September 04, 2008

『少年』の時代

物心が付いた頃には家にあった兄達の『少年』を見ていた。小学校に上がる前に時々買ってもらった雑誌に同じ光文社で弟分の『幼年』があったが、その『幼年』の内容については全く記憶に残っていない。(どういう訳か光文社の沿革、つまり記録にも残っていない、同じジャンルには集英社の『幼年クラブ』があった。)何故か?その理由はこの表紙の鉄腕アトムにあるのだろう。1989年に光文社文庫から出版された『「少年」傑作集 第1巻』は『少年』復刻版で文庫本サイズのダイジェストである。今読んでも面白いのは手塚治虫と杉浦茂の二人だ。そう、手塚治虫と杉浦茂の漫画の出てない『幼年』は記憶にも記録にも残らなくても当たり前なのだ。
国内に於いてメディアの枠組みを超えてサイエンス・フィクションと云うジャンルを確立したのは、やはり手塚治虫の功績が大きかったと思わざるを得ない。そういう意味で少年雑誌であっても手塚治虫は一つも手を抜いてなく、サイエンス・フィクションのプロットを押さえている。鉄腕アトムは昭和43年に連載が終了しているが、鉄腕アトムを読んで育った子供達は何の違和感も先入観もなくSF小説を受入れる青年に成長していたのだ。

先日、たむらくんの仕事場に寄った時、古本屋で買ったと云う昭和34年1月号『少年』の附録で杉浦茂の『ミスターロボット』を見せてくれた。やっぱり杉浦茂は今でも面白い。この『「少年」傑作集 第1巻』には『ミスターロボット・赤い家の秘密』が掲載されている。物語の事件が解決した後にこんな顛末が、杉浦茂の人柄がよく表れている内容である。

ところで、『「少年」傑作集 第1巻』に夏目房之介のエッセー『鉄腕アトムの時代』が掲載されている。夏目房之介は私と一つ違いの同世代である。彼が同世代の長谷川明の言葉を引用している。

『わずか数年の差であるが、雑誌で手塚マンガを見ていた世代と、最初からアニメで見ていた世代とでは大きな断絶があるのである。偏屈を非難されるのを承知で言えば、鉄腕アトムと聞いてアニメを思い出す人には手塚マンガはわからない。』

夏目房之介は『あ〜あ、言っちゃった、という感じだが気持ちはわかる。』と述べているが、私もそう思う。
因みに『「少年」傑作集 第1巻』は手塚治虫の死から半年を経て出版されている。世間的に言えば追悼版であるが、手塚治虫の死によって可能となった企画でもある。何故なら、手塚治虫は昔の原画をそのまま流用した復刻版を許可しなかったからである。彼は過去の作品も再版の度に原画を描き直す等して手を加え続けていたとされている。同じ物語でも微妙に絵のタッチや構図が異なっている。
そして、アニメ化された鉄腕アトムはアニメキャラクターの宿命と言うべきなのか時代と共に丸みを帯び愛らしい風貌に変化している。それはミッキーマウスも然りである。キャラクターの愛らしさはアニメーションが大衆消費社会に受入れられる為に避けられないものなのだろうか....。

Posted by S.Igarashi at September 4, 2008 10:48 PM
コメント

横山光輝センセイが御書きになった鉄人28号は、元は太平洋戦争末期に起死回生を計る大日本帝国陸軍の秘密兵器であったのですね。
敗戦から60余年、サイパン島だかマリアナ島だかの海岸には身の丈30cmあまりに縮み、材質もビニールとなった鉄人28号が日本国より多数流れ着き、米軍ならぬ亀などがこれを退治しようとして腹を壊し、メーワクしていると米国の新聞にメーワクそうに書いてありました。

まあ、日本の劇画をハリウッドでリメイク、という時代ですから。

Posted by: Fumanchu at September 6, 2008 06:44 PM

「杉浦茂を知ってる」と云うのも冗談が通じるかどうかのフィルターになりますね。
1987年頃、たむらくんの個展でイラストレータの伊藤桂司氏(何故か高校の後輩だった)に会った時、もしかして杉浦茂が好き?と聞いたら、図星でした。僕らより一周り年下の彼はリアルタイムで杉浦茂の絶頂期を知らないから、余計に憧れるらしく杉浦茂に会いにいったとか...。彼のイラストのシュールな側面には杉浦茂からの影響が潜んでいたのでした。
そういえば、先日の集中豪雨の翌日、楳図かずおに会いました。ちょっと目が合ったので「大変でしたね。」と声を掛けたら、甲高い声で「こんにちわ」と返事された。あの有名に成りすぎた吉祥寺の家でなく高尾の家に居たらしい。

Posted by: iGa at September 6, 2008 01:10 PM

鉄腕アトム同様、記憶に残るのは「レレレのをじさん」であります。杉浦茂さんは湯島の医者の息子ということですが、湯島の奥辺りに「御掃除町」というのがあって、「御掃除ノ者」と言う人達が住んでいたそうです。差別された人達ですが幕府の官職なので、身分は保障されていた様です。「レレレのをじさん」はそうした由緒ある家柄の人かもしれません。

Posted by: Fumanchu at September 6, 2008 12:05 PM