江戸の川・東京の川鈴木理生・著、井上書院・刊
本書について知ったのは槇文彦・他著による「見えがくれする都市」(1980年発行・SD選書)の三章「微地形と場所性」(文責・若月幸敏)に引用された図版からであった。しかし、実際に読んでみようと思い立ったのは中沢新一のアースダイバーを読んだことがきっかけだ。アースダイバーによって東京の都市空間を解読するツールとして縄文人の視座を与えられたが、週刊現代的な飛躍文化人類学の限界なのか、腑に落ちない思いもあり、江戸東京の骨格である微地形を形作った水の力について知りたくなった。アースダイバーでは縄文海進期の洪積台地にフォーカスしているが、沖積層の下には海退期の川が幾つも流れていた。それだけでなく洪積台地の下にも川は流れているのだ。僕はクセナキスの言葉を思い出した。「幾つもの川(思潮)はやがて大海に注ぎ一つになるだろう。しかし、一つに見える大海にもその下には幾つもの川(思潮)が流れているのだ。」正確ではないかも知れないがこんな意味だったと記憶している。
因みに前述の「見えがくれする都市」三章「微地形と場所性」では江戸・東京の都市の成り立ちを微地形という観点から捉えている。少し引用すると、
「、、、大都市の中でも東京は開析谷と台地が複雑に入り組み、いわば地形のしわに左右されながら町が形つくられてきた形跡がある。このような地形的特徴と相俟って、微地形にひそむ場所の力、すなわち土地霊などの存在を感じとり、場所性を豊かに醸成してきた例が数多く見られる。、、、中略、、、場所が持っている潜在力を生かしてものを作ってゆくという考え方は、場所の制約から開放され自由にものを置くという近代の計画手法とは対照的です。、、、」とある。
微地形とは「肉眼では確認できるが地形図上では判別しにくい非常に小規模な地形」を意味する。
Posted by S.Igarashi at December 20, 2005 10:04 AMmasaさん、どうも、
この本でも千代田区史から縄文中期の遺跡分布図が引用されています。この本では谷筋に連続して遺跡が分布していると分析されています。
aKiさんも気にしていたけど、千代田区史も気になりますね。
それと東京の地盤や地層の詳細なデータは営団地下鉄改め東京メトロ(なんちゅーか東京土産か夫婦漫才のコンビ名みたい)が保有しているようで。最初の地下鉄、銀座線の建設にあたって地下の地形図を作っているなど、「東京地下鉄道史」からの引用もあります。
あれれ、僕もこの本を読もうと思っていました。そもそも、東京の地形が気になりはじめたり、アースダイバーを読む下地ができていたのも、鈴木理生さんの「東京の地理がわかる事典」を読んだからでした。
いよいよiGaさんのオッカケになってしまいそうです(^^;