新宿でん八物語
Amazonの内容紹介には『語り明かされる「でん八」50年の歴史と新宿酒場の青春! 「でん八」の歴史を振り返ると、60・70年代の新宿酒場文化がよみがえる! 60年代・70年代の動乱期、80年代・90年代のバブル期を経て、現在にいたるまで、新宿の居酒屋「でん八」には、それぞれの青春が刻まれている。 いまは亡き、あの梨元勝レポーターや、いかりや長(介)さん、安岡力也さん、井上大(輔)ちゃんなど……みんな「でん八」仲間だった。』とある。ふ〜ん、そうだったのか…と知らないことが多い。
11月30日は「でん八」の五十周年の記念パーティに行ってきたのだ。と云うことで、その引き出物が本書である。
僕が「でん八」に初めて行ったのは四十年前くらいだろう、「その1」でも「その3」でもなく「でん八・その2」と云って新宿末広亭の裏、「どん底」の隣の建物、階段を昇った2階の店主曰く・中華スナックであった。其処は当時、僕が勤めていた高木滋生建築設計事務所の行付けの呑屋で、仕事が一段落しての打上とか、何か理由があるなしに関わらず利用していた店だ。「でん八」との関わり合いは高木事務所OBでもあった平瀬さんのエバンジェリストとしての影響が強いようで、先輩、同期、後輩を次々と「でん八」ワールドに誘い込み、高木さんもその例にもれない。僕が勤めたころ、平瀬さんは既に高木事務所を離れ、高木さんの同級生の曽根さんの事務所で働いていた。僕が平瀬さんに会ったのは三度だけ、最初が「でん八・その2」で、次が「でん八・青山店」、最後が北朝鮮旅行報告会が行われた目黒のメゾネット・アパートにあったOM研究所であった。その次はなく…平瀬さんの写真を携え、湯河原の山中や海岸をウロウロと…
もう一人、記念パーティに現れなかった人物がいる。傳八、青山店と銀座店の内装工事を請け負った簗田さんだ。彼は高木事務所に出入りしていた内装業者で、彼は酒は呑めなかったけれど、「でん八・その2」にもしばしば付きあうようになった。…そこでマスターのアキちゃんから「簗ちゃん頼むよ」と長イスのシートの貼替えを頼まれたのが、最初の仕事ではなかろうか。アキちゃんが見本帳から選んだビニールレザーの色はグリーン、それまでのオレンジから一転となった。
僕が「でん八」に行くとアキちゃんの挨拶の言葉は「高木さんはどうしてる?」だった。その高木さんは昨年暮に亡くなったが、生きていれば今年、事務所開設五十周年記念パーティをするつもりだったようだが。その替わりに「でん八」の五十周年の記念パーティと云う訳かもしれない。
二次会は歌舞伎町の「でん八」で…
高木事務所に務めていた頃、平瀬さんに紹介された山中湖の丸格建築で社長から「秋山さんって知ってる。?」と聞かれたり、傳八銀座店のオープニングの時、アキちゃんから、奥のテーブルを指さし…「あそこに永田や秋山が居るよ。」と言われたり、もう一人の「akiちゃん」に出あう前から…なにかとニアミスをしていたのである。
「新宿でん八物語」発行元のBlog・大槌の風 2014年1〜3月のアーカイブに本書の原稿が多数…
追記
aki's STOCKTAKING:「でん八」50周年
関連
アースダイニング
shin さん、どうもです。
秋山さんは「でん八・その2」の常連ではないですね。
ニアミスは僕が中高生の頃、通っていた八王子のクラウン模型や、八王子の放射線通りにあったモデルカーのスロットレーシングのサーキット(AKiの旦那の父上が顧問をしていたと云う)で、既にあったようです。
高木事務所も御用達で
おまけに店はアキちゃんで
永田さんや秋山さんも常連だったのですか?
iGAさんとAKiの旦那は
何だか運命の糸で結ばれて他のですね