May 28, 2006

別所沼の風信子荘

昨日、二年前にエントリーした風信子ハウスに学生を連れて見学してきた。夭折の詩人・建築家である立原道造ヒアシンスハウスは埼京線・中浦和の近く別所沼のほとり、メタセコイアの大樹に囲まれた一画にひっそりと建っていた。

ヒアシンスハウスの平面は8尺(2,424)×20尺(6,060)、床面積は便所の出張りの5平方尺(下の写真参照)を含めると165平方尺、坪(36平方尺)に換算すると僅かに4.58坪(15.12平米)である。これはタイニーハウスと呼ぶべきものであろう。東南角の窓は幅が5尺、高さが5尺1寸5分の一本引きの突き合わせ、雨戸はハンガーレールから吊り下げられている。


北面には便所の一部が幅2尺5寸、奥行き2尺の出張りとなっている。北側には6尺幅の窓が二つ並んでいる。片流れ屋根の母屋の間隔は5尺、軒の出は2尺5寸のようである。


西側壁面は幅8尺(2,424)、窓は2尺幅の両開き、雨どいを受ける壺が置かれている。右に見えるポールには在宅を知らせる旗を揚げるようになっている。雨が止んだ頃合いを見計らってボランティア・スタッフの方が学生に旗を揚げるところを見せてくれた。


玄関を入ると友を招いての語らいの場がある。室内の天井高は7尺5寸(2,272)、これはコルビジェのモジュロールによる天井高の基準値(2,260)と略同じである。天井まである一本引き窓は開くと壁に収まり、コーナーは柱だけとなる。窓の腰高は2尺3寸5分(710)。


3尺四方のポーチに設けられたドアは内開きである。一見すると室内空間を狭くしてしまう奥まったポーチが、室内空間にくびれを与え、逆にそれが空間に奥行きと広がりを与え、就寝、読書、団らん、と云う異なる機能に対するゾーニングを明解に分離する役目も果たしている。直射日光を避け北側の窓に面したライティングデスクは幅6尺奥行き2尺、この窓から見る順光の景色は思索に疲れた脳を癒す効果も期待できる。


尚、室内を見学できる日は、水曜、土曜、日曜の三日、水曜は東大建築学科の学生によるボランティア・スタッフが、土曜、日曜は地元のボランティア・スタッフが丁寧に対応してくれると云うことである。昨日は学生2名が下車駅を間違え南浦和に行ってしまい。現地に着いたのが閉館時間の午後三時になってしまったが、快く開館時間を延長して下さった上に、遅れた学生2名に対しても丁寧に解説して下さった。真に有り難いことでした。それにしても埼玉には浦和と名のつくJRの駅名が七つもある。本家の浦和駅があって、それに東、西、南、北が勢揃い、更に武蔵浦和に中浦和である。
追記:このピアニシモなヒアシンスハウスを見てから根津に向かい、ミニアチュールの中のピアニシモな建築たちを見たのであったが、そこには何か共通する通奏低音が流れているように感じられた。
東陶通信の抜粋がPDFで提供されていました。原・現代住宅再見「叙情詩人の小部屋」 文・藤森照信PDF/772kb

VectorWorksによるHyacinth House3D

Posted by S.Igarashi at May 28, 2006 10:46 AM
コメント

わきたさん、本屋で「暮しの手帳」を立ち読みしましたが、写真も内容も切り口もあまり新鮮味は感じませんでした。

Posted by: iGa at January 26, 2007 01:35 AM

iGaさん、こんにちは。『暮しの手帳』で取り上げたようですね。それから、盛岡では道造の『盛岡ノート』が復刊されました。TBのかわりです。すみません。
http://blue.ap.teacup.com/wakkyken/560.html

Posted by: わきた・けんいち at January 25, 2007 11:02 AM

東陶通信連載のF森教授による「原・現代住宅再見」が「叙情詩人の小部屋」と称して「ヒアシンスハウス」を取り上げた回の抜粋がPDFになっていました。(追記にリンクを記載。)
F森教授は住宅に花の名前を付けたのは「ヒアシンスハウス」が最初だろうと書いていますね。それとF森教授が名付けた分離派(ゼセッションの事ではない、建築を小部屋単位に分離する傾向をそう呼んでいる)のはしりではないかと分析してますね。まぁ、文章として残るから公衆便所云々についての軽口はないですね。

Posted by: iGa at May 29, 2006 07:16 PM

あ、あり得ますね〜。F森教授、実はそうだったのかも。。

Posted by: neon at May 29, 2006 01:02 PM

やぁ、iGa さんの二年前のエントリーに反応していたのに、すっかり忘れていた。
才気みなぎる作品なのだが、吉村順三もそうですが、あの頃の方々は早熟で、20才過ぎたばかりの青年の仕事とは見えない、ちょっと大人っぽい仕事に見えますね。
私も行ってみなくちゃ。

Posted by: AKi at May 29, 2006 11:33 AM

neonさん、どうも。
ん〜、もしかするとF森教授も誰かに「遠くから見たらタンポポハウスが公園の公衆便所に見えてね」と揶揄されたことがあったりして。
そういえば「タンポポハウス」とか「ニラハウス」という名称は「ヒアシンスハウス」の影響でしょうか。

Posted by: iGa at May 29, 2006 10:43 AM

う〜む(-"-;)
私には、公衆便所には、絶対見えませんけどね〜。

Posted by: 林檎家 at May 29, 2006 09:34 AM

iGaさん 普段は寡黙な私ですが、立原のこととなると止まりません。十代の頃から、研究書も随分読みました。このヒヤシンス・ハウスも、設計図見取り図などは資料として知っていて、まさかこの時代に造られることになろうとは、夢のようでした。彼の色々な設計図もとても美しいです(記念館でよく展示をしています)。でも、藤森照信氏は、このかわいい家を、「遠くから見たら新しい公衆便所みたいに見えてね〜」とおっしゃってました〜。それはないですよねえ。。。(泣)

Posted by: neon at May 28, 2006 04:33 PM

その旗が揚がっている時は在宅、そうでないときは不在と云うサインを友達に送る為だそうです。

Posted by: iGa at May 28, 2006 04:14 PM

以前、盛岡に6年間住んでたとき、『盛岡ノート』という本の存在を知りました。立原道造が、昭和13年9月から10月まで画家・深沢紅子の盛岡にある生家の別荘に滞在し、盛岡での叙景や心情を綴ったものです。彼は、東京帝大の建築でしたね。こんなかわいらしい素敵な家を設計されていたのですね。iGaさんが、リンクされていた「ヒアシンスハウス」のなかに、「庭に掲げる旗のデザインを深沢紅子画伯に依頼した」とありました。

Posted by: わきた・けんいち at May 28, 2006 03:25 PM