January 14, 2004

明治・大正を食べ歩く

「明治・大正を食べ歩く」 森まゆみ PHP新書
これは地域雑誌「谷根千」の編集人であり、最近はNHK教育放送・人間講座「こんにちは一葉さん 〜明治・東京に生きた女性作家」の講師を務め、樋口一葉の研究家でもあり、家庭の主婦であり、母でもある作家・森まゆみが書いた食べ物にまつわる本である。

この本で取り上げている店は大正以前に創業された飲食店、それも彼女の守備範囲である谷中・根津・千駄木を中心に、ちょっと足を伸ばせる所まで、そして紹介されている約半数の店は子供時代に両親と一緒に訪れたことのある店だそうである。江戸の風俗なら杉浦日向子、明治・大正なら森まゆみと言ってもよいくらい豊富な知識に裏付けされた文章は、飽くなき取材によって得られたものであろう。それも図書館のかび臭い文献だけではなく、今を生きている人びとから聞き出したものであることがこの本にリアリティを与えている。これは彼女の資質・人格によるところが大きいのではないかと思える。取材するにしても店だけでなく、その周辺、町内会長まで訪ねて世間話を交えながら昔話を聞き出す、これは一つの才能である。物腰の柔らかな語り口と穏やかな風ぼうは、取材される側の心のバリアーを取り払うに違いない。
第一章の浅草・上野・根岸編では

子どものころ、母に「根岸の里の侘び住い」とつければ何でも俳句になる、と教わったことがある。
という下りがある。子どもにそんなことを教える母親とはどんな人だろうと思っていたら、後書きに「芝生まれの父と浅草育ちの母に、、」と書いてあり、なるほど合点がいった。その後書きにはこう続けられている。
ということで、居心地のよい店というと、明治・大正からやっているような、それでいて老舗を鼻にかけない、時代に対応しての努力も怠らない、小粋で気分のよい店ということになる。
中略
創業当時の主人の想い、開店の経緯、持続の経緯などは案外わからないものなので、できるだけ店の人の話を聞いた。これは、いうところの食べ歩きの本ではなく、飲食の商売人の立場から見た、日本近代史といえるかもしれない。
食べ物の本は少なからず作者の趣味趣向が左右するものであるが、それにも関わらず読者を満足させるのは、確かな取材によって得られた情報でしかないことを実感させる本である。
この先、この本で紹介されている個人経営の店がどこまで生き延びることができるか、だれも分からないが、こうした店がなくなってしまうとしたら、個人も生きにくくなる時代が訪れる。それは都市も終焉を迎えるときではないだろうか。

Posted by S.Igarashi at January 14, 2004 03:16 PM | トラックバック
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