関東大震災から一年目、此の地で「淫文一篇...金阜山人あざぶにて識す。」と云うことらしいが…自然災害の震災を免れた偏奇館も人為的な空襲で焼失…その跡地も近年の人為的な再開発事業で…なにがなんだか原形を留めておらず…この辺りに墓標のやうなものを建てれば良かろうでお茶を濁しているようだ。まぁ…荷風先生...そんなもの望んでないでしょうね。
と云うことで、今日はホテルオークラ東京に用があり、地下鉄・六本木一丁目で降り…途中、石碑に立ち寄ったのである。
偏奇館の住所は麻布・市兵衛町一丁目六番地とあるので東京時層地図で昭和戦前期地形図の此の辺りであろう。すると…偏奇館跡地は再開発で新たに造られた道路に…と云うことだろう。
まぁ...ヨーロッパの様に400年前の建物に誰それの生家と記された標識がさりげなく貼ってあるのとは大違い。まぁ…1970年代に造られた超高層ビルが…いつの間にか取り壊されている国ですから…人為的に風景を消し去るなんてことも...躊躇いもなく行なわれます。