地図帳の深読み 今尾 恵介 (著)
私も中学生のときに使っていた帝国書院の地図帳は未だに持っている。「中学校社会科地図-最新版-」とあり、奥付を見ると昭和36年12月20日発行・定価200円となっており、58年前は最新版だったのだ。このブログにも「中学校社会科地図-最新版-」から引用している記事が数点ある。
前書きを読むと帝国書院からの執筆依頼されて「地図帳の深読み」を上梓したようだ。と云うことで地図帳は地球上の人工物と、地形等の自然環境を記録したデータブックでもある訳だが、そこには人々の生活、争い、侵略、支配と隷属の関係等も刻まれている。そうした関係性を深読みする指南書でもある訳だが、それは著者や読者の関心事に温度差もあり、成程と感心する面と、些か物足りない面もあるのは、帝国書院の地図帳から添付されている地図の縮尺から情報量も限定され致し方ないのかも...。
「第2章 境界は語る」の「かつての田舎は大都会ー日本の5人に1人は武蔵の人」は横浜市出身の筆者らしい説だ。川崎市と横浜市のおよそ3/4は武蔵の国との記述を裏付ける資料となる筈の帝国書院「中学校社会科地図」の「昔の国名と国境」が1/15,000,000と云う尺度では筆者が鉄道の駅を目安に国境の位置を説明すると云う苦しい解説...そういえば9年前にJEDI:多摩の横山・分水嶺を相武する。で、武蔵と相模を分ける境川の源流にも行きましたが、境川の下流域は片瀬川と名を変え江ノ島近くの相模湾に注いでいる。本書でも三多摩地域が明治26年まで神奈川県に所属していたこと、玉川上水の水源問題で東京都に移管されたことが述べられているが、元々武蔵の国、江戸幕府のインフラ整備で造られた上水。その事に、26年も経ってから漸く気付いたということでしょうか。
そういえば、昭和の時代まで多摩御陵と言われていた天皇陵が、武蔵陵と言うようになったのは何故?だろう。天皇による東国支配の礎の意味か。
目次
第1章 地形に目をこらす
第2章 境界は語る
第3章 地名や国名の謎
第4章 新旧地図帳を比較する−地図は時代を映す鏡
第5章 経緯度・主題図・統計を楽しむ
と云うことで「中学校社会科地図」からの引用を...
March 15, 2013:600-1=599 僕らがガキの頃、高尾山は600mありました。
January 31, 2009:国境線 続く侵略...
April 10, 2017:浦安・幕張・稲毛 僕らがガキの頃、潮干狩りの脇で埋立てが...
March 29, 2006:REVOLUTION in The Valley Macのキーボードに地図記号
Posted by S.Igarashi at December 18, 2019 10:48 AM