嘗て高尾山の標高はこの地図(帝国書院・中学校社会科地図・昭和36年12月20日発行)に示されているように600mであった。そして現在の標高は599mとなっている。つまり高さ634mの地デジ対応電波塔よりも35m低いのであるが...いつから国土地理院が高尾山の標高を改めたのかwikipediaにも記載がなく、他にも情報が乏しく不明である。国土地理院から改訂の案内が届かなかったのか、或いは伝統を重んじるのか、四捨五入でザックリとなのか、高尾山薬王院公式ホームぺージでは昔通りに600mを標高にしているようだ。
こんなことを思い出したのも、高尾山の麓に在った1964年の東京オリンピックの時に選手宿舎としても使われたユースホステルと高尾自然科学博物館の跡地に造るハコモノが「TAKAO 599 MUSEUM」となるらしいことを知ったからなのだが...それにしてもこのハコモノは基本計画から較べると平凡なカタチになったようである。