世界は「使われなかった人生」であふれてる
沢木耕太郎・著(暮しの手帖社・刊 2001.11)
世界は「使われなかった人生」であふれている (幻冬舎文庫)
本書をいつ買ったのか憶えてないほど、読む切っ掛けもないまま、本棚で眠っていた本である。本棚から探して読もうと思った動機付けはNHK スペシャルの「沢木耕太郎推理ドキュメント運命の一枚”戦場”写真最大の謎に挑む」と日曜美術館「ふたりのキャパ」を連続して見て、そういえば『世界は「使われなかった人生」であふれてる』を持っていたことを思い出したのだ。沢木耕太郎が架空の人物名であるロバート・キャパに隠された男と女の人生に興味を抱くのも至極当然な様に思える。
巻頭の書名に使われたエッセーは映画評論家・淀川長治との対談のこんなエピソードから始まる。『...無礼を承知でこんなことを訊ねた。「淀川さんから映画を引いたら何が残るのですか、」と。すると、淀川さんは、「あんたはやさしい顔をしてずいぶん残酷な質問をするね、」と笑いながらこう答えてくれた。「わたしから映画を引いたら、教師になりたかった、という夢が残るかな」...』...別な対談で吉永小百合さんは「もし、女優になっていなかったらどんな職業についていたと思いますか。」の問いに対し、すこし考え、こう答えた「学校の先生でしょうか。」
『どんな人生にも、分岐点となるような出来事がある。.....中略....いずれにしても、そのとき、あちらの道でなく、こちらの道を選んだのでいまの自分があるというような決定的な出来事が存在する。』.....この文章を読んで或るJazzのレコードジャケットを思い出した。それは1967年のKeith Jarrettの初めてのリーダーアルバムだ。この"Life Between the Exit Signs"と云うアルバムタイトルには「人生の二つの扉」という邦題が付けられていた。サイドメンにはCharlie Haden (b)、Paul Motian (ds)、二人ともオーネット・コールマンの影響を受けたフリージャズの人だ。それまでKeithが属したCharles Lloydのグループとは方向性の異なるメンバーである。Keithは自分にとっても人生の分岐点になるアルバムに"Life Between the Exit Signs"と名付けたのである。
『一見、「使われなかった人生」は「ありえたかもしれない人生」と良く似ているように思える。しかし、「使われなかった人生」と「ありえたかもしれない人生」との間には微妙な違いがある。「ありえたかもしれない人生」には手の届かない、だから夢を見るしかない遠さがあるが、「使われなかった人生」には、具体的な可能性があったと思われる。』
本書は俗に云う映画評論集と云うべきものではなく、一つの映画をモチーフにしたエッセーを30集めたエッセー集だ。従って、各エッセーのタイトルには映画タイトルは使用されてない。暮しの手帖に連載されていたと云うのも頷ける。
目次
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・世界は「使われなかった人生」であふれてる
・出発するための裏切り(マダム・スザーツカ)
・薄暮の虚無(偶然の旅行者)
・にもかかわらず、よし(マイライフ・アズ・ア・ドッグ)
・飛び立つ鳩を見送って(日の名残り)iTunesStore・日の名残り
・天使が砂漠に舞い降りた(バグダッド・カフェ)
・焼き払え!(シルビーの帰郷)
・最後まで降りられない(スピード)
・官能的にしてイノセント(髪結いの亭主)
・不可視の街で(タクシー・ブルース)
・敗残の可能性(黄昏に燃えて)
・海を待ちながら(フィッシャー・キング)iTunesStore・フィッシャー・キング
・郷愁としての生(恋恋風塵)
・もう終りなのかもしれない...(許されざる者)iTunesStore・許されざる者
・行くところまで行くのだ(人生は琴の弦のように)
・悲痛な出来事(オリヴィエ オリヴィエ)
・プレスリーがやって来た(グレイスランド)
・水と緑と光と(青いパパイヤの香り)
・滅びゆくものへの眼差し(ダンス・ウィズ・ウルブズ)
・貧しさと高貴さと(運動靴と赤い金魚)iTunesStore・運動靴と赤い金魚
・切れた絆(フォーリング・ダウン)iTunesStore・フォーリング・ダウン
・老いを生きる(春にして君を想う)
・新しい世界、新しい楽しみ(ムトゥ 踊るマハラジャ)
・わからないということに耐えて(17歳のカルテ)iTunesStore・17歳のカルテ
・男と女が出会うまで(ワンダーランド駅で)iTunesStore・ワンダーランド駅で
・ひとりひとりを繋ぐもの(ローサのぬくもり)
・煩悩に沈黙が応える(フェイク)iTunesStore・フェイク
・笑い方のレッスン(八日目)iTunesStore・八日目
・夢に殉じる(ペイ・フォワード 可能の王国)
・父に焦がれて(セントラル・ステーション)
・神と人間(トゥルーマン・ショー)iTunesStore・トゥルーマン・ショー
・そこには銀の街につづく細い道があった
あとがきー心地よい眠りのあとで
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(エッセーのタイトルには映画名は記されていないが、参考の為、映画タイトルと映画案内のリンクを追加)
この30作品の内、10作品はiTunesStoreからレンタル可能である。因みに30作品の内、私が観たのは3作品だけ。う〜む...
当該エントリーにスパムコメントが大量におくられたのでコメントを封鎖しました。
Posted by: IGa at September 16, 2013 09:08 AM気になって調べてみたら、このアルバムは時代的に寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』と同じ1967年の作品ですね。
既成概念を捨て、扉を開け外の世界へ...てことでは共通してるかも...時代の空気かも...
Posted by: iGa at September 15, 2013 12:56 PM先ずは家を出るということから全てが始まるということかも...ですね。
Posted by: iGa at September 15, 2013 11:28 AMひところキースはグルジェフに傾倒していたということを、読んだことがありました。どこかで聞いた名前だと思ってさがしてみると、ライトの最後の奥さんオルギヴァンナは、グルジェフといったっけグルジアのあたりの神秘思想家の弟子だったということが、ライトの伝記に書かれていました。
この写真を見ると、ずいぶん若々しく、どこか吹っ切れたような表情をしていますね。それまでの自己から解放されて外の世界に出て行こうとしているのでしょうか。
キース・ジャレットが信仰している宗教については知りませんが、洗礼を受け神との契約をした帰属社会とは別な選択するということは一旦その帰属社会から出ないといけないと考えが西洋にはあるのかしら....キースはオーネット・コールマンと共演経験のあるミュージシャンをサイドメンに起用する等、フリージャズやブラックミュージックへの理解もあるし、60年代後半の迷いがアルバムタイトルに表れてるのかな。因みに国内盤が廉価盤として再販されていますね。
Posted by: IGa at September 15, 2013 09:41 AM 知らなかったアルバムです。
それにしても、ENTRANCEでなくEXITであることが、興味深い。
ぼくだったらENTRANCEにするかもしれないなあ。