September 09, 2006

梅田町の家・ビフォーアフター

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昭和12年頃の梅田町の母(右から二人目)の実家である。敷地は写真手前の敷地内の池を挟み梅田稲荷に隣接し、東隣は真言宗の寺である遍照院と裏木戸で繋がっていた。周囲は未だ田園の面影を残し、西側道路に沿って流れる川では蜆も取れ、堀割や水路と溜池が点在しているような地域(1909年頃の地図)であった。この写真はある意味で当時の足立南部の低湿地帯に建つ住宅をよく表わしているのであろう。

母方の祖父は元々は現在の後楽園遊園地にあった陸軍省砲兵工廠に勤める事務職であったが、その後、木場で材木商を営み、材木商で儲けた資金で梅田町に土地を求め、養豚業を始める為に小石川林町の仕舞屋から越してきたのである。祖父は茨城の水海道出身なので、東京近郊の足立に越すことなど、何の不都合もないだろうが、母やその兄妹には住み慣れた林町を離れるには抵抗があったようだ。ましてや養豚業である。祖父は終戦後には養豚業を廃業していたが、戦前から保険代理店も兼業し、無尽講から派生した信用組合等の金融業とも関わりを持っていた。
写真の左端が伯父夫婦と従兄弟、続いて祖母と祖父、母の姉妹である。昭和15年に結婚した両親は戦時中はこの家の裏手にある祖父が娘達の為に建てた借家に住んでおり、疎開先も決まり荷物をまとめた日の深夜、つまり昭和20年3月10日の東京大空襲で焼失し、焼け出され、着の身着のままで両親は疎開先の会津に向かった。終戦後は同じ敷地に祖父、伯父、両親とそれぞれ個別のバラックを建て疎開先から家族を呼び戻し住み始めた。その焼け跡に建てられたバラックが私の生家であった。私が物心着いた頃は空襲で焼失した母屋のモザイクタイル貼りの浴槽だけが残っており、その浴槽で金魚が飼われていた。浴槽もやがて取り壊されそのコンクリートガラを路床にして表木戸から祖父の家までのコンクリート舗装となった。やがて伯父の家族が梅島に転居、祖父も亡くなり、昭和32年に私の家族が八王子に転居し、梅田町から誰もいなくなり、その後、町名や住居表示等も変更され梅田町も梅田となった。今は祖父らの墓が隣の遍照院に残るのみである。

umeda03.jpg53年前の今日、昭和28年(1953年)9月9日、梅田稲荷の祭りの日、父が日曜大工で作ってくれた神輿を担ぐ私と兄、後ろに見えるバラックが私の生家である。この後、もう少し程度のよいバラックに建替えられ、明るい色のペンキで塗られたが、その家も天井は張られてなく、雨降りで遊びに行けない時は畳みに寝転がり小屋裏の材木の木目や等級を示す文字を眺めていた。
こんなバラックでも敷地は板塀で囲われ、木戸で外界とは画され、隣の遍照院を含めて其処は我々兄弟にとって他人の入り込まない聖域でもあった。一方の梅田稲荷は境内の片隅には遊具も置かれ、午後3時過ぎともなると学校から帰ってきた子供達が三々五々集まり、遊びの輪が広がっていく様な開放された場所であった。当然そこには紙芝居屋等の子供相手の出商人も定期的にやってきた。


お化け煙突
1956 西新井橋
荒川放水路

Posted by S.Igarashi at September 9, 2006 10:39 AM
コメント

わきたさん、どーも。
そうですね、足立に済んでいた頃は繁華街に行くと必ず傷痍軍人を見掛けましたね。
キャロル・リードの『第三の男』も戦争の影を引きずった映画で・・妙にリアルで懐かしい感じ・・を受けると思ったら僕が生まれた年に制作されたものでしたね、納得。因みにオーソン・ウェルズ は僕と誕生日が同じ。

Posted by: iGa at September 12, 2006 10:08 AM

iGaさん、こんばんは。戦前のお写真、ものすごく大きなお宅ですね〜。戦前の雰囲気、地図とともによく理解できます。もう1枚の写真は、「戦後の雰囲気」がよくわかります。僕のばあい、一番古い記憶が昭和30年代後半ですし、その頃は公団住宅で暮らしていたので、「戦後」を身近に感じることはありませんでした。たまに街に買い物に親と出かけたときに出会う、傷痍軍人の方たちに、「戦後の雰囲気」を感じていたのかもしれません。masaさんのブログの最近のエントリーのコメント欄で話題になっている小津映画ですが、どの作品も戦争を引きずっています。「もはや戦後ではない」といわれた時代以降に生まれた者には、そのことが経験していないにも関わらず妙になリアルな感じでした。

Posted by: わきた・けんいち at September 11, 2006 09:46 PM

masaさん、どーも。
たぶん、近所のノブちゃんから借りてきたカメラで撮影してます。サイズがブロニー版の 6cm×4.5cmのベタ焼きなのでこれが限界です。
先棒担いでいるのが二つ違いの兄ですから、masaさんは兄と僕の間で、神輿に担がれている感じですかね。

Posted by: iGa at September 9, 2006 04:07 PM

貴重なお話と写真を、ありがとうございます。iGaさんの写っている写真も、お化け煙突と同様に、父上様がお撮りになったものでしょうか…。もの凄く良い写真ですね。僕が写っているわけでもないのに、なんだかジーンときます。こんな感じでした…。

Posted by: masa at September 9, 2006 02:35 PM