1964年10月、東京オリンピックの自転車競技は八王子で行われた。トラック競技は多摩御陵近く南浅川沿いの陵南公園内に作られた仮設スタジアムで開催、ロードレースは甲州街道や高尾街道等の周回コースで競われた。ロードレース当日、中学生は午後の授業がロードレース観戦(動員?)に充てられ、高尾駅前から多摩御陵入り口までの間が自由行動となった。ロードレース観戦と云っても取り立てすることもなく、遊び半分、甲州街道を徘徊していただけである。甲州街道で観ていても、風切り音と共に選手が集団であっという間に通り過ぎてしまい面白くないので、高尾駅前に移動した。ここは元八王子から多摩御陵裏の峠を超え、林業試験場(現・多摩森林科学園)の実験林沿いの高尾街道を一気に下って、高尾駅前で甲州街道を左折するロードレースコースの一二の難所である。そして、僕たちの観ている前でクラッシュシーンが起きた。40年前の記憶によれば、インド人選手を含む数台の自転車がコーナーを曲がりきれずに、次々と落車していった。選手の被っていたターバンが道に落ち転がって行く映像が、未だに目に焼き付いている。
現在の高尾駅前の甲州街道と高尾街道の交差点、正面が多摩森林科学園、高尾街道はこの森林科学園で右に曲がり急勾配の昇りとなる。
選手は高尾駅を正面に見て左折する。
東京オリンピック以後はロードレースコースの交通量も増え、コースの高尾街道や秋川街道はダンプ街道とその機能を変え、危険でとても自転車競技が行える環境ではなくなってしまった。
中央高速が全面開通するまでは、この辺りの甲州街道も大型車両で渋滞していたが、中央高速全面開通と共に交通量は激減、ちょくちょくあった深夜便の大型車両が民家に飛び込むというニュースもなくなった。
しかし、最近になって再び深夜の大型車両の交通量が微増している。高速料金を浮かすために下の道を走る車が増えてきた。
追記
市川崑監督の1964東京オリンピックの記録映画より高尾駅前の落車シーン...