Yahoo Mapに駅出口の3DVRが見られるというので試してみた。3DVRのデータとなった写真は2006年の4月撮影、地下鉄日比谷線・東銀座A1出口からの3DVRを見ると傳八の向こうに未だ親和銀行東京支店が見える。二年前の写真では変貌する東京を正確に伝えることは難しいが、逆に二年の時間差から記憶を呼戻すことも可能か...。白井晟一による親和銀行東京支店は既に取り壊され跡地は仮囲いのままとなっているが...この場所に何が建っていたのか直ぐに答えられる人は極く少数だろう。
そういえば三越裏にある洋食の『みかわや』も閉店休業、『みかわや』や親和銀行東京支店跡地を含めた一街区を王子製紙本社だけを残し再開発し銀座三越の新館となるそうだ。
う〜ん、益々、傳八がテナント入居している昭和モダニズムの面影を伝える土浦亀城設計による三原橋センタービルの建築が貴重となるのだ。
ガソリン再値上げとなった昨日は遺品整理や何やらで生じた粗大ゴミを市の戸吹清掃工場に持込み処分した帰りに「道の駅八王子滝山」に寄って、八王子ラーメンを食べ、地元で採れた筍を買って帰った。ラーメン一杯650円は高いが、筍は安かった。しかし、野菜など地元産の直売だけと云う訳でもなく、どちらかと云えば地元産は少なく、他県から仕入れたものが多い。これも道路特定財源で建設されたものだろうが、全てが中途半端な印象を持った。まぁ、再び「道の駅八王子滝山」に行くことはないだろうな。帰りは、これまた道路特定財源で建設されたものだろう元・ひよどり山有料道路を初めて通って市内に出たが、既に料金所は撤去されカゲもカタチもなかった。
36年前くらい高木事務所に入って一年ほどは八重洲のジャノメビルの裏通りにあるビルに通っていたので、京橋は目と鼻の先の行動範囲であったが、この欄干親柱・柱頭をまじまじと見つめたのは初めてのことだ。そう云えば36年前にはこの建物は無かった。だから意識することもなかったのかも知れない。ところで、この親柱・柱頭のデザインリソースは何から引用したのだろうか。もしも、欄干親柱の柱頭が普通に擬宝珠 (ぎぼし)だったら、相似形はあり得ないだろう。因みに北側の橋詰跡には擬宝珠付き親柱も復元保存されている。(京橋川:川の地図辞典56頁参照)
路面の縁石やタイルを見ると共有地らしき路地の幅はコンクリート側溝とタイルから換算して二尺幅(60センチ)しかないようである。きっと権利関係は複雑なんだろうが、路地に面する者は夫々私有地を提供して通行可能な幅を確保している。こうした風景を維持できるのは人間関係が保たれているからでしょうね
遠くに新宿を望む山里の桜は七分咲きでしょうか。青山墓地の近くにいた頃、春になると墓地の桜を見て設備設計のT氏が『う〜ん、桜の樹の下には屍体が埋まっているって本当ですね。』とよく言っていた。確かに先日歩いた染井の里もそうだし、戊辰戦争の後、上野の山は彰義隊の骸が晒し者にされ放置されたままだったと伝えられている。考えてみると花見も生きている者達だけの為にあるものではないのだろう。上野の山で繰り広げられる花見の酒宴には多くの亡者も混ざって、一年に一度どんちゃん騒ぎをしているのかも知れない。
今日の東京新聞一面の見出しは『巨額の税食らう官 閑古鳥駐車場に1000億円』
その赤字駐車場の槍玉に上がっているのが八王子市の八日町夢街道パーキングである。ん〜名前も恥ずかしいが、八日町第2地区市街地再開発事業に伴い甲州街道の地下に道路特定財源によって作られたコンピュータ制御による機械式の駐車場だ。(東京新聞では国道16号の地下にとあるが、それも決して間違いではないけれど地元民の認識は甲州街道つまり国道20号線の地下である。つまり八王子市八日町で二つの国道が重複しているのだ。)
私も一度、この駐車場に車を停めたが、二度と停めたいと思わなかった。駐車場出入口の分かり辛さもあるが、機械式駐車場の待ち時間と其処で働く人材の手際の悪さは、余程気の長い人間でないと付き合う気になれない。と云うことで所用で市内に出掛ける場合は専らJR八王子駅前の自走式の地下駐車場か京王八王子駅ビルの自走式駐車場を使っている。
と云うことで八日町の交差点から八幡町の交差点まで約430mの区間で国道20号線と国道16号線が重複しています。(GoogleMapの左上の+をクリックして地図を拡大すると、地下駐車場の上に国道16号の標識が表示されます。)国道20号線は古くから甲州街道、国道16号線の八王子から南行きが横浜街道(古くは浜街道)、北行きは八王子千人同心が日光勤番の為に整備した日光脇往還、別名・八王子街道とも云われている。元々、別な街道を一本の国道16号(東京環状)として国交省が管理しているのだが、地元民にはこの区間が国道16号線であると云う認識は全くないのである。この区間に対し国道16号線の名称を優先し用いているのは国交省でしょうが...何の為か...意味が良く解らないのである。
昨日は太陽電池と燃料電地の現況を見てみようと思い付き、山里から遥か江戸湾まで出掛けた。東京ビックサイトまでの往路は新橋から「新交通システムゆりかもめ」に乗ったので、復路は水上バスで日の出桟橋に出て浜松町から帰ることにした。以前は晴海で行われた展示会に行くときは必ず水上バスを使ったもので、ビックサイトに行くときも水上バスを良く利用していた。しかし台場・有明の湾岸エリアも地下鉄や新交通システム等の交通網が整った所為か水上バスの運行回数が減少、一時間に一回だけとなっていた。
それでも偶には船から陸地を眺めるのも良いものである。何しろ目線の高さが陸よりも下にあり視界の半分は水面である。しかし江戸前の海から地面が目に入ることはなく、地上に見えるモノ全てが人の手による建築物や工作物である。明石町や佃島も超高層建築物によって、その位置を知るのみ。
圏央道・八王子南I.C.の工事現場の先、梅ノ木平で見た規格品の廃材で作られたメタモルフォーゼするバラック小屋。
(←クリックで拡大)
梅ノ木平と云えば中学の時、秋の遠足で学校から徒歩で町田街道を南下し、大戸から山に分け入り、当時工事中の城山湖の本沢ダム(ロックヒルダム)を見学し、峰の薬師で休憩昼食、尾根づたいから谷を下り梅ノ木平に出たことがある。
Google Earthで距離を測ると約14キロ、今この距儀を歩くと途中で道に迷い遭難して行き倒れるかも。考えてみれば中学の遠足でも浅川中の前を流れる初沢川にそって沢を登り、尾根づたいに峰の薬師まで行くことも可能だった訳だが、低山でも山が深くて道に迷ったら危険なので安全なコースを選んだのだろう。

写真は車載カメラでなくタクシーの助手席で手持ちで撮影。母の四十九日法要の壇払いでうかい竹亭に向かう途中の甲州街道である。以前この辺りの甲州街道を通ったのは6年前、父の十七回忌の法事でうかい鳥山に行った時である。それ以来、南浅川町や大垂水峠の先には用事もなく、圏央道の八王子南インターチェンジの工事の進捗状況等を知る由もなかった。と云うことで、どうせなら高尾山の冬そばを食べに高橋屋に行こう、そしてついでに南浅川町まで足をのばしてみようと、思い立ったのである。(南浅川町とは八王子市の西端、高尾山の南側、この圏央道の八王子南I.C.から神奈川との県境の大垂水峠までの一帯、面積の殆どを山林が占める。)
と云うことで先ずは圏央道八王子南インターチェンジ模型(この模型は現場に隣接する相武国道事務所の圏央道インフォメーションルームに置いてある。)とGoogle Earthの3Dモデルを並列し比較してみると、甲州街道を跨いで架橋工事中の高架橋は津久井方面から甲州街道に降りるランプウェイである。山の中腹に穿かれたトンネルから谷間の甲州街道まで下りるには、その高低差と狭い谷間故に逆S字を描いて甲州街道を三度跨いで下りてくることになる。
人間の欲望がコンクリートの塊に込められているからだろうか、工事中にも関わらず、こうしたものを見ると近代産業遺跡に見えてしまうのである。何れにせよ、こうして既成事実を積み重ね、道理でなく無理を通すのが道路行政なのだろう。圏央道八王子南I.C.に繋がる八王子南バイパスの工事決定までの紆余曲折も机上で事の計画を進める行政の支離滅裂ぶりと、その利権に群がるハイエナ達が見え隠れしていた。元々は東八道路とめじろ台の南側を東西に走る椚田通りの八王子斎場東・交差点が結ばれ、椚田通りと町田街道の狭間町・交差点から西行きを延長して圏央道八王子南I.C.に繋げる予定であったのだが、このルートは高楽寺、御嶽神社、御衣公園、浅川中学、高尾霊園をブルトーザーで潰さない限り道路は出来ないことから断念、それでもルート上の浅川中学を廃校にすると云う風説が数年おきに聴こえてくるのだが、これも利権絡みの邪悪な輩の仕業なのか。(何しろ浅川中学は隣接する栗山を学校林として保有しているのである。)更に不可解なのは道路予定地となる八王子斎場東の土地を押さえていた某法人が計画道路の変更が決定されると、法人名の記された工事用の仮囲いを取り払い、元の農地に戻したことである。そんな人間の欲望を知ってか知らぬか、件の農地では牧草の上で乳牛がのんびりと草を食んでいる姿が見られるようになり、ここだけ昭和の風景が復活している。
参考:相武国道事務所
蛇足:観光地の食堂は不味いと云うのが定説だが、高尾山ケーブルカーの清滝駅の広場に面した高橋屋はそんな定説を覆す店で、美味い蕎麦を食べさせてくれる。今回は高尾山の定番、トロロ蕎麦を高橋屋で食したが、次は地元の人も奨める竹之家支店で天ざるでも食べてみよう。
今日の午後、正月の墓参りを済ませて霊園の尾根付近から関東平野を見渡すと筑波山のツインピークスが見えるではありませんか、晴れていれば、この場所から新宿を遠望できますが、筑波山までは余程空気が澄んでなければ見ることができません。これも正月休みだからでしょう。
因みこの墓所と筑波山の距儀は直線で約100km弱である。
akiさんがMICHELIN Voyager Pratique Japonに引き続き高尾山をエントリーされた。京王電鉄が今年10月の高尾線開業40周年記念に発行した小冊子「高尾」にミシュランの仏語版の高尾山紹介記事の抜き刷りとその日本語訳が掲載されていたので、akiさんにそのスキャニングデータを送ろうとしたのだが「それは地元民がエントリーしなければいけないでしょう」と云うことで、写真は12月5日に撮ったイトーヨーカドー八王子店の屋上駐車場からの高尾山(左端)の日没風景である。その高尾山薬王院からは月報も届けられている。我が家の墓所のある檀那寺も元々は高尾山の末寺にあたり、高尾山に登らずとも、その墓所の尾根からは新宿を遠望できる。まぁ「How Addicted to Apple Are You?」のみならず、高尾度もそれなりに高いのである。
都心のそれも銀座の一等地でありながら、この例えようのない場末感はどこから派生するのだろうか。前から気になって一度行ってみようと思っていたのだが、aki's STOCKTAKINGの「銀座 /1953年秋」を見てからは一層その思いを強め、都心に出掛けたついでに松屋銀座の屋上を訪れた。今では高層と言えなくなった地上31mの屋上は巷の喧騒から隔離され異次元の時間が流れていた。屋上フェンスは手の届かない高さとなり地上を見下ろすことは叶わない。松屋銀座のリニューアルされたファサードのガラススクリーンが太陽光を反射し、銀座通りを隔てた向かい側サエグサビルの屋上で無言で回転するApple-Logoを照らし、方向性を幻惑している。屋上に居たのは私を含めて5〜6人だけ、ベンチで一人食事する初老の男性やテーブルで一人ポツネンと休息する人と人、それにペントハウスにあるペットショップを訪れたらしい小型犬を連れた女性くらいであった。

食後の腹ごなしに裏山の城跡を散歩してきた。昔は東京タワーだけがランドマークだったが、新宿に超高層が建ち始めて、山里から新宿が少しだけ近く感じられるようになった。
と云うことで望遠側で撮影し拡大すると西新宿の都庁が見える。右側の初台のオペラシティタワーと多摩丘陵に立つ高圧線の鉄塔が同じ大きさ....な、訳ない。
Kai-Wai 散策のエントリー・宇宙船ヒミコを読んで、数年前に浜離宮から見た汐留川水門近くの船着き場に繋留されていたヒミコを思いだした。masaさんが宇宙船をイメージした様に、この場所では汐留川水門の排水管を覆う異様なシェルターが何か海底都市へ繋がる秘密基地の様にも見えた。(遠景)
と云うことで昨夜のタモリ倶楽部は、2006年の5月14日に閉館された交通博物館に代わって、さいたま市に10月14日にオープンする鉄道博物館からの中継録画の前編であった。新装オープンする鉄博(マニアはそう言うらしい)はタモリや原田芳雄らの還暦を過ぎた鉄ちゃん達も番組を忘れて大はしゃぎするだけの規模と内容が揃っている。そういえば、学校の帰りに地下鉄車内で鉄道系の本を熱心に読んでいる鉄子さんを見掛けたが、あれは本物の鉄子さんなのか、業界関係者が鉄道博物館の取材の為に勉強していたのか、良く解らなくなった。
昨日、横浜港大桟橋に大型客船が三艘入港すると云うので、その離岸風景でも観てみようと思い立った。生憎の曇り空であるが大桟橋は沢山の人出であった。そのなか、私の視界の真ん中にこの人の姿が入った。やっぱり、もしかすると居るかなと思いましたが、ストライクゾーンに入るとは思いませんでした。
この右側の国旗のバハマ船籍の"Seven Seas Mariner"の煙突がエレガンスでした。そしてiPodに入れたラテン系もカリビアンなGloria EstefanやViktor Lazloがこの風景に嵌まっていた。
横浜市港湾局のサイトにセブンシーズ マリナーの船籍が一覧表でバハマ、客船情報の詳細でフランスになっていたので調べてみた。Seven Seas MarinerのサイトにあったShip InformationによるとShipyardがFrance、そしてShip's RegistryがBahamasの様です。貨物船にパナマ船籍が多いのと同じ理由でしょうか。
1978年くらいだと思いますが、横浜の中区本町の知人の事務所に所用で来ている時、クィーンエリザベスの寄港を教えてもらい、出港風景を見に行った事があります。吹奏楽団が「螢の光」を奏でるなか岸壁を離れてゆくシーンは印象的で、成程これだったのかと「フェリニーのアマルコンド」のエピソードの一つで沖合を航行する豪華客船(映画ではハリボテ)を村中の人がボートを漕ぎ出し沖合まで見送りに行くシーンを理解できたものです。
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10/4に大桟橋に入港中のアムステルダム (Amsterdam)Webカメラより
カークさんが4日のアムステルダム号寄港をエントリーされてます。
昨日は中浦和で風信子荘の見学会を済ませてから六本木ヒルズにル・コルビュジエ展を見に行った。六本木まで来たついでに昨年は工事中の為アースダイビング@江戸東京地下水脈の際、立ち寄ることが出来なかった最終目的地の桧町公園がどうなったのか確認すべく"Tokyo Midtown"まで足を伸ばした。桧町公園は嘗ての面影は残されておらず、自然を模倣した日本庭園風に生まれ変わっていた。後、数十年もすれば自然の恢復力で風景も落ち着くだろう、、、が。
ミッドタウンガーデンに面したT.A.氏設計によるミュージアムの裏側に抜けると、防衛庁があった頃は高い塀に囲われ、人目に晒されることのなかった隣接地の谷戸の風景が広がる。ミュージアムは谷戸の風景を人目から遠ざける衝立の役目をしていたのだ。それにしてもサカクラハウスの奥にこんな風景があるとは気付かなかった。江戸東京の複雑な微地形が上流と下流を隣人にしてしまうのである。外苑東通りから、サカクラハウスに向かう路地の途中には元祖カメラ小僧のアトリエが、設計者はオリンピック開催地を東京都と争った福岡のオリンピック施設を計画したA.I氏である。A.I氏はアトリエをここに構えている訳だが、その目と鼻の先にT.A.氏設計の建物が、うーむ、何か因縁めいて複雑、、。
akiさんのLizards of OZを読んでリンク先の"JAPAN WINE CHALLENGE 2006"の"Gold Medal"を見ると"Santa Sofia"の文字が目に入った。このワイナリーは18年前に訪れているが、訪問の目的はワインではなく建築である。ヴェローナ郊外にあるパラーディオによる"Villa Serego"( 45°29'56.49"N 10°55'26.52"E)が、そのワイナリーなのである。

もちろん建築見学に留まらずワインを試飲して、1ダースのワインをゲットした事は云うまでもない。写真はワインケースを担いで"Villa Serego"を引き上げてくるツアー一行。(撮影場所:Google Earth 衛星写真の赤丸付近)
ヴェローナと云えば観光的にはヴェローナ・デ・アレーナのイタリアオペラとシェークスピアのロメオとジュリエットの舞台となったことで有名だが、建築家カルロ・スカルパの代表作の"Banca Popolare di Verona "( 45°26'24.41"N 10°59'48.62"E)と"Castelvecchio Museum "( 45°26'23.32"N 10°59'16.83"E)があることでも知られている。

何処が元祖か本家は知らないが、鯉のぼりを川幅一杯に吊り下げることが各地で行事化されるようになっている。第五回アースダイビングの資料を作成している時に気付いたことであるが、Google Earthで見ると善福寺川でもそうした行事が行なわれている様子が記録されている。場所は堀ノ内の紅葉橋近くの済美養護学校と区立済美教育研究所の間(35°41'9.69"N 139°39'3.63"E)である。但し、今年も行われているのか確かめていない。
"The Platters"と云えば"Only You"を思いだすのがフツーでしょうが、僕は高校生の時、下校時間になると流れていた"Twilight Time"が脳に刷り込まれている所為か、こうした風景を見ると何となく"Twilight Time"のフレーズが脳裏に浮かびます。因みにUFOもどきは窓に映りこんだダウンライトですので"Twilight Zone"を狙った写真ではありません、念為。(法政大学・ボアソナードタワー26階にて)
Twilight Time
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The Platters
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足立から山里に越して、五年間通ったこの小学校の校庭に立つのは何十年ぶりだ。在校当時から残っているモノと云えば校庭の立ち木と山並みの風景だけだろうか。昨今の市町村合併やら過疎化少子化とやらで廃校となった学校と比較すれば、学校が残っているだけでも良い方なのだろうが、、、。
Googleの新しいサービス「マイマップ」を利用して早速「第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅」のルートマップを作成してみた。試作なので非公開ですがリンクは付けてあります。とりあえず打上を行なった「博多鉄鍋餃子なかよし」だけはマーキングしてあります。

写真1(+)
kawaさんから1960年代初頭の善福寺川流域の様子を伝える貴重な写真を送って戴きました。この頃は未だ橋も木造でしたね。
追記:と云うことでkawaさん立会いの元、現地で撮影場所を確認しました。
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写真2
いいですねぇ〜長閑ですねぇ。兄弟揃って、お父さんと一緒に散歩するのが楽しくてしょうがない様子が伝わってきますね。(と、勝手に妄想してますが、、)3人とも長靴を履いてるのが良いですね。
善福寺川も未だ護岸工事されてなく川底も浅いことが良く解りますね。
写真に添えられたkawaさんのメールを紹介させて戴きます。
私が小さい頃には、川沿いがずっと河岸段丘になっていて、土手からすぐは、畑や田んぼ、学校のグランド、公園や釣り堀、養豚や資材置き場、廃品回収の置き場になっていました。
もう一段上がった所から住宅が並んでいました。
松の木の縄文遺跡、縦穴式住居も川からは一段あがった丘の上にあります。
田んぼを埋めて、川沿いに建て売り住宅が並びだした時には、こんな所に建てていいのかなと子供心に思いました。
少し大人になって、人口が増えるばかりの時には川沿いに家が建つのも仕様がないと思いました。
しかし、これから人が減る事を考えれば、土手の外も何年かに一度ぐらい川があふれてもいい公園等にしておくのも出来ない話ではないと思い始めました。
区は住宅の並んだ私有地を買い上げて低いグランドやテニスコートを作って増水時に備えているようです。
何年かに一度あふれてもいいと考えれば、コンクリートの土手以外のもっと素敵なウォーターフロントの可能性も出て来ると思います。
下の写真は昨日その「写真2」の撮影場所を検証しているところです。風景は昔とすっかり様変わりしていました。そんな訳で往時を振り返って記念の再現写真を撮りました。
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気になる土曜日の天気ですがMacOSXのウィジェットでは、こんな予想です。週末の天気は偏西風やジェット気流が大陸性移動低気圧にどう影響を与えるかの見解で、予想は異るようですが、わたしはこちらを信用することにします。
アナウンスだけで日程が決まっていなかった「第五回アースダイビング・善福寺川と阿佐ケ谷住宅の50年を探る。」+「花見付き」を3月31日午後に開催します。集合地点は地下鉄丸ノ内線・方南町駅、目的地は阿佐ケ谷住宅です。集合時間等のタイムスケジュール等が確定しましたら当ブログにて告知する他、前回参加者の皆様にメール致します。
これが阿佐ケ谷住宅を見る最後の機会かも知れません。散りゆく桜花を愛でながら1950年代のモダニズムに想いをはせるアースダイビングとなりそうです。
追記・更新:アバウトなタイムテーブル等を追加しました。
5th Earth diving. 『善福寺川と阿佐ケ谷住宅の50年を探る。』
今回のルートは神田川水系の善福寺川を方南町から南阿佐ケ谷の阿佐ケ谷住宅までです。ゴール地点の阿佐ケ谷住宅は昭和33年(1958)に竣工した日本住宅公団による分譲住宅の団地です。今から約50年前の昭和33年当時の地形図(P-6)を読むと台地部分は宅地化されていますが善福寺川流域には多くの水田が残されていた事が解ります。阿佐ケ谷住宅はそれらの水田を埋め立て宅地造成して建設された住宅公団による団地の一つです。現在の善福寺川流域には既に水田もなく護岸も整備され川底が深く渓谷化されています。それは川底の浅かった善福寺川の流域に沿って窪田が広がっていた嘗ての風景とは異なるものでしょう。昭和22年の航空写真(P-7)を見ても解る通り、当時既に武蔵野台地の薪炭林である雑木林や田畑の殆どは失われ宅地化されています。右のGoogleEarthの航空写真に見られる善福寺川流域の緑地は嘗て水田だった場所を埋め立て整備して緑地化されたものです。これらは古くからある大宮八幡宮と戦前から整備された和田堀公園を除いては未だ50年経っていないものです。逆に言えば50年あれば森を造る事が可能であることを示しています。また嘗ての窪田は豪雨の氾濫に対し調節池の役割も担っていました。今日の様に川幅ぎりぎりに宅地化された河川は豪雨に対する抵抗力を失い、新たな都市水害を招いています。そうした都市水害に備え流域の緑地では運動公園を兼ねた調節池の整備が現在進行中です。それが可能なのは善福寺川流域の元農地を私有地のままに置かず、行政が長年に亘り共有地として確保してきたからでしょう。理想的には英国の様に都市の余白としてヒースを残す事かも知れません。今回のダイビングは阿佐ケ谷住宅と重ね合わせ『コモンの思想』を考えてみる機会になればと思います。因みに善福寺川ではアースダイビングのシンボルである水鳥「カイツブリ」が出迎えます。
・日時 2007年3月31日(土曜)PM1:00〜PM6:00
・内容 距離:約4.2km
・PM1:00〜 方南町に集合し堀之内橋から善福寺川流域を散策
・PM2:00〜 杉並区立郷土資料館見学(入場料¥100)
・PM2:45〜 大宮八幡宮と和田堀公園を散策(休憩)
・PM3:45〜 花見がてら善福寺川を阿佐ケ谷住宅まで散策
・PM4:30〜 阿佐ケ谷住宅及びにトタンギャラリーを見学
公団阿佐ケ谷住宅・テラスハウス25号棟
・PM6:00〜 阿佐ケ谷界隈にて打上・反省会(場所未定)
・集合場所
2007年3月31日PM1:00
地下鉄丸ノ内線・方南町駅西改札を出る
地下鉄出口1(地上・方南町交差点角)
環状七号線・方南町交差点・北西側角にて。
・参考時刻表(ジョルダン・乗換案内調べ)
・新宿発12:46荻窪行・中野坂上乗換
方南町12:57着
・荻窪発12:37池袋行・中野坂上乗換
方南町12:57着
※中野坂上で乗換に注意!
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以上、資料等のダウンロード方法については別途メールにして連絡します。
昨日、打合せで杉並校舎に行ったついでに、31日の為の調査ダイブとして方南町から阿佐ケ谷住宅まで歩きました。昨年の10月28日に一度 善福寺川・調査ミニダイブは済ませていますが、調査に漏れた箇所と地下鉄・方南町駅からのルートを確認する為です。そして前回立ち寄らなかった杉並区立郷土博物館で資料の収集、大宮八幡宮ではアースダイビングの無事を願っての神頼みです。と云うことで左の写真は善福寺川の緑地に面した木造四階建?の建物ですが、実際は鉄骨で補強した木造三階+地下一階(擁壁部分を利用)でしょうか。それにしても恐れを知らぬ三階部分のオーバーハングです。
50年ぶりに西新井大師に参拝したが大師前駅に降りたのは生まれて初めてである。西新井大師へは家から歩いてゆくのが当たり前であったが、その道も参道に続く手前で環状七号線で分断され、当時の面影を探すのは困難である。それでも環七の建設から免れた旧道には昭和の残像が残されていた。
きっと、子供の頃に何度もこの前を通っている筈である。そういえば昔は店頭で煎餅を焼いていたり、もっと煎餅屋が多かった気がする。子供の頃、米屋のお兄さんの配達に連れられて草加の煎餅屋に行った事がある。天日干しにされた焼く前の煎餅とかまどの前で汗だくで焼いている姿が記憶に残っている。
これは典型的な西新井的・昭和風景なんだろうが、自販機の缶コーヒーのポスターが時代を現代に呼び戻している。提灯に火の灯る頃を見て見たい。メニュー
追記:西新井の南側で放水路に近い赤不動の側にある四丁目倶楽部は自販機を中心にした新手の立ち呑み屋のようですが、これも夕刻の様子が気になります。
都営バス<草41>系統の<赤不動>停留所に置かれている椅子は粗大ゴミではなさそうだ。これも「公共空間への私的空間の進出」でしょうか。それにしても道路反対側の町屋鴬谷経由浅草行きの停留所ならまだしも、終点間近の停留所にこれだけの数の椅子が必要なのか解せない。因みに停留所裏の空き地は都道467号千住新宿町線(但し葛飾区の新宿)の計画予定地、従ってこの停留所が交差点のど真ん中になる。(足立区梅田)
昨年末、吉原御免状ミニダイブを行なったばかりですが、遊廓つながりと云うことでakiさんに間借りエントリー(030709)していた八王子遊廓をこちらに移しました。写真の日付によれば2001年10月13日に撮影したものです。この時点で既に遊廓の面影を残す建物は殆ど残ってなく、現在はこれらの建物も残されているものは少ないようです。
2年前(2003年の時点で)に撮った八王子遊廓跡です。もう、殆ど昔の建物は残ってなく、僅かに それらしき面影の建物が二三件あるだけです。これも斜陽の街、八王子を象徴 しているのか も知れません。 八王子遊廓は八王子・横山町の北、浅川を背にした「田町」にありました。明 治30年頃に、元々、甲州街道沿いの宿場町・横山町や八日町などにあった女郎 屋を一括して移転させたのは浅草吉原に習ってのことでしょうか。(大火の後 の都市計画的配慮らしいですが?)八王子が経済的に栄えたのは生糸が日本の輸出産業の花形であった時代です。 16号線(八王子横浜街道・八王子日光街道)と20号線(甲州街道)の結線点に ある八王子は、武州、上州や甲州から集められた生糸の相場を決める市場を形 成し、遠く桐生や伊勢崎の商人や甲州商人と八王子商人が夜の接待に利用した のが八王子遊廓だと云われてます。 遊廓のあった田町の町名の由来は無知で判りませんが、地図を見ると街路が田 の字に見えないことはありません。浅草の吉原も日本橋人形町界隈から移転し たときは周囲は田圃だったから、八王子遊廓の浅川沿いのこの場所も、田圃に 囲われていたのかも知れません。たぶん、お手本通りに繁華街から離れた場所 に八王子遊廓をつくったのでしょう。
その八王子遊廓に隣り合わせて、八王子斜陽産業の象徴である機屋(はたや) の工場跡が事務用品のディスカウントストアになっているのが皮肉です。 斜陽産業とは云ってもネクタイ生産量は未だに八王子が日本一だそうで、それ でもブランド品の下請工場では高が知れているということでしょう。この建物もakiさんによれば、既に解体撤去されているようです。
以下はaki's STOCKTAKINGのエントリーに寄せられたコメントです。
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そうです、私は下町生まれの山の手育ちと言いたいところですが、下町生まれの山ん中育ちです。
7月15日のテレビ東京・出張なんでも鑑定団は内容に乏しいものでした。千人同心縁のお宝とか期待してましたのでがっかり。尤も、今日この頃、世の中物騒になっているので、お宝を公開して窃盗団に狙われる恐れもありますからね。賢い人は、決してお宝自慢はしないですよね。
Posted by: 五十嵐進 @ July 22, 2003 04:41 PM
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小野さん、コメントありがとうございました。
私は、生まれは違いますが八王子市大和田で育ちました。学校は四小、五中で、最近、八王子市大和田の家にもどってきました。
この話を送ってくれた五十嵐氏も、生まれはちがいますが八王子在住です。
そんな訳で、八王子の話もこれからちょくちょくでてくると思います。
Posted by: 秋山東一 @ July 21, 2003 07:35 PM
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今宇都宮へ仕事の関係で居りますが、生まれも育ちも八王子です。田町の旧遊郭街は、私の中学時代まで柳小路として残って
いたことよく覚えてます。またローラースケート場とか夏場は
プールになる場所が田町にありよくいっていました。写真を
見て何となく懐かしくなりました。ちなみに私は万町の出です。
また、多くを大和田町で過ごしました。写真有難う御座いました。
Posted by: 小野吉則 @ July 21, 2003 05:50 PM
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Google で「八王子 遊廓」で検索してみた。
いくつかヒットしたが、「旧道行脚」と題した古地図と現地探索のページがあった。「甲州街道の遊廓」「羽衣町の幻流をたどる」とかあり、多摩、遊廓に強いサイトと思う。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/9371/koushu/kyuudouangya.htm
Posted by: 秋山東一 @ July 13, 2003 05:52 PM
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前のコメントが文字化けしました。
これが八王子遊郭跡の地図です。
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=139/20/20.058&scl=10000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=35/39/45.291&size=500,500
地図を見ると幼い秋山少年の目に広い広場に映ったのが良く分かります。今でも通過交通がないぶん、その異常な広さだけが目立ちます。
明後日(7/15)のテレビ東京・出張なんでも鑑定団は八王子大会だそうです。何がでるのかな。
Posted by: 五十嵐進 @ July 13, 2003 03:18 PM
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私はこの遊廓に登楼したことはありませんが、昔の記憶があります。
広い広場に近い両側に建物が並んでいるのですが、一つの建物にアメリカ兵が行列しているのを望遠したという記憶があります。きっと1950年のはじめ朝鮮戦争の頃だったのでしょう。もう昔の姿はかろうじてというところですね。
Posted by: 秋山東一 @ July 10, 2003 08:47 PM
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川下に向かって千住新橋を遠望する、まさに荒川しずかな風景である。右岸には北千住の高層ビル群が、千住新橋の向こう側に見えるのは小菅の拘置所である。伝え聞くところによると千住新橋のたもとに捨てられていた私を育ててくれたのが戸籍上の両親と云うことである。その育ての親は何かに付け、悪さをすると感化院や小菅の拘置所に連れて行かれるぞと理不尽にも幼い私をよく脅していた。足立九中に隣接する区立図書館で「小公子」「小公女」「家なき子」「母を訪ねて三千里」等の少年少女名作全集を読み漁っていた私はいつの時か実の親が執事を従え迎えにくることを夢想していた。事実が明された時にはは育ての親に御礼するよう実の親に頼んであげよう、いぢめられたと言いつけ恩を仇で返すようなことは止めよう。そう心に誓っていたのだが、一向に実の親が迎えに表れる気配もなく、今日に至ってしまった。人によれば私は育ての親に似ているらしい、犬や猫が飼い主に似ると云う話しは聞くけれど、、、まさか。
と云うことで先日の午後、略50年ぶりに西新井大師に詣で、あのサビオウの前を通り、一年間だけ通った亀田小学校に立ち寄り、嘗ての通学路を自分の生地まで辿り、その隣りの遍照院で祖父母と伯父伯母の墓前に参り、それからバス通りを荒川放水路までアースダイビングしたのであった。
(上図は先日のダイビング・ルートと子供の時の行動範囲である。)詳細は後日エントリー予定。
地球温暖化で超高層ビルが水没した図ではない。GoogleEarthの最新バージョンで1680年の江戸の地図をレイヤーに重ね、更に建物の3D表示をしてみた。東海道線が昔の海岸線を走っている訳だから、こうなるのも当然と云えば当然だが。
最近思うのは、こうした埋め立てにどれほどの山が消え、超高層マンションが一棟建つ度に地方の過疎化が促進され村が消えているのではないだろうか、と云う事である。
と云うことでGoogleEarthの最新版は3D表示もアップデートされ、リアルな3Dデータが増えている。
しかし、東京タワーが未だに棒のままでは、哀しい。
左の図は吉原の大門のエントリーに使った14年前に描いた方位図のMiniCadのファイルをPICT形式で保存してあったので、VecterWorksで開きフォント形式を直してEPS形式で保存、それをAdobe Illustrator CS2で開いてPhotoShopのEPS形式に直してからJEPGにて保存。なんて七面倒くさいことをしていたら、もしかすると「吉原御免状」のヒントになったのは佃島じゃないのかと、ふと妄想が膨らんできた。佃島の経緯については東京都の都史紀要「佃島と白魚漁業」に詳しく記されている通り、家康が摂州佃村の漁民に与えた「お墨付き」によって江戸前での白魚漁の漁業権を得たものである。これも表向きは漁民だが特殊な能力を持った一団とする説もある。吉原も佃も現在の場所に定着するまでは日本橋界隈で営業、その後は幕府の庇護の元、人工的な廓や島に移住している。吉原と佃の違いは方位にある。吉原は江戸城の丑寅の鬼門に位置し、佃は辰巳の吉相に位置している。どちらもミニダイブしているだけに、たんなる妄想による思いつきかも知れないが江戸の異界としての共通点が気になる。因みに吉原のモデルとなった京都島原大門は東向きである。