June 17, 2010

Born In The Occupied Japan

"Born In The U.S.A"を唄ったBruce Springsteenと私は同い歳であるが、決定的な違いは彼の生まれた国の軍隊よって占領された国で私は生まれたと云うことであろう。彼の仲間がベトナムの戦場に送られていたいた頃、制空権を支配されアメリカの空と化した三多摩の空を我が物顔で編隊飛行するファントムを見上げていた。
戦後65年を経った現在、在日米軍が常時駐屯している軍事施設のある都道府県は左の通り、本土からはなくなった射撃場や軍事訓練施設が残るのは沖縄だけである。その他に日米地位協定によって自衛隊の施設や基地は随時使用できる訳であるから、65年前の占領時代と大差ないような気もする。その上、有事法制によって、有事必要とあらば民有地であろうと軍が没収することも...ありうる訳で、平和といっても薄皮一枚の差でしかない。この地図を作成して解ったことは先の大戦で多くの民間人犠牲者が出た地域にだけ今でも米軍の専用基地があることである。彼らは犠牲者の死霊が出るのを恐れて居座り、死者にも支配を続けているのだろうか...

追記:実は下書きは5/24に済ませてあったのだが、普天間問題の経緯をみている間にエントリーし損ねていたた。akiさんから今日の東京新聞に世界の米軍基地と米軍駐留経費の受入国負担が出てると云う話があったので、確か日曜版にあった筈と調べると、6/13の大図解シリーズ日米安保50年(No.945)の左下にありました。と云うことで『6.15 安田講堂シンポ』にも行ってきたので改めてエントリー...。

サイゴン陥落30年
多摩丘陵の旧陸軍施設
リンダ・ホーグランド監督作品「映画・ANPO・予告編

Posted by S.Igarashi at June 17, 2010 11:48 AM | トラックバック
コメント

まぁ洋風とか和風とかと同じで、結局、日本は独立国家ではなく独立風国家と云うことで、その実態は属国以外の何ものでも....

てことで、またまた米国の損失補填をさせられるようで...
http://www.amakiblog.com/archives/2010/06/27/#001635

Posted by: iGa at June 28, 2010 05:19 PM

恫喝...不明。
日本国中ロッキード・ジケンの渦中でミグ到来なんぞ霞んでいたわけで。ロッキード...S宇宙人か。
そういえば「Apple I 」が世に出たのがこの1976年でしたか。

Posted by: Nagatama at June 24, 2010 11:59 AM

御両人、どうもです。

そういえば北海道が選挙区の宇宙人が何と恫喝されたのか...知りたいです...

その新鋭機でも真空管を使っていたと云う話で...コアなマニアの間ではミグの真空管を使ったオーディオアンプ制作が...密かに流行っていたとか...

Posted by: iGa at June 22, 2010 10:34 AM

iGaさま、ご挨拶なしで失礼しました。
蝦夷国の広大な原野はセンソーごっこにもってこいです。情婦根性から足を洗うにはクマの手でも借りたいくらい。

Posted by: Nagatama at June 22, 2010 01:12 AM

なにせベレンコ中尉が函館空港へ着陸し、新鋭機を米国に献上した次の週、道内の工事現場は、重機が来ないのでストップしてしまったという土地柄です。道内の重機運搬車は全て、ホホーツク街道の脇道に戦車を積んだまま2週間程待機していたとか。

Posted by: fumanchu at June 21, 2010 09:33 PM

Nagatamaさん、初めまして、コメントありがとうございます。
そういえば、Fumanchu 先生から名前は伺っていました。今後とも宜しくお願いします。
まぁ...自衛隊演習場とは名ばかりで、その実態は日米地位協定 4-2-(b)で...いつでも我が物顔にふるまえる...てことですね。

しかし、情婦から『もう、こんな生活...嫌!...』と別れを切り出だされる前に...力を誇示して...恫喝するとは....まったくヤクザと同じで...一度掴んだ金蔓は...

Posted by: iGa at June 21, 2010 08:29 AM

日本国北方領土内では、牛は口蹄疫ではなく米軍のドンパチでビビっている模様。
http://blogs.yahoo.co.jp/biwalakesix/25465437.html

現地と地続きのラーメン屋のカウンターでは、小学生の女の子を連れたお母さんが「今年の夏休みの宿題は自衛隊がどんなふうに国を守っているか調べようか」と話している...。

Posted by: Nagatama at June 21, 2010 05:11 AM

Fumanchu 先生には東亜細亜の漂泊者の遺伝子が...脈々とですね。

Posted by: iGa at June 18, 2010 09:20 AM

和訳滋賀であった一番感動的な元少女は、新宿駅北口横断地下道の出口左側にあった、ロシアンバ-のマダム。学生時代から一度行ってみたいと思っていたのが、数十年後に念願かなって入ってみた。乾きものとウォッカしかない、という昔ながらのメニューを堪能、話を聞いてみると、その昔満映から歌手デビューしたことがあるとのことで、当時のブロマイドと、カセットに入れたデビューソングを聴かせてもらったのであった。

Posted by: Fumanchu at June 17, 2010 07:55 PM

Fumanchu 先生は、横浜ノースドック(35.469444,139.65)周辺のブロークンすぎるパングリッシュを喋る嘗ての乙女たちに....稼いだ金を巻き上げられる...なんてこと...なかったと思いますが...

沖縄もスラムクリアランスと称して...嘗て乙女だった人たちの生活の場を奪い...都合の悪い歴史を消し去る...動きがあるようですね。

Posted by: iGa at June 17, 2010 05:54 PM

当時の私は悪友に誘われ、バリケードストの神奈川大学から米軍瑞穂埠頭へ沖仲仕のバイトに通っていたのであります。

http://www.trekearth.com/gallery/Asia/Japan///photo486772.htm

は瑞穂埠頭の入り口です。

Posted by: Fumanchu at June 17, 2010 03:00 PM