June 26, 2005

チョムスキー9.11 Power and terror

チョムスキー9.11 Power and terror
チョムスキーは楽天家なのだ。9.11以後のインタビューと講演が収録されたこのDVDを見てそう思った。それは彼の言語学者としての研究と思索から生まれたものだろう。人の言語能力は先天的に備わったものだとするチョムスキーは人種・民族・文化の壁を超えて人々はコミュニケーションできると信じている。「世界は悪い方向に向かっているのではないか?」との聴講者の質問にも「そんなことはない」と言い切る。ベトナム戦争批判に立ち上がった当時に比べれば言論の風通しは少しずつ良くなっている。「サッコとバンゼッティの悲劇」も「奇妙な果実」も「マッカーシー旋風」も過去の出来事となりつつある。チョムスキーが職を失い国外追放されないこともアメリカの民主化が以前より良くなっていることの証なのだろう。物事に悲観せず諦めず継続することの大切さと可能性を信じる勇気を与えてくれるDVDである。

チョムスキーは東京裁判についても語っている。日本のA級戦犯は紛れもなく戦争犯罪人であるが、東京裁判そのものについては茶番と切り捨てる。何故なら、連合国側の戦争犯罪行為が問われなかったからである。更にニュールンベルグ裁判に於いて何が戦争犯罪に該当するか定める会議において、その根拠になったものは、ナチスドイツが行った戦争行為の方が多く、連合国側が行わなかったもの(或いは少なかった行為)が戦争犯罪と見なされた。その逆に連合国側が行った戦争行為の方が多く、ナチスドイツが行った戦争行為の方が少なかったものは戦争犯罪と見なされなかった。その典型的なものが市街地空爆である。第二次世界大戦末期、既に空軍の戦闘力を失っていたドイツ空軍に対して連合軍側は市街地空爆を断行し降伏へと追いつめた。それは日本においても同様である。1945年3月10日の東京空爆に始まり、日本の主要都市を空爆、最後にヒロシマ、ナガサキに原爆を投下、明らかに、女性、子供、民間の非戦闘員を巻き込んだ無差別殺人の戦争犯罪行為であるが、ドイツも日本も連合軍を上回る空爆を行わなかったので、空爆は戦争犯罪と認定されずに今日に至っている。それ故、アメリカはベトナム戦争北爆、アフガン空爆、イラク空爆と反省もせず無差別殺人を繰り返すのである。

Posted by S.Igarashi at June 26, 2005 10:55 AM
コメント