June 13, 2008

東京想造計画

東京新聞二面に地下鉄・副都心線の開通に合わせた企画広告・東京想造計画「書籍でめぐる副都心線散歩」の川の地図辞典に目が止まった。そのコピーを読むと...

西池袋に発する弦巻川、春の小川は河骨川、そして江戸期の竃(へっつい)河岸、薬研堀まで、いまある川、消えてしまった川や堀など約400。新しい<水辺の時代>へのガイドブック。
....とある。川の地図辞典・出版記念ウォークでお会いした菅原さんと芳賀さんの顔が目に浮かぶ。因みに今日のタモリ倶楽部は開通前の副都心線からだった。(急カーブと急勾配の多い線路は電車の運転―運転士が語る鉄道のしくみ (中公新書 1948)を読み始めたばかりに...なるほどと...。)来週は東急の全面協力で東急・渋谷地下駅の全貌とか...

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March 31, 2008

Jediの...


Safariのブックマークバーのカテゴリに"Jedi"を追加し、これまでEarthdivingに参加した方々のBlogを一つにまとめてみた。と云うことで"Jedi"の...。

..."Jedi"の...秘密なんてものは特にないのである。
元々、Earthdivingをアダイと省略して用いている人もいたのだが、どうも三代目・三遊亭金馬の語る与太郎が己のことを「あ...あだいは...」と言っているようで...何だか...与...と云うのが始まりである。
Jedi・ジェダイ(Japan Earth Divers Institute)としたのは語感を第一に優先した結果である。
最初はランドスケープ系グラウンディング派から拝領したトーキョーアースダイバーズをそのまま頭文字からTED(Tokyo Earth Divers)としてみたのだが、関西からの参加者に配慮し、masaさんからJED (Japan Earth Divers)はどうだろうと云う提案があった。そのままではED患者の全国組織と間違われそうだと云う意見と語感からJediとしたのだが、"i"を"Institute"と云うのも大袈裟であるとする意見もあり、ブログ繋がりから"interlink"や"inter-blog"とか"inter-○○"はどうだろうか、と云う意見もあり、兎に角"Jedi"はそのままで"i"は100人いれば100人の"i"があると云うことでも良かろうとしたのである。まぁその辺は実にいい加減なのである。もちろん、あの"Jedi"にあやかって...である。

追記:因みに先日の「川の地図辞典・出版記念ウォーク懇親会」で関西の参加者の両隣に座って居られた方は地図中心にも寄稿されている古地図研究家でもあるこの御方と伊能図にも造詣の深いこちらの御方でした。

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March 17, 2008

谷田川跡をあるく

GoogleMapでウォーキング・コースを見る。

云うことで昨日は之潮主催の「川の地図辞典・出版記念ウォークと懇親会」に参加した。ウォーキングルートは上図のJR駒込駅南口から巣鴨まで谷田川跡と本郷台地の縁に点在する神社仏閣や墓地等の史跡を著者の菅原健二さんの案内で訪ね歩くと云うもので、山手線に沿って谷を下り、谷田川に架かっていた鉄橋の下を潜ると、アースダイビング開始である。
追記:ブラウザによってクラッシュする場合があり、GoogleMapの直接貼込みを止め別ウインドウで開くようにしました。

GoogleMapでは地形を読むことは不可能なので数値地図から凸凹地図を作成した。下が本郷台地で上が上野台地、その台地に挟まれた谷に谷田川が流れ、水田が広がっていた。(こちらも参照にTake The "A" Tramのmasaさん作成:広域凸凹地図
yatagawawalk2.jpg画像をクリックで拡大
凸凹地図に辻潤の「ふもれすく」を追加

こうして見ると多くの神社仏閣が台地の縁やいわゆる半島や岬部分に位置していることが解る。中でも妙義神社の場所は半島そのモノの形状を示している。
染井坂を上り右に折れると新義真言宗の西福寺、ここに染井吉野の里の石碑と将軍吉宗の御用植木師・伊東政武の墓所がある。その西福寺の隣は染井稲荷があり、嘗ては真言宗と稲荷信仰の結びつきが強かったことを示している。再び谷に下り染井銀座から染井霊園の脇を通り、慈眼寺、本妙寺を散策し、豊島市場脇の谷田川の源流付近を確認し、中山道を渡り高岩寺(とげ抜き地蔵)へ、巣鴨地蔵通り商店街入り口の真性寺境内で記念撮影し一旦解散、懇親会参加者は4時から酒宴、河岸を変えて宴会は二次会へと続くのである。乾杯!
追記:谷田川の下流である藍染川についても多少話題になりましたが、ミツカン水の文化センターの機関誌「水の文化」第15号「里川の構想」に『森まゆみ・陣内秀信 現代都市の「里という居住地」とは』と云う対談で、森まゆみさんが土地の人々から聞き取り調査した藍染川の昔の様子が詳しく紹介されています。因みにPDF版も用意されているのでプリントして読みたい人はこちらのリンクから。
PDF版「里川の構想」
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例によってJedi-memberによる同時多発エントリーが始まったのである。
af_blog:川の地図辞典 記念ウォーク
Kai-Wai 散策:とげぬきフォント
Kai-Wai 散策:『川の地図辞典』出版記念ウォーク
aki's STOCKTAKING:川の地図辞典・出版記念ウォーク
東京クリップ:二連ポンプ:谷田川を行く
simple pleasure 2:東京は起伏に満ちている
Across the Street Sounds:春うらら、「川の地図辞典」出版記念ウォーク
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」:「『川の地図辞典』出版記念ウォークとJEDI」


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March 13, 2008

川の地図辞典-3 Jediへの道

JediMapYatagawa.jpg
さて中沢新一のアースダイバーに触発され2005年10月22日から隊長の発案で始めたアースダイビングであるが、最初は東京タワーの足下、芝丸山古墳や代々木八幡の半島や岬状の地形等に縄文人の足跡を辿る等、どちらかと云えばドライなモッコリ地形にフォーカスしていた。埋田或いは海田が地名の起源と云われている低地に生まれ、今は山里の谷間に住んでいる私はウェットな場所に魅かれるのだろうか、二回目のアースダイビング@下北沢の出発地・代々木八幡に集合前に渋谷川の支流・宇田川の更に支流の河骨川跡の春の小川の碑に立ち寄り小田急線に平行する川筋を歩いて、切り通しから八幡宮の杜に入っていった。そのアースダイビング@下北沢に於けるサブテーマであった「都市計画道路補助54号線」の全体を確認した後、特に誰が言うまでもなく北沢川の支流を確認したり、暗渠化された川筋に沿って代沢の森厳寺方面に歩いていることに気付いた。地球の引力に抗うことなく自然と低地に向かっている。その体験が第三回アースダイビング@江戸東京地下水脈の企画へ繋がったことは言うまでもない。謂わば時代の共時性であろうか、図らずもそれは川の地図辞典の出版意図ともシンクロしている。川の地図辞典・腰巻に書かれた『アース・ダイビング〈消えた川・消えた地形歩き〉必携』のキャッチコピーがそれを物語っている。と云うことで次の日曜日は川の地図辞典・出版記念ウォークと懇親会なのだ。どうやら天気が崩れる心配も無いようだ。気の早い染井吉野が見られるか楽しみである。

MADCONNECTION: Earthdiving Archive

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January 21, 2008

Earthdriving・番外編-川の地図辞典

図説 江戸・東京の川と水辺の事典」へのわきたさんのコメントから派生したこのアイデア、 運転手・AKi さんまで巻き込んで面白いことになりそうである。と云うことで新たにエントリーを設けることにした。(数値地図に首都高と高速道路だけ表示・クリックで拡大)
参考文献:東京の地理がわかる事典・240頁参照

高島平に住んでいた頃は八王子に車で帰る際(首都高の料金が500円だった時までは)よく首都高を利用していた。五号線から竹橋ジャンクション、三宅坂ジャンクションを経由して四号線に入り、三鷹の料金所から中央高速で八王子までのコースである。未だ免許を取ったばかりで余裕のない頃は運転するだけで目一杯だったが、慣れてくるに従い、身体に受ける加速度が地形の変化から生じていることに気付いた。地図を広げて首都高を見ると江戸東京の失われた河川や堀割、崖線、谷戸等の地形に沿って首都高がトレースされているのが分かる。そして江戸東京から内藤新宿を抜けて西向かって車を走らせると、視界を遮るものが減って、タイムスリップして古代の武蔵野台地を疾走しているような妄想がひろがる。
地上の一般道では、地上を埋め尽くしたビルに視界と地表は遮られ、嘗ての地形を認識することは益々困難になっている。江戸東京の景観を破壊したとされる首都高に、江戸東京の地形が記憶されているのが何とも皮肉である。逆説的に言えば日本橋を巡る景観論争で首都高を撤去することになれば、江戸東京の地形の記憶が永久に失われることにも成りかねないのである。

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January 17, 2008

川の地図辞典-2 消えた梅田堀

Umedabori3.jpg

と云うことで「川の地図辞典」を手にして最初に調べたことは、私の生まれたバラックの前を流れていた堀割の正式な名称である。だが残念ながら「川の地図辞典」(P380〜P382)には掲載されていなかった。尤も足立区北部、草加市との都県境を流れる毛長川と荒川放水路とに挟まれた低湿地帯に嘗ては数多くの堀割が縦横に設けられ、それらの多くは農業用水路として機能していた事を考えると、無名の堀割もあるだろうし「川の地図辞典」にそれら全てを網羅することは到底無理と考えられる。頭の隅に微かに記憶されていた「梅田堀」をキーワードにGoogleで検索すると位置を特定できる情報が三つ程見つかった。

一つは西新井駅近くの梅田堀親水水路、そして生家に隣接した梅田稲荷神社について書かれた下記の文言。

5丁目9番にある。社殿の左側に禊教の教祖井上正鉄と妻の安西男也の墓が二人の高弟の墓とともに並んでいる。ほかに神社の玉垣に沿ったところに庚申塔と外荒神の2基を祀った庚申堂がある。もと梅田堀の端にあったものを地元の人々がここに安置したもので野仏の保存が図られている。文久元年(1861)九月銘の漱盥石がある。

他に足立区関原に設けられた小公園の記事には当時梅田堀といわれたこの地域に江戸中期に建立された道標や災害設備が設置された。とある。これらの情報から判断して生家の前を流れていた堀は「梅田堀」と呼ばれていた堀割と考えて良いだろう。
先日、梅島に住む母方の従兄弟が母の葬儀に訪れた際、お定まりの昔話に花が咲いたのであるが、祖父の事が話題となり、金融業にも手を広げていた祖父は『西堀の大尽』と言われていたそうである。地元の住民は生家の前の堀を『西堀』とも言っていたらしい。これは「梅田堀」が梅田の西の端、関原との境を流れていたからであろう。因みに梅田の地名の由来は『海田』と『埋田』の二つの説がある。何れにせよ低湿地の地形から名付けられたことに違いない。

上の写真の撮影場所をiPodtouchの空撮写真で見るとGoogleのロゴ付近から北の方向(西新井方面)を写している。右手の緑は梅田稲荷の社務所、鉄骨3階ALCのマンションが母の実家の池があった場所。生家の前の道は梅田堀を暗渠化して歩道を設け、更に車道を広げ、片側一車線の対面交通としたようである。梅田堀上の歩道のポールは嘗ての湿地帯を表徴するものだろうか。写真左手のマンション付近も50年前は溜め池があり、夏はシオカラトンボが池の上を飛んでいた。
追記:上記写真は昨年一月、西新井大師から荒川放水路までアースダイビングした時のモノです。因みにmasaさんが発見したサビオウの前は本木堀が流れていました。

次回「川の地図辞典-3 Jediへの道」へ続く。

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January 15, 2008

川の地図辞典-1

川の地図辞典 江戸・東京/23区編
菅原健二・著 之潮・刊(定価3800+税)
ISBN978-4-902695-04-5
カーレースに例えるなら既に周回遅れでピットスタートとなった感があるが、Kai-Wai散策を震源地とする『川の地図辞典』の紹介である。私も何方かと同様、「新宿のジュンク堂+タイトルうろ憶え」であったが、出版社のコレジオ(Collegio)がイタリアの画家コレッジョ(Correggio)に似ていたのが幸いし、それを頼りに優秀な店員さんに探していただき、正月休み明けの1月7日に手に入れることができた。
江戸・東京の川に関する辞典と名の付く書物を読むのは、この『川の地図辞典』が初めてではない。第4回アースダイビング『Take The "A" Tram』の下調べをしている時に大学の図書館から借りた図説 江戸・東京の川と水辺の事典に次いで二度目である。その「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」を出版した柏書房は何と「川好きotoko」さんが「之潮」を始める前に社長を務めていた出版社なのだ。わきたさんが調べたこちらこちらの記事を読むと、どうやら「川好きotoko」さんは自分の納得できる仕事をすべく「之潮」を設立したらしい、そしてその成果の一つが図書館に貸出禁止図書として鎮座されるデスクトップタイプの辞典ではなく、誰でもが手にできるモバイルタイプの『川の地図辞典』なのである。と勝手に解釈して合点した。
追記:著者の菅原健二氏は前述の鈴木理生・編著による「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」と「東京の地理がわかる事典」の共同執筆者の一員であり、鈴木理生氏とは東京都の図書館繋がりであったのだ。合点、合点、合点。

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June 23, 2007

Google Earthでテムズを川下り

来月初旬までオックスフォードに滞在しているmasaさんのオックスフォード便りに便乗して、Google Earthで蛇行するテムズ川をオックスフォードからロンドンはウェストミンスター・ブリッジまで177.89キロメートルを川下りしてみた。(直線距離約83キロメートル)それで川下りして気付いたのはロンドンの手前に地図には記載されていない多くの遊水池があることだ。こうした遊水池もヒースと同様に都市の余白として重要な役割をしているのだろう。

オックスフォードの駅から南に500m位下った所にある堰と水門を出発地点とした。こうした堰と水門によって川の流れと水位を調節しているのだろう。玉井さんもmasaさんに刺激されて平底舟をエントリーしたぞ。

そして、ゴールはシティの手前ウェストミンスター・ブリッジ。

ピンクフロイドのレコードジャケットで有名な火力発電所「BATTERSEA POWER STATION」の煙突の影の長さを測ったら315mあった。BATTERSEA POWER STATIONは現在再開発中でリノベーション(大規模修復)と云うよりコンバージョン(用途変更)により生まれ変るそうだが、この四本の煙突はすでに撤去されたらしい。
Kai-Wai 散策:オックスフォード便り(6)
さっそく、masaさんが"BATTERSEA POWER STATION"を写真に収めてきた。

BATTERSEA POWER STATIONの川上にフォスター卿の事務所が見える。そういえば初めて見たノーマン・フォスターの作品は都市住宅・住宅第1集(7109)に掲載された入り江に建つコンクリートブロックによる住宅だった。

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June 21, 2007

その後のアースダイビング@江戸東京地下水脈

昨日午後、原宿駅に降り立ち、表参道のたむらくんの個展に向かう前に、ふと思い立ち一年半前のアースダイビング@江戸東京地下水脈で見た冬景色の谷戸と違って、今の季節なら花菖蒲が咲き乱れている筈だろうと明治神宮まで足を延ばしてみた。
と云うことで、あからさまな晴天下の花菖蒲である。うーむ、これでは梅雨空の下に水の滴る花菖蒲の方が趣があるかも知れぬ。
Doc.Fumanchuが指摘された川瀬 巴水による版画の構図により近い写真もありました。

日差しが強い所為もあるのだろうが、平日午後の明治神宮境内は日本人の数は少なく、目立たない。御苑内で花菖蒲を観賞していた人々は何処へ。


表参道の喧騒と較べると、全く別の国である。こうした若い子らは概ね、中国本土や台湾か韓国からの観光客のようである。大鳥居の前で記念写真を撮っていたコリアンの少年少女達は国に帰ってからどんな土産話をするのだろうか。

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April 06, 2007

Earthdiving Map

Googleの新しいサービス「マイマップ」を利用して早速「第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅」のルートマップを作成してみた。試作なので非公開ですがリンクは付けてあります。とりあえず打上を行なった「博多鉄鍋餃子なかよし」だけはマーキングしてあります。

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April 02, 2007

花咲くコモンズの庭へ

一昨日、アースダイビングで訪れた阿佐ケ谷住宅コモンズの庭に花韮が群生していた。そこには花見客でにぎわう善福寺川の桜とは対照的に静かな時が流れていた。

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April 01, 2007

第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅 報告

と云うことで昨日、善福寺川・調査ミニダイブから数えて5ヶ月が経ちましたが参加者21名で第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅を無事に実行することができました。気になる天気もどうにか持ちこたえ、桜の花の下を方南町から阿佐ケ谷住宅まで善福寺川沿いに約4.2キロを3時間半近く掛けて散策し、途中でkawaさんから提供された善福寺川今昔を伝える写真撮影の場所も確認、時代による大都市郊外の変貌を改めて実感した次第であります。参加者の皆様お疲れさまでした。
Kai-Wai 散策:第五回アースダイビング (珍編)
aki's STOCKTAKING:第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅
af_blog:花曇り@第五回アースダイビング大会
Roc写真箱:5th Earth diving
秋葉OLの楽しみ探し : ぜんぷくじ川周辺
N的画譚 : トタン系溶接加工工場
ONE DAY :第五回 アースダイビング<善福寺川+阿佐ケ谷住宅>その1
ONE DAY :第五回 アースダイビング<善福寺川+阿佐ヶ谷住宅>その2
東京クリップ: 善福寺川を歩く
MyPlace:「第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅」
simple pleasure:桜・さくら・SAKURA
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」:
第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その1)-川の『原地形』-
第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その2)-潰された『クボ』-
第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その3)-阿佐ヶ谷住宅-
う・らくん家:アースダイビング

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March 31, 2007

善福寺川今昔

zenpukujigawa-5.jpg
写真1(+)
kawaさんから1960年代初頭の善福寺川流域の様子を伝える貴重な写真を送って戴きました。この頃は未だ橋も木造でしたね。
追記:と云うことでkawaさん立会いの元、現地で撮影場所を確認しました。


写真2
いいですねぇ〜長閑ですねぇ。兄弟揃って、お父さんと一緒に散歩するのが楽しくてしょうがない様子が伝わってきますね。(と、勝手に妄想してますが、、)3人とも長靴を履いてるのが良いですね。
善福寺川も未だ護岸工事されてなく川底も浅いことが良く解りますね。
写真に添えられたkawaさんのメールを紹介させて戴きます。

私が小さい頃には、川沿いがずっと河岸段丘になっていて、土手からすぐは、畑や田んぼ、学校のグランド、公園や釣り堀、養豚や資材置き場、廃品回収の置き場になっていました。
もう一段上がった所から住宅が並んでいました。
松の木の縄文遺跡、縦穴式住居も川からは一段あがった丘の上にあります。
田んぼを埋めて、川沿いに建て売り住宅が並びだした時には、こんな所に建てていいのかなと子供心に思いました。
少し大人になって、人口が増えるばかりの時には川沿いに家が建つのも仕様がないと思いました。
しかし、これから人が減る事を考えれば、土手の外も何年かに一度ぐらい川があふれてもいい公園等にしておくのも出来ない話ではないと思い始めました。
区は住宅の並んだ私有地を買い上げて低いグランドやテニスコートを作って増水時に備えているようです。
何年かに一度あふれてもいいと考えれば、コンクリートの土手以外のもっと素敵なウォーターフロントの可能性も出て来ると思います。


撮影場所(クリックで拡大)
写真1は大松橋に立つ3人の子を撮ったもの。
写真2は大松橋下流の善福寺川左岸から川下を撮った写真

下の写真は昨日その「写真2」の撮影場所を検証しているところです。風景は昔とすっかり様変わりしていました。そんな訳で往時を振り返って記念の再現写真を撮りました。


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March 25, 2007

善福寺川のソーラーキャット

SOLAR-CAT.jpg

護岸の間知石積みの凹みに猫がちょこんと座ってる、まるで炬燵に入っているようだ。
既に日は落ちてしまったが、日中蓄熱された石はこの時間でも未だ暖かいのだろうか。

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March 20, 2007

第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅

アナウンスだけで日程が決まっていなかった「第五回アースダイビング・善福寺川と阿佐ケ谷住宅の50年を探る。」+「花見付き」を3月31日午後に開催します。集合地点は地下鉄丸ノ内線・方南町駅、目的地は阿佐ケ谷住宅です。集合時間等のタイムスケジュール等が確定しましたら当ブログにて告知する他、前回参加者の皆様にメール致します。
これが阿佐ケ谷住宅を見る最後の機会かも知れません。散りゆく桜花を愛でながら1950年代のモダニズムに想いをはせるアースダイビングとなりそうです。
追記・更新:アバウトなタイムテーブル等を追加しました。

5th Earth diving. 『善福寺川と阿佐ケ谷住宅の50年を探る。』 

 今回のルートは神田川水系の善福寺川を方南町から南阿佐ケ谷の阿佐ケ谷住宅までです。ゴール地点の阿佐ケ谷住宅は昭和33年(1958)に竣工した日本住宅公団による分譲住宅の団地です。今から約50年前の昭和33年当時の地形図(P-6)を読むと台地部分は宅地化されていますが善福寺川流域には多くの水田が残されていた事が解ります。阿佐ケ谷住宅はそれらの水田を埋め立て宅地造成して建設された住宅公団による団地の一つです。現在の善福寺川流域には既に水田もなく護岸も整備され川底が深く渓谷化されています。それは川底の浅かった善福寺川の流域に沿って窪田が広がっていた嘗ての風景とは異なるものでしょう。昭和22年の航空写真(P-7)を見ても解る通り、当時既に武蔵野台地の薪炭林である雑木林や田畑の殆どは失われ宅地化されています。右のGoogleEarthの航空写真に見られる善福寺川流域の緑地は嘗て水田だった場所を埋め立て整備して緑地化されたものです。これらは古くからある大宮八幡宮と戦前から整備された和田堀公園を除いては未だ50年経っていないものです。逆に言えば50年あれば森を造る事が可能であることを示しています。また嘗ての窪田は豪雨の氾濫に対し調節池の役割も担っていました。今日の様に川幅ぎりぎりに宅地化された河川は豪雨に対する抵抗力を失い、新たな都市水害を招いています。そうした都市水害に備え流域の緑地では運動公園を兼ねた調節池の整備が現在進行中です。それが可能なのは善福寺川流域の元農地を私有地のままに置かず、行政が長年に亘り共有地として確保してきたからでしょう。理想的には英国の様に都市の余白としてヒースを残す事かも知れません。今回のダイビングは阿佐ケ谷住宅と重ね合わせ『コモンの思想』を考えてみる機会になればと思います。因みに善福寺川ではアースダイビングのシンボルである水鳥「カイツブリ」が出迎えます。


・日時 2007年3月31日(土曜)PM1:00〜PM6:00
・内容 距離:約4.2km
・PM1:00〜 方南町に集合し堀之内橋から善福寺川流域を散策
・PM2:00〜 杉並区立郷土資料館見学(入場料¥100)
・PM2:45〜 大宮八幡宮と和田堀公園を散策(休憩)
・PM3:45〜 花見がてら善福寺川を阿佐ケ谷住宅まで散策
・PM4:30〜 阿佐ケ谷住宅及びにトタンギャラリーを見学
   公団阿佐ケ谷住宅・テラスハウス25号棟
・PM6:00〜 阿佐ケ谷界隈にて打上・反省会(場所未定)

・集合場所
2007年3月31日PM1:00
地下鉄丸ノ内線・方南町駅西改札を出る
地下鉄出口1(地上・方南町交差点角)
環状七号線・方南町交差点・北西側角にて。

・参考時刻表(ジョルダン・乗換案内調べ)
・新宿発12:46荻窪行・中野坂上乗換
 方南町12:57着
・荻窪発12:37池袋行・中野坂上乗換
 方南町12:57着
※中野坂上で乗換に注意!
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以上、資料等のダウンロード方法については別途メールにして連絡します。

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March 15, 2007

普通な小屋

昭和の置き忘れのような何の変哲もない普通な小屋である。周りの風景が変わり、唯一件ぽつねんと残っていると特異な存在に見えてくるから、まぁ人間も勝手である。(杉並区堀ノ内にて、、)
追記:第五回アースダイビングの当日、読書家であるじんた堂さんがゲルンジー駐車場の看板からここが牧場の跡地であったことを看破したのであった。

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March 11, 2007

木造四階建?

昨日、打合せで杉並校舎に行ったついでに、31日の為の調査ダイブとして方南町から阿佐ケ谷住宅まで歩きました。昨年の10月28日に一度 善福寺川・調査ミニダイブは済ませていますが、調査に漏れた箇所と地下鉄・方南町駅からのルートを確認する為です。そして前回立ち寄らなかった杉並区立郷土博物館で資料の収集、大宮八幡宮ではアースダイビングの無事を願っての神頼みです。と云うことで左の写真は善福寺川の緑地に面した木造四階建?の建物ですが、実際は鉄骨で補強した木造三階+地下一階(擁壁部分を利用)でしょうか。それにしても恐れを知らぬ三階部分のオーバーハングです。

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February 25, 2007

東京共同射的會社・射的場跡

先日、銀座の後で根津まで出掛けたついでに、昨年エントリーした「地形に刻まれた旧陸軍の跡」で取り上げた東京共同射的會社の射的場跡周辺を徘徊してみた。射的場は水戸徳川家の中屋敷跡に設けられ、現在の東大キャンパスの本郷地区と浅野地区に挟まれた区画にあった。明治17年発行の古地図によれば射的場は谷戸の地形を利用して人工的に土塁を設け、池ノ端側の射撃場から言問通りの弥生坂に向かって着弾地となっている。左の写真は射的場の略中央から池ノ端方向を写したものである。もしもタイムマシンに乗って明治10年代のこの場所にタイムスリップしたならば池ノ端側から銃撃を受け蜂の巣状態になってしまうだろう。着弾地側の弥生坂は明治27〜28年に造られた新坂で別名・鉄砲坂とも云うらしいが、その名は幕府の鉄砲組の射撃場が坂下にあったことに由来すると書籍・「江戸の坂」には記されている。明治17年発行の古地図には未だ弥生坂(言問通り)らしき道の姿形はなく、鉄砲組の射撃場と東京共同射的會社射的場との関係性も不明である。明治20年には射的場北側の台地(水戸徳川家の中屋敷跡の一部)に浅野公爵が屋敷を設け転居しており、翌年の明治21年には東京共同射的會社射的場は大森に移転している。時代の趨勢からか、此の地に射的場は相応しくないとの判断であろう。明治9年に建設が開始され翌年から演習が始まり僅か10年程度でその役割を終えた訳であるから人々の記憶に残らないのも無理はない。故に明治42年の地図を元にした古地図で東京めぐりには射的場は影も形もない。

明治17年発行の地形図:
東京共同射的會社・射的場の北側の土地には未だ浅野公爵家の屋敷は建っていない。


GoogleEarthによる東京共同射的會社・射的場跡
東大本郷キャンパス裏手の暗闇坂・坂下のこの三差路の家の右手を入ると射的場となる。
ジャバラルックの家


凸凹地図で見る地形に刻まれた射的場跡


凸凹地図で見る地形に刻まれた大森射的場跡
大森に移転した東京共同射的會社は現在の大森駅西側の大田区山王の谷戸に戦前まで小銃射的場として営業していたようである。

GoogleEarthによる大森駅と大森射的場跡周辺
現在、その射的場跡はテニスコートとして利用されている。


参照サイト:東京大学・浅野地区の歴史

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January 12, 2007

千住新橋・遠望

川下に向かって千住新橋を遠望する、まさに荒川しずかな風景である。右岸には北千住の高層ビル群が、千住新橋の向こう側に見えるのは小菅の拘置所である。伝え聞くところによると千住新橋のたもとに捨てられていた私を育ててくれたのが戸籍上の両親と云うことである。その育ての親は何かに付け、悪さをすると感化院や小菅の拘置所に連れて行かれるぞと理不尽にも幼い私をよく脅していた。足立九中に隣接する区立図書館で「小公子」「小公女」「家なき子」「母を訪ねて三千里」等の少年少女名作全集を読み漁っていた私はいつの時か実の親が執事を従え迎えにくることを夢想していた。事実が明された時にはは育ての親に御礼するよう実の親に頼んであげよう、いぢめられたと言いつけ恩を仇で返すようなことは止めよう。そう心に誓っていたのだが、一向に実の親が迎えに表れる気配もなく、今日に至ってしまった。人によれば私は育ての親に似ているらしい、犬や猫が飼い主に似ると云う話しは聞くけれど、、、まさか。

と云うことで先日の午後、略50年ぶりに西新井大師に詣で、あのサビオウの前を通り、一年間だけ通った亀田小学校に立ち寄り、嘗ての通学路を自分の生地まで辿り、その隣りの遍照院で祖父母と伯父伯母の墓前に参り、それからバス通りを荒川放水路までアースダイビングしたのであった。
(上図は先日のダイビング・ルートと子供の時の行動範囲である。)詳細は後日エントリー予定。

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January 03, 2007

吉原と佃

左の図は吉原の大門のエントリーに使った14年前に描いた方位図のMiniCadのファイルをPICT形式で保存してあったので、VecterWorksで開きフォント形式を直してEPS形式で保存、それをAdobe Illustrator CS2で開いてPhotoShopのEPS形式に直してからJEPGにて保存。なんて七面倒くさいことをしていたら、もしかすると「吉原御免状」のヒントになったのは佃島じゃないのかと、ふと妄想が膨らんできた。佃島の経緯については東京都の都史紀要「佃島と白魚漁業」に詳しく記されている通り、家康が摂州佃村の漁民に与えた「お墨付き」によって江戸前での白魚漁の漁業権を得たものである。これも表向きは漁民だが特殊な能力を持った一団とする説もある。吉原も佃も現在の場所に定着するまでは日本橋界隈で営業、その後は幕府の庇護の元、人工的な廓や島に移住している。吉原と佃の違いは方位にある。吉原は江戸城の丑寅の鬼門に位置し、は辰巳の吉相に位置している。どちらもミニダイブしているだけに、たんなる妄想による思いつきかも知れないが江戸の異界としての共通点が気になる。因みに吉原のモデルとなった京都島原大門は東向きである。

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December 24, 2006

吉原御免状ミニダイブ

Yoshiwara07.jpg

と云う事で昨日は午後一時、竜泉の一葉記念館に集合して「吉原御免状ミニダイブ」となりました。黒幕二名は急遽不参加となり、主犯の私、共犯のmasaさん、御目付の長老・吉松さん、若頭のfuRuさん、カークさんの五名によるダイブです。吉原御免状を読むまでは艶笑落語くらいでしか吉原について知ることがなかったけれど、実際に曲輪跡を巡ってみると、この屋上工作物の如く、やはり吉原は異界であった。(12/26更新)

Yoshiwara02.jpg

お歯黒ドブ跡の緑地帯に立つmasaさんの大笑いの原因はこれです。普通の通行人から、さぞかし異様な集団に見えた事でしょうね。右手交差点の先が京町二丁目、東南側の廓(曲輪=堀割)に面した河岸が羅生門河岸と呼ばれていた。
これが昨日歩いたルート、人間GPSに付き、途中でメモリーエラーを起こしている恐れがあります。
お歯黒ドブより路地越しに江戸町一丁目を見る。左手が「はとバス」の夜のツアーの花魁ショーで有名だった松葉屋の跡地に建つマンション。吉原御免状の西田屋の裏口はこの辺りであろうか。因みに全日本特殊浴場協会連合会の事務所がこのマンション内に事務所を構えているのも何かの因縁だろうか。


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December 16, 2006

善福寺川ミニダイブ+阿佐ケ谷住宅

先日のTOTAN GALLERY の午後から、一挙に盛り上がりを見せている次回アースダイビングへの期待ですが、前半の善福寺川ミニダイブについては、既に10月28日に善福寺川・調査ミニダイブを済ませております。ルートは上図の通り、地下鉄丸ノ内線方南町駅から出発して善福寺川沿いに約4.2キロを阿佐ケ谷住宅までダイビングするというもので、後は日程の調整ですかね。

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November 24, 2006

川向こうで初体験

隅田川を渡り最終地点の向島「とも」に到着、Take The "A" Tramも無事終了、これからもんじゃで打上というところです。
てことで心配された天候も雨も降らず、なんとか第4回アースダイビング・全行程を歩き通しました。今回のダイビングの動機付は図説 江戸・東京の川と水辺の事典のエントリーに書いた様に、石神井川と荒川の河川争奪戦による地形の変形にありますが、それ以上に王子の堰で分流した音無川の下流、つまり吉原界隈も気になっていました。masaさんと下見に行ったとき日本堤の大林でウーロン茶とビールを酌み交わしながら、打上を向島の"とも"にしようと云うmasaさんの提案に即決。老年探偵団の脚力を考えると向島まで歩くのは無理かなと、電車で行く案も考えたが、GoogleEarthで三ノ輪から向島まで測ると3.2km程の距離、これなら歩くのに問題ないと、3rd-Stageを追加、それに呼応するかのように玉井さんが吉原御免状をエントリー、俄に吉原界隈に関心が集まり始めた次第です。そんな訳でダイビングまでに読了するつもりだった「吉原御免状」先ほど読み終えました。やー面白かったな。さて次は「かくれさと苦界行」だ。

そう、私を含めて殆どのメンバーがもんじゃ初体験でしたが、そう云えば、唯一人、もんじゃから操を守ったお方がいましたね。因みに私は柚子サワーが気に入りました。皆様どーもお疲れさまでした。
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江戸、明治.大正.昭和の台東区を紹介するサイトを見つけました。土手通り吉原大門三ノ輪等の古い写真などもあります。(吉原土手は馬肉屋が並んでいて、毎晩、店は客で一杯で、それこそ大変なにぎわいでした。とある。)
江戸時代の台東区
台東区の明治.大正.昭和
三ノ輪周辺地図・昭和16年
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続々と参加者のブログが更新されます。
Kai-Wai 散策: 第4回アースダイビング
aki's STOCKTAKING: 勤労感謝の日のアースダイビング
MyPlace: 第四回アースダイビング:王子の玉子・むこうじまのもんじゃ-1
af_blog: 4th Earth (half) Diving
N的画譚 ほそーい階段
Roc写真箱 : 4th.Earth Diving@Take The"A"Tram
Roc写真箱 : 王子の茶屋(Tea Houses at Ogee Yedo)
ONE DAY : 上海の途中ではありますが...<アースダイビングに参加しました!>@日本
一年三六五枚 : すてる神、ひろう神
LOVEGARDEN : ポインセチア
気分は3knot:アースダイビング
kaoru photo...2: 漕ぎだそう、縄文へ(11/25)
東京クリップ: アースダイビング(片側町を行く)
秋谷日記
simple pleasure: 子連れダイブはさわりだけ

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November 22, 2006

アースダイビングは妄想力

明日のダイブの最終地点・向島で「もんじゃ」を食すことになっているが、私もaki隊長もこの「もんじゃ」を食したことがない。妄想力を膨らますと荒川下流域の低湿地帯を歩いた後の打上に、これほど相応しい食べ物はないように思える。

月島界隈の駄菓子屋が起源とされるこの食べ物、まるで海進期が終わり水が引いた後の江戸東京デルタ地帯を表徴しているようである。漂流物で土手を造り、水が引け地面が現れたところをヘラで刮げ取り食す。粉系食べ物の中でもこれほど水分を多量に含んだものはない、形が崩れ原形も定かにあらず得体も知れない大洪水の後の森羅万象でさえもを食べてしまう下町の餓鬼共の逞しさを見習おう。

Posted by S.Igarashi at 11:02 AM | コメント (9) | トラックバック

November 12, 2006

Take The "A" Tram

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このmasaさん提供の凸凹地図が「アースダイビングはトラムに乗って」の全行程です。都電荒川線(赤)三ノ輪橋駅からは徒歩(黄)で土手通りを下り隅田川を渡り、ゴール地点の向島まで行きます。

第四回「アースダイビングはトラムに乗って」
 今回のアースダイビングは江戸・東京を構成する武蔵野台地と荒川水系下流域である低湿地帯の二つの異質な地形を走る都電荒川線を利用し、その中間地点でもあり、二つの地形の結接点である王子・飛鳥山・音無川流域を集中的にダイブした後、音無川が山谷堀となって隅田川に注ぎ込んでいた川口跡を確認して川向こうの向島に渡ります。
 音無川は石神井川と荒川(隅田川)との間で繰り広げられた河川争奪戦により生まれた比較的歴史の浅い河川です。この音無川誕生の経緯には自然説と人工説の二つがあり、これも学者の間で決着が付いてない様です。
 また、王子・飛鳥山には歴史上二人の人物が大きく関わっています。一人はこの地を江戸の娯楽観光地とした紀州徳川家出身の徳川吉宗、もう一人は大蔵省、第一国立銀行を経て実業家となった埼玉県深谷出身の渋沢栄一です。
 これらのキーワードから妄想を膨らませればアースダイビングは100倍楽しくなるでしょう。

今回はあの吉原大門の前も通ります。タイミング良く、玉井さんが本日吉原御免状をエントリーしています。私もMAD Press 1993/7/31に書いた阿呆臭い雑文吉原の大門をエントリーしてました。

・日時 2006年11月23日(祭日)AM11:30〜PM9:00(26日はタイプミスによる間違いでした。m(__)m)
・内容
Prologue  都電荒川線にて早稲田から飛鳥山までの小旅行
1st-Stage 飛鳥山博物館から音無川流域を散策
2nd-Stage 北とぴあから武蔵野台地東端の崖線沿いを散策
3rd-Stage 三ノ輪橋から音無川下流を隅田川まで散策
Epilogue  向島・もんじゃ焼き「とも」にて打ち上げ、宴会。(会費4000円・飲み物代込み)
宴会参加希望者は11月20日までに連絡下さい。
        
・集合場所
11:30 (1)都電荒川線・早稲田駅 (11:34始発に乗車)
12:00 (2)飛鳥山博物館1階ロビー (12:30第一部開始)
14:00 (3)北とぴあ17階展望室 (14:30第二部開始)

今回、集合する場所を三ヶ所設定しました。江戸東京の地形を体感するにはフルコース参加が最良ですが、途中から参加する方や遅れた方は都合の良い集合場所から合流して下さい。或いは配布資料のダイビングルートを参考にして追い付いて下さっても構いません。
尚、東京都地質調査業協会の技術ノートNo.29「東京のまちなみ」に掲載の「都電荒川線沿線のあゆみ」も今回のアースダイビングに最適の資料です。

既に参加表明されている方には配布資料のダウンロード方法と宴会参加希望の有無についてメールで連絡致します。

参加を希望される方はこちらのコメント欄に書き込むか、こちらにメールして下さい。
尚、勤続疲労の所為か当方ブログコメント欄のレスポンスが悪くなっています。時折、書込しても空白の場合もありますが、サーバーにはコメントが残っていますのでそのままにしてくだされば、後ほど手作業でリビルドしてブログコメント欄に反映するように致します。

Posted by S.Igarashi at 12:06 PM | トラックバック

November 07, 2006

音無川下流

minowa-otonashi3a.jpg

三ノ輪二丁目を流れていた音無川下流(現・暗渠)に立ちカメラを構えているmasaさんとその被写体になっているのは、職人の住いらしく手入れの行き届いた押縁下見板張りの石屋(基礎部分に注目)。この周辺地図の区界が川の跡になっている。音無川は浄閑寺の前で、そのまま辰巳の方向に下り土手通り沿いの山谷堀に流れる川筋と、南千住の南端区界を東に流れ白鬚橋付近で隅田川に流れる思川(別名:駒洗川)とに分流された。因みに泪橋はその思川に架かる橋の名であった。分流地点付近には、こんな謎の二列の道路横断マンホールがある。ところで、今朝の東京新聞のコラムであるが、三ノ輪で生まれた天才アラーキこと荒木経惟氏は浄閑寺の境内でこんなことをしていたそうだ。うーん、「栴檀は双葉より芳し」か、なんのこっちゃ。

Posted by S.Igarashi at 01:43 PM | コメント (2) | トラックバック

October 29, 2006

善福寺川・調査ミニダイブ

と云う事で昨日はこのコメントの通り、善福寺川の調査ミニダイブしてきた。スタート地点は上図右上の丸ノ内線・東高円寺駅、ゴール地点は阿佐ケ谷テラスハウスだ。ゴールでmasaさんと落ち合う予定で、先ずは蚕糸の森公園を通り抜けて環七に出る。妙法寺入り口の信号で環七を横断して、妙法寺の前を通り荒玉水道通りに出る。この道は青梅街道から善福寺川に向かって緩やかに下ってゆく。そして済美橋から善福寺川沿いの遊歩道を歩き調査ミニダイブの開始だ。歩き始めて感じたのは、善福寺川流域の自然と緑を守ろうとする行政の意志である。流域の空き地やぽつねんと取り残された廃屋に、既存の公園や緑地帯を更に拡幅整備して善福寺川流域をグリーンベルトにする構想が読み取れる。杉並区21世紀ビジョン・答申書を読むと、その目標の1に「水辺をよみがえらせ、みどりのまちをつくろう」とある。全体構想が実を結ぶまでは長い年月が掛かるであろうが、未来の人々に共有の場所としての緑の流域を残せたら素晴らしいことだろう。
反省:帰宅してからもう一度地図を見て気付いたが、スタート地点は丸ノ内線・方南町駅(上図右下のGoogle)にした方が良さそうだ。因みに方南町から阿佐ケ谷テラスハウスまでのルートでは約4.19キロの距離で歩きが一時間+道草ロスタイムでミニダイブに適した距離だろう。

GoogleEarthでは建造物が撤去された跡があり、緑地は整備されてないが、現在は緑地となっている。なだらかな起伏が嘗ての地形を彷彿させる。( 35°41'19.00"N 139°38'40.97"E)
対岸上流の川べりに建つ廃屋( 35°41'12.78"N 139°38'40.26"E)の周辺は空き地(原っぱ)となっている。


和田堀公園( 35°41'4.70"N 139°38'24.27"E)の池の周囲は鬱蒼とした緑に囲まれている。


和田堀公園付近の善福寺川、左手は大宮八幡宮の森、鬱蒼とした緑は想像以上であった。現在はシートパイルと間知石積みの護岸工事がされている。水害対策と親水性、相矛盾する目標も、流域に運動公園に転用可能な多目的な調整池を整備するなどして両立させられるような気もする。


明治13年(1880)の善福寺川流域、公団・阿佐ケ谷住宅の敷地は水田であった。水田や畑の他に杉林や楢(ナラ)の森や林が多い。


大正10年(1921)の善福寺川流域。未だこの時代は、中央線の中野駅と荻窪駅の間に駅はなかった。集落は街道沿いにある程度。


昭和30年(1955)の善福寺川流域。中央線沿線から青梅街道沿いに市街地化が進んでいるが、まだ公団・阿佐ケ谷住宅の敷地は水田であった。



東京都遺跡地図情報インターネット提供サービスにある遺跡地図は生憎とこの善福寺川流域が継ぎ目となっていたので遺跡地図四枚分を貼り合わせ善福寺川流域だけを切り抜いた。尚、遺跡名称等は杉並区-遺跡一覧を参照。
ダイブ中に怪しいと思っていた済美橋南側の小高い丘は済美台遺跡(No.62)だった。
因みに公団・阿佐ケ谷住宅の敷地は低地(水田)なので、当然遺跡はみられないが善福寺川対岸の台地縁辺には縄文集落の熊野神社遺跡(No.62)がある。