井駅近くの梅田堀親水水路、そして生家に隣接した梅田稲荷神社について書かれた下記の文言。

5丁目9番にある。社殿の左側に禊教の教祖井上正鉄と妻の安西男也の墓が二人の高弟の墓とともに並んでいる。ほかに神社の玉垣に沿ったところに庚申塔と外荒神の2基を祀った庚申堂がある。もと梅田堀の端にあったものを地元の人々がここに安置したもので野仏の保存が図られている。文久元年(1861)九月銘の漱盥石がある。

他に足立区関原に設けられた小公園の記事には当時梅田堀といわれたこの地域に江戸中期に建立された道標や災害設備が設置された。とある。これらの情報から判断して生家の前を流れていた堀は「梅田堀」と呼ばれていた堀割と考えて良いだろう。
先日、梅島に住む母方の従兄弟が母の葬儀に訪れた際、お定まりの昔話に花が咲いたのであるが、祖父の事が話題となり、金融業にも手を広げていた祖父は『西堀の大尽』と言われていたそうである。地元の住民は生家の前の堀を『西堀』とも言っていたらしい。これは「梅田堀」が梅田の西の端、関原との境を流れていたからであろう。因みに梅田の地名の由来は『海田』と『埋田』の二つの説がある。何れにせよ低湿地の地形から名付けられたことに違いない。

上の写真の撮影場所をiPodtouchの空撮写真で見るとGoogleのロゴ付近から北の方向(西新井方面)を写している。右手の緑は梅田稲荷の社務所、鉄骨3階ALCのマンションが母の実家の池があった場所。生家の前の道は梅田堀を暗渠化して歩道を設け、更に車道を広げ、片側一車線の対面交通としたようである。梅田堀上の歩道のポールは嘗ての湿地帯を表徴するものだろうか。写真左手のマンション付近も50年前は溜め池があり、夏はシオカラトンボが池の上を飛んでいた。
追記:上記写真は昨年一月、西新井大師から荒川放水路までアースダイビングした時のモノです。因みにmasaさんが発見したサビオウの前は本木堀が流れていました。

次回「川の地図辞典-3 Jediへの道」へ続く。

Posted by S.Igarashi at January 17, 2008 02:49 PM | トラックバック
コメント

昨日、何気にテレビ・チャンネルをザッピングしていたら雑学クイズとかで大阪・梅田の地名の由来が問題になっていた。
なんて云うか、わきたさんのコメントを読んでいる人は正解ですね。

Posted by: iGa at January 24, 2008 10:01 AM

「川の地図辞典」の吉祥寺村あたり (ちょっと継ぎ目がずれていますが) を眺めていると、傾いた碁盤目状 (条里制の跡と吉村順三は言ってましたが) に対して、きっちり南北方向にアミダした畦道が、その区画の中にありますね。畦道ってそういうもんなんでしょうか。

Posted by: AKi at January 19, 2008 01:26 PM

玉井さん、どうもです。

「埋田><堀」とは合点ですね。気付きませんでした。
これはmasaさんの「掘田><堀」もヒントになりますね。
そういえばヴェネチアも観光客の行かない職人町とかでは運河が埋め立てられて広場や道になっていて、ゴンドラの船着き場だけが取り残されている建物を見ました。
「水みち」といえば、水田が碁盤の目の様に割り付けられてなく、アミダクジの様になっているのは、出鱈目ではなく、水を上から下へ田圃に平均的に行き渡せたりする為の合理的な解決策なのではと「川の地図辞典」を見ながらと思ったりして。

Posted by: iGa at January 19, 2008 09:58 AM

堀は、文字通り掘って作られたものもあるでしょうが、大部分は、埋め立てたときに一部分を残して水を逃がす場所を残したのでしょうね。ヴェネチアの運河も、掘って造られたもののようになんとなく思っていましたが、あれは埋め立てて陸地を作ってゆくときに意図的に残された水みちだったのだろうと、実は先日、友人と話していて気づきました。知ってる人にとっては、そんなことは常識なのかもしれませんが、ぼくにとってはちょっとした発見でした。
埋田と堀は、そういう意味では対になっているのが当たり前なのですね。

Posted by: 玉井一匡 at January 19, 2008 02:51 AM

掘田堀 -> 梅田堀 だす(^^;

Posted by: masa at January 18, 2008 11:54 PM

これは、川の地図辞典・第2版には、破線が増えて、そこに「堀田堀(iGa堀ともいう)」と記載されますでしょうね(^^;

Posted by: masa at January 18, 2008 11:54 PM

わきたさん、ども。

言いまつがい(@ほぼ日刊イトイ新聞)聞きまつがい、も有りでしょうね。

権助『この辺は何ちゅーとこだべさ』
田吾『あ〜んだ、おいら、よく分かんないけど、なんでもここは昔「海だ」ったらしいなぁ。』
権助『そーか「うめだ」か』
田吾『そーよ「うみだ」』
権助『なるほどな「うめだ」ねぇ』

やっぱり、ホッピーと「レバカツ」でしょ。
別に意味ないけど、なんとなく「レバカツ」が食べたくなったりしてね。

Posted by: iGa at January 18, 2008 02:33 PM

iGaさん、「海田」説もいいですよね〜。以前、『Kai-Wai散策』のコメント欄に、「足立の地名は、葦立からきているのだという説もあるらしく、青井地区から東のほうは、天然の遊水地、氾濫原であり、海につながっているという景観を想像」できると書きましたが、そのことからすれば、「海田」説も、まんざら間違いでもない(^^;;;、という気もしますよ〜。
ところで、「i」問題ですが、下町湿地帯でウスターソースをつけた「レバカツ」を皆さんでお食べになってみると、「i」(アイデア)が「ポッ」と浮かんでくるかもですね〜(「i-Pot」…なんちゃって)。しかし、ウスターソースをつけた「レバカツ」ってのは、食べたことがありませんね〜。やはり、そのときはホッピーですかね。

Posted by: わきた・けんいち at January 18, 2008 12:46 PM

わきたさん、どうも。

「海田説」は、もしかすると『昔々、ここは「海だ」ったのだ』
から「うみだ」→「うめだ」と訛って「梅田」になったとか、妄想ですが。(^_^;)

「i」問題は未決着のままです。
下町湿地帯でウスターソースをつけた「レバカツ」でも食べれば「i」出ア!が生まれるかな。?

Posted by: iGa at January 18, 2008 11:44 AM

AKiさん、どーもです。
そーなの、アップデートした小道具を見せたかっただけかも。

Posted by: iGa at January 18, 2008 11:33 AM

iGaさん、こんにちは。足立区の梅田という地名には、やはり、埋田という説があるんですね。大阪の梅田のばあいと、同じです。こちらは、「埋田」で決着がついています。次回「川の地図辞典-3 Jediへの道」も、大いに期待しています。で、Jediの「I」問題、こちらのほうの決着はつきましたですか(^0^)?ちょっとだけですけど、どうなかったかなと気になっています。

Posted by: わきた・けんいち at January 18, 2008 09:31 AM

やんや、やんや。
結構でございますね。小道具の iPod touch もきらりと光り、iGa 節も絶好調でございます。お次も期待でございます。

Posted by: AKi at January 17, 2008 08:13 PM