建築家という言葉に対して一つの側面としてのイメージが固定されたのは高校二年生の頃、トルストイの復活を読んでのことだった。
小説の中の建築家像はパトロンである貴族(放蕩者の主人公ネフリュードフの父親)の元に度々現れ媚びへつらい、金銭を無心する下劣な太鼓持ちのような人間として書かれていた。トルストイ自身が貴族階級の放蕩者であったことからも自分の体験も重ね合わせていると思えるが、小説とは言え、現実もそうだったのか検証することもできず、半信半疑のまま腑に落ちず消化不良のままでいた
それが、強ち作り話ではないことが判ったのは「パッラーディオ-世界の建築家」福田晴虔著(鹿島出版会1979年刊・絶版)を読んでのことだった。パッラーディオは16世紀、ベネチア共和国(現在の北イタリア・ヴェネト地方)を中心に活躍した建築家であり、公共建築の他、多くの住宅も手掛け、世界初の住宅建築家と言っても差し支えない。パッラーディオによる理想的な建築は彼の著書「建築四書」に記されているが、現実は決して理想通りに事が進まないのは、今も昔も変わらない。常に再三にわたる設計計画の見直し、工事金額の予算オーバーと工事費カットと工事の中断、設計料支払いの滞り、等々により経済的に豊かではなかったらしく。やはり時として、クライアントであるパトロンに窮状を訴え金銭を無心することもあったようである。パトロンと芸術家という支配と隷属の関係は16世紀の建築家からトルストイの生きた19世紀までも、そして今日でも、社会システムが変わっても亡霊のようにまとわりついている気がしないでもない。
参考文献:東海大学出版会「復活」あとがき 北御門二郎
Centro Internazionale di Studi di Architettura Andrea Palladio