December 23, 2003

NO LOGO

「NO LOGO」ブランドなんか、いらない ナオミ・クライン著、松島聖子訳(はまの出版 2001年5月)

この本を知ったのは2002年3月のメディア・リテラシー研究報告会「メルプロジェクト・シンポジウム」に於ける報告者であるカナダ・メディア・リテラシー協会のバリー・ダンカン氏の推奨によるものだった。
カナダに留学経験のある友達に聞いた話ではカナダ人ほどアメリカ人を嫌う国民はないと云う、特に欧州を旅行する際には「アホで間抜けなアメリカ白人」と間違えられないように国旗の赤いカエデのタグを身に付ける人もいるという。情報の流入に関してアメリカとカナダには国境はない、止めどなく押し寄せる情報に対して、自らのアイデンティティを保つには情報の行間に隠された文脈を読み解く技術を身に付けることが彼らには求められている。そういえばメディア研究の先駆者マクルーハンもカナダ人であった。

「NO LOGO」はコンテンツを読んで判る通りに、反グローバリズムの立場から多国籍企業の非民主的な企業活動を批判したものである。執筆には4年の歳月を掛け、その内二年間はリサーチに費やしたことからも、単なる思いつきからでも、反対のための反対という動機づけでもない。理想は搾取や支配や隷属のない民主的な企業経営によって成り立つ世界である。
本来、社会や行政は企業が暴走しないように歯止めを掛けなければいかないのだが、米国に習ってか此の国の政府も企業の暴走に力を貸しているようにも思える。先日の文芸春秋の新聞広告で「◎少子高齢化ニッポンの未来 死に物狂いで成長を実現せよ 我々は新しい繁栄の時代の出発点に立っている 奥田碩」とトヨタの会長が吠えていたのを見て、「死に物狂い」の言葉が軍国主義の残像のように思えて仕方ない。
「NO LOGO」ブランドなんか、いらない ・・・・目次
第1部 ノー・スペース【奪われた公共空間】
1) 新しいブランド世界(ブランドの誕生、死、復活)
2) ブランドの拡大戦略(ロゴはいかにして中央舞台に立ったか)
3) クール・マーケティング(狙われた若者市場)
4) ブランドの学校進出(キャンパスに入り込んだ企業広告)
5) 愛国心はファンキーだ(取り込まれたアイデンティティ政治)

第2部 ノー・チョイス【奪われた選択肢】
6) 増殖するスーパーブランド(新・フランチャイズ爆弾)
7) 合併とシナジー(エリートたちのユートピア)
8) 企業による検閲(ブランド村のバリケード)
第3部 ノー・ジョブ【奪われた仕事】
9) 見捨てられた工場(製造なんて、くだらない)
10) 先進国の労働者いじめ(タダ働きから「フリーエージェント」まで)
11) 忠誠心がなくなるとき(怒れる若い労働者)
第4部 ノー・ロゴ【そして反撃は始まった】
12) カルチャー・ジャム(攻撃された広告看板)
13) リクレイム・ザ・ストリート(自由空間を取り戻そう)
14)悪いムードの高まり(企業の悪が暴れるとき)
15) 反撃の嵐(反ブランド運動の戦略)
16) 三つのロゴの物語(ナイキ、シェル、マクドナルド)
17) 地域のボイコット(学生と地方政府の反ブランド戦略)
18) ブランドを超えて(反企業運動の落とし穴)
終章) 市民がつくる新世界(「グローバル・コモン」を目指して)

Posted by S.Igarashi at December 23, 2003 03:45 PM | トラックバック
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