June 23, 2005

靖国問題

靖国問題 高橋哲哉・著
ちくま新書・ISBN4-480-06232-7 定価(720+税)
著者の高橋哲哉氏はリベラリズムの人だろう。その著者がプラグマティズムな観点から冷静に靖国問題を、感情の問題、歴史認識の問題、宗教の問題、文化の問題、そして国立追悼施設の問題と分析し、最後に極めて現実的な解決の方向を提示している。それは「政教分離」の徹底により国家と神社の癒着を断つこと、次に神社の信教の自由を保証すると共に遺族側の信教の自由も保証することである。それは合祀を望まない遺族に対して神社側が応じることであるとしている。要するに、そこに祀られたいと遺族が望む戦死者だけを祀る一つの宗教法人として自立することが現実的選択としている。しかし、この新書の最も重要な個所は最終章の石橋湛山について触れた部分にあるのではないだろうか。

戦争直後のまだ憲法が公布される前に石橋湛山(自民党総裁・元首相)が靖国神社の廃止を提言している。その内容は現実的解決策を提示している高橋哲哉氏より遥かに先鋭的である。石橋湛山は保守リベラリズムの立場から戦前より植民地政策批判、軍国主義批判を通してきた人である。「靖国神社の存続はいつまでも屈辱と怨念の記念として永く陰惨の跡を留むるのではないか。」と述べている。怨念がいつの日か正義の仮面を装い復活することを石橋湛山は危惧していたのだろう。そして更に石橋湛山は憲法九条を暗示する「真に無武装の平和日本を実現する。」との言葉を残している。

日本敗戦のシナリオは既に明治維新に書かれていたと言って良いだろう。行き過ぎたナショナリズムはいつかファシズムへと変容する。尊王攘夷思想を近代国民国家に投影しドイツ帝国憲法を礎に立憲君主国家となった明治政府体制はファシズム体制の基本理念と矛盾なく合致している。
それは、国の成り立ちを神話に求める建国の虚構性、全体主義的な国家権力の元に個を国家に溶解し、社会的階級的矛盾を解消し偽るものである。戦前の国家神道の名の元に天皇に命を捧げたもののみを合祀する靖国神社は国家に個を溶解する装置であり、全体主義のアイコンと成り得たのである。

先日も日本軍兵士として戦死した台湾の遺族が合祀の取り下げを要求したが、神社側は門前払いをしている。信教の自由を盾に首相が行動するなら、一個人として行動すべきであろうし、異なる宗教を持つ彼ら台湾の遺族の要求も聞き入れねばならない。

Posted by S.Igarashi at June 23, 2005 11:18 PM