April 10, 2017

浦安・幕張・稲毛

お断り:1月10日に記事を書いたまま公開するのを忘れていた。もしかしたら何か付け加えようと考えていたのかも...。
上記の地図は昭和36年12月20日発行の帝国書院・中学校社会科地図(最新版)である。表紙には最新版とあるが1961年発行であるから55年前の東京湾を示している。1月7日のブラタモリは#58 浦安であった。浦安は江戸川河口の浅蜊の漁場を控える漁師町であったが一般向けの潮干狩り場とはならなかった理由も、番組を通して浅蜊漁が衰退した理由も理解できた。
僕らが子供頃、潮干狩りと云えば稲毛海岸が最もポピュラーだった。小学校、中学校と春の遠足で稲毛海岸に潮干狩りに行っている。高校の遠足では幕張海岸で潮干狩りだったが、既に埋立ての土砂を圧送するためのパイプラインが遠浅の海の沖まで延びていた。

駅から海岸まで歩いてゆける稲毛海岸や幕張海岸が潮干狩りを観光としていたのも、船溜まりにできる河口もなく、遠浅故に港も出来ず漁村としての立地には恵まれていなかったからだろう。逆に船溜まりとして利用していた江戸川が工場廃液によって汚染され浦安の漁業が衰退したのも皮肉である。そして陸の孤島と呼ばれていた浦安に地下鉄東西線が通ったのが1969年(昭和44年)のこと、京葉線・舞浜駅が開業したのは1988年、東京ディズニーランドが開園して5年後である。

未だ足立に住んでいた頃だから私が7歳以下のこと、近所の人達と家族で稲毛海岸に潮干狩りに行った事がある。恐らく東武線と京成線を乗り継いで行ったのだろう。駅から海岸まで松林の丘の中を歩いていった記憶がある。
記憶を確かめる術が風景ではなく近現代の古地図にしかないのも皮肉なこと。

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March 07, 2016

「今昔マップ on the web」と「地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み」

地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み: 関東(2)京王・西武・東武
腰巻きが京王線仕様になっていることから、Amazonではなく啓文堂書店で平積みにされていたのを買ったものだろう。京王・御陵線の経緯を拾い読みして積読状態にしてあったのだが、Facebookで知った今昔マップをiMacの広いスクリーンで見ると、iPhoneやiPadのスクリーンで見る東京時層地図とは違う発見もあって面白い。
因みに今月の21日にせいせき今昔セミナーと題したイベントが講師に今尾恵介氏を迎えて聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターであるらしい。今昔マップのこの辺でしょうか。
多摩川右岸の聖蹟桜ヶ丘(旧駅名:関戸)に駅が出来た理由は…工事費の掛かる鉄橋を一ヶ所に済ませる為なのですね。因みに京王帝都電鉄の名称は東と八子を結ぶ鉄道だから、東八が採用されなかった理由はなんでしょうかね。会議の全貌を妄想すると面白そうであります。似たような名称に甲州街道(国道20号)のバイパスとして計画された道路に東八道路がありますが、どうも先に完成した三鷹市内だけを東八道路と呼んでいる様です。これも終点は甲州街道と圏央道の高尾山ICですが、全線が繋がるのは未だ先で、八王子市内では度々ルートが変更されています。

内容:
京王電鉄
甲州街道に沿う電気軌道/路面電車から郊外電車に発展/観光開発の時代から戦争へ
「トレンチ鉄道」がルーツ----井の頭線/最新式の帝都電鉄
西武鉄道
始祖は国分寺起点の川越鉄道/変転する都心直結線計画/ライバル・武蔵野鉄道
ついに実現した村山線/多摩湖・狭山湖をめぐる鉄道/幻に終わった奥多摩の鉄道回遊ルート
東武鉄道
武蔵國東部を北上する鉄道/北関東機業地帯への延伸/鴨と桃花と菖蒲
東京から上州さらに新潟へ---東上鉄道/大和田から志木経由に変更
高速電鉄の時代---日光線開業
追記同じ著者の著書に...
aki's STOCKTAKING:多摩の鉄道沿線 古今御案内

7歳と11ヶ月弱くらいまで住んでいた足立の梅田界隈の明治・大正期の地図を見ると、東武線の位置が現在と異なっていることに気付いた。大正期の地図では梅島にあった大きな池が線路の北側にあったことからだ。千住新橋北詰の国道四号線(日光街道)から足立九中方向に分岐する道は廃線跡でだったことを知る。小学一年の餓鬼にはブラタモリ的興味等ある筈もなかった。本書284頁に由れば東武鉄道の荒川放水路の開墾に伴う路線の移設は鐘ヶ淵から西新井まで約6.9kmに及んだとされている。当然のことながら千住新橋北詰の田中釣具店も荒川放水路と国道が整備されてからの開業だろう。
ブラタモリを見ていてもそうだが、廃線跡と云う切口で都市をみると、見えないものが見えてくるようである。明治・大正・昭和に掛けて鉄道カンブリア紀とも云う時代だったのだろう。全国で幾つもの鉄道が計画され、青写真で終わったもの、建設されたもの、廃線となったものも数多く…はたまた民間資本で建設されたものの御上に召し上げられ国有化され…また民営化と…国家に翻弄される鉄…である。

関連
1956 西新井橋
荒川放水路
お化け煙突
梅田町の家・ビフォーアフター
千住新橋・遠望
川の地図辞典-2 消えた梅田堀
荒ぶる川の絵葉書


Posted by S.Igarashi at 10:34 AM

April 25, 2015

オリエンテーション

相も変わらずブラタモリの番組内の説明用地図にオリエンテーションは示されていない。(訂正:最初の1〜2回、画面面示した地図には左を北にしてありましたが、その後の古地図や、屋外でのフリップボードには方位の表示がなく、対応付けに疑問。)正月に放送された京都篇もそうだったが、昨日放送された金沢もそうだった。新しく番組担当になったPが地図の上を北とするオリエンテーションに頓着しないのだろう。地形には執拗に拘りをみせるが、オリエンテーションは無視するのもなんだかである。ましてや昨日は犀川から城内に水を引いた辰巳用水を取り上げているのに…その用水に命名されている方位を示す辰巳についての説明もない。そのくらい常識だから必要ないとでも考えているのだろうか。浅野川と犀川に挟まれ辰巳から戌亥に向かい下る台地上に築かれた城が方位と無縁である訳がないだろう。
我々の様な設計に携わる者はオリエンテーション(方位)を抜きにして建築や街づくりは考えられないのだが...そんなことには頓着しないで地図をつくる人間もいるようで、地図を読めない者に合わせてか、方位を無視した案内板も増えているし、進行方向に向かって向きを変えるカーナビ等も自己中の典型のようなもので、これでは方位との関係性を理解するのは難しそうだ。
まぁ、番組サイト内に設けられた「#3 金沢〜加賀百万石はどう守られた?!〜ルートマップ」があるのがせめてもの救いか...

追記 辰巳用水のサイホン原理を用いた通水技術ですが、玉川上水でも使われています。
河川の立体交差

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March 27, 2015

おどい…その2

三年ぶりに四月から放送されるブラタモリのレギュラー番組に先立ち正月番組として『京都』篇が放送された。南禅寺界隈の琵琶湖疏水や新京極は名所旧跡の観光スポットに含まれているので、何度か行っているが、おどいは知らなかった。iPadの辞書で検索したが大辞林にも新明解にも記載されておらず、角川日本史事典には記載されていた。どい(土居)で検索すると大辞林には記載されているが、新明解にはなかった。どうも、御土居は関西から西日本で用いられる言葉なのか...関東では土塁が曲輪とセットになって用いられているような気もする。と云うことで、タモリ達がブラついた御土居であるが、此処は20年位前に上賀茂神社から光悦寺に行った時、帰りにバスでスルーした場所のようだ。この場所をStreetview(上図)で見ると南旧御土居町の住居案内図板も写っている。
追記:↓…と云うことで、番組情報を追記しました。

「ブラタモリ 京都・完全版」総合 3月27日(金)午後10時〜午後11時08分
未公開シーンをプラスした完全版でお送りします!さらに、4月からの番組の見どころもダイジェストで!

矢印がStreetviewの方向…丸が河岸段丘の崖地...番組でもこの付近の空撮写真を表示していたが、北を左に向けているという方位の原則を無視したオソマツ。iPadのFieldAccessから地理院地図の色別標高図で見ると空堀と土塁の関係性も良く解る。

そういえば昨年、永いこと積読状態にあった『大阪アースダイバー』を読了したが、その内、ブラタモリでも上町台地の海岸線だった崖線を取り上げるのではないかと…期待しているのだ。

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February 05, 2015

そこに蟹が...

市ケ谷にある専門学校の昼休みのこと、靖国通りの表通りから奥まった裏通りにある蕎麦屋からの帰り、番町界隈を徘徊していると、『この先、行き止まり自動車進入禁止』と書かれた路地の向こう側の景色に魅かれ…これは何かあると…好奇心に駆られて路地へと進入...。何やら…複雑に交差している手摺りが見えてきた。
 そういえば、去年、この近くの東郷公園の傍にあった千代田区の歴史民俗資料館まで足を延ばしたことはあるが、その先の谷道は未だ歩いたことはない。恐らくその谷道に繋がる階段があるのだろう。
 因みに千代田区立四番町図書館に併設されていた歴史民俗資料館は日比谷公園の日比谷図書館に移転していてガッカリした憶えがある。地図情報を鵜呑みにしてはいけないのだ。
 と云うことで日比谷図書館は都立図書館から千代田区立日比谷図書文化館となり3月22日まで平成26年度文化財特別展『千代田の坂と橋−江戸・東京の地形−』を開催しているのだ。

階段はスロープが併設されて、その間をスチールパイプの手摺りで仕切られてた。どことなくコルビュジエのサヴォア邸のスロープを連想させる勾配である。路地の突き当たりには意味不明の跳ね出しがある。お立ち台にしてもバルコニーにしても柵で囲われて人の進入を拒んでいる。(追記:直上のマンホールや階段下のマンホールの位置から考えて、恐らく土管かフューム管、或いは塩ビ管等の排水管が垂直に埋込まれていると思われる。)そして、階段の擁壁には蟹と思われるレリーフの様なモノが…これは何だか…、階段を松葉蟹の片足に見立てたのだろうか…謎である。

谷戸の谷底に作られた小学校の敷地を確保する為に山側が削られ整地されているようだ。急勾配の崖を人と乳母車と自転車が超えるにはと考え出されたスロープ併用階段だろう。


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January 22, 2015

大阪アースダイバー

大阪アースダイバー:中沢新一
二年前に刊行された本書の奥付を見ると四刷りとなっている。たぶん山里にある書店の店頭に並んでから買ったものだろう。それから二年余り…積読状態になっていたが、読もうと思う切っ掛けは釜ヶ崎の位置関係をGoogleMapで調べていて、そうだ「大阪アースダイバー」を買ってあったと気づいたのである。考えてみると僕たち東京の子供は公立中学ならば修学旅行は関西方面に行くのが定番であった。それでも行き先は奈良・京都であり、大阪はスルーされ目的地に入っていない。関西を代表する都会であるにも関わらずである。飛鳥の古には難波宮が置かれ、仁徳天皇陵四天王寺があっても修学旅行の候補には選ばれない。関西からの修学旅行生は東京に来るのに、関東からの修学旅行生は大阪をスルーする、何故だろう。ざっと読み終えてから、そんな疑問への答えが本書に見え隠れしているように思える。
例によって飛躍文化人類学的妄想力も全開であるが、週刊現代に連載されていたこともあり、取材も丹念に行われているようだ。東京人には解らない大阪の謎や不思議の入口前に多少は近付いたかも知れない。ブラタモリも四月から再開するようなので上町台地に迫る企画があるかも…と期待しているのだが...。

古地図と地理院地図の色別標高図で「河内」の位置や地形とかが…解った次第であります。

内容
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プロローグ
大阪アースダイビングマップ

第一部 プロト大阪
・大阪を読み解く鍵を求めて
「くらげなす」土砂層の上に/大阪の見えない座標軸/二つの軸/南北に走るアポロン軸/
 東西に走るディオニソス軸/河内カオスモス/西の王家の谷 -- 百舌鳥古墳群/
 大阪文化の野生のルーツ/複素数都市

・太陽と墳墓
 ディオニソス軸線の発見者は誰か/「スミヨシ」系の海民/渡来民たちの波/
 日の御子の誕生/大阪の大地の歌/太陽の子の死と再生

・四天王寺物語
 軍事と呪術の物部氏/玉造の怪/比類なく高い仏塔/キツツキと鷹の戦い/
 大阪スピリットの古層/聖徳太子と俊徳丸
 
第二部 ナニワの生成

・砂州に育つ資本主義
 商人と無縁の原理/水底から出現した島々/八十島のナニワ/ナルニワ国の物語
 アジールとしての砂州/淀川河口はクグツのすみか/はじまりの商人/
 商人は無縁から生れた/豊かな無縁社会/無縁社会を超える

・超縁社会
 ナニワのミトコンドリア戦略/負けるが勝ちや/有縁、無縁、超縁/
 トーテム紋章としての暖簾/座という秘密結社/お金と信用/
 信用とプロテスタント/信仰としての信用

・船場人間学
 船場の性と愛/野生のぼんち/番頭はんと丁稚どん/
 暗黙知はからだに叩き込む/幸之助と船場道場/蘇れ、ナニワ資本主義

第三部 ミナミ浮上

・日、没するところ
 西方の意味/広大なネクロポリス/封印された笑いの芸能/聖なる墓守
 埋葬儀礼のまわり/聖から芸人へ

・千日前法善寺の神
 処刑場から見せ物へ/聖なるミナミ/地上からちょっとだけ離れて/
 自転車とパノラマ館/萬歳から漫才へ/民主的な南方からの神々/エビスの記憶/
 不条理の萬歳/シャーマン吉本せいの選択/来るべき漫才

・すばらしい新世界
 モダニズムの夢/新世界の精神分析/湿った通天閣/
 タイシとビリケン/ミナミの胎蔵界曼荼羅/荒陵に咲く花/

・ディープな大阪
 最後の庇護の場所/見えない空間/「あいりん地区」の形成史/鳶田から釜ヶ崎へ/
 世界と運命の転換期/エリアクリアランス/人類型都市構造/ミナミの栄誉/
 ジャンジャン横町のデュシャンたち/アンフラマンスなミナミ/

第四部 アースダイバー問題集

・土と墓場とラブホテル
 崖地と粘土/あわいの人形/マテリアリストにしてアニミスト/恋のマテリアリズム/
 ホテルはリバーサイド/自由恋愛のメッカ/ラブホテルとディズニーランドの深層/
 ラブホと野生の思考/

・カマドと市場
 敵が味方に変わるころ/転換の門/海に直結した魚市場/市場とスーパー/

・大阪の地主神
 生玉神社と坐摩神社/イカスリの神/ツゲ一族の娘たち/渡辺一族の登場/
 水軍武士団へ/南渡辺村と北渡辺村/区別と階層差/さまよえる北渡辺村/
 くり返される強制移住/大阪の村/解放運動/「同和」の未来/

・女神の原像
 「太陽の妻」/太陽と性/不思議な神話の記憶/コリア世界との距離/

・コリア世界の古層と中層
 生野区と平野区を掘る/猪飼野の謎/伽那の人々の日本への移住/
 ものづくり大阪の土台/帝国主義の時代/壁とその解体/

●Appendix【付録】 河内・堺・岸和田 - 大阪の外縁

・河内
 先住民の夏至祭/死霊を渦の中に巻き込んで/古層の息づかい

・北河内
 宇宙船イワフネ号/河内の野生の根源地

・堺と平野
 環濠都市の精神は生きている/ガラパゴス型都市/堺と平野--偉大なる例外者
 都市の戦い

・捕鯨とだんじり---岸和田
 海民の夢の時間/だんじりの運動学/だんじり - 捕鯨論

・エピローグにかえて
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考えてみると、大阪に行ったのは片手で数える程である。最初は1970年の大阪万博…会場ゲート前まで行ったものの、見る気を失い踵を返して帰ってきた。二度目は…千里と泉北のニュータウンの見学…。三度目は高野山へ行く為に難波から南海高野線を利用した時、帰り難波駅周辺で夕食をとったが、宿は京都市内であった。ディープな大阪の地に降り立ったのはこの時だけである。何れも1970年代の事であった。

参照サイト
アースダイバーでわかった、大阪のこと・地図上でアースダイビング2012年03月26日
戦後史証言プロジェクト・第4回 猪飼野 在日コリアンの軌跡

Posted by S.Igarashi at 12:45 PM

August 19, 2014

電子国土

昨年暮に調べたいことがあって国土地理院の「国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧システム」にアクセスすると、サイトが廃止されていた。地図センターの「空中写真」を見ると『国土地理院の空中写真は、撮影ネガフィルムのデジタル化完了に伴い、平成25年11月1日より、すべて数値空中写真に統合されました。』とあった。
そういえば、2007年4月に法政大学市ヶ谷キャンパスで行なわれたデジタルアトラスのシンポジウムでスピーカーに立った国土地理院の人が将来的に地形図等を電子国土に一元化する旨を語っていた。と云うことで国土変遷アーカイブは地理院地図(電子国土Web)に統合されていたのである。上記地図は標準の地形図に「色別標高図」と「土地条件図」のレイヤを重ね、「国土変遷アーカイブ」にあった単写真(空撮写真)の位置情報を示したものである。「写真を表示」をクリックすると別ウィンドウに空撮写真が表示されるようになった。3.11以降、話題となった「土地条件図」を表示すれば、ブルドーザーで山を崩した住宅造成地の嘗ての谷戸が人口地形の高い盛土地として浮かび上がるのである。

因みにiPadで地理院の地形図を見る場合FieldAccess HDが便利である。


残念ながら「国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧システム」にあった空撮写真は見られないが、歴史的農業環境閲覧システム「迅速測図」は見られるようになっている。

Posted by S.Igarashi at 09:41 AM

November 09, 2013

これは東横時層地図なのだ...

昨日届いた日本地図センター発行の「メール地図中心」Vol.219に東京時層地図 for iPadを発売の記事が…さっそく、iTunesを立ち上げAppStoreから東京時層地図 for iPadをDownloadしてiPad miniにインストールした。地図は上の図で解るようにiPhoneAppの東京時層地図横濱時層地図二つを合わせた範囲である。つまり東京と横浜の二つの時層地図がシームレスに繋がった訳で、これは「東京時層地図 for iPad」と言うよりも「東横時層地図 for iPad」なのだ。お蔭でiPad miniから二つの時層地図を削除して限られたMemoryを有効に活用できる。

因みに西の外れは5mメッシュ標高の段彩陰影では武蔵小金井の手前まで拡がっているが古地図は「東京時層地図 for iPhone」と同じ西荻窪までとなる。

一方、東の外れは柴又-矢切...崖巡りで歩いた矢切周辺まで….因みに南は金沢八景…北は足立区の舎人、竹の塚、花畑…まで。埼玉は戸田競艇場がギリギリ...

Posted by S.Igarashi at 01:03 PM

August 21, 2013

水の都市 江戸・東京

水の都市 江戸・東京
陣内 秀信+法政大学陣内研究室 編 
講談社・刊
「江戸・東京」学の真打登場である。前作の三浦展氏とのコラボレーション企画「中央線がなかったら 見えてくる東京の古層」が江戸・東京の西半分の武蔵野台地に重点を置いているとすれば、水の都市のタイトル通り本書は江戸・東京の東半分に重点が置かれていて西半分の「郊外・田園」は頁数全体の二割程度である。講談社の内容紹介によると『都心や下町の川・壕・運河がめぐる「水の都」、ローマと同じ7つの丘からなる「田園都市」山の手、漁師町・産業基地・リゾート空間が重層する東京湾、武蔵野・多摩の湧水・用水が織りなす「水の郷」と、世界に類を見ない多種多様な水辺空間をもつ東京。水都学を提唱する斯界の第一人者が、30数年におよぶフィールドワークを集大成。』とある。水との関わりを通し生活者の視点から江戸・東京の歴史と現在を展望している本である。
建築家・槇文彦氏が著書「漂うモダニズム」で『...現代は極めてエキサイティングな時代なのだ。ここでも新しい建築評論のあり方が問われているのだ。大海原には多様な価値軸、時間軸が浮遊している。比較文化人類学者のまなざしが求められているのかもしれない。』と結んでいる。
陣内氏の提唱している空間人類学は地道なフィールドワークを通した建築サイドからの試みの一つであろう。都市や建築の空間の豊かさはこうした地道な積み重ねの中からしか生れないだろう。

目次
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序章「水の都市」 東京の読み方、歩き方

第1章 都心部
・江戸城と内濠・外濠
〈東京の地形はどのようにしてできたか?〉
・隅田川
・日本橋川
・神田川
〈柳橋と川文化〉
〈川沿いに魅せられた市民ランナーたち〉

第2章 江東・墨田
・北十間川
・小名木川
・横十間川
・旧中川
・仙台堀川
・大横川

第3章 港南臨海部
・東京湾
・佃
・品川
・羽田
〈お台場は日本でも有数の観光地になった〉

第四章 郊外・田園
・玉川上水
・目黒川
・善福寺川
〈武蔵野三大湧水池のひとつ善福寺池〉
〈多摩川の漁業協同組合の活動〉
・野川
〈「お鷹の道」と「史跡の駅、おたカフェ」〉
〈野川の再生活動〜水辺の空間を市民の手に〜〉
・多摩川
・府中
・日野
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追記:第1章のコラム〈東京の地形はどのようにしてできたか?〉では縄文海進期の海水位を7〜8mと定説通り、飛躍文化人類学読本「アースダイバー」の様に縄文海進期と下末吉海進期をごちゃまぜにするような愚は犯してない。(参考:東京の凸凹地図
余談:そういえば、20年以上前、JIA主催のエクスカーションで隅田川を川下りしたとき、船上で古山クンが近くに居た陣内氏に佃の住吉神社の神輿は今でも海に入るのかどうか質問していたと記憶している。因みにその答えは...本書159頁に記されている。

Posted by S.Igarashi at 10:22 AM

July 04, 2013

東京人 8月号(2013)

昨日発売の東京人の8月号・特集「東京の古道を歩く」は久々に充実した内容で買いである。最近、地図系特集記事の内容が矢鱈と凸凹地図ばかりで些か食傷気味であったが、今回の巻頭特集「キーワードで探す古道五選」は明治時代と現代の地形図を比較した図版が見やすく判りやすい。それもその筈で、嘗てMac系の雑誌でビギナー向けの記事を多く書いていた荻窪圭氏によるものだ。因みに荻窪氏は先々月も、タモリ倶楽部の「千年前のロードマップ奈良・平安時代の東京古道を行く!」に出演、タモリ相手に品川道について蘊蓄を語っていた。
之潮の芳賀さんは『江戸城内を貫く鎌倉道の記憶』と『道の権力論 「まっすぐ道」が「ミ・チ」の起源』を寄稿。そういえば「土地の文明  地形とデータで日本の都市の謎を解く」の著者は尾根道に繋がる半蔵門を江戸城の正門と読み解いていたが...。
八王子界隈では浜街道(絹の道)が紹介されているが、どうやら武蔵國と相模國を結ぶ七国峠の鎌倉道は忘れられた古道の様である。

Posted by S.Igarashi at 11:17 AM | コメント (3)

May 20, 2013

浦田橋

八王子夢美術館で開かれた「坂本一成 住宅めぐり」のトークショーが終わってから、略12年振りに八王子・田町八王子遊廓・跡まで足を延ばした。上図・明治25年(1892)の古地図には未だ遊廓はなく、極楽寺裏手の浅川橋付近から取水した農業用水の水路に架かる浦田橋の橋跡が残されている。遊廓が田町に移ったのはこの古地図が作成された二年後の明治27年と伝えられている。
参照:歴史的農業環境閲覧システム・明治「迅速測図」

上:横山町から暁橋に向かう道の八王子遊廓の手前に浦田橋(地図の○)があった。
下:明治25年の古地図と比べると都市計画的に八王子遊廓が造られたのが良く解る。

追記
ミツカン水の文化センター 第14回里川文化塾「大久保長安・八王子の治水とまちづくり」
9月7日(土)里川文化塾・実施報告・大久保長安・八王子の治水とまちづくり
因みに当ブログでもApril 03, 2006にミツカン水の文化センターを紹介。
March 17, 2008の谷田川跡をあるくの資料としてミツカン水の文化センターの機関誌「水の文化」第15号「里川の構想」を紹介してました。

Posted by S.Igarashi at 09:57 AM | コメント (4)

May 19, 2013

重なり合う時間のレイヤ

昨年、バスで甲州街道を通り掛かった時から気になっていたが、八王子の追分まで来る用事もなく、昨日、八王子夢美術館で開かれた「坂本一成 住宅めぐり」のトークショーの前に西八王子から水無瀬、追分と歩いた時に撮影、この空き地の両側は店舗が建っているから、恐らくこの空き地にも店舗併用住宅のような建物が建っていたのだろう。もう少し、時間を待てば45°勾配の屋根と影の傾きを合わせる事が出来たかも...。

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May 17, 2013

坂本一成 住宅めぐり

sakamoto-HYM.jpg

本日5月17日から八王子夢美術館で開かれる『坂本一成 住宅めぐり』であるが、JEDIの仲間に氏の教え子も居ることからギャラリートークの日程に合わせ、5月18日の午後から西八王子に集合し、千人町から、追分、八日町と歩いて美術館へ乱入?...その後...田町、中町、旭町と歩き...居酒屋にて直会の予定としている。

そう云えば「水無瀬の町屋」について6年前に氏の教え子を巻き込んでこんな事もありました。
そして7年前の「昭和モダニズムとバウハウス〜建築家土浦亀城を中心に〜」展のエントリーに掲載した都市住宅7109住宅第1集・表紙の左端の写真が「水無瀬の町屋」で右端の写真はakiさんが東孝光建築研究所時代に担当された別荘建築と...masaに奇しくもである。


より大きな地図で JEDI坂本一成住宅めぐり を表示

追記・aki's STOCKTAKING:坂本一成住宅めぐり
会場は写真撮影OK 但しインターネット公開が目的の撮影やフラッシュ・三脚の使用はNG
布地にインクジェットプリントされた建築写真のタペストリーによる展示は必見。

Posted by S.Igarashi at 12:16 AM | コメント (2)

March 18, 2013

木下沢梅林

GPS-Trk 2の機能を確認する目的もあって、昨日、裏高尾の木下沢梅林(こげさわばいりん・上記写真:中央高速の向う側)までの散歩、往復で12.25kmである。尤も家を出て暫くしてから計測するのに気付いて記録開始したから往復12.5km位だろう。平均して歩行速度5km/h程度で2.5時間のウォーキング、舗装してある道よりも舗装してない川沿いの山道の方が足への負担が少なく歩きやすい。と云うことでiPhoneで記録した「.kmz」のファイルをiMacに転送、GoogleMapにインポートして、往路(赤)と復路(青)を色分け。まぁGPSの誤差は最大で20m程度だろうか。

圏央道の真下にも...梅が

Posted by S.Igarashi at 10:43 AM

October 26, 2012

柴又-矢切...崖巡り

20日の土曜日は「江戸の崖 東京の崖」重版記念「崖巡り」と云うことで、芳賀さん自らのの案内で武蔵野台地の東端・上野台地の対岸にあたる下総台地は西端の標高差約20mの崖線を巡ったのである。(因みに凸凹地図はGoogle Earthに「東京地形地図」のレイヤーを重ねたものです。)

江戸川河川敷を船着き場に向かうJEDI一行 ...人の後を付いて行くだけというのは...らくちんですね。

対岸の松戸側の河川敷を野菊の里に向かう。(咲いているのは野菊でなくコスモスです。念の為)

野菊のやうな人(右側の人でなく、左の石碑です。念の為)

当日の移動距離・概算(GoogleMapによる)
徒歩:柴又駅〜矢切の渡し・柴又側船着き場:約1.11km+α(個人差)
徒歩:矢切の渡し・矢切側船着き場〜北総線・矢切駅バス停:2.28km+α(個人差)
バス:北総線・矢切駅バス停〜総武線・市川駅前:3.08km

「フーテンの寅」風に云えば『生まれも育ちも(但し7才まで)足立梅田、西新井大師で産湯を浸かり...』となるのだろうが...同じ東京の低湿地、ましてや隣の区であっても...荒川放水路流域と江戸川・下流域ではその風土も似ているようで、だいぶ違うなぁ...と云うのが...歩いてみた印象。柴又帝釈天は70年代の終わり頃、アルバイトで青戸の二所帯住宅を設計したことがあり、そのついでに一度だけ来たことがあるが、参道風景や境内も西新井大師をコンパクトにした感じだったが、メディアの力と云うべきか...30年以上経た今日では...すっかり映画セットの様にテーマパーク化していたのには...なんともである。江戸川を渡った野菊の里の下総台地の崖線と江戸川の氾濫原がつくりだす風景は...記憶している昭和30年代前半まで残っていた...足立の田園風景とは趣が異なっていた。何れにせよ...川と云うか水辺は...狭い国土に残された...貴重なオープンスペースであることを認識させてくれるのである。
関連エントリー
aki's STOCKTAKING:崖巡り

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September 06, 2012

江戸の崖・東京の崖

デジタル鳥瞰・江戸の崖 東京の崖
芳賀ひらく・著/講談社・刊(本体価格1800円)
JEDIの間では「川好き男」さんとして知られている之潮代表・芳賀さんの新刊が講談社から発行された。江戸東京の「地形」から「凸凹」「川」「橋」「坂」「道」「階段」「スリバチ」「地名」「謎」等々などをテーマにした本が数多く出版されているが「崖」を俎上にした本は初めてかも知れない。芳賀さんの会社・之潮の刊行物をみると「地盤災害」とか「江戸・東京地形学散歩 災害史と防災の視点から」等、興味本位の都市散策ガイドブックではなく都市災害の切り口から都市を俯瞰する書籍も多く、メジャーな講談社から上梓された本書は、ツカミはガイドブックの体を成しているが、火山灰の堆積した武蔵野台地の微地形を切り崩し、盛土し、低湿地を埋立て、その結果としてあらわにされた(人為的)な崖を切口に江戸東京の脆弱な面をあぶり出している。

内容
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崖を見に
第1章 江戸の崖・東京の崖
第2章 「最も偉大」な崖...日暮里周辺...
第3章 崖棲み人と動物たち...麻布...
第4章 崖沿いの道と鉄道の浅からぬ関係...大森...
第5章 崖から湧き水物語...御茶ノ水...
第6章 崖縁の城・盛土の城...江戸城...
第7章 切り崩された「山」の行方...神田山...
第8章 崖の使いみち...赤羽...
第9章 論争の崖...愛宕山...
第10章 「かなしい」崖と自然遺産...世田谷ほか...
第11章 隠された崖・造られた崖...渋谷ほか...
最終章 愚か者の崖...「3.11」以後の東京と日本列島...
あとがき
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崖の無い低湿地で生まれた私にとって荒川放水路の土手が高低差のある風景として唯一身近なものであった。物心ついて初めて見た崖は第2章...日暮里周辺...鴬谷駅のホームから見た上野台地は寛永寺の崖だろう。鴬谷から京浜東北線に乗り第4章...大森...の善慶寺参道にあった伯父の家から、山王の尾根道伝いに大森駅まで歩いたことが一度だけある。それは当時人気絶頂期に息子を誘拐された自称ボードビリアンの家の前を通り...「いいかい知らない人に付いていったら絶対ダメだよ」と伯母と母に説教された時だが、子供心に家は貧乏だから心配無用と思ったが、口答えすると大森駅前の不二家で菓子を買ってもらえないので黙って頷いた。
そういえば崖からイメージするものとして現在の代々木四丁目付近を描いた「岸田劉生の切通之写生」の赤土の関東ローム層があらわにされた景色が思い浮かぶ。それは八王子に越してから学校に通うのに毎日歩いた赤土の切り通しの峰開戸の風景に似ているからだろう。切通之写生と同じような構図の写真が「写真で見る江戸東京 (とんぼの本)」でも見られることから、こうした切り通しは江戸東京に遍在する風景であったと思われる。(訂正とお詫び:手持ちの本が見つからず、古本をネットから購入したら、切通しの写真が見つからず...どうやら別の写真集だったらしい。m(_ _)m)
この様な赤土が露出した切り通しも、道が舗装され、崖には擁壁が設けられたり、切通しに面した高低差のある敷地に建蔽率をフルに活用して建てられたビルが擁壁を兼ね、地上に面していても地階という倒錯した建物が現れるに至っては、もはや元の地形を記憶する手立てさえ失い、代々木四丁目は刀剣博物館近くの坂道から「切通之写生」を思い浮かべることすら困難となっている。
追記:本書でもカシミールと数値地図5mメッシュ(標高)からデジタル鳥瞰図が作成されている。カシミール(Windowsのみ)はパブリックドメインなので無料で入手できるが、数値地図5mメッシュ(標高)は日本地図センターから有償(地域毎・7500円)で入手する必要がある。そんな面倒くさいことは苦手な人にはGoogle Earthに...東京地形地図を表示させる方法もある。

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August 01, 2012

"underground" or "underpass" or "underbridge"

銀座シネパトスのある三原橋地下街は"underground"と云うよりも"underpass"或いは"underbridge"と呼ぶのが相応しいかも知れない。「明日のジョー」の丹下ジムは思川に架かる泪橋の橋の下を想定しているが、いつの時代でも橋の下は流れ者のイメージが付きまとう。三原橋地下街は三十間堀川の三原橋の橋下に敗戦後の瓦礫処理による埋め立て工事に併せて地下街が建設されている。晴海通りの"underpass"にもなっている三原橋地下街通路は嘗ての堀川...紛れもなく低湿地そのものの通路にへばり付く店舗が漂着物に見えるのは幻想ではなく...現実そのものだ。三十間堀川の河川敷地内利権を巡っては当時の衆議院でも問題となったようだ。
第019回国会 地方行政委員会 第83号 昭和二十九年十月三十一日(木曜日)
そんな経緯をまとめて元地図屋さんによる「ハマちゃんのがらくた箱・三原橋地下街の謎」と云う良く調べられた記事がネット上にあります。

『川の地図辞典 江戸・東京/23区編』と『川の地図辞典 多摩東部編』を執筆した菅原健二氏の「川跡からたどる江戸・東京案内」の「第三部 水の都・江戸の面影を求めて」「第五章:水路が張りめぐらされていた街をたどる」「三原橋が架かる三十間堀川」によると...

三十間堀川は、家康が江戸入りした当時の江戸前島東側の海岸線で、この沖合に護岸を設けて東側に埋立地を造成したのだが、その際、海岸線際を埋め残して作られた水路だ。
と書かれている。そうすると当時は下図の様になっていたのだろう。

嘗ての海岸線に造られた三原橋地下街は新しい耐震基準に合わない耐震不適格建造物として解体撤去される運命となった訳だが、地権者である東京都にとって...また貸しされたテナントを追い出すこれ以上の口実は考えられないだろう。
そういえば、高木滋生建築事務所に在籍していた時に映画興行主の物件(映画館跡地利用)を数件計画したことがあったが、いやはやどうして...若手事務所(当時)が対等に渡り合える相手ではありませんでした。


1980年代に傳八が開店した当時、三原橋地下街の映画館は、いわゆるエロ映画専門で、傳八の入口付近にエロ映画の看板があると云う状況でしたが、銀座の街並を眺めながら呑める居酒屋として客足が増えた所為か...三原橋地下街の映画館も名画座となり...入口付近の如何わしさが払拭された。これを傳八効果と云う。
関連:aki's STOCKTAKING・三原橋・銀座/傳八

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July 13, 2012

浮間の水塚-2

昨日は赤羽まるます家で開かれた赤羽軽泥酔会の前に、予てより気に掛かっていた浮間の水塚を見て、岩淵水門までミニダイブを行なった。岩淵水門に隣接する荒川治水資料館の受付嬢に伺った処...ブラタモリ効果で見学者が増えることは無かったそうで...「やっぱり...駅から遠いですから...」...う〜む...。
関連エントリー:荒ぶる川の絵葉書

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May 27, 2012

JEDI:多摩を行く...最終目的地

写真中央の物陰に「JEDI:多摩を行く...」の最終目的地とした福生の田村酒造場の玉川上水に面した門があります。右は奥多摩街道。

正面は玉川上水から取水した水を利用していた嘗ての水車小屋。

水車小屋から玉川上水に通じる門へのアプローチ。建物脇に嘗て水車で使用していた石臼が幾つも置かれている。

門の外に取水口がある。嘗て玉川上水を利用した水運が行なわれた数年の間ここは船着き場でもあったようだ。
と云うことで、普段は公開してない私有地内の庭や玉川上水からの取水口等を見学できたことは今回の収穫でありました。案内して戴いた田村酒造の担当の方に感謝であります。試飲もさせて戴きお礼の意味も含めてこちらを購入。
追記:関連エントリー
Across the Street Sounds: 参加相成らず残念無念、多摩川・玉川上水ダイビング
BLOWIN' IN THE WIND:JEDI No.9 玉川上水遡上
漂泊のブロガー2:羽村堰
東京クリップ:多摩を行く
aki's STOCKTAKING:JEDI 多摩を行く……

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May 25, 2012

JEDI:多摩を行く...

3.11以降活動を控えていたJEDIですが、そろそろ...と云う声もあり『JEDI:多摩を行く...』と称して開催します。メインは多摩川と玉川上水ですが、近現代から溯り江戸時代までの土木・建築等の人工物が造り出した風景を俯瞰的に眺めたいと思います。と云うことで出発地は人工都市・多摩ニュータウンの多摩センター、そこから多摩モノレールに乗り、乞田川、大栗川、浅川、そして多摩川を渡り、残堀川の河口を眺め、立川断層上の立川基地跡に造られた都市施設を横目にし玉川上水駅まで行きます。玉川上水駅から羽村まで玉川上水の流れは約12キロありますが、途中電車も利用しながら、無理をせず行きたいと思います。
と云うことで日時は2012年5月26日(土曜日)の正午に多摩センターのパルテノン多摩の正面階段を昇った広場を集合場所とします。そして最後を玉川上水のほとりにある福生の田村酒造場(見学10名以上・要予約)で〆たいと考えています。そんな事で反省会は立川界隈でしょうか...
関連エントリー
多摩ニュータウン
羽村の堰
まいまいず井戸
河川の立体交差

昭和30年代までは都内23区に対して都下と云われた時代もあった三多摩地区ですが、殆どの都民がその区別も付かないようです。恐らく「川の地図事典・多摩東部編」も書名をどうするか迷ったのではと推測しますが「多摩東部」と云う言い方は気象庁の天気予報等で使われることがありますが、住民は「多摩東部」とは何処だろうかと悩むくらいに恣意的に曖昧に使われている様です。嘗ての郡制の名残として地理的名称の範囲を示す南多摩、北多摩、西多摩は有っても、東多摩は有りません。明治29年まで現在の中野区と杉並区の地域が東多摩郡と云われていた様ですが、南豊島郡と統合され豊多摩郡となり、東多摩郡は廃止されています。ざっくりと三多摩を区分すると多摩川中流域の右岸が南多摩地域で地形は多摩丘陵で構成されています。多摩川中流域の左岸が北多摩地域で地形は武蔵野台地で構成されています。そして支流の秋川流域と福生からの多摩川上流域を西多摩地域と呼び、武蔵野台地西端と秋留台地と山間部で構成されています。
武蔵野台地を造ったのがその下を流れていた太古の多摩川が運んだ砂礫等の堆積物とその上に降り積もった火山灰のローム層...と云われていますが...もしかすると...玉川上水は太古の記憶を求めて武蔵野の上を流れているのかも...知れません。
関連エントリー
aki's STOCKTAKING:JEDI 多摩を行く
岩淵・水辺と崖線...『JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...』
JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...March 29, 2009

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April 20, 2012

河川の立体交差


(写真左:玉川上水の上流方向を見る。写真右:玉川上水の下流方向を見る。)

『川の地図辞典 多摩東部編』の138頁を見ていて気になる場所があったので羽村の堰を見た後、寄ってきた。それは玉川上水と残堀川が立体交差する地点である。水道橋による立体交差は珍しくはないが、サイホンの原理を用いたふせこしによる河川立体交差が多摩地区にあったとは知らなかった。他にも水車やサイホンの原理を用いて高低差を解消する知恵を先人達は駆使していたようだが...電動ポンプによって...それらの技術は駆逐され...それらの遺産を目にする機会も失われてしまった。
 そういえば昭和の時代、残堀川と云えば台風や集中豪雨で度々氾濫し流域の家屋が床下浸水することで名が知れていたが、今では護岸が改修されただけでなく、流れも大幅に付け替えられ、限りなく人工河川になってしまったようだ。GoogleMapで見る。
追記・参考サイト
伏せ越しの理:事例・伏越の理(ふせこしのことわり)
玉川上水事典サイホン工法

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April 16, 2012

まいまいず井戸

羽村に行ったならば「これ」は見ておかなければ...ということで。

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January 24, 2012

王子の...

王子駅の傍で火事があると知ったのはTwitterのリツィート、ホーム越しに火の手が上がっている写真をみて、もしやと思った。ニュースサイトに記事が掲載されたのは...それから暫く経ってからのこと。焼けたのは王子の「さくら新道」...ここは2006年11月23日の「Take The "A" Tram」で歩いたところ。当日は牧羊犬と化していたので余り写真を撮っていなかったが、その前に調査ダイブで撮った写真があった。こうして写真を並べてみると東京都内は思えないが...この長屋が醸し出す景色は失われてしまった。時間が戻ることはない。
Kai-Wai 散策:さくら新道トタン長屋
追記:dehoudaiなFumanchu 氏が東北新幹線より焼跡を...消え行く東京て言うか昭和だね。

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December 02, 2011

荒ぶる川の絵葉書


2週に亘ってブラタモリで特集された荒川(放水路)であるが土木学会図書館/戦前絵葉書のアーカイブに「新荒川通水記念」の絵葉書が何葉かあるので参考までに...。
荒ぶる川の関連エントリー
March 25, 2009:岩淵・水辺と崖線...『JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...』
March 29, 2009:JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...
May 01, 2009:浮間の水塚
追記
そういえば、昨年11月にこのようなシンポジウムがありましたが、他の行事と重なって行けなかったことを思いだした。ブラタモリの内容に...不満を感じた方は...こちらをどうぞ。
荒川放水路建設から100年シンポジウム事務局

こちらは風水害 この明治43年8月の東京大洪水が荒川放水路建設を決定的なものにしたのでしょうね。

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April 29, 2011

追記・東京共同射的會社・射的場跡

追記:元記事は四年前のエントリーですが、この連休の2011年4月29日(金)から6月26日(日)まで東京大学総合研究博物館(東京大学本郷キャンパス内)開催される「弥生誌・向岡記碑をめぐって」に於いて射的場跡に関連する埋蔵物等(弾丸)の展示もされるようです。その様な訳で会期に合わせ2011-04-29の日付けでトップに移動しました。
以下、2007-02-25のエントリー
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先日、銀座の後で根津まで出掛けたついでに、昨年エントリーした「地形に刻まれた旧陸軍の跡」で取り上げた東京共同射的會社の射的場跡周辺を徘徊してみた。射的場は水戸徳川家の中屋敷跡に設けられ、現在の東大キャンパスの本郷地区と浅野地区に挟まれた区画にあった。明治17年発行の古地図によれば射的場は谷戸の地形を利用して人工的に土塁を設け、池ノ端側の射撃場から言問通りの弥生坂に向かって着弾地となっている。左の写真は射的場の略中央から池ノ端方向を写したものである。もしもタイムマシンに乗って明治10年代のこの場所にタイムスリップしたならば池ノ端側から銃撃を受け蜂の巣状態になってしまうだろう。着弾地側の弥生坂は明治27〜28年に造られた新坂で別名・鉄砲坂とも云うらしいが、その名は幕府の鉄砲組の射撃場が坂下にあったことに由来すると書籍・「江戸の坂」には記されている。明治17年発行の古地図には未だ弥生坂(言問通り)らしき道の姿形はなく、鉄砲組の射撃場と東京共同射的會社射的場との関係性も不明である。明治20年には射的場北側の台地(水戸徳川家の中屋敷跡の一部)に浅野公爵が屋敷を設け転居しており、翌年の明治21年には東京共同射的會社射的場は大森に移転している。時代の趨勢からか、此の地に射的場は相応しくないとの判断であろう。明治9年に建設が開始され翌年から演習が始まり僅か10年程度でその役割を終えた訳であるから人々の記憶に残らないのも無理はない。故に明治42年の地図を元にした古地図で東京めぐりには射的場は影も形もない。

明治17年発行の地形図:
東京共同射的會社・射的場の北側の土地には未だ浅野公爵家の屋敷は建っていない。


GoogleEarthによる東京共同射的會社・射的場跡
東大本郷キャンパス裏手の暗闇坂・坂下のこの三差路の家の右手を入ると射的場となる。
ジャバラルックの家


凸凹地図で見る地形に刻まれた射的場跡


凸凹地図で見る地形に刻まれた大森射的場跡
大森に移転した東京共同射的會社は現在の大森駅西側の大田区山王の谷戸に戦前まで小銃射的場として営業していたようである。

GoogleEarthによる大森駅と大森射的場跡周辺
現在、その射的場跡はテニスコートとして利用されている。


参照サイト:東京大学・浅野地区の歴史

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March 07, 2011

川跡からたどる江戸・東京案内

川跡からたどる江戸・東京案内
菅原 健二・編著 (洋泉社・発行)
あのJEDI必携の『川の地図辞典 江戸・東京/23区編』『川の地図辞典 多摩東部編』の著者である菅原健二氏の最新刊である。出版社のサイトで書籍検索するとエンターテイメントに分類されているようだが、その内容は川跡からたどる江戸東京の近現代史である。明治維新、関東大震災、東京大空襲、東京オリンピック、そして昭和平成バブルと、幾多の災害や破壊に改造の生贄とされ、視覚から抹殺された川跡を探り都市の記憶をたどる一冊である。因みに表紙の地図は図説・明治の地図で見る鹿鳴館時代の東京でも用いられた参謀本部陸軍測量局『五千分一東京図測量原図』(明治9年〜明治17年)の「東京府武蔵國京橋区木挽町近傍」汐留付近である。そういえば日本地図センターから復刻版・参謀本部陸軍測量局『五千分一東京図測量原図』が出ると云うつぶやきを聞いたような...こんなものもあるし...期待したいのだ。

内容
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第一部 都心部を流れる神田川をたどる
 第一章:江戸から昭和までの記憶が残る神田川
     江戸・東京の「母なる川」神田川
     隅田川への水路としてできた御茶ノ水
     神田川に栄えていた河岸
     日本最古の都市上水道・神田上水
     松尾芭蕉と神田上水
     江戸川公園と小石川後楽園に見る面影
     江戸の六上水
 第二章:消えた神田川の支流
     三業地に谷端川の面影を見る
     千川通りと『太陽のない街』
     紙すきで知られた音羽川
     池袋の地名と関係する弦巻川
     歌舞伎町を流れていた蟹川
     田安家下屋敷あたりから流れていた紅葉川
     神田川との合流地点が移動した妙正寺川
     桃園川と吉宗との関係
     農業用水として利用された神田川笹塚支流

第二部 若者の街・渋谷に流れていた川
 第三章:喧騒の街を流れる渋谷川
     渋谷駅東口に見える渋谷川は潅漑用水だった
     大岡昇平と渋谷川
     生活排水路へと変わる
     参道橋とキャットストリート
     明治神宮内の清正井と南の池も水源
     渋谷川に合流していた代々木川
     新宿御苑内の泉池も水源
     渋谷川に合流するイモリ川
     忍者の組屋敷脇を流れていた川?
 第四章:渋谷センター街も川だった?
     水音が聞こえてくる宇田川遊歩道
     水源は幡ヶ谷近辺の湧水
     大岡昇平と宮益坂、道玄坂
     宇田川橋と代々木練兵場
     大名屋敷の池は水源になる?
     水源の池があったとされる旧山内侯爵家
     暗渠化された河骨川の光景
     東京オリンピックが暗渠化を進めた?

第三部 水の都・江戸の面影を求めて
 第五章:水路が張りめぐらされていた街をたどる
     銀座界隈は「日本のベニス」だった
     家康の江戸入府と道三堀
     日比谷は海だった?
     数寄屋橋の下を流れていた外濠川
     外濠川の現在
     江戸の外湊と内湊をつないだ日本橋川
     日本橋川の河岸
     高速道路に変わった楓川
     楓川周辺には木材関連の町が集まる
     八重洲通りは紅葉川の跡地
     防衛施設だった八丁堀
     外濠とともに開削された京橋川
     河岸が果たした役割
     三原橋が架かる三十間堀川
     築地地域を囲む築地川
     江戸のメインストリートにつながっていた西堀留川
     東堀留川に架かっていた思案橋とは?
     吉原遊廓を囲む浜町川
     消えた歓楽地、中洲をつくる箱崎川
     大名屋敷のあいだを流れた稲荷堀
     江戸湊の中心にある亀島川
     酒問屋街を流れる新川
     新島原の廓堀だった入船川
     埋め立てが繰り返された龍閑川
     お玉が池と藍染川
     溜池の排水路だった汐留川

付録 江戸・東京の川跡を歩くヒント
   谷・田・窪・沢・瀬などの地名に注目
   公園などの都市施設や公共施設に注目
   道路になったケースがいちばん困難
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March 04, 2011

ブラタモ的芥阪三題

と云うことで昨日放送のブラタモ的芥阪三題をiPadのStreetviewにて検証しiPhoneAppのAutoStitch Panoramaで貼り合わせしてみた。先ずは筑土八幡裏の芥阪、右端が筑土八幡裏、左手が芥阪。

この公衆便所は見覚えのある人も多いだろう。大久保通り、都営大江戸線の牛込神楽坂駅の真上辺り。公衆便所右側の階段を登ると...しかし...芥阪の位置は諸説あるようだ...特定は...

市ケ谷は大日本印刷村の『ごみさかほどうきょう』歩道橋を渡って右側に進むと芥阪らしい...。

Posted by S.Igarashi at 11:07 AM

February 07, 2011

ブラタモ効果...

shinjykukohoVideo.jpg

久しぶりにアクセス解析を見ると二年前にエントリーした『真田濠』にアクセスが急増、Google検索でも二位となっている。どうやら2月3日のブラタモリ効果と思われる。昨日は長谷川順一氏からリンク承認のコメントが寄せられた。氏は江戸から東京への変遷をテーマとするブログ「葵から菊へ」を主宰しており、私と同じ二年前に東京新聞の記事に連動して真田濠をテーマとした記事をエントリーされていたのだ。そしてブラタモリ放映の翌日に動画「江戸城外堀ものがたり」をエントリーされていた。其処には新宿区の広報が制作した25分程の動画配信『歴史探訪 江戸城外堀ものがたり〜むかしといま〜』へのリンクが設けれていた。その映像を見ると...ブラタモリ第16回 江戸城 外堀をブラタモリの元ネタ...ではないかと思わせる。再放送が2月9日(水)【8日深夜】 午前1時05分 からあるようなので気になる方は明日の深夜にでも検証の程を...
そんな訳で長谷川氏からは『金沢市に転居してしましましたので「真田濠」復元の運動は出来なくなりました。貴兄に是非世論喚起をお願いしたいと思います。』と頼まれてしまったのだが...。まぁ...東京都の所有地であった「真田濠」を戦災復興期にGHQの指示により上智大学と借地契約が行われ、その期限が一昨年であったのだが、そのまま契約は更新され、上智大学による公有地「真田濠」の排他的独占使用権が継続された訳だが...先ずは排他的独占使用権を優先的使用権に変更して...段階的にでも都民に公開する位の度量を見せて欲しい気がする。それともバチカンに陳情に行くとか...。

Posted by S.Igarashi at 09:59 AM

November 01, 2010

秋の国分寺崖線を歩く...


今年4月4日に行われた【之潮主催・『川の地図辞典 多摩東部編』出版記念ウォーク】で野川の源流のある日立製作所・中央研究所庭園を訪れましたが、その一年二回ある庭園開放日の秋期分は三週間後の【2010年11月21日(日) 10:00-14:30】に開催されます。
と云うことで春の「『川の地図辞典 多摩東部編』出版記念ウォーク」に参加する機会を逸したJEDI-Fellowと共に...『秋の国分寺崖線を歩く...』なんてことを考えてますが、前日に町田で"iPad afternoon"『自炊の作法』もありますので、いつものように昼からダラダラと武蔵野の面影を愛でながら徘徊したいと思いますが...御意見など...。
関連エントリー
aki's STOCKTAKING:『川の地図辞典 多摩東部編』出版記念ウォーク
Kai-Wai 散策:『川の地図辞典 多摩東部編』出版記念ウォーク
東京クリップ:『川の地図辞典 多摩東部編』出版記念ウォーク

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October 07, 2010

ブラ@タモリ 2.0

と云う事で今晩10時から"ブラ@タモリ 2.0"再開である。早速、東京時層地図で築地界隈を検索するわたし...此処は参謀本部陸軍測量局『五千分一東京図・測量原図』で残されているから詳細な地図で読める。因みに『図説・明治の地図で見る鹿鳴館時代の東京』では84頁であります。尤も...NHKの事ですから...何か事があると、時間がずれたり...延期になったりするので...録画予約も当てにはできませんが...。

Posted by S.Igarashi at 10:23 AM | コメント (1)

September 24, 2010

東京時層地図

TokyoTLmap.jpg
この処、朝晩欠かさず上図のサイトをチェックしていたが、本日漸く、マッパーの聖地・日本地図センターによる東京時層地図がiPhoneAppとなってリリースされた。東京の地図を時間のレイヤーで表わす江戸・明治・現代の三層重ね地図等はPC版で既にあるが、これは明治初期の軍部による迅速測図から現代までの時代を9つのレイヤーで都市の様々な変遷を表わすものである。単なる地図好きの範疇を越え、近現代の政治・経済・文学を地勢から読み解く必須アイテムでもある。JEDiPhoneには必ずインストールしておくべきツールなのだ。因みにiPadではiPhoneAppを二倍モードの拡大鏡で見ることができ、ドットは荒れるが、それでもリーディンググラスが必要な世代には楽である。
追記:因みに『東京時層地図』の文明開化期で用いられている『五千分一東京図』は『図説・明治の地図で見る鹿鳴館時代の東京』の元になっている地図です。また二万分の1の迅速測図の複製は東京都だけで三万円程で日本地図センターから購入できます。

Posted by S.Igarashi at 10:08 AM | コメント (8)

July 18, 2010

梅雨明けの...

komainu100717s.jpg

と云うことで梅雨明け宣言がされた昨日土曜日に『JEDI:多摩の横山・分水嶺を相武する』を実行しました。夏本番の日差しは前日のそれとは明らかに違いました。宇津貫熊野神社の狛犬も夏の日差しを受けキリリと引き締まって見えます。やはり夏本番のアースダイビングはとてもハードで、日陰を見つけると休息する人、日差しに動じない人、ちょっとした行動に差が現れます。しかし、その後のアースダイニングで呑む冷えたビールは格別です。
追記:関連エントリー
August 23, 2004:テーマパーク化する住宅
November 03, 2004:宅地造成
December 11, 2004:宅地造成-2

東京クリップ:キャンパスの裏山を歩く
aki's STOCKTAKING:JEDI@多摩の横山

Posted by S.Igarashi at 01:56 PM | コメント (6)

July 10, 2010

JEDI:多摩の横山・分水嶺を相武する。


と云うことで、緊急企画「川の地図辞典 /多摩東部編」出版応援ダイビング『JEDI:多摩の横山・分水嶺を相武する。』を実行します、
東京造形大で開催中の『白井晟一展』に合わせ、日時は来週「2010年7月17日(土曜日)」とします。当日はオープンキャンパスでもありキャンパス内も出入り自由なので、磯崎新・設計のキャンパスも見学がてら分水嶺を歩いてみたいと思います。

午前の部:AM11:00:横浜線八王子みなみ野駅集合 多摩川水系の浅川の支流である湯殿川の、そのまた支流である兵衛川沿いに造形大までダイブ。大規模開発によって消えた集落や谷戸、残された緑地等を眺めつつ... 2...3キロ歩く。途中で宇津貫熊野神社の「のり巻き狛犬」等も...

付属美術館『白井晟一展』及びキャンパスの見学

午後の部:PM02:00:造形大・付属美術館前に集合し多摩川水系・流水域と境川(片瀬川上流)水系・流水域の分水嶺(武蔵・相模の国境)である尾根道を歩き、七国峠の鎌倉道から東京家政学院前に降り、アイスラッテにてジェラートで涼をとり、暫し休憩。東京家政学院前からバスで八王子、或いは相原橋本方面に出て反省会。(山道を2.5キロ程歩きます。)

因みに国道16号線の御殿峠辺りから東京造形大敷地やその周辺には平安時代の登り窯が数多く発掘され、多摩丘陵の南多摩窯跡群の中でも御殿山窯と呼ばれ、須恵器や瓦等が生産されていた。
追記:資料が整いましたので参加者にメールなどでダウンロード方法等をお知らせします。ファイルはA3サイズ7ページ( PDF-7.2MB)ありますが、PDFなのでプリントする際にA4サイズに合わせることもできます。視力に合わせて...どうぞ。

因みに「川の地図辞典 /多摩東部編」の336〜338頁が今回歩く範囲です。町田市と八王子市の市境が尾根道あり分水嶺でもあります。

企画:JEDI多摩共和国支部

Posted by S.Igarashi at 12:17 PM | コメント (13)

July 06, 2010

東京人・特集:東京の川を楽しむ

東京人8月号は『特集:東京の川を楽しむ』と云うことで、表紙はいまや定番アングルとなった北十間川から見たスカイツリー。
それで14〜15頁の見開きに『東京の川マップ』なるものがあり、その左下に『東京の河川と水系』の全体図があるのだが、その中で『境川』の表記が紛らわしい。この図を見た限り『境川』の位置関係を知らない読者は多摩川水系の浅川の支流と勘違いしても仕方ないだろう。『境川』はその名の通り、東京都町田市と神奈川県相模原市の都県堺を流れ、大和市から南下し片瀬江ノ島の西海岸で相模湾に注ぐ川であり、河口付近では片瀬川と呼ばれているのだが...これは誤解を招く地図である。この地図で表記してある境川の位置は湯殿川、八王子市と町田市との市境が多摩川水系と境川水系との分水嶺となる。因みに湯殿川の西が高尾山の麓を流れる案内川、その北が北浅川で...。とは云うものの、川好きには押さえておきたい東京人8月号。

Posted by S.Igarashi at 10:19 AM

May 07, 2010

分水嶺

と云うことで『川の地図辞典 多摩東部編』・336頁地図(梅の木沢の上辺り)の市境となっている尾根道(七国峠付近)の分水嶺である。因みに左側が八王子市宇津貫町で多摩川水系浅川の支流湯殿川のそのまた支流兵衛川の流水域、右側が町田市相原町で境川の支流陽田川の流水域となる。つまりこの付近に降った雨は尾根を隔てて東京湾に注ぐ多摩川と、相模湾は江ノ島近くの片瀬川(境川の下流河口付近の名称)になって海に注ぐ訳である。また、この尾根は武蔵と相模とを分ける国境でもあり、尾根の続きにはその名も相武C.C.なるゴルフ場がある。尤も国境は支配者の勢力つまりは力関係によって決まる訳で、その辺りも微妙で...明治初期は八王子も町田も神奈川であったが、現在は境川が県境となっている。
左写真の手前にあるのが八王子市の標識杭、中央が町田市の標識杭となる。この尾根道(古道)を先に行くと東京造形大近くにでる。逆に踵を返して七国峠(※)を通り、鎌倉古道を外れて大日堂を抜けて、東京家政学院の向かい側の谷戸にも降りられる。そこまで行けばここも近い。

※正しくは「しちこくとうげ」である。「ななくに」は八王子みなみ野の開発によって新たに区画整理された町名である。

Posted by S.Igarashi at 09:10 AM | コメント (2)

April 30, 2010

こちずぶらり

5月末まで無料ダウンロードできる『こちずぶらり』である。用意されている古地図は世界が三枚、日本が四枚である。左の画面はその一枚で1844年の江戸古地図である。画面の音無川と山谷堀に吉原のスケール感をみれば、GPSとの整合性や地図の正確さを求めるのは土台無理なことは一目瞭然。まぁ...話のネタ程度には...なるかもしれないが...これが350円だったら...う〜ん...。
しかし、もしも...GPS機能に対応したiPhoneAppの三層重ね地図があれば...価格にもよるがお金を払っても欲しいと思うだろう。
追記:関連エントリー・デジタル伊能図
歴史的農業環境閲覧システム

Posted by S.Igarashi at 09:40 AM | コメント (2)

April 24, 2010

『川の地図辞典 多摩東部編』圏外

川の地図辞典 多摩東部編
私は『川の地図辞典 多摩東部編』の333頁の圏外に住んでいる。と云うことで『川の地図辞典 多摩東部編』出版記念ウォークの前日に以前より気になっていた湯殿川の上流域を歩いてみた。子供のころ川遊びした淵は館ケ丘団地の建設に伴う町田街道の付け替えで、遠の昔に無くなってしまっている。また現在は圏央道八王子南I.Cに繋がる八王子南バイパスのトンネル工事やら、更に湯殿川上流域の河川整備工事に着手する等、既に往時の山里の風景を偲ぶものは何一つ残されてない、と言っても言い過ぎではないだろう。尤もガキの頃は川の名も知らず、ましてや川の名の由来が出羽三山の湯殿山にあった等とは知る筈もない...。

さて、1947年の米軍による空撮写真とGoogleMapの空撮写真を比べるとこの半世紀の間にどれだけ地形を痛めつけてきたか一目瞭然である。GoogleMapの空撮写真も未だ八王子南バイパスのトンネル工事等が撮影されてなく最新の物ではない。1947年の湯殿川の上流域の谷戸に見られる建造物は恐らく旧日本陸軍浅川地下壕の工事関連施設の様だが、既に資材運搬用のトロッコ線路は撤去されていると思われる。私の家族が八王子の山里に越してきたのはこの空撮写真の10年後1957年のことであるが、未だ町田街道に沿ってトロッコ線路跡のような窪みがあったのは憶えている。湯殿川上流域の谷戸は拓殖大学八王子キャンパスによって地形の原形を留めることなく無残にも埋められ、現在では旧町田街道に湯殿川上流域を示す標識が立っているだけである。(1947空撮写真の左下丸印)子供の頃、この谷戸に探検と称して一二度分け入ったことがあるが、人家もなく、小学生だけでは些か心細いものがあった。当時の町田街道は舗装もされておらず、浅川駅(現高尾駅)から相原へ行くバスが一時間に一回程度通るだけで、田舎道を西部劇の駅馬車の如く砂塵を巻き上げて走ってくる姿は遠くからも目に付き、中村メイコ唄う『田舎のバス』そのままに、デコボコ道をガタゴト走ってきたものであった。1947年空撮写真の二つの丸印の間が私が子供の頃に遊びに行った湯殿川の流域である。遊び半分で鮠(ハヤ)釣に行っても、釣れるのはオババドジョウか、赤黒金魚と面白がって呼んでいたイモリくらい。夏休みにイチドンブチとか言っていた淵で川遊びをしたのは、せいぜい中学生位までだろう。


GoogleMapにGoogle Earthと同じ3D機能が附加されたので拓殖大学八王子キャンパスによって立ち入ることができない湯殿川上流域を想定してみた。旧町田街道から入った湯殿川の谷戸は造成工事で潰され谷口に調整池が設けられ、キャンパス内の湯殿川は暗渠化されていると思われる。谷頭となる沢の上流には入れないが、湯殿川の分水嶺は八王子と町田市相原地区との市境となる、町田市相原地区と神奈川との県境には境川が流れ下流は片瀬川と名前を変えて江ノ島付近で相模湾に注いでいる。分水嶺によって東京湾に注ぐ多摩川流域とに分かれ、その違いは大きい。

上の空撮写真より下流の北野街道に沿って蛇行して流れていた湯殿川は河川整備によって真直ぐに付け替えられた。多くの動植物が犠牲になったであろうが、羽を持つ生き物は生き長らえたようである。それにしても、元の川跡はどう利用されるのだろうか。

京王片倉駅ホームから湯殿川下流域の谷地を望む。この風景から人家を消すと、多摩の横山と詠んだ万葉の古人の心にふれられるような気がする。1967年に京王高尾線が開通した当時は人家も少なく谷地に水田も広がり、ここから眺める富士は私の好きな景観の一つだった。その頃から多摩丘陵にブルドーザーが入り込み、赤土の山肌にクレーンや杭打ち機が林立する異様な光景が見られるようになった。田中角栄が日本列島改造論を発表する五年前である。

Posted by S.Igarashi at 06:51 PM | コメント (2)

April 12, 2010

『川の地図辞典 多摩東部編』出版記念ウォーク

kokubunji0404s.jpg

既にmasaさんakiさんによって既に詳しく紹介されている之潮主催の「『川の地図辞典 多摩東部編』出版記念ウォーク」であるが、一週間遅れのエントリーである。中央線のそれも始発駅から始発駅まで利用する沿線住民の私であるが国分寺はこれまで片手で数えられる位しか利用したことはない。それでも印象に残る場所として記憶に刻まれているのは都心で呑んで中央線で帰ると、寝込んだ場合でも必ず国分寺で寒くて一旦目が覚めるからであろう。それは恋ケ窪の谷戸から吹き上げる冷気が車内に入り込む所為か、西武線に乗り換える乗客が多く車内が空く所為かは定かでないが...そうした気温の変化だけでなく風景も国分寺から変わるのである。鉄路も国分寺から台地を切り裂く切り通しと谷戸を横断する土手の上を走るようになる。そして国分寺と云えば崖線、崖線と云えば国分寺なのである。


新宿駅を出た中央線が進路を北北西から西に向かって曲がり、神田川の谷を越えて東中野から真直ぐ立川まで西へ一直線に延びている事は誰でも知っていることである。その間、中央線が跨いでいる谷戸は善福寺川の谷戸がある荻窪と野川源流の谷戸である恋ケ窪の二ヶ所で何れも地名に窪が付いている。他にクボの付く地名は新宿の「大久保」、武蔵野市と云うよりも三鷹駅の北西、尾根を流れる玉川上水の北に位置する「西久保」、それに田無(現・西東京市)の「芝久保」は石神井川の上流域となる。どうも、同じ読みのクボでも窪は谷戸を形成している場所のようだが、久保はなだらかな低地を示しているようだ。

1947/10/24の米軍空撮と2004/8の地形図を比較すると、恋ケ窪にある「姿見の池」に南面する台地の舌状部分の端を中央線が切り裂いているだけでなく、西武国分寺線にまで切り裂きさかれている。
現在では鋭角状に残された僅かな台地にまで住宅が建てられ、その先端部分はさぞかし鉄ちゃん格好の観測ポイントと思われるが、伝えによれば嘗て村上春樹夫妻が住んでいた旧居跡だそうだ。そして野川源流の湧水がある日立中央研究所は今村銀行頭取別荘地を戦時中の1942年に日立が取得したものであるが、戦後二年経った1947年には未だ谷戸には池が出来ていない。しかし、何故か敷地内に正円が描かれているようにも見える。この時代のこうした環状工作物は通信アンテナである場合が多いが、この環状に見えるものは何だろう。写真左下のもみじ橋(野川)の北側に水田があるのが良く分かる。

明治期の地形図を見ると国分寺の集落はハケの下に点在しており、台地の上には集落はない。また、鎌倉道(現・府中街道付近)が恋ケ窪に掛かる付近にも集落が見られるが、宿場として栄えた時代の名残であろう。

今回、国分寺界隈を歩いてみて武蔵野台地と云ってもハケの上と下では、その様相が違うことが実感できたのが収穫である。また、多摩川の左岸にあたる武蔵野台地と多摩川右岸の多摩丘陵との違いも大きく、中央線も立川を越え多摩川を渡るとその風景も激変するのである...。
追記:関連エントリー
東京クリップ:『川の地図辞典 多摩東部編』出版記念ウォーク

Posted by S.Igarashi at 09:34 AM | コメント (2) | トラックバック

April 06, 2010

dandelion


たんぽぽ 【蒲公英】(a dandelion)の花言葉は「思わせぶり」とか...。
国分寺市教育委員会発行の武蔵国分寺跡の遺構地図によると、どうやらこのタンポポハウスの敷地には昔々その昔、竪穴住居があったそうだ。流石...縄文人と言われるだけのことはあります。ところでGoogleMapを見ると前面道路まで進入してない様なのでStreetviewはこんな角度で見るしかないようです...が....


やっぱり、GoogleのStreetview撮影隊の面々は好奇心旺盛のようで...行き止まりの道にも関わらず闖入してきたようです。が...しかし...個人住宅への配慮からか...タンポポハウスの前面道路にはStreetviewは無いことになっているようです。そんな訳ですから興味持たれた方は、御自身で探してみてください。因みにタンポポハウスの壁面にタンポポは咲いてませんでしたが...種子が飛んできたのか前面道路の向かいに咲いてましたです。

てことで3D版のタンポポハウスです。
追記:関連エントリー
Kai-Wai 散策:国分寺縄文風'景
aki's STOCKTAKING: 『川の地図辞典 多摩東部編』出版記念ウォーク

Posted by S.Igarashi at 10:36 AM | コメント (6)

December 30, 2009

東京の道事典

東京の道事典
東京新聞12月27日の日曜書評欄の年末特集「2009年 私の3冊」に之潮の芳賀さんが地図の本を挙げていた。その内の一冊、川好きotokoさん御推奨「東京の道事典」を早速Amazonに注文、翌日(月曜日)の午前中に届いた。
ブックカバーの腰巻に記されているように、生活道・通称道路の成り立ちや特色を明らかにするもので、実際に現在使われている道が対象となっている。従って名は付いているが通称道路として一般的に認知されていると言い難いものは対象ではない、また○○街道のように古の名称でも現在でも広く使われている道は対象とされているが、新たに付けられた○○通りの通称が一般的な場合は○○街道ではなく、○○通りとされている。「東京の道事典」はアイウエオ順の「青山通り」から始まり、その「概要」「由来」「現状」「周辺の道」(ここでは青山通りに結ばれる道等)が記載されている。因みに青山通り「周辺の道」に長者丸通りや骨董通りは周辺の道に記載されてるが、表参道交差点から根津美術館前までの通りについては記載されていない、この道は明治以降に造られたもので青南小学校裏の平行する裏道が古道(尾根道)である。おそらく明治神宮が造られたとき、表参道に繋がる道として「みゆき(御幸)通り」とされたようだが、その名を知るものは既に町の古老だけだろう。最近はマーケティング指向なファッション系の通称を画策する者もいるようだが一般化には至らないようだ。

Posted by S.Igarashi at 11:55 AM | コメント (0)

December 24, 2009

明治を歩く「谷沢川vs九品仏川」

前エントリーの「谷沢川vs九品仏川」河川争奪戦でアースダイビングした範囲を歴史的農業環境閲覧システムからKMZファイルをダウンロード、Google Earthに明治の「迅速測図」をオーバーレイしてみた。多少テクスチャマッピングに時間が掛かるが、嘗ての下野毛村、等々力村、奥沢村の田園風景と国分寺崖線の様子が良く解る。(地図を上から見る。足跡はniijimaさんによるGPSの記録。)
この「迅速測図」で県境をみると、想像していた通り川崎市高津区下野毛は東京府に含まれていたことが分かった。尤も、1893年(明治26年)に東京府に編入されるまでは三多摩地域も世田谷の岡本、狛江も神奈川県であった。調べてみると多摩川で分断されていた下野毛村の南側が神奈川県に編入されたのは、それより19年遅れて1912年(明治45年)の事のようだ。最近では町田市(東京)と相模原市(神奈川)の都県境を流れる境川の河川改修整備によって蛇行していた都県境を改める動きもあるらしい。

Posted by S.Igarashi at 08:43 AM | コメント (0)

December 20, 2009

「谷沢川vs九品仏川」河川争奪戦


と云うことで昨日の土曜日はBE-WORKS の忘年会に併せ7th Earth diving.『 年末緊急企画・「谷沢川vs 九品仏川」河川争奪戦跡を検証する』と題してミニダイブを行ないました。まぁ忘年会会場となった「自由が丘・モッコ」が九品仏川の川跡に面していることもあり、折角の機会なので午後から河川争奪の現場検証に行こうということで...急遽実行。
上図のGoogleMapは徘徊予定ルート(青・5.65km)に実際に歩いた道順(赤・7.96 km)をNiijimaさんがGPSで記録、二つのマップを重ねたもの。


河川争奪戦については今年二月にエントリーした「 今夜のタモリ倶楽部・国分寺崖線を行く」で触れているのそちらを参照。
上図の凸凹地図を見ると「自由ヶ丘」と名乗っているけれど駅のある場所は丘ではなく低地なんですね。まぁ、ざっくりと武蔵野台地と言ってしまいますが、その台地の上に尾根や谷があって自由ヶ丘は荏原台と久ケ原台に挟まれた谷になっている訳ですが...「自由ヶ谷」では...ちょっとイメージが宜しくないと云うことでしょう。で東急大井町線はその荏原台と久ケ原台に挟まれた谷と云うか台地上の低地を東西に走り、久ケ原台の切り通しを抜けて二子玉川まで延びてます。ですから久ケ原台の尾根道である環八に面する上野毛の駅は切り通しに設けられている訳ですね。東横線の自由ヶ丘駅ホームが荏原台と久ケ原台に架かる高架駅になっているのも凸凹地図を見ると納得できますね。

九品仏池(クリックで拡大)昭和12年頃・帝都地形図より引用
浄真寺裏の九品仏池がいつ頃に造られたのか調査不足で解りませんが昭和4年(1929)年の地形図には影も形もありませんが、左図の昭和12〜14年頃の地形図には九品仏池があり、昭和30年(1955)の地形図にもまだ九品仏池があります。浄真寺と九品仏池の間の墓所には「増上寺専属墓地」とあります。増上寺といえば将軍家の菩提寺でもありますが、宗派は浄真寺と同じ浄土宗です。奥沢城の落城から略90年後、江戸時代の延宝6年(1678年)に建立されたということですから、当然将軍家の意向も働いていたことでしょう。
さて浄真寺の舌状台地囲む低地であるが、嘗ては水量を蓄えた九品仏川が蛇行しながら流れていたはずであるが、谷沢川にその流れを奪われた名残川となってから、台地からの湧水が僅かの水源になっていたようで、川と云うよりも湿地帯の様相を示していた様である。その低地は明治14年の地形図では荒地として表示され、昭和4年の地形図では水田、昭和12〜14年の地形図では区画整理が進み、再び荒地となり、浄真寺西側の低地は湿地帯となっている。どうやら九品仏池とその北西側の溜池は郊外住宅地としての整備に伴う区画整理の一環として設けられ、水害から低地の住宅地を守る調整池の役割を担っていたのではないだろうか。

九品仏池の跡(クリックで拡大)現在
昭和31年12月1日に開館した渋谷東急文化会館の排出残土により埋め立てられ宅地化されたと云うことから、昭和30年の後半には埋め立てが始まっていたのだろう。現在、浄真寺西側の住宅地を南北に走る緑道は嘗ての整備された水路跡である。その水路の水源となったのは九品仏駅の南西付近(九品仏小学校の北側に30m位)で舌状台地がくびれている谷頭と見られる。


等々力ゴルフ橋付近(クリックで拡大)昭和12年頃・帝都地形図より引用
河川争奪の結果、負けた川は流れが逆になり「逆川」と呼ばれることが多いようだ。


追記:関連エントリー
Across the Street Sounds: petit-earthdiving091219(1)
Across the Street Sounds: petit-earthdiving091219(2)
aki's STOCKTAKING:JEDI / 7th Earth diving
BLOWIN' IN THE WIND:Earth Diving に初参加
MyPlace:等々力渓谷から九品仏:第7回アースダイビング
ONE DAY:第7回アースダイビング 『「谷沢川vs九品仏川」河川争奪戦跡を検証する』
af_blog:7th Earth diving

Posted by S.Igarashi at 02:17 PM | コメント (7)

November 10, 2009

峰開戸

以下の文は四年前、JEDI最初のEarthdivingの記事に寄せたものである。『私が現在住んでいる八王子に縄文後期の竪穴住居群が点在していた丘陵地を越える切り通しを地元の人は「みねげと」と呼んでいる。子供の頃はその意味を知らなかったが、大人になって漢字で「峰開戸」と書くと知り、成程と合点した。尾根道を歩いていると気付かない景観の変化が坂道や切り通しにはある。小学生の頃、「峰開戸」を越え自分の住んでいる集落に戻る時、異次元に迷い込むことを心のどこかで密かに期待していた。丘を越えると景色が一変し冒険が始まることもなく、いつもと変わらない風景に落胆しつつも、どこかでホッとしていた自分がいた。...』
今では子供の頃は苦にならなかった高低差を避けるように、半島状の丘陵の縁を迂回して駅まで行くようになった。『空撮1961』、『空撮2005

Posted by S.Igarashi at 06:44 PM

October 22, 2009

Google Earthに...

石川さんのつぶやきで知ったのだが東京地形地図on the Google Earthが凄い。 Google Earthの表面に5mメッシュの地形図データから得た等高線と陰影段彩図のオーバーレイを掛けるのだが、今までWindowsのカシミールとか、Macでは数値地図ビューアで作成していたものを誰でも簡単に手にすることができるのだ。オーバーレイの透明度の設定や空撮写真に等高線だけを表示したりと、オプション機能を上手く使えば隠されていた都市のレイヤが見えてくるのである。
上記地図の参考エントリー:
JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...
稲付谷ラフティング
追記:タモリ命名の前島坂界隈を追加した。

と云うことで先日放送のブラタモリで坂好き男・タモリ命名の前島坂(晴海通り)であるが、Google Earthに東京地形地図のオーバレイを掛け、レイヤから「建物の3D表示」をすると、銀座の江戸前島がくっきり、日比谷入江を開発した「丸の内三菱村」は水没である。拡大表示すると中央通り銀座四丁目交差点が尾根となり晴海通りに掛かる等高線が切り通しにみられる特徴があるのが良く解る。

Posted by S.Igarashi at 08:22 AM | コメント (6) | トラックバック

October 04, 2009

幻の区界


10月1日から本放送が始まったブラタモリである。その第一回が早稲田界隈と云うことで神田川流域の嘗ての蛇行していた川跡を示す複雑に入り組んだ区界を白々しい小芝居付き演出で取上げていた。と云うことで河川改修工事に伴って区界の変更が...出来ないものかとか...なんてことを言っていたが、新宿区西早稲田(旧戸塚町)と豊島区高田(旧高田町)の区界を現在の神田川にしている地図があった。それは昭和22年の「新宿区詳細図 東京区分図 植野録夫編集 日本地図株式会社・発行」(上図)である。時代はGHQによる占領下にある頃、戦後の復興都市計画路線網も描かれている地図で、現在の新目白通りも計画路線として茶色の点線で示されている。まぁ、区界の変更すらままならぬ訳だから、例のマッカーサー通りが未だに完成に至らないのも...無理はない。因みに太平洋戦争の始まった1941年の地図の区界は当たり前だが現在と同様に蛇行している。(引用・参考資料:地図で見る新宿区の移り変わり|戸塚・落合編|新宿区教育委員会)

関連エントリー:「岩淵・水辺と崖線...」・「風景殺し・記憶殺し

Posted by S.Igarashi at 01:13 AM | コメント (6)

May 15, 2009

川好き系タモリ倶楽部 Vol.3


と云うことで川好きotokoさん出演の川好き系タモリ倶楽部の第三弾は『大好評・歩いて探る江戸の歴史・三田用水のこん跡巡り水路の歴史』放送は本日・5月15日の金曜深夜 (5/16(土)00:15〜00:45)です。(JEDI必見)
用水路は河川と異なり配水を考え尾根道沿いに造られるのが原則、そこで問題となるのが地形の高低差を如何に解決するか...そのあたりの謎解きが...
そういえば昨日、杉並区立図書館で『帝都地形図』を閲覧してみると旧山手通りと三田用水跡の間に水道局の施設がみられたり...ん〜謎は...謎を...

参照:川の地図辞典、171頁、182頁、224頁、256頁

2008.11.14放送・タモリ倶楽部:石神井川の跡を歩く
2009.2.27放送・タモリ倶楽部:国分寺崖線を行く
更新-1:凸凹地図を追加しました。三田用水は大体、目黒区と渋谷区の区界(尾根)に位置してます。
更新-2:ロケが行われたチェックポイントのストリートビューを追加しました。


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先ずはここから...


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最初のポイントは家と家の隙間に残された用水跡...この裏道にストリートビューとは想定外です。


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青葉台4丁目、自称・目黒の古狸をかたる姉妹がいたクリーニング店の前...ストリートビュー撮影時は生憎と定休日のようです。三田用水は左から右に流れていた。


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目黒区青葉台・西郷山公園近くの尾根道沿いに三田用水が流れていた。残念ながら撮影ポイントが階段とずれています。右に視線を移動させるとブロック塀の上の月見団子のようなものは分かりますが...河童(ある占師によればタモリの前世とか...)のような彫像は....見えません。
因みに『帝都地形図』では...この左手辺りに水道局関連の施設が...


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日の丸自動車教習所の前にある三田用水礎石と碑


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用水跡に沿って湾曲するアパート


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白金台幼稚園傍にある三田用水・今里橋の跡
橋の跡なら姥ヶ橋跡も負けてません。


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白金台幼稚園を下った所に三田用水の用水溝断面が残されている。今回のタモリ倶楽部の収穫はこれですね。

そして番組エンディングのロケを行なった祠の前は心霊写真状態のストリートビューでした....人も...車も...
追記:そういえば4年前の2回目となるアースダイビング@下北沢のとき途中、東大生産技術研究所正門前から「三角橋」まで三田用水跡を歩きましたです。その時、同行取材に来たTBSのクルーは絵にならないと判断し、その東大生産技術研究所正門前で撤収しましたね。このときの目的の一つは「下北沢駅前計画と計画道路」の検証でしたが、環七までの計画道路を検証した後、地球の引力に従い自然と北沢川の水源と川跡を辿っていました。それが切っ掛けで企画:アースダイビング@江戸東京地下水脈を行なったと云うことでJEDIと「三田用水」がこんなところで関係してましたです。
目黒区・歴史を訪ねて:三田用水1
目黒区・歴史を訪ねて:三田用水 2
東急バス・沿線いまむかし:槍が崎・茶屋坂

Posted by S.Igarashi at 08:30 AM

May 07, 2009

偏奇館跡...失われた微地形


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あざぶに住んでいた金阜山人といふ馬鹿の親玉が...この変わり果て、失われた微地形と...小賢しい輩による御為ごかしな碑を見たら...さぞかし断腸の...

Posted by S.Igarashi at 06:49 PM

May 01, 2009

浮間の水塚

こちらで話題となった浮間の水塚(みずつか、みづか)ですが、凸凹地図で見ても敷地に盛り土が施されているのが解ります。やはり岩淵の酒屋のオバチャンの助言に従い、来年の桜の季節は浮間から岩淵までダイビングするのが良さそうです。因みに浮間は現在は東京都北区ですが、荒川が蛇行していた大正時代までは埼玉県でした。


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水塚は関東平野の利根川水系、荒川水系の流域の農村部に多く見られるものですが、この様にGoogleMapのストリートビューで、屋敷地内の蔵を水害から守る水塚の特徴がはっきりと見られるのは珍しいでしょう。
志木市宗岡地区の水塚
群馬県板倉町の水塚
東工大・社会工学科:小貝川下流右岸側流域における水塚に関する研究(PDF-4.4MB)

実は『JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...』の時も「浮間・岩淵水門」の平坦コースを考えていたのですが、やはり十条と赤羽の台地は外せないと、些か欲張った内容となったのでした。

Posted by S.Igarashi at 08:30 AM | コメント (6) | トラックバック

April 24, 2009

と云うわけで...幻の小沢川を...

と云うわけで...幻の小沢川を探索...写真は環状七号線から東に向かって流れる小沢川の上流域、暗渠化されていても特有の湿っぽさが残っていて其処が川跡と直ぐに解る。

嘗て小沢川の源流となっていた真盛寺の新鏡ヶ池と山門、環状七号線に面するビルの谷間に小沢川が埋もれている。因みに真盛寺は三井財閥の菩提寺、と云う事で流石に手入れが行き届いている。明治十三年の『東京府下武蔵國東多摩郡高圓寺村』の地形図には池はあるが、真盛寺は建立されてない。それもその筈で大正年間に押上小梅町からこの地へ移転してきたと参道脇の石碑に記されている。(寛永年間に湯島にて創建、その後、元禄元年に押上に拝領地を得て移転...)山門にはこのような立て札が、不審者として通報されぬよう、寺務所に御挨拶してから越後屋様菩提寺の大層立派なお庭を拝見させていただきましたです。小沢川下流のドブ臭い暗渠とは雲泥の違い、上流社会と下流社会の格差川跡でございました。尚、真盛寺の新鏡ヶ池に隣接する梅里公園には小沢川の流れを模したような水場が造られていた。

原図は1/2500の地形図画像をベースに5mメッシュのデータをレイヤーに重ねている。尾根道の青梅街道が分水嶺となり、青梅街道から北は桃園川の流域...

大正七年頃の航空写真、北から南に向かって撮影されている。(なかの写真資料館より引用)青梅街道の鍋屋横丁付近と右上隅に堀内道が、写真中央を右から左に桃園川が流れている。

和田中央公園(写真上、左、中、右)から女子美の下(写真右下)までの中流域は谷戸を流れていた。自然を破壊しておいても、自然を模した流れモドキを公園内に...人間というのは勝手気儘ですね...。

神田川合流地点までの下流域、神田川に行き止まる暗渠跡も遊歩道に...神田川への放流口も逆流を防ぐために塞がれてしまった。酒屋の御主人に伺った処、暗渠化されたのは45年くらい前、その当時は既にドブ川で大雨が降ると溢れて浸水することも多かったそうである。神田川のカミソリ堤防がかさ上げされ、豪雨の際の水位が地盤面より高くなり下流域の低地は大雨の時はマンホールから水が逆流する。
ここから、地下鉄の一駅分歩けばGENIUSに辿り着く。『OZAWAとGENIUS』なにか因縁めくが昔よく通った新宿西口小田急ハルクの裏道にあったJazz専門のレコード屋が『OZAWA』...。
まぁ...その内、新高円寺から小沢川を下り『GENIUS』に出会うJEDIのEarthdivingでも...そう天才は上流には...

Posted by S.Igarashi at 02:05 AM

April 21, 2009

嘗て粗忽者も...


先週、A地点からB地点へ歩いたとき、その面妖な地形にJEDIの血が騒いだ。明治十三年十一月一日測量と記された『東京府下武蔵國東多摩郡高圓寺村』の地形図複製を見ると確かに其処には神田川の支流の小川が流れていた。しかし神田川に注ぎ込む辺りの低地は河川改修と共に区画整理された様子で川跡は確認不能である。(訂正:合流地点は自然の流れではないが、整理された区画の裏に路地として川跡の暗渠が残っている。)

明治十三年測量の地図にある池は現在の梅里公園にあたる。その辺りが谷頭となり川は東に向かって流れ、女子美のある台地の南側を流れ、恐らくは富士見橋と寿橋の中間辺りで神田川に注ぎ込んでいたのだろう。JEDIのforceを以て、川の地図辞典にも無い小川の川跡を探せねば....
因みに妙法寺落語『堀之内』のお祖師様で知られている寺、嘗て参拝客は青梅街道の鍋屋横丁から堀内道を通って行ったそうだから、落語に出るような粗忽者は道中、此の川に架かる橋から落ちるようなことがあったかも...
追記:本日(4/22)川跡を歩いてみました。やはり川跡特有の湿気と臭いがあります。因みに環七から中野富士見町の神田川合流地点まで約1.5キロでした。

より大きな地図で 小沢川・川跡を歩く を表示

Posted by S.Igarashi at 07:45 AM | コメント (6)

April 19, 2009

rosso

赤だけが妙に...あたらしいのが... A地点からB地点の途中で採取...

Posted by S.Igarashi at 08:58 AM | コメント (0)

April 16, 2009

A地点からB地点へ


午前中で授業が終り、その後、A地点からB地点へGoogle御推奨の車によるルートではなく神田川に架かる橋を見ながらミニダイブを...B地点に辿り着きそして赤い扉を開けると...

店内に入ると渋谷の店では剥き出しだったスピーカーも主張せず隠されている。マッチのデザインに用いられていたイラストが額装されターンテーブルの上に飾られていた。昼間は主に控えめな音量でCDを掛け、夜はLPを掛けることもあるそうだが、そのへんは客の好みに従って柔軟に対応しているとのことである。そういえばDexter Gordonの"GO"はGeniusで初めて聴いて自分でも買ったLPだった。

Geniusは嘗て渋谷の道玄坂小路は台湾料理店・麗郷の斜向いにあったModernJazzを聴かせる店、所謂Jazz喫茶だった。いつ頃だったろうか麗郷に行った後でGeniusに寄ろうとしたら其処はピンク系のサービスを売り物にする店に変わっていた。1970年前後には人気の絶頂にあった日野皓正や山下洋輔のライブを売りにしていたJazz喫茶Oscarが、いつの間にかストリップ劇場に変わってしまったこともあったので、渋谷の繁華街での店の推移や興亡は驚くに当ることではない。Geniusもその例なのだろうと思い込んでいた。ところが、shinさんの麗郷を読んでコメントを書いた際、改めて渋谷のGeniusをGoogleで調べてみると、どうやら店は中野新橋に移転して今でも営業をしていることが分かった。中野新橋なら大学から歩いてゆける距離である。と云うことで前期の授業が始まった昨日、Geniusへと...である。店内は明るく軽い食事もできJazz喫茶特有の重苦しさもない...これならリピーターになれそうである。神田川流域の地形を感じながらのミニダイブの楽しみも付いているし...。
追記:渋谷のジニアスが閉店したのが1988年(昭和63)の8月、中野新橋に開店したのが1989年(平成1年)の5月と云うことのようです。スイングジャーナルでも読んでいれば何かの情報があったと思うが、この頃はJazzの雑誌も読まなくなっていたので知らぬままであった。写真はマスターの許可を得て撮影したが、他の客も居たので室内全体を写すのは遠慮した。

Posted by S.Igarashi at 07:23 AM | コメント (4) | トラックバック

April 10, 2009

那須二大工房巡り

てことで昨日一昨日は「非電化工房」と「殻々工房」の「那須二大工房巡り」に...。そして昨日、素泊まりの旅館を立ちペニーレインで夫々好みのパンを調達、殻々工房にてブランチの後、殻々工房の前で玉井さんは工房長からフィッシングのレッスンを...隊長は凧揚げに、平地と違い背後に山を控える高原の風は気まぐれ...。


より大きな地図で 那須二大工房巡り を表示

aki's STOCKTAKING:那須 /春の遠足
KARAKARA-FACTORY:非電化工房・那須アトリエ見学会
Kai-Wai 散策:非電化と凧揚げ
MyPlace:非電化工房探訪記
Things that I used to do.:春の遠足、那須の工房めぐり-1

Posted by S.Igarashi at 10:07 AM

April 08, 2009

鉄分補給...

再調査ダイブの終盤、武蔵野台地の北東端・赤羽台の古墳群に穿たれたトンネル上の公園で『鉄ちゃんならここで新幹線と埼京線が通るのを何時間でも待つんだろうね。』そんな話をしていたら偶々、埼京線が戸田方向へ、続いて上りと下りの東北・上越新幹線が...思いかけず鉄分ミネラルの補給が.........それにしても、この殺伐とした風景は...

Posted by S.Igarashi at 12:17 AM | コメント (4)

April 07, 2009

稲付谷ラフティング

と云うことで3月28日のJEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...では正しい稲付谷の谷頭付近の北耕地川(稲付川)の川跡を確認し損ねてしまったので、4月4日に再調査ダイブを行い姥ヶ橋から下流の川跡を確認した次第である。写真の突き当たりの階段を登ったところが環状七号線・姥ヶ橋交差点となる。その階段のフェンスには「稲付の小径」の案内板が取り付けられている。今回は姥ヶ橋からの川下りと決め込んだのであるが、途中早々に川下りを切り上げ、坂道への....誘惑に負けてしまったのである。


凸凹地図と東京都の1/2500デジタル地形図を元に谷の入り江と台地の岬が解るように合成。(縮尺は適当)

(写真左):川上より川下を見る。
(写真右):川下より川上を見る。Y字路の左が川跡、右が3月28日に川跡と間違えた道。

暗渠化される以前、北耕地川(稲付川)が流れていた時代、その右岸は写真のような土手が続いていたそうである。

水車坂・坂上より稲付谷とどんぐり山を望む。その麓辺りに料亭・游鯉園があったらしい。
因みに荷物を背負った馬が坂を下って水車小屋に向かう途中で坂から落ちる事故もあったとか、隊長好みの噺だが、游鯉園で川魚料理だけでなく桜鍋も出したかは定かでない。

Posted by S.Igarashi at 02:00 AM | コメント (5)

April 05, 2009

姥ヶ橋跡と上流を探る

Ubagabashi-2.jpg

と云うことで先週のJEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...で見損なった北耕地川(別名:稲付川、根村用水、中用水)の姥ヶ橋周辺(赤丸部分)を検証してきました。


クリックで拡大
1909年(明治42年)の地図を見ると姥ヶ橋から東の環状七号線は既存の道路を利用して拡幅されたことが分かります。稲付川の跡に面する家にお住まいの御婦人に伺ったところ昭和46年(1971)に環状七号線姥ヶ橋立体交差の工事に伴い暗渠化されたと云うことで、それまで御自宅の前に木造の橋が架かっていてそれを渡って家に出入りしていたそうです。
姥ヶ橋から南西に向かった所には橋の跡がまだ残っています。そこから上流部分は台地の尾根を切り通し用水を流していることが、地図の用水両側の崖を示す表記からも分かります。
石神井川も所々に堰が設けられ工場を示す記号がみられますが、何故か下半分が切れている。

Ubagabashi-3.jpg
凸凹地図を見ると地形に根村用水・切り通しの跡が残っています。

姥ヶ橋交差点の歩道から上流方向を見ると川跡と橋の跡が残っていました。

尾根部分の根村用水・切り通しがあったと思われる場所から上流方向をみる。上流方向が下っている訳ですから、昔を知らなければここに用水があった等とは解らないでしょう。道幅の広さは用水両側の切り通し法面を含んだものと思われます。


大きな地図で見る
中央の横断歩道が『日暮里橋』があった場所と思われる。きっと、高台にあるこの橋の上から日の暮れるのを眺めていたのでしょう。

Posted by S.Igarashi at 09:09 AM | コメント (7)

March 29, 2009

JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...

と云うことで昨日は十条から岩淵までのEarthdivingでした。最終目的地の岩淵水門から荒川上流を...雲間からバロックの光が降りそそぎ...荒ぶる川の川面がとても穏やかに....

最終目的地の岩淵水門...地下鉄ポスターの写真の赤とは....違いすぎる...

凸凹地図に徘徊ルートを記してみました。最初の谷戸、稲付谷を流れていた川は石神井川から分流した農業用水の北耕地川(別名・稲付川)と云うことですが、元々あった谷頭からの湧水による谷戸の沢に土木工事(将軍家綱の時代とされているが定かでないが、年代的には1651年以降...か。凸凹地図を見ると姥ヶ橋から十条方向にも地形が下がっていることがわかる。水利権を巡って農民同士の争いも絶えなかったようである。なにやら、カムイ伝の世界がここにもあったようだ。)で農業用水を流し込んだものであろう。(川の地図辞典、302、321、332頁参照)GoogleMapへリンク
北区道路公園課・公園河川係:北区を流れる河川

右側の道路が暗渠化された北耕地川の川跡と思われる。昔は土手の桜だったのだろうが、ここも蕾は未だ固かったようで、季節外れな「寒の戻り」の所為か「花見」とは成りませぬ。
訂正:北耕地川の本流は右側の道ではなく、更に一本東側の道のようです。この道も下流で北耕地川跡と纏まり一本になります。

追記:4月4日に再調査を行いました。と云うことで右の赤丸で囲われた所に北耕地川跡に下る階段があります。北耕地川は右から左に流れていました。奥の建物は1995年に廃校となった北区立北ノ台小学校の体育館、現在は北ノ台スポーツ多目的広場の施設となっている。

追記姥ヶ橋跡と上流を探るをエントリー。下記のGoogleMapに再調査ダイブのルート(14Km)を追加。


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十条銀座から富士見銀座の商店街を抜け環七を渡り住宅地に入ったところで、合わせ技付き変則的十字路の逸品に遭遇....

aki's STOCKTAKING:JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...
Across the Street Sounds:JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...(1)
Across the Street Sounds:JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...(2)
Across the Street Sounds:JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...(3)
Across the Street Sounds:JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...(4)
ONE DAY:アースダイビング『JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...』28March.2009
Things that I used to do.:十条から赤羽、岩渕までの散歩

Posted by S.Igarashi at 12:49 AM | コメント (11)

March 25, 2009

岩淵・水辺と崖線...『JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...』

と云うことで週末(3/28)の天気予報も概ね問題なさそうである。

私は東北本線に乗ることは殆どないが、たまにJR京浜東北線で荒川の鉄橋を渡るとき、河川敷の一部と思われる場所に墓地と寺があるのが目に入る。何故こんな場所に寺がと思っていたが、masaかその場所が広重・名所江戸百景に描かれていたとは想像もしなかった。それは日光御成街道の最初の宿場・岩淵本宿側から見た安藤広重・名所江戸百景「川口のわたし善光寺:安政四年(1857年)」である。上図はその絵が描かれてから27年後の明治13年(1880年)地形図である。これを見ると文明開化の足音は江戸東京周辺の岩淵には未だ届いてないようだ。
ところで地名である岩淵の意味をiPhoneの大辞林で調べると、成程と合点できる。やはり荒川の蛇行によって、円弧の外周部は川底が深く侵食され淵と成ったのだろう。そういえば、子供の頃に川遊びをした山里の川も淵には「どんどん淵」とか「いちどん淵」といった名が付いていたことを思い出した。
岩淵の地名も赤羽に吸収統一され消えてしまう危機もあったそうだが、住民の反対で地名が守られたと云うことである。水の力で地形、そして風景がつくられているとすれば、やはり岩淵は荒川があっての地名である。歴史から消してはいけないのだ。


1921年(大正10年)
北足立郡横曽根村大字浮間が横曽根村から分離し、東京府北豊島郡岩淵町に編入されたのは1926年(大正15年)10月1日とのことである。荒川大橋が完成するのは昭和3年(1928) 、この地図の橋は未だ「舟橋」である。特徴的なのは武蔵野台地には陸軍関係の施設が多く造られていることである。


1955年(昭和30年)
戦後10年経った地図では陸軍被服本廠の跡にブリジストンタイヤ、兵器庫跡に日本製鋼の工場が、そして兵舎の跡は学校や病院となっている。


1981年(昭和56年)
工場は移転し、ブリジストンタイヤの工場跡に出来た赤羽台団地は昭和37年(1962年)の完成と伝えられている。


1995年(平成7年)
日本陸軍の兵器庫は日本製鋼の工場と成り、やがて工場移転に伴い西が丘のサッカーグランドや国立の施設や官舎や団地へ替わり、それらも建替えが行われているようで、GoogleMapにある建物もストリートビューでは無かったり、工事中だったりする。官から民、民から官へと目まぐるしく所有権が移動している。そこには国家百年の計もグランドプランも何も存在しない。唯々、欲望の成すまま、自然を土地を切り刻んでいるように思えてならない。


凸凹地図
水が風景を作るとは云いますが、それにしても武蔵野台地の北東端の崖線は奇妙なカタチです。私にはフランケンシュタインの頭のように見えます...(^_^;)

AkabaneIsekiMapS.jpg

東京遺跡情報2000から北区の指定史跡地図(©東京都教育庁)を調べてみましたが、やはり岬の先端に古墳があります。そして台地には集落、低地には貝塚とか...ですね。
4:包蔵地・貝塚(縄文・弥生・古墳・奈良・平安)
5:集落(旧石器・縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世・近世・近代)
6:赤羽台古墳群(古墳時代)
7:赤羽台横穴墓群(奈良時代)赤羽八幡神社の辺りです。
8:集落(旧石器・縄文・弥生・古墳・奈良・平安)
9:集落(縄文・弥生・古墳・奈良・平安)赤羽台団地
12:集落(旧石器・縄文・平安・近世)
13:集落(縄文・弥生)
14:大塚古墳(古墳)
15:集落(古墳・奈良・中世)
49:集落(縄文・弥生・古墳・奈良・平安・近世)赤羽台団地


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追記:地図上の赤い線は当日歩いたルートに変更してあります。

そんなこんなで、3月28日に『JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...』を計画している。埼京線・十条駅に集合、午後一時頃から、いつものようにダラダラと歩き始め、商店街(十条銀座)を抜け、台地を巡り、崖線から低地に降り、荒川放水路岩淵水門までユルユルとダイビングして桜を愛でる予定なのである。因みに荒川放水路は1965年(昭和40年)に正式に荒川の本流とされているので、岩淵から下流も正式に荒川で良いのだが、放水路流域の低湿地帯に生まれた者には人工的な河川である荒川放水路の方が耳に馴染むのである。
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『JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...』
開催日時:3月28日(土)午後1時〜5時、その後いつものように反省会
集合時間:午後1時 埼京線十条北口
岩淵水門:午後3時30分〜4時頃までには到着 
     荒川治水資料館(無料、9:30~17:00、入場は閉館の30分前)
反省会 :午後5時30分〜赤羽駅東口界隈にて、場所は未定
雨天の場合は当日午前9時頃までに中止等を判断し、ブログ及びメールにて告知します。

参照サイト赤羽駅東口:御菓子司・喜 屋赤羽時間旅行
赤羽の地形
赤羽歴史年表

Posted by S.Igarashi at 10:28 AM | コメント (8) | トラックバック

March 18, 2009

活断層図と1万分の1地形図

やっぱりEarthdivingには地形の解る地図が必携と云うことで国土地理院発行の都市圏活断層図(1:25,000)1万分の1地形図である。それにGPS機能を備えたJEDIの必携アイテム・JEDiPhoneがあれば完璧.....。それにJEDiPhoneはクリノメーター(clinometer)にもなるのである。

Posted by S.Igarashi at 09:00 AM | コメント (1)

February 27, 2009

今夜のタモリ倶楽部・国分寺崖線を行く

之潮の川好きonnaさんから情報をいただきました。放送はテレビ朝日・今夜24時15分「ガケで感じる10万年の歴史、世田谷で地形に大興奮、歩いて発見」

『さて、また川好きotokoが、2月27日「タモリ倶楽部」出演、「桃・栗3年、崖10万年 国分寺崖線を行く」がテーマです。「川の地図辞典」と「帝都地形図」も紹介される(はず)です。うちは国分寺崖線の上に会社兼生活場ですが、世田谷区を歩きます。ご都合つけばご覧下さい。ご批判なども、お願い致します。』
追記:ロケ地は世田谷区野毛三丁目、野川が多摩川に呑み込まれた先の上野毛、第三京浜・多摩ICの西北側付近のようです。『「崖線」と「三日月湖」
世田谷区:砧地域玉川地域明神池

明治14年(1881)と昭和4年(1929)の明神池周辺の国分寺崖線(クリックで拡大)

昭和14年(1939)と昭和30年(1955)の明神池周辺の国分寺崖線(クリックで拡大)
上記地形図にも凸凹地図にも見られるデベソは大塚古墳です。そういえば以前、タモリ倶楽部で、同じ崖線のもう少し下流域の多摩川台公園・亀甲山古墳を特集してましたね。(2007/6/9放送のようです。)
参考資料:川の地図辞典 江戸・東京/23区編  232頁
参考資料:東京の凸凹地図 102頁「谷沢川と九品仏川の河川争奪の跡」
成城三丁目緑地

野毛は『のぎ 【芒 】』に同じ、イネ科の植物の花の外殻にある針のような突起。のげ。
崖地や土手に生えるイネ科の植物が群生している景観から派生した地名と云うことで崖地がある土地に付けられた地名、横浜桜木町駅の山側が「野毛」で同じ意味。(昔々、子供電話相談室で聞いた地形と地名に関する話。)
上野毛は世田谷で下野毛は川崎市高津区、昔、雑誌(たぶん?ビックリハウス)の投稿(珍・看板)に「下野毛美容室」というのがありました。妄想無用。

因みに世田谷区岡本の崖の上の静嘉堂文庫美術館では『古地図の楽しみ―江戸時代の町を歩く―』が3月22日まで開催されています。


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と云うことで放送された国分寺国分寺崖線のロケ地点をGoogleMapにプロットしました。
成城三丁目緑地→岡本三丁目・富士見坂→明神池→龍神様→ゴルフ橋→等々力渓谷→等々力不動尊
そういえば川好きotokoさんはiPhoneではなく本物のクリノメーターを使ってました。

最初のロケ地・成城三丁目緑地で国分寺崖線からの湧水が紹介されていました。上記の図は旧建設省関東地方建設局京浜工事事務所と財団法人河川環境管理財団による多摩川誌の「図 2.4.11 地下水面等高線図1980年11月」です。この図と図 2.4.12 世田谷区における湧水の集水域に成城三丁目緑地の湧水(図の8か?)が示されているようです。数値地図による凸凹地図と見比べると分かりやすい。

前回のタモリ倶楽部・石神井川の跡を歩くで問題提起された人工説と自然説の『河川争奪戦』を今回は等々力渓谷を自然説の例にあげ「谷沢川の谷頭侵食」が九品仏川まで達し、結果として谷沢川が九品仏川を奪ったと云うことを、成城三丁目緑地の崖線からの湧水をツカミにして説明したようです。

Posted by S.Igarashi at 01:23 AM | コメント (8)

February 20, 2009

東向島に...

明日(2/21)放送のテレビ東京「出没!アド街ック天国」は東向島(旧・寺島町)ということだ。我々も昨年末、川向こうの悪所跡を徘徊したばかりだが、さて明日は何が...見られるか...


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MyPlace:遅配エントリー:年末玉ノ井ダイブ このお稲荷さんが...
MADCONNECTION:寺嶋村1909  この地図の範囲が...

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February 11, 2009

今日は伊能忠敬の...

Inou17450211.jpg

Googleで検索しようとしたら、ロゴデザインが...もしかしてと伊能忠敬でググッてみると、延享2年1月11日(1745年2月11日)が誕生日でした。成程、ガッテン!!

Posted by S.Igarashi at 09:57 AM | コメント (2)

January 12, 2009

神田川再発見

神田川再発見
歩けば江戸・東京の歴史と文化が見えてくる
神田川ネットワーク [編]
東京新聞出版局・発行(本体1429円+税)
帯に書かれた内容紹介には『神田川水系の歴史と文化を、5年の歳月をかけて徹底踏査したデータ約1000項目、写真150点、江戸名所図会29点。神社仏閣はもちろん、橋の名のひとつひとつにも興味深い由緒来歴がある。ウオーキングのガイドブックとしてだけでなく、神田川を知る資料としても手元に置きたい一冊。』とある。判型サイズを考えると持ち歩くには不向きであるが、神田川水系の現況を知ろうとするならば「川の地図辞典」と併せて必携の書であろう。
気になるのは関係性が見えてこないフラグメンテーション(断片化)を起こしたような書籍構成とイラストマップの完成度の低さ、自費出版の内部資料ならまだしも...残念である。

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内容(目次)
第一章 神田川上流部
 井の頭公園〜高田馬場 /玉川上水緑地と寺町/神田川上流部の水環境/神田川36景 その1

第二章 神田川都心部 
 高田馬場〜柳橋/甘泉園から早稲田大学へ/神田川の分水路/飯田橋周辺/小石川後楽園周辺/御茶ノ水まで南岸を行く

第三章 善福寺川
 善福寺公園〜神田川合流点

第四章 妙正寺川
 妙正寺公園〜神田川合流点/上高田の寺町/神田川36景 その2

第五章 日本橋川・亀島川
 三崎橋〜豊海橋/霊岸橋〜南高橋

第六章 思い出の川筋
 桃園川/川歩きの楽しみ/笹塚川/谷端川・小石川/弦巻川/水窪川/蟹川
 井草川/江古田川/神田上水・助水堀跡/神田上水・素堀部跡

付 隅田川右岸
  両国橋〜勝鬨橋/隅田川左岸の名所/隅田川の橋一覧
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第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅

Posted by S.Igarashi at 09:44 AM | コメント (2)

January 04, 2009

寺嶋村1909

[ + ]
玉井さんが遅配エントリー:年末玉ノ井ダイブをエントリーされたので、その元悪所徘徊のルートを100年前の明治42年(西暦1909年)の地図に記してみた。と云うことで昨年は悪所が廃止されてから50年であるが、旧玉ノ井私娼窟のラビリンスは100年前の地図にも現代の地図にも、その兆しも痕跡をも窺うことは叶わない。ただ、僅かに取り残された建築物と文学や芸術を通して想像するのみである。

Posted by S.Igarashi at 05:51 PM | コメント (5)

December 28, 2008

放課後...みたいで...

mukoujima03s.jpg
[+]
二人並んで何かに心を奪われ見入っている様子は、まるで小学生男子が放課後、家まで真直ぐ帰らず道草を食っているみたいで、妙に微笑ましいものがありますです。因みに黄色い日除けのテントは最近替えたようでストリートビューでは青でした。(東向島3丁目辺りで、於:JEDI @玉ノ井)

Posted by S.Igarashi at 09:43 AM | コメント (16)

December 27, 2008

吾妻橋夕景

昨日は寒風の中、墨東の1958年3月31日まで悪所が存在した界隈を散策。その後、浅草はホッピー通りの大衆酒場にて忘年会。〆は浅草大黒屋の天丼。神田駅ガード下立ち呑み屋で軽く一杯、その日のうちに山里へ無事帰還。
●aki's STOCKTAKING:JEDI @玉ノ井
●Kai-Wai 散策:JED-iPhoner's@東向島

Posted by S.Igarashi at 12:54 PM | コメント (5)

December 13, 2008

ブラタモリ

BuraTamori2.jpg

と云うことで、先週のタモリ倶楽部の「石神井川の跡を歩く」に引き続き、本日はNHKのブラタモリなる番組で古地図を手に明治神宮や渋谷川の跡も探索するらしい。なんとなく一部はJEDIのアースダイビング@江戸東京地下水脈の内容に被るような気もしますが、やはり興味を覚える処は共通するようです。坂道愛好家だけでなく古地図男、川好き男と化したタモリに注目。
放送時間は本日11月22日(土)の深夜、日付を越えて翌日午前0:10〜翌日午前0:55(45分)
再・更新(2008.12.13):臨時報道番組によって放送は中止されましたので、本日12月13日(土)の深夜(翌日12/14のAM00:20~01:05)に放送予定です。もしも、大事件が起きたり、もしも麻生首相がぶち切れて「俺辞め〜た。」な〜んて、三人続けて首相が政権を途中で放り出す未曾有なこと(平成バカヤロー解散:但し祖父の吉田茂とは意味が...)になったら、再び中止の可能性はありますけど...。(^_^;)

参考
December 05, 2005:企画:アースダイビング@江戸東京地下水脈
January 26, 2006:第三回アースダイビングのお知らせ
January 29, 2006:アースダイビング@江戸東京地下水脈
February 01, 2006:アースダイビング・レポート

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November 29, 2008

東京水門地図

上記の地図(クリックで拡大)は昨日放送されたタモリ倶楽部「秋の巨大建造物クルージング/江東・水門銀座を行く!」の解説とナビゲートを務めた佐藤淳一氏が提供している東京水門map(beta)の水門位置情報をGoogleMapに落とし込んだものである。番組内容は木場を出航し「1:曙水門」から湾岸地区埋め立て地の運河を巡り「5:浜前水門」から隅田川を上り、右手に「6:月島川水門」と「7:住吉水門」を見やり、「8:新小名木川水門」から小名木川に入り、旧中川に合流して「10:荒川ロックゲート」から荒川に出るまでを紹介。いつもならマニア向けの内容に対し狂言廻しのお笑い芸人の冷ややかな醒めた態度が目立つのであるが、今回はお笑い芸人を含め一同、船上で大盛り上がりを見せていた。中でも閘門(こうもん)を通過する時は一同大興奮、こうもんからほとばしる水しぶきを浴び、アドレナリンもピークに達した。それにしても「9:扇橋閘門」と「10:荒川ロックゲート」の間の小名木川は隅田川や荒川よりも水位が2.4mも低い、つまり江東区のゼロメートル地帯に位置していると云うことである。
水門写真家・佐藤淳一氏のblog:Das Otterhaus

江東区のゼロメートル地帯が解るように数値地図(クリックで拡大)を作成しました。ちょうど小名木川の扇橋閘門から東の荒川ロックゲートまで海抜よりも低いことが解ります。これを見ると東西線より南の近代による埋め立て地によってゼロメートル地帯が取り残されてしまったことが解ります。(嘗てのごみ処分場であった夢の島が海抜5mと意外と高い...。)地下水の汲み上げよる地盤沈下もあるでしょうが、既に市街地化している場所では利権もあって土盛りで地盤をかさ上げするのは困難の上...スーパー堤防の構想も実現には...江東・水門銀座は行政が考えられる現実的な問題解決の結果...でしょうか...。 因みに図中の赤丸が州崎神社の位置になります。嘗ては海岸線から離れた弁天島だということです。
森川和夫:廣重の風景版画の研究より名所江戸百景 深川洲崎十万坪
森川和夫:廣重の風景版画の研究より名所江戸百景 深川木場

扇橋閘門をGoogleMapのストリートビューで橋の上から眺める。
荒川ロックゲート(閘門)は周囲に公道がなくストリートビューで眺めることは叶わなかった。

運河好きotokoを自称するM.Niijimaさんののblog:Across the Street Sounds「川からは空が見えるのが望ましい」も併せて御覧の程を...扇橋閘門のモノクロ写真が...。

masaさんのKai-Wai 散策・オックスフォード便り(11)にはテムズ川支流のロックゲートが紹介されている。

タモリ倶楽部出演の経歴を持つ石川初さんのblog・身辺メモ「水門のエコロジー」もどうぞ...

しかしながら、水門を含め日本の土木工事にはマエストラント可動橋のようなデザイン性が欠けている、逆にそれがマニアの興味の対象となっているのだろう...が...。

Posted by S.Igarashi at 08:55 AM | コメント (11)

November 14, 2008

本日のタモリ倶楽部

云うことで本日のタモリ倶楽部は「川好きotoko」こと之潮の芳賀さんが出演されての「石神井川の跡を歩く」です。ロケ地は王子ということですから二年前のJEDIによるTake The "A" Tramで我々が気付かなかったポイントも聞けることでしょう。
放送日:11月14日テレビ朝日:深夜・00:15〜00:45(日付は11/15になります)
参考:川の地図辞典 江戸・東京/23区編 P-306〜309 石神井川(P-15)音無川(P-320)

MADCONNECTION・関連項目
アースダイビングはトラムに乗って
川向こうで初体験
川の地図辞典-1
川の地図辞典-3 Jediへの道
谷田川跡をあるく
美の壷『江戸の古地図』

追記:番組内で論争のあった王子で上野台地を人工的に切り開いて隅田川に流したという江川達也説と、上野台地が自然災害で崩落して隅田川に流れでたと云う芳賀説について、2006/10/9のエントリー『図説 江戸・東京の川と水辺の事典』でも書いてありますので参考までに、因みこの江戸・東京の川と水辺の事典は芳賀さんが柏書房時代に出版したものです。

Tamori-Club081114d.jpg

川の地図辞典の宣伝になったようです。

Tamori-Club081114b.jpg

Tamori-Club081114c.jpg

そういえば、この場所、写真を撮るのを忘れていました。アースダイビングの時は牧羊犬と化し、群から離れるメンバーを追い立てる役に廻りますので...当日の写真は数えるほどしか...


大きな地図で見る

Posted by S.Igarashi at 01:00 AM | コメント (11) | トラックバック

October 13, 2008

不在証明

PlacePages ver.1.0はiPhoneのGPS機能を利用して現在地の位置情報を得るアプリケーションだ。
『此処は何処?』と迷った時にも役に立ちそうだが、外出先で位置情報の画面を撮っておけば『alibi』つまり『不在証明』を立証するのにも良さそうだ。人間いつ何時、犯罪に巻き込まれるか分からない、転ばぬ先の杖である。それは冗談としても、チェックポイント毎に位置情報を画面保存すれば『乗換案内』だけでは分からない駅までの歩行時間や一日の行動パターンを後で解析するのに役に立ちそうである。因みに左の画面はイトーヨーカドーの屋上で記録したもの、その15分前はこちらの場所で給油をしていたのだ。これはアースダイビングの経路をメモするのにも良さそうだ。

Posted by S.Igarashi at 12:50 AM | コメント (0) | トラックバック

August 04, 2008

StreetView

streetview2.jpg

いつの間にかGoogleMapがアップデートされ国内でもStreetviewに対応するようになっていた。と云うことで中継は銀座通りのAppleStore前からでした。尚、対応している地域は本州北海道の一部の都市だけ。のんびりと夏休みは取れそうにもないから、これで小樽でも散策して我慢するのココロ...なのだ。

追記:あれぇ〜ビックリした。銀座だけかと思ったら、あたしの家まで、言ってくれれば洗濯物片づけておいたのに...玄関前に生ゴミのポリバケツが出ているから今年の冬の火曜日か金曜日、駐車場には車も置いてあるから....ん〜。ふふふ、隊長の家も.....、おやおや、LOVEGARDENは店を開いて営業中ですね、ふむふむ...ベビーバギーが置いてあるから、来客中かな...。

こんなの見つけました、直進するつもりだったけど、ゴミ収集車が...いいや左折しよう。結構、適当かも...
追記:ストリートビュー撮影車と全方位カメラの情報がありました。
Google Streetview Camera Car Fleet Set to Invade America
The Google Maps Street View Camera
Riding Shotgun With Google Street View’s Revolutionary Camera
WIRED VISION:読者が選んだ、『ストリートビュー』驚きの画像

Posted by S.Igarashi at 11:09 PM

June 13, 2008

東京想造計画

東京新聞二面に地下鉄・副都心線の開通に合わせた企画広告・東京想造計画「書籍でめぐる副都心線散歩」の川の地図辞典に目が止まった。そのコピーを読むと...

西池袋に発する弦巻川、春の小川は河骨川、そして江戸期の竃(へっつい)河岸、薬研堀まで、いまある川、消えてしまった川や堀など約400。新しい<水辺の時代>へのガイドブック。
....とある。川の地図辞典・出版記念ウォークでお会いした菅原さんと芳賀さんの顔が目に浮かぶ。因みに今日のタモリ倶楽部は開通前の副都心線からだった。(急カーブと急勾配の多い線路は電車の運転―運転士が語る鉄道のしくみ (中公新書 1948)を読み始めたばかりに...なるほどと...。)来週は東急の全面協力で東急・渋谷地下駅の全貌とか...

Posted by S.Igarashi at 09:22 PM | コメント (4)

March 31, 2008

Jediの...


Safariのブックマークバーのカテゴリに"Jedi"を追加し、これまでEarthdivingに参加した方々のBlogを一つにまとめてみた。と云うことで"Jedi"の...。

..."Jedi"の...秘密なんてものは特にないのである。
元々、Earthdivingをアダイと省略して用いている人もいたのだが、どうも三代目・三遊亭金馬の語る与太郎が己のことを「あ...あだいは...」と言っているようで...何だか...与...と云うのが始まりである。
Jedi・ジェダイ(Japan Earth Divers Institute)としたのは語感を第一に優先した結果である。
最初はランドスケープ系グラウンディング派から拝領したトーキョーアースダイバーズをそのまま頭文字からTED(Tokyo Earth Divers)としてみたのだが、関西からの参加者に配慮し、masaさんからJED (Japan Earth Divers)はどうだろうと云う提案があった。そのままではED患者の全国組織と間違われそうだと云う意見と語感からJediとしたのだが、"i"を"Institute"と云うのも大袈裟であるとする意見もあり、ブログ繋がりから"interlink"や"inter-blog"とか"inter-○○"はどうだろうか、と云う意見もあり、兎に角"Jedi"はそのままで"i"は100人いれば100人の"i"があると云うことでも良かろうとしたのである。まぁその辺は実にいい加減なのである。もちろん、あの"Jedi"にあやかって...である。

追記:因みに先日の「川の地図辞典・出版記念ウォーク懇親会」で関西の参加者の両隣に座って居られた方は地図中心にも寄稿されている古地図研究家でもあるこの御方と伊能図にも造詣の深いこちらの御方でした。

Posted by S.Igarashi at 10:00 AM | コメント (2)

March 17, 2008

谷田川跡をあるく

GoogleMapでウォーキング・コースを見る。

云うことで昨日は之潮主催の「川の地図辞典・出版記念ウォークと懇親会」に参加した。ウォーキングルートは上図のJR駒込駅南口から巣鴨まで谷田川跡と本郷台地の縁に点在する神社仏閣や墓地等の史跡を著者の菅原健二さんの案内で訪ね歩くと云うもので、山手線に沿って谷を下り、谷田川に架かっていた鉄橋の下を潜ると、アースダイビング開始である。
追記:ブラウザによってクラッシュする場合があり、GoogleMapの直接貼込みを止め別ウインドウで開くようにしました。

GoogleMapでは地形を読むことは不可能なので数値地図から凸凹地図を作成した。下が本郷台地で上が上野台地、その台地に挟まれた谷に谷田川が流れ、水田が広がっていた。(こちらも参照にTake The "A" Tramのmasaさん作成:広域凸凹地図
yatagawawalk2.jpg画像をクリックで拡大
凸凹地図に辻潤の「ふもれすく」を追加

こうして見ると多くの神社仏閣が台地の縁やいわゆる半島や岬部分に位置していることが解る。中でも妙義神社の場所は半島そのモノの形状を示している。
染井坂を上り右に折れると新義真言宗の西福寺、ここに染井吉野の里の石碑と将軍吉宗の御用植木師・伊東政武やダダイスト・辻潤の墓所がある。その西福寺の隣は染井稲荷があり、嘗ては真言宗と稲荷信仰の結びつきが強かったことを示している。再び谷に下り染井銀座から染井霊園の脇を通り、慈眼寺、本妙寺を散策し、豊島市場脇の谷田川の源流付近を確認し、中山道を渡り高岩寺(とげ抜き地蔵)へ、巣鴨地蔵通り商店街入り口の真性寺境内で記念撮影し一旦解散、懇親会参加者は4時から酒宴、河岸を変えて宴会は二次会へと続くのである。乾杯!
追記:谷田川の下流である藍染川についても多少話題になりましたが、ミツカン水の文化センターの機関誌「水の文化」第15号「里川の構想」に『森まゆみ・陣内秀信 現代都市の「里という居住地」とは』と云う対談で、森まゆみさんが土地の人々から聞き取り調査した藍染川の昔の様子が詳しく紹介されています。因みにPDF版も用意されているのでプリントして読みたい人はこちらのリンクから。
PDF版「里川の構想」
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例によってJedi-memberによる同時多発エントリーが始まったのである。
af_blog:川の地図辞典 記念ウォーク
Kai-Wai 散策:とげぬきフォント
Kai-Wai 散策:『川の地図辞典』出版記念ウォーク
aki's STOCKTAKING:川の地図辞典・出版記念ウォーク
東京クリップ:二連ポンプ:谷田川を行く
simple pleasure 2:東京は起伏に満ちている
Across the Street Sounds:春うらら、「川の地図辞典」出版記念ウォーク
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」:「『川の地図辞典』出版記念ウォークとJEDI」

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March 13, 2008

川の地図辞典-3 Jediへの道

JediMapYatagawa.jpg
さて中沢新一のアースダイバーに触発され2005年10月22日から隊長の発案で始めたアースダイビングであるが、最初は東京タワーの足下、芝丸山古墳や代々木八幡の半島や岬状の地形等に縄文人の足跡を辿る等、どちらかと云えばドライなモッコリ地形にフォーカスしていた。埋田或いは海田が地名の起源と云われている低地に生まれ、今は山里の谷間に住んでいる私はウェットな場所に魅かれるのだろうか、二回目のアースダイビング@下北沢の出発地・代々木八幡に集合前に渋谷川の支流・宇田川の更に支流の河骨川跡の春の小川の碑に立ち寄り小田急線に平行する川筋を歩いて、切り通しから八幡宮の杜に入っていった。そのアースダイビング@下北沢に於けるサブテーマであった「都市計画道路補助54号線」の全体を確認した後、特に誰が言うまでもなく北沢川の支流を確認したり、暗渠化された川筋に沿って代沢の森厳寺方面に歩いていることに気付いた。地球の引力に抗うことなく自然と低地に向かっている。その体験が第三回アースダイビング@江戸東京地下水脈の企画へ繋がったことは言うまでもない。謂わば時代の共時性であろうか、図らずもそれは川の地図辞典の出版意図ともシンクロしている。川の地図辞典・腰巻に書かれた『アース・ダイビング〈消えた川・消えた地形歩き〉必携』のキャッチコピーがそれを物語っている。と云うことで次の日曜日は川の地図辞典・出版記念ウォークと懇親会なのだ。どうやら天気が崩れる心配も無いようだ。気の早い染井吉野が見られるか楽しみである。

MADCONNECTION: Earthdiving Archive

Posted by S.Igarashi at 01:12 PM | コメント (4)

January 21, 2008

Earthdriving・番外編-川の地図辞典

図説 江戸・東京の川と水辺の事典」へのわきたさんのコメントから派生したこのアイデア、 運転手・AKi さんまで巻き込んで面白いことになりそうである。と云うことで新たにエントリーを設けることにした。(数値地図に首都高と高速道路だけ表示・クリックで拡大)
参考文献:東京の地理がわかる事典・240頁参照

高島平に住んでいた頃は八王子に車で帰る際(首都高の料金が500円だった時までは)よく首都高を利用していた。五号線から竹橋ジャンクション、三宅坂ジャンクションを経由して四号線に入り、三鷹の料金所から中央高速で八王子までのコースである。未だ免許を取ったばかりで余裕のない頃は運転するだけで目一杯だったが、慣れてくるに従い、身体に受ける加速度が地形の変化から生じていることに気付いた。地図を広げて首都高を見ると江戸東京の失われた河川や堀割、崖線、谷戸等の地形に沿って首都高がトレースされているのが分かる。そして江戸東京から内藤新宿を抜けて西向かって車を走らせると、視界を遮るものが減って、タイムスリップして古代の武蔵野台地を疾走しているような妄想がひろがる。
地上の一般道では、地上を埋め尽くしたビルに視界と地表は遮られ、嘗ての地形を認識することは益々困難になっている。江戸東京の景観を破壊したとされる首都高に、江戸東京の地形が記憶されているのが何とも皮肉である。逆説的に言えば日本橋を巡る景観論争で首都高を撤去することになれば、江戸東京の地形の記憶が永久に失われることにも成りかねないのである。

Posted by S.Igarashi at 07:50 AM

January 17, 2008

川の地図辞典-2 消えた梅田堀

Umedabori3.jpg

と云うことで「川の地図辞典」を手にして最初に調べたことは、私の生まれたバラックの前を流れていた堀割の正式な名称である。だが残念ながら「川の地図辞典」(P380〜P382)には掲載されていなかった。尤も足立区北部、草加市との都県境を流れる毛長川と荒川放水路とに挟まれた低湿地帯に嘗ては数多くの堀割が縦横に設けられ、それらの多くは農業用水路として機能していた事を考えると、無名の堀割もあるだろうし「川の地図辞典」にそれら全てを網羅することは到底無理と考えられる。頭の隅に微かに記憶されていた「梅田堀」をキーワードにGoogleで検索すると位置を特定できる情報が三つ程見つかった。

一つは西新井駅近くの梅田堀親水水路、そして生家に隣接した梅田稲荷神社について書かれた下記の文言。

5丁目9番にある。社殿の左側に禊教の教祖井上正鉄と妻の安西男也の墓が二人の高弟の墓とともに並んでいる。ほかに神社の玉垣に沿ったところに庚申塔と外荒神の2基を祀った庚申堂がある。もと梅田堀の端にあったものを地元の人々がここに安置したもので野仏の保存が図られている。文久元年(1861)九月銘の漱盥石がある。

他に足立区関原に設けられた小公園の記事には当時梅田堀といわれたこの地域に江戸中期に建立された道標や災害設備が設置された。とある。これらの情報から判断して生家の前を流れていた堀は「梅田堀」と呼ばれていた堀割と考えて良いだろう。
先日、梅島に住む母方の従兄弟が母の葬儀に訪れた際、お定まりの昔話に花が咲いたのであるが、祖父の事が話題となり、金融業にも手を広げていた祖父は『西堀の大尽』と言われていたそうである。地元の住民は生家の前の堀を『西堀』とも言っていたらしい。これは「梅田堀」が梅田の西の端、関原との境を流れていたからであろう。因みに梅田の地名の由来は『海田』と『埋田』の二つの説がある。何れにせよ低湿地の地形から名付けられたことに違いない。

上の写真の撮影場所をiPodtouchの空撮写真で見るとGoogleのロゴ付近から北の方向(西新井方面)を写している。右手の緑は梅田稲荷の社務所、鉄骨3階ALCのマンションが母の実家の池があった場所。生家の前の道は梅田堀を暗渠化して歩道を設け、更に車道を広げ、片側一車線の対面交通としたようである。梅田堀上の歩道のポールは嘗ての湿地帯を表徴するものだろうか。写真左手のマンション付近も50年前は溜め池があり、夏はシオカラトンボが池の上を飛んでいた。
追記:上記写真は昨年一月、西新井大師から荒川放水路までアースダイビングした時のモノです。因みにmasaさんが発見したサビオウの前は本木堀が流れていました。

次回「川の地図辞典-3 Jediへの道」へ続く。

Posted by S.Igarashi at 02:49 PM | コメント (12) | トラックバック

January 15, 2008

川の地図辞典-1

川の地図辞典 江戸・東京/23区編
菅原健二・著 之潮・刊(定価3800+税)
ISBN978-4-902695-04-5
カーレースに例えるなら既に周回遅れでピットスタートとなった感があるが、Kai-Wai散策を震源地とする『川の地図辞典』の紹介である。私も何方かと同様、「新宿のジュンク堂+タイトルうろ憶え」であったが、出版社のコレジオ(Collegio)がイタリアの画家コレッジョ(Correggio)に似ていたのが幸いし、それを頼りに優秀な店員さんに探していただき、正月休み明けの1月7日に手に入れることができた。
江戸・東京の川に関する辞典と名の付く書物を読むのは、この『川の地図辞典』が初めてではない。第4回アースダイビング『Take The "A" Tram』の下調べをしている時に大学の図書館から借りた図説 江戸・東京の川と水辺の事典に次いで二度目である。その「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」を出版した柏書房は何と「川好きotoko」さんが「之潮」を始める前に社長を務めていた出版社なのだ。わきたさんが調べたこちらこちらの記事を読むと、どうやら「川好きotoko」さんは自分の納得できる仕事をすべく「之潮」を設立したらしい、そしてその成果の一つが図書館に貸出禁止図書として鎮座されるデスクトップタイプの辞典ではなく、誰でもが手にできるモバイルタイプの『川の地図辞典』なのである。と勝手に解釈して合点した。
追記:著者の菅原健二氏は前述の鈴木理生・編著による「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」と「東京の地理がわかる事典」の共同執筆者の一員であり、鈴木理生氏とは東京都の図書館繋がりであったのだ。合点、合点、合点。

Posted by S.Igarashi at 09:57 AM

June 23, 2007

Google Earthでテムズを川下り

来月初旬までオックスフォードに滞在しているmasaさんのオックスフォード便りに便乗して、Google Earthで蛇行するテムズ川をオックスフォードからロンドンはウェストミンスター・ブリッジまで177.89キロメートルを川下りしてみた。(直線距離約83キロメートル)それで川下りして気付いたのはロンドンの手前に地図には記載されていない多くの遊水池があることだ。こうした遊水池もヒースと同様に都市の余白として重要な役割をしているのだろう。

オックスフォードの駅から南に500m位下った所にある堰と水門を出発地点とした。こうした堰と水門によって川の流れと水位を調節しているのだろう。玉井さんもmasaさんに刺激されて平底舟をエントリーしたぞ。

そして、ゴールはシティの手前ウェストミンスター・ブリッジ。

ピンクフロイドのレコードジャケットで有名な火力発電所「BATTERSEA POWER STATION」の煙突の影の長さを測ったら315mあった。BATTERSEA POWER STATIONは現在再開発中でリノベーション(大規模修復)と云うよりコンバージョン(用途変更)により生まれ変るそうだが、この四本の煙突はすでに撤去されたらしい。
Kai-Wai 散策:オックスフォード便り(6)
さっそく、masaさんが"BATTERSEA POWER STATION"を写真に収めてきた。

BATTERSEA POWER STATIONの川上にフォスター卿の事務所が見える。そういえば初めて見たノーマン・フォスターの作品は都市住宅・住宅第1集(7109)に掲載された入り江に建つコンクリートブロックによる住宅だった。

Posted by S.Igarashi at 08:35 AM | トラックバック

June 21, 2007

その後のアースダイビング@江戸東京地下水脈

昨日午後、原宿駅に降り立ち、表参道のたむらくんの個展に向かう前に、ふと思い立ち一年半前のアースダイビング@江戸東京地下水脈で見た冬景色の谷戸と違って、今の季節なら花菖蒲が咲き乱れている筈だろうと明治神宮まで足を延ばしてみた。
と云うことで、あからさまな晴天下の花菖蒲である。うーむ、これでは梅雨空の下に水の滴る花菖蒲の方が趣があるかも知れぬ。
Doc.Fumanchuが指摘された川瀬 巴水による版画の構図により近い写真もありました。

日差しが強い所為もあるのだろうが、平日午後の明治神宮境内は日本人の数は少なく、目立たない。御苑内で花菖蒲を観賞していた人々は何処へ。


表参道の喧騒と較べると、全く別の国である。こうした若い子らは概ね、中国本土や台湾か韓国からの観光客のようである。大鳥居の前で記念写真を撮っていたコリアンの少年少女達は国に帰ってからどんな土産話をするのだろうか。

Posted by S.Igarashi at 10:16 AM | コメント (2)

April 06, 2007

Earthdiving Map

Googleの新しいサービス「マイマップ」を利用して早速「第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅」のルートマップを作成してみた。試作なので非公開ですがリンクは付けてあります。とりあえず打上を行なった「博多鉄鍋餃子なかよし」だけはマーキングしてあります。

Posted by S.Igarashi at 06:56 PM | トラックバック

April 02, 2007

花咲くコモンズの庭へ

一昨日、アースダイビングで訪れた阿佐ケ谷住宅コモンズの庭に花韮が群生していた。そこには花見客でにぎわう善福寺川の桜とは対照的に静かな時が流れていた。

Posted by S.Igarashi at 08:46 AM | コメント (2)

April 01, 2007

第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅 報告

と云うことで昨日、善福寺川・調査ミニダイブから数えて5ヶ月が経ちましたが参加者21名で第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅を無事に実行することができました。気になる天気もどうにか持ちこたえ、桜の花の下を方南町から阿佐ケ谷住宅まで善福寺川沿いに約4.2キロを3時間半近く掛けて散策し、途中でkawaさんから提供された善福寺川今昔を伝える写真撮影の場所も確認、時代による大都市郊外の変貌を改めて実感した次第であります。参加者の皆様お疲れさまでした。
Kai-Wai 散策:第五回アースダイビング (珍編)
aki's STOCKTAKING:第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅
af_blog:花曇り@第五回アースダイビング大会
Roc写真箱:5th Earth diving
秋葉OLの楽しみ探し : ぜんぷくじ川周辺
N的画譚 : トタン系溶接加工工場
ONE DAY :第五回 アースダイビング<善福寺川+阿佐ケ谷住宅>その1
ONE DAY :第五回 アースダイビング<善福寺川+阿佐ヶ谷住宅>その2
東京クリップ: 善福寺川を歩く
MyPlace:「第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅」
simple pleasure:桜・さくら・SAKURA
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」:
第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その1)-川の『原地形』-
第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その2)-潰された『クボ』-
第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その3)-阿佐ヶ谷住宅-
う・らくん家:アースダイビング

Posted by S.Igarashi at 07:36 AM | コメント (14) | トラックバック

March 31, 2007

善福寺川今昔

zenpukujigawa-5.jpg
写真1(+)
kawaさんから1960年代初頭の善福寺川流域の様子を伝える貴重な写真を送って戴きました。この頃は未だ橋も木造でしたね。
追記:と云うことでkawaさん立会いの元、現地で撮影場所を確認しました。


写真2
いいですねぇ〜長閑ですねぇ。兄弟揃って、お父さんと一緒に散歩するのが楽しくてしょうがない様子が伝わってきますね。(と、勝手に妄想してますが、、)3人とも長靴を履いてるのが良いですね。
善福寺川も未だ護岸工事されてなく川底も浅いことが良く解りますね。
写真に添えられたkawaさんのメールを紹介させて戴きます。

私が小さい頃には、川沿いがずっと河岸段丘になっていて、土手からすぐは、畑や田んぼ、学校のグランド、公園や釣り堀、養豚や資材置き場、廃品回収の置き場になっていました。
もう一段上がった所から住宅が並んでいました。
松の木の縄文遺跡、縦穴式住居も川からは一段あがった丘の上にあります。
田んぼを埋めて、川沿いに建て売り住宅が並びだした時には、こんな所に建てていいのかなと子供心に思いました。
少し大人になって、人口が増えるばかりの時には川沿いに家が建つのも仕様がないと思いました。
しかし、これから人が減る事を考えれば、土手の外も何年かに一度ぐらい川があふれてもいい公園等にしておくのも出来ない話ではないと思い始めました。
区は住宅の並んだ私有地を買い上げて低いグランドやテニスコートを作って増水時に備えているようです。
何年かに一度あふれてもいいと考えれば、コンクリートの土手以外のもっと素敵なウォーターフロントの可能性も出て来ると思います。


撮影場所(クリックで拡大)
写真1は大松橋に立つ3人の子を撮ったもの。
写真2は大松橋下流の善福寺川左岸から川下を撮った写真

下の写真は昨日その「写真2」の撮影場所を検証しているところです。風景は昔とすっかり様変わりしていました。そんな訳で往時を振り返って記念の再現写真を撮りました。


Posted by S.Igarashi at 11:04 PM | コメント (4)

March 25, 2007

善福寺川のソーラーキャット

SOLAR-CAT.jpg

護岸の間知石積みの凹みに猫がちょこんと座ってる、まるで炬燵に入っているようだ。
既に日は落ちてしまったが、日中蓄熱された石はこの時間でも未だ暖かいのだろうか。

Posted by S.Igarashi at 09:30 AM | コメント (2) | トラックバック

March 20, 2007

第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅

アナウンスだけで日程が決まっていなかった「第五回アースダイビング・善福寺川と阿佐ケ谷住宅の50年を探る。」+「花見付き」を3月31日午後に開催します。集合地点は地下鉄丸ノ内線・方南町駅、目的地は阿佐ケ谷住宅です。集合時間等のタイムスケジュール等が確定しましたら当ブログにて告知する他、前回参加者の皆様にメール致します。
これが阿佐ケ谷住宅を見る最後の機会かも知れません。散りゆく桜花を愛でながら1950年代のモダニズムに想いをはせるアースダイビングとなりそうです。
追記・更新:アバウトなタイムテーブル等を追加しました。

5th Earth diving. 『善福寺川と阿佐ケ谷住宅の50年を探る。』 

 今回のルートは神田川水系の善福寺川を方南町から南阿佐ケ谷の阿佐ケ谷住宅までです。ゴール地点の阿佐ケ谷住宅は昭和33年(1958)に竣工した日本住宅公団による分譲住宅の団地です。今から約50年前の昭和33年当時の地形図(P-6)を読むと台地部分は宅地化されていますが善福寺川流域には多くの水田が残されていた事が解ります。阿佐ケ谷住宅はそれらの水田を埋め立て宅地造成して建設された住宅公団による団地の一つです。現在の善福寺川流域には既に水田もなく護岸も整備され川底が深く渓谷化されています。それは川底の浅かった善福寺川の流域に沿って窪田が広がっていた嘗ての風景とは異なるものでしょう。昭和22年の航空写真(P-7)を見ても解る通り、当時既に武蔵野台地の薪炭林である雑木林や田畑の殆どは失われ宅地化されています。右のGoogleEarthの航空写真に見られる善福寺川流域の緑地は嘗て水田だった場所を埋め立て整備して緑地化されたものです。これらは古くからある大宮八幡宮と戦前から整備された和田堀公園を除いては未だ50年経っていないものです。逆に言えば50年あれば森を造る事が可能であることを示しています。また嘗ての窪田は豪雨の氾濫に対し調節池の役割も担っていました。今日の様に川幅ぎりぎりに宅地化された河川は豪雨に対する抵抗力を失い、新たな都市水害を招いています。そうした都市水害に備え流域の緑地では運動公園を兼ねた調節池の整備が現在進行中です。それが可能なのは善福寺川流域の元農地を私有地のままに置かず、行政が長年に亘り共有地として確保してきたからでしょう。理想的には英国の様に都市の余白としてヒースを残す事かも知れません。今回のダイビングは阿佐ケ谷住宅と重ね合わせ『コモンの思想』を考えてみる機会になればと思います。因みに善福寺川ではアースダイビングのシンボルである水鳥「カイツブリ」が出迎えます。


・日時 2007年3月31日(土曜)PM1:00〜PM6:00
・内容 距離:約4.2km
・PM1:00〜 方南町に集合し堀之内橋から善福寺川流域を散策
・PM2:00〜 杉並区立郷土資料館見学(入場料¥100)
・PM2:45〜 大宮八幡宮と和田堀公園を散策(休憩)
・PM3:45〜 花見がてら善福寺川を阿佐ケ谷住宅まで散策
・PM4:30〜 阿佐ケ谷住宅及びにトタンギャラリーを見学
   公団阿佐ケ谷住宅・テラスハウス25号棟
・PM6:00〜 阿佐ケ谷界隈にて打上・反省会(場所未定)

・集合場所
2007年3月31日PM1:00
地下鉄丸ノ内線・方南町駅西改札を出る
地下鉄出口1(地上・方南町交差点角)
環状七号線・方南町交差点・北西側角にて。

・参考時刻表(ジョルダン・乗換案内調べ)
・新宿発12:46荻窪行・中野坂上乗換
 方南町12:57着
・荻窪発12:37池袋行・中野坂上乗換
 方南町12:57着
※中野坂上で乗換に注意!
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以上、資料等のダウンロード方法については別途メールにして連絡します。

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March 15, 2007

普通な小屋

昭和の置き忘れのような何の変哲もない普通な小屋である。周りの風景が変わり、唯一件ぽつねんと残っていると特異な存在に見えてくるから、まぁ人間も勝手である。(杉並区堀ノ内にて、、)
追記:第五回アースダイビングの当日、読書家であるじんた堂さんがゲルンジー駐車場の看板からここが牧場の跡地であったことを看破したのであった。

Posted by S.Igarashi at 01:53 AM | コメント (1) | トラックバック

March 11, 2007

木造四階建?

昨日、打合せで杉並校舎に行ったついでに、31日の為の調査ダイブとして方南町から阿佐ケ谷住宅まで歩きました。昨年の10月28日に一度 善福寺川・調査ミニダイブは済ませていますが、調査に漏れた箇所と地下鉄・方南町駅からのルートを確認する為です。そして前回立ち寄らなかった杉並区立郷土博物館で資料の収集、大宮八幡宮ではアースダイビングの無事を願っての神頼みです。と云うことで左の写真は善福寺川の緑地に面した木造四階建?の建物ですが、実際は鉄骨で補強した木造三階+地下一階(擁壁部分を利用)でしょうか。それにしても恐れを知らぬ三階部分のオーバーハングです。

Posted by S.Igarashi at 02:16 AM | コメント (2) | トラックバック

January 12, 2007

千住新橋・遠望

川下に向かって千住新橋を遠望する、まさに荒川しずかな風景である。右岸には北千住の高層ビル群が、千住新橋の向こう側に見えるのは小菅の拘置所である。伝え聞くところによると千住新橋のたもとに捨てられていた私を育ててくれたのが戸籍上の両親と云うことである。その育ての親は何かに付け、悪さをすると感化院や小菅の拘置所に連れて行かれるぞと理不尽にも幼い私をよく脅していた。足立九中に隣接する区立図書館で「小公子」「小公女」「家なき子」「母を訪ねて三千里」等の少年少女名作全集を読み漁っていた私はいつの時か実の親が執事を従え迎えにくることを夢想していた。事実が明された時にはは育ての親に御礼するよう実の親に頼んであげよう、いぢめられたと言いつけ恩を仇で返すようなことは止めよう。そう心に誓っていたのだが、一向に実の親が迎えに表れる気配もなく、今日に至ってしまった。人によれば私は育ての親に似ているらしい、犬や猫が飼い主に似ると云う話しは聞くけれど、、、まさか。

と云うことで先日の午後、略50年ぶりに西新井大師に詣で、あのサビオウの前を通り、一年間だけ通った亀田小学校に立ち寄り、嘗ての通学路を自分の生地まで辿り、その隣りの遍照院で祖父母と伯父伯母の墓前に参り、それからバス通りを荒川放水路までアースダイビングしたのであった。
(上図は先日のダイビング・ルートと子供の時の行動範囲である。)詳細は後日エントリー予定。

Posted by S.Igarashi at 10:58 AM | コメント (8) | トラックバック

January 03, 2007

吉原と佃

左の図は吉原の大門のエントリーに使った14年前に描いた方位図のMiniCadのファイルをPICT形式で保存してあったので、VecterWorksで開きフォント形式を直してEPS形式で保存、それをAdobe Illustrator CS2で開いてPhotoShopのEPS形式に直してからJEPGにて保存。なんて七面倒くさいことをしていたら、もしかすると「吉原御免状」のヒントになったのは佃島じゃないのかと、ふと妄想が膨らんできた。佃島の経緯については東京都の都史紀要「佃島と白魚漁業」に詳しく記されている通り、家康が摂州佃村の漁民に与えた「お墨付き」によって江戸前での白魚漁の漁業権を得たものである。これも表向きは漁民だが特殊な能力を持った一団とする説もある。吉原も佃も現在の場所に定着するまでは日本橋界隈で営業、その後は幕府の庇護の元、人工的な廓や島に移住している。吉原と佃の違いは方位にある。吉原は江戸城の丑寅の鬼門に位置し、は辰巳の吉相に位置している。どちらもミニダイブしているだけに、たんなる妄想による思いつきかも知れないが江戸の異界としての共通点が気になる。因みに吉原のモデルとなった京都島原大門は東向きである。

Posted by S.Igarashi at 03:22 PM | コメント (6)

December 24, 2006

吉原御免状ミニダイブ

Yoshiwara07.jpg

と云う事で昨日は午後一時、竜泉の一葉記念館に集合して「吉原御免状ミニダイブ」となりました。黒幕二名は急遽不参加となり、主犯の私、共犯のmasaさん、御目付の長老・吉松さん、若頭のfuRuさん、カークさんの五名によるダイブです。吉原御免状を読むまでは艶笑落語くらいでしか吉原について知ることがなかったけれど、実際に曲輪跡を巡ってみると、この屋上工作物の如く、やはり吉原は異界であった。(12/26更新)

Yoshiwara02.jpg

お歯黒ドブ跡の緑地帯に立つmasaさんの大笑いの原因はこれです。普通の通行人から、さぞかし異様な集団に見えた事でしょうね。右手交差点の先が京町二丁目、東南側の廓(曲輪=堀割)に面した河岸が羅生門河岸と呼ばれていた。
これが昨日歩いたルート、人間GPSに付き、途中でメモリーエラーを起こしている恐れがあります。
お歯黒ドブより路地越しに江戸町一丁目を見る。左手が「はとバス」の夜のツアーの花魁ショーで有名だった松葉屋の跡地に建つマンション。吉原御免状の西田屋の裏口はこの辺りであろうか。因みに全日本特殊浴場協会連合会の事務所がこのマンション内に事務所を構えているのも何かの因縁だろうか。


Posted by S.Igarashi at 02:34 PM | コメント (10)

December 16, 2006

善福寺川ミニダイブ+阿佐ケ谷住宅

先日のTOTAN GALLERY の午後から、一挙に盛り上がりを見せている次回アースダイビングへの期待ですが、前半の善福寺川ミニダイブについては、既に10月28日に善福寺川・調査ミニダイブを済ませております。ルートは上図の通り、地下鉄丸ノ内線方南町駅から出発して善福寺川沿いに約4.2キロを阿佐ケ谷住宅までダイビングするというもので、後は日程の調整ですかね。

Posted by S.Igarashi at 02:00 AM | コメント (6)

November 24, 2006

川向こうで初体験

隅田川を渡り最終地点の向島「とも」に到着、Take The "A" Tramも無事終了、これからもんじゃで打上というところです。
てことで心配された天候も雨も降らず、なんとか第4回アースダイビング・全行程を歩き通しました。今回のダイビングの動機付は図説 江戸・東京の川と水辺の事典のエントリーに書いた様に、石神井川と荒川の河川争奪戦による地形の変形にありますが、それ以上に王子の堰で分流した音無川の下流、つまり吉原界隈も気になっていました。masaさんと下見に行ったとき日本堤の大林でウーロン茶とビールを酌み交わしながら、打上を向島の"とも"にしようと云うmasaさんの提案に即決。老年探偵団の脚力を考えると向島まで歩くのは無理かなと、電車で行く案も考えたが、GoogleEarthで三ノ輪から向島まで測ると3.2km程の距離、これなら歩くのに問題ないと、3rd-Stageを追加、それに呼応するかのように玉井さんが吉原御免状をエントリー、俄に吉原界隈に関心が集まり始めた次第です。そんな訳でダイビングまでに読了するつもりだった「吉原御免状」先ほど読み終えました。やー面白かったな。さて次は「かくれさと苦界行」だ。

そう、私を含めて殆どのメンバーがもんじゃ初体験でしたが、そう云えば、唯一人、もんじゃから操を守ったお方がいましたね。因みに私は柚子サワーが気に入りました。皆様どーもお疲れさまでした。
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江戸、明治.大正.昭和の台東区を紹介するサイトを見つけました。土手通り吉原大門三ノ輪等の古い写真などもあります。(吉原土手は馬肉屋が並んでいて、毎晩、店は客で一杯で、それこそ大変なにぎわいでした。とある。)
江戸時代の台東区
台東区の明治.大正.昭和
三ノ輪周辺地図・昭和16年
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続々と参加者のブログが更新されます。
Kai-Wai 散策: 第4回アースダイビング
aki's STOCKTAKING: 勤労感謝の日のアースダイビング
MyPlace: 第四回アースダイビング:王子の玉子・むこうじまのもんじゃ-1
af_blog: 4th Earth (half) Diving
N的画譚 ほそーい階段
Roc写真箱 : 4th.Earth Diving@Take The"A"Tram
Roc写真箱 : 王子の茶屋(Tea Houses at Ogee Yedo)
ONE DAY : 上海の途中ではありますが...<アースダイビングに参加しました!>@日本
一年三六五枚 : すてる神、ひろう神
LOVEGARDEN : ポインセチア
気分は3knot:アースダイビング
kaoru photo...2: 漕ぎだそう、縄文へ(11/25)
東京クリップ: アースダイビング(片側町を行く)
秋谷日記
simple pleasure: 子連れダイブはさわりだけ

Posted by S.Igarashi at 10:56 AM | コメント (19) | トラックバック

November 22, 2006

アースダイビングは妄想力

明日のダイブの最終地点・向島で「もんじゃ」を食すことになっているが、私もaki隊長もこの「もんじゃ」を食したことがない。妄想力を膨らますと荒川下流域の低湿地帯を歩いた後の打上に、これほど相応しい食べ物はないように思える。

月島界隈の駄菓子屋が起源とされるこの食べ物、まるで海進期が終わり水が引いた後の江戸東京デルタ地帯を表徴しているようである。漂流物で土手を造り、水が引け地面が現れたところをヘラで刮げ取り食す。粉系食べ物の中でもこれほど水分を多量に含んだものはない、形が崩れ原形も定かにあらず得体も知れない大洪水の後の森羅万象でさえもを食べてしまう下町の餓鬼共の逞しさを見習おう。

Posted by S.Igarashi at 11:02 AM | コメント (9)

November 12, 2006

Take The "A" Tram

ed04_map_s.jpg
[+]

このmasaさん提供の凸凹地図が「アースダイビングはトラムに乗って」の全行程です。都電荒川線(赤)三ノ輪橋駅からは徒歩(黄)で土手通りを下り隅田川を渡り、ゴール地点の向島まで行きます。

第四回「アースダイビングはトラムに乗って」
 今回のアースダイビングは江戸・東京を構成する武蔵野台地と荒川水系下流域である低湿地帯の二つの異質な地形を走る都電荒川線を利用し、その中間地点でもあり、二つの地形の結接点である王子・飛鳥山・音無川流域を集中的にダイブした後、音無川が山谷堀となって隅田川に注ぎ込んでいた川口跡を確認して川向こうの向島に渡ります。
 音無川は石神井川と荒川(隅田川)との間で繰り広げられた河川争奪戦により生まれた比較的歴史の浅い河川です。この音無川誕生の経緯には自然説と人工説の二つがあり、これも学者の間で決着が付いてない様です。
 また、王子・飛鳥山には歴史上二人の人物が大きく関わっています。一人はこの地を江戸の娯楽観光地とした紀州徳川家出身の徳川吉宗、もう一人は大蔵省、第一国立銀行を経て実業家となった埼玉県深谷出身の渋沢栄一です。
 これらのキーワードから妄想を膨らませればアースダイビングは100倍楽しくなるでしょう。

今回はあの吉原大門の前も通ります。タイミング良く、玉井さんが本日吉原御免状をエントリーしています。私もMAD Press 1993/7/31に書いた阿呆臭い雑文吉原の大門をエントリーしてました。

・日時 2006年11月23日(祭日)AM11:30〜PM9:00(26日はタイプミスによる間違いでした。m(__)m)
・内容
Prologue  都電荒川線にて早稲田から飛鳥山までの小旅行
1st-Stage 飛鳥山博物館から音無川流域を散策
2nd-Stage 北とぴあから武蔵野台地東端の崖線沿いを散策
3rd-Stage 三ノ輪橋から音無川下流を隅田川まで散策
Epilogue  向島・もんじゃ焼き「とも」にて打ち上げ、宴会。(会費4000円・飲み物代込み)
宴会参加希望者は11月20日までに連絡下さい。
        
・集合場所
11:30 (1)都電荒川線・早稲田駅 (11:34始発に乗車)
12:00 (2)飛鳥山博物館1階ロビー (12:30第一部開始)
14:00 (3)北とぴあ17階展望室 (14:30第二部開始)

今回、集合する場所を三ヶ所設定しました。江戸東京の地形を体感するにはフルコース参加が最良ですが、途中から参加する方や遅れた方は都合の良い集合場所から合流して下さい。或いは配布資料のダイビングルートを参考にして追い付いて下さっても構いません。
尚、東京都地質調査業協会の技術ノートNo.29「東京のまちなみ」に掲載の「都電荒川線沿線のあゆみ」も今回のアースダイビングに最適の資料です。

既に参加表明されている方には配布資料のダウンロード方法と宴会参加希望の有無についてメールで連絡致します。

参加を希望される方はこちらのコメント欄に書き込むか、こちらにメールして下さい。
尚、勤続疲労の所為か当方ブログコメント欄のレスポンスが悪くなっています。時折、書込しても空白の場合もありますが、サーバーにはコメントが残っていますのでそのままにしてくだされば、後ほど手作業でリビルドしてブログコメント欄に反映するように致します。

Posted by S.Igarashi at 12:06 PM | トラックバック

November 07, 2006

音無川下流

minowa-otonashi3a.jpg

三ノ輪二丁目を流れていた音無川下流(現・暗渠)に立ちカメラを構えているmasaさんとその被写体になっているのは、職人の住いらしく手入れの行き届いた押縁下見板張りの石屋(基礎部分に注目)。この周辺地図の区界が川の跡になっている。音無川は浄閑寺の前で、そのまま辰巳の方向に下り土手通り沿いの山谷堀に流れる川筋と、南千住の南端区界を東に流れ白鬚橋付近で隅田川に流れる思川(別名:駒洗川)とに分流された。因みに泪橋はその思川に架かる橋の名であった。分流地点付近には、こんな謎の二列の道路横断マンホールがある。ところで、今朝の東京新聞のコラムであるが、三ノ輪で生まれた天才アラーキこと荒木経惟氏は浄閑寺の境内でこんなことをしていたそうだ。うーん、「栴檀は双葉より芳し」か、なんのこっちゃ。

Posted by S.Igarashi at 01:43 PM | コメント (2)

October 29, 2006

善福寺川・調査ミニダイブ

と云う事で昨日はこのコメントの通り、善福寺川の調査ミニダイブしてきた。スタート地点は上図右上の丸ノ内線・東高円寺駅、ゴール地点は阿佐ケ谷テラスハウスだ。ゴールでmasaさんと落ち合う予定で、先ずは蚕糸の森公園を通り抜けて環七に出る。妙法寺入り口の信号で環七を横断して、妙法寺の前を通り荒玉水道通りに出る。この道は青梅街道から善福寺川に向かって緩やかに下ってゆく。そして済美橋から善福寺川沿いの遊歩道を歩き調査ミニダイブの開始だ。歩き始めて感じたのは、善福寺川流域の自然と緑を守ろうとする行政の意志である。流域の空き地やぽつねんと取り残された廃屋に、既存の公園や緑地帯を更に拡幅整備して善福寺川流域をグリーンベルトにする構想が読み取れる。杉並区21世紀ビジョン・答申書を読むと、その目標の1に「水辺をよみがえらせ、みどりのまちをつくろう」とある。全体構想が実を結ぶまでは長い年月が掛かるであろうが、未来の人々に共有の場所としての緑の流域を残せたら素晴らしいことだろう。
反省:帰宅してからもう一度地図を見て気付いたが、スタート地点は丸ノ内線・方南町駅(上図右下のGoogle)にした方が良さそうだ。因みに方南町から阿佐ケ谷テラスハウスまでのルートでは約4.19キロの距離で歩きが一時間+道草ロスタイムでミニダイブに適した距離だろう。

GoogleEarthでは建造物が撤去された跡があり、緑地は整備されてないが、現在は緑地となっている。なだらかな起伏が嘗ての地形を彷彿させる。( 35°41'19.00"N 139°38'40.97"E)
対岸上流の川べりに建つ廃屋( 35°41'12.78"N 139°38'40.26"E)の周辺は空き地(原っぱ)となっている。


和田堀公園( 35°41'4.70"N 139°38'24.27"E)の池の周囲は鬱蒼とした緑に囲まれている。


和田堀公園付近の善福寺川、左手は大宮八幡宮の森、鬱蒼とした緑は想像以上であった。現在はシートパイルと間知石積みの護岸工事がされている。水害対策と親水性、相矛盾する目標も、流域に運動公園に転用可能な多目的な調整池を整備するなどして両立させられるような気もする。


明治13年(1880)の善福寺川流域、公団・阿佐ケ谷住宅の敷地は水田であった。水田や畑の他に杉林や楢(ナラ)の森や林が多い。


大正10年(1921)の善福寺川流域。未だこの時代は、中央線の中野駅と荻窪駅の間に駅はなかった。集落は街道沿いにある程度。


昭和30年(1955)の善福寺川流域。中央線沿線から青梅街道沿いに市街地化が進んでいるが、まだ公団・阿佐ケ谷住宅の敷地は水田であった。



東京都遺跡地図情報インターネット提供サービスにある遺跡地図は生憎とこの善福寺川流域が継ぎ目となっていたので遺跡地図四枚分を貼り合わせ善福寺川流域だけを切り抜いた。尚、遺跡名称等は杉並区-遺跡一覧を参照。
ダイブ中に怪しいと思っていた済美橋南側の小高い丘は済美台遺跡(No.62)だった。
因みに公団・阿佐ケ谷住宅の敷地は低地(水田)なので、当然遺跡はみられないが善福寺川対岸の台地縁辺には縄文集落の熊野神社遺跡(No.62)がある。

数値地図データによる善福寺川流域の地形図。公団・阿佐ケ谷住宅付近の海抜が38m、青梅街道・南阿佐ケ谷駅付近が海抜44mである。


Posted by S.Igarashi at 09:55 AM | コメント (5)

October 17, 2006

アースダイビングはトラムに乗って

「第三回アースダイビング@江戸東京地下水脈」から随分と時が流れましたが、そろそろ行動しなければと「第四回」の企画を考えました。題して『アースダイビングはトラムに乗って』。実は春先に考えていた企画で、実行に移す機会を逸してましたが。日程を調整して晩秋の11月23日に開催すべく目下資料等準備中、取り敢ずは開催の告知です。今回のポイントは図説 江戸・東京の川と水辺の事典で触れた「音無川(滝野川)の謎」等、武蔵野台地とデルタ地帯を結ぶ点と線をダイブ。

音無(おとなし)川: 石神井用水とも呼ばれた。石神井川を北区飛鳥山の北側で堰き止めたダムから分流されて東南に流れ、1R京浜東北線に沿って田端、日暮里、根岸と流れ、荒川区と台東区の境を蛇行し、三ノ輪、日本堤(にほんづつみ)、山谷堀(さんやぼり)を経て隅田川に注ぐ農業用水だった。

音無川の由来は熊野信仰にあったようです。王子、飛鳥山の地名もそのようですね。熊野本宮大社旧社地・大斎原

参考資料:東京の原風景川添登・著、ちくま学芸文庫
田園都市、庭園都市としての江戸・東京を解読、嘗て王子、飛鳥山は吉宗の意向もあり江戸近郊のレクリエーション・エリアとして位置づけられていた。

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October 09, 2006

図説 江戸・東京の川と水辺の事典

図説 江戸・東京の川と水辺の事典 鈴木 理生 (著)
事典とあるように江戸の川・東京の川の著者・鈴木 理生氏による研究の集大成である。書名の事典故に貸出禁止図書の指定がされていたが「そこをなんとか、m(__)m」と図書館司書にお願いして1週間だけ借りてきた。わきたさんが「東京の元・湿地帯をダイブする(その3)」の中で「江戸の川・東京の川」を取り上げていたので『出版されてから30年近く経っているので、、、云々』とコメントしたところ本書の存在を知らせて戴いた。Amazonで「江戸の川・東京の川」を買っているので、その後Amazonから本書の案内が来たと思うが値段が張る故に無視していたような気もする。

と云うことで「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」を借りてきたのは出版されてから30年近く経った『江戸の川 東京の川』に於ける仮説的論考の、その後の研究成果を知りたかったのである。それは本来の石神井川が飛鳥山手前で右手に折れ谷田川(藍染川)と名称を変え不忍池に流れていたのであるが、或る時代から武蔵野台地東端の上野台地を切り裂き隅田川に注ぎ込むようになったのであるが。鈴木理生氏は『江戸の川 東京の川』に於いてはこの様に仮説を断言していた。

さきに渓谷状の石神井川が王子に抜ける形が異例だといったのは、河流がつくる谷の形は徐々に谷幅をひろげる形で発達するのが普通である。滝野川の王子側のわずか一キロたらずの渓谷地形を、自然現象の結果だとしたならば、この部分の地盤だけが局地的に隆起したという理由だけしか考えられない。
、、、中略、、、
正史の『吾妻鏡』には滝野川という地名はでてこない。滝野川が地名として扱われるのは、前述のように頼朝上陸の時点より約一世紀後に成立した『源平盛衰記』以後のことである。
以上のことから、私は石神井川が現在のように石神井川と谷田川に分断されたのは、人為的なものだと断定したい。
と述べている。

それが「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」では人為的な土木工事説を捨ててないが、自然現象説の可能性についても述べられている。

最近の東京における自然地理(地形学)の調査・研究の結果では、幾度かあった海進期の海の波の浸蝕力は非常に強く、この辺りの武蔵野台地の海に面した場所は「1000年間に250メートルも削られた」という見解も発表されている。
(『駿台史学』第98号・1996年9月刊の中の(研究ノート)「武蔵野台地東部(本郷台) における石神井川の流路変遷」、筆者は中野守久・増渕和夫・杉原重夫の三氏)
 この研究の結論は、谷田川〜不忍池方向に流れていた石神井川が、「縄文海進最盛期に本郷台の崖端浸蝕に起因した河川争奪を起こし、流路を変更して台地から東京低地へと急勾配で流下した。流路を奪われた谷田川の上流部では沼沢地となり滝野川泥炭層を河床に堆積させ一方、王子方向へと流出した新たな河流は河床を深く掘りこんで峡谷状となり、現在の流路を取るに至った。」とする。つまり、海側からの浸蝕と石神井川側からの双方の浸蝕力で、壁状になった台地の緑(ふち)が崩壊して石神井川が海側に流れ出したというのである。

鈴木理生氏による人為による河流の変更説の根拠となっているのは以下の項目による。
1)滝野川の地名発生の時期
歴史上のことでいえば、鎌倉幕府の正史といわれた『吾妻鏡』の治承四(1180)年十月四日の条(くだり)の解釈に、源頼朝が「隅田宿」から「長井渡」を経て武蔵に最初に上陸した場所として、この石神井川流域の滝野川付近が推定されている。それから約百年後の十三世紀後半に成立したといわれる『源平盛衰記』には、源頼朝の上陸地点を「武蔵国豊島の上、滝野河、松橋」とあるのが文字で見られる限りの最古の例である。

近くの王子神社(王子権現)の起源によると「創立は、この地の領主・豊島氏の紀州熊野権現よりの勧請と伝えらる(元亨二年、1322)。王子村は古くは岸村といったが、紀州熊野三所若一王子が勧請され、若一王子宮(わかいちおうじしゃ)と称した事から、王子村と改められた。」とされている。

2)鎌倉古道の位置づけ

また鎌倉時代の軍用道路(鎌倉古道のうちの「中の道」が後北条時代に受けつがれ、それが江戸時代になると岩槻道(いわつきみち)、別名日光御成道=本郷通りから岩淵(北区)〜川口 (川口市) とつづく道も現在の石神井川を跨ぐ形でつけられている。
 しかし本来の岩槻道は石神井川を跨がずに、台地の縁沿いに通っていたと考えた方が、軍用道路の路線設定の条件を考えた場合、より自然である。
 この点から、あるいは岩槻道が成立した後に、自然的または人為的に石神井川の流路が変わったとも推察できる。
 現地に立てば分かるように岩槻道と今の石神井川との交差の有様は、各時代の状況に応じた社会と川の関係を偲ばせるものが多い。

これらの理由だけで実証もなく人為的な土木工事説と断定するのは難しいと思われるが、江戸時代の土木工事で本郷台地に切り開かれた仙台堀(御茶ノ水・神田川)に架かる聖橋と、滝野川に架かる音無橋がよく似た意匠のアーチ橋と云うのも興味深い。

追記:江戸時代と明治時代の飛鳥山周辺の地図と古墳時代の遺跡分布地図
edoasukayama.jpg
岩槻道が飛鳥山に添って一旦下り谷底で石神井川を渡り、再び武蔵野台地に登っている。
石神井川は谷底で流れが二つに分かれ隅田川に向かう流れと、武蔵野台地の旧海岸線に沿った流れとなる。(この下流は日本堤に流れ、山谷堀から隅田川に注いでいる。)
江戸・東京の地図と景観(正井泰夫・著)より引用。

meiji13asukayama.jpg
明治13年。

kitakuiseki.jpg

王子権現のある場所(半島、岬)は19の十条台遺跡群とされ、縄文、弥生の住居跡はあるが古墳はない。赤丸22は王子稲荷裏古墳、赤丸24は四本木(よもとぎ)稲荷古墳、これも地霊信仰の一つである稲荷が古墳跡にある典型だろう。飛鳥山には赤丸46の飛鳥山古墳群が見られる。中里と西ヶ原に貝塚が見られるのは縄文海進期の海岸線が京浜東北線に沿っていたのであろう。
東京都遺跡地図情報インターネット提供サービスによる北区-遺跡一覧より引用。

Posted by S.Igarashi at 10:30 PM | コメント (11)

May 25, 2006

馬、絹の道を行く

先月の「コストコ & 馬 TOUR」のルーツを調べるべく絹の道資料館に行ってきた。まぁ、多摩ニュータウンに行ったついでなのですが、、、これを見ると八王子から峠を越えて原町田辺りまで来ると、、、馬丁も馬も草臥れて休息が必要だったことでしょうね。それでも、言うことをきかなくなった馬は、、、

Posted by S.Igarashi at 10:13 AM

May 24, 2006

多摩丘陵の旧陸軍施設

パルテノン多摩の歴史ミュージアムで見た多摩丘陵の軍事施設跡をGoogleMapで調べてみた。戦車道路はコストコの向かい側、ニュータウン南大沢地区と町田市(旧境村)との境界の尾根道にあったようだ。そして戦車の操車場は現在米軍の通信施設がある場所だろう。ニュータウンの東の外れには多摩弾薬庫がある。相模原の米陸軍総合補給廠も嘗ての旧陸軍施設、そして多摩丘陵の上空はアメリカの空、日本の主権が及ばない空域である。今日も、また南大沢の首都大学東京の真上を横田基地に向かう米軍機が飛んでいる。

Posted by S.Igarashi at 12:32 AM | コメント (5)

May 21, 2006

多摩ニュータウン

地形が新都市の骨格を形成している見本のような多摩ニュータウンです。北側に位置する谷道の幹線道路(多摩ニュータウン通り)と、南側に位置する多摩丘陵の稜線を走る尾根幹線道、その間を繋ぐ枝線道路は谷戸に設けられているのが地形図から読み取れます。丘陵の上は宅地造成され住宅団地が建設されているので等高線の間隔が緩くなっているのが解ります。地形図中央の等高線が密な場所は府中カントリークラブです。ここはニュータウン建設前の地形が略残されている場所でしょう。枝線道路が走る谷戸には丘の上の団地を結ぶ歩行者道路の陸橋が設けられ、高低差の解消と車と歩行者分離が計られているようです。何れにせよ立体交差とカーブした道路、均質な街区によるものか初めて車でニュータウンに入ると多少迷いますが、しかし横浜の港北ニュータウン程ではありません、それは多摩ニュータウンの方が都市の骨格が解りやすいからかも知れません。

と云うことで、昨日はわきたさんに同行して多摩ニュータウンを車による手抜きミニダイブでした。パルテノン多摩の歴史ミュージアムで待ち合わせし、尾根道から永山地区、多摩市百草の稲荷塚古墳、南大沢地区の欠陥高層住宅の建替え工事を横目でみて鑓水の絹の道資料館、ここまで来たついでに八王子みなみ野シティまで足を延ばし、この国の住宅行政の40年間に亘る変遷を無謀にもたった半日で俯瞰してみました。
参考サイト
都市環境デザイン会議と云う組織がありますが活動が盛んなのは下記の関西ブロックのようです。
都市環境デザイン会議・関西ブロック
実際に多摩ニュータウンの開発に携った上野泰氏のセミナーの記録があります。
都市環境デザインセミナー・ニュータウンを超えて

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April 05, 2006

風景殺し・記憶殺し

Kai-Wai 散策: 高田残景を見て、同じようなことが多摩地区でも起きていると思いGoogleMapで調べてみた。衛星写真の下部中央はJR橋本駅、境川は東京都町田市と神奈川県相模原市の都県境を流れる中小河川である。地図を見ると直ぐに解るが橋本付近から下流は河川改修が済んで河川は直線化し、河川を挟んで行政区域に飛び地現象が起きている。一方の上流側は地形に沿って蛇行しており、流域には深い緑が残されている。こうした河川改修が治水の為に行なわれているのか、区画整理と同じ土地利用の為に行なわれているのか疑問である。何れにせよ、躊躇いもなく自然風景を破壊するのは知恵がなさすぎる気がしてならない。

私が住んでいる八王子市の北野街道に沿って流れる湯殿川と云う名の中小河川があるが、この川も館町付近で河川改修が行われようとしている。しかし、子供の頃の記憶を辿ってみても湯殿川が氾濫したことを聞いたことがない。将来的に都市化が進み雨水の全てが河川に流れ込むと云う想定で河川改修をするのだろうか。田畑や森が安全弁の役割をしていた時代が終わり、余白をもたない都市政策の中で数値だけを根拠に行なう河川改修の後に残されるのは荒廃した風景だけである。こうして風景は殺され、記憶も殺される。

Posted by S.Igarashi at 01:34 AM | コメント (5)

March 03, 2006

アースダイニング

と云うことで昨日はアースダイニング@傳八の前に佃島から築地を"アースちょいダイビング"してきた。
生憎の天候であったが、却って鈍色の空と水面がすべての境界を曖昧にしているように見え、晴れの日とは違った風景が楽しめた。江戸時代の佃島漁民を巡る諍い事は大岡越前や遠山の金さん等の奉行所を舞台にしたテレビドラマで幾度か取り上げられているのでご存知の方も多いと思われる。そうした佃島の歴史については都史紀要・26「佃島と白魚漁業」に詳しく書かれているので興味ある人は参考にされると良いだろう。
佃島から大川端を散策し勝鬨橋に向かう。嘗てはカミソリ堤防により大川端の親水性が損なわれていたが、所々分断されているにせよ、親水性のある散策路が設けられるようになっている。勝鬨橋から川上を望む風景は、いつの間にかこんなに沢山の、、、という印象である。

勝鬨橋を渡りmasa さん御推奨の築地川岸のバラックを見学写する。

時計台にてaKiさん以外全員レディス・サイズのラーメンを啜り、アースダイニング@傳八に突撃する。その前に、傳八を激写するaKiさんであった。
と云うことで、昨日のテーマは"wakkykenプレゼンツ・アースダイビング環境社会学編"の打合せを兼ねた歓迎会でもあったのだが、それはさておき、爆笑の連続でした。帰り際に傳八オーナーのアキちゃんが顔を見せ、aKiさん共々久しぶりの再会を果たしたのでありました。(アキちゃんとはaKiさんが40年来、僕でも数えてみたら34年来のお付き合いでした。)

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February 01, 2006

アースダイビング・レポート

「アースダイビング@江戸東京地下水脈」に参加した方々のレポートです。
aki's STOCKTAKING:アースダイビング@江戸東京地下水脈
af_blog: 第三回 アースダイビング大会
Kai-Wai 散策: 第3回アースダイビング
Kai-Wai 散策: 第3回アースダイビング報告 (号外)
漂泊のブロガー2 : 江戸東京の地下水脈をたどる : 第3回アースダイビング終了!
simple pleasure: 大人の遠足 アースダイビングvol.3
秋葉OLの楽しみ探し : 六本木再開発と森びる天井高
秋葉OLの楽しみ探し : きょろきょろ14km
湘南国際村 じゃらん : 1/28 アースダイビング
Roc写真箱 : 第三回アースダイビング@江戸東京地下水脈 その1
Roc写真箱 : 第三回アースダイビング@江戸東京地下水脈 その2
Roc写真箱 : 第三回アースダイビング@江戸東京地下水脈 その3
秋谷日記:1月28日を御覧下さい。
MyPlace: 第3回アースダイビング大会
MADCONNECTION: アースダイビング@江戸東京地下水脈
残念ながら当日参加できなかった、わきたさんはブログで参加。
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」 - 『第3回アースダイビング@江戸東京地下水脈』の報告が続々・・・
と云うことでトラックバック機能が壊れているのでリンク集として纏めました。それにしても十人十色とは良く言ったもので、多様な見方や意見が聴けるのがとてもブログ的です。

Posted by S.Igarashi at 12:23 AM | コメント (4)

January 29, 2006

アースダイビング@江戸東京地下水脈

ED060128a.jpg
と云う訳で、昨日「第三回アースダイビング@江戸東京地下水脈」を無事に終えました。目的の一つである渋谷川の水源の清正井と根津美術館内にある笄川の水源を確認。上の写真は明治神宮御苑内の谷地の風景。嘗てはこのような風景が江戸東京の其処彼処にあった訳ですね。2007年6月の菖蒲田

明治神宮南詰大鳥居前広場に集合した参加者は16名(子供2名を含む)最初の目的地、清正井を目指し明治神宮御苑内へ、案内板で団体割引を適用される人数に4名不足することが判明、急遽通り掛かりの人に同行を求め勧誘、先ずは中高年夫婦をゲット、三人連れの女性に声を掛け誘うと、明治神宮御苑の職員だったりとか、そうこうするうちに日本人と外国人のカップルに声を掛け、井上さんが英語で話しかける、入苑料500円が300円にディスカウントは説得力あり、これで総勢20名集まり団体で入園できた。

苑内は参道とはうって変わって人影も少なく都会の喧騒を忘れさせてくれる。南池の畔で望遠レンズ付一眼レフを構えた人に話しを伺うと、大鷹が飛来するのを待っているそうだ。原宿と数百メートル離れているだけで、ここでは時間がゆったりと流れている。冬場の渇水期のせいか谷戸頭にある清正井は心なしか水量が不足しているように見える。

次はこの水源から渋谷川へ向かって川筋を下る。山手線によって分断された谷戸の川下にあたる竹下通りへ向かう。道幅いっぱいに溢れた人の波に飲み込まれないようにして脇道の川筋にでる。其処は誰が名付けたかブラームスの小路、甘ったるいクレープの匂い同様にオジサンには受け入れがたい。地下鉄工事中の明治通りは街路樹が撤去され砂漠化している。どこか砂漠の中の蜃気楼の町・ラスベガスにも似て全てが書き割りのように見える。

明治通りを東郷神社前から渋谷川に向かい、川沿いを千駄ケ谷方面に溯る。外苑西通りに合流する手前で右に折れ土手を上り陸橋を渡る。建築家協会の前を通り左手に折れると龍巌寺にでる。嘗てこの地から富士が望めたとは思いもつかぬ。龍巌寺の前は鎌倉街道、千駄ケ谷方向から上ってくる坂が勢揃い坂、もののふ達がいざ鎌倉へと向かった古道をいざ塔の家へ。

外苑西通りの手前で木曾アルテックのショールームを覗く、斎藤さんは不在であった。外苑西通りの塔の家は40年近くの風雪に耐えそこにあった。将来的にこのまま塔の家が保存されることを望みたい。ここで河さんが合流、総勢17名となった。このまま誰もフェィドアウトすることなく打ち上げの酒宴まで全員が付き合ってくれるとは予想もしなかった。

塔の家を後に尾根道の大山街道(現・国道246青山通り)を越え、今は無き笄川の源流を探る。梅窓院付近の谷戸頭を源流とする笄川であるが、1941年の地図では既にその姿は認められず暗渠化されていたようである。ともかく梅窓院から出発し流れに沿って外苑西通りを下り、古道である長者ヶ丸通りから笄児童公園まで歩く。地元民は三角公園と呼ぶ笄児童公園であるが、嘗ての地名を留める公園名を示すものが、公園近くの案内地図にしか認められないのが淋しい。古道を立山墓地下まで行くと其処には庚申塚がある。江戸の昔、この付近の谷戸は青山原宿村と云われ、水田があったとされる。

庚申塚を青山百人丁に向かい北坂を上る。時間が押してきたので斎藤茂吉の青山脳病院跡地は遠望するに留まり、左に折れ、根津美術館へと向かう。根津美術館到着時点で入館時間を5分過ぎておりタイムアウト、職員に話しを付け取り敢ず一人分の入場券を求め笄川源流の水源地を撮影する。昔はさい銭箱にドネーションを払うだけで庭園に入ることができたが、庭園だけの入場はできなくなってしまった。実に世知辛い世の中である。根津美術館・庭園のような深い谷は下末吉面に形成される谷戸の特徴でもあるのだから、もう少し広く公開されても良いだろう。市中山居を求めた根津嘉一郎は草葉の陰で何を思うか。

岡本太郎邸を外から見学した後、笄川の川筋を霞町方面へと下り、材木町、竜土町方面に向かう。この辺り一帯のナショナルプロジェクトは何ぞやと云う疑問を残しながら桧町公園に向かうが、公園は封鎖され再開発工事に組み込まれていた。なってこった、と憤慨しつつ、予定より早く6時前に最終目的地の「赤坂 NAGARA ながら」に到着、ここから延々と打ち上げの酒宴は続くのである。少年はギター演奏に興じ、少女は参加者の似顔絵を描き、大人は肴と美酒に酔い、赤坂の夜は更けて行ったのである。総勢17名が「赤坂 NAGARA ながら」を後にしたのは11時前であった。

Posted by S.Igarashi at 08:35 AM | コメント (19)

January 26, 2006

第三回アースダイビングのお知らせ

既に告知していた企画を下記の予定で実行します。
第三回アースダイビング@江戸東京地下水脈
東京の原地形を体感し、縄文人の足跡を辿り、歴史の地に思いを馳せ、都市の過去現在未来を展望する。
開催日時:2006年1月28日(土曜日)12時30分集合
集合場所:明治神宮南詰大鳥居前広場(JR原宿駅下車)
参加費等:実費として以下の料金等を各自お支払い下さい。
明治神宮御苑入苑料(500円)、根津美術館入場料(1000円・希望者)
打ち上げ(希望者、時価・実費にて)
尚、途中からのフェードイン、フェードアウト等も差し支えありません。初めての方は参加希望を書き込み下さい。既に参加表明している方々には資料のダウンロード方法についてメールを送信してあります。
追記(1/26):と云うことで明後日の天候はアースダイビング日和のようです。

aoyama3Dmap.jpg
aoyama3Dmaping.jpg
徘徊順路(予定)12時30分〜17時(途中、適当に休憩)
明治神宮南詰大鳥居前広場
明治神宮御苑(500円)
原宿駅竹下口から川筋を下る
東郷神社(旧池田邸)
渋谷川を遡上
竜岩寺(龍巌寺)
外苑西通り(塔の家)
梅窓院付近の笄川源流から川筋を下る
青山長者ヶ丸
立山墓地(青山霊園・分園)下・庚申塚
青山脳病院跡
百人組同心大縄地跡のブラダビル周辺
大隈重信邸跡、岡本一平・かの子住居跡・旧岡本太郎邸(坂倉準三設計)
根津美術館(旧根津嘉一郎邸)
青山原宿村・笄川を西麻布まで下る。
旧笄町、旧霞町、旧材木町、旧竜土町を徘徊
六本木ヒルズ(旧毛利邸)を横目で見ながら防衛庁跡地を桧町公園(長門萩藩・毛利家・中・下屋敷)へ
「赤坂 NAGARA ながら」にて打ち上げ・当日貸し切り
全行程(8〜10km)
参考
アースダイバー
(仮称)アースダイビング大会
東京の公園と原地形
東京の凸凹地図
江戸の川・東京の川
東京未来地図
東京・首都圏未来地図
今回、青山同潤会アパート再開発(表参道ヒルズ)は徘徊コース外となりますので、興味ある方は集合時間前に各自見学して下さい。(但しオープン前・テナント工事中)
また、2016年の五輪招致のメイン会場を代々木公園にする案が浮上しています。歩道橋の上から代々木公園を一望し、巨大スタジアムの姿を想像すると、うーむ。
五輪招致にMの影

Posted by S.Igarashi at 12:04 PM | コメント (35) | トラックバック

December 30, 2005

第三回アースダイビング@江戸東京地下水脈

第三回アースダイビング@江戸東京地下水脈の日程を、秋山隊長と相談の上Be-h@usの見学会を考慮して2006年1月28日(土)に開催を予定しております。ご意見お寄せ下さい、詳細等は開催日を確定次第、追ってご連絡致します。

Posted by S.Igarashi at 05:07 PM | コメント (6)

December 20, 2005

江戸の川・東京の川

江戸の川・東京の川鈴木理生・著、井上書院・刊
本書について知ったのは槇文彦・他著による「見えがくれする都市」(1980年発行・SD選書)の三章「微地形と場所性」(文責・若月幸敏)に引用された図版からであった。しかし、実際に読んでみようと思い立ったのは中沢新一のアースダイバーを読んだことがきっかけだ。アースダイバーによって東京の都市空間を解読するツールとして縄文人の視座を与えられたが、週刊現代的な飛躍文化人類学の限界なのか、腑に落ちない思いもあり、江戸東京の骨格である微地形を形作った水の力について知りたくなった。アースダイバーでは縄文海進期の洪積台地にフォーカスしているが、沖積層の下には海退期の川が幾つも流れていた。それだけでなく洪積台地の下にも川は流れているのだ。僕はクセナキスの言葉を思い出した。「幾つもの川(思潮)はやがて大海に注ぎ一つになるだろう。しかし、一つに見える大海にもその下には幾つもの川(思潮)が流れているのだ。」正確ではないかも知れないがこんな意味だったと記憶している。

因みに前述の「見えがくれする都市」三章「微地形と場所性」では江戸・東京の都市の成り立ちを微地形という観点から捉えている。少し引用すると、

「、、、大都市の中でも東京は開析谷と台地が複雑に入り組み、いわば地形のしわに左右されながら町が形つくられてきた形跡がある。このような地形的特徴と相俟って、微地形にひそむ場所の力、すなわち土地霊などの存在を感じとり、場所性を豊かに醸成してきた例が数多く見られる。、、、中略、、、場所が持っている潜在力を生かしてものを作ってゆくという考え方は、場所の制約から開放され自由にものを置くという近代の計画手法とは対照的です。、、、」
とある。

微地形とは「肉眼では確認できるが地形図上では判別しにくい非常に小規模な地形」を意味する。

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December 18, 2005

マッパーな一日

Nokia051217a.jpgと云うことで昨日はいのうえsanmasaさんと御一緒にマッパーの聖地日本地図センターで開催された地図バザールに進入、普段は土日休みだがバザール期間中はは特別に1階の売店もオープン、この際であるから数値地図とMacDEミールをゲット、MacDEミールは注文生産と云ってもCD-ROMにコピーするだけのようだが、多少の日数を要するので後日送られてくる。数値地図はVectorWorksでどれだけの精度で読み込みできるかその検証も目的でもある。

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地図バザールのお土産はこの3D立体地図(メガネ付き)とメモ帳、どちらも無料、他にお子様向けにぬいぐるみ等のグッズも無償提供してあっった。

saigouyama051217.jpg

日本地図センターを後にして目黒川沿いにアースダイブ、千歳橋付近ではカイツブリ(んな訳ないか)のアースダイブも目撃、西郷山にて日没を捉える。広重は江戸名所百景に目黒川に沿って河口の御殿山まで実に六枚の浮世絵を残している。ヒルサイドテラスの南にあるマンション・キングスホームスは「江戸名所百景・目黒元不二」に描かれた場所と云う。

アースダイブ終点の代官山は流石に今どきのオシャレな街らしくオヤジ向けの店はなく、(オヤジ向けの店なら山を下り、中目黒界隈であろう)代官山駅前のマーメイドカフェにてしばし談笑、あっという間に6時を過ぎ、それぞれ次の予定があり散会。

私は初台まで行き公開トーク「他者の痛みを感じられるか」 の開演ギリギリ5分前に到着、立ち見は覚悟していたが予想を超える観客動員であった。
トークの内容は茂木健一郎のブログに音声ファイルがある。対談は最後まで噛み合わなかったが、高橋悠治の最後の言葉「言いたいことを言えない苦しみを味わった方が良いと思う。」が、すべてを物語っているだろう。現代音楽家で自由人の高橋悠治の前で茂木健一郎くんは目が泳ぎ、じたばたしているだけのように見えたが、本人はそうでもないらしく、ブログで高橋悠治を批判している。しかし「他者の痛みを感じられるか」のテーマと高橋悠治を相手に茂木健一郎くんは明らかに勉強不足、高橋悠治の問いに他者の言葉を引用する茂木健一郎くんに「それは本に書いて有ることでしょう。」とたしなめるが、それが理解できない。高橋悠治は、茂木健一郎くんがどう考えているのか、どう認識しているのか彼自身の言葉を聞きたかったのだろう。それに対して、茂木健一郎くんは我々とか、同士とか、モーツアルトや小林秀雄を持ち出したり、常に的外れな返答のあげく、アドレナリンの分泌が急上昇してしまった。なんとなく、仲良しクラブ的なプチ・アカデミズムの限界が見えてしまったと云う印象である。

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December 05, 2005

企画:アースダイビング@江戸東京地下水脈

と云うことで先日アースダイビング@下北沢が終了したばかりですが、次回・アースダイビング大会の第三弾として「アースダイビング@江戸東京地下水脈」の提案です。
フェリックス・ベアトの撮影した古川の写真を探していたら森川和夫:廣重の風景版画の研究と云うサイトが見つかり、そこに古写真で読み解く広重の江戸名所喜鶴堂版 東都名所芝赤羽橋之図がありました。この他にもベアトの撮影した古川の写真はありますが、嘗ての古川は氾濫に備えて広い川幅を有していました。現在は川幅も狭められ、そのうえ頭上を首都高が覆いかぶさり、往時の面影はありません。江戸東京の川は瀕死の状況にありますが、今回は都内に残る古川の源流を求め、その水源地にアースダイビングしたいと考えています。

江戸東京の武蔵野台地に源流を発する川は、尾根道である甲州街道を分水嶺にして北と南に分かれています。古川は南の淀橋台地の微地形にある谷戸を水源に谷間を流れ江戸湾にそそいでいます。その支流には笄川(こうがいかわ)や渋谷川とその支流の宇田川、河骨川があり、前回「アースダイビング@下北沢」の出発地であった代々木八幡神社は宇田川と河骨川に挟まれた半島でした。今度はその東側の明治神宮内苑(元・井伊家下屋敷)の南池を出発地点にしたらどうか思いますが如何でしょうか。前回は山から山への冒険でしたが、次は窪地から窪地へと谷を渡るアースダイビングです。明治神宮内苑の南池は渋谷川の水源でもあり、都内に残された湧水地の中で一般市民が見ることができるものとしては一番保存状態が良いのではないでしょうか。笄川は青山霊園付近を水源とし現在の外苑西通りの西側に沿って流れ、天現寺で古川に合流していた川です。その笄川の源流の一つが青山の根津美術館の庭園に残され現在も湧水があります。古川はその支流を辿ると代々木八幡神社付近から第1回アースダイビングの芝丸山古墳の脇を流れ江戸湾にそそいでいます。と云うことで第1回と第2回のアースダイビングの間を結ぶテーマとしても相応しいと思えます。谷道の明治通りに外苑西通り、尾根道の青山通りに外苑東通りと起伏に富んだ地域でもあり、大規模再開発やらMの影にも晒されている地域でもあります。アースダイビングのルート等はアースダイバーの皆様とこれから考えてゆきたいと思いますので、ご意見を待ちしてます。そういえば、江戸はその地形から付けられた名称でしたね。洪積台地と沖積層が織りなす谷戸と共通するものがありますね。

Posted by S.Igarashi at 11:00 AM | コメント (11)

November 25, 2005

春の小川

昨日、アースダイビング@下北沢の集合場所・代々木八幡宮に行く前に「春の小川」の歌碑に立ち寄った。歌碑の説明文にある河骨川の謂われになったこうほねの花は清流にしか咲かない絶滅危惧種と云うことである。明治13年(1880年)の地図を見ると河骨川が流れている地形は典型的な谷戸の風景である。地図によれば河骨川から代々木八幡宮の裏手に上る坂道は未だ存在せず、この辺りは雑木林の繁る里山であった。この谷を走る小田急の線路に沿って河骨川が流れ、その両側は水田と里山、典型的な日本の村の風景がここにあった。

Posted by S.Igarashi at 10:08 AM | コメント (3)

November 09, 2005

江戸復原図

今年の2月のエントリー彷徨える北坂を書く時に見つからなかった「江戸復原図」が出てきた。この「江戸復原図」は東京都教育庁社会教育部文化課が編集したものを元に東京人1990年10月号の付録として発行されたものである。内容は東京の地形図に江戸の町割を記したもので現代と過去を照らし合わせる上で貴重な資料である。現在、この江戸復元図は都庁舎の都民情報ルームの閲覧・貸出用資料もくろく(地図)にはあるが有償頒布は行われておらず、再版されることを期待したい。先日、日本地図センターで購入した東京時代Map・大江戸編は江戸の町割に現代の地図を印刷したトレーシングペーパー重ねられた二つのレイヤーによる地図だが、願わくば地形のレイヤーも欲しいところである。

江戸復原図よりも広域な江戸の土地利用計画図を表わしたものに地理学者・正井泰夫による「大江戸地理空間図」があるが、単独では発売されておらず「江戸・東京の地図と景観」の付図となっている。この「大江戸地理空間図」を初めて見たのは建築家・槇文彦・他著による「見えがくれする都市」(1980年発行・SD選書)の三章「微地形と場所性」(文責・若月幸敏)に引用されたものであった。この論文によって江戸東京の成り立ちに対する多くの疑問が私の中で氷解していった。江戸の町割と洪積台地を重ねた「大江戸地理空間図」(初版1973年)は、その着想において中沢新一のアースダイビングマップよりも30年以上先行していた。

Posted by S.Igarashi at 09:28 AM | コメント (2)

November 02, 2005

日本地図センター

試写会のついでに目黒区青葉台4-9-6にあるマッパーの聖地・日本地図センターに行ってきた。目黒区と云っても感覚的には渋谷圏内、アクセスは渋谷南口から「上町行き」か「大井町行き」の東急バスで玉川通りの大坂上バス停で降りるのが近いだろう。(昔、青葉台2丁目まで通っていたので、ちょっと詳しい。)玄関は国道246(玉川通り)と環6(山手通)の立体交差・大坂橋の下、環6内回り車線に面している。

先日のタモリ倶楽部のロケで使われた坂、山手通から玉川通りへ上る。
日本地図センター・売店は地図のワンダーランドだ。立ち読みしていたら、幾ら時間があっても足りない。それにしても、欲しいと思う地図は目の玉が飛び出るほど高い。200部限定の帝都地形図なんて本体価格が36万円、別に欲しくはないが伊能大図のレプリカ全図は865万円もするのだ。取り敢ず、刊行されたばかりの東京時代MAP・大江戸編と雑誌・地図中心の号外版二冊に1:25000の都市圏活断層図(八王子)を購入した。渋谷に着いてから都市圏活断層図の都内版も買えばよかったのに、と気付いた。それから、MacOSX対応の「地図画像MacDEミール」は受注商品で、見本は空箱のみ。


Posted by S.Igarashi at 09:37 PM

October 25, 2005

初めての東京タワー

ToTw01.jpg

2005年10月22日は私の東京タワー記念日。東京に生まれ、物心付いてから半世紀経ち、初めて東京タワーに上った。因みにこの写真は東京の都市模型を見に六本木ヒルズに行った時に東京タワー方面を撮ったもので、同じような気象条件だったので使ってみた。六本木ヒルズから下を眺めた時も思ったが、上から眺めると事の他墓地が目立つ。東京は生きている者だけの街ではなく、死者の街でもあるのだ。

Posted by S.Igarashi at 11:41 AM | コメント (2)

October 23, 2005

アースダイビング


aki's STOCKTAKINGの北緯40度線探検隊によればパラボロイド(逆双曲線幾何学)の坂と云われている飯倉交差点である。この場所は江戸の昔から尾根道(現・外苑東通り)が江戸湾に向かって下り、再び愛宕山方向に向かって上る道と、谷道である桜田通りが神谷町から尾根越えして赤羽橋に向かう道との四つ辻となっていた。

正井泰夫氏による江戸幕末の土地利用図の洪積台地の輪郭線を辿ると、古の地形が彷彿とされる。私が現在住んでいる八王子に縄文後期の竪穴住居群が点在していた丘陵地を越える切り通しを地元の人は「みねげと」と呼んでいる。子供の頃はその意味を知らなかったが、大人になって漢字で「峰開戸」と書くと知り、成程と合点した。尾根道を歩いていると気付かない景観の変化が坂道や切り通しにはある。小学生の頃、「峰開戸」を越え自分の住んでいる集落に戻る時、異次元に迷い込むことを心のどこかで密かに期待していた。丘を越えると景色が一変し冒険が始まることもなく、いつもと変わらない風景に落胆しつつも、どこかでホッとしていた自分がいた。青山の事務所にいたときは狸穴の法務局に行くには青山6丁目から東京タワー行きのバスに乗り、麻布郵便局の前で降り、狸穴坂を下るのが普通だが、たまに青山から狸穴まで歩いて行くこともあり、それは谷を渡り山を越えてゆく、ちょっとした冒険でもあった。
aki's STOCKTAKING(仮称)アースダイビング大会
MyPlace:「アースダイバー」とアースダイビング大会
Kai-Wai 散策:(仮称)アースダイビング大会 (I)
af-blog:(仮称)アースダイビング大会

Posted by S.Igarashi at 08:54 AM | コメント (4)