So What「マイルス・デイヴィスの生涯」
ジョン スウェッド (著),丸山京子(翻訳)定価(3600円+税)
シンコーミュージックエンタテイメント ; ISBN: 4401618890
奥付を見ると2004年11月14日とあるから、書店に並んだのは先月末だろう。書店でタモリが書いた坂道美学入門の本がないか、タレント関連の書棚を物色していたとき、この本を見つけた。坂道美学入門はなかったが、躊躇することなく本を手にしてレジに向かった。タモリはマイルス・デイヴィスに直接インタビューしたことのある数少ない日本人の一人であり、お笑い芸人としては唯一だろう。そしてジャズ愛好家としては故・植草甚一氏のコレクションを引き継いでいるコレクターでもある。だからマイルスとの邂逅を演出してくれたのも何かの因果だろう。
コルトレーンの命日は記憶していても、マイルスの命日は僕の記憶から消えていた。マイルスが亡くなっても哀しくはなかった。唯、一つの時代が終わったという思いだけだった。マイルス・デイヴィスは僕にとって紛れもなく唯一無二のアイドルだった。だから、彼がどんなに自分の演奏スタイルを変えても受け入れることができた。60年代のマイルスを愛した保守的なジャズ愛好家にとって80年代のマイルスは屈辱以外の何ものでもなかっただろう。僕が最後にマイルスの演奏をライブで聴いたのは1987年のライブ・アンダー・ザ・スカイだった。当時、好んで演奏したシンディ・ローパーのタイム・アフター・タイムやスケッチ・オブ・スペインからのフレーズには演奏スタイルは変わっても、変わらないマイルスの何かがあった。
マイルス・デイヴィスが亡くなって13年、ようやく、波乱に満ちた彼の生涯を検証する本が世に出た。生い立ちから、60年代までを語っている本はこれまでに何度か読んだ事があるが、70年代や80年代、そして最後となった90年代のマイルスを検証した本は皆無に等しい。作者のジョン スウェッド はイェール大学・人類学の教授、アフリカ系アメリカ人研究が専門。全447頁+ディスコグラフィー24頁に亙る本書は丹念に調べられた資料と関係者からのインタビューと云う実証的なスタンスによっている。マイルスのアルバムとそのレコーディング時の数々の証言等、僕たちが知らなかった事実が浮かび上がってくる。マイルスを知っている人にも読みごたえのある内容である。
その死後、10年以上経ってなお、マイルス・ディヴィスの人気は衰えるどころか、高まる一方だ。今も彼の音楽はあらゆる所で流れ、「カインド・オブ・ブルー」は既に古典の一枚と見なされている。(※「カインド・オブ・ブルー」は今でも全米だけで週に5000枚売れているという。)彼が共演したのは、チャーリー・パーカーからセロニアス・モンクまで、ジャズ界が輩出した屈指のプレイヤーばかり。その従者達---ジョン・コルトレーン、ウェイン・ショーター、チック・コリア、キース・ジャレット、ジョン・マクラフリン---はそれぞれがジャズ界のスターとなった。そのクールで、ヒップでフレッシュなイメージは当時のまま。それでいてマイルス氏自身は謎のヴェールをまとい、その生涯は数々の神話に彩られている。なぜ頻繁に彼はスタイルを変えたのか?なぜ、あれほど人につらくあたり、時には敵意まで抱くような態度をとったのか?なぜ、そのキャリアが全盛期を迎えた時、人前で演奏することを止め、何年間も人目を避けるように自宅の暗闇の中に引きこもってしまったのか?あの大統領選挙のブッシュ支持の赤く塗られた地域ではマイルスの音楽は理解されないだろうな。ということで、「カインド・オブ・ブルー」と、死の二ヶ月前にレコーディングされたクィンシーン・ジョーンズとのコラボレーション、「ライブ・アット・モントルー」を聴きながら書いている。 Posted by S.Igarashi at November 6, 2004 12:40 PM
ビッチェズ・ブリューにジョン・マクラフリン(マックロウリン)がなぜ起用されたのかが 長年の疑問だったのですが、この本によれば、マイルス曰くジョンのギターを「効果音として」欲しかったんですと。不器用で 一瞬レコードがとまったのかと思えるようなジョンのギターワーク、でもマイルスはそれがとても好きだったんでしょうね。
Posted by: いのうえ at November 13, 2004 10:44 PMノン・フィクションの書き手として丹念に史実を掘り起こし読み解き、関係者に聞き取り調査する制作過程はドウス・昌代のイサムノグチと共通するものがあります。資料としては英語で書かれたものでなく外国語のものも参照にしたとありますから、スウィング・ジャーナル誌のインタビュー等も含まれていると思います。僕がマイルスを聴き始めた60年代後半に二度目の来日公演が予定されラジオから公演を宣伝するマイルストーンが流れていましたが、これは入国管理局の許可が下りずに中止となりました。その前に、エルビン・ジョーンズが日本国内でパクられてブタ箱に入れられていたこともあり、ジャズ=不良=麻薬という図式が定着していたこともあるでしょう。その後、73年、75年と続いて来日したときも本当なのか半信半疑でチケットを買い求めた記憶があります。
米国では生涯、正当に評価されることがなかったと思いますが、マイルスが引きこもっていた時期にもスウィング・ジャーナル誌の取材に応じるなど日本に対しては好印象を抱いていたと思います。その辺りの時期の記事で白人の学卒で1万ドルの年収という時代にマイルスの年収が3万ドル程度(1ドル360円時代)だったと記憶してます。これでも黒人音楽家としてはマシな方です。ですから、来日公演で手にするギャラを思えば、マイルスといえども愛想が良くなるでしょう。
後年、タモリのインタビューに応えていたときも、気難し屋のマイルスとは思えないほど、機嫌が良く、インタビューに応えながら絵を描いていて、その絵をタモリはプレゼントされています。役得で手にしたタモリの貴重なお宝でしょうね。他にも来日時には身の回りの世話を焼いてくれる京都の女性(Sのママ)がいたりとか、マイルスにとって日本は別天地だったかも知れません。
面白そうな本ですね。
今回の大統領選挙でアメリカについて考えさせられています。
僕のエントリーでは「もうひとつのアメリカ」というテーマで書いているんですが、今まで好意的に見えていたアメリカが、
AKiさんのエントリー
http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/000533.html
の地図で見るほんのわずかな青い部分でしかなかったこと。そして、その他の赤い部分については全然見えていなかったということです。ちょっとショックでした。
iGaさんが言われるように
マイルスの音楽は青いアメリカを僕らに強くアピールしていると思います。そして、強くアピールすることによって赤いアメリカをも浮き彫りにしてくれるようなそんな気が、今しています。これからは、マイルスの聞きかたが変わってくる。その時にこの本の果たす役割は大きいのではないかと思いました。