July 16, 2018

Champion

と云うことで、サッカー・ワールドカップの勝者はフランスとなりました。残念ながらクロアチアは勝利の女神に見放され、初優勝とはなりませんでした。クロアチアの選手は殆どがクロアチア出身で固められ、僅かにスイス、オーストリア、ボスニア等の周辺諸国の選手がいるだけですが、フランスはピッチ上にいる選手の半数はアフリカ系の選手です。そこで、主要言語がフランス語の国を塗りつぶしてみると、このような結果となりました。

関連
June 17, 2006:ポストコロニアリズム的ワールドカップ観戦
July 10, 2006:ワールドカップとメディアコントロール

Posted by S.Igarashi at 10:43 AM | コメント (0)

July 12, 2018

The Final

英仏対決とは成らず、仏蘭西の相手はクロアチアに...Mbappé vsModrić の10番対決は..果たして...

Posted by S.Igarashi at 06:58 AM | コメント (0)

July 08, 2018

Best 4

まるで、欧州選手権の様相を呈して、アフリカ、アジア、中南米、北米、オセアニアは蚊帳の外となりました。高い放映権を買い取ったメディアは頭の痛いところかも...。

Posted by S.Igarashi at 06:47 AM | コメント (0)

July 07, 2018

8-2

中南米は敗退し、残るはヨーロッパ勢のみ...とは云うものの、隠れアフリカ勢も

Posted by S.Igarashi at 06:47 AM | コメント (0)

July 04, 2018

16-8=8

なんだかんだと、8カ国が残りました。手元にある1998年のワールドカップの年に発行された昭文社の世界地図帳には戦争・紛争、ミリタリーバランス、EU、発展と緊張の東アジア、国際航空路線網、高速列車、F-1グランプリ、サッカーワールドカップ、等々の世界地図情報があり、その1998年のワールドカップ当時の日本のFIFA世界ランキングは9位というもので、何かの計算違いではないかと、誰しも思っており、結果は思っていた通りでした。それから20年、随分成長したものと実感してます。
このメルカトル図法では矢鱈とロシアが大きく見えてしまい、なんだかですが、それ以上に日本を中心に置いた世界地図ではワールドカップの背景も捉えられないのでないか考え、日本を極東に置いた世界地図に改めることにしました。

と云うことで改めてBest-8の世界地図を...。
こうして見ると、西アフリカの対岸にあるブラジルに奴隷市場が設けられていたことや、イギリスとアルゼンチンのフォークランド紛争等、位置関係から理解できます。
そして、サッカーワールドカップが汎大西洋の大会でもあり、アジア・オセアニアの国々はお客さんでしかないことが分かります。
ガヤトリ・スピヴァクの言葉を借りれば『ポストコロニアリズムとは強姦から生まれた子どもだ。』と云うことですが、四年に一度のサッカーワールドカップは彼等にとって理不尽な宗主国である「父殺し」の絶好の機会なのでしょう。一方、抜け目ない宗主国は移民を傭兵に組み込み、父の面子を賭けているようにもみえます。

Posted by S.Igarashi at 08:45 AM | コメント (0)

July 03, 2018

16-6

決勝トーナメント三日目は奇しくも、50年前のメキシコオリンピックで3位を争った両国が敗退です。

Posted by S.Igarashi at 05:42 AM | コメント (0)

July 02, 2018

16-4

決勝トーナメント二日目は...両試合ともPK戦で決着が...イベリア半島のチームは消えた。

Posted by S.Igarashi at 06:07 AM | コメント (0)

July 01, 2018

16-2

メッシにC.ロナウドとスーパースターを擁するナショナルチームが消えた。二人に換わって3得点に絡んだ19歳のMbappé に注目が...「エムバペ」は1998年生まれと云うことだが、その1998年のワールドカップに彗星の如く現れたマイケル・オーウェンを思いだした。さて...

Posted by S.Igarashi at 08:36 AM | コメント (0)

October 02, 2017

競馬場跡

ブラタモリ「#85 高知」で案内人の名刺にプリントされた高知・長浜競馬場の痕跡写真から話しが脱線しタモリが最近、目黒競馬場の痕跡を歩いたばかりだと話しが弾んでいたのを聞いて、そういえば10年前、aki's STOCKTAKING:八王子 /1964年冬にakiさんの御父さんが撮影したパノラマ写真に八王子競馬場の跡が写っていたことを思いだし今昔マップでその位置を確かめてみると、大和田町1丁目13番地辺りの道路のカーブがその痕跡のようにも思えるが等高線とも重なっているようで定かではない。都立八王子東高と市立高倉小や首都大学東京の日野キャンパスが八王子競馬場の跡地の一画を利用しているようだ。
因みに八王子市の市制100周年と八王子市郷土資料館50周年の記念特別展の図録を調べると八王子競馬場と八王子遊廓の記録は抹殺されていました。俗に云う「飲む打つ買う」は負の歴史として市制100周年には相応しくないのでしょう。それにしては八王子芸者と黒塀を町づくりのシンボルとしているのは解せませんです。

1964/05/16(昭39)の空撮写真(地理院地図より)国道20号線の日野バイパスは完成している。

Posted by S.Igarashi at 09:24 AM | コメント (0)

September 09, 2017

降雨量1mm

東京アメッシュによる昨日の午後二時十五分の降雨範囲を示すiPadの画面ですが.........八王子南西部で二時前から三時過ぎまで降った俄雨は気象庁の八王子アメダスの公式記録は午後2時台で、なんと降雨量1mmでした。それもその筈でAMeDAS-Hachiojiの位置は八王子市役所・北東の浅川近くにあります。上記東京アメッシュの地図の文字「八王子市」の中心が市役所の位置ですから、この時間には既に雨は降っていないようです。
と云うことで、局地的に集中豪雨を浴びても...情報が限られ、どのくらいの降雨量だったのかも分からない。

上:昨日の八王子の14時15分から15時10分までの降雨
下:昨日の八王子の観測データ

Amedas-hachiouji-20170908.jpg

Posted by S.Igarashi at 11:25 AM | コメント (6)

August 22, 2017

銀杏の木は残った...


今月5日に竹橋の国立近代美術館「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」を見た際、最初の展示コーナー「日本的なるもの」の丹下自邸の庭で遊ぶ近所の子供達の写真を見ていて、50年前の1967年、高校三年生の夏休みに丹下自邸の塀も門扉もない庭先にちょっとだけ進入して外観を見たことを思いだした。Streetviewで丹下自邸のあった現地を確認すると三本の銀杏の木は残されていた。

その日は豪徳寺住む級友と中野区南台に住む級友と小田急線・鶴川で待合せ、三人で高台の新興住宅地に造られた原広司設計の慶松幼稚園を見学、小田急線で成城学園前に行き、丹下健三設計のゆかり文化幼稚園を見学し、そして最後に丹下自邸を見たのだった。

丹下自邸が取り壊されたのを知ったのは、1975年の7月、高木滋生建築設計事務所で設計を担当していた山中湖のK氏山荘の竣工祝いの席に於いて、その別荘地を開発した業者からであった。詳しいことは憶えていないが、更地にして建売り住宅を三棟造る予定だとか...聞いた。
その別荘地には吉村順三・設計による「山中湖の山荘A」(作品集の表記による)があり、その山荘の下に丹下山荘が建築される予定だったが、前夫人との婚姻関係を解消されたので、成城の丹下自邸も山中湖の山荘予定地も、前夫人の所有となり、山中湖には吉村順三・設計による山中湖の山荘Cが建築された。上図の1975年の空撮写真には既に丹下自邸は解体され三本の銀杏の木の影が敷地を覆っている。
国立近代美術館の「日本の家」の図録では丹下自邸の庭で子供と戯れる家族写真まで掲載されているのが...以外であった。プライベートな経緯もあって人知れず、解体撤去されてしまった丹下自邸であったが、願わくば小金井公園に移築された前川国男邸の隣辺りに移築保存し、子弟競演となれば良かったと思うのは私だけではないだろう。

tangehouse.jpg

恐らくは此の辺りは風致地区の指定を受けていることだろうから、この配置図にも描かれている三本の銀杏の木は残されたのだろう。

Posted by S.Igarashi at 04:32 PM | コメント (8)

June 23, 2017

良い明日を迎えるのは...

沖電気工業・八王子事業所が撤退し、そして...一棟だけ残った...跡地も暫くの間...取り敢えず…駐車場に...使われていた。その跡地利用に建つ大型商業施設の概要が公表され地元説明会が開かれたのは昨年のこと...交通渋滞を懸念する地元住民の声には耳を貸さず、計画はそのまま実行に...前面道路からのアプローチの写真を見ても歩行者や近隣に対して何も考えてないことが良く解るプロット・プラン。モールの中に引きずり込んでしまえば、こっちのモノ...と云うことでしょうね。
この地域には他にも大型商業施設が乱立...さてさて生き残るのは......そして良い明日を迎えられるのは...果たして...
それにしても、駅前にあったSoftBankもDoCoMoも...駅前のダイエーにあった「とんかつ・さぼてん」も、この商業施設に移動...通勤の帰りに利用していた地元民には不評。八王子市民球場の命名権もこの商業施設の親会社の.関西企業に売渡し...八王子はどうなることやら...
iias

Posted by S.Igarashi at 02:02 PM | コメント (0)

June 21, 2017

カッサンドル・ポスター展

市ケ谷からの帰り都営新宿線と京王線を乗り継ぎ、京王八王子から甲州街道沿いの廃れて行く商店街の中、孤軍奮闘している個人商店を横目に横山町から八日町まで歩き、八王子夢美術館で会期が今週末までとなった「カッサンドル・ポスター展」を見てきた。チャコールグレーの壁面に展示されたカッサンドルの大型ポスターは、極端にパースペクティブを強調したり、部分を極端にクローズアップした構図等々、コルビジュエをして「キュビズムではない」と言わしめるほど、トリッキーでセンセーショナルだったのだろうが、ポップアートやポストモダニズムの季節を通過した後では、グラフィックデザインのルーツとして懐かしさも感じる。そういえばレイモンド・ローウィとイメージが重なる処が感じられたので、ローウィの2004年の展覧会図録を引っ張り出し調べてみると、二人ともアメリカの雑誌「ハーパーズ・バザール」(Harper's Bazaar)の仕事をしていた、これは編集者が同時代の表現者として彼らのデザインを採用していたのだろう。
今回の図録には掲載されていないが、アナザーストーリーとして9枚のレコードジャケットが展示されていた、これはカッサンドルのデザイン事務所による仕事の様だ。その中の一枚、アルド・チッコリーニのサティのピアノ曲集は私も持っていた。尤も私のLPは東芝EMIによる国内盤なので若干の変更は加えられているようだ。

公式サイト:A.M.CASSANDRE
Wikipedia:アドルフ・ムーロン・カッサンドル (Adolphe Mouron Cassandre)

Posted by S.Igarashi at 10:23 AM | コメント (7)

June 14, 2017

広島市公文書館紀要

広島市公文書館が開館した1977年に創刊された広島市公文書館紀要の第25号(2013年)から第29号(2016年)までがPDFで公開されていて興味深い内容が幾つかある。
広島市公文書館紀要を知る切っ掛けは『ETV特集「“原爆スラム”と呼ばれた街で」』(再放送6月14 日24:00)の中で広島大学の建築学科系研究室が“原爆スラム”を実測調査した図面等が残っていることを知り、ネット検索したら広島市公文書館に辿り着き、『広島市公文書館紀要』第29号に「〈研究報告〉基町/相生通り(通称「原爆スラム」)調査を回想する。〈前編〉」がPDFで公開されていた。紀要は年に一回発行の様だから、もしかすると〈後編〉は今年発行される第30号に掲載されるかも知れないので、期待したい。
と云うことで僕が興味を抱いたのは広島市公文書館紀要第27号(平成26年6月発行)の『〈翻刻〉「丹下健三書簡」』と、その『〈資料解説〉「丹下健三書簡綴」(藤本千万太資料)について―広島市公文書館所蔵資料との関係を中心として―』である。いずれもPDFをダウンロードできるので、広島平和公園建設の経緯の一端を伺うことができる。平和公園の北側、大田川左岸にあった“原爆スラム”と丹下健三の広島平和公園の構想を重ね合わせて読むのも良いだろう。
磯崎新と藤森照信のモダニズム建築談義で磯崎氏は「今回の対談では、岸田日出刀、丹下健三、浜口隆一、浅田孝は脇役です。」と語っていたが、或る意味「丹下健三・外伝」の体を成している印象もあり、この書簡の存在もモダニズム建築を語る上で貴重な資料と成りえるだろう。

Posted by S.Igarashi at 09:30 AM | コメント (0)

April 20, 2017

飛行機雲...

午前中、八王子南郵便局からの帰り、工事途中の八王子南バイパスの西行き正面に富士が...この季節にしてははっきりと見えたので、栃谷戸公園に立ち寄り車を止め、展望台からiPhoneで撮影。みなみ野の開発で、七国峠に通じる、この公園付近の鎌倉古道は消えてしまったが、この風景から人工物を消し去れば古の人々が見た風景とそれほど変らない筈だ。もちろん人工的に発生した飛行機雲も消し去った方が良いだろう。

Posted by S.Igarashi at 02:07 PM | コメント (0)

April 06, 2017

千代田区・界隈徘徊

昨日は専門学校の入学式の後、市ケ谷から竹橋まで千代田区内を徘徊。途中、九段のイタリア文化会館でイタリアブックフェア2017を覗いてから、千鳥ケ淵から桜を愛でながら、北の丸を抜け近代美術館にて開催中のマルセル・ブロイヤーの家具を見学、ブロイヤーといえばワシリーチェアー(クラブチェアB4)と篭目編みの背凭れと座面を用いたスチールパイプのキャンティレバー構造のアームチェアーやサイドチェアが有名だが、日本国内で回顧展が開かれるのはこれが初めてのようだ。略同時代の家具デザイナーで建築家のイームズは回顧展が2001年に東京都美術館で、2005年には目黒美術館でも開かれているのに対し以外であった。やはり代表作だけでなく、試行錯誤していた時代の家具などにはリートフェルトやイームズとも共通するデザイン志向が見て取れるのが興味深い。
竹橋から東京駅まで歩こうとも考えたが地下鉄で取り敢えず大手町へ...ここで丸の内に乗り換えても意味がないので...地下道から東京駅丸の内北口へ...改札脇のエントランスからステーションギャラリーのパロディ、二重の声 ――日本の一九七〇年代前後左右を見る。内容的には殆どリアルタイムで見聞きしていたものなので、懐かしさよりも「何を今更」と思う気持の方が強かった。逆に云えば美術館に納めるくらい、パロディの精神は死に耐えているとも考えられる。これも時代の劣化だろうか。

Posted by S.Igarashi at 10:02 AM | コメント (5)

January 04, 2017

初詣

家から歩いて三分の真福寺で父母兄妹の墓参りの後、其処から歩いて5分の村の鎮守である御嶽神社に初詣…そういえば、7歳まで住んでいた足立の家は隣が西新井大師の末寺の遍照院で家の裏木戸を開けると墓地で祖父母の墓は家から歩いて1分、その隣が梅田稲荷と…常に神仏に近いところに居ますが、それも何かの御縁でしょうかね。

Posted by S.Igarashi at 11:50 AM | コメント (0)

November 01, 2016

そでの下

佐藤孝太郎著「八王子物語・上巻」342頁「女登山を許す富士縁年」より。

ブラタモリ#52 富士山麓にて富士吉田の御師のお宅で万延元年-1860年(庚申)の「御縁年」に纏る話の中で、その年だけ女性の登山が許されたと云うことであるが、その件については高尾山の麓、小仏関所(駒木野関所)の日誌にも記録されている。ブラタモリ#47 高尾山でも薬王院境内にある浅間神社等、高尾山と富士信仰の関係が語られていたが、江戸時代まで高尾山の表参道であった旧甲州街道からの蛇滝口はスルーされていた為、蛇滝口の茶店脇にある富士講の石碑などは無視されていたのが残念である。
しかし、世の中には奇特な人もいて、江戸市中から甲州街道を歩き富士講の足跡を辿るを実践した人もいおられる様だ。北口本宮冨士浅間神社・富士講には現在も活動している富士講のリストがあるが、その中に小仏関所の記録にある鳩ケ谷の富士講もある。小仏関所を通過した鳩ケ谷の富士講680名の内、女性が145名というからには関所役人の懐も多いに潤ったに違いない。

Posted by S.Igarashi at 02:13 PM | コメント (0)

October 31, 2016

生き残るのは...

二年前の四月のエントリー『そして...一棟だけ残った...』で紹介した沖電気の八王子事業所跡地に建設中のショッピングセンターの計画図であるが、これは先週の大規模小売店舗立地法に基づく地元説明会で配布された資料だ。8月の「市長と語る」では市長が『…施設前の車道は3車線分の幅員があり…(中略)…交通への支障は少ないものと考えています』と述べているが、「3車線」と言わず「3車線分」と言う処に狡猾さが滲み出ている。「3車線分」の道幅があると言っても路肩に車が停められていたら、当然の事ながらセンターラインをオーバーする訳で対向車とのすれ違いには徐行して充分注意しないと危険が伴います。従って交通に支障が出るのは明らか、既に町田街道は圏央道の高尾山インターに繋がる浅川トンネルが出来てから慢性的に渋滞しているので、このショッピングセンターが出来たら更に渋滞は酷くなるでしょう。既に種畜場跡にはホームセンターと生鮮食料品を扱う大型店舗が出店、南大沢に移転したスリーボンド本社の跡地にはヤマダ電機が出店するとか、八王子インターの北側にはイオンモールの計画もあり、建設通信新聞によれば「加速する多摩地域の大規模商業施設群開発/総延べ床60万㎡」とあるが、進行中の計画を含めると74万7600平米まで膨らむそうだ。供給過剰となって…『そして...一件だけ残った…』とならなければ良いのだが...さてさて生き残るのは...

JR高尾駅から京王狭間駅周辺の大規模小売店舗(地図はクリックして拡大)
こんな狭い地域で顧客の奪いあいが始まるのか...既にJR高尾駅北口商店街は全滅、替わってコンビニがある程度。駅舎を取り壊し、かろうじて生き残っている店舗を追い出して北口駅前広場を拡張してバスターミナルを設けるのも八王子の西北部を開発するデペロッパーのため…。

Posted by S.Igarashi at 11:18 AM | コメント (0)

October 11, 2016

豊橋の水上ビル

昭和三年発行の五万分の一地形図の豊橋の市街地を流れる農業用水路(牟呂用水)の青く塗った部分に戦後闇市から派生した小規模店舗の移転先として1964年(昭和39年)から1967年(昭和42年)に掛けて造られた幾つかのビルを総称して水上ビルと呼ばれているそうだ。ん〜…これは三原橋の銀座/傳八のあった三原橋センターと三原橋地下街に似たような話である。そんな訳で「あいちトリエンナーレ 2016」の会場にも使用されている水上ビルを見たいと思った。

と云うことで、築50年を過ぎようとする建物は名誉ある?「既存不適格建物」となり、ここも御多分に洩れず、シャッターが閉まったままのテナントが多いようですが、どことなく戦後闇市のDNAが香り立つようです。そういえば、建替え中の渋谷東横百貨店も渋谷川の上に造られていますね。好き勝手に法律を解釈する官僚上がりの強盗慶太のDNAは今も健在のようです。

橋の欄干だけが残っている。あたしん家の地名は谷戸の地形から狭間町ですが、ここは何なのでしょうか。

ブラジルのラウラ・リマによるインスタレーションですが、小鳥が逃げたり死んだり、問題もあるようです。
問題:中日新聞・小鳥、逃げたり死んだり 「あいちトリエンナーレ」豊橋の展示
対処:鳥の保護活動/TSUBASAみらくる日記・「あいちトリエンナーレ2016」のご報告

屋上も無法地帯に…これも戦後闇市のDNAを伝えるものでしょうか。

関連:ミツカン水の文化センター機関誌『水の文化』47号 つなぐ橋 
川がない橋が秘めた東京の履歴 斉藤 理 

Posted by S.Igarashi at 04:30 PM | コメント (2)

October 10, 2016

吉田にて...

8日の午後は吉田城跡の豊橋公園に駅前から路面電車に乗ってやって来た。いちおう、「あいちトリエンナーレ 2016」の会場の一つになっている事に加え城跡の探索と路面電車に乗ることも目的であった。

Yoshida-castle1.jpg

と云うことで歌川広重の東海道五十三次の吉田宿である。豊川に架かる東海道の橋を臨む風景は往時の面影を今も偲ばせるものがある。それは護岸をコンクリートで固められていないこと、それを可能にした放水路の整備があったからだろう。復元された鉄櫓(くろがねやぐら)脇の展望台に立つと思い掛けない風景に心が和む。

ということで本丸跡で催された「あいちトリエンナーレ 2016パフォーミングアーツ」のAnimal Religionによる『Chicken Legz』がこれだ。何やら広重の東海道五十三次・吉田に描かれた鉄櫓の足場に登っている鳶にも、似てないことはない。

Facebook:Animal Religionには「あいちトリエンナーレ 2016」の情報も...

豊橋公園の入口には陸軍「歩兵第18連隊」の名残を示す歩哨が立っていた哨舎がそのまま残されている。吉田城のボランティアのオジサンによれば城跡が陸軍歩兵第18連隊の駐屯地となったため、本丸とその周囲の曲輪を残し、他は城跡の原形を留めていないそうである。

Posted by S.Igarashi at 02:37 PM | コメント (0)

村井修 半田写真展『めぐり逢ひ』

CROSSING-PATHS.jpg

会期中に米寿を迎えた写真家・村井修の「村井修 半田写真展『めぐり逢ひ』」を連休の前日に見て来た。私の高木滋生建築設計事務所・時代の先輩・渡辺さんが会場の一つになっている「旧中埜半六邸(母屋)改修工事」に携わったこともあり、今回の写真展の展示にも協力していることから「見にきませんか」とお誘いがあったので、半田まで足を延ばし、事のついでに翌日は名古屋と豊橋のあいちトリエンナーレ 2016も見て来た。
村井修の写真は風景の切り取り方は元より、動かざる都市や建築そして風景を撮る時にも一瞬の光を捉えるシャッターチャンスは一度しか無い事を教えてくれる。松華堂ギャラリー会場の壁面を飾るルーブル美術館エントランスのガラスのピラミッドの写真はそんな写真だ。私を少年時代に時間旅行させてくれる記憶の風景「1950年代の風景」(昭和30〜34年)も良かった。この写真集は自主出版だけで市販されていないのが惜しい。丹下健三の山梨文化会館・1967の写真は『...雑踏のなかに、いかにもその環境にそぐわず建っている建築を意地悪そうな目つきで撮る。』と「村井修写真集 写真都市」の序文で丹下健三は物怖じしない15歳年下の村井修の才能をこの様に表現している。

Posted by S.Igarashi at 09:39 AM | コメント (0)

August 17, 2016

天然理心流棒術

例年・御嶽神社祭礼の狭間の獅子舞で奉納される天然理心流の棒術であるが、昨年はローマ出身のサンドロ君(写真左)が参加した。今年は天然理心流門人のサンドロ・フルツィ(Sandro Furzi)君の他にもう一人、イタリアから同じく天然理心流門人のカルロ・ジェラーチ君が参加。因みに棒術の指導は天然理心流武術保存会代表師範の加藤恭司氏(写真・右)が行っています。
今年の狭間・御嶽神社の例祭は次の日曜日、8月21日の午後3時頃から獅子舞等の奉納が行なわれる予定ですが、その前に御嶽神社の斜向かいに位置する高楽寺・駐車場で本番前に棒術の練習をするそうです。

追記:8月21日の狭間・御嶽神社の例祭は台風の影響を鑑みて、雨天順延とし次週の日曜日(8月28日)に繰り延べとなりました。

関連獅子頭の言い伝え
YouTube:天然理心流棒術 Tennen Rishin Ryū Bōjutsu(サンドロ君自らYouTubeにup)
天然理心流武術保存会

Posted by S.Igarashi at 11:05 AM | コメント (0)

June 24, 2016

ツバメ、今年もみた?みた!みた!展 2016

と云うことで今年も2014年から始められた展覧会が高尾駅北口から徒歩3分のgoto.Room18%で開かれています。今年は高尾駅北口駅舎にも三年ぶりにツバメが巣作りをしたこともあり、東京新聞多摩版にも巣立つまで取材されています。….会期は26日まで。
因みに高尾駅北口駅舎は南北自由通路の建設に乗じて取り壊されようとしてます。原宿駅駅舎の取り壊し問題は話題になりましたが...山里の駅も風前の灯…の様で、ここでも金目族が…スクラップ&ビルドを押し付けようとしている。

Posted by S.Igarashi at 10:14 AM

June 09, 2016

阿佐ケ谷住宅・跡地再開発

新聞記事を見て、女子美からの帰りに阿佐ケ谷住宅を訪れたのはもう10年前のこと、その後、どうなったのかストリートビューで見ると…住宅公団(現UR)の手を離れ民間デベロッパーによって再開発されている…なんだか…この場所も金目に支配され、曾てこの地にあった緩やかなコモンズは死語となり、記憶は殺されてゆく。

阿佐ケ谷住宅・関連記事
October 19, 2006:阿佐ケ谷テラスハウス
October 24, 2006:TOTAN GALLERY
October 29, 2006:善福寺川・調査ミニダイブ
December 16, 2006:善福寺川ミニダイブ+阿佐ケ谷住宅
March 11, 2007:木造四階建?
March 16, 2007:3月末のTOTAN GALLERY
March 20, 2007:第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅
April 01, 2007:第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅 報告
April 02, 2007:花咲くコモンズの庭へ
April 06, 2007:Earthdiving Map
April 26, 2007:泉麻人・青春の東京地図
January 12, 2009:神田川再発見
May 05, 2013:中央線がなかったら

Posted by S.Igarashi at 09:36 AM

May 29, 2016

うなこちゃん

東京新聞・埼玉版(5/28)に『うなこちゃん どこに? さいたま・別所沼公園で捜索』の記事が…普段はネットでTOKYO Webを見ても埼玉版まで手を伸ばすことはないのだが、昨日は何故かこの記事を開いていた。そういえば二年前の7月13日、別所沼の風信子荘で皆と待合せて、其処から埼玉県立近代美術館で開催していた展覧会『戦後日本住宅伝説ー挑発する家・内省する家』を見に、ブラブラと歩いていったことがあった。その時、別所沼公園で「うなこちゃん」を写真に撮っていたのだ。
と云うことで「うなこちゃん」と「やなせたかしさん」からの捜査協力のお願いかも知れないので、新聞記事にはない「うなこちゃん」の写真をアップ。

Posted by S.Igarashi at 10:56 AM

May 02, 2016

鯉の遡上...

四谷大木戸より十二里も離れると『江戸っ子は五月の鯉の吹流し』の喩えも...空々しく聴こえますが…ここ南浅川にも鯉が遡上…しているようです。

五月最初の日曜日、上流では水遊びする親子も...川べりにイタドリが群生しています。

Posted by S.Igarashi at 10:00 AM

April 09, 2016

萌え...

ちょっと裏山まで散歩、新緑に山桜の花と葉が彩りを添えてます。夏場は緑一色となる雑木林のもこの季節は水彩画の様に微妙な色彩の重なりが愉しめます。

Posted by S.Igarashi at 02:08 PM

April 08, 2016

さくらを...

やんごとなき方の墓所から下々の墓所、心を病んでしまった方々の医療施設から、罪を犯してしまった人々の医療施設、ターミナルケアの施設に、老人ホームに介護施設、等々...八王子には他所では快く受入れて戴けない施設が…数多くあります。
此処は市内の桜の名所の中でも近くまで車でアプローチが出来る為か、介護施設のワゴン車に分乗してお年寄りも数多く訪れていました。そんな中、車椅子の後期高齢者の御婦人に『綺麗に咲いているわね、よーく見ておいて下さいね。』と話しかける介護士。

Posted by S.Igarashi at 09:41 AM

March 31, 2016

高楽寺の枝垂れ桜 2016 その2

云うことで樹齢250年を越える老木故に昨年よりも今年は花を付けない枝が多く見られ、花の季節が終わったら大規模な延命治療が待っている様です。また、高楽寺の裏山の旧道に抜ける嘗ての里道だった赤道の土手にはカタクリの花も咲いてました。
因みに本日の東京新聞朝刊多摩版にも高楽寺の枝垂れ桜が大きく扱われています。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
関連:ブログを始めた半年後からの「高楽寺の枝垂れ桜」に関する記事。
March 27, 2004・高楽寺の枝垂れ桜
April 01, 2006・Sakura
March 26, 2008・福楽会の...
March 24, 2009・三分咲き...
April 05, 2011・高楽寺の枝垂れ桜 2011
April 08, 2012・改訂:高楽寺の枝垂れ桜 2012
April 12, 2012・福楽の桜
March 18, 2013・高楽寺の枝垂れ桜 2013
March 21, 2013・続・高楽寺の枝垂れ桜 2013
March 26, 2013・続々・高楽寺の枝垂れ桜 2013
March 26, 2014・2014・春
April 04, 2014・高楽寺の枝垂れ桜 2014
March 26, 2015・高楽寺の枝垂れ桜 2015
March 30, 2015・高楽寺の枝垂れ桜 2015-その2
March 23, 2016・高楽寺の枝垂れ桜 2016

Posted by S.Igarashi at 10:39 AM

March 23, 2016

高楽寺の枝垂れ桜 2016

今日は未だ一部の枝が開花したばかりのようです。昨年は月末辺りが満開の様でしたが…さて今年はどうなるでしょうか。

Posted by S.Igarashi at 03:58 PM | コメント (0)

March 16, 2016

姿勢を正す

昨日、市ケ谷から御茶ノ水まで行くのに時間に余裕がありすぎたのでJRには乗らず、都営地下鉄新宿線で神保町に出て、古本屋をひやかしながら、御茶ノ水まで歩くことにした。昨年のドキュメント72時間にも出た「篠村書店」はシャッターが閉められ、恐らく閉店のお知らせが書かれていたであろう「貼り紙」は破られたようでガムテープだけが残っていた。
神保町の交差点から一ツ橋方向を見ると、工事中の小学館だろうか、タワークレーンが姿勢正しく真直ぐに建っていた。
「世界最大 古書の迷宮」は時間が過ぎるのも早い、予定の時間まで残り少なく、足早に御茶ノ水駅に向かった。

Posted by S.Igarashi at 11:03 AM | コメント (6) | トラックバック

February 04, 2016

100円割れ

gasoline20160201.jpg先日、税務署からの帰りに給油すると、ガソリンの価格がリッター100円を割っていました。どうやら拙ブログの記事によれば2004年以来の低価格の様です。
32.52literで3,219円、その内、消費税が238円で、ガソリン税がリッター当たり53.8円で1,749.57円、消費税と合わせると3,219円の内1,987.57円が税金です。実に61.74%もが税金です。と云う事はリッター当りの税抜き価格は38円...其処から小売りマージンを差し引いても…GSの経営は厳しいものがあります。そういえば税務署からの帰路、京王線山田駅近くの個人経営らしきGSが更地になっていました。今やGSはセルフだけに成りつつあります。

Posted by S.Igarashi at 10:23 AM | コメント (0)

November 11, 2015

見てなかったもの...

takashimaya-s.jpg

今週の火曜日、市ケ谷から三越前まで足を延ばし地図展2015を見に行った。帰りは吉祥寺のトムズボックスに寄るつもりなので、そのまま地上に出て東京駅まで歩いてゆくことにした。日本橋を渡り、暫く行くと再開発工事のクレーンの向こう側に見馴れない風景が…そう云えば高島屋の全体をこの方向から見ることがなかった。見ようとすれば見れたのに見てなかったのだろう。高島屋のファサードは折衷的な様式建築であるという記号化されたイメージが埋込まれていたので、何やらコルビジェ風のペントハウスやモダニズム風なガラス・カーテンウォールがパッチワークの如く嵌め込まれているとは思いも寄らなかった。

Posted by S.Igarashi at 09:47 AM

October 09, 2015

599

takao-599a.jpg

昼飯にと高橋家にとろろ蕎麦を食べに行ったついでにTAKAO 599 MUSEUMに寄ってみたが、この手の展示ならばネットで視るだけでで充分と思わせる…些か管理者目線で統制され過ぎた空間と、無印良品的なアートデレクションはなんだか…プロジェクションマッピングの映像もテレビコマーシャルを見せられているようだ。この施設からはキュレーターも研究員の存在も感じられない。だから博物館とせずMUSEUMとしたのだろうか。まぁ、わざわざ、ここまでトイレを借りに行くこともないだろうから、二度目はないでしょう。
因みに此の場所には、先の東京オリンピックの自転車競技選手の宿泊の為に使われたユースホステルと都立の自然科学博物館が建っていた。そういえば嘗ては一号路の脇にも国民宿舎があったり、公共の宿泊施設が高尾山周辺にあったが、それらの公共施設は全て取り壊されて今はない。高尾山周辺で宿を探すとなったらラブホしかないのが現状…。(大垂水峠の都県境を越して山中に入れば鄙びた温泉宿もあるようですが...)
参照サイト
高尾ユースホステル
高尾自然科学博物館

takao-599b.jpg

等間隔に並べられた柩の様な展示ケースには透明アクリル樹脂封入標本が…小学生以下の子や車椅子の人への配慮は…どうなんだろう。踏台も用意されているが...

takao-599c.jpg

今年の八月、近くの沢に股関節を脱臼して動けなくなった猪が殺処分されたが…大きさはこの親猪の剥製くらい…だった。そういえば最近見掛けなくなった小綬鶏は外来種の所為か剥製はない。

takao-599d.jpg

ん...

Posted by S.Igarashi at 05:04 PM

May 10, 2015

渋さ知らズ

と云うことで昨日の土曜日、旧・藤野町の廃校跡の体育館牧郷ラボ)で行われた『いのち感じろ!渋さ知らズオーケストラLIVE―福島生きもの応援チャリティーイベントーライブ』を見て聴いて来た。イヴェントを知ったのは今回のライブにヴォーカルで参加している夕海さんの前日のFacebookでしたが、肝心な日程の記入漏れがありメッセージでダメ出しをして、「うわっ明日かよ!」と分った次第です。藤野は中学の夏休みの林間学校で一度行っただけでしたが、最近は色々と工房ができたりとか、ちょっと興味があった場所なので、家からどのくらい時間が掛かるのかも確かめたいとも思っていました。家からは町田街道を経由して浅川トンネルから甲州街道(20号線)に入り、久しぶりに大垂水峠越えで相模湖ICの先を左折して橋を渡り、右折して日連から牧野に向かい神奈川C.C.の案内看板を確認して右折、なんとか迷わずに現地に行き着いたと思ったら、目立たない廃校入口をオーバーラン…ちょっと先で車を切り返して廃校入口のアプローチの狭い坂を登って校庭に到着…所要時間35分くらい。車の走行距離が往復で48kmだから片道24km、渋滞はなかったけれど、ワインディング‐ロードの山坂道を平均時速41.1k/mの安全運転でした。
追記Torino Jazz Festival 2015 - Shibusa Shirazu
旧・藤野町の公演から略三週間後、北イタリアはトリノのジャズフェスティバルでのライブ。

渋さ知らズオーケストラを聴くのは今回が初めて…まぁフリージャズと暗黒舞踏のコラボは70年代から...見て聴いてるが…観客やミュージシャンを巻き込んでダンサーに仕立てる処が「渋さ知らズ」の由縁なのかも…そんな訳で快適渾沌状態の音のシャワーを浴び続けた2時間余りでした。
ライブが終わって車で帰ろうと取付道路の坂道を下っていると、バス停まで歩いて帰る人がいたので声を掛け、藤野駅まで送って行くことに...二人連れの女性は淵野辺から、一人で来た男性は吉祥寺から来たということで、皆さん「渋さ知らズ」のフアンだそうで、東京フォーラムのライブは満席になるのに、今日は空いていたけど、これはこれでまた良かったとか…で、フアン同士の交流が…そんな三名を無事に藤野駅まで送り届け…あたしは一路大垂水峠の山越えへ...。

Posted by S.Igarashi at 11:41 PM | コメント (5)

May 09, 2015

八王子は田舎

MXTV-hachiojo.jpg

昨日のMX-TVの夕方のニュースであるが、まぁ、知事が言うのだから間違いないでしょう。八王子は田舎です。しかし…言葉に詰まった処は…他に言い換える言葉が見つからず「ボキャ貧」を露呈してしまったようにも見えました。しかし相変わらず上から目線の物言いは直らないですね。
まぁ田舎には故郷の意味と都会の対義語としての辺境の地とか鄙びた文化果てる地の意味があると思うけど、地元の人が言う「八王子は田舎です」は謙遜と自虐が含まれているが、23区内に住む人の言う「八王子は田舎です」は優越感と差別意識が含まれていると言っていいでしょう。どっちにしろ目糞鼻糞の類いですが、この男の本質が垣間見えたようです。
と云うことで田舎に住む私の家も土砂災害警戒区域に引っ掛かってますが…その原因の多くは人為的なモノの様に思えます。

Posted by S.Igarashi at 11:14 AM

May 02, 2015

Macondo

ガルシア・マルケス(Gabriel José García Márquez)の小説に出てくる架空の街・マコンド(Macondo)のモデルとなったとされているのが、彼が祖父母の許で少年時代を過ごしたAracatacaである。その土地にあったのは米国大資本によるプランテーションだが、奇しくもマルケスの生れた年に農場労働者によるストライキが勃発、軍による弾圧、そして多くの犠牲者を出し、米国大資本は撤退。その米国大資本による暴力的な進出を落葉とつむじ風に喩え、マルケスは1955年に出版された最初の小説『落葉』の前文に記している。

そのバナナ会社とはユナイテッド・フルーツ(United Fruit Company)だが、現在の社名・ブランドは誰でも知っているあれである。
これは20世紀前半の話しと片づけられない。21世紀でも多国籍ブランド企業により、農水産業は歪められ、さらにTPPにより追い討ちを掛けられる気もする。絞り取るだけ絞り取って逃げ去ってゆく、似たような例は国内にもありそうだし、日本そのものがMacondoになるやも知れぬ。

中南米の近現代史は嘗ての宗主国に代わり支配力を強めた米国大資本やマフィアそしてCIAに対する抵抗の歴史だが、それは単に図式的な資本主義vsレーニン主義と云ったものではなく、ラテンアメリカに生まれた人々の自立性を守る人間の権利そのものと思える。
...等と考えたのはひょんなことから『グアバの香り』について5分で語れと云うミッションがあったからなのだが…

辺境の地にもストリートビューが...小説の読み方も違ってくる気がする。

Posted by S.Igarashi at 10:22 PM

March 27, 2015

木下沢梅林・2015

横着を決めて木下沢梅林まで歩かずに車で様子を見てきた。花の盛りは過ぎ、そろそろ散り始めかな…因みに梅林は日曜日まで開放。昼間は下弦だが夜には上弦となる月がうっすらと写り込んでいた。

Posted by S.Igarashi at 03:28 PM | コメント (6) | トラックバック

March 26, 2015

高楽寺の枝垂れ桜 2015

一昨年の3月26日は早くも散り始めた高楽寺の枝垂れ桜でしたが、昨年は二月の大雪の影響か3月26日は蕾も固く、咲き揃ったのは四月になってからでした。今年はどうやら咲き始めた様子、週末は七分咲きくらいになるでしょうか。

Posted by S.Igarashi at 02:31 PM | コメント (6) | トラックバック

March 23, 2015

芽吹き...

昨日、裏高尾まで梅の残り香を求めて散歩…広葉樹の一斉に芽吹く姿が…山肌が淡い緑に染まる日も真近。

Posted by S.Igarashi at 03:16 PM | コメント (2) | トラックバック

March 13, 2015

遺構

地下鉄大江戸線六本木駅構内にあった絶滅危惧品種の遺構…バブル期にデザインされたものでしょうか…お金を掛けて実に堅牢に作られていますが...。
その上、前に貼ってあるK察のポスターが空しさを助長していますね。助けが必要な人は...時代から取り残されてゆきます。


Posted by S.Igarashi at 09:56 AM | コメント (0)

March 02, 2015

鑓水

16号線の御殿峠から脇道に入り鑓水を抜けて南大沢の法務局へ…用事を済ませての帰り道、路肩に車を停めiPhoneで山里の早春をパチリ...此の辺りは幕末にベアトも訪れている。

Posted by S.Igarashi at 05:02 PM

February 19, 2015

いちまぁ〜ぃ...にまぁ〜ぃ...

....作り話の舞台となった場所も諸説ある様で...こうして嘘から出た真よろしく、標識を立ててしまえば早い者勝ち…。
それにしても…現実が物語を凌ぐ昨今…怪談噺も色あせ…講釈師もやりづらいことでしょうね。

Posted by S.Igarashi at 09:46 AM | コメント (10) | トラックバック

February 05, 2015

そこに蟹が...

市ケ谷にある専門学校の昼休みのこと、靖国通りの表通りから奥まった裏通りにある蕎麦屋からの帰り、番町界隈を徘徊していると、『この先、行き止まり自動車進入禁止』と書かれた路地の向こう側の景色に魅かれ…これは何かあると…好奇心に駆られて路地へと進入...。何やら…複雑に交差している手摺りが見えてきた。
 そういえば、去年、この近くの東郷公園の傍にあった千代田区の歴史民俗資料館まで足を延ばしたことはあるが、その先の谷道は未だ歩いたことはない。恐らくその谷道に繋がる階段があるのだろう。
 因みに千代田区立四番町図書館に併設されていた歴史民俗資料館は日比谷公園の日比谷図書館に移転していてガッカリした憶えがある。地図情報を鵜呑みにしてはいけないのだ。
 と云うことで日比谷図書館は都立図書館から千代田区立日比谷図書文化館となり3月22日まで平成26年度文化財特別展『千代田の坂と橋−江戸・東京の地形−』を開催しているのだ。

階段はスロープが併設されて、その間をスチールパイプの手摺りで仕切られてた。どことなくコルビュジエのサヴォア邸のスロープを連想させる勾配である。路地の突き当たりには意味不明の跳ね出しがある。お立ち台にしてもバルコニーにしても柵で囲われて人の進入を拒んでいる。(追記:直上のマンホールや階段下のマンホールの位置から考えて、恐らく土管かフューム管、或いは塩ビ管等の排水管が垂直に埋込まれていると思われる。)そして、階段の擁壁には蟹と思われるレリーフの様なモノが…これは何だか…、階段を松葉蟹の片足に見立てたのだろうか…謎である。

谷戸の谷底に作られた小学校の敷地を確保する為に山側が削られ整地されているようだ。急勾配の崖を人と乳母車と自転車が超えるにはと考え出されたスロープ併用階段だろう。


Posted by S.Igarashi at 11:54 AM | コメント (7) | トラックバック

January 22, 2015

大阪アースダイバー

大阪アースダイバー:中沢新一
二年前に刊行された本書の奥付を見ると四刷りとなっている。たぶん山里にある書店の店頭に並んでから買ったものだろう。それから二年余り…積読状態になっていたが、読もうと思う切っ掛けは釜ヶ崎の位置関係をGoogleMapで調べていて、そうだ「大阪アースダイバー」を買ってあったと気づいたのである。考えてみると僕たち東京の子供は公立中学ならば修学旅行は関西方面に行くのが定番であった。それでも行き先は奈良・京都であり、大阪はスルーされ目的地に入っていない。関西を代表する都会であるにも関わらずである。飛鳥の古には難波宮が置かれ、仁徳天皇陵四天王寺があっても修学旅行の候補には選ばれない。関西からの修学旅行生は東京に来るのに、関東からの修学旅行生は大阪をスルーする、何故だろう。ざっと読み終えてから、そんな疑問への答えが本書に見え隠れしているように思える。
例によって飛躍文化人類学的妄想力も全開であるが、週刊現代に連載されていたこともあり、取材も丹念に行われているようだ。東京人には解らない大阪の謎や不思議の入口前に多少は近付いたかも知れない。ブラタモリも四月から再開するようなので上町台地に迫る企画があるかも…と期待しているのだが...。

古地図と地理院地図の色別標高図で「河内」の位置や地形とかが…解った次第であります。

内容
------------------------------------------------------------------------
プロローグ
大阪アースダイビングマップ

第一部 プロト大阪
・大阪を読み解く鍵を求めて
「くらげなす」土砂層の上に/大阪の見えない座標軸/二つの軸/南北に走るアポロン軸/
 東西に走るディオニソス軸/河内カオスモス/西の王家の谷 -- 百舌鳥古墳群/
 大阪文化の野生のルーツ/複素数都市

・太陽と墳墓
 ディオニソス軸線の発見者は誰か/「スミヨシ」系の海民/渡来民たちの波/
 日の御子の誕生/大阪の大地の歌/太陽の子の死と再生

・四天王寺物語
 軍事と呪術の物部氏/玉造の怪/比類なく高い仏塔/キツツキと鷹の戦い/
 大阪スピリットの古層/聖徳太子と俊徳丸
 
第二部 ナニワの生成

・砂州に育つ資本主義
 商人と無縁の原理/水底から出現した島々/八十島のナニワ/ナルニワ国の物語
 アジールとしての砂州/淀川河口はクグツのすみか/はじまりの商人/
 商人は無縁から生れた/豊かな無縁社会/無縁社会を超える

・超縁社会
 ナニワのミトコンドリア戦略/負けるが勝ちや/有縁、無縁、超縁/
 トーテム紋章としての暖簾/座という秘密結社/お金と信用/
 信用とプロテスタント/信仰としての信用

・船場人間学
 船場の性と愛/野生のぼんち/番頭はんと丁稚どん/
 暗黙知はからだに叩き込む/幸之助と船場道場/蘇れ、ナニワ資本主義

第三部 ミナミ浮上

・日、没するところ
 西方の意味/広大なネクロポリス/封印された笑いの芸能/聖なる墓守
 埋葬儀礼のまわり/聖から芸人へ

・千日前法善寺の神
 処刑場から見せ物へ/聖なるミナミ/地上からちょっとだけ離れて/
 自転車とパノラマ館/萬歳から漫才へ/民主的な南方からの神々/エビスの記憶/
 不条理の萬歳/シャーマン吉本せいの選択/来るべき漫才

・すばらしい新世界
 モダニズムの夢/新世界の精神分析/湿った通天閣/
 タイシとビリケン/ミナミの胎蔵界曼荼羅/荒陵に咲く花/

・ディープな大阪
 最後の庇護の場所/見えない空間/「あいりん地区」の形成史/鳶田から釜ヶ崎へ/
 世界と運命の転換期/エリアクリアランス/人類型都市構造/ミナミの栄誉/
 ジャンジャン横町のデュシャンたち/アンフラマンスなミナミ/

第四部 アースダイバー問題集

・土と墓場とラブホテル
 崖地と粘土/あわいの人形/マテリアリストにしてアニミスト/恋のマテリアリズム/
 ホテルはリバーサイド/自由恋愛のメッカ/ラブホテルとディズニーランドの深層/
 ラブホと野生の思考/

・カマドと市場
 敵が味方に変わるころ/転換の門/海に直結した魚市場/市場とスーパー/

・大阪の地主神
 生玉神社と坐摩神社/イカスリの神/ツゲ一族の娘たち/渡辺一族の登場/
 水軍武士団へ/南渡辺村と北渡辺村/区別と階層差/さまよえる北渡辺村/
 くり返される強制移住/大阪の村/解放運動/「同和」の未来/

・女神の原像
 「太陽の妻」/太陽と性/不思議な神話の記憶/コリア世界との距離/

・コリア世界の古層と中層
 生野区と平野区を掘る/猪飼野の謎/伽那の人々の日本への移住/
 ものづくり大阪の土台/帝国主義の時代/壁とその解体/

●Appendix【付録】 河内・堺・岸和田 - 大阪の外縁

・河内
 先住民の夏至祭/死霊を渦の中に巻き込んで/古層の息づかい

・北河内
 宇宙船イワフネ号/河内の野生の根源地

・堺と平野
 環濠都市の精神は生きている/ガラパゴス型都市/堺と平野--偉大なる例外者
 都市の戦い

・捕鯨とだんじり---岸和田
 海民の夢の時間/だんじりの運動学/だんじり - 捕鯨論

・エピローグにかえて
------------------------------------------------------------------------
考えてみると、大阪に行ったのは片手で数える程である。最初は1970年の大阪万博…会場ゲート前まで行ったものの、見る気を失い踵を返して帰ってきた。二度目は…千里と泉北のニュータウンの見学…。三度目は高野山へ行く為に難波から南海高野線を利用した時、帰り難波駅周辺で夕食をとったが、宿は京都市内であった。ディープな大阪の地に降り立ったのはこの時だけである。何れも1970年代の事であった。

参照サイト
アースダイバーでわかった、大阪のこと・地図上でアースダイビング2012年03月26日
戦後史証言プロジェクト・第4回 猪飼野 在日コリアンの軌跡

Posted by S.Igarashi at 12:45 PM

January 12, 2015

小比企丘陵の朝...

野菜を買いに直販所へ…葉物等を買う。客は年金生活の爺婆が殆ど...
此処まで来ると富士が頭を見せる…

Posted by S.Igarashi at 11:02 AM

January 11, 2015

谷戸の夕景...

谷戸から見上げる夕景の雲…
谷戸は冬の夜、葉を落とした雑木林の向うに見え隠れする月や星で影絵の世界となる。

Posted by S.Igarashi at 06:41 PM | コメント (0)

January 02, 2015

初詣で...

今日は年始回りに代えて兄弟集まっての新年会を八王子の京王プラザで…その後、直ぐ近くの子安神社に初詣で…1957年に八王子に越してきてから...初めての参拝でした。

Posted by S.Igarashi at 11:36 PM | コメント (7) | トラックバック

December 28, 2014

elephant

2014.12.26 京王高尾線・山田駅近くにて...

Posted by S.Igarashi at 09:41 AM | コメント (2)

December 03, 2014

でん八の秘密...

新宿でん八物語
Amazonの内容紹介には『語り明かされる「でん八」50年の歴史と新宿酒場の青春! 「でん八」の歴史を振り返ると、60・70年代の新宿酒場文化がよみがえる! 60年代・70年代の動乱期、80年代・90年代のバブル期を経て、現在にいたるまで、新宿の居酒屋「でん八」には、それぞれの青春が刻まれている。 いまは亡き、あの梨元勝レポーターや、いかりや長(介)さん、安岡力也さん、井上大(輔)ちゃんなど……みんな「でん八」仲間だった。』とある。ふ〜ん、そうだったのか…と知らないことが多い。
11月30日は「でん八」の五十周年の記念パーティに行ってきたのだ。と云うことで、その引き出物が本書である。
 僕が「でん八」に初めて行ったのは四十年前くらいだろう、「その1」でも「その3」でもなく「でん八・その2」と云って新宿末広亭の裏、「どん底」の隣の建物、階段を昇った2階の店主曰く・中華スナックであった。其処は当時、僕が勤めていた高木滋生建築設計事務所の行付けの呑屋で、仕事が一段落しての打上とか、何か理由があるなしに関わらず利用していた店だ。「でん八」との関わり合いは高木事務所OBでもあった平瀬さんのエバンジェリストとしての影響が強いようで、先輩、同期、後輩を次々と「でん八」ワールドに誘い込み、高木さんもその例にもれない。僕が勤めたころ、平瀬さんは既に高木事務所を離れ、高木さんの同級生の曽根さんの事務所で働いていた。僕が平瀬さんに会ったのは三度だけ、最初が「でん八・その2」で、次が「でん八・青山店」、最後が北朝鮮旅行報告会が行われた目黒のメゾネット・アパートにあったOM研究所であった。その次はなく…平瀬さんの写真を携え、湯河原の山中や海岸をウロウロと…

もう一人、記念パーティに現れなかった人物がいる。傳八、青山店と銀座店の内装工事を請け負った簗田さんだ。彼は高木事務所に出入りしていた内装業者で、彼は酒は呑めなかったけれど、「でん八・その2」にもしばしば付きあうようになった。…そこでマスターのアキちゃんから「簗ちゃん頼むよ」と長イスのシートの貼替えを頼まれたのが、最初の仕事ではなかろうか。アキちゃんが見本帳から選んだビニールレザーの色はグリーン、それまでのオレンジから一転となった。

僕が「でん八」に行くとアキちゃんの挨拶の言葉は「高木さんはどうしてる?」だった。その高木さんは昨年暮に亡くなったが、生きていれば今年、事務所開設五十周年記念パーティをするつもりだったようだが。その替わりに「でん八」の五十周年の記念パーティと云う訳かもしれない。

二次会は歌舞伎町の「でん八」で…

高木事務所に務めていた頃、平瀬さんに紹介された山中湖の丸格建築で社長から「秋山さんって知ってる。?」と聞かれたり、傳八銀座店のオープニングの時、アキちゃんから、奥のテーブルを指さし…「あそこに永田や秋山が居るよ。」と言われたり、もう一人の「akiちゃん」に出あう前から…なにかとニアミスをしていたのである。

「新宿でん八物語」発行元のBlog・大槌の風 2014年1〜3月のアーカイブに本書の原稿が多数…
追記
aki's STOCKTAKING:「でん八」50周年
関連
アースダイニング

Posted by S.Igarashi at 10:08 PM | コメント (2)

November 20, 2014

599→634

10月14日の台風一過...の時に比較すると大気中の塵が多いようですが、599mから634mを撮影してみました。

と云うことで我家の檀那寺の本山に...御挨拶。平日なので空いていると...思いしやケーブルは45分待ち…六号路で山頂に…一号路で下山、京王線高尾駅からの所要時間は往復で3時間47分でした。

Posted by S.Igarashi at 10:57 AM

November 14, 2014

秋の...

明日と明後日の八王子恒例のイヴェントに合わせるように甲州街道の銀杏並木も色づき、若干ですが昨年よりも紅葉が進んでいるように思えます。

と云うことで、この展覧会ですが、卒業生が冨山に戻り...何やら冨山のおすそ分けの品々を持って明日明後日とミニ・マルシェを開催するようです。因みにギャラリーなので、上記イラストに描かれている様な鮮魚等のナマモノはありません...とのことです.。

Posted by S.Igarashi at 04:12 PM

November 09, 2014

取り敢えず…駐車場に...

今年四月にエントリーした「そして...一棟だけ残った...」沖電気の八王子事業所跡地は買収先が決まったようだ。開発を伴う事業計画になるようだから…その間、取り敢えず…駐車場にでもしておくようだが...駅から遠いのでこの値段...。月極め駐車の募集もしているようで…(但し車庫証明は発行不可)と抜け目ないところは流石に関西資本...

D-Park2.jpg

整地に金の掛からないと云うことで、地域交流等の盆踊り会場にも使われていたグランド跡が駐車場に転用されている。


Posted by S.Igarashi at 09:39 AM | コメント (3) | トラックバック

November 01, 2014

金阜山人…庵跡??

関東大震災から一年目、此の地で「淫文一篇...金阜山人あざぶにて識す。」と云うことらしいが…自然災害の震災を免れた偏奇館も人為的な空襲で焼失…その跡地も近年の人為的な再開発事業で…なにがなんだか原形を留めておらず…この辺りに墓標のやうなものを建てれば良かろうでお茶を濁しているようだ。まぁ…荷風先生...そんなもの望んでないでしょうね。
と云うことで、今日はホテルオークラ東京に用があり、地下鉄・六本木一丁目で降り…途中、石碑に立ち寄ったのである。


偏奇館の住所は麻布・市兵衛町一丁目六番地とあるので東京時層地図で昭和戦前期地形図の此の辺りであろう。すると…偏奇館跡地は再開発で新たに造られた道路に…と云うことだろう。
まぁ...ヨーロッパの様に400年前の建物に誰それの生家と記された標識がさりげなく貼ってあるのとは大違い。まぁ…1970年代に造られた超高層ビルが…いつの間にか取り壊されている国ですから…人為的に風景を消し去るなんてことも...躊躇いもなく行なわれます。

Posted by S.Igarashi at 07:13 PM | コメント (0)

October 29, 2014

赤瀬川原平の芸術原論展・初日

展覧会初日に行くなんて初めてのことではないだろうか。昨日、午前中は市ケ谷、用事を終えて西側に帰らず、そのまま東側に向かった。行き先は千葉…目的は昨年、川瀬巴水を見に行った千葉市美術館で開催される赤瀬川原平の芸術原論展である。
去年と変わらずJR千葉駅は工事中で東口改札に抜けるには迷路のような通路を通らなければいけない。その上、小便臭い…う〜ん「これって罰ゲームなの」と言いたくなる。
美術館受付でシニア割引で…と告げると、「市民の方ですか?」の返事…「いいえ」と答えると「それでは一般料金でお願いします。」の返事。あらら...都美術館ではそんなこと聞かれないぞ...わざわざ他県から来る高齢者に冷た〜い千葉市なのであ〜る。残念!
憎まれついでにもう一言、美術館までのアクセスマップに方位がないこと、方位を表示しない場合は原則として北を上にするのが常識であるが、最近は地図を読めない者に向けてか、方位を無視して出発地を下に目的地を上にしている案内図も増えている。そんな案内図を一度目にしてから子午線を縦軸の座標に基づくGoogleMap等で確認すると…そのギャップに眩暈を憶え、思わず「ここは何処?私は誰?」と呟いてしまいそうになってしまうのである。

会場に入ると目に付くのは赤瀬川克彦10代の習作…どこかゴッホの「馬鈴薯を食べる人々」を思わせる「貧しい家族(図録不掲載)」が目を引く…カフカやアフリカに影響を受けていた10代の頃…そしてネオダダの時代…7月の『戦後日本住宅伝説ー挑発する家・内省する家』でも取り上げられた新宿ホワイトハウスがその活動の拠点だったのだが、磯崎新と新宿ホワイトハウスの吉村益信と赤瀬川原平の関係は高校一年の一学期半ばまで住んでいた大分から続くものだったのだと…図録で再確認…なるほど、そうだったのか。愛知県出身かと思っていたが、それは高校時代だけのようだ。
参照磯崎新オーラル・ヒストリー 2012年4月1日
最近、NHKでもシリーズ1964 と称した番組で「ガロ」創刊の頃をアーカイブ映像から振り返っていたが…この展覧会も赤瀬川原平の目で捉えた「1960年代から現在まで」のニッポンの姿なのだろう。私の場合は時代的に櫻画報以降の活動に親しみを覚えるが、トマソンが巨人に入団した時のスポーツ紙一面の写真に「へぇ〜、こんな顔していたんだ。」と妙に感心してしまった。展示品に思わずニヤリとしたり、つい声を出して笑ってしまったりと…変な風に愉しめる美術展である。
昨日は展覧会初日と云うことでメディアへの内覧会も兼ねていたようで...多くのプレス関係者が会場内をウロウロしていた。中には美術館の展覧会担当者に『御奨めの一点は何かありますか?』と尋ねている女性記者が居た。まったくバカ者である。脇で聞いていて『居酒屋じゃねぇよ!』とツッコミを入れたかったが押さえた。会場内で我が物顔で写真を撮りまくるプレスの腕章を付けた輩等々、メディアの劣化ぶりはこの美術展でも証明されたようだ。
と云うことで、劣化したメディアの記者さんでなければ、行って見て損はない…かも。
追記
墓活論:自分の墓を考えていたようです。Amazonのユーザー・レビューではウィットがないと評判悪し...

四年前に撮影されたニラハウスの前のストリートビューです。屋根の上のニラは枯れ...既に屋根はトタン張りで修復されたとか…
日経ビジネス:赤瀬川原平「ニラハウス」

Posted by S.Igarashi at 10:21 AM

October 14, 2014

台風一過...

台風一過…と云うことで朝から快晴であります。本来ならば今日は専門学校への出講日なのですが、昨日夕方に『10月14日は午前中休校とする』のメールを戴き、ならばと今朝は裏山の初沢山の尾根に登り、台風の爪痕を…と…見て回りましたが...それらしきものは見当たりませんでした。事前にNASAの撮影したこんな「台風の目」を見せられていたからでしょうか…肩透かしを喰らった感が有りますね。そんなことで山里から見た高さ634mの電波塔ですが...。

肉眼では何処に在るのか直ぐには見つかりません。

台風一過の時は筑波山のツインピークスも見えます。


 
そんな訳で高さ634mの電波塔よりも低い高さ599mの高尾山です。わたしらガキの頃、高尾山は600mあったのですが、いつの間にか背が低くなりました。

Posted by S.Igarashi at 12:11 PM

September 25, 2014

セルフ...

10年前に「消えゆくGS」をエントリーしたが、今年の三月末で行付けの個人営業のGSも閉店した。さて、どうしたものかと…考えていたら…JOMOのGS跡地で何やら工事が...仮囲いに描かれた看板を見ると…どうやらセルフのGSのようだ。ここにあったJOMOのGSはバイト店員のマニュアル対応が面倒で…通わなくなった店だ。と云うことで、家から一番近い24時間営業のGSなので今年の5月から利用することになった。それにしても、10年前の価格と較べると…堪らないですね。

Posted by S.Igarashi at 10:32 AM | コメント (0)

September 24, 2014

関所が...

開店当初からフリーパスだったスーパーの駐車場に関所を設けている。今までは設備や人件費を掛ける位ならフリーパスの方がコスト削減になっていたのだろう。処が八王子市が近くの駅前にこんな施設を来月早々にオープンするものだから、施設利用者に只で店の駐車場を使われては…と考えたのだろう。まぁ…何れにせよ管理は駐車場管理会社に委託と云うことで面倒は消費者と外注業者が負うのである…。

Posted by S.Igarashi at 03:08 PM | コメント (2)

September 22, 2014

母と子の..

terayama-s.jpg

「暑さ寒さも彼岸まで」と云うことで昨日の東京新聞・日曜版に「寺山はつと高尾霊園で」と題したコラムを読んで、なるほど、そういう経緯があってこの場所を墓所に選んだのかと合点してみたものの、まぁ…物書故に何処まで真実か、どこまで物語かは本人以外知る由もない。因みにこの墓所の近くにキヨシローの墓所もあるそうで…霊園には場違いな装いの若者の目的はそちらのようだ…。そういえば、明日はお彼岸の中日…八王子市内には、やんごとなき御方の御陵から数多くの下々の霊園がありますので…車は一日中渋滞でしょうね。

Posted by S.Igarashi at 11:29 AM

August 29, 2014

Palladio Tour in Veneto

Palladio-Tour-in-Veneto2014.jpg
2008年のエントリーGoogleMapでPalladio tourで作成したPalladio Tour in Venetoであるが、その後、GoogleMapが改良されて敷地内のStreetviewが追加されているヴィッラやパラッツォも現れている。
上図のVilla Rotondaの他、Villa Barbaro、Villa Emo、それにGiulio RomanoのPalazzo Del TE 等がそうだ。と云うことで、夏休みに何処にも行けないならば…せめてヴァーチャルで…。ヴェネチアはStreetviewならぬCanalviewが用意され運河からの街並も堪能でき、S.Giorgio Maggioreは教会内部にも入れる。

Posted by S.Igarashi at 12:15 PM | コメント (8) | トラックバック

August 23, 2014

映画・陸軍登戸研究所

1941年(昭和16)7月8日の陸軍による空撮写真である。敗戦後、同じ場所を1947年(昭和22)9月16日に米軍による空撮写真もあるが、写真のクォリティに随分と差がある。現在の明大・生田キャンパスが旧・陸軍登戸研究所の跡地である。

先日、石上さんに借して戴いたDVDの映画・陸軍登戸研究所を観た。2012年に公開された映画は180分と云うことだが、DVDは二枚組で前編が2時間半、後編が1時間半と合計4時間(240分)と劇場版よりも1時間長い。全編を通して登戸研究所に関わった人々の時代の証人としてのインタビューが延々と続く。インタビュアーは批判も肯定もせず登戸研究所で体験したことを聴き出す事に専念している。殺人光線の開発をしていた老人の上機嫌な話しぶりには、嫌悪感さえ抱くが、そうでなければ口を塞いだままだろう。中には棺桶に入るまで沈黙を守ると云う老人もいる。時代の叡知を集めた研究所と云うが、今の時代から傍観すると漫画じみたその研究内容には呆れるばかりだが、自由が奪われ国家に隷属し、何も考えなくなった日本人の姿が其処にある。それは今でも大して変わらない、原発再稼働とワンセットになっているリニア新幹線計画も似たようなものだ。
一つ気になったのは『陸軍登戸研究所の真実』の著者・伴 繁雄の夫人へのインタビュー、病床にありながら最後の力を振り絞って「陸軍登戸研究所の真実 」を書き上げる夫を看病し、死後も...出版まで献身的努力を惜しまなかったと思われるが、夫人への最後のインタビューの時、居間の壁にあった夫の写真が外されていた。積年の思いが….そうさせたようだ。
関連登戸研究所の思い出(ある若手研究員の記録)

Posted by S.Igarashi at 09:28 PM | コメント (0)

August 19, 2014

電子国土

昨年暮に調べたいことがあって国土地理院の「国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧システム」にアクセスすると、サイトが廃止されていた。地図センターの「空中写真」を見ると『国土地理院の空中写真は、撮影ネガフィルムのデジタル化完了に伴い、平成25年11月1日より、すべて数値空中写真に統合されました。』とあった。
そういえば、2007年4月に法政大学市ヶ谷キャンパスで行なわれたデジタルアトラスのシンポジウムでスピーカーに立った国土地理院の人が将来的に地形図等を電子国土に一元化する旨を語っていた。と云うことで国土変遷アーカイブは地理院地図(電子国土Web)に統合されていたのである。上記地図は標準の地形図に「色別標高図」と「土地条件図」のレイヤを重ね、「国土変遷アーカイブ」にあった単写真(空撮写真)の位置情報を示したものである。「写真を表示」をクリックすると別ウィンドウに空撮写真が表示されるようになった。3.11以降、話題となった「土地条件図」を表示すれば、ブルドーザーで山を崩した住宅造成地の嘗ての谷戸が人口地形の高い盛土地として浮かび上がるのである。

因みにiPadで地理院の地形図を見る場合FieldAccess HDが便利である。


残念ながら「国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧システム」にあった空撮写真は見られないが、歴史的農業環境閲覧システム「迅速測図」は見られるようになっている。

Posted by S.Igarashi at 09:41 AM

August 17, 2014

獅子頭の言い伝え

本日は八王子城主・北条氏照よりお下渡しされたと伝えられている狭間の獅子舞が奉納される御嶽神社の例祭である。獅子舞保存会のHPには『この獅子舞がどうして八王子城主北条氏照公より狭間部落に拝領になったかということはいまだに不明であるが、武蔵七党の内横山党一党、椚田次郎の居城が峰山城(現在は初沢城址と呼ばれている)であり椚田郷狭間の地にそのつながりがあったのではないだろうかと考えられています。』とある。その初沢城趾は学術的な遺跡調査が行われたことは一度もなく、それどころか城趾の一部に東京都水道局の上水道の配水施設が設けられている有り様である。その建設時に何か出土したかは不明だ。何れにせよ初沢城趾に関してはウィキペディアに書かれている程度の情報しかないが、1590年(天正18年)の八王子城の落城と運命を共にしたことだけは間違いないようである。と云うことで地形図を元に推論すると、北条氏照が豊臣・前田・上杉の連合軍の進攻に備えて初沢城を小田原と八王子城との中継地点として整備する際に荷役の牛馬や普請の為の人足として地元民を現地調達する際、最も近い集落である25戸余りの狭間に白羽の矢があたったのだろう。初沢城の北側の谷に位置する高乗寺(曹洞宗)の1557年(弘治3年)の高乗寺絵図を見ると、初沢城趾には高乗城山と妙義山の書込みがあり平屋の建物が描かれており、現在の浅川中学の校門近く、谷戸の入口に惣門(禅宗寺院の表門)が置かれ、そこから先は高乗寺の領地で本堂伽藍の他に僧侶達が住む数々の庵が点在している。因みに太平洋戦争の戦争遺産である浅川地下壕はこの高乗寺の領地であった山地の地下に建設されている。
地形図を見れば解る通り山地から丘陵へと地形が変わり、その舌状台地の舌先に位置する御嶽神社から丘陵地(縄文住居跡)を抜け、尾根道を行けば山頂まで牛馬と共に普請の資材を運搬することができる。恐らくそうした労働の対価と褒美の意味を含めて獅子頭が与えられたのだろう。因みに山地から丘陵へと地形が変わるこの丘陵を峰開戸(みねげと)と土地の人は呼ぶ、地名としては残っていないが東京都教育委員会の東京都遺跡地図には狭間(峰開戸)遺跡の名が残っている。
此の尾根道は私が小学生の頃、江戸時代の街道に見立て東映が教育映画のロケを行なっていたくらいである。(残念ながら尾根道を街道らしく見せていた松の木は昭和34年の伊勢湾台風で多くが倒木した。)1948年の米軍が撮影した空撮写真を見ると御嶽神社の南側に位置する谷戸にある狭間の住戸数と400年以上昔の天正時代の住戸数と殆ど変わってないようだ。

Posted by S.Igarashi at 10:05 AM | コメント (0)

July 12, 2014

南北自由通路

6月3日付けの東京新聞・多摩版に『高尾駅に「南北自由通路」22年度開通へ』の記事では計画概要が不明なので八王子市のHPにアクセスして計画概要のPDFをDownloadしてみた。IllustratorでPDFを開き、上書きしてあるオブジェクトを取り除くと既存の駅舎を取り壊さなくても「南北自由通路」は成り立つであろう。恐らく計画立案の段階では駅舎を保存してリノベーションする選択肢も検討していたのではないか。「南北自由通路」と駅舎保存を両立させることは可能であるが、特に駅舎の保存運動も起きていない事から解体移築が既成事実として住民に浸透していると見做され計画が進められているのだろうか…。しかし、地元住民は「南北自由通路」は求めていても駅舎の解体までは求めていないのが実情のようである。JR中央線始発駅の東京駅丸の内口駅舎も竣工当時の元の姿に戻された。同じJR中央線始発駅の高尾駅北口駅舎も大正・昭和の時代を残す建造物である。駅舎だけを移築静態保存しても、それは建築としての機能を失ったモノでしかない、駅構内に動態保存するのが筋だろう。高尾駅北口駅舎は高尾駅1・2番線のホームと同じレベルにあり、足腰の弱った人には優しい駅舎である。主要な駅改札機能を橋上駅に移動しても一つくらいの改札口は残すべきであろう。
現在の高尾駅は嘗て皇室利用の為にあった貴賓室や団体改札口をリノベーションして島根県の石見地方に本社を置く会社がカフェとブティックを運営している。石見銀山と八王子とを関係付ける人物としては大久保長安の名が真っ先に浮かぶだろう。更に高尾駅駅舎と出雲の大社駅の設計者が曽田甚蔵と云う共通点も見られる。(訂正:近年、小屋裏から棟札が発見され設計者は鉄道省技師の丹羽三雄であったことが解った。)JR中央線下り始発駅の東京駅丸の内口駅舎も建設当時の姿に復元されたことだし、JR中央線上り始発駅の高尾駅・北口駅舎も解体移築して静態保存するのではなく、現在の場所で動態保存すべきであろう。「南北自由通路」との共存も可能な筈であるし、歴史的にも大正期から昭和への時代を表わす観光資源としての駅舎活用の道もあるのではないだろうか。取り壊してから後悔しても遅いのである。

関連八王子と鉄道


Posted by S.Igarashi at 10:41 AM

July 10, 2014

遂に…一対一...

どうやら…決勝戦も「欧州vs南米」の構図は崩れず、当然、三位決定戦も「欧州vs南米」となった。それにしても昨日の試合は、まるで日本対ドイツの試合を見ているかのようだったが、この人が応援するチームが敗れると云う都市伝説もあったようだ。

Posted by S.Igarashi at 08:31 AM

May 26, 2014

GoogleMapに大雪の残雪が...

2014zansetu.jpg

GoogleMapの空撮写真が更新され今年2月14日に降った大雪の残雪が写っていた。と云うことはこの日よりも後、今年の2月末頃に撮影されたものだろう。
4月12日のエントリー・そして...一棟だけ残った...では1年半前くらいの空撮写真だったが、それではいけないとエントリーに合わせてGoogleMapも更新してくれたのか…そんなことはないな。

Posted by S.Igarashi at 11:11 AM | コメント (0)

April 27, 2014

ツバメ、今年もみた?みた!みた!展 2014

『ツバメ、今年もみた?みた!みた!展 2014』がJR高尾・北口近くのgoto. Room 18%で始まりました。週末のみの開催なので要注意!
昨日の土曜日、散歩がてら、紅葉台から初沢城趾、御衣公園と、わざわざ山越えをして高尾駅北口まで歩いて行きましたが、途中でツバメが飛ぶ姿を見ることもなくギャラリーに着きました。暫くしてギャラリーに来たオジサンによって…その理由が解りました。

そのオジサンはNPOのボランティアで「ツバメの生態」を調査しているそうで、家にあったと云う展覧会の案内ハガキを手にしてましたが、そのハガキには宛名も書いてなく、主催者もハガキを配った憶えもないらしく、きっとツバメがオジサンにハガキを届けたのでしょうと云うことで納得…。
…で、その人が言うには駅等の公共施設からツバメの巣が取り払われたり、巣を付けられないような対策を施したりと…ツバメにとって受難の時代となっているようです。僕らが小学生の頃はツバメは害虫を捕まえて食べるから益鳥なので…大事にするようにと教わったけど…糞くらいのことで…人間の技量が狭くなったというか…なんと云いますか。
高尾周辺にいるのは主にイワツバメで…ヒメアマツバメ(初めて此の名を聞きました)も若干生息しているらしく、ヒメアマツバメは留鳥なので年間を通して見られるらしい…と云うことで、何も知りませんでした。季節外れにツバメを見たらそれはヒメアマツバメだそうです。

写真の「コルク製ツバメの巣」を手作りしている小川美奈子さんの「リトルミーナ」に製作方法等があります。小川さんは自身で改良を重ねツバメが営巣するまでに至ったそうです。

ツバメかんさつ全国ネットワーク
認定NPO法人・バードリサーチ

ツバメ(燕、学名:Hirundo rustica)
イワツバメ(岩燕、Delichon urbica)
ヒメアマツバメ(姫雨燕、Apus nipalensis)

追記
東京新聞5月5日付けの朝刊社会面に掲載されました。
人工巣でツバメ育て 小平の女性ら 共存目指す

Posted by S.Igarashi at 10:47 AM | コメント (0)

April 24, 2014

IKEA 立川

立川のたましんギャラリーで28日まで開催している同級生の個展に行ったついでにIKEAまで足を延ばしてみた。
ん〜何だか、港北のIKEAよりも店内レイアウトが解り難く、迷宮化がエスカレートしている。目的の商品を選んで、さっさと買い物を済ませたい向きには面倒くさいプランだし、非常の際の避難経路も係員の誘導がなければ難しいだろう。用意されているフロアガイドも「地図を読めない女性」に合わせたのか、売場番号がライン上に並んだだけのモノ、所々にショートサーキットは用意されている様だが、通路も狭く判りやすいとは言えない。まぁ、テーマパークの様に演出された思い掛けない発見を意図しているのかも知れないが…メインストリートが無く、路地だけで構成されている店内レイアウトに疑問を憶える。もう少し大らかで明解なプランが優先されるべきだと思うのであるが...。1階にあるトイレも最悪で、サイン計画はデザイナーの自己満足...男子便所には小便器や手洗器の廻りに手荷物を置く場所もない。困ったものだ。

Posted by S.Igarashi at 09:18 PM | コメント (0)

April 17, 2014

三里塚...

教会裏手の納屋(鍛冶場)に入ると斜め左上から差す光がカラヴァッジョの「聖マタイの召命」を彷彿とさせた。

首都高4号線の工事渋滞に巻き込まれ三里塚教会に着いたのは13日日曜日午前11時半近く、主日礼拝が終わる午後0時まで外で待つことにした。三里塚教会についての知識は皆無に等しく、事前にGALLERY A4の「三里塚教会物語と吉村順三展」のプレスリーリスを読み、「三里塚芝山連合空港反対同盟」の戸村一作氏との関係を知っていたが、この朽ちた看板を見て、もしやと思い…主日礼拝の終了後に教会関係者に尋ねると、戸村氏の敷地の一画に建てられたもので、敷地内や納屋(鍛冶場)に置かれた、鉄の造形も戸村氏の作品だと知った。

教会内部に入ると梁間方向三間、桁行方向六間の主屋に玄関の下屋が付いた小さな木造教会が、教会裏手にある納屋のスケールに合わせて造られていることが直ぐに解った。カソリック教会は35年くらい前に何度か設計を手伝ったことがあるので、多少は知っているつもりだったが、このプロテスタント系の教会はそれらとは異なる文脈から造られているようだ。

こうして見ると聖書研究会的な集いが教会の主目的な使われ方に思える。

生れた時代が違っていたら、もしかすると「タケシの誰でもピカソ」に出て「芸大のケンちゃん」と造形作品を競っていたかも知れないと思える戸村一作氏とは何ものか…Amazonで100円也の古本を買ってみた。届いた本は四條畷市立図書館(しじょうなわて)から除籍図書となった本だ。何処も傷んでなく状態も宜しい図書が何故に除籍されたのか...それも疑問である。因みに表紙の絵は丸木位里・丸木俊であるが...丸木美術館への中高生の見学が…何処かの圧力で減っているそうだ。(続く)


戸村一作(1909〜1979)と吉村順三(1908〜1997)の接点を考えてみた。
1947年に父・武芳氏が死去した後、家業を受けつぐが、戦前の農機具の製造販売から、戦後は嘗ての軍需産業が農機具を製造するようになり、戸村農機は農機具の販売へと事業内容がシフトしていた。それに伴い農家への農機具セールスが主な業務となった。
吉村順三は戦後、佐倉市に1953年に竣工された佐倉厚生園サナトリウム(木造2階建て、400床、2,659.6㎡、現存せず)を設計している。戸村農機と佐倉厚生園との距儀は14.7km、車で30分ほどの距儀である。戸村農機の得意先は富里、八街の先まであったと云うから、佐倉もその範囲であったであろう。セールスの途中で佐倉厚生園サナトリウムの現場を見て直接依頼したのか、共通の知人を介して依頼したのかは不明だが…翌年の1954年に三里塚教会が完成したことを考え合わせると興味深いことである。(未確認情報であるが、サナトリウムの院長がクリスチャンでその関係者による紹介と云う有力な説が….。)

1969年(昭44)に戸村氏とその家族は教団から除名…1977年(昭和52)三里塚教会と付属幼稚園は御料牧場跡地に移転…上記地図には三つの三里塚教会があるが…一つは棄民ならぬ棄××なのだろうか…因みに三里塚教会と敷地続きの戸村農機は上記地図の旅館・大竹屋の向かいにあった。

Posted by S.Igarashi at 09:03 AM | コメント (0)

April 12, 2014

そして...一棟だけ残った...

中学生の頃、体育の授業で区画整理されたばかりの此の道路を走らされた。俺も痩せてヒョロヒョロだったけど、街路樹として植えられたばかりのケヤキもヒョロヒョロで未だ頼りなげだった。そして校外授業でこの向かいに出来たばかりの事業所に見学に行ったこともある。当時最先端の半導体工場の見学範囲は限定され、ここで何が造られているのか、何だか良く解らないまま工場見学は終わった。その時、初めて聞いたクリーンルームという言葉を覚えたのが唯一の収穫だった。あれから半世紀余り、次から次へと拡張された工場群は...今では僅かに一棟を残すだけとなった。これも斜陽の都を象徴することかも…

赤で囲われた東南の一画だけが残され、他は更地となった。パノラマは事業所の向かい側にあるホンダのディーラーの前から撮ったモノ。(赤丸印)

GoogleMapの空撮は比較的新しく2012年の暮れから2013年の初め頃だろうか。

追記:2014年5月に空撮写真が更新され『そして...一棟だけ残った...』ことが良く解る。

この前の道は車で良く通るが、道路に違法駐車して写真を撮る程、ずうずうしくもないので、いつか撮りに行こうと思っていたが、ようやく2013年の10月27日に撮ったのがこの写真だ。
そういえば、此の辺りで、座り込みをしていた唄う人はどうしたのだろうか。

昭和30年代前半まで此の辺りは畑、桑都・八王子に相応しく曲がりくねった農道の脇に桑の木が植えられていた。

JR中央線側から…

プラントの解体工事は…とてつもなく時間が掛かるものだ。
そういえば…先日「サラメシ」でこの企業の制服を久しぶりに見たが…あれは本社の社食なのかな…会社の沿革を見ても…工場の新設はあるが…事業所の売却は書かれていない…。

Posted by S.Igarashi at 10:17 AM | コメント (0)

April 07, 2014

片倉城趾の桜

先週の土曜日、京王高尾線の車窓から片倉城跡のある丘に桜が咲き始めているのが見えたので、天気が回復した今日の午前中に城跡の穏やかな風景の桜を愛できた。カタクリの花はそろそろ…

菜の花も後は種を収穫するだけ…と云う農業が...いつまで続けられるのか...

Posted by S.Igarashi at 03:17 PM | コメント (0)

April 04, 2014

高楽寺の枝垂れ桜 2014

昨年は例年より早くお彼岸には咲いてましたが、今年は例年より遅く四月になって咲きそろい昨日・一昨日の雨にもマケズ、今朝まで降り続いた雨の所為か花が重そうに見えますが、花が散ることなかったようです。因みに6日の日曜日まで夜間はライトアップするとか…です。

と云うことでライトアップの様子を...


Posted by S.Igarashi at 01:56 PM | コメント (0)

April 01, 2014

鉄道遺跡と...

そのうち暇があったら京王御陵線の遺構を見に行こうと思っていたのだが、八王子市役所・横山支所から歩いて数分の所だったので、事のついでにちょっと足を延ばしてみた。周囲の色あせたポスターやらなんやらかんやら雑多なアイテムで散らかっている様は...或る意味…今日的で…残念な眺めでもある。

参考・aki's STOCKTAKING:
多摩の鉄道沿線 古今御案内

因みに上記書籍の裏表紙見返しに吉田初三郎「京王電車沿線名所図絵」の御陵線部分がカラー印刷されています。

Posted by S.Igarashi at 10:10 AM | コメント (0)

March 31, 2014

南浅川から...

八王子市内を流れる南浅川に架かる横山橋から上流を見る。正面の山が初沢城趾、右手奥が高尾山、左手奥が丹沢の峰々…都心は桜が満開の様ですが...この辺りはボチボチと咲き始め...

Posted by S.Igarashi at 05:01 PM | コメント (0)

March 30, 2014

その後のgoo Map


図:左より、goo Map 、GoogleMap、Apple純正Map(何れもiPhone5s)

6年前に一度「goo-Map」を取上げたことがあったが、それ程、使い勝手も良くないので常用することもなく忘れていた。Apple純正のMapは3Dデータのある場所なら使う価値もあるが...普段使うには今一つである。そうかと言ってGoogleMapが良いかと問われると、そうでもなく、Streetviewの機能も含めて逆に退化しているような気がしてならない。兎に角、地図が文字のサイズも含めて見難いのである。と云うことで、他の地図ソフトやら何やらを試したところ、地図情報の見易さや更新を含めて「goo Map」が一番かも知れないと思った次第である。但し航空写真に関しては些かデータが古くあまり役には立たないので、目的に応じてGoogleMapと併用することになるだろう。。
関連iOS6 MapFieldAccess

Posted by S.Igarashi at 12:17 PM | コメント (4)

March 26, 2014

2014・春

高楽寺の枝垂れ桜も昨年と較べて一週間以上開花が遅れている様子。昨日膨らみ始めた蕾も今日明日の雨に洗われ明後日は一斉に咲くかも知れぬ...。

と云うことで昨日は銀行と郵便局の帰りに御衣公園に立ち寄り、菅原道真像の裏手に造られた天神様と梅を…どちらも私が餓鬼の頃は無かったものだ。

初沢城趾まで登り帰宅することに…タラの芽も未だ膨らんでない...

小学三年の頃、此の辺りで東映の教育映画のロケがあった。街道を旅するお女中と駕籠担きのシーンだったような。

Posted by S.Igarashi at 09:34 AM | コメント (0)

March 04, 2014

路上...

昨日、確定申告の書類を提出に駅前地下駐車場から受付会場となっている八王子ダイエーに向かう途中の甲州街道交差点角に置かれた…路上彫刻…ん〜なんか…幸福感が伝わってこない…本当の母子なのか…それとも….良からぬ妄想が…悲劇にも喜劇にもエスカレートしそうだ。それにしても後ろの売り地となっている空き地に屯する鳩の数も尋常ではない…。

Posted by S.Igarashi at 05:08 PM | コメント (0)

February 24, 2014

残雪...

20140224a.jpg

と云うことで14日の大雪から10日経ち、White Regent状態だった車の屋根に積もった雪もフロントグラスに僅かに残るだけとなりました。やれやれです。

高尾駅南口の高架下は日陰なので雪が融けません。

人手を掛けられない日陰のコインパークは...

雪の捨て場のない道は路肩に...向かいの山は…八王子城趾…

Posted by S.Igarashi at 02:06 PM | コメント (0)

December 07, 2013

ここは●●...

さて、このグレーで塗られたゾーンは何処でしょうか。GoogleMapから施設名が消えてしまいました。何か戦前の地形図を思わせるものがありますね。特定秘密保護法の前倒しでしょうか。
さて●●●●●の●●がいつまであるか...

●●●●●●は返還されるという話ですが、どうやら全てではなく一部だけのようです。返還された後、何に利用されるのでしょうか、ロビーストやブローカーも暗躍していることでしょう。なんたらかんたらと...秘密の・お・も・て・な・し・で…決まるのかな..


●●●●●●は空母の艦載機の駐機場らしいです。
ここから伯父は...


こんな●●●の入り江では艦載機は飛び立てませんね。ん...垂直になら…可能か?
関連
Born In The Occupied Japan
日米地位協定入門

Posted by S.Igarashi at 02:36 PM | コメント (0)

November 14, 2013

紅葉が...始まりつつある山里から...

今週末に八王子いちょうまつりが開かれる高尾町付近の甲州街道銀杏並木です。黄金に色づいた銀杏と未だ緑が残っている銀杏とが...正面の山頂にはケーブル駅近くのビアマウントが見えます。

甲州街道(国道20号線)を離れて旧道(旧甲州街道)には未だこうした佇まいを残す民家が僅かながら片手で数えられる位残ってます。道端の用水も昭和30年代までは甲州街道にも残っていましたが、1964年の東京オリンピックの自転車ロードレースに併せて道路整備されてからでしょうか、用水路は塞がれ歩道が拡げられました。

電柱がなければ...

今は車の通り抜けには不都合な生活道路としての機能だけですから車も殆ど通らず…散歩道に最適です。

多摩御陵の参道にかかる南浅川橋から…正面左手が高尾山…川堤の桜が紅葉してます。

下図は1964年5月16日の空撮、南浅川橋の川上の左岸に工事中の自転車競技場トラックコースが見えます。競技場は木造の仮設で造られ、オリンピック終了後に解体され、二面の野球場が造られました。

MKT646X-C1-3-19640516

下図は1965年10月28日の空撮、既に競技場は解体されていますが、左側にはプレハブで造られた仮設の選手村が未だ残ってます。この選手村の建物、1964年5月16日の空撮にはありませんから、如何に急場凌ぎか分かります。高尾地区には他に高尾山下にあったユースホステルがオリンピックの施設として流用されていました。そのユースホステルも一号路登山口右手にあった国民宿舎も既に無く、その代用か…高尾山口駅前には♡ラブホ♥が…う〜む。

19651028

Posted by S.Igarashi at 10:21 AM

November 11, 2013

猫間倶楽部

山里は紅葉のシーズンが始まりましたが、見頃は今月末くらいでしょうか。八王子では例年11月中旬に八王子いちょう祭りが開かれ、今年は11月16日・17日の二日に亘り開催されます。その甲州街道・銀杏並木に面した高尾駅近くのgoto. Room 18%(案内図)で「猫間倶楽部はじまりました」のタイトルでアマチュアの猫写真に混ざってプロの作品まで集めた展覧会が八王子いちょう祭りの開催に合わせて始まりました。期間は金・土・日の週末限定で11/24日まで開催されます。

俺の、あたしの猫写真も見て欲しいと云う方は20cm四方のサイズの写真用紙にプリントしてお持ち下されば追加展示するそうです。(但し参加費が掛かります。)

Posted by S.Igarashi at 11:13 AM | コメント (2)

November 03, 2013

Parantica sita

Parantica-sita2.jpg

昨日の連休初日、石上さんに誘われ久々に高尾山に登りました。行きは6号路を登り、帰りは大見晴らしから、富士路と1号路を塵拾いしながら下ると云うコース。その1号路のつづらおりの最後辺りに人だかりが…その視線の先に居たのがこの蝶、iPadの高尾山公式アプリで調べるとParantica sita(アサギマダラ)でした。

Posted by S.Igarashi at 08:51 AM

September 01, 2013

AMeDAS-Hachioji

hachiouji-AMeDAS-s.jpg

異常に暑かった今年の夏は国内最高気温も2013年8月12日13時42分に高知県四万十市西土佐用井のアメダス江川崎観測所で記録された41.0°Cによって塗り替えられた訳ですが、偶々、当日か翌日のTBSの夕方のNews番組を見ていたら、江川崎のアメダス観測所の映像が流れ、気象予報士・森田氏は設置環境の問題点を話していた。それはYahoo!ニュースでも『「41度」日本記録への疑問』とまとめられている。
ところでアメダス・八王子は何処に在るのか気になった。そういえばアメダス以前は八王子の気象観測は市立の中学校で生徒が続けていた筈だ。Google検索すると『八王子市天気相談所:1983年(昭和58)10月3日開設.日立市に次いで全国で2番目の市独自の天気相談所.初代所長原嶋宏昌.沿革は57年以降続けられてきた市立第四中学校気象観測業務が,68年に気象庁東京管区気象台八王子地域観測所に指定されるなど公的気象デ−タの観測を行ってきたものを,八王子市が引き継ぎ,82年4月八王子市気象観測室として設置,それを拡充して天気相談所としたもの.気象観測をはじめ,予報,電話による気象情報の提供などサ−ビスを行っている.』とある。(つまり理科の先生が定年退職後、その実績が評価されて云々でしょう。)その八王子市天気相談所も『平成22年4月1日から無人化され、市内7箇所に設置された雨量計などにより機械観測のみを行う「気象観測所」となりました。』とある。観測の経緯などについては「八王子市気象観測所・データについての解説、注意」が詳しい。八王子市立四中気象部顧問を務めていた原嶋宏昌氏は日本気象学会機関紙・天気に市民生活と気象・一中学校での気象観測が八王子市天気相談所へ発展一なる文章を残している。
と云うことで一件落着、AMeDASは八王子市役所の屋上ではなかった。200m東にある市立四中と観測環境に極端な違いが生じないように配慮したのだろう。
参考:八王子市 防災気象情

Posted by S.Igarashi at 11:00 AM

August 21, 2013

水の都市 江戸・東京

水の都市 江戸・東京
陣内 秀信+法政大学陣内研究室 編 
講談社・刊
「江戸・東京」学の真打登場である。前作の三浦展氏とのコラボレーション企画「中央線がなかったら 見えてくる東京の古層」が江戸・東京の西半分の武蔵野台地に重点を置いているとすれば、水の都市のタイトル通り本書は江戸・東京の東半分に重点が置かれていて西半分の「郊外・田園」は頁数全体の二割程度である。講談社の内容紹介によると『都心や下町の川・壕・運河がめぐる「水の都」、ローマと同じ7つの丘からなる「田園都市」山の手、漁師町・産業基地・リゾート空間が重層する東京湾、武蔵野・多摩の湧水・用水が織りなす「水の郷」と、世界に類を見ない多種多様な水辺空間をもつ東京。水都学を提唱する斯界の第一人者が、30数年におよぶフィールドワークを集大成。』とある。水との関わりを通し生活者の視点から江戸・東京の歴史と現在を展望している本である。
建築家・槇文彦氏が著書「漂うモダニズム」で『...現代は極めてエキサイティングな時代なのだ。ここでも新しい建築評論のあり方が問われているのだ。大海原には多様な価値軸、時間軸が浮遊している。比較文化人類学者のまなざしが求められているのかもしれない。』と結んでいる。
陣内氏の提唱している空間人類学は地道なフィールドワークを通した建築サイドからの試みの一つであろう。都市や建築の空間の豊かさはこうした地道な積み重ねの中からしか生れないだろう。

目次
----------------------------------------------------------------------------------------------------------
序章「水の都市」 東京の読み方、歩き方

第1章 都心部
・江戸城と内濠・外濠
〈東京の地形はどのようにしてできたか?〉
・隅田川
・日本橋川
・神田川
〈柳橋と川文化〉
〈川沿いに魅せられた市民ランナーたち〉

第2章 江東・墨田
・北十間川
・小名木川
・横十間川
・旧中川
・仙台堀川
・大横川

第3章 港南臨海部
・東京湾
・佃
・品川
・羽田
〈お台場は日本でも有数の観光地になった〉

第四章 郊外・田園
・玉川上水
・目黒川
・善福寺川
〈武蔵野三大湧水池のひとつ善福寺池〉
〈多摩川の漁業協同組合の活動〉
・野川
〈「お鷹の道」と「史跡の駅、おたカフェ」〉
〈野川の再生活動〜水辺の空間を市民の手に〜〉
・多摩川
・府中
・日野
----------------------------------------------------------------------------------------------------------
追記:第1章のコラム〈東京の地形はどのようにしてできたか?〉では縄文海進期の海水位を7〜8mと定説通り、飛躍文化人類学読本「アースダイバー」の様に縄文海進期と下末吉海進期をごちゃまぜにするような愚は犯してない。(参考:東京の凸凹地図
余談:そういえば、20年以上前、JIA主催のエクスカーションで隅田川を川下りしたとき、船上で古山クンが近くに居た陣内氏に佃の住吉神社の神輿は今でも海に入るのかどうか質問していたと記憶している。因みにその答えは...本書159頁に記されている。

Posted by S.Igarashi at 10:22 AM

May 30, 2013

歩兵第3連隊・跡地

先週の火曜日、休館日とも知らず無駄足を運んでしまったが、会期も残り数日と僅かとなったので、関東地方が梅雨入りした昨日午前中に「カリフォルニア・デザイン 1930-1965 −モダン・リヴィングの起源−」展を見てきた。この場所が旧日本陸軍・歩兵第3連隊・跡地の遺伝子を引き継いでいる所為なのか、屋外も館内も矢鱈と制服、私服を問わず警備や監視の人間の多さには...なんだか...うんざりさせられる。何となく自民党が目論む憲法改正後の監視社会が前倒しされている様な...印象。

ところで、展覧会場前の受付でキャンパスメンバーズの割引を受けようと教職員証を提示すると...『何か顔を確認できる証明証はありませんか。』と係員が言ってきた。面倒だが運転免許証を見せて、団体割引の料金で入館したが、思わず『随分と疑い深いですね。』と言ってしまった。これまでも西洋美術館等でもキャンパスメンバーズの特典を利用したが...一度も今回の様な事はなかった。やはり、ここは負の遺伝子が...

aki's STOCKTAKING:カリフォルニア・デザイン 1930-1965|展

Posted by S.Igarashi at 10:15 AM | コメント (4)

April 07, 2013

多摩森林科学園・2013

ブログを始めて今年の9月で10年目となるのだが、その間多摩森林科学園の桜保存林を既にエントリーしていたと思い込んでいたが未だであった。...と云うことは、桜保存林に行ってから少なくとも10年以上は経っているのだろう。そんな訳で久々に好天に恵まれた一昨昨日の4月4日、桜保存林まで散策してきた。山桜が咲き始め、落葉樹が芽吹き、そのなか常緑樹が落ち着きを与えている山里の風景はこの季節限りの自然の贈り物だ。
東京新聞:【望 〜都の空から】多摩森林科学園 楽園守る 美と心

上の写真は高尾街道を多摩森林科学園に向かう坂道、1964年の東京オリンピック・自転車ロードレースの時はこの坂を高尾駅前交差点に向かって一気に下る難所でもあった。
私の家からは往復で8km弱、高尾駅から高低差50mほどの山を散策して4〜6km位、手頃なウォーキングといったところだろう。

杖も借りられるので...御安心を...猪に遭遇できたら...或る意味幸運かも...


Posted by S.Igarashi at 09:43 AM

March 26, 2013

続々・高楽寺の枝垂れ桜 2013

開花から一週間経ちましたが...ここ二三日と気温が低めで...枝垂れ桜も見頃が続いているようですが、そろそろ散り始めでしょうか...リュウノヒゲに花が咲いたように見えます。

Posted by S.Igarashi at 09:09 PM | コメント (2)

March 21, 2013

続・高楽寺の枝垂れ桜 2013

一昨日は蕾だった枝垂れ桜は翌日には開花...本日は概ね満開でしょうか...昨年よりも二週間程度早い模様です。

昨日はお彼岸の中日、お墓参りとお花見が同時にであります。
こちらのお宅はミモザが満開。

Posted by S.Igarashi at 01:39 PM | コメント (0)

March 18, 2013

高楽寺の枝垂れ桜 2013

梅は咲いたので桜は..と云うことで、昼過ぎに高楽寺の前を通りかかると枝垂れ桜の手入れを行なっていました。昨年は4月に入ってから咲き始めましたが...蕾の様子を見ると開花は早そうです。
高楽寺の枝垂れ桜 2012
高楽寺の枝垂れ桜 2011

Posted by S.Igarashi at 06:16 PM | コメント (0)

木下沢梅林

GPS-Trk 2の機能を確認する目的もあって、昨日、裏高尾の木下沢梅林(こげさわばいりん・上記写真:中央高速の向う側)までの散歩、往復で12.25kmである。尤も家を出て暫くしてから計測するのに気付いて記録開始したから往復12.5km位だろう。平均して歩行速度5km/h程度で2.5時間のウォーキング、舗装してある道よりも舗装してない川沿いの山道の方が足への負担が少なく歩きやすい。と云うことでiPhoneで記録した「.kmz」のファイルをiMacに転送、GoogleMapにインポートして、往路(赤)と復路(青)を色分け。まぁGPSの誤差は最大で20m程度だろうか。

圏央道の真下にも...梅が

Posted by S.Igarashi at 10:43 AM

March 15, 2013

600-1=599

嘗て高尾山の標高はこの地図(帝国書院・中学校社会科地図・昭和36年12月20日発行)に示されているように600mであった。そして現在の標高は599mとなっている。つまり高さ634mの地デジ対応電波塔よりも35m低いのであるが...いつから国土地理院が高尾山の標高を改めたのかwikipediaにも記載がなく、他にも情報が乏しく不明である。国土地理院から改訂の案内が届かなかったのか、或いは伝統を重んじるのか、四捨五入でザックリとなのか、高尾山薬王院公式ホームぺージでは昔通りに600mを標高にしているようだ。
こんなことを思い出したのも、高尾山の麓に在った1964年の東京オリンピックの時に選手宿舎としても使われたユースホステルと高尾自然科学博物館の跡地に造るハコモノが「TAKAO 599 MUSEUM」となるらしいことを知ったからなのだが...それにしてもこのハコモノは基本計画から較べると平凡なカタチになったようである。

Posted by S.Igarashi at 10:13 AM

February 13, 2013

紅梅

冬そばキャンペーンもあって、昼にとろろ蕎麦を食べに高橋家まで行った。行きは電車に乗ったが、帰りはぶらぶら散策することにした。途中、甲州街道から南浅川の支流小仏川に沿って溯ると、対岸の堤に残る昨晩の雪にめげずとばかり紅梅の古木が早々と花を付けていた。高尾梅郷の梅まつりは来月の9日・10日だから、随分とせっかちな梅である。小仏川の堤から駒木野病院の脇を通り甲州街道の旧道に抜ける農道には猪の被害から畑を守るバリアーが施されていた。これは50年前には見られなかった風景である。

Posted by S.Igarashi at 04:02 PM | コメント (8) | トラックバック

January 16, 2013

雪害

14日の積雪で庭のハナミズキの枝が折れてしまった。常緑樹の椿や月桂樹は雪が積もり始めた段階で、枝が折れないよう雪落としをしたが、まさか落葉樹のハナミズキの枝が折れるとは思わなかった。まぁ、それだけ湿って重たい雪だったようだ。そんな、こんなで14日は雨が雪に変わる前に買い物を済ませ、雪から小雨に変わった夕方6時すぎに家の前の道路と駐車場の雪掻きをざっと済ませたが、昨日は昼過ぎに谷戸地形で日陰で人家に面してないアイスバーンと化した道路をアバウトに除雪(前のエントリーの写真から想像してください。)...今朝の体重は前日よりも0.6kg減...御蔭でメタボ予備軍脱出か...。

Posted by S.Igarashi at 04:17 PM | コメント (1)

January 02, 2013

正月二日

正月二日は例年の様に墓参り、快晴なので634mが見えるかと思いや、然にあらず。水平線付近は霞んでいました。

Posted by S.Igarashi at 02:30 PM | コメント (0)

October 10, 2012

消されたビル...Gi-roppon-3


昨日、市ケ谷での午前中の授業を終え地下鉄南北線で六本木に向かった。目的地は映画・ル・コルビュジエの家を上映している「シネマート六本木」だ。映画館は六本木・瀬里奈の隣なので、南北線・六本木一丁目駅で降りて裏道を適当に歩いて行こうと、一番出口から地上に出る。すると、其処にあった筈の建物が姿を消していた。仮設ゲートの隙間から見るとプレキャストコンクリートの柱型と梁型のモジュールがまるでモックアップの様に一つだけ残されていた。1971年11月に竣工されたと云うこのビル、僅か40年で姿を消したことになる。設計時にコンピュータグラフィクスを用いて高速道路からのシークエンスを解析したことでも話題になったが...その当時は最新技術だったワイヤーフレームによるコンピュータグラフィクスも...現在から見れば考えられないほど稚拙なものであった。

空撮写真には残っている日本IBM本社ビルも六本木プリンスホテルも地上から姿を消した。そういえば、赤坂プリンスホテルの解体工事は...何処まで進んでいるのだろうか。

ツインコアの一部とプレキャストコンクリートの柱梁がモックアップの如く残っていた。ガードマン曰く「解体は早い!」そうだ。

1971年の竣工当時は首都高・谷町ジャンクションのランドマーク的存在であった地上22階のビルも付近の再開発ビルの谷間に埋もれてしまい、商業的価値を失い粗大ゴミとして処分されるとは...果たして、我々はいつまで粗大ゴミを再生産し続けるのだろうか。

Posted by S.Igarashi at 09:49 AM | コメント (0)

October 01, 2012

嵐の後...

台風一過の八王子は、みなみ野・栃谷戸公園からの眺め、富士隠し(大室山)の背後の雲に隠れてちょっとだけ黒いモノが...早朝なら見えたでしょう。


しかし、台風一過で真夏に逆戻りとは...八王子は32 ℃で、10月の最高気温記録に0.1℃...足りないだけ...やれやれ。

Posted by S.Igarashi at 02:48 PM | コメント (0)

September 16, 2012

鶴川の空

土曜日、鶴川に向かう中央線車中で南の空の雲行きが怪しくなってきたので東京アメッシュiPhoneAppを立ち上げると...相模原辺りに雨雲が掛かっている様子だ。八王子で横浜線に乗り換え、橋本駅に着くと日は差しているが、俄雨が降っている。相模原辺りは降っておらず、町田で小田急に乗り換え鶴川で下車、ホームから北の空を見ると雨雲が...どうやら、昨日は相模原・橋本付近を南南西から北北東に移動する雨雲の様で...可喜庵からの帰り道も相変わらずの雲行きであったが、町田も八王子も雨雲の移動ルートから外れていたお蔭で雨に濡れることなく済んだ。

Posted by S.Igarashi at 04:00 PM | コメント (0) | トラックバック

September 05, 2012

Airforce

あたしんちの真上を飛ぶ米軍輸送機...いつもの様に編隊飛行でなく、三機がバラバラに飛んでいた。その米軍輸送機の上空には羽田を飛び立った民間機が...高度は違うけど...あたしんちの真上は空の交差点なのだ。それにしても、今日は横田に向かう三機編隊と横田から飛び立った三機編隊が喧しく飛び交う日だ。

Posted by S.Igarashi at 12:03 PM

August 29, 2012

ハカルワカル広場

hakaruwakaru.jpg
昨日は八王子夢美術館で開催中の「桑沢学園のアート&デザイン展」を見た、そのついでに、八幡町まで足を延ばし八王子市民放射能測定室・ハカルワカル広場を見学、早川マップも戴いてきた。此処は一検体当りの料金も1000円と安く、測定結果も情報公開し、だれでも見られるようにしてある処は...何処かの電力会社とは大違い。
ついでのついでに八幡町まで歩いて来たからには、甲州街道を車で荒物加島屋の前を通り過ぎる度に店先に掛かっていた箒が気になっていたのだが...その念願の箒(別名:元気掃除機)をようやく手に入れる。やっぱり荒物屋でないと...。

Posted by S.Igarashi at 11:52 AM | コメント (0)

August 15, 2012

戦場体験史料館

jvvap.jpg

8月14日付東京新聞夕刊一面に『戦争の記憶「今残さないと」』の記事が、公開は8月15日から。

東京MX-TV(8月14日):終戦から67年? 八王子空襲を語り継ぐ2人の思い
高尾駅1・2番線ホーム上屋支柱の弾痕とか大和田橋の焼夷弾・弾痕の映像も...

Posted by S.Igarashi at 09:00 AM

August 11, 2012

フィンランドのくらしとデザイン

昨日は2004年のリートフェルト展以来、8年ぶりに宇都宮美術館を訪れ「開館15周年記念 フィンランドのくらしとデザイン ムーミンが住む森の生活」を見てきました。今回の展覧会を企画された主任学芸員の橋本さんとはリートフェルト展の時はブログによるコンタクト、今回はFacebookを通じて案内を戴き、所謂ソーシャル・ネットワークを巡るこの8年間のIT技術の革新に応じたコミュニケーション方法の変化を思うと感慨深いものがあります。
「フィンランドのくらしとデザイン」と云うテーマも「リートフェルト展」と同様に宇都宮美術館・運営の三つの柱である地域・生活・環境に則し、地に足の着いた展示内容となっています。宇都宮美術館での展覧会は8月26日まで、その後は東京をスルーして9月から静岡市美術館で開かれますが、「...ムーミンが住む森の生活」に相応しい会場は森の中に建つ宇都宮美術館しかないでしょう。
関連
aki's STOCKTAKING:フィンランドのくらしとデザイン
Things that I used to do.:フィンランドの暮らしとデザイン

今回の展覧会ではアールトの作品は建築ではなく家具や照明器具等の暮らしに寄り添うデザインにフォーカスして展示されています。アールトと云えば1996年のN.Y.MOMAの企画によるアールトの回顧展は世界を巡回し、1998年に西武系のセゾン美術館で開催され、確か閉館された池袋・セゾン美術館、最後の展覧会だったと記憶しています。1996年当時、私は日本でも開催されるとは露知らず、Amazon.USAから初めて購入した本がアールト展の図録(英語版)でした。その図録に掲載されていた写真と外形寸法から作成したのが、左のパイミオ・チェアーとアームチェアーです。右側は"artek"のサイトから.dwgのデータをダウンロードしてVectorworksに取り込んだものです。見た目には大差ないように見えますが、外形寸法の表記を"W×H×D"と思い込んでいましたが、.dwgのデータを検証すると"H×W×D"だったようで、当たり前と思っていた寸法表記も国やカテゴリーが異なると、そうではないようです。因みにパイミオ・チェアーはVectorworksの3Dパス図形のスキルアップを目的とした課題の事例として選んだものです。

Link
artek
iittalaイッタラ SHOP JP
marimekko(マリメッコ)表参道吉祥寺

Posted by S.Igarashi at 04:17 PM

August 05, 2012

67年前の8月5日

67年前の8月5日のここ「湯の花トンネル」は今日と同じように暑い夏の日だったそうだ。
東京新聞「太平洋戦争末期 列車銃撃事件 風化させない

Posted by S.Igarashi at 07:00 PM

July 19, 2012

パレードから見る都市風景...

「さようなら原発10万人集会」のパレード・原宿コースから都市風景の変遷を見ると、都市政策の無策ぶりと傲慢さが目に付き、或る意味で企業の栄枯盛衰を物語るようです。上の写真はパレードの出発地、原宿駅前ですがコープ・オリンピアの隣に何が建っていたか即座に答えられる人は今では少ないでしょう。「さようなら原発10万人集会」のスピーカーの一人にその企業家の兄が居たのも皮肉です。

明治通りと表参道の交差点、嘗て原宿セントラルアパートの建っていた場所ですが、それから二度目の建替えで、予てから噂の絶えなかった東急グループの原宿進出が叶ったようです。と云うことで下のGAPがメイン・テナントだった商業ビルの寿命は本当に僅かで、スクラップアンドビルドを象徴する物件ですね。

それにしても原宿セントラルアパートの建っていた時代と比べて明治通り側が殺風景ですね。道路を見れば何かの工事中です。と云うことで東京メトロ副都心線の明治神宮前駅を建設するために街路樹が根こそぎ撤去されてしまい、工事が終わった後も、街路樹や植込が復元されていませんから、何か殺伐とした風景です。新築なった東急プラザ屋上の植込も何だか...ですが。

右のタワークレーンの乗っている工事中のビルは嘗ての丹下健三設計のモリハナエビルの跡地ですが、建て替えられたビルも似たようなカーテンウォールなので...解体中かと思いました。恐らく、都市計画法の見直しで容積緩和があったのでは...と想像します。因みに施主は関西系の大手ゼネコン...

ここはバブル前夜から地上げ屋が跳梁跋扈していた因縁の土地...未だ手付かずのようですね。
80年代には246を挟んだ、斜め向かいの不動産屋で殺人事件もありました。それも偶に行っていたオデン屋があった狭小ビルの4階で...

以前、住友銀行青山支店の入居していたビルはエイベックスビルとなりましたが、それにしても...この鉄柵は何でしょうか、銀行も敵いません。企業体質なのか企業家の不安を表わす表象でしょうか。
因みに246の街路樹は半蔵門線の工事が終了した後に植えられた栃(トチノキ)仏語でマロニエです。

住み家殺人事件・建築論ノート

Posted by S.Igarashi at 10:26 AM | コメント (4)

July 14, 2012

...16日まで

(明日)から...八王子市夢美術館で『たむらしげるの世界展鵺 空想旅行』が開催される。2005年の『たむらしげるの世界展』に続き7年ぶり二回目となる。
八王子市夢美術館の展覧会案内のプロフィールにあるように、彼も僕と同じ様に子供の頃、23区から八王子に移り住んだ新住民である。但し、僕は里山に包まれた谷戸で子供時代を過ごしたが、彼は峠の中腹に建てた一軒家に住み、市内の街明かりをジオラマを見るように育ち、空想を拡げていった。そんな彼は少年時代の自分に向けて絵本を描いていると云う。...期間は7月16日まで。(2012.05.31記)
更新:残る会期は本日を含め後2日となりました。

と云うことで明日の展覧会を前に展示の最終チェックに来た、たむら君に同行して僕も会場に...絵本の原画と下書きや、印刷の色指定のラフスケッチ、印刷の版下、等々も展示され...デザインやイラストレーションを学ぶものにとっても... どれも活きた教材になるもの...展示点数も250点程...見応えのある展覧会になりそうである。(2012.05.31)

Posted by S.Igarashi at 08:59 AM | コメント (4)

July 13, 2012

浮間の水塚-2

昨日は赤羽まるます家で開かれた赤羽軽泥酔会の前に、予てより気に掛かっていた浮間の水塚を見て、岩淵水門までミニダイブを行なった。岩淵水門に隣接する荒川知水資料館の受付嬢に伺った処...ブラタモリ効果で見学者が増えることは無かったそうで...「やっぱり...駅から遠いですから...」...う〜む...。
関連エントリー:荒ぶる川の絵葉書

Posted by S.Igarashi at 09:50 AM | コメント (2)

July 11, 2012

なんちゃって...

東京駅一番線中央線ホームから仮囲いが外れ、復元?された旧駅舎のドームが見える様になったが...こうして見るとテーマパークの「なんちゃって西洋建築」と大差ないような...どこかで...大きな勘違いをしているように思えてならないのだが...。

Posted by S.Igarashi at 09:55 AM | コメント (4)

June 12, 2012

銀座の紫陽花

今日、市ケ谷での授業を終えてから日本橋の小津ギャラリーに寄り、それから新聞か何かのメディアで見て気になっていた写真集『屠場』をテーマにした銀座ニコンサロンの本橋 成一写真展を見に行った。銀座通りからライオンビアホールの角を左に折れると歩道の植込に植えられた紫陽花が銀座とは思えないほど背を高く繁っていた。それも山里の沢の辺に人知れず咲いている様なガクアジサイが、降り始めた雨の鬱陶しさと、これから見る写真展のテーマの重さを...何となく和らげてくれる様に思えた。

Posted by S.Igarashi at 09:29 PM

June 04, 2012

相模原


オウムの指名手配犯が相模原市で拘束されたと云う一報がTV画面に流れた時、さて相模原市の何処か、皆目見当が付かなかった。平成の大合併以前なら、ある程度イメージできたが津久井郡の城山町・津久井町・相模湖町・藤野町を併合し、政令指定都市になってから何がなんだか、さっぱり分からない。相模原は上記地形図の略中央、相模川による扇状地が隆起して形成された洪積台地と云われる相模川右岸と相模國と武蔵國の国境を流れる境川の左岸に当る台地です。その台地を相模原市と呼ぶには何の異論もないが、津久井郡の山間部を相模原と呼ぶには...地形的に何だか...である。神奈川県下でも最大級の台地...こうした地形が軍部に目を付けられるのは...赤羽と似たようなもの...東日本最大の軍都になる計画は...敗戦により消滅したが...陸軍造兵廠は進駐軍に接収され米軍の相模総合補給廠に...相模原市はその返還後の再開発を睨み...強気で政令指定都市になったのだろう。因みにオウムの指名手配犯が潜伏していたのは旧・城山町だそうだ。

Posted by S.Igarashi at 10:12 AM

May 12, 2012

どうすれば...

昨日、大学からの帰路、雲が美しかったので栃谷戸公園で車を停めて写真を撮ろうとしたが...雲は既にそのカタチを変えシャッターチャンスを逸してしまった。その時...公園内にある池のフェンスに立て掛けた妙なカンバンが目に付いた。『あやしい人をみつけたらXXXXXしてください。』ん〜これでは何を言いたいのか分かりませんですね。こちらと同じく退色したのでしょうが...果たして...こうなる事を想定していたのでしょうか?

Posted by S.Igarashi at 10:51 AM | コメント (2)

May 03, 2012

シュロイダー邸と高速道路


大きな地図で見る
世界遺産に指定されているリートフェルトのシュロイダー邸(写真左手)の前には高速道路が走っている。Google Earthで現状を見ると空撮写真の解像度が向上しStreetviewにも対応していた。Streetviewで観察すると住宅地の中を走る高速道路と云うことで、植栽による修景等の環境対策や安全対策に気を使っていることが写真からでも伝わってくる。先ず、シュロイダー邸の斜向いにあるシュロイダー邸前面道路と高速道路との立体交差であるガード(陸橋)の天井高が低く2.4mしかない、これは高速道路が住宅地の障壁とならないよう高さを最小限に抑えているからだろう。生活道路は高速道路の下を一段下って潜る。従って大型車両は進入できない。それと高速道路の防音壁とガードレールが二重に設置されている。つまり先日の関越道の様な串刺し事故は起きないだろう。当然と云えば当然。

Posted by S.Igarashi at 03:01 PM

April 20, 2012

河川の立体交差


(写真左:玉川上水の上流方向を見る。写真右:玉川上水の下流方向を見る。)

『川の地図辞典 多摩東部編』の138頁を見ていて気になる場所があったので羽村の堰を見た後、寄ってきた。それは玉川上水と残堀川が立体交差する地点である。水道橋による立体交差は珍しくはないが、サイホンの原理を用いたふせこしによる河川立体交差が多摩地区にあったとは知らなかった。他にも水車やサイホンの原理を用いて高低差を解消する知恵を先人達は駆使していたようだが...電動ポンプによって...それらの技術は駆逐され...それらの遺産を目にする機会も失われてしまった。
 そういえば昭和の時代、残堀川と云えば台風や集中豪雨で度々氾濫し流域の家屋が床下浸水することで名が知れていたが、今では護岸が改修されただけでなく、流れも大幅に付け替えられ、限りなく人工河川になってしまったようだ。GoogleMapで見る。
追記・参考サイト
伏せ越しの理:事例・伏越の理(ふせこしのことわり)
玉川上水事典サイホン工法

Posted by S.Igarashi at 09:53 AM | コメント (4) | トラックバック

April 19, 2012

ロケ地跡...


こちらの映像のロケ地の現在の状況ですが、正面に有った建物は解体撤去され、その場所に駐輪場と高低差を利用して下階は駐車場に...。ところで...昨日の授業中...外が騒がしいと思ったらこの男がロケか何かに来てたらしく...付属の高校生に...「あの、いい加減なオジサンの?」と聞いたら...「そうです。」.....ん〜...

Posted by S.Igarashi at 09:23 AM

April 16, 2012

まいまいず井戸

羽村に行ったならば「これ」は見ておかなければ...ということで。

Posted by S.Igarashi at 10:52 AM | コメント (6)

April 15, 2012

羽村の堰

玉川上水への取水所である羽村の堰にちょっと行ってきました。日曜日も昼前とあって玉川上水の堤に陣取る花見客もまだ穏やかに過ごしていました。

Posted by S.Igarashi at 04:47 PM

April 12, 2012

福楽の桜

と云うことで、本日の高楽寺の桜ですが、そろそろ散り始めの様です。因みに福楽会の謂れとなった真福寺の枝垂れ桜はほぼ満開でしょうか。こちらは若干遅咲きです。

Posted by S.Igarashi at 11:52 AM | コメント (5) | トラックバック

April 08, 2012

改訂:高楽寺の枝垂れ桜 2012

追記:4月8日現在の高楽寺の枝垂れ桜ですが、都心とは最低気温が4〜5℃は違うので、未だ5〜6分咲き程度でしょうか...。

山里はまだまだ寒いですね。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

4月4日現在の高楽寺の枝垂れ桜です。昨日の春の嵐も開花前で問題無かったようですね。未だ一分咲き程度でしょうか。

3月30日の枝垂れ桜、例年ならば満開でしょうが、今年は剪定をしてました。

Posted by S.Igarashi at 04:50 PM | コメント (4)

March 30, 2012

港北からの夕景

昨日、IKEA港北店に行ってきましたが年度末だけあって国道16号は混雑、IKEA店内は春休みの所為なのか子供連れも多く...これまた混雑...駐車できたのは屋上...その御蔭で夕景に...飛行機雲が夕日に輝いて綺麗でした...


IKEA港北店から富士は大山(1252)と丹沢(1576)の間に見えるのですが、その標高差も距離で相殺される様です。

Posted by S.Igarashi at 11:04 AM | コメント (2)

March 22, 2012

ワープする空間...


iTunesStoreでレンタル開始された『人のセックスを笑うな』を借りて観た。映画の中の美術学校のロケ地になったのはここの杉並キャンパスですが、場所の設定は北関東らしく、ロケは桐生市や深谷市でも行なわれたようです。エンドロールのタイトルバックにも使われている校舎屋上は北関東にある建物のようで...地元の人なら山並みで何処か分かると思いますが...映画の屋上と校庭とは異次元をワープして同一空間となっているようです。美術学校のロケ地は映画のタイトルもあって難航したようで...軒並み断られ...最後で望みの綱が繋がったようです。従って場所の設定から、大学周辺とか校門とか...どう見ても北関東らしくない場所は撮影されてません。恐らく打診して断られた筈と思いますが...、風景やら地形などから判断すると...この映画のロケ地として相応しいのは図書館が建つ前の多摩美の八王子キャンパスでしょうね。因みに画面の校舎は既に耐震建替工事で撤去され現在は駐輪場に駐車場と広場になっています。
映画は、最近の漫画のコマ割りの影響か矢鱈とカット割りを多用するテレビドラマや商業映画とは真逆に、芝居臭さを極力消した台詞廻しとか、ワンシーン・ワンカットの長回しとか、この2時間17分の映画はマシンガン的な演出手法に慣らされた観客から見ると退屈極まりないものかも知れませんが...リアルな時間の流れは...もっとゆっくりしたものでしょう...。

Posted by S.Igarashi at 11:01 AM | コメント (4)

March 18, 2012

力づく...

四年前の2008年2月21日にエントリーした南浅川町に今月の25日に開通する高尾山ICと八王子JCT間の高尾山トンネルを見てきました。印象として、政治的にも土木工事的にも力づくで、住民や自然をねじ伏せて既成事実を作り上げてしまう様は、原発行政と似たものがあるようです。それにしても大垂水峠へ向かう街道上に唐突に現れる高尾山ICの出入口ですが、国道20号線と八王子南バイパスとは信号による平面交差となります。杞憂でしょうが出入口付近の事故や渋滞の発生が気になります。御為ごかしか、ガードレールに使われている防腐処理された間伐材?らしき削り丸太は何を意味するのでしょう。

接続道路との高低差を解消するにはランプはより大きくなります。

2008年2月に工事事務所に置いて有った高尾山ICの完成模型と国土交通省関東地方整備局・相武国道事務所・発行の高尾山IC開通プレスリリースに掲載されている高尾山IC付近の航空写真を比較すると、城山八王子トンネル入り口の崩落現場が工事中断し、下り線の南浅川トンネルと高尾山トンネルの間にシェルターが新たに設けられたことが分かる。

3.11東日本大震災による仮称・城山八王子トンネル上り車線入り口部分の崩落現場、法面の改修工事が終り、来月からトンネル工事を再開するらしい。ここは確か2008年夏の集中豪雨でも崩落したと伝え聞いている。(此の時は京王高尾線のトンネル出口付近で山肌が崩落し、トンネル出口を塞いだ。)

国道20号線より城山八王子トンネル入り口付近を見る。(2008年2月)
恐らく、トンネル上部のこの植樹された針葉樹林が2008年夏の集中豪雨で滑落し、3.11で再び緩んでいた地盤が崩落したのではないでしょうか、広葉樹林と違って針葉樹林は下草も生えず、保水力も弱く表土が崩れやすいですからね...。

国道20号線より工事中断している城山八王子トンネル入り口付近を見る。(2012年3月)

因みに城山八王子トンネル以南の圏央道の神奈川県内は城山ダムと津久井湖を避けて、相模川の河岸段丘に沿って南下し海老名JCTで東名に接続し、茅ヶ崎で新湘南バイパスに繋がるようです。

Posted by S.Igarashi at 09:04 PM | コメント (4) | トラックバック

March 15, 2012

East i-E

昨日、確定申告を提出に八王子税務署に行った帰り、八王子駅に見馴れない車両が停まっていた。念の為にiPhone4Sを取り出し写真を撮ろうとすると動き出した。何かの試験車両だとは思っていたが肉眼では識別できず、画像をiMacに取込み車両に描かれたロゴを拡大し、Google検索した結果『East i-E』だと判明。税務署への近道でもある南口再開発ビル2階通路は鉄ちゃん向きかも...。

Posted by S.Igarashi at 03:46 PM | コメント (6)

February 28, 2012

一年ぶり...

3.11の崩落事故による営業停止からリニューアル・オープンしたCOSTCO多摩境に一年ぶりに行ってきた。時間は4時を過ぎていたが、普段よりやや人が多く駐車を屋上に誘導された程度の混み具合であった。例の崩落した斜路は建替えられ、柱は斜路の両側に設けられにブレースによる補強もされていた。崩落の原因は、設計には無い排水溝を屋内駐車場側に設けたことで強度が弱まったとかで、施主、設計者、ゼネコンの三つ巴で罪のなすり合いをしているようです。まぁ店内の基本レイアウトは同じで売場の移動や冷蔵ケースの新設とか...若干のリニューアルはあるようです。と云うことで買い出しは定番のトマトソースやら何やらでした。

Posted by S.Igarashi at 06:27 PM | コメント (2) | トラックバック

February 08, 2012

八王子と鉄道

と云うことで八王子市郷土資料館で開催中の『特別展「八王子と鉄道」』に行き、図録を購入してきた。
考えてみると八王子は政令指定都市を除いた地方都市の中で最も駅の数が多い市の一つだろう。市内に在る駅の数はJRが中央線で3駅(八王子、西八王子、高尾)、横浜線と八高線は八王子駅を除いて2駅ずつ(北八王子、小宮、そして片倉、みなみ野)の4駅で合計7駅、私鉄は京王線が3駅(長沼、北野、京王八王子)、京王高尾線は高尾駅を除いて5駅(京王片倉、山田、めじろ台、狭間、高尾山口)、京王相模原線が2駅(京王堀之内、南大沢)、そして多摩モノレールが3駅(松が谷、大塚・帝京大学、中央大学・明星大学)と全部で20駅、それに日本一急勾配の高尾登山電鉄の2駅(清滝、高尾山)を加えれば22駅となる。現存する駅だけでなく廃線や廃駅で消えた駅も八王子には在ったのである。昭和20年に廃線となった京王御陵線や昭和戦前期の10年間だけ営業された武蔵中央電気鉄道等の資料も興味深い。(但し私鉄関係の展示は4月から)様々なメディアで語り継がれていた甲武鉄道から中央線への変遷等も多くの資料によって、今まで抱いていた疑問を補填してくれる。八王子市郷土資料館の展示内容は地味であるが、入場料も無料、駐車場も無料、図録も400円なので、これ以上多くを期待しない方が良いだろう。
aki's STOCKTAKING:特別展「八王子と鉄道」

追記:鉄道関連のエントリーを...
September 13, 2004:かなりピンぼけ 父の遺した写真
December 09, 2003:「JR中央線の復古神道的解釈」に思う
January 08, 2004:中央線の魔力
August 28, 2004:1964 Takao
November 03, 2006:東京人 12. 2006
January 09, 2007:中央線新型車両
August 21, 2009:弾痕
August 23, 2009:中央線で行く東京横断・ホッピーマラソン
September 17, 2009:1948.09.17

Posted by S.Igarashi at 06:20 PM | コメント (7) | トラックバック

February 04, 2012

失われた記憶...


撮影:2006年2月22日

この地には「サザンスカイタワー八王子」が建ち、ここに何が在ったのか人々の記憶も失われつつあるが...再開発を免れた向かい側の区域は...再開発ビルに対抗するかの様に見事なまでに場末感を漂わせているのである。

Posted by S.Igarashi at 12:16 PM | コメント (4)

December 13, 2011

逆さ富士...

なんちゃって「逆さ富士」の様な街路灯のある場所は南浅川町の圏央道八王子南インターチェンジまで接続する八王子南バイパス側道部分にあたります。写真の八王子みなみ野周辺の用地整備は順調の様ですが...八王子みなみ野の外れ寺田から館町までは...一部トンネルになるだろうし...工事着手にはまだまだ...ですね。

Posted by S.Igarashi at 11:21 AM | コメント (9) | トラックバック

June 11, 2011

6.11脱原発100万人アクション

と云うことで世界各地で行われた「6.11脱原発100万人アクション」の一つ『6.11 新宿・原発やめろデモ!!!!!’』に参加してきました。解散地の新宿東口アルタ前にこれだけ人が集まったのは70年代以来でしょうか。

JEDIはこんなグループの人達(撮影:masa)に混ざって歩いていました。まさに宮沢章夫氏のツイートそのものですね。そういえば思想右翼の大物もデモに参加していたらしく、新宿中央公園・多目的運動広場を出る所で見掛けた人が似ていたような...(追記:やはり本人でした)
因みにリアルタイムで取材していた大手メディアはTBSだけ、土曜夕方の報道特集のトップで放送された様子。TBSも金平氏が戻ってきてから変わりつつあるようですが...


新宿東口アルタ前、フィナーレに備えてか制服やら私服やら暇人やら軟派やら、スケコマシやら、ミーハーや、なんやら待機中の様子。

aki's STOCKTAKING:6.11 新宿・原発やめろデモ!!!!!
Kai-Wai 散策:6.11新宿 原発やめろデモ (前半)
Kai-Wai 散策:6.11新宿 原発やめろデモ (後半)
MyPlace:「6.11新宿 原発いらないデモ」
漂泊のブロガー2:エネルギーシフトパレード@渋谷 (1)
漂泊のブロガー2:エネルギーシフトパレード@渋谷 (2)

Posted by S.Igarashi at 11:05 PM | コメント (2)

April 28, 2011

武蔵國内...に限る(更新)


WiredvisionTouch Lab等で紹介されたiPhoneTrackerを試してみると、あたし(JEDiPhone02GS)の十ヶ月間の行動範囲は境川を武蔵と相模の国境とした旧・武蔵國内に略限られていることが判明...「どこか...遠くへ行きたい...お代官様...通行手形と路銭を...」
追記:拡大するとこんなメッシュが表示されます。
追記アップル、iPhoneの位置情報に関するユーザーの疑問に回答(全文訳)
と云う訳で拡大表示すれば...個々のユーザーのiPhoneの位置までをトラッキングしてないことは解りますが...

Posted by S.Igarashi at 10:25 AM | コメント (6)

March 07, 2011

川跡からたどる江戸・東京案内

川跡からたどる江戸・東京案内
菅原 健二・編著 (洋泉社・発行)
あのJEDI必携の『川の地図辞典 江戸・東京/23区編』『川の地図辞典 多摩東部編』の著者である菅原健二氏の最新刊である。出版社のサイトで書籍検索するとエンターテイメントに分類されているようだが、その内容は川跡からたどる江戸東京の近現代史である。明治維新、関東大震災、東京大空襲、東京オリンピック、そして昭和平成バブルと、幾多の災害や破壊に改造の生贄とされ、視覚から抹殺された川跡を探り都市の記憶をたどる一冊である。因みに表紙の地図は図説・明治の地図で見る鹿鳴館時代の東京でも用いられた参謀本部陸軍測量局『五千分一東京図測量原図』(明治9年〜明治17年)の「東京府武蔵國京橋区木挽町近傍」汐留付近である。そういえば日本地図センターから復刻版・参謀本部陸軍測量局『五千分一東京図測量原図』が出ると云うつぶやきを聞いたような...こんなものもあるし...期待したいのだ。

内容
---------------------------------------------------------------------
第一部 都心部を流れる神田川をたどる
 第一章:江戸から昭和までの記憶が残る神田川
     江戸・東京の「母なる川」神田川
     隅田川への水路としてできた御茶ノ水
     神田川に栄えていた河岸
     日本最古の都市上水道・神田上水
     松尾芭蕉と神田上水
     江戸川公園と小石川後楽園に見る面影
     江戸の六上水
 第二章:消えた神田川の支流
     三業地に谷端川の面影を見る
     千川通りと『太陽のない街』
     紙すきで知られた音羽川
     池袋の地名と関係する弦巻川
     歌舞伎町を流れていた蟹川
     田安家下屋敷あたりから流れていた紅葉川
     神田川との合流地点が移動した妙正寺川
     桃園川と吉宗との関係
     農業用水として利用された神田川笹塚支流

第二部 若者の街・渋谷に流れていた川
 第三章:喧騒の街を流れる渋谷川
     渋谷駅東口に見える渋谷川は潅漑用水だった
     大岡昇平と渋谷川
     生活排水路へと変わる
     参道橋とキャットストリート
     明治神宮内の清正井と南の池も水源
     渋谷川に合流していた代々木川
     新宿御苑内の泉池も水源
     渋谷川に合流するイモリ川
     忍者の組屋敷脇を流れていた川?
 第四章:渋谷センター街も川だった?
     水音が聞こえてくる宇田川遊歩道
     水源は幡ヶ谷近辺の湧水
     大岡昇平と宮益坂、道玄坂
     宇田川橋と代々木練兵場
     大名屋敷の池は水源になる?
     水源の池があったとされる旧山内侯爵家
     暗渠化された河骨川の光景
     東京オリンピックが暗渠化を進めた?

第三部 水の都・江戸の面影を求めて
 第五章:水路が張りめぐらされていた街をたどる
     銀座界隈は「日本のベニス」だった
     家康の江戸入府と道三堀
     日比谷は海だった?
     数寄屋橋の下を流れていた外濠川
     外濠川の現在
     江戸の外湊と内湊をつないだ日本橋川
     日本橋川の河岸
     高速道路に変わった楓川
     楓川周辺には木材関連の町が集まる
     八重洲通りは紅葉川の跡地
     防衛施設だった八丁堀
     外濠とともに開削された京橋川
     河岸が果たした役割
     三原橋が架かる三十間堀川
     築地地域を囲む築地川
     江戸のメインストリートにつながっていた西堀留川
     東堀留川に架かっていた思案橋とは?
     吉原遊廓を囲む浜町川
     消えた歓楽地、中洲をつくる箱崎川
     大名屋敷のあいだを流れた稲荷堀
     江戸湊の中心にある亀島川
     酒問屋街を流れる新川
     新島原の廓堀だった入船川
     埋め立てが繰り返された龍閑川
     お玉が池と藍染川
     溜池の排水路だった汐留川

付録 江戸・東京の川跡を歩くヒント
   谷・田・窪・沢・瀬などの地名に注目
   公園などの都市施設や公共施設に注目
   道路になったケースがいちばん困難
---------------------------------------------------------------------

Posted by S.Igarashi at 10:00 AM | コメント (7) | トラックバック

March 04, 2011

ブラタモ的芥阪三題

と云うことで昨日放送のブラタモ的芥阪三題をiPadのStreetviewにて検証しiPhoneAppのAutoStitch Panoramaで貼り合わせしてみた。先ずは筑土八幡裏の芥阪、右端が筑土八幡裏、左手が芥阪。

この公衆便所は見覚えのある人も多いだろう。大久保通り、都営大江戸線の牛込神楽坂駅の真上辺り。公衆便所右側の階段を登ると...しかし...芥阪の位置は諸説あるようだ...特定は...

市ケ谷は大日本印刷村の『ごみさかほどうきょう』歩道橋を渡って右側に進むと芥阪らしい...。

Posted by S.Igarashi at 11:07 AM

February 26, 2011

倉敷雛めぐり 旅するおひなさま

Mitsuko Onodera Exhibition
倉敷雛めぐり 旅するおひなさま
2011/2/26~3/13
夢空間はしまや
倉敷市東町1番20号
TEL&FAX:086-422-2564
「倉敷雛めぐり 旅するおひなさま展」会場風景
Blog:ONE DAYのkadoorie-aveさんことイラストレーター・小野寺光子さんの個展が今週末から二週間程、ひなまつりをテーマに倉敷で開かれます。お近くの方は是非...
そういえば、倉敷には30年以上前に一度行ったきり...


大きな地図で見る

と云うことで、会場の番地をGoogleMapで検索してStreetviewで見ると道路に面した古民家は改修工事の真っ最中の様です。その古民家からスタートしてStreetviewでぶらぶらとアイビースクエアの前を通り、川筋の歴史保存地区を眺め大原美術館の前まで、カロリー消費ゼロのヴァーチャル散歩を洒落ました。倉敷に行ったのは1978年頃のこと、町で見掛けた観光ポスターが良かったので丹下健三設計の旧市庁舎(現美術館)の観光課まで行き、ずうずうしくも「観光ポスターを下さい。」と言って貰ってきました。(一応、書類に掲示場所とか住所氏名に必要事項等を書かされましたが...)観光ポスターは歴史保存地区を宮脇檀研究室がデザインサーヴェイして作成した立面図を用いたもので、銀の地に立面図と写真を組み合わせたもので全紙四枚綴りでした...観光課の要望に従い事務所の人目に触れるところに張っておきましたが...それから...う〜ん。

Posted by S.Igarashi at 10:50 AM | コメント (0)

February 07, 2011

ブラタモ効果...

shinjykukohoVideo.jpg

久しぶりにアクセス解析を見ると二年前にエントリーした『真田濠』にアクセスが急増、Google検索でも二位となっている。どうやら2月3日のブラタモリ効果と思われる。昨日は長谷川順一氏からリンク承認のコメントが寄せられた。氏は江戸から東京への変遷をテーマとするブログ「葵から菊へ」を主宰しており、私と同じ二年前に東京新聞の記事に連動して真田濠をテーマとした記事をエントリーされていたのだ。そしてブラタモリ放映の翌日に動画「江戸城外堀ものがたり」をエントリーされていた。其処には新宿区の広報が制作した25分程の動画配信『歴史探訪 江戸城外堀ものがたり〜むかしといま〜』へのリンクが設けれていた。その映像を見ると...ブラタモリ第16回 江戸城 外堀をブラタモリの元ネタ...ではないかと思わせる。再放送が2月9日(水)【8日深夜】 午前1時05分 からあるようなので気になる方は明日の深夜にでも検証の程を...
そんな訳で長谷川氏からは『金沢市に転居してしましましたので「真田濠」復元の運動は出来なくなりました。貴兄に是非世論喚起をお願いしたいと思います。』と頼まれてしまったのだが...。まぁ...東京都の所有地であった「真田濠」を戦災復興期にGHQの指示により上智大学と借地契約が行われ、その期限が一昨年であったのだが、そのまま契約は更新され、上智大学による公有地「真田濠」の排他的独占使用権が継続された訳だが...先ずは排他的独占使用権を優先的使用権に変更して...段階的にでも都民に公開する位の度量を見せて欲しい気がする。それともバチカンに陳情に行くとか...。

Posted by S.Igarashi at 09:59 AM

February 04, 2011

立春

立春の今日、春を探しに丘陵を散策...雑木林の木々も芽吹く日に備えているよう...。
追記:そういえば、高尾山の南、神奈川の津久井方面の山並みから噴煙の様に...花粉が立ち上っているのが見えました。これも昨年の猛暑の影響でしょうか...

Posted by S.Igarashi at 09:48 PM | コメント (4)

January 02, 2011

634m


1月2日、墓参りのついでに標高約220mの地点から直線距離で約48.58km離れた634mの塔を探すと新宿の超高層建築群の向かうに何やらボンヤリと...それらしき塔が...


尤も肉眼では此の程度...なので634mの塔を見つけるのは...地理感覚と早朝の空気が澄んだ時間帯でないと...難しそうだ。

Posted by S.Igarashi at 02:34 PM | コメント (12) | トラックバック

August 01, 2010

浅川トンネルが...

hachiSBs.jpg
八王子南バイパスの浅川トンネルが昨日開通したので自宅近くの町田街道から南浅川町の圏央道八王子南IC予定地まで試走してみた。と云うことで「うかい鳥山」辺りで引き返してして甲州街道を相模湖方面から右折して八王子南バイパスに入る交差点の写真である。高尾方面からは左折して殆どUターンに近いヘアピンカーブを曲がり八王子南バイパスに入ると云うことで大型車両は左折禁止になっているが普通自動車でもスピードを出していたら曲がりきれないで...クラッシュ!...てぇことになりそうである。

Posted by S.Igarashi at 03:55 PM | コメント (4)

July 08, 2010

2/2


決勝に勝ち残ったのは嘗ての海運大国であった和蘭陀西班牙で、奇しくも両国とも現在でも王国(立憲君主制)であります。予選リーグ第一戦で瑞西に敗れ、一度は沈みかけたスペイン艦隊が、開催地南アフリカを支配していた和蘭陀を破り、永遠のThe Flying Duchmanに貶めるのか、果たして和蘭陀は呪いを解くことができるのか...。

ところでCastrol IndexによるベストGKは川島だそうである。
因みに今朝の東京新聞「W杯数値化の舞台裏」に掲載されていたデータスタジアムによる分析によると、日本のパス数は参加32カ国中32位(ビリ)で、ボール支配率(40.2%)は参加32カ国中31位(ブービー)と云うことで、数値が実力を証明...。そういえば1968年メキシコ五輪で銅メダルを獲得したときも...GKだけでなくスイーパーがゴールを守ってました。あの時も釜本の個人技で...銅メダルでしたが...今回も運と個人技で予選リーグ突破と云うことですね。

先日、日本サッカー協会の犬飼基昭会長が示した日本代表後任監督選定条件の6項目とかですが...
(1)「きちっとした哲学がある」
(2)「日本が好き」
(3)「がんこじゃない」
(4)「マスコミとうまくやれる」
(5)「カリスマ性がある」
(6)「五輪世代(現21歳以下)も指導できる」

ん〜、これは... 少なくとも...ここに示された6項目の内、4項目を満たしてなかった...と云うことかな。今更...誰とは云わないけど...(^_^;)

Posted by S.Igarashi at 10:27 AM | コメント (0)

July 06, 2010

東京人・特集:東京の川を楽しむ

東京人8月号は『特集:東京の川を楽しむ』と云うことで、表紙はいまや定番アングルとなった北十間川から見たスカイツリー。
それで14〜15頁の見開きに『東京の川マップ』なるものがあり、その左下に『東京の河川と水系』の全体図があるのだが、その中で『境川』の表記が紛らわしい。この図を見た限り『境川』の位置関係を知らない読者は多摩川水系の浅川の支流と勘違いしても仕方ないだろう。『境川』はその名の通り、東京都町田市と神奈川県相模原市の都県堺を流れ、大和市から南下し片瀬江ノ島の西海岸で相模湾に注ぐ川であり、河口付近では片瀬川と呼ばれているのだが...これは誤解を招く地図である。この地図で表記してある境川の位置は湯殿川、八王子市と町田市との市境が多摩川水系と境川水系との分水嶺となる。因みに湯殿川の西が高尾山の麓を流れる案内川、その北が北浅川で...。とは云うものの、川好きには押さえておきたい東京人8月号。

Posted by S.Igarashi at 10:19 AM

July 04, 2010

4/4...


南米のサッカー大国が消えました。残るはウルグアイのみ...モンテビデオは燃えてるか...

Posted by S.Igarashi at 07:40 AM | コメント (2)

July 01, 2010

7/8...


2010W杯も決勝トーナメント第一戦が終わりベスト8が出揃いました。その面子を見ると8チーム中7チームが予選リーグ一位通過と云う実力を反映した順当な結果ですね。こうして標準的世界地図に落としてみると汎大西洋地域にベスト8が集中していることが解ります。
戦略的根拠も無い「ベスト4」をスローガンにベスト8に挑んだ日本代表AチームはDF中沢にDF闘莉王、そしてGK川島が身を挺して、自軍のミスをリカバリーしてゴールマウスを死守しましたが、スコアレスのまま、神風も吹かず、攻撃の女神は微笑まず、延長戦も終わりPK戦で敗れましたですね。やはり実力の差が歴然とした試合内容でした。日本代表Aチームが延長戦までもつれ込んで、PK負けは現在の実力からすればベストでしょう。さて、これからが2010W杯の本番ですね。アナログ地上波から、サッカー中継が途絶えている現況からすると、BSもCSも地デジもなく良質なサッカー中継に飢えている者には、明日、明後日も、見逃せない好カードが目白押しです。(^_^;)

Posted by S.Igarashi at 01:10 AM | コメント (4)

June 25, 2010

海開きに備えて...

神奈川県立近代美術館 葉山の下は一色海岸、砂浜に降りると...来月の海開きに備えて...梅雨の晴れ間を利用して仮設小屋による海の家の工事が急ピッチに行われていた。職人も...どこか遊び人風情なのが...湘南らしいかも...。

Posted by S.Igarashi at 09:21 AM | コメント (0)

June 17, 2010

Born In The Occupied Japan

"Born In The U.S.A"を唄ったBruce Springsteenと私は同い歳であるが、決定的な違いは彼の生まれた国の軍隊よって占領された国で私は生まれたと云うことであろう。彼の仲間がベトナムの戦場に送られていたいた頃、制空権を支配されアメリカの空と化した三多摩の空を我が物顔で編隊飛行するファントムを見上げていた。
戦後65年を経った現在、在日米軍が常時駐屯している軍事施設のある都道府県は左の通り、本土からはなくなった射撃場や軍事訓練施設が残るのは沖縄だけである。その他に日米地位協定によって自衛隊の施設や基地は随時使用できる訳であるから、65年前の占領時代と大差ないような気もする。その上、有事法制によって、有事必要とあらば民有地であろうと軍が没収することも...ありうる訳で、平和といっても薄皮一枚の差でしかない。この地図を作成して解ったことは先の大戦で多くの民間人犠牲者が出た地域にだけ今でも米軍の専用基地があることである。彼らは犠牲者の死霊が出るのを恐れて居座り、死者にも支配を続けているのだろうか...

追記:実は下書きは5/24に済ませてあったのだが、普天間問題の経緯をみている間にエントリーし損ねていたた。akiさんから今日の東京新聞に世界の米軍基地と米軍駐留経費の受入国負担が出てると云う話があったので、確か日曜版にあった筈と調べると、6/13の大図解シリーズ日米安保50年(No.945)の左下にありました。と云うことで『6.15 安田講堂シンポ』にも行ってきたので改めてエントリー...。

サイゴン陥落30年
多摩丘陵の旧陸軍施設
リンダ・ホーグランド監督作品「映画・ANPO・予告編

Posted by S.Igarashi at 11:48 AM | コメント (11) | トラックバック

May 04, 2010

片倉城跡のある丘


[+]:PanoramaPhoto by iPhone3GS+AutoStitch

パノラマはこの四月に拡張整備が済みリニューアル開園した片倉つどいの森公園の外れから見た風景、その正面に見える森は片倉城趾でなく片倉城跡である。この付近も一般的には多摩丘陵(古くは多摩の横山)と大きな括りで呼ばれるが、場所を特定すると小比企丘陵となり、現在は八王子の地産農作物の供給地の一つとなっている。湯殿川を挟んだ対岸の北側は椚田丘陵となり、その丘陵の外れ、低山から山脈が始まる位置に初沢城跡があり、この小比企丘陵からも初沢城は遠望できる位置にある。嘗ては初沢城を下った町田街道から東側一帯の椚田丘陵も農地が続き、昭和30年代中頃までは田園風景が広がっていた。


1947年に進駐軍が空撮した写真が片倉城の空堀がよく分かる。南北に走る道路が国道16号線(通称・横浜街道、但し横浜では八王子街道と云う。)右上から左下に斜めに走る線路はJR横浜線(当時は単線)、東西に蛇行して流れるのは湯殿川、横浜線の南側に沿って流れるのは湯殿川の支流・兵衛川である。


GoogleMapによる空撮写真であるが「片倉つどいの森公園」は未だ災害避難場所として公園整備されてなく人家が残っている。また八王子南バイパスの一部となる公園西側の道路も延長工事がされていない。八王子みなみ野の開発に伴って造られ公園の一部となった調整池は1947年の進駐軍空撮写真を見ると兵衛川の支流が流れる谷戸であったことが解る。

片倉つどいの森公園・芝生広場から高尾山を望む。手前には初沢城も見える。
芝生広場にはピクニックにきた人のテントが張られているが、ここが難民キャンプ村になることは想像したくない。因みに、良く晴れていればここから富士山もみえるしキューピー山も良く見える。子供の頃、椚田丘陵の畑で凧揚げをしたが、この芝生広場も凧揚げには良さそうだ。


片倉城跡公園の二の丸広場、此処もピクニックに良さそう。公園北斜面の谷戸のカタクリの花は季節が終ったが、今は山吹草が盛りである。

Posted by S.Igarashi at 10:00 AM | トラックバック

April 30, 2010

こちずぶらり

5月末まで無料ダウンロードできる『こちずぶらり』である。用意されている古地図は世界が三枚、日本が四枚である。左の画面はその一枚で1844年の江戸古地図である。画面の音無川と山谷堀に吉原のスケール感をみれば、GPSとの整合性や地図の正確さを求めるのは土台無理なことは一目瞭然。まぁ...話のネタ程度には...なるかもしれないが...これが350円だったら...う〜ん...。
しかし、もしも...GPS機能に対応したiPhoneAppの三層重ね地図があれば...価格にもよるがお金を払っても欲しいと思うだろう。
追記:関連エントリー・デジタル伊能図
歴史的農業環境閲覧システム

Posted by S.Igarashi at 09:40 AM | コメント (2)

April 12, 2010

『川の地図辞典 多摩東部編』出版記念ウォーク

kokubunji0404s.jpg

既にmasaさんakiさんによって既に詳しく紹介されている之潮主催の「『川の地図辞典 多摩東部編』出版記念ウォーク」であるが、一週間遅れのエントリーである。中央線のそれも始発駅から始発駅まで利用する沿線住民の私であるが国分寺はこれまで片手で数えられる位しか利用したことはない。それでも印象に残る場所として記憶に刻まれているのは都心で呑んで中央線で帰ると、寝込んだ場合でも必ず国分寺で寒くて一旦目が覚めるからであろう。それは恋ケ窪の谷戸から吹き上げる冷気が車内に入り込む所為か、西武線に乗り換える乗客が多く車内が空く所為かは定かでないが...そうした気温の変化だけでなく風景も国分寺から変わるのである。鉄路も国分寺から台地を切り裂く切り通しと谷戸を横断する土手の上を走るようになる。そして国分寺と云えば崖線、崖線と云えば国分寺なのである。


新宿駅を出た中央線が進路を北北西から西に向かって曲がり、神田川の谷を越えて東中野から真直ぐ立川まで西へ一直線に延びている事は誰でも知っていることである。その間、中央線が跨いでいる谷戸は善福寺川の谷戸がある荻窪と野川源流の谷戸である恋ケ窪の二ヶ所で何れも地名に窪が付いている。他にクボの付く地名は新宿の「大久保」、武蔵野市と云うよりも三鷹駅の北西、尾根を流れる玉川上水の北に位置する「西久保」、それに田無(現・西東京市)の「芝久保」は石神井川の上流域となる。どうも、同じ読みのクボでも窪は谷戸を形成している場所のようだが、久保はなだらかな低地を示しているようだ。

1947/10/24の米軍空撮と2004/8の地形図を比較すると、恋ケ窪にある「姿見の池」に南面する台地の舌状部分の端を中央線が切り裂いているだけでなく、西武国分寺線にまで切り裂きさかれている。
現在では鋭角状に残された僅かな台地にまで住宅が建てられ、その先端部分はさぞかし鉄ちゃん格好の観測ポイントと思われるが、伝えによれば嘗て村上春樹夫妻が住んでいた旧居跡だそうだ。そして野川源流の湧水がある日立中央研究所は今村銀行頭取別荘地を戦時中の1942年に日立が取得したものであるが、戦後二年経った1947年には未だ谷戸には池が出来ていない。しかし、何故か敷地内に正円が描かれているようにも見える。この時代のこうした環状工作物は通信アンテナである場合が多いが、この環状に見えるものは何だろう。写真左下のもみじ橋(野川)の北側に水田があるのが良く分かる。

明治期の地形図を見ると国分寺の集落はハケの下に点在しており、台地の上には集落はない。また、鎌倉道(現・府中街道付近)が恋ケ窪に掛かる付近にも集落が見られるが、宿場として栄えた時代の名残であろう。

今回、国分寺界隈を歩いてみて武蔵野台地と云ってもハケの上と下では、その様相が違うことが実感できたのが収穫である。また、多摩川の左岸にあたる武蔵野台地と多摩川右岸の多摩丘陵との違いも大きく、中央線も立川を越え多摩川を渡るとその風景も激変するのである...。
追記:関連エントリー
東京クリップ:『川の地図辞典 多摩東部編』出版記念ウォーク

Posted by S.Igarashi at 09:34 AM | コメント (2) | トラックバック

April 03, 2010

メガネ小僧が...

数日前から Streetviewに何やらメガネ小僧らしきキャラが付くようになっていたが、何かの記念日かと...別に気にも留めないでいたら...未だ居るなと思い...良く見ると3Dメガネらしきもの掛けているので...クリックすると...アバター化...う〜む、そういえば東京の凸凹地図の附録にメガネが....山里も3Dなのである。

Posted by S.Igarashi at 12:22 PM

March 03, 2010

国際宇宙ステーションを見てみたい

追記・訂正:漸く早朝の日の出前ではなく、日没後に国際宇宙ステーションを目視で観測できそうである。と云うことで本日3/3の日没後18:46:00〜18:49:30まで、帝都上空を南西から北東の方向へISSが飛翔する。天気予報も晴れなので目視できそうだ。それでISSは北斗七星に近付いた辺りで、地球の影に入り視界から消えます。
詳しくは「国際宇宙ステーション(ISS)を見よう」をチェック。
上記のJAXA・「国際宇宙ステーション(ISS)を見よう」はFlash対応の為にiPhoneでは観測地等を図示することや目視予想情報を計算することは出来ませんが、自分のHPに計算結果のURLをリンクしておけばiPhoneで計算結果を表示することは可能です。
観測地別・目視予想情報
八王子:北緯35.39 , 東経139.20
都心部:北緯35.41 , 東経 139.46
那須・殻々工房:北緯 37.05 , 東経 140.00

Posted by S.Igarashi at 10:15 AM | コメント (6)

March 02, 2010

TSUNAMI 20100228

tsunami100228.jpg
上図は"
West Coast and Alaska Tsunami Information"のサイトにあった"the preliminary forecast model energy map"ですが、この地図を見ると、津波の直撃を受けたであろうイースター島や地球温暖化に伴う海面上昇の危機にある南太平洋のツバル等の情況が気になりますね。それにしても昨日の閉会式、何かハイチ地震チリ地震への救済呼び掛けがあるのかと思いましたが、いけてない歌謡ショーだけで残念。(^_^;)
到達時間地図:Travel Times
Education video: "Tsunamis: Know what to do!"
YouTube 国際宇宙ステーションからの映像:Chile-coast20100228

Posted by S.Igarashi at 10:14 AM | コメント (2)

January 27, 2010

Bridge Over Railway

昨日、八王子税務署に支払い調書の用紙を取りに行ったついでに、中央線に架かる野猿街道の跨線橋の工事はどうなってるのか見に行くと...見馴れぬ風景が...JR東日本 八王子支社の前を橋桁が塞いでいるではないか...橋桁を受ける橋脚は未だ鉄筋を組んでいる状態であったが...この橋桁を90°回転させ橋脚に据えるとこんな風になるらしい、工事は後これだけ.掛かるようだ。

Posted by S.Igarashi at 09:12 AM | コメント (2)

January 02, 2010

山里から...2010


そんな訳で、正月二日の今朝はAppleStoreの福袋に行列することは止めて、八王子みなみ野・栃谷戸公園展望台の富士見ポイントで同じアングルの写真を撮ってきた。

ついでにiPhoneAppのVideoからパノラマ写真を抽出するVideo Panoramaも試した。

小比企町付近の八王子みなみ野に続く台地にある畑から富士山、高尾山、キューピー山を望む。
ん〜楽で良いけど...ダイブ...ピンボケ(^_^;)

因みに家と同じ町内にあるスーパーの屋上から見ると、左端に頂上が僅かにみえるだけです。
正面左側が初沢城趾、その向こうに高尾山。

少しズームしてもこれだけです。(右が高尾山)

Posted by S.Igarashi at 12:29 PM

December 31, 2009

山里から...

2009年の大晦日...山里では昼ごろに風花が舞い、そして晴れわたり...凩が...。
皆様良いお年を...そして来年も宜しく...m(__)m

aki's STOCKTAKING:富士山夕景_091231

Posted by S.Igarashi at 05:20 PM | コメント (6)

December 30, 2009

東京の道事典

東京の道事典
東京新聞12月27日の日曜書評欄の年末特集「2009年 私の3冊」に之潮の芳賀さんが地図の本を挙げていた。その内の一冊、川好きotokoさん御推奨「東京の道事典」を早速Amazonに注文、翌日(月曜日)の午前中に届いた。
ブックカバーの腰巻に記されているように、生活道・通称道路の成り立ちや特色を明らかにするもので、実際に現在使われている道が対象となっている。従って名は付いているが通称道路として一般的に認知されていると言い難いものは対象ではない、また○○街道のように古の名称でも現在でも広く使われている道は対象とされているが、新たに付けられた○○通りの通称が一般的な場合は○○街道ではなく、○○通りとされている。「東京の道事典」はアイウエオ順の「青山通り」から始まり、その「概要」「由来」「現状」「周辺の道」(ここでは青山通りに結ばれる道等)が記載されている。因みに青山通り「周辺の道」に長者丸通りや骨董通りは周辺の道に記載されてるが、表参道交差点から根津美術館前までの通りについては記載されていない、この道は明治以降に造られたもので青南小学校裏の平行する裏道が古道(尾根道)である。おそらく明治神宮が造られたとき、表参道に繋がる道として「みゆき(御幸)通り」とされたようだが、その名を知るものは既に町の古老だけだろう。最近はマーケティング指向なファッション系の通称を画策する者もいるようだが一般化には至らないようだ。

Posted by S.Igarashi at 11:55 AM | コメント (0)

December 27, 2009

特等席

中央線初沢踏切脇に置かれた幼い鉄ちゃん専用の踏台(或いは爺婆のベンチ)。北口方面に用事がない限りこの踏切を渡る事はなく、そんな時でもいつもなら親子連れがこの場所を占めているのだが...昨日は既にその時間を過ぎていた所為か珍しく誰もいなかったのでiPhoneでショット。

Posted by S.Igarashi at 10:28 AM | コメント (2)

November 22, 2009

Live at L.G.

昨夜はLOVEGARDENのチャーター機"L.G.Haus 13"をリザーブ、憧れのハワイ航路ならぬハワイ空路を洒落込んでMAKALANIさんのライブでまったりと寛いできました。

リニューアルオープンしたLOVEGARDEN店内の様子...久々のyukiりん姐さんもお元気で...因みにVWのスージーはライブ中は向かいのパーキングで...一時お休み...

追記:物は試しとgorillapod+iPhoneでライブの様子をビデオ撮影しましたが、キャノンのデジタル一眼のHDVideoには及ばないものの、それなりに充分に楽しめるVideoが得られました。
と云うことで朝からの外出、移動中はiPodを聴きながら、途中でGPSで現在地を確認したり、メールチェックにWebを見たり、Video撮影したりとJEDiPhoneも一日中フル活動、流石に夜の九時過ぎにはバッテリーが残り30%に、そんな訳で予備バッテリー・dexim BluePack for iPhoneも大いに役に立ちました。

追記:撮影した動画はMAKALANIさん御自身がYoutubeにアップしてくださいました。
Slack Key さんぽ "Love Garden!"
YouTube:Makalani LG live1.Lei No Ka'iulani

Posted by S.Igarashi at 06:21 PM | コメント (8)

November 15, 2009

裏高尾

天気が良かったので今日の午後、久しぶりに裏高尾の旧甲州街道は摺指まで散歩した。この時間帯、流石に歩いて小仏峠方面に行く人はなく、峠の麓まで行く回送のバスと満員の乗客を載せた帰りの高尾駅行きバスが時折行き交うくらい...。都心より若干早い紅葉を愛で、その散歩のついでにするさしのとうふを買って帰った。

5年前は工事中だった中央高速から圏央道に通じるランプも完成し、高尾山を貫通するトンネル工事に着手するのも秒読みか...
そのジャンクション近く中央本線の湯の花トンネル列車銃撃事件の慰霊碑と彫像が左側写真の高速道路ランプ橋脚の下に人目に触れることなく佇んでいる...。盗難防止の為か彫像が檻に閉じこめられているのが余計に物悲しい。高尾駅の弾痕と云い、その存在すら気付かない多くの人々が何事もなく空中を通過している。

Posted by S.Igarashi at 09:36 PM | コメント (2)

November 02, 2009

神保町で...

propaganda2s.jpgと云うことで昨日は地下鉄・神保町駅に降りたのは午後一時、講演会まで時間があるのでA7出口から「さぼうる」前の路地を通り『第19回 神保町ブックフェスティバル』で賑わうすずらん通りを徘徊、古書店だけでなく出版社のワゴンも並ぶ中、ハングル文字だけの書物を扱うワゴンも...足元にはなにやらプロパガンダのポスターが...このワゴンだけ38度線の向こうにワープしているようだ。混雑しているすずらん通りを避け裏道を迂回して三省堂で一万分の一地形図を求め、裏口から路地に抜けミロンガの前を通り、再び「さぼうる」の前を通り神保町交差点へ。

岩波ブックセンターに着きエレベータに乗ろうとすると先客にじんた堂さんがいらした。エレベータには地図界重鎮のこの方も...
てことで講演会の中核をなす内容は之潮のサイトのこちらに詳しい。
【古地図を旅する】本の街・神保町徘徊 1〜7
【古地図を旅する】本の街・神保町徘徊 8〜16
復刻版の古地図は岩橋美術が御奨めだそうである。因みに今回の話しは駿河台小川町絵図 (6) (江戸切絵図)の辺りである。
講演会の後はakiさんと八王子に戻りiPhoneビギナーの吉松翁と合流...

Posted by S.Igarashi at 11:01 AM

October 29, 2009

西新宿...

略一月前にこんなハガキが届いていた。締切りは今週末、郵送でも良いのだが他に欲しい書類もあったので台風一過の火曜日に報告書を持参した。まぁ、建築士法改正の是非は以前より問われていたが、改正の後押しはこの事件でしょうけれど、結局は事件に乗じた役人の焼け太りと云う指摘もありますね。そんなこんなで以前なら都庁の建政課で扱う業務なのでしょうが民間委託された社団法人まで行ってきた。てことで書類を提出し、ビルを出た所でこの方が向こうからやってきた。こちらが気付いたせいもあり、すれ違うとき何となく微妙な空気が漂った。まだ日没までには時間があったので都庁の展望室に初めて上ったが...展望室の微妙な場末感は一体なんだろう...。

Posted by S.Igarashi at 07:29 AM | コメント (2)

October 15, 2009

台北の街角に...

あれ、台北の街角にシノワさんの...
これは小野寺光子さんの個展『ON HER JOURNEY』のポスターではないか。今週、倉敷の三宅商店/ギャラリー・イベントで開催していると...案内状を戴いていたけれど...う〜ん...台北までその評判が届いていたとは...(^_^;)
倉敷に行けない私はPhotoFuniaで遊んでみました。

Posted by S.Igarashi at 02:34 AM | コメント (5) | トラックバック

October 08, 2009

ここでバンジージャンプを...

週刊朝日の今週号八ツ場ダムの特集が組まれているが、その概要を読まずに(買わずに)知りたければ「大竹まこと ゴールデンラジオ」の【10月6日山口一臣(週刊朝日編集長)】のポッドキャスト(但し来週火曜日まで期間限定公開)を聴くのも良いでしょう。まぁ何しろ予算総額4600億円の内、関連事業で既に7割を使ってしまったというのにダム本体は未着工と云う何が何だか常人の理解を超えた話しである。ダムサイト予定地はただの渓谷で何もないから、テレビや新聞は付け替え道路の橋脚の工事写真を載せて、7割方完成と報道しているのである。メディア側の人間でさえもがこれは情報操作だと言うくらいなのだ。
てことで、ダム工事中止記念として、この橋脚はバンジージャンプ台として公開の刑場にすればよい。そう税金を食い物にした官僚や天下り官僚に対して懲役刑ならぬ懲バンジー刑である。罪の重さに対し1バンジーから100バンジーまでの量刑を処すのである。人道に配慮し自らの意志でジャンプするまではジャンプ台の上に...いつまでも居て良く、執行人が無理矢理背中を押すようなことは御法度である。もちろん公開処刑であるから、だれでも見物できるしテレビ中継も行う。ヘタレ芸人のバンジージャンプより視聴率がとれるかもね。(写真はCreative Commons Licenseに基づきウィキメディアより引用)

Posted by S.Igarashi at 01:35 AM | コメント (0)

October 04, 2009

幻の区界


10月1日から本放送が始まったブラタモリである。その第一回が早稲田界隈と云うことで神田川流域の嘗ての蛇行していた川跡を示す複雑に入り組んだ区界を白々しい小芝居付き演出で取上げていた。と云うことで河川改修工事に伴って区界の変更が...出来ないものかとか...なんてことを言っていたが、新宿区西早稲田(旧戸塚町)と豊島区高田(旧高田町)の区界を現在の神田川にしている地図があった。それは昭和22年の「新宿区詳細図 東京区分図 植野録夫編集 日本地図株式会社・発行」(上図)である。時代はGHQによる占領下にある頃、戦後の復興都市計画路線網も描かれている地図で、現在の新目白通りも計画路線として茶色の点線で示されている。まぁ、区界の変更すらままならぬ訳だから、例のマッカーサー通りが未だに完成に至らないのも...無理はない。因みに太平洋戦争の始まった1941年の地図の区界は当たり前だが現在と同様に蛇行している。(引用・参考資料:地図で見る新宿区の移り変わり|戸塚・落合編|新宿区教育委員会)

関連エントリー:「岩淵・水辺と崖線...」・「風景殺し・記憶殺し

Posted by S.Igarashi at 01:13 AM | コメント (6)

October 01, 2009

ALMA計画

ALMA2.jpg

WIREDVISIONの【標高5000mに100トンの日本製アンテナ:ALMA計画の画像】を見て「2001: A Space Odyssey」の続編「2010: The Year We Make Contact」のロイ・シャイダー演ずるフロイド博士が登場するパラボラアンテナ群のファースト・シーンを思い出したが、ALMA計画はそれを遙かに超える規模があるのだろう。来年で25年前の映画「2010: The Year We Make Contact」が想定された年に追いついてしまう訳だが...ソヴィエト連邦の崩壊やら...現実が物語を追い越してしまったり...とか...未来予測は難しい。

Posted by S.Igarashi at 01:55 AM | コメント (0) | トラックバック

September 22, 2009

S.W・ETC・軽井沢・小布施

ikedamanabu.jpg
連休初日の20日と21日は初めてETCを使ってドライブ、目的地は軽井沢、こちらで同窓会(とーぜん卒業生ではありませんが...)に出席。行きの高速道路は極く一部が自然渋滞程度で大した事はなかったけれど、一般道に下りて軽井沢に向かう峠を超えた辺りから国道18号線まで渋滞...でした。一泊して翌日は小布施まで足を延ばしてネオテニージャパン展で話題となっていた『池田 学 展』を見た。

小布施のPAに併設されたETC出口で下り町中に向かうと、ここもメインストリートは観光地渋滞、途中で脇道に入り、路地裏を抜け「おぶせミュージアム」に着くと、既に駐車場は満車...駐車場を求めて先に進むと交差点に「町営駐車場」の小さな看板、右折して果樹園の脇を進むと右側に中学校、ボランティアらしき係の人がオイデオイデをしているので迷わず校庭へ進入、観光地図を受け取り、指示された場所に駐車する。ミュージアムの方向を確認して体育館の渡り廊下をスルーして通りに出ると、ミュージアムの前の道にでる。ミュージアムに着くと、さっきの私と同じ駐車場難民が...車に近付き...臨時駐車場を教える。街ぐるみで観光対策をしてボランティアまで用意しているのに...もう少し親切なインフォメーションサインがあれば...と思うのだが...ちょっと残念。
と云うことで『池田 学 展』はルーペを持参、ZEBRAの丸ペンで丹念に描かれた細部まで鑑賞、『予兆』のウォータースライダーの残骸の上で立ち小便する男もしっかり確認。地球に寄生する人類、彼らが文明と呼ぶ排泄物で世界は満たされ、同時に朽ち果ててゆく、そんな世界でも寄生して生き延びなければならない白抜きの人々は我々でもある訳だ。
masaさんの墨田鳥瞰景を見ると、向こうにバベルの塔らしき建造物も見えるし、色合いと云い池田 学の描いた方舟を連想させる。地上は文明の排泄物で足の踏み場もなくなり、人々はとうとう空中へ避難し超高層難民となるのか...

Posted by S.Igarashi at 10:31 AM | コメント (6)

September 14, 2009

号外

12時半頃、京王線新宿駅で降り地下鉄・丸ノ内線に乗り換える為、西口地下コンコースに向かうとき、京王線構内で号外を配る人の姿が目に入った。これも何かの巡り合わせと記念に一枚いただいた。そういえば五年前に「天才という括り」と云うタイトルのエントリーを書いていた。
銀座四丁目ではデジタル号外"イチロー"も....

Posted by S.Igarashi at 08:52 PM | コメント (0)

August 31, 2009

Change 2009.08.30

[+]小選挙区勢力分布図
青:民主過半数
橙:自民過半数(含保守系無所属)
これを見ると、自公連立政権崩壊と云うよりも、140年続いた薩摩長州土佐による官僚支配型保守政治への異議申し立てとも見れる。半藤一利の『幕末史』ではないが伝説化聖域化された「明治維新」の再検証も活性化するのではないだろうか。

Posted by S.Igarashi at 07:05 AM | コメント (8)

August 21, 2009

弾痕

高尾駅1・2番線ホーム上屋支柱方杖部分に残された1945年7月8日米軍艦載機(P-51)機銃掃射による弾痕。それから略一ヶ月後の1945年8月2日に八王子市内に焼夷弾を投下、そして8月5日の広島に原爆が投下される前日に裏高尾で湯の花トンネル列車銃撃事件が起きている。この鉄骨は原爆ドームの様にインパクトはないが、当時の状況を残すため塗装もされず保存されている。ところで昨年、高尾駅南北自由通路等の八王子市の当初建設予算が付いたようで、コンサル会社によって調査設計が進められているようだが、現在の駅舎を解体撤去して移築するだの、様々な利権に政治屋諸氏は色めき立っているようであるが、64年間静かに現状保存されていたこの鉄骨の運命や如何に...便利さと引き換えに記憶は殺されるのか...。

Posted by S.Igarashi at 02:25 AM | コメント (4)

August 07, 2009

瓜坊

初めて瓜坊を写真に収めた。八王子でも恩方辺りでは昔から猪が出ると噂には聴いていたが、遂に新居を求めてか猪親子がご近所に越してきたようである。半年前くらいのこと夜中に車を運転していると前方に小動物が歩いていた、犬にしては歩き方が変、車を近づけてみると、猪だった。そのとき動物園以外の場所で初めて猪を見た。
と云うことで、二度目の猪との遭遇である。夜中、駐車場に車を停め、家まで歩いていると数匹の猪が道路を横断、猪の行く手を見ると川沿いに5〜6匹の集団が、急いで家に戻りカメラとMAG-LITEを持って集団のいた場所に、親猪は山に逃げ込み、擁壁を登れない瓜坊二匹が取り残されていた。繁みから親猪が威嚇しているのか唸り声をあげていた。....あたしら餓鬼の頃に見た小動物は野兎か小綬鶏くらいだったが...
そういえばハイブリッドの語源は猪豚とか...

Posted by S.Igarashi at 01:32 AM | コメント (4)

July 23, 2009

薄らと...

残念ながら東京地方は予報通り雨後曇りの天気であった。と云うことで昨日は杉並方面の前期最後の出講日、助手は顔を会わせるなり『...今日の日食は駄目みたいですね...残念...。』そうだ先週、課題提出と講評が済んだ学生は日食観測しても良いと決めてあったのだ。1限と2限の間の休み時間、校庭にでると雨は止んだが、空には厚い雲が...。そして、2限が半ば過ぎた頃...助手が大きな声で『センセー、見えます!..日食です。』その声で学生はクモの子を散らすように教室から居なくなった。
雲の切れ間というよりも、少し薄くなった雲を通し、裸眼で見える程度に太陽が...試しに赤外線を遮断する「太陽が見えるしたじき」で見たが...この程度の可視光線は遮断するようで全く見えなかった。念の為"iステラ"で太陽位置を確認すると蟹座のお尻に...月と太陽の文字が重なって...。そんなことで、ほんの束の間の天体観測ショーでした、イェィ!。...結局、日食だけに授業も昼休み時間まで食われましたと...さ。
追記:講評中、幾度かポケットの中でJEDiPhoneがブルブルと震えていたが、研究室に戻ってメールを確認すると、名古屋に行ってるakiさんと那須のkarakara-factoryさんから日食写真が....JEDIの皆さん、好きですねぇ...。
宇宙から見た日食:地球に落ちる月の影を動画で」なんて記事がWIRED にありました。

Posted by S.Igarashi at 08:08 AM | コメント (2)

July 11, 2009

鉄道から見える日本...

railway-japan.jpg

第一回目は見逃したが第二回目以降は見逃さないようにしている『鉄道から見える日本』であるが、何か毎回物足りない思いが残る。もしかすると、仏頂面で進行役を務める原武史氏の方が、私よりもそう思っているのかも知れない。『鉄道を通して、時代や社会、都市や郊外を見ることで、知られざる日本の姿に迫る。』と言ってるが、何か触れてはいけないアンタッチャブルなものがありそうである。次回は『新宿駅一九六八・一九七四』であるが、それを取上げるならば1949年に続けて三件も起きた鉄道を舞台にした事件を、今年は60年と云う節目にも関わらず無視するのは解せない。下山事件三鷹事件松川事件、この三つの事件は未だ日本が米国の占領下の時代に起きた謎だらけの事件であり、冤罪の疑いも色濃い事件である。1949年は中華人民共和国が成立した年、その年に政治工作の手段として鉄道が使われた。翌年の1950年には朝鮮戦争が勃発、占領軍総司令官マッカーサーによってレッドパージと云える指令が下されている。何か奥歯に物が挟まったような『鉄道を通して.....知られざる日本の姿に迫る。』では...なんだか...残念である。そういえば満州事変も...鉄道が...

Posted by S.Igarashi at 10:25 PM | コメント (4)

April 19, 2009

rosso

赤だけが妙に...あたらしいのが... A地点からB地点の途中で採取...

Posted by S.Igarashi at 08:58 AM | コメント (0)

March 27, 2009

e-days

e-days.jpg

音楽系のサイトから辿り着いた、ニューズウィーク日本版やフィガロ・ジャポン等を発行している阪急コミュニケーションが発行しているWEBマガジン・e-daysであるが...その「東京大人の遊び場」を見てみると、なにやら御近所ブログで評判の店が...神楽坂の「キイトス茶房」に...下落合の「カフェ杏奴」と....それに未だ行ったことのない谷中ボッサも....うーむ。

Posted by S.Igarashi at 10:37 PM | コメント (2)

March 20, 2009

真田濠

yotuyajyouchi.jpg地下鉄・丸ノ内線の四ツ谷駅から見える上智大のグランドが外濠だったことは分かっていたが、その真田濠跡地が都有地だとは東京新聞の記事を読むまでは知らなかった。今年十月が契約更新期限らしいが『将来的に、真田濠は水があった昔の姿に復元すべきだ。』の意見もあるようだ。四谷濠、真田濠、弁慶濠と連続する外濠の復元された昔の姿を見て見たい気もする。

てことでDoctor Fumanchuのリクエストで明治の地図を...
弁慶濠には未だ橋がありませんですね。
現在は四谷見附に中央線四ツ谷駅と地下鉄丸ノ内線四ツ谷駅、首都高四号線は迎賓館前庭の下を潜って紀の国坂の交差点下から弁慶濠に沿って地上に....






大きな地図で見る  真田濠と四谷見附方向を見る。(左上のホイールを回転すると赤坂見附方向も見える。)


大きな地図で見る

ついでに凸凹地図で地形の確認を....こうしてみると清水谷公園のある清水谷をそのまま外濠に利用した方が土木工事の残土処分が少なく済みそうですが....

Posted by S.Igarashi at 09:13 AM | コメント (5)

August 29, 2008

陸の孤島

昨夜の雷を伴う集中豪雨は烈しいものでした。先日の雷で電話回線に被害を受けたこともあり、昨日は早々にコンピュータの電源を落とし、電話やモデムも回線を切り離しました。その上、大雨と雷の所為か携帯電話も圏外となってしまいました。
と云うことで、ニュースでも伝えている通り、本日は私の居る八王子の西外れ高尾近辺は中央線も京王線も不通となり陸の孤島となりました。JR高尾駅に土砂が流れ込んだ場所はこの24日のエントリー・保線作業を行なっている踏切部分です。この道路に沿って流れる初沢川が氾濫したということですが、写真を見て分かる通り、工事用の仮囲いのパネルがあり、これから道幅を広げ整備する予定地域となっています...が...。

そんな訳で、月末支払いで銀行に行くついでに高尾駅周辺の被害状況を見てきました。

JR中央線・初沢踏切、上が京王・高尾線、この左手トンネル出口付近で京王線車両が脱線。

JR中央線・初沢踏切内から京王・高尾線の脱線現場を見る。上と下、鉄道会社と被害状況は異なるがそれぞれ復旧作業に懸命...如何に烈しい集中豪雨だったかという証ですね。

初沢川の右手は初沢町の住民が避難した八王子市立浅川中学校。この付近も道路が冠水していた模様である。この上流にある高尾霊園の手前の地域で土砂崩れが発生している。

私の住む町内でも土砂崩れがありました。川に蓋をして暗渠化されていたので、流れを堰き止めることもなかったようです。手前の砂利敷き部分(駐車場)は昭和40年代までは田んぼ、崖の上のプレハブは拓大ラグビー部の寮。写真で見ると崖の直ぐ上に見えますが、実はこれだけ離れている。

Posted by S.Igarashi at 09:01 AM | コメント (2) | トラックバック

August 11, 2008

44年前...

甲州街道の旧道との分岐点に立つ、この彫像は東京オリンピック記念として地元の中学生が制作したそうです。その当時、地元の中学生だった私から一言『聞いてない!』。まぁよくある話で、ほとんどが美術教師の指導という名の自作自演(て言うか、誰もやらないから、自分でするしかないのだろうが...)、骨組みに白セメントを塗ったり、彫像を設置する際に報道向けに手伝わされた生徒はいた...と思うが...。

ところで、昨日、女子柔道52キロ級で銅メダルの中村選手のお爺ちゃんの家も柔道を憶えた高尾警察署もここからそう遠くないが、幼かった中村選手がこの彫像をみて「オリンピック選手になりたいと思った」なんて事はないでしょう。

Posted by S.Igarashi at 09:36 AM | コメント (3)

August 10, 2008

この画像はなくなりました。

と云うことでこちらの画像の矢印をクリックしたら、いきなり暗転して上の画像となった。そしてもう一度くりっくするとこの画像となった。この場所が何処で、この画面に何が写っていたのか、その様なことを詮索しないのが大人...でございます。

Posted by S.Igarashi at 01:09 AM | コメント (6)

August 09, 2008

StreetView in Europe

Wikipediaで"Google Street View"を調べてみると各国でのストリートビューへの対応状況が記載されていた。既に8月4日から始まった日本での対応状況と都市も含まれている。ヨーロッパでは7月2日からフランスとイタリアの一部の都市でストリートビューがスタートしている。イタリアから選ばれた唯一の都市・クネオ(Cuneo)の名を生憎と知らなかったが、名産品がピエモンテのワインとポルチニ茸、更に高級なトリュフと知ると、思わず生唾を飲み込んでしまう。日本では情報も少なく、あまり知られていないクネオジェノヴァの西約110キロ、サンレモの北約60キロに位置する。どうもフランスとの国境近くのがストリートビューに選ばれた理由のようであるが...


と云うことで、どうやら"2008 Tour de France"のステージの様である。ヨーロッパに於けるGoogleStreetViewの第一歩はTour de Franceの追体験にフォーカスしたものだった。そうです、位置を示すアイコンも自転車に乗っているのである。


大きな地図で見る

残念ながら「2008 Tour de France」のストリートビューはあっても、昨日から始まった「2008 北京オリンピック」のストリートビューはない。

北京市内を上空から眺めてみると。ん〜天安門前広場や紫禁城(故宮)が大気汚染で霞んでいるのが良く解りますね。(注:レイアウトの都合上、地図を90度回転。左が北、右が南)
彼の国ではGoogleの勢いをしても、オリンピック開催を記念して北京市内のストリービューと云う訳には行かない様ですね。
それにしても、40年前のメキシコオリンピックの時もプラハに侵攻したソ連は、国名も政治体制が代わった今日でも、北京オリンピックの開幕に合わせてグルジアに軍事介入し戦闘モードに入るとは...開会式にプーチンの姿だけでメドベージェフ大統領がいなかったのも...改めて「ロシア 闇と魂の国家」を思い起こした。


大きな地図で見る

Posted by S.Igarashi at 07:45 AM

August 08, 2008

AppleStore Ginza

AppleStoreiPhone2.jpg

先日、江戸城外濠牛込見附・神楽坂界隈に行く用事があり、そのついでにAppleStore Ginzaで"Shure Music Phone Adapter for iPhone"を買い求めた。AppleStoreを出て、ふと松屋銀座のファサードを見上げると...

文字盤に五輪を図案化したΩの広告に割り込むように二つの林檎が...うーむ。

Posted by S.Igarashi at 01:10 AM | コメント (2) | トラックバック

August 04, 2008

StreetView

streetview2.jpg

いつの間にかGoogleMapがアップデートされ国内でもStreetviewに対応するようになっていた。と云うことで中継は銀座通りのAppleStore前からでした。尚、対応している地域は本州北海道の一部の都市だけ。のんびりと夏休みは取れそうにもないから、これで小樽でも散策して我慢するのココロ...なのだ。

追記:あれぇ〜ビックリした。銀座だけかと思ったら、あたしの家まで、言ってくれれば洗濯物片づけておいたのに...玄関前に生ゴミのポリバケツが出ているから今年の冬の火曜日か金曜日、駐車場には車も置いてあるから....ん〜。ふふふ、隊長の家も.....、おやおや、LOVEGARDENは店を開いて営業中ですね、ふむふむ...ベビーバギーが置いてあるから、来客中かな...。

こんなの見つけました、直進するつもりだったけど、ゴミ収集車が...いいや左折しよう。結構、適当かも...
追記:ストリートビュー撮影車と全方位カメラの情報がありました。
Google Streetview Camera Car Fleet Set to Invade America
The Google Maps Street View Camera
Riding Shotgun With Google Street View’s Revolutionary Camera
WIRED VISION:読者が選んだ、『ストリートビュー』驚きの画像

Posted by S.Igarashi at 11:09 PM

July 24, 2008

ゲリラ・ガーデニングじゃないけれど...

ゲリラ・ガーデニングて訳じゃないけれど...向かいの家の石垣と道端の境に上の庭からこぼれ落ちた花が芽を出し、今年も花を咲かせている。こうして奇麗に咲いているのは、お向かいの人がいつも手を入れているから。見習わないと...。

Posted by S.Igarashi at 01:20 AM | コメント (2)

July 20, 2008

町内清掃


before

小中高が夏休みに入った最初の日曜日は朝から町会の町内一斉清掃です。清掃と云っても目立つほどゴミが落ちている訳でもないので、道端の草むしりと川の清掃が主です。


after

半ばジャングルと化した庭までは手が回らず途中リタイア、夏場の戸外での作業は二時間が限界、残りは今週末に持ち越し。

Posted by S.Igarashi at 01:55 PM

July 10, 2008

宮下公園がナイキに...

そう云う話があることは聞いていたが7月8日付けの朝刊に上のような記事見出しを見た。ナイキ側が区に提案しているということだが、宮下公園はデモ活動の集合や解散に使われている場所でもあり、市民運動等の言論を封印するといった隠れた目的があるとする穿った見方もあるようだ。一企業の営利活動や建設される施設の規模によっては都市公園法にも抵触することも考えられるのだが...ブランド力にものを言わせて無理が通るのか...果たして...。

みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会

Posted by S.Igarashi at 10:42 AM | コメント (0)

July 06, 2008

妄想無用

...これは...みうらじゅんネタにされそうだが....
まぁ、考えすぎないよう...。
サミット警戒中の新宿西口通路にて。

Posted by S.Igarashi at 07:00 AM | コメント (0)

July 03, 2008

Yahoo Mapに...

Yahoo Mapに駅出口の3DVRが見られるというので試してみた。3DVRのデータとなった写真は2006年の4月撮影、地下鉄日比谷線・東銀座A1出口からの3DVRを見ると傳八の向こうに未だ親和銀行東京支店が見える。二年前の写真では変貌する東京を正確に伝えることは難しいが、逆に二年の時間差から記憶を呼戻すことも可能か...。白井晟一による親和銀行東京支店は既に取り壊され跡地は仮囲いのままとなっているが...この場所に何が建っていたのか直ぐに答えられる人は極く少数だろう。

そういえば三越裏にある洋食の『みかわや』も閉店休業、『みかわや』や親和銀行東京支店跡地を含めた一街区を王子製紙本社だけを残し再開発し銀座三越の新館となるそうだ。
う〜ん、益々、傳八がテナント入居している昭和モダニズムの面影を伝える土浦亀城設計による三原橋センタービルの建築が貴重となるのだ。

Posted by S.Igarashi at 10:43 PM

May 02, 2008

道の駅 八王子滝山

michinoekihachiouji.jpg

ガソリン再値上げとなった昨日は遺品整理や何やらで生じた粗大ゴミを市の戸吹清掃工場に持込み処分した帰りに「道の駅八王子滝山」に寄って、八王子ラーメンを食べ、地元で採れた筍を買って帰った。ラーメン一杯650円は高いが、筍は安かった。しかし、野菜など地元産の直売だけと云う訳でもなく、どちらかと云えば地元産は少なく、他県から仕入れたものが多い。これも道路特定財源で建設されたものだろうが、全てが中途半端な印象を持った。まぁ、再び「道の駅八王子滝山」に行くことはないだろうな。帰りは、これまた道路特定財源で建設されたものだろう元・ひよどり山有料道路を初めて通って市内に出たが、既に料金所は撤去されカゲもカタチもなかった。

Posted by S.Igarashi at 01:52 AM | コメント (0)

April 18, 2008

相似形

36年前くらい高木事務所に入って一年ほどは八重洲のジャノメビルの裏通りにあるビルに通っていたので、京橋は目と鼻の先の行動範囲であったが、この欄干親柱・柱頭をまじまじと見つめたのは初めてのことだ。そう云えば36年前にはこの建物は無かった。だから意識することもなかったのかも知れない。ところで、この親柱・柱頭のデザインリソースは何から引用したのだろうか。もしも、欄干親柱の柱頭が普通に擬宝珠 (ぎぼし)だったら、相似形はあり得ないだろう。因みに北側の橋詰跡には擬宝珠付き親柱も復元保存されている。(京橋川:川の地図辞典56頁参照)

Posted by S.Igarashi at 01:55 AM | コメント (5)

April 15, 2008

路地

路面の縁石やタイルを見ると共有地らしき路地の幅はコンクリート側溝とタイルから換算して二尺幅(60センチ)しかないようである。きっと権利関係は複雑なんだろうが、路地に面する者は夫々私有地を提供して通行可能な幅を確保している。こうした風景を維持できるのは人間関係が保たれているからでしょうね

Posted by S.Igarashi at 10:16 AM

April 01, 2008

桜の樹...

遠くに新宿を望む山里の桜は七分咲きでしょうか。青山墓地の近くにいた頃、春になると墓地の桜を見て設備設計のT氏が『う〜ん、桜の樹の下には屍体が埋まっているって本当ですね。』とよく言っていた。確かに先日歩いた染井の里もそうだし、戊辰戦争の後、上野の山は彰義隊の骸が晒し者にされ放置されたままだったと伝えられている。考えてみると花見も生きている者達だけの為にあるものではないのだろう。上野の山で繰り広げられる花見の酒宴には多くの亡者も混ざって、一年に一度どんちゃん騒ぎをしているのかも知れない。

Posted by S.Igarashi at 01:45 PM | コメント (5) | トラックバック

March 05, 2008

西郷山の河津桜

saigoyamasakura01.jpg

昨日、ちょっと立ち寄った東京の夕焼けスポット・西郷山公園に河津桜の若木がぽつねんと咲いていました。生憎と曇り空で夕焼けは味わえませんでしたが、早春の花見です。

saigoyamasakura02.jpg

Posted by S.Igarashi at 06:19 PM | コメント (7) | トラックバック

March 03, 2008

道路特定財源で...

今日の東京新聞一面の見出しは『巨額の税食らう官 閑古鳥駐車場に1000億円
その赤字駐車場の槍玉に上がっているのが八王子市の八日町夢街道パーキングである。ん〜名前も恥ずかしいが、八日町第2地区市街地再開発事業に伴い甲州街道の地下に道路特定財源によって作られたコンピュータ制御による機械式の駐車場だ。(東京新聞では国道16号の地下にとあるが、それも決して間違いではないけれど地元民の認識は甲州街道つまり国道20号線の地下である。つまり八王子市八日町で二つの国道が重複しているのだ。)
私も一度、この駐車場に車を停めたが、二度と停めたいと思わなかった。駐車場出入口の分かり辛さもあるが、機械式駐車場の待ち時間と其処で働く人材の手際の悪さは、余程気の長い人間でないと付き合う気になれない。と云うことで所用で市内に出掛ける場合は専らJR八王子駅前の自走式の地下駐車場か京王八王子駅ビルの自走式駐車場を使っている。


大きな地図で見る

と云うことで八日町の交差点から八幡町の交差点まで約430mの区間で国道20号線と国道16号線が重複しています。(GoogleMapの左上の+をクリックして地図を拡大すると、地下駐車場の上に国道16号の標識が表示されます。)国道20号線は古くから甲州街道、国道16号線の八王子から南行きが横浜街道(古くは浜街道)、北行きは八王子千人同心が日光勤番の為に整備した日光脇往還、別名・八王子街道とも云われている。元々、別な街道を一本の国道16号(東京環状)として国交省が管理しているのだが、地元民にはこの区間が国道16号線であると云う認識は全くないのである。この区間に対し国道16号線の名称を優先し用いているのは国交省でしょうが...何の為か...意味が良く解らないのである。

Posted by S.Igarashi at 11:51 AM | コメント (4)

February 29, 2008

江戸前から

昨日は太陽電池燃料電地の現況を見てみようと思い付き、山里から遥か江戸湾まで出掛けた。東京ビックサイトまでの往路は新橋から「新交通システムゆりかもめ」に乗ったので、復路は水上バスで日の出桟橋に出て浜松町から帰ることにした。以前は晴海で行われた展示会に行くときは必ず水上バスを使ったもので、ビックサイトに行くときも水上バスを良く利用していた。しかし台場・有明の湾岸エリアも地下鉄や新交通システム等の交通網が整った所為か水上バスの運行回数が減少、一時間に一回だけとなっていた。
それでも偶には船から陸地を眺めるのも良いものである。何しろ目線の高さが陸よりも下にあり視界の半分は水面である。しかし江戸前の海から地面が目に入ることはなく、地上に見えるモノ全てが人の手による建築物や工作物である。明石町や佃島も超高層建築物によって、その位置を知るのみ。

Posted by S.Igarashi at 10:27 AM | コメント (5) | トラックバック

February 24, 2008

メタモルフォーゼするバラック

圏央道・八王子南I.C.の工事現場の先、梅ノ木平で見た規格品の廃材で作られたメタモルフォーゼするバラック小屋。

(←クリックで拡大)
梅ノ木平と云えば中学の時、秋の遠足で学校から徒歩で町田街道を南下し、大戸から山に分け入り、当時工事中の城山湖の本沢ダム(ロックヒルダム)を見学し、峰の薬師で休憩昼食、尾根づたいから谷を下り梅ノ木平に出たことがある。
Google Earthで距離を測ると約14キロ、今この距儀を歩くと途中で道に迷い遭難して行き倒れるかも。考えてみれば中学の遠足でも浅川中の前を流れる初沢川にそって沢を登り、尾根づたいに峰の薬師まで行くことも可能だった訳だが、低山でも山が深くて道に迷ったら危険なので安全なコースを選んだのだろう。

Posted by S.Igarashi at 12:16 PM | コメント (2)

February 21, 2008

南浅川町

HMIC01.jpg

写真は車載カメラでなくタクシーの助手席で手持ちで撮影。母の四十九日法要の壇払いでうかい竹亭に向かう途中の甲州街道である。以前この辺りの甲州街道を通ったのは6年前、父の十七回忌の法事でうかい鳥山に行った時である。それ以来、南浅川町や大垂水峠の先には用事もなく、圏央道の八王子南インターチェンジの工事の進捗状況等を知る由もなかった。と云うことで、どうせなら高尾山の冬そばを食べに高橋屋に行こう、そしてついでに南浅川町まで足をのばしてみようと、思い立ったのである。(南浅川町とは八王子市の西端、高尾山の南側、この圏央道の八王子南I.C.から神奈川との県境の大垂水峠までの一帯、面積の殆どを山林が占める。)

と云うことで先ずは圏央道八王子南インターチェンジ模型(この模型は現場に隣接する相武国道事務所の圏央道インフォメーションルームに置いてある。)とGoogle Earthの3Dモデルを並列し比較してみると、甲州街道を跨いで架橋工事中の高架橋は津久井方面から甲州街道に降りるランプウェイである。山の中腹に穿かれたトンネルから谷間の甲州街道まで下りるには、その高低差と狭い谷間故に逆S字を描いて甲州街道を三度跨いで下りてくることになる。

人間の欲望がコンクリートの塊に込められているからだろうか、工事中にも関わらず、こうしたものを見ると近代産業遺跡に見えてしまうのである。何れにせよ、こうして既成事実を積み重ね、道理でなく無理を通すのが道路行政なのだろう。圏央道八王子南I.C.に繋がる八王子南バイパスの工事決定までの紆余曲折も机上で事の計画を進める行政の支離滅裂ぶりと、その利権に群がるハイエナ達が見え隠れしていた。元々は東八道路とめじろ台の南側を東西に走る椚田通りの八王子斎場東・交差点が結ばれ、椚田通りと町田街道の狭間町・交差点から西行きを延長して圏央道八王子南I.C.に繋げる予定であったのだが、このルートは高楽寺、御嶽神社、御衣公園、浅川中学、高尾霊園をブルトーザーで潰さない限り道路は出来ないことから断念、それでもルート上の浅川中学を廃校にすると云う風説が数年おきに聴こえてくるのだが、これも利権絡みの邪悪な輩の仕業なのか。(何しろ浅川中学は隣接する栗山を学校林として保有しているのである。)更に不可解なのは道路予定地となる八王子斎場東の土地を押さえていた某法人が計画道路の変更が決定されると、法人名の記された工事用の仮囲いを取り払い、元の農地に戻したことである。そんな人間の欲望を知ってか知らぬか、件の農地では牧草の上で乳牛がのんびりと草を食んでいる姿が見られるようになり、ここだけ昭和の風景が復活している。

参考:相武国道事務所

蛇足:観光地の食堂は不味いと云うのが定説だが、高尾山ケーブルカーの清滝駅の広場に面した高橋屋はそんな定説を覆す店で、美味い蕎麦を食べさせてくれる。今回は高尾山の定番、トロロ蕎麦を高橋屋で食したが、次は地元の人も奨める竹之家支店で天ざるでも食べてみよう。

Posted by S.Igarashi at 10:44 AM

January 02, 2008

墓参りにて

今日の午後、正月の墓参りを済ませて霊園の尾根付近から関東平野を見渡すと筑波山のツインピークスが見えるではありませんか、晴れていれば、この場所から新宿を遠望できますが、筑波山までは余程空気が澄んでなければ見ることができません。これも正月休みだからでしょう。

因みこの墓所と筑波山の距儀は直線で約100km弱である。

Posted by S.Igarashi at 04:07 PM | コメント (2)

December 31, 2007

高尾

akiさんがMICHELIN Voyager Pratique Japonに引き続き高尾山をエントリーされた。京王電鉄が今年10月の高尾線開業40周年記念に発行した小冊子「高尾」にミシュランの仏語版の高尾山紹介記事の抜き刷りとその日本語訳が掲載されていたので、akiさんにそのスキャニングデータを送ろうとしたのだが「それは地元民がエントリーしなければいけないでしょう」と云うことで、写真は12月5日に撮ったイトーヨーカドー八王子店の屋上駐車場からの高尾山(左端)の日没風景である。その高尾山薬王院からは月報も届けられている。我が家の墓所のある檀那寺も元々は高尾山の末寺にあたり、高尾山に登らずとも、その墓所の尾根からは新宿を遠望できる。まぁ「How Addicted to Apple Are You?」のみならず、高尾度もそれなりに高いのである。

Posted by S.Igarashi at 10:09 AM | コメント (8)

December 25, 2007

忘れられた場所

GinzaMatsuya03s.jpg

都心のそれも銀座の一等地でありながら、この例えようのない場末感はどこから派生するのだろうか。前から気になって一度行ってみようと思っていたのだが、aki's STOCKTAKINGの「銀座 /1953年秋」を見てからは一層その思いを強め、都心に出掛けたついでに松屋銀座の屋上を訪れた。今では高層と言えなくなった地上31mの屋上は巷の喧騒から隔離され異次元の時間が流れていた。屋上フェンスは手の届かない高さとなり地上を見下ろすことは叶わない。松屋銀座のリニューアルされたファサードのガラススクリーンが太陽光を反射し、銀座通りを隔てた向かい側サエグサビルの屋上で無言で回転するApple-Logoを照らし、方向性を幻惑している。屋上に居たのは私を含めて5〜6人だけ、ベンチで一人食事する初老の男性やテーブルで一人ポツネンと休息する人と人、それにペントハウスにあるペットショップを訪れたらしい小型犬を連れた女性くらいであった。

Posted by S.Igarashi at 10:00 AM | コメント (3)

December 05, 2007

新宿遠望

Shinjyuku-enkei1.jpg

食後の腹ごなしに裏山の城跡を散歩してきた。昔は東京タワーだけがランドマークだったが、新宿に超高層が建ち始めて、山里から新宿が少しだけ近く感じられるようになった。

と云うことで望遠側で撮影し拡大すると西新宿の都庁が見える。右側の初台のオペラシティタワーと多摩丘陵に立つ高圧線の鉄塔が同じ大きさ....な、訳ない。

Posted by S.Igarashi at 02:56 PM | コメント (0)

November 01, 2007

汐留川水門

Kai-Wai 散策のエントリー・宇宙船ヒミコを読んで、数年前に浜離宮から見た汐留川水門近くの船着き場に繋留されていたヒミコを思いだした。masaさんが宇宙船をイメージした様に、この場所では汐留川水門の排水管を覆う異様なシェルターが何か海底都市へ繋がる秘密基地の様にも見えた。(遠景

Posted by S.Igarashi at 02:22 AM | コメント (2)

October 06, 2007

鉄道博物館

railwaymuseum.jpg

と云うことで昨夜のタモリ倶楽部は、2006年の5月14日に閉館された交通博物館に代わって、さいたま市に10月14日にオープンする鉄道博物館からの中継録画の前編であった。新装オープンする鉄博(マニアはそう言うらしい)はタモリや原田芳雄らの還暦を過ぎた鉄ちゃん達も番組を忘れて大はしゃぎするだけの規模と内容が揃っている。そういえば、学校の帰りに地下鉄車内で鉄道系の本を熱心に読んでいる鉄子さんを見掛けたが、あれは本物の鉄子さんなのか、業界関係者が鉄道博物館の取材の為に勉強していたのか、良く解らなくなった。

Posted by S.Igarashi at 01:00 PM | コメント (0)

September 25, 2007

大桟橋に、、

昨日、横浜港大桟橋に大型客船が三艘入港すると云うので、その離岸風景でも観てみようと思い立った。生憎の曇り空であるが大桟橋は沢山の人出であった。そのなか、私の視界の真ん中にこの人の姿が入った。やっぱり、もしかすると居るかなと思いましたが、ストライクゾーンに入るとは思いませんでした。
この右側の国旗バハマ船籍の"Seven Seas Mariner"の煙突がエレガンスでした。そしてiPodに入れたラテン系もカリビアンなGloria EstefanやViktor Lazloがこの風景に嵌まっていた。

横浜市港湾局のサイトにセブンシーズ マリナーの船籍が一覧表でバハマ、客船情報の詳細でフランスになっていたので調べてみた。Seven Seas MarinerのサイトにあったShip InformationによるとShipyardがFrance、そしてShip's RegistryがBahamasの様です。貨物船にパナマ船籍が多いのと同じ理由でしょうか。

1978年くらいだと思いますが、横浜の中区本町の知人の事務所に所用で来ている時、クィーンエリザベスの寄港を教えてもらい、出港風景を見に行った事があります。吹奏楽団が「螢の光」を奏でるなか岸壁を離れてゆくシーンは印象的で、成程これだったのかと「フェリニーのアマルコンド」のエピソードの一つで沖合を航行する豪華客船(映画ではハリボテ)を村中の人がボートを漕ぎ出し沖合まで見送りに行くシーンを理解できたものです。


10/4に大桟橋に入港中のアムステルダム (Amsterdam)Webカメラより
カークさんが4日のアムステルダム号寄港をエントリーされてます。

Posted by S.Igarashi at 01:13 AM | コメント (5)

June 03, 2007

Tokyo Mid"down"town

Akasaka901b.jpg

昨日は中浦和で風信子荘の見学会を済ませてから六本木ヒルズにル・コルビュジエ展を見に行った。六本木まで来たついでに昨年は工事中の為アースダイビング@江戸東京地下水脈の際、立ち寄ることが出来なかった最終目的地の桧町公園がどうなったのか確認すべく"Tokyo Midtown"まで足を伸ばした。桧町公園は嘗ての面影は残されておらず、自然を模倣した日本庭園風に生まれ変わっていた。後、数十年もすれば自然の恢復力で風景も落ち着くだろう、、、が。

ミッドタウンガーデンに面したT.A.氏設計によるミュージアムの裏側に抜けると、防衛庁があった頃は高い塀に囲われ、人目に晒されることのなかった隣接地の谷戸の風景が広がる。ミュージアムは谷戸の風景を人目から遠ざける衝立の役目をしていたのだ。それにしてもサカクラハウスの奥にこんな風景があるとは気付かなかった。江戸東京の複雑な微地形が上流と下流を隣人にしてしまうのである。外苑東通りから、サカクラハウスに向かう路地の途中には元祖カメラ小僧のアトリエが、設計者はオリンピック開催地を東京都と争った福岡のオリンピック施設を計画したA.I氏である。A.I氏はアトリエをここに構えている訳だが、その目と鼻の先にT.A.氏設計の建物が、うーむ、何か因縁めいて複雑、、。

Posted by S.Igarashi at 02:39 AM | コメント (1)

May 06, 2007

Santa Sofia

akiさんのLizards of OZを読んでリンク先の"JAPAN WINE CHALLENGE 2006"の"Gold Medal"を見ると"Santa Sofia"の文字が目に入った。このワイナリーは18年前に訪れているが、訪問の目的はワインではなく建築である。ヴェローナ郊外にあるパラーディオによる"Villa Serego"( 45°29'56.49"N 10°55'26.52"E)が、そのワイナリーなのである。

Santa-Sofia02.jpg

もちろん建築見学に留まらずワインを試飲して、1ダースのワインをゲットした事は云うまでもない。写真はワインケースを担いで"Villa Serego"を引き上げてくるツアー一行。(撮影場所:Google Earth 衛星写真の赤丸付近)

ヴェローナと云えば観光的にはヴェローナ・デ・アレーナのイタリアオペラとシェークスピアのロメオとジュリエットの舞台となったことで有名だが、建築家カルロ・スカルパの代表作の"Banca Popolare di Verona "( 45°26'24.41"N 10°59'48.62"E)と"Castelvecchio Museum "( 45°26'23.32"N 10°59'16.83"E)があることでも知られている。

Posted by S.Igarashi at 01:09 AM | コメント (2)

April 28, 2007

鯉のぼり

koinobori.jpg

何処が元祖か本家は知らないが、鯉のぼりを川幅一杯に吊り下げることが各地で行事化されるようになっている。第五回アースダイビングの資料を作成している時に気付いたことであるが、Google Earthで見ると善福寺川でもそうした行事が行なわれている様子が記録されている。場所は堀ノ内の紅葉橋近くの済美養護学校と区立済美教育研究所の間(35°41'9.69"N 139°39'3.63"E)である。但し、今年も行われているのか確かめていない。

Posted by S.Igarashi at 01:41 PM | コメント (2)

April 15, 2007

Twilight Time

"The Platters"と云えば"Only You"を思いだすのがフツーでしょうが、僕は高校生の時、下校時間になると流れていた"Twilight Time"が脳に刷り込まれている所為か、こうした風景を見ると何となく"Twilight Time"のフレーズが脳裏に浮かびます。因みにUFOもどきは窓に映りこんだダウンライトですので"Twilight Zone"を狙った写真ではありません、念為。(法政大学・ボアソナードタワー26階にて)
Twilight Time
The Platters - The Platters: Golden Hits - Twilight Time

The Platters
The Platters


Posted by S.Igarashi at 10:40 AM | コメント (4)

April 08, 2007

投票所

足立から山里に越して、五年間通ったこの小学校の校庭に立つのは何十年ぶりだ。在校当時から残っているモノと云えば校庭の立ち木と山並みの風景だけだろうか。昨今の市町村合併やら過疎化少子化とやらで廃校となった学校と比較すれば、学校が残っているだけでも良い方なのだろうが、、、。

Posted by S.Igarashi at 06:07 PM | コメント (1)

April 06, 2007

Earthdiving Map

Googleの新しいサービス「マイマップ」を利用して早速「第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅」のルートマップを作成してみた。試作なので非公開ですがリンクは付けてあります。とりあえず打上を行なった「博多鉄鍋餃子なかよし」だけはマーキングしてあります。

Posted by S.Igarashi at 06:56 PM | トラックバック

April 02, 2007

花咲くコモンズの庭へ

一昨日、アースダイビングで訪れた阿佐ケ谷住宅コモンズの庭に花韮が群生していた。そこには花見客でにぎわう善福寺川の桜とは対照的に静かな時が流れていた。

Posted by S.Igarashi at 08:46 AM | コメント (2)

March 31, 2007

善福寺川今昔

zenpukujigawa-5.jpg
写真1(+)
kawaさんから1960年代初頭の善福寺川流域の様子を伝える貴重な写真を送って戴きました。この頃は未だ橋も木造でしたね。
追記:と云うことでkawaさん立会いの元、現地で撮影場所を確認しました。


写真2
いいですねぇ〜長閑ですねぇ。兄弟揃って、お父さんと一緒に散歩するのが楽しくてしょうがない様子が伝わってきますね。(と、勝手に妄想してますが、、)3人とも長靴を履いてるのが良いですね。
善福寺川も未だ護岸工事されてなく川底も浅いことが良く解りますね。
写真に添えられたkawaさんのメールを紹介させて戴きます。

私が小さい頃には、川沿いがずっと河岸段丘になっていて、土手からすぐは、畑や田んぼ、学校のグランド、公園や釣り堀、養豚や資材置き場、廃品回収の置き場になっていました。
もう一段上がった所から住宅が並んでいました。
松の木の縄文遺跡、縦穴式住居も川からは一段あがった丘の上にあります。
田んぼを埋めて、川沿いに建て売り住宅が並びだした時には、こんな所に建てていいのかなと子供心に思いました。
少し大人になって、人口が増えるばかりの時には川沿いに家が建つのも仕様がないと思いました。
しかし、これから人が減る事を考えれば、土手の外も何年かに一度ぐらい川があふれてもいい公園等にしておくのも出来ない話ではないと思い始めました。
区は住宅の並んだ私有地を買い上げて低いグランドやテニスコートを作って増水時に備えているようです。
何年かに一度あふれてもいいと考えれば、コンクリートの土手以外のもっと素敵なウォーターフロントの可能性も出て来ると思います。


撮影場所(クリックで拡大)
写真1は大松橋に立つ3人の子を撮ったもの。
写真2は大松橋下流の善福寺川左岸から川下を撮った写真

下の写真は昨日その「写真2」の撮影場所を検証しているところです。風景は昔とすっかり様変わりしていました。そんな訳で往時を振り返って記念の再現写真を撮りました。


Posted by S.Igarashi at 11:04 PM | コメント (4)

March 29, 2007

気になる天気

Weather-Report.jpg気になる土曜日の天気ですがMacOSXのウィジェットでは、こんな予想です。週末の天気は偏西風やジェット気流が大陸性移動低気圧にどう影響を与えるかの見解で、予想は異るようですが、わたしはこちらを信用することにします。

Posted by S.Igarashi at 10:31 AM | コメント (2)

March 25, 2007

善福寺川のソーラーキャット

SOLAR-CAT.jpg

護岸の間知石積みの凹みに猫がちょこんと座ってる、まるで炬燵に入っているようだ。
既に日は落ちてしまったが、日中蓄熱された石はこの時間でも未だ暖かいのだろうか。

Posted by S.Igarashi at 09:30 AM | コメント (10) | トラックバック

March 20, 2007

第五回アースダイビング・善福寺川+阿佐ケ谷住宅

アナウンスだけで日程が決まっていなかった「第五回アースダイビング・善福寺川と阿佐ケ谷住宅の50年を探る。」+「花見付き」を3月31日午後に開催します。集合地点は地下鉄丸ノ内線・方南町駅、目的地は阿佐ケ谷住宅です。集合時間等のタイムスケジュール等が確定しましたら当ブログにて告知する他、前回参加者の皆様にメール致します。
これが阿佐ケ谷住宅を見る最後の機会かも知れません。散りゆく桜花を愛でながら1950年代のモダニズムに想いをはせるアースダイビングとなりそうです。
追記・更新:アバウトなタイムテーブル等を追加しました。

5th Earth diving. 『善福寺川と阿佐ケ谷住宅の50年を探る。』 

 今回のルートは神田川水系の善福寺川を方南町から南阿佐ケ谷の阿佐ケ谷住宅までです。ゴール地点の阿佐ケ谷住宅は昭和33年(1958)に竣工した日本住宅公団による分譲住宅の団地です。今から約50年前の昭和33年当時の地形図(P-6)を読むと台地部分は宅地化されていますが善福寺川流域には多くの水田が残されていた事が解ります。阿佐ケ谷住宅はそれらの水田を埋め立て宅地造成して建設された住宅公団による団地の一つです。現在の善福寺川流域には既に水田もなく護岸も整備され川底が深く渓谷化されています。それは川底の浅かった善福寺川の流域に沿って窪田が広がっていた嘗ての風景とは異なるものでしょう。昭和22年の航空写真(P-7)を見ても解る通り、当時既に武蔵野台地の薪炭林である雑木林や田畑の殆どは失われ宅地化されています。右のGoogleEarthの航空写真に見られる善福寺川流域の緑地は嘗て水田だった場所を埋め立て整備して緑地化されたものです。これらは古くからある大宮八幡宮と戦前から整備された和田堀公園を除いては未だ50年経っていないものです。逆に言えば50年あれば森を造る事が可能であることを示しています。また嘗ての窪田は豪雨の氾濫に対し調節池の役割も担っていました。今日の様に川幅ぎりぎりに宅地化された河川は豪雨に対する抵抗力を失い、新たな都市水害を招いています。そうした都市水害に備え流域の緑地では運動公園を兼ねた調節池の整備が現在進行中です。それが可能なのは善福寺川流域の元農地を私有地のままに置かず、行政が長年に亘り共有地として確保してきたからでしょう。理想的には英国の様に都市の余白としてヒースを残す事かも知れません。今回のダイビングは阿佐ケ谷住宅と重ね合わせ『コモンの思想』を考えてみる機会になればと思います。因みに善福寺川ではアースダイビングのシンボルである水鳥「カイツブリ」が出迎えます。


・日時 2007年3月31日(土曜)PM1:00〜PM6:00
・内容 距離:約4.2km
・PM1:00〜 方南町に集合し堀之内橋から善福寺川流域を散策
・PM2:00〜 杉並区立郷土資料館見学(入場料¥100)
・PM2:45〜 大宮八幡宮と和田堀公園を散策(休憩)
・PM3:45〜 花見がてら善福寺川を阿佐ケ谷住宅まで散策
・PM4:30〜 阿佐ケ谷住宅及びにトタンギャラリーを見学
   公団阿佐ケ谷住宅・テラスハウス25号棟
・PM6:00〜 阿佐ケ谷界隈にて打上・反省会(場所未定)

・集合場所
2007年3月31日PM1:00
地下鉄丸ノ内線・方南町駅西改札を出る
地下鉄出口1(地上・方南町交差点角)
環状七号線・方南町交差点・北西側角にて。

・参考時刻表(ジョルダン・乗換案内調べ)
・新宿発12:46荻窪行・中野坂上乗換
 方南町12:57着
・荻窪発12:37池袋行・中野坂上乗換
 方南町12:57着
※中野坂上で乗換に注意!
----------------------------------------------------------------------------------------------
以上、資料等のダウンロード方法については別途メールにして連絡します。

Posted by S.Igarashi at 03:31 PM | コメント (17) | トラックバック

March 11, 2007

木造四階建?

昨日、打合せで杉並校舎に行ったついでに、31日の為の調査ダイブとして方南町から阿佐ケ谷住宅まで歩きました。昨年の10月28日に一度 善福寺川・調査ミニダイブは済ませていますが、調査に漏れた箇所と地下鉄・方南町駅からのルートを確認する為です。そして前回立ち寄らなかった杉並区立郷土博物館で資料の収集、大宮八幡宮ではアースダイビングの無事を願っての神頼みです。と云うことで左の写真は善福寺川の緑地に面した木造四階建?の建物ですが、実際は鉄骨で補強した木造三階+地下一階(擁壁部分を利用)でしょうか。それにしても恐れを知らぬ三階部分のオーバーハングです。

Posted by S.Igarashi at 02:16 AM | コメント (2) | トラックバック

January 18, 2007

昭和残像・西新井

50年ぶりに西新井大師に参拝したが大師前駅に降りたのは生まれて初めてである。西新井大師へは家から歩いてゆくのが当たり前であったが、その道も参道に続く手前で環状七号線で分断され、当時の面影を探すのは困難である。それでも環七の建設から免れた旧道には昭和の残像が残されていた。

きっと、子供の頃に何度もこの前を通っている筈である。そういえば昔は店頭で煎餅を焼いていたり、もっと煎餅屋が多かった気がする。子供の頃、米屋のお兄さんの配達に連れられて草加の煎餅屋に行った事がある。天日干しにされた焼く前の煎餅とかまどの前で汗だくで焼いている姿が記憶に残っている。

これは典型的な西新井的・昭和風景なんだろうが、自販機の缶コーヒーのポスターが時代を現代に呼び戻している。提灯に火の灯る頃を見て見たい。メニュー

追記:西新井の南側で放水路に近い赤不動の側にある四丁目倶楽部は自販機を中心にした新手の立ち呑み屋のようですが、これも夕刻の様子が気になります。

Posted by S.Igarashi at 09:20 AM | コメント (6) | トラックバック

January 17, 2007

Please sit down.

都営バス<草41>系統の<赤不動>停留所に置かれている椅子は粗大ゴミではなさそうだ。これも「公共空間への私的空間の進出」でしょうか。それにしても道路反対側の町屋鴬谷経由浅草行きの停留所ならまだしも、終点間近の停留所にこれだけの数の椅子が必要なのか解せない。因みに停留所裏の空き地は都道467号千住新宿町線(但し葛飾区の新宿)の計画予定地、従ってこの停留所が交差点のど真ん中になる。(足立区梅田)

Posted by S.Igarashi at 10:09 AM | コメント (0)

January 14, 2007

八王子遊廓

昨年末、吉原御免状ミニダイブを行なったばかりですが、遊廓つながりと云うことでakiさんに間借りエントリー(030709)していた八王子遊廓をこちらに移しました。写真の日付によれば2001年10月13日に撮影したものです。この時点で既に遊廓の面影を残す建物は殆ど残ってなく、現在はこれらの建物も残されているものは少ないようです。

2年前(2003年の時点で)に撮った八王子遊廓跡です。もう、殆ど昔の建物は残ってなく、僅かに それらしき面影の建物が二三件あるだけです。これも斜陽の街、八王子を象徴 しているのか も知れません。 八王子遊廓は八王子・横山町の北、浅川を背にした「田町」にありました。明 治30年頃に、元々、甲州街道沿いの宿場町・横山町や八日町などにあった女郎 屋を一括して移転させたのは浅草吉原に習ってのことでしょうか。(大火の後 の都市計画的配慮らしいですが?)八王子が経済的に栄えたのは生糸が日本の輸出産業の花形であった時代です。 16号線(八王子横浜街道・八王子日光街道)と20号線(甲州街道)の結線点に ある八王子は、武州、上州や甲州から集められた生糸の相場を決める市場を形 成し、遠く桐生や伊勢崎の商人や甲州商人と八王子商人が夜の接待に利用した のが八王子遊廓だと云われてます。 遊廓のあった田町の町名の由来は無知で判りませんが、地図を見ると街路が田 の字に見えないことはありません。浅草の吉原も日本橋人形町界隈から移転し たときは周囲は田圃だったから、八王子遊廓の浅川沿いのこの場所も、田圃に 囲われていたのかも知れません。たぶん、お手本通りに繁華街から離れた場所 に八王子遊廓をつくったのでしょう。
その八王子遊廓に隣り合わせて、八王子斜陽産業の象徴である機屋(はたや) の工場跡が事務用品のディスカウントストアになっているのが皮肉です。 斜陽産業とは云ってもネクタイ生産量は未だに八王子が日本一だそうで、それ でもブランド品の下請工場では高が知れているということでしょう。
この建物もakiさんによれば、既に解体撤去されているようです。

と云うことで写真を追加。

以下はaki's STOCKTAKINGのエントリーに寄せられたコメントです。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
そうです、私は下町生まれの山の手育ちと言いたいところですが、下町生まれの山ん中育ちです。
7月15日のテレビ東京・出張なんでも鑑定団は内容に乏しいものでした。千人同心縁のお宝とか期待してましたのでがっかり。尤も、今日この頃、世の中物騒になっているので、お宝を公開して窃盗団に狙われる恐れもありますからね。賢い人は、決してお宝自慢はしないですよね。

Posted by: 五十嵐進 @ July 22, 2003 04:41 PM
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
小野さん、コメントありがとうございました。
私は、生まれは違いますが八王子市大和田で育ちました。学校は四小、五中で、最近、八王子市大和田の家にもどってきました。
この話を送ってくれた五十嵐氏も、生まれはちがいますが八王子在住です。
そんな訳で、八王子の話もこれからちょくちょくでてくると思います。

Posted by: 秋山東一 @ July 21, 2003 07:35 PM
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
今宇都宮へ仕事の関係で居りますが、生まれも育ちも八王子です。田町の旧遊郭街は、私の中学時代まで柳小路として残って
いたことよく覚えてます。またローラースケート場とか夏場は
プールになる場所が田町にありよくいっていました。写真を
見て何となく懐かしくなりました。ちなみに私は万町の出です。
また、多くを大和田町で過ごしました。写真有難う御座いました。

Posted by: 小野吉則 @ July 21, 2003 05:50 PM
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
Google で「八王子 遊廓」で検索してみた。
いくつかヒットしたが、「旧道行脚」と題した古地図と現地探索のページがあった。「甲州街道の遊廓」「羽衣町の幻流をたどる」とかあり、多摩、遊廓に強いサイトと思う。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/9371/koushu/kyuudouangya.htm

Posted by: 秋山東一 @ July 13, 2003 05:52 PM
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
前のコメントが文字化けしました。

これが八王子遊郭跡の地図です。

http://www.mapion.co.jp/c/f?el=139/20/20.058&scl=10000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=35/39/45.291&size=500,500

地図を見ると幼い秋山少年の目に広い広場に映ったのが良く分かります。今でも通過交通がないぶん、その異常な広さだけが目立ちます。

明後日(7/15)のテレビ東京・出張なんでも鑑定団は八王子大会だそうです。何がでるのかな。

Posted by: 五十嵐進 @ July 13, 2003 03:18 PM
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
私はこの遊廓に登楼したことはありませんが、昔の記憶があります。
広い広場に近い両側に建物が並んでいるのですが、一つの建物にアメリカ兵が行列しているのを望遠したという記憶があります。きっと1950年のはじめ朝鮮戦争の頃だったのでしょう。もう昔の姿はかろうじてというところですね。

Posted by: 秋山東一 @ July 10, 2003 08:47 PM
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------


Posted by S.Igarashi at 08:40 AM | コメント (2)

January 12, 2007

千住新橋・遠望

川下に向かって千住新橋を遠望する、まさに荒川しずかな風景である。右岸には北千住の高層ビル群が、千住新橋の向こう側に見えるのは小菅の拘置所である。伝え聞くところによると千住新橋のたもとに捨てられていた私を育ててくれたのが戸籍上の両親と云うことである。その育ての親は何かに付け、悪さをすると感化院や小菅の拘置所に連れて行かれるぞと理不尽にも幼い私をよく脅していた。足立九中に隣接する区立図書館で「小公子」「小公女」「家なき子」「母を訪ねて三千里」等の少年少女名作全集を読み漁っていた私はいつの時か実の親が執事を従え迎えにくることを夢想していた。事実が明された時にはは育ての親に御礼するよう実の親に頼んであげよう、いぢめられたと言いつけ恩を仇で返すようなことは止めよう。そう心に誓っていたのだが、一向に実の親が迎えに表れる気配もなく、今日に至ってしまった。人によれば私は育ての親に似ているらしい、犬や猫が飼い主に似ると云う話しは聞くけれど、、、まさか。

と云うことで先日の午後、略50年ぶりに西新井大師に詣で、あのサビオウの前を通り、一年間だけ通った亀田小学校に立ち寄り、嘗ての通学路を自分の生地まで辿り、その隣りの遍照院で祖父母と伯父伯母の墓前に参り、それからバス通りを荒川放水路までアースダイビングしたのであった。
(上図は先日のダイビング・ルートと子供の時の行動範囲である。)詳細は後日エントリー予定。

Posted by S.Igarashi at 10:58 AM | コメント (8) | トラックバック

January 11, 2007

江戸東京1680-2007

地球温暖化で超高層ビルが水没した図ではない。GoogleEarthの最新バージョンで1680年の江戸の地図をレイヤーに重ね、更に建物の3D表示をしてみた。東海道線が昔の海岸線を走っている訳だから、こうなるのも当然と云えば当然だが。

最近思うのは、こうした埋め立てにどれほどの山が消え、超高層マンションが一棟建つ度に地方の過疎化が促進され村が消えているのではないだろうか、と云う事である。

と云うことでGoogleEarthの最新版は3D表示もアップデートされ、リアルな3Dデータが増えている。
しかし、東京タワーが未だに棒のままでは、哀しい。


Posted by S.Igarashi at 02:42 PM

January 03, 2007

吉原と佃

左の図は吉原の大門のエントリーに使った14年前に描いた方位図のMiniCadのファイルをPICT形式で保存してあったので、VecterWorksで開きフォント形式を直してEPS形式で保存、それをAdobe Illustrator CS2で開いてPhotoShopのEPS形式に直してからJEPGにて保存。なんて七面倒くさいことをしていたら、もしかすると「吉原御免状」のヒントになったのは佃島じゃないのかと、ふと妄想が膨らんできた。佃島の経緯については東京都の都史紀要「佃島と白魚漁業」に詳しく記されている通り、家康が摂州佃村の漁民に与えた「お墨付き」によって江戸前での白魚漁の漁業権を得たものである。これも表向きは漁民だが特殊な能力を持った一団とする説もある。吉原も佃も現在の場所に定着するまでは日本橋界隈で営業、その後は幕府の庇護の元、人工的な廓や島に移住している。吉原と佃の違いは方位にある。吉原は江戸城の丑寅の鬼門に位置し、は辰巳の吉相に位置している。どちらもミニダイブしているだけに、たんなる妄想による思いつきかも知れないが江戸の異界としての共通点が気になる。因みに吉原のモデルとなった京都島原大門は東向きである。

Posted by S.Igarashi at 03:22 PM | コメント (6)

December 24, 2006

吉原御免状ミニダイブ

Yoshiwara07.jpg

と云う事で昨日は午後一時、竜泉の一葉記念館に集合して「吉原御免状ミニダイブ」となりました。黒幕二名は急遽不参加となり、主犯の私、共犯のmasaさん、御目付の長老・吉松さん、若頭のfuRuさん、カークさんの五名によるダイブです。吉原御免状を読むまでは艶笑落語くらいでしか吉原について知ることがなかったけれど、実際に曲輪跡を巡ってみると、この屋上工作物の如く、やはり吉原は異界であった。(12/26更新)

Yoshiwara02.jpg

お歯黒ドブ跡の緑地帯に立つmasaさんの大笑いの原因はこれです。普通の通行人から、さぞかし異様な集団に見えた事でしょうね。右手交差点の先が京町二丁目、東南側の廓(曲輪=堀割)に面した河岸が羅生門河岸と呼ばれていた。
これが昨日歩いたルート、人間GPSに付き、途中でメモリーエラーを起こしている恐れがあります。
お歯黒ドブより路地越しに江戸町一丁目を見る。左手が「はとバス」の夜のツアーの花魁ショーで有名だった松葉屋の跡地に建つマンション。吉原御免状の西田屋の裏口はこの辺りであろうか。因みに全日本特殊浴場協会連合会の事務所がこのマンション内に事務所を構えているのも何かの因縁だろうか。


Posted by S.Igarashi at 02:34 PM | コメント (10)

December 23, 2006

八坂の草庵系トタンハウス

京都の町にブルートタンは似合わない。トタンもブルーではなく「利休鼠」を意識しているのだろうか、八坂の塔から二年坂へ向かう途中で家並みが途切れ露にされた妻壁に引き込まれ奥にはいると斯様な草庵系とも云えるトタンハウスがあった。
と云う事で略三十年ぶりに桂離宮と修学院離宮の庭を見に京都に行ってきたのであるが、ついでに東山の山裾にそってミニダイブしていたときに発見した風景である。

歴史的町並保存地域に指定されているであろう観光地化された尾根道に挟まれたスリバチ状の谷戸に取り残されたように長屋やアパートがひっそりと佇んでいる。何か、この一画を舞台にしたドラマが生まれても良さそうに思えて、妄想が、、、。


草庵系利休鼠トタンハウスに見とれていると足下で何か鳴き声が、そのに、ご挨拶するのを忘れていた。
場所は( 34°59'53.07"N 135°46'47.69"E)

Posted by S.Igarashi at 02:29 AM | コメント (5)

December 16, 2006

善福寺川ミニダイブ+阿佐ケ谷住宅

先日のTOTAN GALLERY の午後から、一挙に盛り上がりを見せている次回アースダイビングへの期待ですが、前半の善福寺川ミニダイブについては、既に10月28日に善福寺川・調査ミニダイブを済ませております。ルートは上図の通り、地下鉄丸ノ内線方南町駅から出発して善福寺川沿いに約4.2キロを阿佐ケ谷住宅までダイビングするというもので、後は日程の調整ですかね。

Posted by S.Igarashi at 02:00 AM | コメント (6)

December 01, 2006

From Itabashi to Hakusan

From-Itabashi-to-Hakusan.jpg

突然、玉井さんの第四回アースダイビング:王子の玉子に乱入した古山君が昨年、街歩きしたときの記録である。ルートマップは明治時代の地形図を元にしている。こーゆー事は彼は得意であるが、駅名を書き間違えたりのポカもある。しかし、玉子焼のエントリーにタクアンとはまるで「長屋の花見」である。

Posted by S.Igarashi at 10:30 AM | コメント (3)

November 24, 2006

川向こうで初体験

隅田川を渡り最終地点の向島「とも」に到着、Take The "A" Tramも無事終了、これからもんじゃで打上というところです。
てことで心配された天候も雨も降らず、なんとか第4回アースダイビング・全行程を歩き通しました。今回のダイビングの動機付は図説 江戸・東京の川と水辺の事典のエントリーに書いた様に、石神井川と荒川の河川争奪戦による地形の変形にありますが、それ以上に王子の堰で分流した音無川の下流、つまり吉原界隈も気になっていました。masaさんと下見に行ったとき日本堤の大林でウーロン茶とビールを酌み交わしながら、打上を向島の"とも"にしようと云うmasaさんの提案に即決。老年探偵団の脚力を考えると向島まで歩くのは無理かなと、電車で行く案も考えたが、GoogleEarthで三ノ輪から向島まで測ると3.2km程の距離、これなら歩くのに問題ないと、3rd-Stageを追加、それに呼応するかのように玉井さんが吉原御免状をエントリー、俄に吉原界隈に関心が集まり始めた次第です。そんな訳でダイビングまでに読了するつもりだった「吉原御免状」先ほど読み終えました。やー面白かったな。さて次は「かくれさと苦界行」だ。

そう、私を含めて殆どのメンバーがもんじゃ初体験でしたが、そう云えば、唯一人、もんじゃから操を守ったお方がいましたね。因みに私は柚子サワーが気に入りました。皆様どーもお疲れさまでした。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
江戸、明治.大正.昭和の台東区を紹介するサイトを見つけました。土手通り吉原大門三ノ輪等の古い写真などもあります。(吉原土手は馬肉屋が並んでいて、毎晩、店は客で一杯で、それこそ大変なにぎわいでした。とある。)
江戸時代の台東区
台東区の明治.大正.昭和
三ノ輪周辺地図・昭和16年
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
続々と参加者のブログが更新されます。
Kai-Wai 散策: 第4回アースダイビング
aki's STOCKTAKING: 勤労感謝の日のアースダイビング
MyPlace: 第四回アースダイビング:王子の玉子・むこうじまのもんじゃ-1
af_blog: 4th Earth (half) Diving
N的画譚 ほそーい階段
Roc写真箱 : 4th.Earth Diving@Take The"A"Tram
Roc写真箱 : 王子の茶屋(Tea Houses at Ogee Yedo)
ONE DAY : 上海の途中ではありますが...<アースダイビングに参加しました!>@日本
一年三六五枚 : すてる神、ひろう神
LOVEGARDEN : ポインセチア
気分は3knot:アースダイビング
kaoru photo...2: 漕ぎだそう、縄文へ(11/25)
東京クリップ: アースダイビング(片側町を行く)
秋谷日記
simple pleasure: 子連れダイブはさわりだけ

Posted by S.Igarashi at 10:56 AM | コメント (19) | トラックバック

November 22, 2006

アースダイビングは妄想力

明日のダイブの最終地点・向島で「もんじゃ」を食すことになっているが、私もaki隊長もこの「もんじゃ」を食したことがない。妄想力を膨らますと荒川下流域の低湿地帯を歩いた後の打上に、これほど相応しい食べ物はないように思える。

月島界隈の駄菓子屋が起源とされるこの食べ物、まるで海進期が終わり水が引いた後の江戸東京デルタ地帯を表徴しているようである。漂流物で土手を造り、水が引け地面が現れたところをヘラで刮げ取り食す。粉系食べ物の中でもこれほど水分を多量に含んだものはない、形が崩れ原形も定かにあらず得体も知れない大洪水の後の森羅万象でさえもを食べてしまう下町の餓鬼共の逞しさを見習おう。

Posted by S.Igarashi at 11:02 AM | コメント (9)

宇津貫熊野神社

utunukikumano01.jpg

週に一度、東京造形大(35°36'55.00"N 139°20'3.41"E)に行く通り道にある宇津貫(うつぬき)熊野神社(35°37'33.82"N 139°19'52.76"E)に、昨日初めてコストコの帰りに立ち寄り狛犬を見てきた。どこに狛犬が居るかって?基壇の左右にちょこんと何か見える、それが狛犬です。

宇津貫熊野神社のある周辺はUR都市機構 みなみ野シティの開発区域にあり、半年も経つと道路が付け替えられたり、いつの間にか建売り住宅が建ち並んだり、このGoogleEarthの航空写真も既に過去の姿しか捉えていない。これが宇津貫熊野神社の由来で、これ以上の詳しい史実は不明のようですが、牛頭天王を合祀しているところは、如何にも八王子の神社らしい、境内にある神仏混淆を物語る菩薩像等のどれも明治期の廃仏毀釈によるものか損傷が甚だしい。因みに宇津貫熊野神社の狛犬はこんな姿のせいか「のり巻き狛犬」と呼ばれているそうだ。宇津貫熊野神社にはもう一つ珍しいモノがある。それはGoogle検索で初めて知ったラッパイチョウである。昨日、銀杏を拾っているように見えた御老人は、実はラッパイチョウの葉を拾っていたのであるが、それに気付かなかったのが残念。

Posted by S.Igarashi at 02:14 AM | コメント (2)

November 12, 2006

Take The "A" Tram

ed04_map_s.jpg
[+]

このmasaさん提供の凸凹地図が「アースダイビングはトラムに乗って」の全行程です。都電荒川線(赤)三ノ輪橋駅からは徒歩(黄)で土手通りを下り隅田川を渡り、ゴール地点の向島まで行きます。

第四回「アースダイビングはトラムに乗って」
 今回のアースダイビングは江戸・東京を構成する武蔵野台地と荒川水系下流域である低湿地帯の二つの異質な地形を走る都電荒川線を利用し、その中間地点でもあり、二つの地形の結接点である王子・飛鳥山・音無川流域を集中的にダイブした後、音無川が山谷堀となって隅田川に注ぎ込んでいた川口跡を確認して川向こうの向島に渡ります。
 音無川は石神井川と荒川(隅田川)との間で繰り広げられた河川争奪戦により生まれた比較的歴史の浅い河川です。この音無川誕生の経緯には自然説と人工説の二つがあり、これも学者の間で決着が付いてない様です。
 また、王子・飛鳥山には歴史上二人の人物が大きく関わっています。一人はこの地を江戸の娯楽観光地とした紀州徳川家出身の徳川吉宗、もう一人は大蔵省、第一国立銀行を経て実業家となった埼玉県深谷出身の渋沢栄一です。
 これらのキーワードから妄想を膨らませればアースダイビングは100倍楽しくなるでしょう。

今回はあの吉原大門の前も通ります。タイミング良く、玉井さんが本日吉原御免状をエントリーしています。私もMAD Press 1993/7/31に書いた阿呆臭い雑文吉原の大門をエントリーしてました。

・日時 2006年11月23日(祭日)AM11:30〜PM9:00(26日はタイプミスによる間違いでした。m(__)m)
・内容
Prologue  都電荒川線にて早稲田から飛鳥山までの小旅行
1st-Stage 飛鳥山博物館から音無川流域を散策
2nd-Stage 北とぴあから武蔵野台地東端の崖線沿いを散策
3rd-Stage 三ノ輪橋から音無川下流を隅田川まで散策
Epilogue  向島・もんじゃ焼き「とも」にて打ち上げ、宴会。(会費4000円・飲み物代込み)
宴会参加希望者は11月20日までに連絡下さい。
        
・集合場所
11:30 (1)都電荒川線・早稲田駅 (11:34始発に乗車)
12:00 (2)飛鳥山博物館1階ロビー (12:30第一部開始)
14:00 (3)北とぴあ17階展望室 (14:30第二部開始)

今回、集合する場所を三ヶ所設定しました。江戸東京の地形を体感するにはフルコース参加が最良ですが、途中から参加する方や遅れた方は都合の良い集合場所から合流して下さい。或いは配布資料のダイビングルートを参考にして追い付いて下さっても構いません。
尚、東京都地質調査業協会の技術ノートNo.29「東京のまちなみ」に掲載の「都電荒川線沿線のあゆみ」も今回のアースダイビングに最適の資料です。

既に参加表明されている方には配布資料のダウンロード方法と宴会参加希望の有無についてメールで連絡致します。

参加を希望される方はこちらのコメント欄に書き込むか、こちらにメールして下さい。
尚、勤続疲労の所為か当方ブログコメント欄のレスポンスが悪くなっています。時折、書込しても空白の場合もありますが、サーバーにはコメントが残っていますのでそのままにしてくだされば、後ほど手作業でリビルドしてブログコメント欄に反映するように致します。

Posted by S.Igarashi at 12:06 PM | トラックバック

November 07, 2006

音無川下流

minowa-otonashi3a.jpg

三ノ輪二丁目を流れていた音無川下流(現・暗渠)に立ちカメラを構えているmasaさんとその被写体になっているのは、職人の住いらしく手入れの行き届いた押縁下見板張りの石屋(基礎部分に注目)。この周辺地図の区界が川の跡になっている。音無川は浄閑寺の前で、そのまま辰巳の方向に下り土手通り沿いの山谷堀に流れる川筋と、南千住の南端区界を東に流れ白鬚橋付近で隅田川に流れる思川(別名:駒洗川)とに分流された。因みに泪橋はその思川に架かる橋の名であった。分流地点付近には、こんな謎の二列の道路横断マンホールがある。ところで、今朝の東京新聞のコラムであるが、三ノ輪で生まれた天才アラーキこと荒木経惟氏は浄閑寺の境内でこんなことをしていたそうだ。うーん、「栴檀は双葉より芳し」か、なんのこっちゃ。

Posted by S.Igarashi at 01:43 PM | コメント (2)

November 04, 2006

公的空間・私的空間

昨日の東京新聞にチューリッヒ芸術造形大学のユルゲン・クルシェ氏のレポート『TOKIO』は個性・欧州から見た都市空間の特徴として「公共空間と私的空間の境界のあいまいさ」、「公共空間への私的空間の進出」、「非対称性としての美」が挙げられていたが、昨日散策した王子稲荷近くにある銭湯裏の小公園もその典型であろう。黄色と青のベンチは公共のモノだろうが、その他は、、、。

Posted by S.Igarashi at 12:31 PM | コメント (2)

November 01, 2006

豊島遠望

asukayama061031.jpg

調査ダイブで訪れた北とぴあからの遠望である。

ougiya01.jpgてことで、王子名物は扇屋卵焼き(折り詰め1260円)なのである。


実は気になっていたのが飛鳥山にあった回転展望台のこと、昔(1981〜2年頃)近くの西ヶ原まで敷地調査に行って、その時、回転展望台でコーヒーを飲んだ憶えがある。正式名称が分からなくて、なかなか画像まで検索できなかったが、その正式名称はスカイラウンジ(通称:飛鳥山タワー)であることが判明、今から13年前の平成5年に閉館、その後解体撤去されていた。
と云うことで敷地調査・同行者にスカイラウンジで撮られた写真を探してみた。飛鳥山公園と本郷通り、右下に歩道橋が写っている。
スカイラウンジ
東京都電 7002  飛鳥山 昭和 57年 2月

Posted by S.Igarashi at 09:40 AM | コメント (8) | トラックバック

October 29, 2006

善福寺川・調査ミニダイブ

と云う事で昨日はこのコメントの通り、善福寺川の調査ミニダイブしてきた。スタート地点は上図右上の丸ノ内線・東高円寺駅、ゴール地点は阿佐ケ谷テラスハウスだ。ゴールでmasaさんと落ち合う予定で、先ずは蚕糸の森公園を通り抜けて環七に出る。妙法寺入り口の信号で環七を横断して、妙法寺の前を通り荒玉水道通りに出る。この道は青梅街道から善福寺川に向かって緩やかに下ってゆく。そして済美橋から善福寺川沿いの遊歩道を歩き調査ミニダイブの開始だ。歩き始めて感じたのは、善福寺川流域の自然と緑を守ろうとする行政の意志である。流域の空き地やぽつねんと取り残された廃屋に、既存の公園や緑地帯を更に拡幅整備して善福寺川流域をグリーンベルトにする構想が読み取れる。杉並区21世紀ビジョン・答申書を読むと、その目標の1に「水辺をよみがえらせ、みどりのまちをつくろう」とある。全体構想が実を結ぶまでは長い年月が掛かるであろうが、未来の人々に共有の場所としての緑の流域を残せたら素晴らしいことだろう。
反省:帰宅してからもう一度地図を見て気付いたが、スタート地点は丸ノ内線・方南町駅(上図右下のGoogle)にした方が良さそうだ。因みに方南町から阿佐ケ谷テラスハウスまでのルートでは約4.19キロの距離で歩きが一時間+道草ロスタイムでミニダイブに適した距離だろう。

GoogleEarthでは建造物が撤去された跡があり、緑地は整備されてないが、現在は緑地となっている。なだらかな起伏が嘗ての地形を彷彿させる。( 35°41'19.00"N 139°38'40.97"E)
対岸上流の川べりに建つ廃屋( 35°41'12.78"N 139°38'40.26"E)の周辺は空き地(原っぱ)となっている。


和田堀公園( 35°41'4.70"N 139°38'24.27"E)の池の周囲は鬱蒼とした緑に囲まれている。


和田堀公園付近の善福寺川、左手は大宮八幡宮の森、鬱蒼とした緑は想像以上であった。現在はシートパイルと間知石積みの護岸工事がされている。水害対策と親水性、相矛盾する目標も、流域に運動公園に転用可能な多目的な調整池を整備するなどして両立させられるような気もする。


明治13年(1880)の善福寺川流域、公団・阿佐ケ谷住宅の敷地は水田であった。水田や畑の他に杉林や楢(ナラ)の森や林が多い。


大正10年(1921)の善福寺川流域。未だこの時代は、中央線の中野駅と荻窪駅の間に駅はなかった。集落は街道沿いにある程度。


昭和30年(1955)の善福寺川流域。中央線沿線から青梅街道沿いに市街地化が進んでいるが、まだ公団・阿佐ケ谷住宅の敷地は水田であった。



東京都遺跡地図情報インターネット提供サービスにある遺跡地図は生憎とこの善福寺川流域が継ぎ目となっていたので遺跡地図四枚分を貼り合わせ善福寺川流域だけを切り抜いた。尚、遺跡名称等は杉並区-遺跡一覧を参照。
ダイブ中に怪しいと思っていた済美橋南側の小高い丘は済美台遺跡(No.62)だった。
因みに公団・阿佐ケ谷住宅の敷地は低地(水田)なので、当然遺跡はみられないが善福寺川対岸の台地縁辺には縄文集落の熊野神社遺跡(No.62)がある。

数値地図データによる善福寺川流域の地形図。公団・阿佐ケ谷住宅付近の海抜が38m、青梅街道・南阿佐ケ谷駅付近が海抜44mである。


Posted by S.Igarashi at 09:55 AM | コメント (5)

October 18, 2006

土木絵葉書

dobokucard.jpg

音無橋をネット検索して見つけた土木学会図書館の戦前土木絵葉書ライブラリ、土木関連の絵葉書3,600点が収録されている。

Posted by S.Igarashi at 08:57 AM | コメント (0)

October 17, 2006

アースダイビングはトラムに乗って

「第三回アースダイビング@江戸東京地下水脈」から随分と時が流れましたが、そろそろ行動しなければと「第四回」の企画を考えました。題して『アースダイビングはトラムに乗って』。実は春先に考えていた企画で、実行に移す機会を逸してましたが。日程を調整して晩秋の11月23日に開催すべく目下資料等準備中、取り敢ずは開催の告知です。今回のポイントは図説 江戸・東京の川と水辺の事典で触れた「音無川(滝野川)の謎」等、武蔵野台地とデルタ地帯を結ぶ点と線をダイブ。

音無(おとなし)川: 石神井用水とも呼ばれた。石神井川を北区飛鳥山の北側で堰き止めたダムから分流されて東南に流れ、1R京浜東北線に沿って田端、日暮里、根岸と流れ、荒川区と台東区の境を蛇行し、三ノ輪、日本堤(にほんづつみ)、山谷堀(さんやぼり)を経て隅田川に注ぐ農業用水だった。

音無川の由来は熊野信仰にあったようです。王子、飛鳥山の地名もそのようですね。熊野本宮大社旧社地・大斎原

参考資料:東京の原風景川添登・著、ちくま学芸文庫
田園都市、庭園都市としての江戸・東京を解読、嘗て王子、飛鳥山は吉宗の意向もあり江戸近郊のレクリエーション・エリアとして位置づけられていた。

Posted by S.Igarashi at 10:33 AM | コメント (7) | トラックバック

September 12, 2006

Zollverein Mining Complex

Stiftung-Zollverein.jpg

何気にArcspace - architecture onlineをチェックしたらRem Koolhaas OMAによるZollverein Mining Complexのマスタープランが目に付いた。ユネスコ世界文化遺産に指定されたエッセンのDer Schacht XII der Zeche Zollverein(ツォルフェライン炭坑遺跡群)の整備計画である。見覚えのあるタワーに、直ぐに自分が持っているBERND & HILLA BECHERの写真集・Typologien Typologiesを探してみた。やはりZollvereinのシンボルであるWinding Towerの写真があった。こうした近代産業の遺産をただ静態保存するだけでなく、コンバーションすることで新たな命を吹き込み動態保存することが、自らの作り上げた近代史に対して誇りと責任を持つことなのだろう。それにしても日本の炭坑の街とは大違い、緑豊かな住宅街が構成されている。財政破綻した夕張のその後はどうなるのか。
World Heritage Site Zollverein Foundation
炭坑の縦坑横坑を視覚化したサイトのインターフェース・デザインが秀逸。
GoogleEarth・Download file:Zollverein.kmz.zip( 51°29'16.65"N  7° 2'17.88"E)

Posted by S.Igarashi at 04:29 PM

September 09, 2006

梅田町の家・ビフォーアフター

adachiYasueTei2.jpg

昭和12年頃の梅田町の母(右から二人目)の実家である。敷地は写真手前の敷地内の池を挟み梅田稲荷に隣接し、東隣は真言宗の寺である遍照院と裏木戸で繋がっていた。周囲は未だ田園の面影を残し、西側道路に沿って流れる川では蜆も取れ、堀割や水路と溜池が点在しているような地域(1909年頃の地図)であった。この写真はある意味で当時の足立南部の低湿地帯に建つ住宅をよく表わしているのであろう。

母方の祖父は元々は現在の後楽園遊園地にあった陸軍省砲兵工廠に勤める事務職であったが、その後、木場で材木商を営み、材木商で儲けた資金で梅田町に土地を求め、養豚業を始める為に小石川林町の仕舞屋から越してきたのである。祖父は茨城の水海道出身なので、東京近郊の足立に越すことなど、何の不都合もないだろうが、母やその兄妹には住み慣れた林町を離れるには抵抗があったようだ。ましてや養豚業である。祖父は終戦後には養豚業を廃業していたが、戦前から保険代理店も兼業し、無尽講から派生した信用組合等の金融業とも関わりを持っていた。
写真の左端が伯父夫婦と従兄弟、続いて祖母と祖父、母の姉妹である。昭和15年に結婚した両親は戦時中はこの家の裏手にある祖父が娘達の為に建てた借家に住んでおり、疎開先も決まり荷物をまとめた日の深夜、つまり昭和20年3月10日の東京大空襲で焼失し、焼け出され、着の身着のままで両親は疎開先の会津に向かった。終戦後は同じ敷地に祖父、伯父、両親とそれぞれ個別のバラックを建て疎開先から家族を呼び戻し住み始めた。その焼け跡に建てられたバラックが私の生家であった。私が物心着いた頃は空襲で焼失した母屋のモザイクタイル貼りの浴槽だけが残っており、その浴槽で金魚が飼われていた。浴槽もやがて取り壊されそのコンクリートガラを路床にして表木戸から祖父の家までのコンクリート舗装となった。やがて伯父の家族が梅島に転居、祖父も亡くなり、昭和32年に私の家族が八王子に転居し、梅田町から誰もいなくなり、その後、町名や住居表示等も変更され梅田町も梅田となった。今は祖父らの墓が隣の遍照院に残るのみである。

umeda03.jpg53年前の今日、昭和28年(1953年)9月9日、梅田稲荷の祭りの日、父が日曜大工で作ってくれた神輿を担ぐ私と兄、後ろに見えるバラックが私の生家である。この後、もう少し程度のよいバラックに建替えられ、明るい色のペンキで塗られたが、その家も天井は張られてなく、雨降りで遊びに行けない時は畳みに寝転がり小屋裏の材木の木目や等級を示す文字を眺めていた。
こんなバラックでも敷地は板塀で囲われ、木戸で外界とは画され、隣の遍照院を含めて其処は我々兄弟にとって他人の入り込まない聖域でもあった。一方の梅田稲荷は境内の片隅には遊具も置かれ、午後3時過ぎともなると学校から帰ってきた子供達が三々五々集まり、遊びの輪が広がっていく様な開放された場所であった。当然そこには紙芝居屋等の子供相手の出商人も定期的にやってきた。


お化け煙突
1956 西新井橋
荒川放水路

Posted by S.Igarashi at 10:39 AM | コメント (4)

September 05, 2006

モンテカルロの謎

GoogleEarthのF1-GPシリーズを作成しようと、モンテカルロに飛び市街地コースを計測すると、あ〜ら不思議、市街地サーキットがメビウスの輪と化している。高低差の多い都市とはいえ、これだけ航空写真の継ぎ目に誤差が生じている例も珍しいのだ。
GoogleEarth:Circuit de Monaco.kmz.zip

Posted by S.Igarashi at 03:39 PM

September 04, 2006

Stonehenge

Stonehenge.jpg

と云う訳で"GoogleEarth"に目印(位置情報)を取込む"FileName.kmz"ファイルの作成法を考えました。(作業環境:MacOSX10.4.7)先ず作成した目印(位置情報)を選択しておきファイルメニューから「目印をメールで送信...」を実行します。するとディフォルトのメーラーに「新規メッセージ」が作成されます。その「新規メッセージ」に「目印名.kmz」が作成されます。その「目印名.kmz」を適当なフォルダーにドラッグコピーしてから、ファインダーで「アーカイブを作成」して、そのアーカイブをブログエントリーにアップロードします。
一例として下記のzipファイルの「目印名.kmz」(例:Stonehenge.kmz)をダウンロードして解凍します。解凍した"Stonehenge.kmz"をダブルクリックすると"GoogleEarth"の「サイドバー」の場所/保留に目印が追加されます。目印の説明にアドレスが書き込まれていると"GoogleEarth"からディフォルトのブラウザを起動しそのサイトにアクセスします。
Stonehenge.kmz:クリックすると目印の圧縮ファイルがダウンロードされます。

Posted by S.Igarashi at 01:37 PM | コメント (4)

August 29, 2006

The Lingotto Factories

1週間振りGoogleEarthを立ち上げると、アップデートを促すダイアログが表示されたので指示に従いダウンロードするとGoogleEarthのMac版が日本語対応になっていた。akiさんがエントリーしたBrunelleschi's Domeを見た後、トリノまで一飛びした。イタリア合理主義を代表するフィアットのリンゴット工場が本当に全長500mあるのか確認してみたくなったのである。因みにリンゴット工場は既に生産拠点の役目を終えRenzo Piano Building Workshopによってリノベーションされている。( 45°01'55.37"N 7°39'55.25"E)
やはり、工業都市トリノなのか鉄道施設が充実しているようだ。こんな施設もみられたが、さすがデザイン王国・イタリアである。
因みにトリノと云えばスクデットを剥奪されセリエBに降格となったユヴェントスのホームでもある。

Posted by S.Igarashi at 10:53 PM | コメント (2)

August 20, 2006

Yokota Air Force Base

横田基地にビールを飲みに行かないかと云うakiさんのお誘いを受け、昨日は御二方に御伴して、2006・日米友好祭が開かれている横田基地に潜入してきた。と云うことで米軍基地に入るのは小学生のとき三軍記念日で開放された立川基地以来である。やっぱり四千メートル級の滑走路を持つだけに広い、日差しも強い上にコンクリート舗装からの照り返しも強く、暑い!!。

yokota060819b.jpg

プラモデルに夢中になっていたガキの頃なら機種名が直ぐに判るだろうが、、、私の知識はファントムから後は更新されていない。

yokota060819c.jpg

ジェットエンジンをこの距離で見られることは日常生活において考えられない。

yokota060819a.jpg

別に後光が差している訳でなく、単なる逆光撮影である。それにしてもこのプロポーションと電飾文字がなんとも。場所は横田基地のこの辺りです。日本庭園モドキがになってますが付属の建物の用途は判りませんが、滑走路脇のエプロンから朱色の太鼓橋を渡ってアプローチするようになってますね。

yokota060819i.jpg

3時45分からのデモンストレーションは横須賀基地所属の爆発物処理班によるヘリコプターからの降下訓練、日米軍事同盟によるテロ対策へのアピールのようだ。

アメリカ空軍繋がりと云えば、7/28のタモリ倶楽部のGoogleEarth特集で、おろし金に見立てたられたDavis-Monthan Air Force Baseがあった。

Posted by S.Igarashi at 08:34 AM | コメント (8) | トラックバック

August 17, 2006

本郷界隈徘徊

と云うことで8月15日は安田講堂に行く前、御茶ノ水から歩いてKai-Wai 散策のmasaさんのテリトリー・本郷界隈を徘徊することにした。先ずは順天堂大学病院の前を通り本郷 元町公園へと向かった。園内は思いの他、清掃も行き届き、足下の槐(えんじゅ=ニセアカシア)の花弁の色味と散り具合の儚さと、遠くから聴こえるデモ行進の喧騒の虚ろさが人気のない公園を演出していた。

弓町を抜け、本妙寺坂から女子美・菊坂校舎の跡地を見ることにした。ところが、写真の文京区男女平等センターの前に立つオジサンに引っ掛かり、講釈を聞かされることになった。オジサン、本郷に住み始めて39年になるそうだが、最近になって郷土史に目覚め、店の仕事が一段落した時間を見計らって、チャリンコに乗って写真を撮って回っているそうだが、もしかするとmasaさんに感化されて始めたのではと妄想している。因みに女子美・菊坂校舎跡はクランクした交差点の先、坂を上った右手のマンションの建つ場所である。

hongo04.jpg

地図を見ていて気になっていた場所があったので、そこまで足を延ばし立ち寄ってから安田講堂に向かうことにした。Kai-Wai 散策で八百屋の名前で検索すると流石にmasaさんである森川町六叉路の謎と三層重ね地図が出てきた。ん〜、明治、江戸まで溯ることができるぞ。

Posted by S.Igarashi at 01:25 AM | コメント (3)

June 23, 2006

GoogleEarthから見た彼の国

GoogleEarth4.0のベータ版をインストールしたついでにNorth Koreaを上空から軍事施設を偵察、国土の割合にその数が多く、空軍基地は格納庫が地下壕に設けられているようで、滑走路への誘導路がトンネルの入り口に繋がっている基地が多い。そして新聞報道で注目されている例の基地は荒涼とした場所(40.855468,129.665837)にあった。北朝鮮と38度線を挟んで休戦中の韓国は朝鮮日報の記事では北朝鮮の一連の動向が日本のタカ派を刺激するのではと懸念している。国内外の軍事施設を白日の下に晒してしまうGoogle Earthではあるが、これとて情報は解像度と時間差によって操作されているのである。

Posted by S.Igarashi at 01:06 AM | コメント (5)

May 24, 2006

多摩丘陵の旧陸軍施設

パルテノン多摩の歴史ミュージアムで見た多摩丘陵の軍事施設跡をGoogleMapで調べてみた。戦車道路はコストコの向かい側、ニュータウン南大沢地区と町田市(旧境村)との境界の尾根道にあったようだ。そして戦車の操車場は現在米軍の通信施設がある場所だろう。ニュータウンの東の外れには多摩弾薬庫がある。相模原の米陸軍総合補給廠も嘗ての旧陸軍施設、そして多摩丘陵の上空はアメリカの空、日本の主権が及ばない空域である。今日も、また南大沢の首都大学東京の真上を横田基地に向かう米軍機が飛んでいる。

Posted by S.Igarashi at 12:32 AM | コメント (5)

May 21, 2006

多摩ニュータウン

地形が新都市の骨格を形成している見本のような多摩ニュータウンです。北側に位置する谷道の幹線道路(多摩ニュータウン通り)と、南側に位置する多摩丘陵の稜線を走る尾根幹線道、その間を繋ぐ枝線道路は谷戸に設けられているのが地形図から読み取れます。丘陵の上は宅地造成され住宅団地が建設されているので等高線の間隔が緩くなっているのが解ります。地形図中央の等高線が密な場所は府中カントリークラブです。ここはニュータウン建設前の地形が略残されている場所でしょう。枝線道路が走る谷戸には丘の上の団地を結ぶ歩行者道路の陸橋が設けられ、高低差の解消と車と歩行者分離が計られているようです。何れにせよ立体交差とカーブした道路、均質な街区によるものか初めて車でニュータウンに入ると多少迷いますが、しかし横浜の港北ニュータウン程ではありません、それは多摩ニュータウンの方が都市の骨格が解りやすいからかも知れません。

と云うことで、昨日はわきたさんに同行して多摩ニュータウンを車による手抜きミニダイブでした。パルテノン多摩の歴史ミュージアムで待ち合わせし、尾根道から永山地区、多摩市百草の稲荷塚古墳、南大沢地区の欠陥高層住宅の建替え工事を横目でみて鑓水の絹の道資料館、ここまで来たついでに八王子みなみ野シティまで足を延ばし、この国の住宅行政の40年間に亘る変遷を無謀にもたった半日で俯瞰してみました。
参考サイト
都市環境デザイン会議と云う組織がありますが活動が盛んなのは下記の関西ブロックのようです。
都市環境デザイン会議・関西ブロック
実際に多摩ニュータウンの開発に携った上野泰氏のセミナーの記録があります。
都市環境デザインセミナー・ニュータウンを超えて

Posted by S.Igarashi at 02:17 PM | コメント (0) | トラックバック

May 18, 2006

皀角坂の自販機

Sdb20060517b.jpg

アテネフランセからの帰り道、水道橋方面へ下る、皀角坂(さいかちざか)にあったメーカー別に行儀良く並んでいる自販機。デジカメを持ってなかったので携帯電話による写真。本当はこの坂道の家を撮るつもりだったのだが広角でないので入りきらなかったのである。

Posted by S.Igarashi at 11:18 AM | コメント (5)

May 05, 2006

菅公さん

昨日、アバウトな草むしりに飽きて母屋に戻ると、aKiさんより着信、初沢城址まで来て家の前を通り過ぎ、僕の車の前から電話を掛けているとのこと。車は御衣公園に置いたままと云うことで、散歩がてら御衣公園まで案内。ここは菅原道真の銅像があるので、地元民は「菅公さん」とよんでいる。aKiさんも小学1年生の時、遠足で訪れたという場所だ。今では国籍不明の慰霊塔が建ち、すっかり様変わりしているが、ここは僕の子供の頃の遊び場の一つだった。

Posted by S.Igarashi at 09:43 AM | コメント (2)