三ノ輪二丁目を流れていた音無川下流(現・暗渠)に立ちカメラを構えているmasaさんとその被写体になっているのは、職人の住いらしく手入れの行き届いた押縁下見板張りの石屋(基礎部分に注目)。この周辺地図の区界が川の跡になっている。音無川は浄閑寺の前で、そのまま辰巳の方向に下り土手通り沿いの山谷堀に流れる川筋と、南千住の南端区界を東に流れ白鬚橋付近で隅田川に流れる思川(別名:駒洗川)とに分流された。因みに泪橋はその思川に架かる橋の名であった。分流地点付近には、こんな謎の二列の道路横断マンホールがある。ところで、今朝の東京新聞のコラムであるが、三ノ輪で生まれた天才アラーキこと荒木経惟氏は浄閑寺の境内でこんなことをしていたそうだ。うーん、「栴檀は双葉より芳し」か、なんのこっちゃ。
Posted by S.Igarashi at November 7, 2006 01:43 PMmasa さん、どうも。
連日の三ノ輪、南千住方面の探索お疲れさまです。
道路整備される前は、浄閑寺の境内はもっと広くて、音無川と思川の分流地点まであったのでしょうね。きっと、この石屋は山門に架かる橋の橋詰めに位置して寺の仕事を担っていたと妄想します。隅田川から舟で音無川(山谷堀)を溯り石材を運ぶ方が荷馬車で運ぶよりも効率が良かったでしょうね。
この旧川筋(暗渠)が区界になっていたのですね。このとき、道の両側の住所表記に注意すべきでした…。しかし、何ということもない通りですが、実は、いろんなドラマの巣窟ですね〜ここは…。ついにはアラーキーさんまで登場なさって(^^; そういえば、氏の回顧展 (江戸東京博物館) に行かなくっちゃ…です。
Posted by: masa at November 8, 2006 01:36 AM