January 31, 2009

国境線

1961年12月・帝国書院発行の中学校社会科地図帳である。この地図は地中海沿岸地方の東端であるが、ガザ地区を見ると当時のアラブ連合共和国(エジプト)の領土となっている。既に表紙もボロボロになった地図帳だが、今となっては或る意味で貴重である。やはり世界地図も戦前戦後と少なくとも10年毎に揃えないと、世界情勢も分からなくなる。
そのガザから南南東に真直ぐ走る国境線は映画・アラビアのロレンスでオスマン帝国(トルコ)からの奪還作戦で印象に残っているアカバ湾に達している。映画に描かれたオスマン帝国に対するアラブ反乱も結果として、アラブの地をオスマン帝国に代わって英国が委任統治する口実に利用された。アラブにとっては支配者が代わっただけ、そして第二次世界大戦後、英国の後ろ楯により中東地域の更なる紛争の火種、イスラエルが建国されることになる。

 考えてみると、日本だって幕末に西郷隆盛が勝海舟の忠告を聴入れず英国の軍事援助を受入れたりしていたら、幕府方のフランスと、日本の内戦を利用した英仏代理戦争が起きて、日本の国力が疲弊したところで、お約束による英仏の談合で東日本がフランス領、西日本が英国領となっていただろう。

似たような話しは第二次世界大戦のギリシャもそうだ。連合軍の軍事援助でギリシャからドイツ軍は去ったが、ドイツに代わってギリシャを支配したのは英国となり、これも支配者が交代しただけである。それについては3年前のエントリー・戦争と建築家(March 20, 2006)にも書いている。

そういえば植民地と云う言葉と共に帝国と云う言葉も表面上は使われなくなった。「帝国」に代わり使われるようになった言葉が「大国」であるが、政治の表面に現れることのない支配者の影が常に「大国」に付きまとっている。オバマがイスラエルを支持しアフガンに戦力を増強することで、誰の利益に繋がるのだろうか...何れにせよ国民とか市民とか人民とか、民の名で呼ばれる人ではなさそうだ...。


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南北に走る停戦協定ラインの右(東)がイスラエル、左(西)はガザ地区である。資本力を投入し灌漑設備の整った近代的大規模農業を推進するイスラエルと対照的なガザ地区の農地。

GoogleEarth-gazaAP.jpg日本からも資金援助されて建設されたヤーセル・アラファト国際空港は2001年イスラエルの攻撃によって破壊された。


パレスチナ情報センター
パレスチナ情報センター:『占領ノート』掲載地図

Posted by S.Igarashi at January 31, 2009 10:00 AM
コメント

玉井さん
同時多発テロの前か後かの記述は不明ですが、ヤーセル・アラファト国際空港はブッシュが大統領に就任した2001年に空爆されてますから、なんとなく、クリントンの任期が終ってから、ブッシュとの合意の元、空爆の機会を狙っていたのでしょうね。

ヤーセル・アラファト国際空港には日本も資金援助して建設された訳ですが、日本がイスラエルに対して抗議したという、記憶もないですね。

Posted by: iGa at February 3, 2009 10:54 AM

こんなところに空港があるんですね
こんなに壊されている
つらい、腹立たしい写真ですね
空港だから、爆撃でこどもたちが殺されたわけではないというのが
わずかに救われる気持ですが


Posted by: 玉井一匡 at February 3, 2009 07:40 AM

玉井さん、どうもです。

昔の地図を見ると、サイードがパレスチナで生まれて少年時代はカイロで過したというのもなるほどです。

そういえば、積極的にパレスチナ和平プロセスを仲介したクリントンの意思をヒラリーとオバマがどれだけ継承できるかも問われますね。そのクリントンが開港式にも出席したというヤーセル・アラファト国際空港がガザの南端にイスラエル軍による空爆によって破壊された姿を横たえています。GoogleMapでは破壊された滑走路にイスラエル占領の印かダビデの星も見えます。


Posted by: iGa at February 1, 2009 02:25 PM

ガザがあんなことになっているというのに、やっと先週、Googleマップを開いてみたら地中海に面しているし西にはエジプトがある。
恥ずかしいことながら、それまでガザがどんなところにあるのか知らず、周囲をイスラエルの国に囲まれているのだとばかり思っていましたから、閉塞感がやや薄れました。
かつてはエジプトに所属していたというのは、これで初めて知りました。
ぼくは、オバマには、まだ希望を持っていたいと思います。

Posted by: 玉井一匡 at February 1, 2009 11:05 AM